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仙台伊達共和国/歴史
出典: Chakuwiki
仙台伊達共和国 > 歴史
目次 |
[編集] 仙台の膨張
[編集] 『仙台経済圏』の拡大
日本国時代、1989年に仙台市が政令指定都市となり、1991年に「南東北中枢広域都市圏構想推進協議会」が南東北3県(宮城県・山形県・福島県)・3県都(仙台市・山形市・福島市)・東北7県経済団体(東経連)・3県都経済団体で結成された。
当初は緩やかな経済交流を企図していたが、バブル崩壊と郊外化で中心商業地からデパートが次々なくなって商業機能が低下した隣接県から仙台へ買出しに来る者が急増。その足として、仙台発着の都市間高速バスが2000年前後から急速に発達。県境を越えて仙台市の衛星都市化する地域が次々現れ、仙台2時間圏に人口500万を数える経済的な「仙台経済圏」が生まれた。
[編集] 広域自治体『仙台広域圏』の登場
自信を深めた仙台市長は、都市外交名目で日本国の外交が手薄なヨーロッパの小国、中東、および、ASEAN各国に飛び、独立の模索を始める。平行して、山形市長と福島市長を引き連れて「仙台・東北ジャパンフェア」を各国で開催し、仙台市長の政治的プレゼンスを確立。機が熟した2007年3月末、3県都横並びな「南東北中枢広域都市圏構想推進協議会」を解散させた。
次に仙台市は、仙台経済圏の自治体に交付金を交付することを提案。国からの地方交付税交付金や補助金のカットで疲弊していた各自治体はこれを歓迎し、仙台市からの財政援助を受け入れる条例を次々可決した。これにより、経済的な繋がりだった仙台経済圏は、行財政的に統合され、仙台市は直轄の市域を持ちながらも、県境を超えた県レベルの広域自治体でもあるという特殊な自治体となった。既存の県の領域とオーバーラップするこの広域自治体は「仙台広域圏」と名付けられ、仙台広域圏下の基礎自治体は、既存の広域自治体である県との二重支配がなされるようになった。
[編集] 仙台による東北電力接収
仙台市は、交付金の財源を得るため、一方的に東北電力を接収する条例を制定し、仙台の公営企業とした。これにより、仙台市は東北各県の2倍を超える圧倒的な予算規模(約2兆円)の自治体となり、力の政治を始めた。まず、仙台広域圏以外の電力料金を20%アップし、新潟県に対しては30%アップをすることを通達。すると、ライフラインの安全保障のために、仙台経済圏外からも仙台広域圏に編入を希望する自治体が相次ぐ事態となった。
日本の地域開発では東北圏に入りながらも、東北6県に対する差別意識が強い新潟県では、電力料金アップに対抗して、東北電力が所有する新潟東港・天然ガス施設および新潟・仙台間ガスパイプラインへ新税を課す動きが県議会で起こった。これに対し仙台広域圏は、課税分を全て新潟県内の電力料金に上乗せすると警告。これで課税は即ち自らの首を絞めることになり、新税論をぶち上げた県議たちは一気に発言力を失った。代わって穏健派議員たちが議員団を組織して仙台に入り、仙台広域圏には加わらないものの、電力料金を上げないよう交渉を開始した。仙台側は、東北差別をする新潟県民の再教育プログラムの実施と引き換えに25%にまでアップ率を緩和するとしたが、新潟側は継続審議を要求。結果、新潟の仙台詣でが常態化し、新潟県の景気を左右する権力を持った仙台が、実質的に新潟県を政治・経済的支配下に組み込んだ。
[編集] 宮城県知事の奥羽軍事政権
[編集] 軍事蜂起
