夜行列車/さ~な行

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独立項目[編集 | ソースを編集]

さ行[編集 | ソースを編集]

さくら[編集 | ソースを編集]

  1. かつて東京~長崎・佐世保を結んでいたブルートレイン。
  2. 「さくら(櫻)」という列車名は「富士」と共に、日本で最も歴史の古い大看板。
    • ブルートレインとしても「あさかぜ」に次ぐ歴史がある。
  3. ヘッドマークがたくさんあった。
    • 名前の通りの花びらが描いてあるお馴染みのヘッドマークながら、「緑地×ピンク桜」「ピンク地×白桜」「白地×ピンク桜」などカラーバリエーションが豊富。「はやぶさ」との併結用も懐かしい。
    • 実は私鉄で掲載する路線がある。
    • デザイン変更の原因は富士の中にある不祥事。
  4. 晩年は「はやぶさ」と併結していた。
    • 「はやぶさ」は引退時の併結だった「富士・はやぶさ」の印象が強いかもしれないけれど、その前は割と長い間この「さくら」とくっ付いていた。そしてこの「さくら」が引退する事になって、今度は「富士」とくっ付く事になった。
    • いま思えば、佐世保行きが廃止になって「はやぶさ」とくっついた時点で終わりが見えてたんだな・・
    • この頃は、博多から長崎まで行く間に「かもめ」に3回も追い抜かれていた。いくらあっちがスピードアップした電車だからといって同じ特急なのになんなんだw、と思ったことがある。この頃すでに九州では邪魔者扱いされてた(涙)
  5. いつの間にか新幹線になってしまった。
    • かつての相方だった「はやぶさ」も新幹線になったものの、物凄いスピードで何故か東北の方へ向かって走って行ってしまった。
    • 長崎・佐世保ではなく鹿児島県へ向かう。
  6. 14系客車で運転されてたためか、「はやぶさ」など他のブルートレインが早々と二段式寝台に代わって行ってたのに国鉄末期まで三段式寝台のままだった。
    • それどころかA寝台にいたっては、晩年の「はやぶさ」併結の時まで二段式寝台で、個室すらなかった。こんなところでも意外に冷遇されてたみたい。誰か長崎になんかうらみでも?
    • JRになる少し前に、やっとこさっとこ4人用B寝台個室「カルテット」が連結された。オハネ14の改造だが。
  7. 全盛期の頃は、食堂車があって長崎皿うどんが人気メニューだったらしい。食べてみたかった。
  8. JRになってからうばざくらと叩かれたことは有名。
  9. 歌手・俳優の福山雅治はこれに乗って上京したらしい。
  10. 九州ブルトレ最後の食堂車連結列車。
    • 富士とはやぶさが食堂車の連結をやめてからはやぶさとの併結になるまで、食堂車自体は連結されていた。
      • 厨房を一部使った売店車だったこともあった。売店営業やめても椅子とテーブルだけのフリースペースとして使えなかったものか。
  11. 廃止直前にシングルデラックスが復活した。
    • これはさくら編成にシングルデラックスを組み込んで富士・はやぶさの編成とするための措置だったが33年ぶりのことである。
  12. 関門トンネル開通時に鹿児島まで伸ばされたものの急行に格下げされた。
    • ただし特急を「第一種急行」、急行を「第二種急行」に制度変更された際に、この列車は第一種急行になった。
    • 終戦時点で残存した唯一の急行1・2列車はこの列車のダイヤを引き継いだものだった。
  13. 下りは終着駅到着が午後になる定期列車で最後の寝台列車(長崎着13時5分)。不定期だとトワイライトエクスプレスも当てはまるが。
    • 上りも東京着が11時33分だった。東京に昼前に着く寝台列車は相当異様だっただろう。

桜島[編集 | ソースを編集]

