阪急の車両/形式別

ナビゲーションに移動 検索に移動

独立項目[編集 | ソースを編集]

現役車両[編集 | ソースを編集]

5000系[編集 | ソースを編集]

これでも50年選手
  1. 実は1968年登場。製造後30年以上を経た2001年からリニューアルされ新車並みになった。
    • リニューアル後は車内LEDやパワーウインドー装備など8000系以上の内装となった。
      • これは9000・9300系や7000・7300系リニューアル車の内装の基本となった。
      • 当時は阪急は新造車両が途絶えていたので、既存車両のリニューアルでお茶を濁していたのだろう。似たようなことが20年後近鉄であった。
    • リニューアル前は補助送風機として車内にローリーファンが付いていたが、リニューアル後は冷房能力が強化されたためか撤去された。
      • 一部編成にスイープファンがある。
    • 1980年代半ばに方向幕取り付けと同時に小規模なリニューアルを行っていたので2回目(近鉄で言うB更新)ということになる。
  2. 同時期登場の3300系と対照的にモータは静か。
  3. 実は登場時は非冷房車だった。
    • その後冷房改造・前面行先表示機取付け・リニューアル工事と3度の大改造を経験し現在の姿となった。
  4. 最高速度115km/h運転には対応していないため、昼間の特急運用には入らない。
    • モーターに補償巻線(高速回転時にトルクを上げるために弱め界磁をキツくしてもモーターが燃えないための巻線)がないので出足は額面170kwの大出力で良いが上は界磁をそこまで弱められないので息切れする、6000なんかは140kwモーターでも弱め界磁5段あるから実は高速域だと5000よりトルクある、7000はもっと。
  5. 最近土休日ダイヤの日は車庫で寝ているらしい。
  6. 最初にリニューアルされた編成(5010F)のみ前面の車両番号が貫通扉に大きく取り付けられている。
    • 他の編成は車掌台側窓下に移され、数字も小さくなった。
  7. リニューアル前は2000・2800系の中間車を組み込んでいたことがある。特に2000系の中間車を組み込んだ編成は屋上のクーラーの数が異なる(2000系:3個・5000系:4個)と異なるため違和感もあった。
    • 2800系は元京都線用特急車両だったため側面の窓配置が異なっていた。しかし2800系の組み込みは短期間で消滅した。
    • リニューアル後は5100系を改造し中間に組み込んだがこれまでとは異なり5000系に編入されている。但し元から5000系の車両と5100系の改造車では車体断面が異なっている。
  8. リニューアル前は5000系としてのT車(5550形)は1両(5563号車)しかなかった。
    • しかもその車両は5200系に組み込まれていたこともある。
  9. 初期にリニューアルされた5008Fと5010Fの運転台撤去跡は運転室と客室の仕切がそのまま残され、元運転室の部分に2人分の座席が設置されている。
    • そこはちょっとした個室の雰囲気が味わえる。
    • 以後のリニューアル車では運転台撤去車も完全な中間車の形態になった。
    • 6両化され今津北線に運用開始したが運転室の部分に2人分の座席は残されたままになっている。
      • 6両化により抜かれたT車は廃車。因みにこれは元5100系である。
      • 実は1980年代にも6両で今津線を走ったことがある。西宮北口のダイヤモンドクロスが健在の頃は今津駅にも入線していた。
        • 地上で阪神車両と並ぶ姿も見られた。
  10. 遂に神戸本線を走る5000系も1編成のみとなった…これも時代の流れか…
    • 関係ないけど3300系の方はバリバリです。廃車になってる編成もあるが…
    • 結局最後まで本線を走っていた5000Fは3000系の最後の編成と同時に1編成まるごと廃車になってしまった…。
  11. 今や今北しか走っていない。
    • 思えば旧1000系も5200系も末期は今北限定運用だった。
    • まさに今北のヌシとなった。競馬関連のヘッドマークを付けてもらうことも多い。
  12. 3300系の置き換えが進む一方、こいつの置き換えは全然進んでいない。もう登場から55年たったのだが。
    • かといって、今の阪急だとこれを淘汰しても宝塚線の6000系を6連に短縮したやつを持ってくるってオチしか見えない。
    • 5012Fの廃車開始により、6連化された編成も余命幾許かに。代わりに6連化されてやってきたのは、6000系ではなく、7000系(7004F)。
    • 恐らく2000年代に新車並みの徹底したリニューアルが行われたからだろう。少なくとも6000の未リニューアル車よりは状態がいい。

5100系[編集 | ソースを編集]