仙台広域圏は、県境を超えてどんどん広がり続け、このままでは東北地方が全て仙台広域圏の下に統一されてしまうと東北各県の知事は危機感を持ち始めた。そこに、道州制での「東北州」初代州知事への野心を抱いていた宮城県知事(自衛隊出身)が、なかなか進まない道州制論議に業を煮やし、一気に東北6県の統一をしようと画策する。
まず宮城県知事は、仙台市・苦竹の陸上自衛隊東北方面隊総監部に赴き、東北方面総監との協議を開始した。東北方面総監は、日本が政治・軍事的に「普通の国」になるためには、核保有とアメリカの核の傘からの離脱が必要、との私見を持っていたため、
- 「奥羽独立」を実現。
- 日本の非核三原則から脱した奥羽で、核開発を実施する。
- 奥羽が開発した核の傘に、残りの日本を編入。
- アメリカの核の傘からの完全離脱。
というロードマップを提示した。宮城県知事は、自身の初代東北州知事の野心を超えて、日本国首相に上り詰める可能性があるこのロードマップに同意する。
宮城県知事と東北方面総監は、各々の野心の下、核開発の意図を隠蔽したまま、東北方面隊隷下の全部隊を以って「奥羽独立」を旗印に軍事蜂起した。これが、有史以来続く関西人から受ける蔑視、戊辰戦争敗戦以来続く経済後進地の烙印、高度経済成長期から続く東北弁に対する嘲笑など、東北人の心の底に鬱屈した被差別意識を刺激し、東北地方各地で民衆が軍事蜂起を歓迎した。そして、青森県むつ市の海上自衛隊・大湊地方隊、同県三沢市の航空自衛隊・北部航空方面隊、および、宮城県塩釜市の第二管区海上保安本部も「奥羽独立」に同調。これにより、東北の陸海空の自衛隊および二管は、「奥羽陸軍」「奥羽海軍」「奥羽空軍」「奥羽沿岸警備隊」と名称を変更し、宮城県知事が統帥権を掌握した。
[編集] 核開発
米軍は、主力が韓国・沖縄・首都圏にあり、手薄だった東北地方での大規模な軍事蜂起に対抗できず、三沢基地で時間稼ぎの裏交渉を始めた。この間に奥羽空軍は、北部航空方面隊隷下の第2航空団(北海道・千歳基地)を仙台空港に移し、三沢と仙台の2基地により東北地方の制空権を得た。これにより、日本の自衛隊は奥羽軍支配下地域に侵入することが極めて困難になった。
ミリタリーバランスが均衡する中、奥羽陸軍は青森の第9師団司令部隷下の第5普通科連隊にいる精鋭部隊を青森県六ヶ所村に派遣し、核燃料リサイクル施設を占領。次に、山形県東根市・神町駐屯地から第6師団司令部隷下の第20普通科連隊の精鋭を、宮城県柴田町・船岡駐屯地に派遣し、隣町の角田市にあるJAXA宇宙センター(ロケットエンジンの研究・開発施設)を占領して、一部の科学者を八戸市の第4地対艦ミサイル連隊に連れて行った。そして、東北大学の核研究者と航空工学研究者もこれら3つの施設に派遣した。すなわち、地対艦ミサイルを宇宙ロケットエンジン技術で改造し、核弾頭を搭載しようとするものである。これらは、民衆や米軍・日本に知られぬよう、秘密裏に実行された。
[編集] 極東戦争の危機
日本国は、国内問題に留めるため米軍の裏交渉打ち切りを要求。宮城県知事は、米軍カードを失う危機を感じ、「奥羽独立」のためには国際問題化する必要があると判断して、奥羽海軍・大湊地方隊を動かして特定海域である宗谷海峡と津軽海峡を封鎖した。これにより、釜山トランシップ航路とロシア極東航路が断絶したのみならず、各国の核搭載の可能性がある潜水艦が通る国際海峡が封鎖され、日本海に一気に軍事的緊張状態が発生した。すると、ロシアと韓国は、「奥羽」に宣戦布告しかねない状態となり、また、混乱に乗じて北朝鮮が東京・大阪・名古屋にミサイルを発射しかねない状態になった。
