戦国(中国)
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[編集] 戦国時代の噂
- 春秋時代から合わせて500年戦った。
- 結局の所、戦争してたのか平和だったのかはあやふや。
- 言ったもん勝ちの世の中。
[編集] 戦国の国々の噂
[編集] 魏の噂
- 春秋時代の「晋」が家老たちに分け取りにされた「三晋」のひとつ。
- 中国史でよく出てくるいわゆる「中原」のど真ん中という地の利で、戦国時代には真っ先に強国にのし上がる。
- しかし、逆に言うとフロンティアが無く、じきにジリ貧に。
- 多くの有能な政治家や軍人が魏に生まれているが、彼らが名を挙げたのはたいてい他国でのこと。本国の魏は結局彼らをほとんど使いこなせなかった。
- 戦国四君のひとり、信陵君はこの魏の王族。
[編集] 趙の噂
- 春秋時代の「晋」が家老たちに分け取りにされた「三晋」のひとつ。
- 北方に位置していたため匈奴などとの接触が多く、その影響でいち早く軍制などを改め、一時は天下を統一するかと思われた。
- 胡服騎射=コートにズボンという軍装で、馬に直接乗って弓を射る、という、当時としては画期的な戦法を採用。
- しかし、推進者の武霊王が悲惨な死に方をしたため挫折。
- 秦との戦争で一度に45万もの死者を出した。
- その地「長平」(現山西省)では、今でも土を掘ると骨が出てくると住民は言う。
- ま、中国の史書に出てくる軍勢の数というのは、話半分に聞いておいたほうがいいんですけどね。
- 戦国四君のひとり、平原君はこの趙の王族。
[編集] 韓の噂
- 春秋時代の「晋」が家老たちに分け取りにされた「三晋」のひとつ。
- この由緒ある国名が、のちに東の果ての半島に流用された理由は謎。
- 戦国七雄の中で軍事的には最弱と言って良く、その分知恵者が多かった。
- その代表は秦の始皇帝の思想的バックボーンとなった韓非子と、漢の高祖の片腕となった張良だろう。
- みんな本ばかり読んでいて働かなかったらしい。
[編集] 斉の噂
- 周の建国の元勲・太公望を祖とする古い国だが、途中で重臣に乗っ取られる。
- 首都・臨淄に天下の学者たちを呼び集め、好き勝手に発言させていた。
- 学者たちの中に孟子が居たが、ひときわ態度がでかく、他の連中と同列に見られるのを嫌がって出奔。
- 白馬は馬じゃなかった。
- 戦国四君のひとり、孟嘗君はこの斉の王族。
[編集] 楚の噂
- 南方の野蛮国とバカにされていた。
- 軍事的には強力だったが、動きが鈍重なためあまり軍を有効に動かせなかった。
- 戦国四君のひとり、春申君はこの楚の宰相。
[編集] 秦の噂
- 西の辺境の国で文化的に遅れていたため、積極的に外国人宰相を迎えて自由に腕をふるわせた。そのおかげで戦国最強に。
- 有名どころだけでも、商鞅(衛出身)、張儀(魏出身)、范雎(魏出身)、呂不韋(韓出身)、李斯(楚出身)など多士済々。
- 秦王・政がほかの6国を全部亡ぼし、天下統一。初の皇帝に。
- チ○コがでかいというだけで大出世した奴がいた。
- 大きさだけではなく技も重要。車の車輪をアレで支えて回して見せたそうな。
[編集] 燕の噂
- 隗より始めた。
- 内乱で斉などの干渉を招き、ほとんど亡国に瀕したのち、国の再建の方途に窮した昭王が家臣の郭隗に諮問したところ、「隗より始めよ」と言われた。
- ↑「まずはこの郭隗を優遇してみて下さい。私程度の男でも優遇されると知れば、天下の名士が集まってくるに違いありません」という意味の、主君にも自分にもオイシイ献策。
- 「あの程度の男を優遇するとは見る目のない王様だ」と思われる危険もあったが、とりあえずこの策は大当たり。
- 「隗より始めよ」は、何事によらず、とりあえずできるところから着手しろ、というニュアンスのことわざとなった。
- その結果、楽毅という天才的な名将がやってきて、こんどは憎き斉を亡国寸前まで追いつめた。
- 始皇帝に圧迫され、刺客を送って始皇帝を暗殺しようとしたが失敗。かえって怒らせてじきに亡ぼされた。