関ケ原町

ナビゲーションに移動 検索に移動
福  井






   
 

 
神戸 瑞穂
関ケ原 垂井
  墨俣
安八
上石津 養老 輪之内
三重 海津

項目別の噂[編集 | ソースを編集]

関ケ原町の噂[編集 | ソースを編集]

天下分け目の舞台(左:三成本陣跡&右:激戦地跡)
家康による首実検@ウォーランド
  1. 天下分け目しか無い。
    • 「あほ」と「たわけ」の境界線もここ。
    • いなりずしの形の境界線もここ。
    • カップラーメンのダシ(鰹・昆布)の境界線もここ。
  2. 東海道新幹線雪害の中心地。
  3. 名前は有名だが岐阜県にあるという認知度は低い。
    • 岐阜県というより滋賀県(米原)っぽい。
      • 溝1本で岐阜と滋賀、隣同士が近いので関西弁が聞こえてくる。
        • JR関ヶ原駅が岐阜の西の端、その隣のJR柏原駅は滋賀県の東の端、そこが関西弁の境目、乗ってくる高校生の話し方を聞いているとたった一駅違うだけでガラッと変わる。
    • 苗字も、全体として東日本というか中京圏的(伊藤・加藤など優勢)な岐阜県でもここだけは西村・田中・吉田など関西系が上位にきている。
  4. 愛知(尾張)・岐阜は基本的に信長・秀吉が人気だが、ここだけは家康ファンが多い。
  5. 関ヶ原は古戦場としては知られているが、その地名の語源となった不破の関はほとんど知られていない。
  6. 東日本式と西日本式、両方の味付けを扱ううどん店がある。
    • その店のスタンプに書かれている衝撃の一言「豊臣方優勢」
  7. 垂井式アクセント
  8. 戦国オタクなら一度は行ってみたくなる土地ではあるが、大層な施設はない。資料館が1つあるだけ。
    • 足軽から大物武将まで、殺された兵の生首、幽霊まで何百人もの人形が置いてあるので、ユーモア施設としては面白い。
    • いや、関ヶ原ウォーランド(足軽~生首のコンクリ像のあるやつ)の他に、資料館もあるぞ(最近できたのかな?)。
      • 「ノーモア関ヶ原合戦じゃ!」なんて横文字をしゃべるとかいう謎設定がある武田信玄の亡霊の人形があるというシュールさ。
  9. 関西のラジオ放送が聴ける。近畿に入った気分になる。
  10. JR関ヶ原駅近くの肉屋でワニの肉を見た。オリエンタルカレーも売っていた。
  11. とにかく冬の雪がすんごい。
  12. とある特番の、エスカレーターの右空け・左空けの境界となる駅を探る企画で、JR関ヶ原駅を調査したVTRが流れる直前に石原良純が叫んだ一言「関ヶ原にエスカレーターなんてねえよ!」
  13. 別に「関原」でもいいのだが、自治体名としては「関原」が正確。
  14. 大合戦の跡地なので、「○○陣跡」があちこちにある。
    • 徳川、本多、藤堂、京極、福島、井伊、松平忠吉、細川、黒田、竹中、石田、島、島津、小西、宇喜多、大谷、平塚、脇坂、小早川。
    • ただし、小早川は松尾山の上なので行きづらいし、大谷も徒歩で上る必要あり。徳川も遠い。
  15. 歴史民俗資料館にはレンタサイクルがあるので、史跡巡りをする人は利用するのもあり。
  16. 関ヶ原駅には関ヶ原の合戦の東軍西軍の両軍勢の大名の名前が書いてある大看板があるが、外側にある地元武将「竹中重門」「平塚為広」あきらかに後から付け足された感があった。
    • いまは作り直されているようで、付け足し感はなくなっている。
  17. 駅前の観光案内所には諸大名の家紋いりのコインロッカーがあり、ひそかに人気とか何とか。
    • 他にものぼりやガードレールなど、所々に家紋いりのものがある。
  18. 名神高速の坂と曲がりくねった道。名神で唯一燃費が悪くなる。
  19. 町人口は隣の垂井町の1/4。
  20. もし関ケ原市が市制していたら市役所は垂井に置かれた。日光市役所が合併で旧今市市役所へ移転したように。
    • 上石津も大垣市ではなく関ケ原市になっていただろうし、垂井警察署が関ケ原警察署に改名されただろう。関ケ原町役場は支所に降格。
  21. 名古屋都市圏の最果て。JR東海の「TOICA」も2006年11月25日の導入当初東海道本線上ではここまでしか導入されなかった。
  22. 同じ不破郡の垂井町もろとも大垣市などに合併されなくて本当に良かったと思っている町民も多い。
    • 水を差すようだけど、それは個人の妄想じゃないよね?

