清
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[編集] 清の噂(一般)
- 日清カップヌードルが作られる。
- 日清サラダ油セットも作られる。
- あと、どん兵衛も作られたはず。
- 西タイゴーという悪女が名高い。
- 東タイゴーもいる。北と南はいない。
- でも日本が日清戦争で勝てたのはこの女のおかげ(海軍予算を着服していた)。
- 辮髪(べんぱつ)が強要される。拒否した者は死刑。
- そんなに清くなかった。
- アヘンが合法となった。
- この時代だけ最後の皇帝がやたら有名なのは坂本龍一のおかげ。
- でも、「愛新覚羅溥儀」という名前だということを知っているのは少数。弟は「溥傑」。
- 結構有名だと思うんですが・・・
- 溥傑さんの奥さんは日本人。
- 娘が2人いるが、長女は天城山中で心中死。次女は日本の一般の家庭に嫁いでいる。
- 魚の飼育大好き。知られて無いけど。
- チャイナドレスが作られたのはこの時代。でも着てるの庶民だけ。
- 逆。支配者の満州民族だから貴族女性が着ていた。庶民が着る様になるのは中華民国以後。
- 阿片大流行。取締官は逆切れした売人に排除される。これで独立国家?
- 人口が初期から末期までに都合10倍になる。現代シナ大陸のファンシーな色の海やメルヘンチックな川の色の基礎はこの時造られた。
- 世界最大の漢字辞典が作られる。しかし使われている漢字は収録数の5分の1以下。
- 清朝皇帝は、満州人たちの部族長会議の議長と、モンゴル人たちのハーンと、漢人たちの皇帝と、チベット仏教の最高施主と、東トルキスタンのイスラム教徒たちの保護者という、五つの役割を一人で兼ねた、同君連合の統治者だったのだが、大元帝国の皇帝同様、なぜか漢人の皇帝としてのみ歴史に表記されるに至っている。
- 清帝国が同君連合だということになると、中国が満州、内モンゴル、新疆ウィグル、チベットを領有する根拠もなくなるからねえ。
- 第一属国:朝鮮に宦官や妓生の献上を義務付けていた。
- 実は歴代王朝でもっとも名君の数が多い。さすがは女真族。
- ラーメンマン誕生。
- この頃の中国人の服装、言葉(~アル)が、のちに日本のアニメや漫画に登場する中国人のイメージを作った。
- 欧米人+日本人にパイを横取りされた。
- 三跪九叩といって、計三回ひざまずき計九回頭を叩きつける拳法が宮中では義務付けられていた。
- 若いときに忍者やってた皇帝がワーカホリックの挙句過労死する。
- アタックチャ~ンス!!
- ロシアとの間でネルチンスク条約と言うものを締結したが、これの原本はなんとラテン語。
[編集] 清の皇帝
[編集] 太祖ヌルハチ
- ぬるい八ちゃんではない。
- 世界史受講者の9割以上が、このインパクトの強すぎる名前と彫りの深い肖像画を忘れない。
[編集] 太宗ホンタイジ
- 漢字だと「皇太極」。この文字だと、なんか最初からヌルハチの後継者に決まっていたように見えるが、そういうわけではない。
- 本名は別にあるらしいが、ヌルハチから家督を継承する過程で、なんらかの事情でこの名前(というか「皇太子」の当て字)を名乗る事になったらしい。
- 万里の長城の正面玄関・山海関がなかなか抜けないので、裏口から廻ってちょこちょこと明に侵入。でも本当は正面突破したかった。
- 元の末裔から玉璽を譲り受け、これまで金と称していた国号を大清にあらため、正式に皇帝に即したのは彼である。
[編集] 世祖・順治帝
- この皇帝の時に清朝が中国全土を支配できたので、廟名に「祖」がつく。
- しかし、順治帝が征服事業をやったわけではなく、叔父の摂政王ドルゴンがすべてを取り仕切った。
- 摂政王ドルゴンは、順治帝の母である太宗未亡人と結婚し、順治帝の義父となったが、すでに儒教的教養を身につけていた順治帝はこれを深く恥じ、ドルゴンの死後、この事実をすべての記録から抹消するように命じた。
- 儒教的倫理観からすると、兄の未亡人と結婚するというのは、今で言えば実の姉妹と×××するような不倫行為になるのです。
- ちなみに順治帝の名前は「フリン(福臨)」と言った。
- しかし朝鮮の記録に残ってしまっていたので、公然の秘密となった。
