ブルボン朝
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ブルボン家の噂[編集 | ソースを編集]
フランス・ブルボン朝[編集 | ソースを編集]
- 初代国王はアンリ4世。
- 「1598年、いちご食わねばナントの勅令」「なんとナントの勅令で個人の信仰の自由を許しました」と世界史の先生に叩き込まれる確率50%。
- 「上半身は未来人、下半身は原始人」と呼ばれ、決してトイレに行かずに、排泄物もその場で垂れ流していたらしい。
- 「1598年、いちご食わねばナントの勅令」「なんとナントの勅令で個人の信仰の自由を許しました」と世界史の先生に叩き込まれる確率50%。
- 太陽王といえばルイ14世だが、親父のルイ13世も太陽王。
- 若い頃から髪が薄くなり、ヅラを愛用するようになった。臣下は気まずいので自分達も被るようになった。これがヨーロッパの王宮におけるカツラの歴史の元祖。
- ついでにルイ14世が太陽王というのは、頭に関しても当たっている(本人もヅラ愛好家)。
- ルイ14世の代、パリの臭気に耐え切れなくなり、ベルサイユに逃げてそこに宮殿を作って移り住んだ。
- ルイ15世の愛人、ポンパドゥール夫人は外交で文化で財政でルイ15世を振り回していた。
スペイン・ブルボン朝[編集 | ソースを編集]
- ルイ14世の孫が、ハプスブルク家断絶後スペインに乗り込んで来たのが始まり。
- 一応ハプスブルク家とも血縁関係があった(オーストリアのハプスブルク家よりもむしろ近かった?)
- 何度か王位を追われたが、その度に復活。
- スペインの独裁者フランコは死ぬ前に後継者にブルボン家のフアン・カルロス1世を指名して、王政復活。しかし即位後はさっさと独裁制をかなぐり捨て立憲君主制に移行。
- ちなみに国王陛下は親日家。どっかの王室とは大違い。
両シチリア・ブルボン朝[編集 | ソースを編集]
- 王家としてはそんなのあったのかと思うくらい地味。
- スペイン・ブルボン朝から分かれ、18世紀から19世紀にかけてナポリ・シチリア王国(今のイタリアの南部)を支配した。
- 戦争に強かったためしは無く、イタリア軍にその伝統を引き継いだ。