今須[編集 | ソースを編集]

  1. 今須だけ関電管轄。
    • 電柱と電線が違うから見分けがつきますね。
  2. 今須宿は濃江国境の美濃側の宿場町。
    • 今も問屋場が現存していたり、常夜灯が残っていたりと、その雰囲気は健在。
  3. 妙応寺は岐阜県内の曹洞宗の寺院で最古の歴史を誇る古刹。
    • 江戸期には伏見宮家の勅願所だったとか。
    • 令和の今もその歴史ある佇まいから、良い雰囲気を感じさせる。
    • もともと今須宿自体が、妙応寺の門前町として栄えたんだとか。今は線路は通れど駅はない静かな山里という感じがするが……
    • 1360年に創建された寺院。なんでも当時今須領主だった長江さんという人が、死んだお母さんが地獄に落ちて苦しんでいるというのを聞かされて、母親の名前(妙応さんと言ったらしい。)から名付けて建てたんだってよ。
    • 開基は總持寺の2代目住職峨山韶磧。
  4. 江戸末期の尾張藩御用絵師で岸派に属した画家、喜田華堂のふるさと。
    • 今須には妙應大姉縁起図絵を残している。因みに妙応寺が所蔵しているとか。
  5. 今須の街の西部、寝物語の里の手前に車返しの坂というのがある。謂れが少々オモロイ。
    • なんでも鎌倉時代に二条良基が、「不破関屋の屋根が壊れていて穴が空いてんだけど、その穴越しに見る月がめっちゃ綺麗らしいで!」と友達に聞いて、見に行きたいからと京都から牛車で来た。ところが、不破関屋まで残り5km程度のこの地で「屋根が治った」と聞いて、肩を落として帰ったとか。

寝物語の里[編集 | ソースを編集]

  1. 今須と長久寺の境は寝物語の里と呼ばれる。
  2. 平安時代末期、奥州へ落ち延びた源義経の妻、静御前が国境を挟んで義経の部下源蔵に「私も奥州へ連れて行ってくれ」と哀願したという伝説が残る。
    • 国境を挟んで並び立っていた2軒の宿屋の壁越しに、夜中に、そんな話をしたから「寝物語」と呼ばれるようになったとか。そしてその伝説にちなんで寝物語の里という異名がついた。
  3. 江戸期の浮世絵師歌川広重が「木曽街道六十九宿」という絵を描いているが、そのうち、今須宿の画は、寝物語の里を描いている。
  4. 国境に小さな溝が伸び、その脇に寝物語の里であることを示す碑が立つ。それだけの地だが、昭和の歴史小説の大家、司馬遼太郎先生はこの地にも関心を示されたとか。
  5. オーツカ関ヶ原工場の前に松尾芭蕉の句碑なども立つ。

[編集 | ソースを編集]

  1. メナード関ヶ原ランドがあったところ。
  2. 関ヶ原鍾乳洞がある。
  3. 円通寺と玉照寺はいずれもそれなりに古い歴史がありそう。
  4. 旧陸軍の火薬庫がある。
    • 廃墟マニアが喜びそうな感じ。肝試しにはもってこいの雰囲気。
  5. 岡山県にも玉という地名がある。