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もし沖縄県庁が首里に置かれていたら
出典: Chakuwiki
1879年に廃藩置県により沖縄県が首里に設置されましたが、この後に県庁は那覇に移転します。
- しかし仮に県庁が琉球王国時代と同じ首里(現在の那覇市の一部)に県庁があったら
- 沖縄県は行政は首里が中心となるが経済は那覇になる。
- 1954年には那覇を吸収合併して首里市となる。
- のちに政令指定都市移行の話し合いがされて旧那覇市は那覇区に
- 逆に旧首里市は中央区になる。
- 沖縄都市モノレール(ゆいレール)の現存する首里駅が「県庁前駅」に、現存する県庁前駅が「パレットくもじ前駅」か「琉球放送前駅」となった。
- 間違ってもそれはないな。旧那覇が新都心になっただろ。
- 第一、県庁が置かれたとしたら史実の旧博物館か首里城だろ。今の駅のある場所からは1km前後離れてるぞ。
- RBCにしても、那覇の久茂地にはない。首里城内は不可能だがその近く(旧国頭街道儀保あたり)じゃないのか?
- 寄宮は畑から郊外型都市に脱皮。知事公舎もない。
- 戦前の沖縄県営鉄道の起点は首里近郊。
- 現在の国際通りがない。
- よって首里からスタートする国道331号線は旧長江堤・十貫瀬を経由して旧那覇を抜け明治橋を渡る。
- 国道58号線は牧港以南も旧国頭街道と同じルート。
- このページが「偽首里ぬ特徴」になっていた。
ほかにも次のケースがありえたので追記しとく。
[編集] もし、沖縄県庁が(うるま市)石川にあったら
戦後初の暫定政府は、戦後すぐに収容された住民によって人口が増えた石川市に置かれました。これがそのままだったら。
- 首里・那覇は寂れた。
- 現在の読谷村みたいなやちむんの里になっていた。
- 首里城はあっさりと復元。
- というか、牧志から西はいまだに基地。
- 皮肉にも、軍港以外の埋め立てはなく、緑地が復活している。今の前島は干潟のまま。
- 史実よりもはるかに早く石川・具志川・与那城・勝連が合併。
- 新市名はもちろん沖縄市。
- 読谷を併合した可能性あり。
- 与那城・勝連は別の市だったかもしれない。
- 人口はわずか4kmしかない仲泊-東恩納間に集中。
- 字石川にオフィス街ができる。
- 石川高校は県の名門校となった。
- NHK沖縄かRBCの本社、およびラジオの送信所は栄野比にあった。
- テレビ送信所は石川岳かな?
- ちなみに、琉球大学も栄野比周辺にできた。
- 沖縄電力の発電所は石川にはない。
- でも本社はできた。
- 国道58号の終点は東恩納。
- 仲泊以北は史実と変わらないルート。
- 沖縄県区間は現実より30キロも短い。
- 東恩納-首里間が国道330号として制定される。
- 東恩納-与那原-南部一周-首里の国道331号も指定。
- 糸満からは現実の県道77号-国道507号-県道46号を経由。
- 東恩納-与那原-南部一周-首里の国道331号も指定。
[編集] もし、沖縄県庁が知念にあったら
その後、暫定政府は知念村(現南城市)に移転します。しかし、1949年に布令が出され、戦後も那覇市が沖縄の中心となり今日に至ります。
- やっぱり那覇は寂れた。
- 知念は市制施行して知念市となるも、沖縄の中心にふさわしい名前として、佐敷町・玉城村を併合し、首里の東という首東(すあがり)市となる。
- 地形上手狭となり、佐敷に移転。
- その後、与那原・西原を併合し、ついに首里を併合して新首里市となる。
[編集] もし、沖縄県庁が湧田釜の発掘によって中部移転していたら
1980年代、国体を契機に沖縄市へ県庁を移す運動が一部で起こり、1986年旧県庁舎解体後に湧田釜が発見され移転運動はピークに達しましたが、湧田釜は運び出され、現在は那覇新都心に移転した博物館に置かれました。そうではなくて、湧田釜および旧立法院の現地保存が決まっていたら。
- 移転先は沖縄市美里
- 沖縄市への改称が実を結ぶことになる。
- 嘉手納基地に近いため14階建てにはならない。
- 那覇は人口減少して現在20万くらい。
カテゴリ: 歴史のif検討委員会 地方史 | 沖縄
