隅田川
出典: Chakuwiki
駒形橋から吾妻橋を臨む
- 深川辺りの特集番組で「江戸の情緒・屋形船」と常に紹介される。しかし、地元住民は天麩羅ばかりだしやがる屋形船には乗らない
- 一応河川敷はあるが、なぜか川の支流ごとに階段で区切られているため、自転車で河川敷を回るのは難しい。
- 新大橋の近くにある芭蕉座像は、夕方になると90度ほど向きが変わる
- 川が汚いため、注目点が橋に移る
- 青い屋根の家が多い。
- 隅田川に架かる橋には同じ構造のものが無く業界では「橋の展覧会」と呼ばれている。
- 総武線にのり寝ていても、隅田川にさしかかると臭さで目が覚めると言われた時代があった。
- その後住民の活動により幾らかは改善された。少なくとも川がくさいということは無い。
- 場所中は駒形橋-両国橋墨田区側のコーポブルールーフが撤収する
- 水上バスはいつも学生で一杯だ。
- 「ヒミコ」をデザインしたのは銀河鉄道999のデザイナーらしい。
- 現在は北区の岩渕水門から下流を「隅田川」と呼んでいるが、1965年までは千住大橋から下流を「隅田川」、上流を「荒川」と言っていた。(現在の荒川は「荒川放水路」だった)
- さらに荒川放水路完成までは河口まで「荒川」、別名「大川」(通称として一部が隅田川とも呼ばれていたらしい)。両国橋がかけられたとき、「大川」にかけられたので「大橋」という別名がつき(ちなみに今の位置とは少しずれている)、その下流に橋をかける際に「大橋」より新しいので「新大橋」と名付けられた。
- 北区に於ける岩渕水門の色は赤色である事により、岩渕水門のことを赤門と称されてもいるらしい。また、岩渕水門の附近に於いては新荒川大橋が架橋されており、東京の赤羽と埼玉の川口との境界を結び付けている。
- 江戸から明治にかけては、川の水が飲めたらしい。
- 今でも東京の水運の中心。観光船による人はもちろん、木場からの生木、ゴミを積んだ貨物船まで。
- ちなみに都立の高校は「墨田川」と表記。能の演目は「角田川」と表記。
- 歌に出てくるような隅田川の風景は今そこにはない。
- ゆえに、川を見ながら「は~るの~うら~ら~の~・・・」の唄を口ずさむとかなり哀愁を感じられる。
- 伊勢湾台風の教訓をもとに、堤防のかさ上げや護岸工事が行われたため。
- 隅田川の花火大会は、戦前はもっと下流、新大橋-永代橋の辺りで行われていた。
- スポンサーが永代橋(茅場町)近辺にあった置屋の旦那衆から浅草に移ったため。
- 毎年4月中旬は「早慶レガッタ」開催。両国橋~桜橋の3200mで争われる。
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