米軍は無秩序な多国間戦争に陥る危険を回避するため、「奥羽」との相互不可侵条約を締結する代わりに2海峡の封鎖を解くバーターを提案。宮城県知事もこれを受け入れた。結果、財政中心の仙台市と軍事中心の宮城県が、各々広域政治勢力を敷くいびつな支配体制が東北地方に確立した。
[編集] 日本による切り崩し
米軍からフリーハンドの軍事独立状態を得た「奥羽」に対し、日本国首相は政治的な内部崩壊を企図して、宮城県知事以外の東北各県知事との裏交渉を開始した。
まず、歴代総理を数多く輩出し、国とのパイプが東北の中で最も太い岩手県に密使を派遣し、岩手県知事に『「東北州」実現の際には、州都を盛岡にする』と密約した。古代から、宮城県域の陸奥国府・多賀城~奥州管領~仙台藩と対立してきた歴史を持つ岩手県は、奥州藤原氏以来の東北の覇権を得るこの提案に色めきたった。
次に密使は青森県に赴き、北海道新幹線の青森県区間の建設費青森県負担分を国が全額たてかえると約束した。続いて密使は秋田県に赴き、秋田港を経由する「環日本海シーアンドレール構想」を国策事業とすると約束。また、両県には一国二制度の関税・税制導入を各々密約した。これで北東北3県の知事は全て国になびいた。
一方、南東北では国からの別の密使らが動いていた。1人は福島県に入り、福島県知事に『県庁所在地を郡山市に移転し、福島県を首都圏に編入する』と密約。すなわち、東北州が実現しても、それは福島県を除く5県であり、福島県はより財政規模の大きい関東州に入る可能性を示した提案である。福島県知事は、中心部がジリ貧となっていた郡山の再生と、投資拡大による県全体の経済浮揚を期待してこれを受け入れた。
もう1人の密使は山形県知事に会い、『上越新幹線をフル規格で庄内に延長する』と密約した。新幹線の庄内延長は即ち、新潟に次いで2番目に県内主要都市全てに新幹線が通る県になることを意味するため、山形知事も乗り気になった。
国は、各知事に異なる夢を描かせることで、「奥羽」という1つの夢を打ち砕くことを企図し、各知事はお互いの夢を知ることなく国に切り崩されていった。
[編集] 奥羽包囲網
次に日本国首相は、日本海と太平洋双方から海自の護衛艦を北上させ、奥羽海軍の部隊の分散を図った。また、メガフロートを三沢沖と男鹿半島沖に構築し、支援戦闘機を駐機させ空母化。空中給油機を使って大回りさせ、駐屯部隊がいなくなった千歳基地を占領し、支援戦闘機を配備した。北海道では陸自を渡島半島南部に集結させ、奥羽陸軍と津軽海峡を挟んで対峙させた。
「奥羽」は、日本自衛隊に周囲を完全に囲まれて軍事的圧力を受けるのみならず、新潟東港にある東北電力のLNG施設へ供給するLNGタンカー着岸が阻止され、新潟・仙台間ガスパイプラインなどでの東北全体へのガス供給が不安定化した。また、仙台港などの石油精製所への石油タンカー着岸も阻止され、「奥羽」はエネルギーショック前夜の状態に追い込まれた。
対抗して「奥羽」は、東北自動車道や常磐自動車道を初め、東北と関東・新潟との間の陸路全てに検問をしき、農水産物の域外流出を阻止した。これにより、首都圏では1993年米騒動以来の米価の高騰と、魚介類の価格高騰が発生し、寿司屋の大量閉店を機に食糧危機が発生した。
このような政治的・軍事的緊張と流通停滞による政情不安の一方で、「奥羽」内では宮城県以外の各県知事の根回し工作から内部崩壊が始まった。そんな中、宮城県知事は、住民の戦時高揚により支持を得ようと、日本との戦争もやむ無しとの結論に至る。
[編集] 奥羽独立戦争