  1. 東京~西鹿児島を鹿児島本線経由で結んでいた。
  2. 高千穂と併結していた。改称前の名称は霧島。ちなみに霧島時代にも東京~鹿児島間に不定期急行の桜島があった。
  3. 末期はなんと全車座席車だったが、この距離を座席のみで乗り通すとは・・・
    • 高千穂よりはマシだがこちらも所要時間24時間超え。最も戦前・戦後には2晩走る夜行普通列車(東京~早岐とか)もあった。
    • 今の中国国鉄の硬座ではそれを凌ぐ距離、所要時間の列車もまだざらにある。
  4. 博多~西鹿児島間の臨時寝台特急にも「桜島」が存在した。
  5. 最晩年期は新大阪~西鹿児島結ぶ臨時夜行急行として夏休み時期などに走ってた。20系寝台車編成だったな。

さつま[編集 | ソースを編集]

  1. 東京始発→九州島内→名古屋発→廃止と移った。
  2. 戦後最初の東京-鹿児島直通急行だった。
  3. 東京発着時代は二晩列車だった。

サンライズ瀬戸・出雲[編集 | ソースを編集]

藤沢にて
  1. ブルートレインの姿を失ってしまった、寝台特急「瀬戸」と「出雲」。
    • JR西日本が新たに285系電車を作成、一部を除いてほぼ2階建てという今時な造りで、岡山で切り離しを行う。
  2. 現在残っている、東京から西へ向かう唯一の定期夜行列車。
  3. 夜行列車衰退の原因が新幹線飛行機だけではないことを証明した列車の一つ。
    • どういうこと?
      • ブルートレインは機関車牽引で運行に手間がかかったり、車両が老朽化したというのも衰退の原因の一つだから。実際カシオペア(大人気だったが機関車牽引)が廃止された一方でサンライズ(機関車牽引ではない)が残ってるのもそれを証明している。(by↑×2とは別の人)
  4. 岡山より向こうでダイヤが乱れると「瀬戸」と「出雲」が別々に帰ってくる事がある。
  5. みずほ610号と乗り換えると東京~博多間で「はかた」号よりも速く移動できる
    • 小倉でソニックとみずほ610号で姫路から乗ると富士よりも速く大分を出発して東京に早くつける。
  6. 上りのみ大阪・三ノ宮から乗車可能。でも寝る時間はあまり取れない。
    • 下りも停まってくれれば…あと京都も。
  7. 約6時間半で着くため、睡眠に取れるのは約5時間・・・。
    • 中川家の剛が大阪から東京へ戻っているのに使っているらしい。
      • 感じからして礼二の方が乗りそうなんだけど、個室で一人になれて安心できるからかな。
      • ダンカンも甲子園で阪神戦見た後東京へ戻るのにサンライズに乗る事が結構あるってテレビで言ってた。
    • 昔は銀河があったので大阪東京間をゆっくり睡眠できるこれを利用できたが、今はないので選択肢がこれしかない現実。
      • かつてあった銀河の需要も取り込んでいるといえる。
      • 並行するグランドリーム号とはうまく棲み分けできてると思う。サンライズは値段高いがベッドに入れる。
  8. 新幹線と乗り換えることができるので、広島、山口果ては九州北部からの利用客がいるらしい。
    • 滞在時間延ばしと特急券は乗継割引が効くからそれを上手く利用しているのか、賢いな。
      • 乗継割引は2023年に廃止されるようです。
    • 「みずほ」との乗り継ぎだと、福岡市街からの場合、下り(岡山乗換)は羽田福岡行きの航空機最終便が出た後に出発し、始発便の到着とほぼ同時に着く。上り(姫路乗換)は最終便とほぼ同時に出て始発便より早く着く。東京でホテル探す代わりに使ってる人がいそうだ。
      • スターフライヤーの北九州空港深夜・早朝便と連絡タクシー使う手段もあり、これがライバルか。
      • 余裕をもって目的地に着きたいが前日入りは難しい人に有効。ある本では、朝9時に梅田で会議がある人にとっては東京始発ののぞみ1号でギリギリ間に合う程度で、そのためには例えば所沢在住ならば始発の西武池袋線準急でギリギリ、飯能在住ならば始発の快速でも間に合わないが、当寝台特急を用いれば姫路でゆっくり観光して新快速で戻れば余裕と紹介されていた。