宝塚線の5100系
能勢電鉄のオールド・ルーキー
  1. 1971年7月登場。
    • 旧梅田駅に入線経験のある最後の系列でもある。
  2. 当初は6000系として計画されていたが、大阪市営地下鉄60系との番号の重複を避けるため5000番台の空き番である5100系に変更された。
    • 製造当初は京都線にも投入されていた。
    • 車番だけ見ると5000系の宝塚線バージョンのように見えるが、上記の通り実際にはそうではない。ただ一時的に全車両が宝塚線に配置されていたことはある。
  3. 5000系のリニューアルに伴い、一部車両が5000系に編入された。
  4. 現在は宝塚線及び今津線で運用されているが、伊丹線・箕面線に入ることもある。
    • 両線で運用されている3000・3100系が検査に入るときなど。
    • 箕面線は2016年から本運用になった。
  5. パンタグラフは原則として梅田寄り先頭車に1個付いているが、5132F・5136F・5146Fは2個付いている。
    • あと5128Fはシングルアームパンタグラフになっているが、これは阪神大震災でパンタグラフを破損した車両が出たため、その補充分を捻出するために交換されたもの。
      • 8000系の8008Fも同様。
  6. 登場時は0番台→4両、20番台→3両、40番台→2両編成に割り当てられていたため、必ずしも製造順に付番されていない。
    • 6000・7000系にも同様のことがいえる。
  7. 2014年7月、5136Fが阪神本線を尼崎駅まで自力回送された。
    • 阪急車両が阪神の線路を走るのはかつて今津駅で阪急車両が阪神線に暴走進入して以来。高性能車の時代になってからは初。
      • 登場時は前述のように京都線を走り(堺筋線には入線してないが)、神戸高速、山陽と走り、阪神をも走行、能勢電でも運行と、何気に阪急では運用区間がもっとも広い車両となった。
        • 阪神線は回送扱いだから運用と言えるのだろうか?
  8. 5700番台のT車はMc車(5100形)からの改造車。
    • 全部で4両あるが、うち2両は元運転台のスペースが残るのに対し残りの2両は完全な中間車形態に改造されている。
    • この番号は元々は今はなき5200系に割り当てられていた。
  9. 能勢電鉄に5136Fが持っていかれ、既存車両を置き換える模様である。
    • 片方は非表示幕の原型顔をもっていたのが、成形されてしまった。
      • 3月中旬に営業開始。
        • 自動放送の中の人が加藤純子さんに、関西標準の「プー♪」チャイムも阪急8000系以降と同じチャイムに。
    • 移籍にあたり前照灯・行先表示器がLED化され、前面にはイノシシ対策とかでスカートが取り付けられた。
      • LED前照灯のメーカー・形状や行先表示器のLEDのフォントは阪急とは異なる。
  10. 9000系のような顔に整形された車両が存在したことがある。
    • 7000・7300系リニューアルの検討のために試験的に改造したもの。前面の車番も「7320」になっていた。
    • この顔で実際に営業運転に入ったことはなく、試験終了後に廃車された。
  11. 5300系と異なり、電磁直通ブレーキを採用した。電気指令ブレーキは、神宝線では6000系(厳密には2200系)から採用した。
  12. 実は6000系登場後も一部のT車が製造されていた。
    • 1976年製造の5681・5683と1979年製造の5685。同時期に製造された5300系は屋上のクーラーが6000系以降と同じく3個になったがこちらは4個のまま。実際には同時期にクーラーの交換を行った2800系から流用された。

8200系[編集 | ソースを編集]

  1. 8200系が2両だけ作られた。収容式座席、3色LED式行き先表示、松下製S-VHSビデオデッキ搭載だった。
    • 阪急で3色LEDを行先表示に採用したのは後にも先にもこの車両だけ。理由は側窓の大きさの関係で通常の方向幕が設置できなかったから。
    • 窓配置も8200系だけの特殊配置。通常より30cm幅広いワイドドアを採用しているから。それゆえ乗務員室後ろの窓は2800系以来の戸袋窓。
    • 実は阪急で最初に車内の液晶表示を採用した。
      • 恐らく関西では初採用と思われる。それも東武20050系・9050系に次ぐ早さ。
      • 阪急で液晶が本格採用されるのはこの11年後に登場した9000系から。
    • 正確には2両×2編成の4両。
  2. 混雑が以前よりも緩和された為、結局収納式座席は普通の座席に改造されてしまった。
    • スタンションポールも撤去されてしまい、他の車両と同じ様なごく普通の車内になってしまった。
      • 吊り革は阪急では唯一の三角形だったが、同時に他車と同じ丸形に取り替えられた。
        • 関西で三角形の吊り革を採用する例は少なく、大手私鉄では近鉄のL/Cカーくらいであとは京阪神の地下鉄車両に見られる程度。
    • この車両がデビューする直前に阪神淡路大震災が起きて先に復旧したJRに人が流れてしまっため。
    • 少子化や首都圏一極集中で沿線人口が減少したのも影響している。
  3. 朝のラッシュ時にしか走らない非常にレアな車両。
    • 現在では上り特急の神戸三宮から梅田までしか働かないニートレインである。
    • 2016年のダイヤ改正では利用客が減少したため10両編成の通勤急行が廃止となり、8200系を含む増結車は通勤急行の増結運用が無くなった。このダイヤ改正以降は他の増結車と共通運用となった。ただし他の増結車は日中8両編成の間合い運用に入るのもあるが8200系は神戸三宮〜大阪梅田で10両編成の特急、通勤特急の増結運用(大阪梅田ゆき12運用、神戸三宮ゆき5運用)のみでしか使用されない。
      • 2016年から2022年までは10両編成の特急と通勤特急(女通特)の増結運用で使用されたが、沿線人口の減少や競合路線への利用客の流出、さらにコロナによる外出自粛の影響で利用者が大幅に減少したため2022年に10両編成を大幅に削減し、現在は通勤特急(女通特)の増結運用でしか使用されなくなったため、さらに運用数が減少した。
      • 今後神戸線10連運用が減少していくと、8200を2本連結した4連で伊丹線に投入されるか?あるいは阪急のご多分に漏れず異端児故に廃車?
      • 神戸線の10両編成はほぼ間違いなく廃止になるだろう。利用客が年々減少しており、混雑も緩和されているため。
        • 2022年12月のダイヤ改正で宝塚・京都線の10両運転は廃止されるが、神戸線は本数は減少するものの残ることになった。
  4. 当初は2編成以上作る予定だった
    • が、計画が震災の影響でそれ以上作る必要が無くなり、発注したものの余ってしまった各部品は8000系の後期車体と組み合わせた8000系8040形になったそうな
    • 8200系は試作車なので宝塚線に配属したほうが成績が出て増備されたと思うのに。
      • 本系列が神戸線に配置されたのは最混雑区間が西宮北口以東と比較的短いためらしい。西宮北口で今津線、塚口で伊丹線からの流入があるため。それに対し宝塚線は神戸線よりも線形が悪く距離の割に乗車時間が長いということもあるらしい。
        • 最初期は西宮北口で通勤急行に増結して運転していたのもそのためかと。
  5. 実は化粧板の色調は他の8000系列のような濃い木目ではなく7000系以前と同じ淡いもの。
  6. 10両運用縮小後は、西宮でニートレインと化している。異端児故に、そのまま廃車になる可能性が高い。
    • 2022年ダイヤ改正後、数ヶ月間西宮で検査を受けたあと10両編成の通勤特急(女通特)の増結運用で、再び運用復帰している。
      • 他の車両とドアの幅や位置が異なるが、神戸三宮駅の可動式ホーム柵にも対応しているらしい。
        • 十三駅の可動式ホーム柵設置が神戸線だけ遅れてるのはこの車両のせいだと思ったが、神戸三宮駅の事例を見る限りそうではないようだ。
    • どうせなら伊丹線か箕面線に転属して5100系と6000系を置き換えてほしい
      • 今津南や甲陽に転用…とならないのは、この2路線が回生ブレーキ非対応だったりするのだろうか。
  7. 神戸線用の座席指定列車として改造すれば10両化と座性指定が両立できそうな…。