日本国首相は、三沢の米軍との偶発的戦闘を回避するため青森への上陸作戦は却下し、南東北での局地戦を選択して宣戦布告。関東から福島県浜通りと中通りに陸上自衛隊を進軍させた。日本自衛隊の部隊配置に対抗して、特に北東北の防衛強化を余儀なくされていた奥羽陸軍は、南東北で戦端が開かれたことで虚を突かれ、峠道である白河の関では戦線を膠着させたものの、浜通り戦線では広いいわき市で敗戦を重ね、海沿い(国道6号沿い)では広野、磐越道沿い(国道49号沿い)では差塩まで撤退した。
いわき陥落の現実を前に、奥羽陸軍は東京電力・福島第一および第二原発を占領。「日本陸自が進軍をやめないと、東京への送電を停止する」と発表した。送電停止は即ち、電子機器の使用制限、電車の間引き運行などによる経済混乱と、エアコン・冷蔵庫・掃除機の使用制限で不潔な環境になり感染症パニック(パンデミック)に陥る可能性を意味する。また、いわき陥落で瀬戸際戦略に出た奥羽軍をさらに追い詰めると、今度は福島原発を爆破するという焦土作戦を実施するのではないかとの憶測が広がった。もし福島原発が爆破されれば、やませなどの北風あるいは北東風に乗った放射性物質が関東平野を汚染し、首都圏がパニックに陥るとの不安が広がった。そのため、日本国首相は進軍を停止し、停戦交渉を開始した。
[編集] 「奥羽」の瓦解と「仙台」の復権
[編集] 県のエゴ vs 基礎自治体のエゴ
日本国首相と東北5県の知事との間の密約の内容を知った仙台市長は、奥羽軍事政権は遠からず破綻すると考え、仙台を中心とした「仙台広域圏」での独立を構想し、枠組み確定を急ぐこととなる。
まず福島市長に福島県庁の郡山移転の密約を知らせる。激怒した福島市長は、福島県北部の自治体とともに仙台側に付くことを宣言した。
次に仙台市長は、山形県内陸部の最上・村山・置賜の3支庁の各自治体首長を集め、『上越新幹線のフル規格庄内延長』という日本国と山形県知事との密約を告げる。ミニ新幹線の山形新幹線しかきていない3支庁の諸自治体首長は不満を募らせ、3支庁全域で仙台側に付くと宣言した。
さらに仙台市長は、岩手県奥州市長と秘密裏に会談。北上市周辺の工場・流通企業からの税収が入らず、北上盆地中部の中心地が北上市に奪われていた水沢では、仙台からの投資拡大と仙台藩時代の栄華再びとの運気が高まり、岩手県南の旧仙台藩地域と共に仙台側に付くことを宣言した。
[編集] 『広域仙台共和国』の独立
この機を待ったかのように、北海道新聞の青森県内にいた記者が奥羽軍事政権の核ミサイル開発をスクープし、通信社を通じて世界に配信した。日本では禁じ手と考えられていた核開発を行っていたことにより、世論の大反発を受けて奥羽軍事政権は一気に瓦解。
宮城県知事は軍政の求心力を再構築しようと考えたが、自らの県のエゴのみに奔走した東北5県の知事に権力を禅譲すれば、奥羽軍内のモラルハザード発生→軍の分裂→軍閥割拠→内戦発生という最悪のシナリオが始まると考え、「仙台広域圏」の行財政の枠組みを確定させた仙台市長に軍事統帥権を委譲。これで仙台市長は、「仙台広域圏」の政治および軍事の権限を手に入れ、次に独立の手続き段階に入ることになる。
仙台市長は「奥羽防衛」から「仙台防衛」へ部隊配置を転換し、三沢の第3航空団を庄内空港に移動、奥羽海軍も酒田と大船渡に移動させ、北東北の陸自は横手盆地と北上盆地に集結させた。
次に、市長就任前の通産官僚時代に築いたジャパンハンドとのコネクションを使って米政府に接近し、日本政府の遅れが目立つ自由貿易協定をアメリカをはじめとする世界各国と結ぶことを確約。また、自身の核開発を否定し、アメリカの核の傘の下に留まることを宣言。その証明と仙台広域圏の安全保障のため、米軍に対して、仙台都市圏北部にある王城寺原演習場への陸軍駐留、山形空港への空軍駐留、大船渡港の海軍使用を許諾した。その代わり、アメリカに「仙台広域圏」の独立承認を要求した。