    • 消えた九州寝台特急はこれが出来ていなかったのも利用不振の位置理由だったかもしれない。
      • 昭和57年に廃止された「金星」(東京~名古屋新幹線連絡)でさえも下りの博多到着は10時台、上りの博多発は18時台だった。
  9. 2015年3月改正からは唯一の定期寝台特急に。この改正で車掌の越境乗務が廃止された。
    • 首都圏で「○番のりば」の案内が聞ける数少ない機会だった。
  10. サンライズ出雲単独の臨時便がいつの間にか登場。
    • 定期便と比べると、下りは東京駅を40分遅く発車するだけだが、出雲市駅に着くのは3時間も遅い。岡山駅でやくもに乗り換えた方が早く着く。
    • 大阪にも止まるので臨時が走るときは定期と合わせて東京ー大阪の寝台特急での往復ができる。
    • そういえば「サンライズゆめ」なんてあったなあ。
  11. サンライズ瀬戸が松山まで足をのばしていた。あのトンネルをよく通れたなあ。
    • 登場当初から鳥越トンネル対策がされているので、最初から松山乗り入れの構想があったものと思われる。
    • 現在は松山には行かなくなり、下り列車のみ琴平まで延長運転されるようになった。
  12. かつては「瀬戸」の方が利用者が多かったが最近では「出雲」の方が人気らしい。
  13. サンライズ瀬戸は四国に入るとすぐ終点になるのでJR四国の儲けは微々たるものと思われる。
  14. 西管内だけ走るサンライズ出雲も遂に誕生。
    • 117系改造の夜行長距離列車計画のテストケースという説も・・・
  15. 鉄道系youtuberスーツ氏の別荘
    • 現在は数々の鉄道系YouTuberの聖地と化している。
  16. ノビノビ座席には枕くらいあってもいいと思う。。寝台じゃなくて「座席」なのは分かるけど。
    • シュラフにくるまって出発を待つ旅行者もいるとか。
    • JRとしては寝台料金払ってる客との差別化のためにも寝具は一切置かない方針を貫いてる。以前空気枕を車掌が売ってたなんてニュースは聞いた事あるが。
  17. なぜかラウンジがある。
  18. 深夜帯の貨物列車の影響で大きく遅延することがある。この場合新大阪に臨時停車し新幹線(始発のみずほか次のひかりで岡山まで)に振替乗車をさせてくれる。その先の特急(やくも、南風など)にもそのまま乗車可能なこともある。条件としては遅延を理由に払い戻しをしないことと振替乗車票(駅員が配っている紙)をもらうことと。また乗れるのは自由席のみ(在来線特急は自由席が満席なら車掌の判断で指定席区画への着席を許可してくれることもあるが)。
  19. 車内検札の時間は列車によって異なる。ある方は高松から上りを使ったとき、出発前にやってくれたとか。一方私は下りだったが、部屋のドアを開けて待ってはいたが熱海を過ぎても来ないのでドアを閉めて寝ていると、浜松を過ぎたあたりでいきなり鍵を開けられて起こされる感じだった。

新星[編集 | ソースを編集]

  1. 上野~仙台間の寝台専用急行列車。
  2. 『仙台駅では21時30分から寝台車を使用できます』(当時の時刻表の注記)
    • 寝台列車にもかかわらず仙台発23時台、上野着5時台という寝不足必至のダイヤだったので、上のようなサービスを行っていた。
    • 流石に線路、ホーム容量とも逼迫していた上野側(下り列車)ではこのようなサービスはできず、入線後20分も経ずに有無を言わさず発車。
  3. 現在、何故か東北急行バスの夜行バス東京~仙台線が「ニュースター号」を名乗っていて、この名を継承している?
  4. EF57が20系客車を牽引した唯一の列車。
    • 交流区間もED71の運用期間が長かった。

彗星[編集 | ソースを編集]

