もし川越鉄道が国有化されていたら
出典: Chakuwiki
1906年公布の鉄道国有法では、現実に買収された鉄道会社以外にも、東武鉄道や上武鉄道(現:秩父鉄道)、川越鉄道(現:西武鉄道)、南海鉄道、高野鉄道(伴に現:南海電気鉄道)など15私鉄を加えて国有化する案があり、衆議院では可決されたものの貴族院で廃案となったため、実現しなかった。
もし、西武新宿線の前身となる川越鉄道が国有化されていたら?
- 中央線や武蔵野鉄道(現:西武池袋線)の並行路線となるため、東村山以東は敷設されないか、高度成長期にバイパス線として敷設された。
- よって田無、小平の開発が遅れる。
- 西武新宿は存在せず、新宿駅に独自の複線で乗り入れていた。
- 中央線・国分寺線と伴に川越へのルートを形成するため、現実の川越線が敷設されず、西武大宮線がかなり後期まで残っていた。
- または鉄道路線に改造されて、武蔵野鉄道の路線となって現存。
- 新宿線の開業が遅れる分国分寺線の重要度が増し、複線化と中央線との直通、優等列車の設定が実施される。
- 線名は新宿線の東村山以北とあわせ、川越線となる。現実の川越線は上記の通り存在しない。
- 西武園線は多摩湖線や狭山線と競合するため、存在しない。
- 拝島線も青梅線などと競合することから敷設されず、現実の青梅線や中央線のラッシュが今以上に過酷なものとなった。
- ゆえに、中央線は立川まで複々線化された。
- 西武農業鉄道や西武鉄道といった社名はなく、今日に至るまで武蔵野鉄道を名乗り続ける。
- 多摩湖線は堤が介入していたため武蔵野鉄道に統合されるものの、多摩川線と同様、武蔵野鉄道の孤立線区となってしまうため、山口線がおとぎ列車やAGTではなく普通鉄道となり、狭山線と一貫した運行が行われた。