米政府は、アメリカの核の傘の下にいるなら、「仙台広域圏」が日本からの分離独立しても米国に損失はないこと、また、「仙台広域圏」との貿易を経由して、「仙台広域圏」・日本間の関税交渉と米日関税交渉の2チャンネルで日本での米企業の経済活動を自由化できると考え、「仙台広域圏」の独立を承認した。アメリカと対立出来ない日本国首相は独立止む無しとの結論に至り、「仙台広域圏」は「広域仙台共和国」として独立。即日、アメリカ合衆国、ヨーロッパ、中東、ASEANなどの計35の国と地域から承認を得た。
[編集] 「NETO」創設と仙台の東北間接支配
「広域仙台共和国」の独立により日本国の弱体ぶりが明らかになり、特に密約を反故にされた上、軍事的に見捨てられた北東北では次々と独立運動が起こった。
ここに、旧奥羽軍の軍事統帥権を持つ広域仙台共和国政府は、東北6県の知事を仙台に呼び、「東北地方条約機構」(NETO = Northeast regional Treaty Organization)を設立した。設立条件は、
- 広域自治体「仙台広域圏」時代に行っていた基礎自治体への交付金は、「広域仙台共和国」の外においてはこれを廃止し、NETO軍事予算に振り向ける。
- 宮城県を廃止し、その統治権(県庁・議会・警察等)を「広域仙台共和国」に移譲する。
- 「広域仙台共和国」以外の各県は独立国家ではなく、国内および国際法上軍事力を持つことが出来ないため、広域仙台政府が各県の軍事統帥権を引き続き維持する。
- NETOが、日本自衛隊および米軍との安全保障を実施する主体となる。
- 奥羽独立戦争の戦後処理は、NETOが行う。
というものである。これにより「広域仙台共和国」は、東北全体への軍事的影響力を維持し、なおかつ、日本からの軍事的干渉を回避することが出来るようになった。
「広域仙台共和国」外の東北5県各県知事は、NETO軍が各県下での独立運動を鎮圧してくれると考えてこれを承認。しかし、軍事統帥権を持つ「広域仙台共和国」政府は、各県の独立運動を静観した。各県知事は、数度に渡ってNETO軍出動を要請するも、部隊配置の転換をするのみで鎮圧を行わなかった。結果、各県知事は次々失脚し、のちに各県に独立国家が生まれることになる。
広域仙台政府は、各県での独立国家出現を待って、東北地方に政治的な共同体「奥州連合」(OU = Oshu Union)を設立し、日本からの分離独立を確実なものとしようと考えていた。また、人口1000万人を擁することで国際的発言権を得ようと企図していた。しかし、各県の独立国家の政権が安定するには時間がかかり、なかなかOU設立に漕ぎ着けることが出来なかった。
[編集] 伊達藩回帰と本州外への進出
[編集] 宇和島フリートレードエリア
「広域仙台共和国」では、第一回共和国臨時議会が開催され、旧仙台市長が臨時大統領に選出、旧山形市長が臨時第一首相、旧福島市長が臨時第二首相、旧奥州市長が臨時外務大臣に選出された。仙台藩時代の栄華の再興を目論む臨時外相は、すぐさま旧伊達藩の愛媛県宇和島市に飛んだ。
臨時外相は宇和島市長に対し、宇和島が「広域仙台共和国」と飛び地合併すれば、宇和島湾地区をフリートレードエリアにする用意があると告げる。瀬戸内海西部で大型船が通過できるのは関門海峡と豊予海峡であるが、関門海峡が飽和状態にある現状では、豊予海峡の入り口の宇和島にフリートレードエリアが出来ると、広島港のプレゼンスが極端に低下すると、密約を聞きつけた広島市が反対の姿勢を明確にした。日本政府も宇和島から日本国内に入る物資への関税設定、および、宇和島入りした物資が本四架橋を通行する場合の通行料の倍加を発表した。