  1. 水星」ではない。
  2. 関西から大分・宮崎・都城まで走ってた。「なは」や「あかつき」と違ってこの方面はフェリーという手ごわい競争相手もいたのに、よく21世紀まで残ったもんだ、と言えるかもしれない。
    • 21世紀に入ってからはフェリーにではなく、ツアーバスLCCに止めを刺された感じ。
  3. 「明星」・「なは」や「あかつき」が三ノ宮に停まっていたのに対し、この列車(単独運行時代)は三ノ宮じゃなくて神戸駅に停車していた。あれはなぜだ?
  4. 東海道新幹線開通前は東京ー大阪の殿様列車。食堂車(オシ16)も繋がってたし、1等寝台車は所定5両も。
  5. 最後の蒸気機関車にけん引してもらった定期の特急。

すばる[編集 | ソースを編集]

  1. ・・・って列車あったけ?
  2. 東海道新幹線の開業時までは存在したらしい。
    • 155系の臨時準急及び東海道寝台急行7人衆の最新参として。
  3. 復活しないのは某自動車メーカーが原因とも言われる。
    • その会社が製造した鉄道車両がこの列車に連結されたことはない…はず。

瀬戸[編集 | ソースを編集]

  1. サンライズ瀬戸の前身。
  2. 東京~宇野から瀬戸大橋開通後に東京~高松に運転区間が変わった。
  3. 大元たどると急行列車。客車が24系になってから特急になった。
    • 20系投入で特急格上げ→5年後24系に置き換え、では?
    • 急行時代末期には14系をテスト運用していたことで有名。
      • 特急化と引き換えに設備レベルが低下してしまった。
  4. JRになってからロビーカー(オハ25・オハ12の改造)・A寝台(オロネ25-300・オハネ25-100の改造)連結されたが、同時期に改造された<あさかぜ3・2号>用車と違って電源車は必要だった。
  5. ヘッドマーク・テールマークは夜の瀬戸内海イメージ。
    • 描かれている島が1つか2つかの違いで2タイプがあるらしい。
  6. 特急になって食堂車がついていたが、間もなく廃止。その後復活したけど営業休止だった。

た行[編集 | ソースを編集]

だいせん[編集 | ソースを編集]

客車時代のテールマーク
  1. 大阪と米子を結んでいた。
    • 一時期出雲市から大社へ向かっていた。
      • 大社線内は普通列車扱いだった。
  2. 末期はたった2両で運転されていた。
    • 但しエーデル北近畿・鳥取で使われていた展望車を転用したので、列車としての面子は保たれていた。
  3. 福知山線が全線電化されるまでは昼行列車も走っていた。
    • 一番長い距離を走るのでは下りの到着が浜田。上りの始発が益田。
    • 後から鳥取発着も増発された(「いでゆ」を改称)。

高千穂[編集 | ソースを編集]

  1. これと富士が日本一長い距離を走る夜行列車であったことはオールドファンなら誰でも知っている。
    • 急行なので所要時間は当然こちらの方が長い。東京~西鹿児島(当時)を30時間以上かけて走っていた。
    • いうまでもないが、日豊本線経由である。
      • 当時大分以南に存在した全駅に停車実績があるとか。
        • しかし、流石に宗太郎には停車したことがないようだ(宗太郎に止まったことのある優等は日南だけらしい)。
  2. 寝台はいつの間にか無くなった。
  3. 最初は都城行きで「たかちほ」だったことは全然目立たない。
  4. 漫談家の綾小路きみまろはこの列車に乗って上京した。と自伝で読んだことがある。

鳥海[編集 | ソースを編集]

  1. 現在「あけぼの」として走っている列車の当初の名前。
    • JR化後、しかも平成生まれだが、意外にも上越・羽越線経由で青森まで行く夜行列車は、これが初めてである。
      • それまで奥羽線があったからそちらに任せていたのだろう。
  2. 夜行急行→昼行急行→夜行急行→昼行特急(→廃止)→夜行特急(ブルトレ)、という変遷をたどっている。
    • 初代は後にあの名急行「津軽」になった。
  3. ヘッドマークのデザインが秀逸だった。
    • 実は昼行特急時代のデザインの使い回し。
    • 「ニコニコ超会議号」に装着されたこともある。

