アチバラギ戦争
出典: Chakuwiki
- 関東にて起こった「秋葉原帝国(江戸市)」と「千葉」間での「錦糸町問題」に端を発するアチバ戦争を引き金とした内乱。これに茨城が参戦したことにより関東一円が内戦陥り、この混乱がやがて江戸幕府国政権の台頭を許す事になる。
[編集] アチバ戦争
- 江戸市錦糸町は旧千葉県民にとって一番近い東京であり、旧千葉県民も多い地であった。このため錦糸町を千葉の飛び地、もしくは自治区としての独立を認めるよう秋葉原帝国と交渉を行うが決裂。錦糸町在住の千葉県民の保護を目的に千葉から黒いねずみと仲間達が来襲。だが「セーラー服が秋葉原に来る」というデマ情報により多数のカメラ小僧が小松川周辺に集結し衝突が起こる。デマ情報に憤慨したカメラ小僧の集団が千葉側に侵攻し一般人学生のセーラー服を機関銃のごとく撮りまくり、その傍若無人ぶりに千葉軍は強制排除を行う。これに対し秋葉原帝国も正規軍を投入しアチバ戦争が勃発。
[編集] 第一次アチバラギ戦争
- マックスコーヒー問題やチバラギ呼称問題で千葉と仲の悪かった茨城はこれを機とばかりに新興宗教団体「納豆の輝光」が独断で参戦。だが納豆の栄光部隊が何を思ったか秋葉原帝国軍に対し攻撃を開始(これにはただの勘違い説・常磐線怨恨説等がある)。これにより三つ巴の戦争へと発展する。
[編集] 第二次アチバラギ戦争
- 一年橋事変後、マックスコーヒーに房総名産と表記される事を条件に茨城の軍門に下った木更津(旧千葉)であったが、生産工場、ならびに販売会社が茨城内にあることを盾にマックスコーヒーは茨城名産条例が強行採決されると約束を反故にされたことへの怒りと「ピーナッツハニーの扱いはどうなるんだ!」との不安から木更津内のタカ派が躍進。ながらみも茨城名産条例が噂されると木更津の怒りが爆発。ついに開戦への道へと突き進む。また、この戦争において木更津と秋葉原帝国の間で密約が交わされていたとの情報もあり、事実この戦争において木更津軍と秋葉原帝国軍の衝突は皆無だった。
[編集] 第三次アチバラギ戦争
- 第二次アチバラギ戦争によってつくばエクスプレス以西を失った茨城は旧領奪回のために準備を進めていた。折しも「2100年問題」が浮上し秋葉原帝国の弱点は「高度に電脳化されたシステムであるため2100年問題が発生すれば弱体化は逃れられない」との結論に達し、秋葉原帝国への開戦を2100年1月1日と定め、この準備に当った。
- また、千葉に対しては1年橋事変のトラウマで利根川を渡れないと看破しており、主力を秋葉原帝国攻撃に回した事もあって最低限の守備隊を利根川沿岸に配備するに留まった。
- 着々と準備を進めてきた茨城は予定通り2100年1月1日に秋葉原帝国侵攻を開始した。
- つくばエクスプレス沿線の部族に対し懐柔策を行い、先遣部隊をまず秋葉原帝国中枢に送り込み2100年問題で混乱している秋葉原を制圧。その後主力部隊による国境越えが計画されていたが、結局2100年問題は起こらず2100年問題対応の為駐在していたものの杞憂に終わった事で逆ギレした徹夜作業部隊に敗北を喫してしまう。
- 第二次アチバラギ戦争時に利根川(橋に対してのアレルギー)を渡れなかった千葉では、橋を渡らずに茨城への侵攻が出来ないか模索が続いていた。そこで目を付けたのが九十九里浜を始めとした湾岸地帯に出没するサーファーだった。また、陸上での機動性を補う為赤いマ○ダファミ○アに乗った陸サーファーも投入された。
- サーファー部隊によって不意を突かれた事に加え、秋葉原中枢での敗北の為茨城軍主力は南進ではなく西進を余儀なくされ、秋葉原帝国領旧栃木側へと侵攻を開始。これにより常磐自動車道以東を失うものの旧栃木はほぼ手中に収めることとなる。