経済状況が良くなかった宇和島は、フリートレードエリア設定で、香港やシンガポールのような中継貿易都市国家となることを夢見、「広域仙台共和国」への帰属と米海軍の寄港の許可を同時発表した。また、入港した物資の大半を巨大市場の中国向けにし、日本向けは大阪の問屋に売却することで関税逃れをする道を見付け、日本の圧力は無意味となった。
[編集] 苫小牧での挫折
次に臨時外相は、旧仙台藩陣屋があった北海道共和国白老町に飛び、白老町長および隣接する苫小牧市の市長と三者会談を持った。広域仙台政府側は、この地をおさえることで、札幌経済圏の最重要外港である苫小牧港、および、道央道と日高道のジャンクションを手に入れ、北海道の物流の根幹を握り、北海道の生殺与奪権を手中にしようとした。
広域仙台政府の提案は、「広域仙台共和国」帰属と税制緩和のみであったが、苫小牧市長が苫小牧港の宇和島並みのフリートレードゾーンを要求し、交渉は暗礁に乗り上げた。宇和島は周囲を山地に囲まれているため、安い防衛費でフリートレードゾーンを維持できるものの、苫小牧は周囲が原野で、北海道陸自は日本最大の陸上軍事力を持つことから、フリートレードゾーンの維持費が尋常ではない。結果的に広域仙台政府と苫小牧との交渉は決裂した。
一方の白老町長は、札幌圏ばかりに人口が集中していく北海道の現状から、税制緩和が白老町への移住促進に繋がるとして、同じく仙台藩関連の伊達市長を呼んで、両者で「広域仙台共和国」帰属を宣言した。これ以降、広域仙台政府の北海道対策は、重要地の獲得から経済的な浸透へと転換されることになった。
なお、白老町長は、札幌第一主義の北海道共和国政府の圧政を打破するため、「SLO:the Sendaien hokkaidoite Liberation Organization 仙台系北海道人居住地域政治機構」の設立構想があることを広域仙台政府の官吏に極秘裏に示唆した。
[編集] 『仙台伊達共和国』の成立
[編集] 伊達氏の復権と山形民国の分離独立
苫小牧の飛び地合併失敗は、覇権主義をとる臨時大統領(旧仙台市長)への批判に繋がり、支持率が急落した。臨時大統領は、伊達家関連地(宇和島市と白老町・伊達市)の飛び地合併には成功したとして、国名を「広域仙台及び伊達連合共和国」(略称:仙台伊達共和国、仙台伊達)に変更し、求心力回復を狙ったが、結局失脚。
そのため、空席の大統領職を埋めるべく、第一回大統領選が実施された。初代大統領は、圧倒的な支持で伊達泰宗が当選した。
しかし、国名と大統領が「伊達」になったことで、伊達を敵視する旧山形県地域が猛烈に反発。デモ隊が、奥羽山脈を越える国道を旧山形県側から旧宮城県側に向かって行進し、ピケを張って峠を次々封鎖した。また、ピケの内側では、伊達氏の家紋の「竹に雀」を意識して、焼き鳥パーティを連日開催した。そのため伊達大統領は、住民の自決権を優先し、仙台都市圏と奥羽山脈を挟んで隣接する村山地方を除く最上・置賜の両地方の分立を承認する(両地方は、後に庄内地方とともに山形民国として独立)。
次に伊達大統領は、初代首相にマーティーキーナートを任命し、組閣を実施させた。キーナート首相は外交政策の重要性から、英語・フランス語・日本語・南部弁が話せるMONKEY MAJIKのメイナードプラントを外務大臣に任命した。また、金融大臣に七十七銀行頭取を任命した。
[編集] 北海道への経済侵略
金融大臣は、飛び地との金融取引、および、宇和島フリートレードエリアでの国際取引を専業とする新銀行「伊達銀行」を設立。「仙台伊達共和国」各地に支店網を築くと同時に、仙台藩入植地の札幌市白石区にも支店を設立した。
