リトアニア

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リトアニアの噂[編集 | ソースを編集]

  1. バルト三国のひとつ。その中では最大の国。
    リトアニア1932年発行記念切手・孤児救済
    • バルト三国では唯一ロシアと国境を接していない…と思われがちだが、飛び地のカリーニングラードで接している。
  2. 杉原千畝がユダヤ人にビザを発行した場所。
    • そして杉原氏は外務省の命令に逆らってビザを出し続けていたために帰国後クビにされた。
    • 名誉が回復されたのは死後。ちなみにイスラエルから勲章を貰っている。
      • と言うか、イスラエルから勲章を貰うと言うことがあって、それ程偉大だったのかと慌てふためいておっとり刀で名誉を回復させたのが、実情。ダラシのない外務省。
    • 1991年かの鈴木宗男議員が何故かこの件で功績をあげたらしい。
      • 外務官僚の反対を押し切って杉原千畝の名誉回復を推進したのが、当時外務省の政務次官だった鈴木宗男議員。
      • なお、このとき反対する官僚の陣頭に立っていたのが小和田恒事務次官。つまり雅子さまの父上。
        • ご本人は「冗談じゃない!そんなわけないだろ!反対するわけがない!」と必死に否定してるけどね。
    • 杉原千畝がリトアニアで外務省に逆らって失脚したと言うのは大嘘で、リトアニアでの事件の後に領事補から領事に出世し、ナチ占領下のプラハに栄転している。そしてここでもユダヤ人への通過ビザを発給しまくったにも関わらず何のお咎めも無く、ケーニヒスベルク領事に栄転している。
    • 杉原氏は、当時のソ連情報を収集する目的の為に前線であるリトアニアに赴任している。また彼は、優秀なソ連通であったことから、以前「ペルソナ・ノン・グラータ」(入国拒否)をソ連から受けており、そのような者を、領事として赴任させるのははばかられるとして、副領事として赴任させたのである。さらに、戦後の人員整理の一環で解雇されたと言われるが、戦前の杉原の働き(北満鉄道譲渡等)を見れば、外務省にとっては、対ソ連要員として必要な人材のはずであり(仮に、当時は外交が米国に向いていたとしても、ソ連と対峙しなければいけないことは容易に想像がつく。)、解雇した理由は、「ビザ」問題しかありえないように思われる。
    • それに比べれば、真珠湾攻撃時、交渉打ち切り文書を指定された時間に遅れて米国に通告した大失態の一等書記官が何のお咎めもなく、ノウノウと帰国し、戦後は外務省で順調に出世し外務事務次官に登り詰め更には米国大使に昇任するとは、どう解釈すれば良いのだろうか?
    • 日本のシンドラーと称される様になりTVドラマも作られた。名誉が回復されるまで、また関連の「シンドラーのリスト」映画が公開されるまで「千畝」の名は一般には知られてない。
    • 満州では、樋口少将が、シベリア鉄道で来た大量のユダヤ人を何の条件を付けることなく、通過させている。ドイツからクレームが来た時には、日本軍は、「八紘一宇」の精神でやっているので(どの民族も皆兄弟、等しく扱うべき)、とこれを拒否した。日本は世界の中でもユダヤ人に特別の感情を持たない珍しい国と言われている。
    • ちなみにこのビザでリトアニアを脱出した大半が、当時の状況から言って当然とはいえアメリカに入国できなかった
      • この為日本はノービザ滞在の可能な上海租界にユダヤ人を移送した。この上海租界のユダヤ人隔離地区は「上海ゲットー」になったが、日本人や汪兆銘政権は積極的な迫害は行わなかった。
      • しかしアメリカはこの上海ゲットーを爆撃しやがった
    • この縁で、今でも杉原千畝の母校の生徒から数十人が選ばれ、「生徒海外派遣事業」としてリトアニアに出かけて現地の見学をするイベントが毎年あるとか。
      • 首都・ヴィリニュスの通りの一つが「スギハラ通り」と呼ばれている。無論、杉原千畝の功績を讃えてのもの。
        • ただし現地では杉原氏はそれほど有名ではない。スギハラ通りも市外から離れた見つけにくいところにある。
        • 向こうの教科書にも杉原千畝の業績は載っているので若い世代なら知っている気がする。
    • それゆえ日本におけるカウナスの知名度は非常に高い。リトアニアの首都は?と聞いたらとカウナスと答えてしまうと思う。
  3. 格闘技熱が高まっているらしく、総合格闘技をBushidoと呼んでいる。これから多くの選手が来日することが予想されている。
    • レミギウスが有名。
  4. 中世のころはかなり大きかった。
    • ポーランドとタッグを組んで同君連合王国として君臨。今でもこの二国はとても仲良し。
      • そのためリトアニアの料理はポーランドの影響を受けたものが多い。
      • ところがどっこいそうじゃない。連合王国時代確かに両国間で良かったシュラフタ(貴族)は、解体した後みんなポーランドに移り住んでしまった。今のリトアニア人は搾取されてた農民の子孫であり、彼らにとってポーランドは自分たちを虐げていたポーランド人&リトアニアのシュラフタの末裔なので嫌ってるそうな。