9000系[編集 | ソースを編集]

次世代の主力
  1. 神戸線・宝塚線の次世代を担う車両。
    • …のはずなのだが、なかなか増備が進まない。
    • 9300系の増備が一段落した2010年度から急速に増備が進み。最終的には11編成88両が揃った。
    • 登場後数年間は神戸線・宝塚線に1編成ずつしか配備されていなかった。
      • とはいえ遠くからでもすぐ識別できるため目立っていた。屋根のクリーム色の部分が妙に大きかったり(なんとなく雪が積もっているようにも見える)、フルカラーLEDの方向幕だったり。
  2. これでも「A-train」。
    • 安っぽさのかけらも感じさせない内装は、さすが阪急といったところである。
  3. 外観は9300系と殆ど同じだが、車内は全然違う。
    • 神宝の奴は側面の窓枠の幅が狭い。
  4. 特急用の兄貴分:9300系とは対照的に、こちらは普通運用が多い(特に神戸線所属車両)。
    • 8200系と連結したら行先表示にバグが生じるので、8200系と連結する可能性のある特急運用には外される傾向にあった。最近は特急運用も増えてきたような気がする。
      • 最近は普通運用のほうがレアだ。兄貴9300と似てきているな。
  5. 9000・9300系は車端部と乗務員室背後以外窓が開かないが、わずかな開く窓がちゃんとパワーウィンドーになっているのは阪急クオリティか。
  6. 方向幕(幕ではないが)が切り替わると、車内液晶テレビの左側が阪急マークになる。回送の場合は、両方阪急マークになる。終点駅手前のどこで切り替えたか、車内から分かる。
  7. 2012年現在偶数編成は神戸線に、奇数編成は宝塚線に投入されているが、今後は置き換え対象の3000系が宝塚線に集中しているので9000系も宝塚線ばかりに投入されるのであろうか?
    • 但し最終編成の9010Fは偶数編成だが例外的に宝塚線所属。
  8. 新1000系としてモデルチェンジ車が投入される為、この系列は打ち止め決定。
  9. 日生エクスプレスの運用につくのはいつなのかが分からない。
    • 日生エクスプレスの運用は1000系に先を越されてしまった。
    • 5100系以降の神宝線車両では唯一能勢電に乗り入れたことがない(7000系は一部が7200系として能勢電に譲渡されているため)。
    • ダイヤ乱れで、川西までの星特に入った。
  10. 最近は神戸・宝塚両線間の車両数調整に使われることが多い。
    • 行き先表示がLEDなので設定を変更するだけで対応できるため。
  11. 2016年以降は神戸線の全種別(10両編成の特急、通勤特急を含む)、宝塚線の特急日生エクスプレス以外の全種別で使用されている。
    • 10連運用ではアルナ車との連結も見られる。
  12. 車内灯は9000・9001Fが蛍光灯で9002F以降はLEDに変更された。
    • カバーが付いているためわかりにくいが後者の方が少し暗いような感じもする。
  13. 9300系にも言えることだが、走行中にLEDつけっぱなしで走ってるせいで、明らかに色が劣化している。
    • 9001Fを皮切りに、改修工事(近鉄でいうA更新?)でLED表示器の色は改善。ついでにAトレ迷物の使いにくいドア横手すりも交換された。
    • この反省から、2000系では走行中にLEDを消すことに。

2000系(2代)[編集 | ソースを編集]