伊達銀行は、宇和島フリートレードエリアから上がる利益を元に、北海道の企業を次々買収。それらの企業の本社を白石区に移転させた。
[編集] 「SLO」の国際政治
長年の日本各地からの移住者で国民が形成されている北海道共和国では、出自の違いによって国民の一体感醸成がうまくいかず、また、九州の2倍の面積がありながら札幌第一主義を突き進んできたため、首都争いが発生した。すると、自らの命と権利を守るため武装した国民が徐々に集団化し、各地に民兵組織が生まれた。そして、勢力拡大のため各組織は、隣接地のみならず飛び地同士でもグループ化し始めた。
このような中、札幌市白石区・厚別区・伊達市・白老町・当別町・栗山町角田・登別市の計7つの民兵組織が、「旧仙台藩士・集団入植地」という繋がりからグループ化し、「SLO:the Sendaien hokkaidoite Liberation Organization 仙台系北海道人居住地域政治機構」を設立した。
SLO代表となった白石区長は、区内の伊達銀行白石区支店を秘密裏に訪問し、ホットラインでキーナート首相と電話会談を行った。白石区長は、SLOが旧仙台藩7入植地の「仙台伊達共和国」への完全編入を最終目標としていることを告げる。対してキーナート首相は、伊達銀行を経由して、SLOへの経済的バックアップを密約した。
財政的裏付けが出来たSLOは、国連に代表団を送り、交戦団体の認定を受けた。これでSLOは、完全な国家ではないにしろ、国際法上の外交権を得た。さらに交戦団体から民主的政治組織へと脱皮するため、外国人記者を集めて、『旧仙台藩7入植地の帰属先を北海道共和国とするか、「仙台伊達共和国」とするかの住民投票を実施する』と世界に向かって発表した。
北海道政府は、SLOの住民投票を「法的根拠がない」として潰しにかかろうとした。しかし、EUを中心とした国連の選挙監視団の派遣まで手はずを整えていたSLOを軍事的に制圧することが出来ず、住民投票での北海道帰属を勝ち得るためのローラー作戦を始めた。
[編集] 北電買収と旧蝦夷地仙台藩領・警護地
首都争いやSLOの住民投票問題で経済政策が疎かになっていた北海道共和国政府を尻目に、伊達銀行は、北海道第2の企業である北海道電力の買収にも成功。その取得株式を仙台伊達政府に譲渡した。
仙台伊達政府は、北海道の電力インフラの安全保障とバーターで、旧蝦夷地仙台藩領・警護地だった白老町から北方領土までの北海道南岸の胆振支庁・日高支庁・十勝支庁・釧路支庁・根室支庁を新国家に割譲するよう北海道政府に要求した。しかし、札幌の最重要外港となっている苫小牧港を失う危機感から、北海道政府は提案を拒否。妥協案として、札幌市白石区・伊達市・白老町の割譲を提案した。仙台伊達政府は、「仙台伊達共和国」との間の交通の自由、安全保障、関税障壁の撤廃を加えた上で、「仙台伊達共和国」に編入合併する案を提示し、交渉は妥結。編入が決定した。
仙台伊達政府は、伊達銀行を通じて既に株式取得やプロキシファイトで北海道主要企業の経営に介入し、それら本社の白石区移転を終了させていたため、白石区を得たことでそれら主要企業からの事業所税や法人税をも北海道政府から奪った。旧蝦夷地仙台藩領・警護地を得ることが出来なかったものの、これで「仙台伊達共和国」は道経済のメインプレイヤーとなった。
[編集] 「旧仙台藩士・集団入植地」住民投票