津軽[編集 | ソースを編集]

  1. 上野~青森間の奥羽線経由の夜行急行。
  2. 出世列車。
    • 盆正月に「津軽」で帰省するのは出世のあかし、一等車や寝台車だとなおさら。いっぽう鈍行で帰省する人は・・・、とか言われてたらしい。
      • 出世したかどうかはA寝台車から降りてきたかどうかだった。
  3. 国鉄最後の日のTV特番で、この列車の乗車レポートをしていた番組があった記憶がある。
  4. 偶然なのか国鉄が配慮したのか、旧南部藩領は全く通らないルートだった。
    • 最初は福島からダイレクトに奥羽線走行→山形新幹線工事に伴って東北線・仙山線・奥羽線経由になったけど…これはおそらく偶然だろうねぇ。
  5. 客車時代はEF65-1019が先頭に立つことで「津軽レインボー」が何度か実現したとか。
  6. 客車時代のあとは電車化されて583系485系になった。

つるぎ[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪~新潟間のブルートレイン。
  2. 愛称の由来は北アルプスの剣岳から。四国の山ではない。
    • ちなみに剱山は日本に10あるらしい。目指せ列車名フルコンプ!
    • 石川の鶴来だと思ってた・・・
  3. 夜行列車としてはビジネスに適したダイヤになっていて、583系の車齢を考えるとそのうち「きたぐに」がこちらに統合されるだろう、と思っていたら逆になってしまった。
    • 大阪の影響力が新潟まで及ばなくなってビジネス客が減ってしまった、ということだろうか?
    • 新潟県内の駅にしか停まらないうえに開放B寝台しか選択肢が無いつるぎと、こまめに停まってくれるし設備の選択肢が幅広いきたぐに。そりゃ後者を選ぶわな。
      • その割に愛称が富山県内の山である「つるぎ」とは何か矛盾している・・・。
        • 最初は富山止まりだったから。
  4. もちろん赤髪の邪神さんとは何の関係も無い。
  5. 2015年からは北陸を行ったり来たりする新幹線に転生予定。
    • ある意味新幹線にふさわしいカッコイイ名前だったりする。
    • 北陸新幹線が大阪方面に延伸された場合そちら方面への列車への転用を考えているのだろうか?
    • 2024年から北陸3県を行ったり来たりします。
  6. 「日本海」同様「トワイライト」色の機関車や電源車を連結したことがある。

出羽[編集 | ソースを編集]

ブルトレ時代のヘッドマーク
  1. 急行時代も特急時代も夜行列車だったが、その列車としての性格はあまりにも違う。
    • 急行時代:【運転区間】上野~酒田(東北・奥羽・陸羽西線経由)、【車両】キハ58系(当然全て座席)
    • 特急時代:【運転区間】上野~秋田(上越・羽越線経由)、【車両】24系寝台客車(ブルトレの仲間入り)
      • キハ58急行当時は、最後まで非冷房車が連結されていたらしい。
  2. ブルトレとしての設定に苦しさがあったのか、吹浦という町の代表駅でもない無人駅(簡易委託駅)まで停車していた。
  3. 急行「鳥海」の特急格上げ時に列車名を乗っ取ったが、ブルトレになって羽越線ルートに帰ってきた「鳥海」に返り討ちに遭った(統合させられた)。
    • 最終的には「あけぼの」に…。まさに波瀾万丈。

TRAIN SUITE 四季島[編集 | ソースを編集]