- 20代半ばで崩御したことになっているが、実はその後かなり長いこと生きていたのではないかという噂がある。
[編集] 聖祖・康煕帝
- 中国史上最長の在位年数を誇る(61年)。昭和天皇には負ける。
- 中国史上最大の版図を実現した。元朝の時よりも広くなった。
- 王朝創始者でもないのに廟名に「祖」がついているのはそれを称えてのこと。
- この人がチベットやらモンゴルやら台湾やらを服属させたために、現在の中共がそれらを固有の領土と言い張ることになった。満洲族の版図だっただけじゃん。
- なお「版図」というのは「影響を及ぼせる地域」のことで、現在の感覚の「領土」とは異なる。中共はそれを意図的に混同している。
- 漢字字典の編集を臣下に命じた。この時代に制定された字体が漢字圏における標準字体(繁体字/旧字体)として定着し、後世にわたり参照されることになる。
[編集] 世宗・雍正帝
- 自分を批判した学者と真っ向からディベートして完全勝利を収めた勉強熱心な皇帝。
- トルコのケマル・アタチュルクと並ぶ、ワーカーホリック独裁者。
- 最近の研究によると、水銀中毒だったらしい。清王朝の体制を磐石にするためには死んでも死にきれないと思い、不老不死の薬に手を出したのだろうか。
- 筆まめな人物で、臣下の上奏文にいちいち返事を書いているが、それには愚痴や悪口が多かった。
- さらに、この上奏文を後年本にして出版してしまう。臣下に何か恨みでもあったのだろうか?
- 罵倒され恨みに思った臣下が、自分を貶す本を出すのに先手を打つため。
- 良い上奏の返事の一例:こんなためになる報告なら、読むのが楽しみだ。長くても気にすることはない。
- 悪い上奏の返事の一例:大山師の大嘘つきの誤魔化しやの詐欺師めが!
- 皇位についたとき臣下に対して「おめーら、俺をお飾りのボンボンだと思ったら大間違いだぞ!」と一発かました。
[編集] 高宗・乾隆帝
- 祖父(康煕帝)より在位年数が長くなりそうだったのであわてて退位。
- 自分で自分に「十全老人」なんてかっこいいあだ名をつけた。
- 所蔵する名画にみずから讃をつけたが、あとでそれが贋作だったと判明し、ひっこみがつかなくなって、本物のほうを「よくできた贋作なので鄭重に保管する」と言い張った。
- 英国の使節に三拝九叩頭の礼を要求し、それを使節が承諾しなかったので国際問題になりかける。
[編集] 仁宗・嘉慶帝
- 生きているうちに父から帝位を譲られた、乾隆帝の十五男。
- 乾隆帝が死んだ時、真っ先にやったのは奸臣和珅(王申)を排除する事だった。汚職によって貯めこんだ財産は年間収入の10倍といわれる。
- …が、没収した財産を民衆に施さなかったというので皇帝の評判はガタ落ちした(この頃清は歳出超過に陥っていてそれどころではなかったのだが)。
- 天理教徒の乱では紫禁城で騒乱を起こされた(いわば皇居とかバッキンガム宮殿とかでクーデターが起きるようなものである)。
[編集] 宣宗・道光帝
- アヘン中毒から自力で回復したが、アヘン戦争でわやくちゃになった気の毒な皇帝。
[編集] 文宗・咸豊帝
- 英仏連合軍に北京に攻め込まれて逃げ出し、逃亡先で死んだ気の毒な皇帝。
- 西太后はこの人の第二夫人。
[編集] 穆宗・同治帝
- 母・西太后からあてがわれる女に嫌気がさし、お忍びで街の女と寝たところ、性病をうつされて死んだ気の毒な皇帝。
[編集] 徳宗・光緒帝
- 西太后から権力を取り戻そうとあがき続けるが、結局無駄だった。死期を悟った西太后に暗殺されたのではないかとも言われる気の毒な皇帝。
- クーデターを起こそうとして、軍隊を握る袁世凱をあてにしていたが、西太后に寝返られて失敗。
[編集] 恭宗・宣統帝
- ラストエンペラー。
- 日本軍を利用してまんまと満州国皇帝に返り咲くが、ヤバくなったのでたちまち切り捨てた。日本人の多くは「なんたる忘恩の輩か」と怒り狂ったが、なに、ヤバくなれば「功臣」をあっさり見捨てるのは、史上の中国皇帝たちがしょっちゅうやっていることである。
- しかも強すぎる「功臣」を叩くのは中華皇帝の本能。戦争が無くても、日本軍はいずれ排斥されたに違いない。
- 死の床に付いたときに、チキンラーメンをねだった。
- (人格)改造人間である。