  1. とうとうスタンションポールに屈してしまった。
    • 阪急では過去に8200系で実績があるが、あちらは座席収納ができなくなった時に撤去された。
  2. 阪急阪神お得意のPMSMモーターがここでも採用される。
    • 正直、阪急の駅間距離でPMSMってあまり恩恵受けれなさそうな気がするのだが…
  3. 相変わらず8連のみ作るらしい。短編成化は考慮されていない。
  4. 車端部の車椅子スペースがかなり拡大され、そのために座席が減ってしまう。
  5. 2300系と比べて話題性がなく、このページも過疎っている。(ぶっちゃけ1000系のマイナーチェンジでしかないから仕方ないか)

4050形[編集 | ソースを編集]

  1. 920系を改造した救援車。
    • 旧性能電車を事業用車に改造し、前面が変わってしまった点では、私鉄版クモニ83。
  2. クエなので、単独走行できない。
  3. 4両いるうち3両は、電気指令式ブレーキに改造され、4250形に改番された。
  4. 1997年に除籍された。ここ最近動いたと言う話を聞かない。
  5. 2023年10月の深夜に桂車庫にいた4053号車が8300系に牽引されて本線走行したが、それを撮影するために線路内に入る悪質な撮り鉄が散見された。
    • 後日テレビでも取り上げられた…。
    • あれが解体のための帰らぬ旅と言われているが、どうなるか。

過去の車両[編集 | ソースを編集]

1形[編集 | ソースを編集]

  1. 箕面有馬電気軌道開業当時の車両。
  2. 阪神や京阪開業当初の車両とは異なり3扉車だった。
  3. 当初は木造だったが、後に鋼体化され角張った外観になった。
  4. 戦後間もない頃に現在の京阪京津線の四宮車庫が火災に遭い、焼失した車両の補充として当時同じ会社だった大津線に移籍した車両がある。
  5. 現在は正雀車庫に1両が保存されている。

90形[編集 | ソースを編集]

  1. 昇圧で不要になった鉄道省の電車を目黒蒲田電鉄がもらったものの、いっぱいありすぎて一部を阪急がもらった。
    • 名鉄3830系と同様、大手私鉄が東急から車両をもらった例となる。
      • 現代で例えるなら、日比谷線直通の廃止で余った東急1000系を、阪急の伊丹線や箕面線向けに標準軌化して譲渡しているようなものだ。
  2. 「阪急のつばめ号」と言われた。

96形[編集 | ソースを編集]

  1. 戦時下で通勤者が増加した阪急が、加越鉄道で気動車に置き換えられて留置されていた客車に目を付けた。
  2. 末期は伊丹線で使われていた。

320系[編集 | ソースを編集]

  1. 神戸線の900系を小型化した宝塚線用車両。
  2. 末期は能勢電鉄で運用されていた。

380系[編集 | ソースを編集]

  1. 320系の増備車両。
  2. 戦後間もない頃は進駐軍専用車両になっていたことがある。
  3. こちらも能勢電鉄に譲渡されたが、1両だけだった。

500系(初代)[編集 | ソースを編集]

  1. 半鋼製車体。
  2. 510号は日本初かつ大正時代では唯一の全鋼製車体だったが、1年もせずに事故廃車。勿体無い。

500系(2代)[編集 | ソースを編集]

  1. 320系の片運転台バージョンで、いわば920系の宝塚線版。
  2. 小型車ではあったが広幅貫通路があった。
  3. 阪急引退後は能勢電鉄の他広島電鉄に譲渡された車両もあった。
  4. 610系を作る際木造車と台車やモーターを振り替えた。

550系[編集 | ソースを編集]

大阪に里帰りした550号車
  1. 戦後復興期に作られた規格形電車。
    • そのため他の阪急車両と異なり側窓は2段式が採用されている。
      • 京都線の700系や京阪1300系(登場時はまだ京阪神急行電鉄の一員だった)も同様。
      • 但しラストナンバーの565号車のみ1段窓で500系と同じ外観だった。
  2. 320系や500系と異なり、能勢電へ譲渡されず昇圧時に全車廃車。
  3. トップナンバーの550号車はアルナ工機で保存された。
    • 同社の尼崎市からの撤退に伴い沿線から遠く離れた岐阜県養老町の同社工場に運転台部分が保管されていたが、2021年に豊能町にある吉川八幡神社に移設された。
  4. この形式以降、8200系に至るまでの全ての形式が、ナニワ工機→アルナ工機で製造された。

610系[編集 | ソースを編集]

  1. 木造車の更新名義で登場した小型車両。
  2. 車体は810系を15m級に短縮した感じで車体幅は他の小型車よりも広かった。
  3. トップナンバー(610・660)のみ前面非貫通だった。
    • その他の車両は810系と同じ顔だったが、前面窓がHゴムになった車両もあった。
    • 800系と異なり中央の窓の高さは左右のそれと同じだった。
  4. 小型車だったためか、比較的早くに阪急から引退、1970~80年代に能勢電鉄に移籍した。
    • 能勢電鉄には勾配区間があったため、阪急時代にT車化された車両もM車に戻された。
    • 能勢電鉄に移籍したことが幸いして710系や810系が1980年代のうちに全廃されたのに対しこちらは1990年代初頭まで活躍できた。
  5. 1000系登場前にカルダン駆動の試験車にされたことがある。

800系[編集 | ソースを編集]