  1. ななつ星に対抗してJR東日本が計画を立ち上げたクルーズトレイン。
    • これらの三番煎じこれに更に対抗したのがJR西日本の瑞風である事は言うまでもない。
  2. JR東日本が最近得意としているハイブリッド車を導入するらしい。
  3. こいつが登場したらE26系は廃車になるんだろうか。
    • クルーズトレインのバリエーションとしてしばらくは残るんじゃないの。
  4. 2015年12月に運行ルートが発表されたが、なんと青函トンネルを直通させて北海道乗り入れを予定していることが判明。
    • 北海道新幹線開業のため廃止に追い込まれた夜行列車たちの怨嗟の声が聞こえてきそうだ。
    • あと技術的にもどうするんだか。車両を25,000V&DS-ATC対応にするのか、あるいはJR貨物に委託してEH800に牽引してもらうのか…。
    • なんと自力走行で北海道でやってきた。
    • でも登別までしかいかない。網走まで来てほしかった。
      • 試運転では手稲まで行ってるので札幌に行く運用もできるかも。
        • 登別に着いたら札幌運転所に行って整備をするので、回送だけど一応札幌にも来る。

十和田[編集 | ソースを編集]

  1. 上野~青森間を常磐線経由で結んだ夜行急行。
  2. 東北新幹線開業までは、東北本線経由の「八甲田」よりも主力だった。
    • 「八甲田」が1往復だったのに対し、「十和田」は3往復(1往復は季節列車)、A・B寝台付きの列車もあった。
  3. ただ、新幹線開業後は一気に衰え、早くも国鉄末期(東北新幹線上野開業時)に「八甲田」より先に廃止されてしまった。
  4. 終戦後に走った進駐軍専用列車が一般向けに解放されたのがそもそもの始まり。

な行[編集 | ソースを編集]

ナインドリーム甲子園[編集 | ソースを編集]

  1. 甲子園での高校野球開催時に運転された、大阪~甲子園口を結ぶ短距離の寝台列車。
    • というより列車ホテル。夜が明けたら大阪駅を発車し甲子園口に向かっていた。
    • 史上最短距離の夜行列車だと思いきや、まだ上がいた。
    • 正確には新大阪発で、大阪に着いたらバカ停して翌朝甲子園口へ…というダイヤだった。
  2. 583系寝台電車が使用されていた。
  3. 甲子園口に着いても、阪神甲子園球場へはバスに乗り継ぐ必要があった。

ながさき[編集 | ソースを編集]

  1. 門司港から長崎までの夜行列車。
  2. 夜行列車としては運行距離が短いが、普通列車なので仕方なし。
  3. 途中で佐世保行き。
  4. スーツの臨時団体列車として復活した。

ななつ星in九州[編集 | ソースを編集]

専用機関車
  1. 正直、これを普通の夜行列車と同列の項目に入れていいかは疑問がある。
    • 最初からツアー目的で運転されている故、コンセプトが普通の夜行列車と全く異なる。
      • その証拠に一般の時刻表にはダイヤが載っていないし、みどりの窓口のマルスでは買えない。
      • そのためか、2014年の鉄道友の会ブルーリボン賞を逃した(実際には近鉄の「しまかぜ」が受賞)。
    • これからの夜行列車のあるべき姿と書かれた記事を見た事があるのだが、はたして。
  2. 目が飛び出るほど運賃が高い。
    • しかも全車一等車で高額。驚異のボッタクリ!!
      • そもそも一般庶民を相手にした列車ではないから、アレはボッタクリとかいう概念ではない。
    • ところで、クルーズだから運賃とはちょっと違うような気が…。
  3. この列車の登場を機に、他社もクルーズ夜行列車の検討を始めた。
  4. 九州で客車寝台が復活。
  5. 牽引機はJR貨物のDF200がベース
    • 前面がクラシックカーを連想させる。
      • なんの機能性もない、装飾用のフロントグリルが付いている。
        • 個人的にカミキリムシの顔に見えてしょうがない。前面窓が眼でフロントグリルは口。
    • そしてそれよりは話題にならないDE10のななつ星塗装。
      • 手すりとランボードにアクセントを入れた以外は、ただ黒く塗っただけだし、あまりにも地味。
        • 例えるなら、演劇でひっそりといる黒衣的な存在。
  6. おそらく日本で初のドレスコードがある車両。
    • 公式に「ジーンズはNG」とアナウンスされている。
    • トワイライトですらジーンズOKなのに…もちろんボロボロすぎない限り。
  7. 関西人が見ると何か阪急電車みたいにも見える。
  8. 熊本地震で豊肥本線、九州北部豪雨で久大本線と、九州を横断する路線が相次いで不通になり、代替ルート選定に苦慮している。
  9. 本当はもう1両繋げたかったものの、線路設備の制約で客車7両が限界だった。
    • 今更言っても遅いけど、四季島や瑞風のように、動力分散方式の8両編成にすればよかったんじゃなかろうか。
      • でも分散方式を採用したら、「30億円の額縁」という贅沢なことは出来なかっただろうけどね。
  10. 運行開始5年目にして、早くもリニューアル計画が出ている。

