考えない技術

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考えない方が、かえってアイデアがでるのではないか?という仮説から、 「考えない技術」というテーマで適当に思いついたことを書き足していきやす。

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はじめに[編集 | ソースを編集]

物をはっきり見るには、辺りに光が多いほうがよい。しかしそれは本当だろうか? 例えば星は、明るい昼間にはかえって見えない。辺りが暗いほど、はっきり見える。「星も光ではないか」ということは、考えてはいけない。

物事に正しく対処するには、意識がはっきりしているほどいい。しかしそれも本当だろうか? うんたら

創造的な空間について[編集 | ソースを編集]

人が星空に星座を最初に思い描いた時、それは純粋な創造であった。というのは、星は星座を描く材料として、意図的に並べられたものではないことが明快だからだ。創造的でない場合は、最初に意図するものがあり、その意図をもとに材料をあらかじめ用意する。その結果、結果が意図を超えることはない。

星空が創造的な空間なのは、星という星座をつくるための材料が、意図を超えているからではないか。意図を超えたものに意図を見出そうとする結果、意図を超えたものが出てくる。

このことは、うんたらかんたら

電車の中[編集 | ソースを編集]

センスについて[編集 | ソースを編集]

センスとは、中心をみつける力ではないか?もっと言えば、意外なところに中心を見つける力ではないかと思う。言い換えれば、分散的な材料の中から、一定のまとまりを求める結果、意外なものが結果として創造される、なんのこっちゃ

モードについて[編集 | ソースを編集]

買い物をするとき、人は大きく二つのモードで商品を見ている。一つは、自分が欲しいものはなにかを探している状態。もう一つは、欲しいもののなかから、どれが良いかを比較している状態だ。後者の場合、対象を見ているが、前者の場合は、対象を見ながら、自分の内面を見ている。自分が何が欲しいかという中心を探っているのだ。 うんたら

夢について[編集 | ソースを編集]

夢の特徴は、脳の使い方が分散的であることだ。夢のなかで複数の人間が会話しているとき、どちらも自分が会話しているのだが、こんな分散的な使い方は目覚めている時には難しい。この分散的な脳の使い方が、夢の創造性に関係しているのではないか。うんたら


インチキ瞑想法について[編集 | ソースを編集]

三段論法のように、物事を積み重ねて考える方法は、開放系の環境では役に立たない。 前提がくつがえされたり、他の要因が影響を与えることが多くなるから。

目が覚めているとき、頭は三段論法や論理といった単純なことを好むが、寝ているときは 逆に物語的な、奔放な発想といった、開放的な環境に役立つような頭の使い方をしてい るのではないか。

起きていてウトウトと眠りかけるとき、または寝ていてふと目が覚めたとき、やけにアイデ アがでる状態になっている時がある。ためしに、起きているときと寝ているときの二つの 状態が交差する状態を、頭をぼんやりさせて意図的に引き伸ばす努力をしてみた。

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http://www.chakuriki.net/images/041117.png
今朝方、フランス人の大道芸人と殴り合っている夢を見た。 まったく意味がわからない。

しかし、意味がわからないと思うのは起きている状態で考えているからそう思うだけなのかもしれない。というのは、意識がはっきりしている状態のとき、記憶の中で意識が及ぶ範囲は狭く、少なくともフランス人の大道芸人は現れない。だから通常の意識を前提にして考えると、とても意味がわからない。

しかし、夢のようにぼんやりしている時、記憶の中で夢状態の意識が及ぶ範囲はとてつもなく広く感じる。この広さが、夢の創造性のベースになっているのだろうか。どうしても対象を絞ってしまう考えるという行為に対し、考えないメリットをもっと知りたいと思った。


memo[編集 | ソースを編集]

人が寝ている時、蚊が肌に止まった瞬間、無意識に手が蚊を叩くときがある。その手の動きは考えていないからなめらかで速い。