  1. 920系の増備車。
    • 同系との混結も見られた。
  2. 一部の車両は前面非貫通型だった。
    • その車両は中央部の窓がやや高く、現在の和歌山電鐵2270系に似たようなスタイルだった。
  3. 一時期アメリカ博をPRするためにマルーン以外に塗装されていたことがある。
  4. 登場時は700系を名乗っていたが、京都線の700系との重複を避けるため800系に改番された。

810系[編集 | ソースを編集]

  1. 神宝京3線共通の車体寸法を採用した初めての車両。
    • 神宝線では初の19m車だった。
  2. 阪急の吊り掛け駆動の車両としては最後まで残った。
  3. 一部は複電圧車として登場し、京都~神戸間の直通特急や京都~宝塚の歌劇特急に運用されたことがある。

900系[編集 | ソースを編集]

  1. 快速阪急の名を轟かせた名車両。
  2. 現在は正雀工場にトップナンバーの900号車が保存されている。
  3. 運転室の寸法は920系と比べて狭かったらしい。
    • そのため末期には中間車化されていた。

920系[編集 | ソースを編集]

今は救援車として余生を送る
  1. 900系の片運転台版で、Mc-Tcの2両ユニットを採用した。
    • 連結面には広幅貫通路が採用された。
    • 戦後に更新工事が行われた時に中間車に改造された車両もある。
  2. 900系と異なり車内はロングシートだった。
  3. 製造初年は昭和9年だが、戦後の昭和23年まで製造された。
  4. 昭和初期製造にも関わらず、1980年代まで活躍していた。
    • 営業車としては1982年に引退したが、その後4両が救援車に改造され、4050形となった。

1010系・1100系[編集 | ソースを編集]

  1. 阪急初のカルダン駆動電車。
    • 1953年(昭和28年)登場。
    • これは正確には1000系だが、試作的な存在だったため早期にT車化された。
      • 1010・1100系との違いはファンデリアがなかったことで、屋根部が異なっていた。
      • 最後まで冷房改造は行われなかった。
      • 計画段階では窓まわりが白く塗られ、前面非貫通という案もあったらしい。塗装に関しては後に能勢電で実現した。
  2. 神宝線の片開き扉を持つ最終形式でもあった。
    • 外観は昭和30年代前半の製造にしては古めかしく、810系の流れを汲むデザインだった。側窓の周りが1段膨らんでいたのが特徴だった。
      • 同じ頃、西武鉄道が「質より量」と言う方針のもと、車体だけ近代的で機器は戦前レベルの電車を量産しまくってたが、阪急は逆に「量より質」だったので、機器は新しいが、車体の外観は古かった。
      • 一般人に「既存形式との違いがわからん」と指摘されすぎて、車内広告に「今年度の新車です」とわざわざ掲載したらしい。どこのボーイング777だよ。
        • 実際には近鉄のラビットカーこと6800系と同世代だが、両開き扉を採用したこともあり向こうの方が新しく見える。
        • 同い年の国鉄72系920番台(全金属車体・吊りかけ)の方が新しく見える。
      • 実際、ブレーキは旧型電車と同じ自動空気ブレーキだった。そのため、2000系以降の車両と併結・混結することは不可能。
        • 最終的にHSCに改造されたが、電気ブレーキがなかったためやはり2000系以降の車両と連結することはなかった。
      • そのためか冷房が付くと違和感を覚えた。
  3. 廃車になった車両のうち2本はのせでんに譲渡され、1000系と名乗った。
    • 2001年に3100系(鉄仮面)に代替される形で廃車・解体となってしまった。
    • 老朽化と構造上ワンマン運転関連の機器を搭載することができなかったため使い勝手が悪かったそう。
    • 移籍と同時に一部先頭車の中間車化改造が行われたが、元からの中間車と見まごう外観だった。
  4. 1970年代に冷房改造が行われたが、全車両には及ばなかった。
    • 冷房改造された車両は阪急としては珍しく車内の蛍光灯のカバーがなかった。
    • 当時2100・3000・3300系などに非冷房車が残っていたが、これらを差し置いて先に冷房改造が行われた。
    • 自社の正雀工場だけでは間に合わなかったためか、外部の大阪車輌工業でも改造が行われた。
  5. 1010系が神戸線、1100系が宝塚線用だったが、末期は混用されていた。
  6. 実は最終製造は2000系登場後の1961年だった。
    • 増結用Tc車の1190形がそれ。
  7. 後期製造の車両は前面窓と連結面の窓のHゴムがなかった。
  8. 8000系登場と引き換えに1989年に阪急から引退した。
    • 製造から30年ちょっとで引退したが、今から考えると短命だったと思う。今の阪急は基本的に50年前後車両を使うので。
      • 同時期に登場した京阪1810系が1900系に改造されて21世紀まで生き延びたのとは対照的。
    • 2000系以降の車両と比べて車体内外が古臭く見劣りがしたためだったらしい。
      • そのためか、1970年代後半以降は冷房改造された車両も基本的に支線区での運用がメインになっていた。
  9. 1100系には初代1111号車が存在していた。
    • 冷房改造されなかったためか、早期に廃車された。
    • 1100号車は前面と側面の窓がアルミ枠支持となっていた。
  10. 形式消滅からなんと33年も経ってから、阪急の駅ポスターのイラストに登場するように。

1200系[編集 | ソースを編集]