なは[編集 | ソースを編集]

  1. 「なは」という名称は沖縄の日本への返還の願いを込めてつけられた。
    • だから「なんで鹿児島までしか行かないのに”なは”なの?」なんて言ってはいけない。
    • 「なんで沖縄返還後も名乗り続けているの?」とも言ってはいけない。
    • ましてや明星を追い出す形で知らぬ間に関西ブルトレの仲間入りしてたことは禁句。
    • 「最後は熊本止まりじゃん!いつまで”なは”名乗ってんのw」なんて口が裂けても言わないでください(泣)
    • ちなみに同時期にくなしりも運転を開始したが、こちらは1年で名称消滅。なんなんだこの差は。
    • 鹿児島から沖縄方面は船をご利用ください。(実際にこんな乗継した人はいたのか)
  2. 大阪―西鹿児島を結ぶ昼行特急としてデビュー。夜行になったのは山陽新幹線全通後。
  3. 客車・気動車・電車を全て経験した特急って珍しい気がする。定期列車だとあとは「かもめ」と「はつかり」ぐらいでは?
  4. 水曜どうでしょうで登場した。どうでしょうに登場した夜行列車はこの「なは」ときたぐにだけ。
    • にょういずみさん「ソーローって書いてあるよ」  ヒゲ「ソロだよ!」
  5. ヘッドマークが那覇市で保管されている。

日南[編集 | ソースを編集]

  1. 日豊本線を駆け抜けた夜行急行。寝台車と座席車の混結。
    • 大分で時間調整のため1時間余り停車した。
  2. 宮崎~西鹿児島間は普通列車。
    • ダイヤ上、下り2521レは鹿児島方面への一番便で、上り2522レは宮崎への最終便。乗り心地が良いのでこの列車を狙ってた乗客もいた。
    • 元々は全区間が普通の「みやざき」だった。
  3. 晩年は臨時格下げ→寝台専用急行になった。
  4. かいもんと車両を共通運用。ただし小倉~博多で列車の向きが変わるため、号車番号の付け方がかいもんとは逆。
    • 日南は門司港始発で、博多に来たことはないのだが。
      • かいもんと混同してない?
  5. 急行から787系→783系の特急<ドリームにちりん>になったが、南宮崎止まりに短縮された。
  6. 列車名とはウラハラに日南線は走らなかった。宮崎で日南線列車と接続(日南線が後の発車)していたが。
  7. 山陽新幹線全通前は関西からの新婚旅行客をお得意さんとした。
  8. JRになってから座席車(12系客車)がグレードアップされた。ただ、もともとのボックスシートをリクライニングシートにしたので窓割とシート位置が合ってなかった。
  9. 関西と東九州とを結んでた時代、3号が一時期宗太郎に止まったのは伝説だろう。

日本海[編集 | ソースを編集]