翌月、旧仙台藩7入植地の残りの「4入植地」(当別町、栗山町角田、登別市、札幌市手稲区)で住民投票が実施された。北海道政府の経済政策の失敗から道内3地域の「仙台伊達共和国」への割譲が現実のものとなり、また、道経済が「仙台伊達共和国」の軍門に下ったことで仙台帰属の方が経済的に有利と考えられ、住民投票では圧倒的な差を以って「仙台伊達共和国」帰属が支持された。
北海道政府は、国際世論を敵に回してまで「4地域」の北海道帰属を維持することは困難と考え、「仙台伊達共和国」への割譲を承認。ここに現在の「仙台伊達共和国」の国土が確定した。
[編集] 奥州連合 (OU) の成立
[編集] 宮城県沖地震の発生と国家の危機
前回の宮城県沖地震と同じ6月12日に、金華山沖を震源とするM7.5の大地震が発生した。洪積台地上にあり、耐震技術が進んだ建物が多い仙台市都心部の被害は小さかったものの、仙台市東部の沖積平野はゆれが大きく被害が出た。また、仙台市から見て北東にある北上川流域は、震源に近く、地下水位の高い沖積平野であるため被害は甚大であった。
この機に乗じて、旧岩手県全域の領有を主張するイーハトーブが、「仙台伊達共和国」の国土となっていた旧岩手県内の旧仙台藩領域に侵入。仙台伊達政府は、救助活動に当たっている軍を国土奪還に振り向けることが出来ず、イーハトーブの実効支配を許す結果となる。
また、宇和島の防衛も出来なくなり、四国共和国の軍事的庇護の下、宇和島フリートレードエリアを維持する政策へと転換を余儀なくされた。
[編集] 「OU」設立
仙台伊達政府は、東北地方の政治・経済の安定を企図して、かねてからの構想であった「奥州連合」(OU) を東北地方内各国とともに設立。NETO軍もOUの下部組織に組み入れ、軍事統帥権もOU安全保障理事会に移譲した。
- OU本部:仙台伊達・一関市(イーハトーブの実効支配地域)
- 奥州議会の議院内閣制により、OU本部に内閣を設置する。
- OU安保理は各国代表により構成され、人口最大の仙台伊達のみ拒否権を持つ。
- NETO軍本部:仙台伊達・仙台都榴岡区(旧陸上自衛隊東北方面隊総監部の跡地)
- 奥州議会:仙台伊達・仙台都山形市(旧山形県庁だった文翔館)
- 奥州裁判所:青森合衆国・津軽州弘前市(弘前城)
[編集] 奥州議会選挙とOUの実権掌握
奥州議会は1院制で、加盟各国から人口約10万人当たり1議員を選出し、100人で構成される(奥州連合加盟国の総人口は約1000万人)。議会では各国ごとに政党がつくられたため、仙台伊達は南東北各国選出の約60の議員で安定多数の連立政権を樹立した。
「仙台伊達共和国」は、奥羽軍事政権から譲り受けた軍事覇権主義の思想を捨て、経済至上主義国家として歩むと同時に、OUの実権を握って世界進出を始めた。
[編集] 飯坂湯野戦争終結へのあゆみ
湯野・茂庭・東湯野はもともと信夫郡ではなく伊達郡の町村であったが旧飯坂町に合併することになり町民の反発が相次いだ。 合併後すぐに福島市に編入されたことで事態は沈静化したが、学校統合問題が発生し自体が明るみに出る。 一時期飯坂中・中野中・湯野中・茂庭中・平野中と飯坂方部の中学校を統合し、信夫郡飯坂町中野村湯野村平野村茂庭村組合立中学校を作る動きがあったが、交通上の問題から茂庭・平野が離脱。飯坂・中野・湯野で統合することとなったが、これに湯野住民が反発し戦乱の火種に。 摺上川を境に、西側に飯坂・中野連合と湯野・東湯野連合で石投げを使った戦争が起こるまで事態が悪化(摺上川戦争)。のちに暴走族も巻き込み波乱の展開になった。もともと文化も生活圏も違う地区であり一緒にしたこと自体問題であるとされている。(飯坂のけんか祭りは有名であるが、対岸の湯野地区は独自に祭りを行っており、双方が参加することはない)げんざいこの問題は双方の人口減少により沈静化している。