  1. 車体は1010・1100系と同一だが、走行機器は旧型車両のものを流用した釣り掛け車。
    • そのためか、冷房改造はされず810系よりも早く廃車された。
    • 正直、釣り掛けでも違和感ない外観。むしろこの見た目のカルダン駆動がいたことの方が驚き。
  2. 京都線1300系の編成替えにより余剰となった付随車を組み込んでいたことがある。

2000系[編集 | ソースを編集]

現在は能勢電鉄1700系となっている
ついに還暦を迎えた
  1. 現在の阪急スタイルを確立した車両。
  2. 編成としては1992年に阪急から姿を消したが、中間車の一部が3000系などに組み込まれて現存する。
    • 阪急から引退した車両は能勢電鉄に譲渡され、同社の1700系となっている。
      • その1700系が随時、5100系に置き換えられる模様となっている。
      • 阪急時代2100系に組み込まれていた車両については同系とともに1500系として一足早く能勢電鉄に移籍した。その際阪急に残った2100系の中間車を2000系の空き番号に改番している。
  3. 2021・2100系という派生系列がある。
    • 2021系は比較的早くに全車両T車化され、3000系や5000系に組み込まれていった。
    • 3000系の3066Fに組み込まれている2093号車は阪急としては最後の旧2100系の生き残り。
  4. トップナンバー(2050号)は六甲駅の事故で廃車になってしまった。
    • 2代目2050は2100系の2154を改造したもの。この車両は今でも能勢電鉄で現役。
  5. 当初は回生ブレーキ・定速制御を有し「オートカー」の愛称があったが、昇圧時に撤去され空気ブレーキのみとなった。
    • そのためか、神戸線の高速走行に支障を来たし比較的早く阪急から撤退した。
    • 2021系は昇圧後も回生ブレーキと定速制御があったが、その分制御装置が複雑だったため、上記の如く早くに全車両T化された。
      • そのため2000系とは連結できなかったらしい。
      • 空気バネ台車の車両もあったがこれは同じく空気バネ台車を使っている5000系に組み込まれた。同時に冷房改造も行われたが後に1010系などからの廃車発生品である金属バネ台車に交換されてしまった。
        • 5000系に組み込まれた車両は一部に2000系最大の特徴である広幅貫通路が残っていた。但し21世紀のリニューアルではさすがに対象にならず5100系のT車に差し替えられ廃車された。
        • ノーマルな2000系でも5000系に組み込まれた車両がある。
      • 震災復旧絡みでT化された後再びM化され3000系に編入された車両もある。
        • 2021→2171→3022(2代目)がそれ。今津北線で運用されていた。
          • T車化後の車番は元の車番+150。但し2180のみ欠番だったが、これは2030号車が六甲事故に関連して2154が阪急に残留した身代わりで能勢電に移籍したため。
    • 2100系も同様。
    • 昇圧改造の際モーターを複巻から直巻に改造している。
    • 名鉄にも似たようなやつがいた。7500系。こちらも回生ブレーキと定速制御を持つ一方、他形式との併結は不可能だった。
      • だが、こちらの方は1030系列(スリランカー含む)に生まれ変わった上に、他形式併結が可能なように改造された。令和まで生き延びた編成もいる。
  6. 実は短期間だが京都線を走っていたことがある。
  7. 実は初期車と後期車ではドアが異なっていた。
    • 初期車はドアの合わせ目の銀色の縦帯がなく、窓枠が太かった。
      • 本系列で最後まで阪急に残っていた2093号車は廃車までこのドアを使っていた。
    • 能勢電へ譲渡された車両はそれと同時にノーマルなものに交換されている。
  8. 2020年、能勢電に譲渡された車両の一部がついに製造後60年を迎えた。
    • その一方で能勢電への譲渡から漏れた車両の中には1990年前後に車齢30年足らずで廃車されたものもあり、2023年現在も残る車両は倍以上長生きしていることになる。
    • 阪急で登場したのは1960年、能勢電への譲渡開始は1990年なので、阪急時代よりも長く能勢電に在籍した車両も存在する。
    • 下手したら、2000系(2代)と並ぶ日が来るのかもしれない。
    • その反面能勢電に譲渡されなかった車両は1980~90年代のうちに廃車解体され、中には2189号車のように昭和のうちに製造後25年程度で廃車された車両もあった。
    • 阪急からは比較的早く撤退したが、能勢電に渡ったおかげで後輩の3000系よりも長生きする結果となった。

2100系[編集 | ソースを編集]

1700系よりも先に引退
  1. 2000系の宝塚線バージョン。
  2. 1980年代に入るとスピードアップなどで宝塚線でも性能的に不十分となったため、冷房改造されずに廃車されて能勢電鉄に譲渡された。
    • 現在の能勢電鉄1500系。
      • 1700系との外観上の識別点は屋根上のクーラーが中央に寄っている点。1700系とは異なりスイープファンが付いているため。
    • 一部の車両は阪急に残って2000系に編入され、2013年現在2093号車(旧2163)が現存。
      • 2013年に廃車されました。
    • それ以外にも昇圧時にモーターを2000系と同じものに交換し、2000系相当の性能になった車両もあった。これらは後に2000系に編入され、能勢電鉄へは他の2100系よりも後に1700系として移籍した。
    • 能勢電鉄で廃車された後、何と広島県三原市に行った車両がいる。そこでは205系6扉車と連結して何らかの試験が行われているらしい。
      • 阪急と広島と言えばかつて210系や500系が広島電鉄に譲渡されたことがあった。
      • 他にも1552号車の先頭部が豊能町の吉川八幡神社に譲渡されたが、外板はFRPに変わっている。
    • 1700系と比べてモーター出力が小さかったためか、2016年6月に1700系より先に全車両引退。
  3. 側扉は全車両2000系初期車両と同じタイプを使っていた。
    • 能勢電移籍と前後して標準タイプに交換された。