大阪発では最後のブルトレ
  1. 名前の通り日本海縦貫線を走破して、大阪と青森を結ぶ寝台特急。
    • 昔は函館まで走っていた。
    • 他に新幹線などが並行していなかったためか、他の寝台特急が衰退しても高い利用率を誇っていたらしい。
      • 関西から東北日本海側を結ぶ便利な交通機関で、修学旅行での利用も多かったとか。
  2. 特急列車なのに何度か追い抜かれる
  3. もう関東では見られない、ファンに人気のあるローピンこと赤13号(ローズピンク)のEF81が牽引する。
    • たまにトワ釜(トワイライトエクスプレス色)のEF81が引っ張る事もある。
    • 東日本でもローピンのEF81が再びお目見えしました。
  4. 敦賀で機関車をEF81からEF81に交換する。
    • 敦賀に機関車が所属する基地があるから。
  5. ついに、2012年春廃止、大阪発着のブルートレイン消滅へ。
    • 定期は廃止だけども臨時ではのこる模様。
    • 廃止前の駆け込み需要なのに運休してばっかり。
    • 臨時運転も例によって自然消滅。
  6. この列車のスジは、実は青森側では残っている。
    • スーパー白鳥の増発に充てられている。
  7. なんと東北の太平洋側にて余生を送ることが決まったらしい。
    • でなけりゃ海外に売り飛ばされるところだった。
  8. 実は青函トンネル開通後に食堂車を復活させる計画があった。
    • これは結局実現しなかったものの、最終的にはトワイライトエクスプレスに繋がった。
    • この間スシ24を使って運転されていたグルメ列車は暇を持て余していた同車の活用策でもあっただったらしい。
  9. 個室寝台は西編成のA寝台しか連結されていなかった。 東編成(最後まで残った奴)のみの1往復になってa寝台はグレードダウンした。
  10. 北陸トンネルで火災が発生したが、規則違反覚悟で走り抜けたため死者を出さずに済んだ。
    • しかしこの時の機関士解雇が後の大事故の一因に…
  11. 函館発着の1号と4号は、1988年~1998年まで夏場の時期だけ、青森方にマニ50改造のバイク積む荷物車連結して、「日本海モトとレール」として運転した。

能登[編集 | ソースを編集]

能登かわいいよ能登
  1. 季節列車になったものの、かろうじて生存中。
    • ボンネットから電気釜になったけど、どっちも今では貴重。
    • ボンネット時代は「ホームライナー鴻巣」回送の折り返し。ホームライナーHM外すと本来の「能登」が出現。
  2. 季節列車化のあおりで、ムーンライトえちごがモノクラス化で貧弱に・・・。
    • あの半室グリーン車自体微妙ではあるが・・・。
  3. 能登かわいいよ能登。
  4. この列車の廃止(季節化)により、首都圏発着の急行列車が無くなった。
  5. 昔は、東海道本線経由で今でいう東海道新幹線+しらざぎのルートで金沢に向かっていたらしい。
    • 全区間通して乗る人がいたのかは謎。
      • 上野でなく東京に発着するアドバンテージはあった。
      • 「全区間」はともかく神奈川〜北陸や首都圏〜嶺南など、高崎・信越・北陸線経由の「北陸」や「越前」では拾いきれない需要に応えていた。
  6. 長らく、上野駅発高崎線方面の最終列車だったので、終電を逃した人の救済列車でもあった。しかし寝過ごしてしまうと、石川県に着いてしまうという恐怖列車でもあった。
    • SUPER BELL"Zの歌にそんなのがあったような。
  7. MEGWINTVに登場、藤岡が東京を去る時に乗った列車である。 
    • 動画タイトルでは快速能登になっているが急行の間違いと思われる。
      • でも走行距離から考えたら、快速ムーンライト能登になっていてもよかったろうに。
  8. 82年から93年の時期は14系客車急行だった、寝台車も連結。
    • 高崎~直江津は信越線経由で横軽も通過してた。
  9. 列車名とはウラハラに能登線は走らなかった。臨時列車で七尾線経由で能登国の領域を走ったことはある。
  10. 意外にも、JR西日本では最後の簡易リクライニングシートだった。

JR列車
新幹線 新幹線
在来線(昼行) /い~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
在来線(夜行) あ~こ/さ~の/は~わ
ジョイフルトレイン あ~そ/た~わ