2200系[編集 | ソースを編集]

6150号車(元2251号車)
  1. 阪急における電機子チョッパ制御の試作車で、1編成しか存在しなかった。
    • 南海8000系(初代)・近鉄3000系と同じ。前者は登場年も同じ(1975年)である。
      • 前者も走行機器を7100系の中古品に交換して6200系に編入された。後者は電機子チョッパ制御車のまま2010年に廃車。
  2. この車両から車体がモデルチェンジされ、6000・7000系にスタイルが引き継がれた。
    • 運転室の寸法が拡大されたことから運転室直後の側窓が廃止され、そこに阪急の頭文字である「H」をモチーフにしたシンボルマークが付けられた。このシンボルマークは現在のCIが制定された1992年に廃止され、現在ではその場所にCIのマークが貼られている。
      • 6000系や7000系では「H」マーク撤去後に細長い小窓を設置した車両が多い。
    • よく見ると前面の車番の位置が6000・7000系と比べると低い。
  3. 後に阪急初のVVVF車(2720・2721号車)が追加された。
  4. 1990年代に電機子チョッパ制御車は電装解除されて6000系の編成に編入、VVVF車も阪神・淡路大震災で被災して2721は廃車、2720は電装解除された。その時点で2200系は消滅し6000系に編入されている。
    • 電機子チョッパ制御車が電装解除されてから阪神・淡路大震災で被災するまでの間、2200系は2250-2720-2721-2251の4両を組み、さらに6000系2両を連結して6両編成で運用された。この編成で山陽電鉄線にも入線したことがある。
      • 8000系8020Fとともに何気に山陽電鉄の線路を走った初のVVVF車である。
    • 震災がなくても、9000系あたりに置き換えられて早期淘汰されていたかも。
      • むしろ現実通り電装解除されていただろう。時期的には1998年の山陽乗り入れ廃止あたりと思われる。
  5. 登場時は側窓の一斉自動開閉機能が搭載されていた。
    • 但し乗客が窓を自動開閉することはできなかった。因みに乗客が窓をボタン1つで開閉する機能は8000・8300系で実現している。
  6. 2751号車はアルナ工機が阪急に納入した1000両目の車両だったため、車内の銘板に「阪急納入 1000両」の金文字が入っている。
    • 6000系に編入されて6751に改番された現在も残っている。
  7. この車両の登場時既に5000代まで車両番号が達していたにも関わらず2000代の車両番号を採用したのは1編成だけの試作車ということもあるが回生ブレーキを使っているということで2000・2300系などに合わせて2000代の空き番に組み込んだためらしい。
    • 但し2000系はこの車両が登場する以前に回生ブレーキは廃止されていた。
  8. 2015年現在元2200系は先頭車は神戸線所属だが中間車は全車宝塚線所属。
    • 6000系に組み込まれ能勢電鉄にも乗り入れている車両もある。
    • 先頭車(6050・6150)は7000系編成の先頭車として運用されている。
      • そのためか2019年になって7090・7190に2度目の改番が行われた。つまり2200→6000→7000系と2回も形式が変更されたというわけ。同時に6連化され今津北線に転用された。
  9. この形式から運転台にワンハンドルマスコンが採用された。運転室が拡大されたのもそれと関連している。
    • 採用にあたっては先にこれを採用していた東急を視察したらしい。
  10. ワンハンドルマスコン40周年を記念してHマークが復活した。
    • だが塗装まではマルーン1色に復刻されなかった。
      • 阪急としては、「単色=HSCブレーキ車」という原則なのだろう。
  11. 先頭車は、登場から49年というこのご時世にリニューアルされた。

3000系[編集 | ソースを編集]

阪急最後の方向板使用車両
  1. 神宝線系の車両では最古参。
  2. モータは高速運転のため170kw×4台/1両と大出力。
  3. 冷房改造の時期によってスイープファンのある車両とない車両があり、屋上の冷房装置の配置が異なる。
    • スイープファン付きの方が中央に寄って配置されている。
    • 冷房改造は1975~84年の長期に渡り行われた。数が多い上に2000系など他形式の改造もあったため。
  4. 今津線最後の標識板取付車(3058×6連)は映画「阪急電車」の撮影に使われた。
    • 映画撮影のために廃車が延期されたらしい。何という心遣い。
      • 他に3011号車が標識板付きで登場するが、実際の3011号車は方向幕装備…。実際には存在しない3544号車が登場するなどあの映画は鉄道マニアが見ると突っ込みどころ満載。
  5. もうすぐ神戸線からは撤退するらしい。
    • 2012年度に神戸本線から撤退。宝塚本線には1~2本残っていたはずだが、新1000系が宝塚本線に入ったらすぐ撤退するだろう。
    • 2018年には今津北線からも撤退し、最後は伊丹線になった。
      • 2020年に完全引退したが、弟分の3100系と違いヘッドマークの取り付けなどさよならイベントは実施されなかった。阪急の一時期を象徴する車両なのに。
        • コロナ禍さえなかったら何らかのイベントは行われていただろう。
        • 一応ヘッドマークは作りはしたんだけど、結局使うことなくオークションに出しちゃった。多分今後阪急はさよならイベントをすることは無いと思われる。
          • 実際、京とれいん無印が引退する時は、何のイベントもなかった。
          • 意外にも有料の撮影会が行われた。専用ヘッドマークやまさかの5300系改造前の顔との並び付き。
  6. 全盛期には全て8連だったが、3000系だけで組成された編成は1本もなく、必ず1~2両は2000系の中間車が入っていた。
  7. 方向幕装備車両は側面の方向幕の位置が車両によって異なる。
    • スイープファン装備車両は中央扉の左側、非装備車両は中央扉の右側にあり、方向幕の幅も後者の方が狭い。
      • 前者は冷房改造と同時に方向幕を取り付けたのに対し、後者は冷房改造後に後付けした点が異なる。3100系も同様。
  8. 宝塚線で運用される車両には前面にスカートが取り付けられていた。
  9. 伊丹・箕面線運用車両は前照灯がLED化されている。
    • このため両線の3000系はもう少しは安泰、と思ったが2016年に入って箕面線からは撤退…。
  10. 2000系や3100系とは異なり、能勢電に移籍した車両は存在しない。
    • そのため能勢電に移籍した車両を含めると2000系の方が長く生き残る結果に。

3100系[編集 | ソースを編集]

今津北線の3100系
銀仮面
  1. 3000系の宝塚線バージョンで、モータ出力が120kw×4台/1両に小さくなった。
  2. 宝塚線用として設計されたが、宝塚線のスピードアップによりパワー不足になり現在では伊丹線・今津(北)線といった神戸線の支線で運用されている。
    • 製造当初は神戸線の普通運用も考えていたらしい。
  3. 1編成が能勢電鉄に譲渡されたが、前面のデザインが変更された。
    • 銀仮面。車内のデザインまで変わった。
      • 木目化粧板とオリーブ色座席から白色化粧板とネイビーブルー座席に交換された。
        • 車内は阪急よりもむしろ南海に似たような雰囲気だった。
          • あと大阪メトロ22系の元OTS車とも。
      • とにかく能勢電鉄の車両では異彩を放っている。
        • それ故に人気者だったらしい。
          • 2021年に廃車されたが、能勢電の駅トイレの注意書きにマスコットとして残っている。
    • 貴重な片開き扉を持っていた1000系を廃車に追いやった張本人
    • 2021年4月に引退。まさか1700系(旧阪急2000系)より先に廃車になるとは…。
      • これにより広義の3000系は全廃となる。
    • このデザインは5000系や7000・7300系のリニューアル車に影響を与えたと言える。
      • 京阪1000系・2400系のリニューアルも。
    • 山下以北の区間運転用である1500系1510Fも同じ前面だった。
  4. T車1両(3651)は3000系に組み込まれている。
    • この編成で神戸線の定期運用に入っていたこともある。
  5. 3000系と異なり、編成中間に入る車両の運転台を撤去した車両は存在しない。
  6. パンタグラフの下には冷房改造前のファンデリアのカバーが残っている。
    • 3000系の多くは撤去されたが、これは山陽姫路までの乗り入れ構想があり、山陽電鉄線内のの狭小トンネルに対応させるためだとか。
  7. 編成としては2016年、3150Fを最後に全て引退してしまった。
    • 2017年現在阪急に残るのは3000系に組み込まれた3651号車のみ。
      • ついに廃車となりました…代わりに6004Fが編入。
    • 兄弟車両とも言える3000系とは異なり引退に際しヘッドマークの取り付けが行われた。
      • さらに能勢電から引退する際にもヘッドマークが付いた。3000系より地味な存在だった割には引退を祝ってもらえた幸運な車両。

5200系[編集 | ソースを編集]

正雀工場に保存されている5251号車の先頭部分
  1. 阪急初の試作冷房車。
    • 近鉄で言う、2680系のような存在。
  2. 試作的要素が多かったせいか、バブル経済期にあっさり全車廃車されてしまった。
    • 実際は1999年まで走っていて、末期は今北の顔でした。これより新しい2800系最終編成の2倍近くは生きていた。
    • 異端児を嫌う阪急の社風が故。
    • そのためか方向幕の取り付けなどの改造は行われず、早々と今津線や伊丹線といった支線に転用された。
    • ある意味近鉄2600系と境遇が似ている。こちらも同じ1970年生まれで、4扉クロスシートの試作車だった故、量産車と言える2610系よりもかなり早く引退を強いられている。
  3. 神戸線運用の末期には2000系や2800系、5100系の中間車を組み込んだ編成も存在していた。
  4. 冷房ダクトの分屋根が高いのが特徴だった。5100系以降の車両はダクトの形状などを工夫し他の車両と同等の高さになった。
    • パンタグラフのない車両のクーラーキセは5個あったが、そのうち1つはダミーだった。
    • 正面から見ると5000系と比べて屋根が尖った感じに見えるのが特徴だった。
  5. 主に神戸線で活躍していたが、登場時には冷房車のデモンストレーションのため宝塚線を走ったことがある。
    • 引退直前に箕面線に入線したこともある。
  6. 現在は正雀工場内に5251号車の運転台部分がカットボディとして保存されている。

阪急電鉄
神戸線 宝塚線 京都線(列車種別)
車両形式別 京都線) 球団