      • 第一次世界大戦後はポーランドがリトアニアの首都を占領したせいで仲が悪かった。現在は割と仲良くなったらしい。
        • ただし第2次大戦後のポーランド人追放を恨んでいる人はまだいるという。
  5. やたら岩手県に縁がある。
    • 杉原千畝の奥さんは岩手県民。
    • ソ連から独立する時に真っ先に支援を表明した岩手県民に強い恩義を感じている。
    • 東京のリトアニア大使館の物件は岩手県の久慈市が探してあげた。
    • クライペーダ市の日本語塾の上級コースは岩手弁講座だったりする。
    • 日本からリトアニアへの観光客の半分は岩手県民。
    • テュリョーニスの交響詩が日本で初めて演奏されたのは岩手県の某沿岸都市。曲の名は「海」・・・ベタだ。
    • 岩手県の某沿岸都市のバーにはギドン・クレーメルの入れたボトルがある。
    • 某沿岸都市の一般市民は町を訪れたリトアニア人をロシア人だと思っている。
  6. 実は世界最大の原子炉(チェルノブイリ原子炉と同じ炉型)があるが、EUから「いつまであんな危ないもん運転し続けるつもりだ、早く閉鎖しろ!」と言われている。
    • イグナリア発電所です。1号機は、2004年の大晦日に停止しています。2号機は2009年の予定です。
    • 廃炉時には「電気の自給が果たせなくなってしまう」と涙した人がいた。
  7. リトアニア人にとって「日本人」とは「岩手県民」のことだと言っても、必ずしも言い過ぎではない。
  8. ドイツ領時代、クライペーダはメーメルと呼ばれていた。
    • 青春の幻影っぽい。
    • 今でもドイツ行きの船やバスが出ている。
  9. 自殺率が高い。2002年には世界一になったほど。
    • 自殺率は、社会イデオロギーの転換に苦しむ旧ソ連諸国と、百夜の夏と陰鬱な暗い冬の落差が激しい北欧諸国が、特に酷いといわれている。その両方に当てはまるリトアニアは最悪である。
    • リトアニア人の男性の自殺率は、日本人男性の2倍以上。
    • 殺人発生率もEU最悪クラス。
  10. バスケットボールが強い。それゆえサッカーはいまひとつ。
    • バルト三国の中ではわりかし名の知れたサッカー選手(ヤンカウスカス、スタンケヴィチウスなど)がいるがEURO出場はラトビアに先を越された。
    • かつてソ連のバスケットボールナショナルチームはリトアニアの選手が中心となって編成され、世界のトップに君臨していた。ソウル五輪金メダリストのシャルーナス・マルチルリョーニスが好例。
  11. あんまり知られていないが、人口に占める金髪率第一位
  12. エストニアもそうだけど、超絶的に美人が多い。
    • 北京オリンピックのリトアニア応援団。ショッピングモールで遭遇した時、全員モデル並の美人だった。金(銀)髪碧眼小顔長身脚長。リトアニアの男がうらやましい。
      • モデル並の美人というか、あれはモデルとして選抜されたお姉さん方なわけで・・・
    • Euro Danceのおねぇちゃんたちも確かリトアニア。
    • バルト三国行ってきたけど確かに美人は多かった かわいい系じゃなくて美人系
  13. TO LOVEると関係ない。
    • リトアニア=TO LOVEると連想するのがTO LOVEるファン。
    • この国はTO LOVEるのような女の子がいっぱい。
  14. ニダという地名があるが、某半島とは関係ない。
    • 世界遺産クルシュー砂州上にある町として有名ニダ。
  15. ヤギの美人コンテストが開催されたらしい。[1]
  16. 最盛期にはウクライナもベラルーシも支配して領土は黒海まで達し、ロシアをも脅かす大国だった。
  17. 大公国時代の公用語はリトアニア語ではなくルテニア語、のちにはポーランド語だった。
    • ルテニア語は現在のベラルーシ語のご先祖様。リトアニア大公国は現在のリトアニアの領域とは必ずしも一致せず、リトアニア東部とベラルーシ北西部のあたりが元々の版図である。
      • そのため、ベラルーシではリトアニア大公国は「ベラルーシ人の国」とされているらしい。
  18. かつて、この国の大統領が、「共産党政権はナチス同様多くの人々を殺害した」と言って、共産党のシンボルマーク(赤い星&鎌と鎚)を廃止すべきと言ったが、ロシアイタリアの圧力によって頓挫した事がある。
  19. リトアニア語への愛が半端ではない。
    • 最も美しいリトアニア語名企業や最も正確なリトアニア語で書かれた本のコンクールが毎年行われている。
  20. 国家回復記念日(2/16)と独立回復記念日(3/11)がそれぞれ別個の祝日になっている。
    • 前者はロシア帝国からの独立記念日で後者はソ連からの再独立記念日。
  21. 中世からイスラム教徒(タタール人)が住んでいるのでイスラム教も伝統宗教として認められている。
  22. 明治時代にチュルリョーニスという作曲家兼画家がいたが早世してしまったためそこまで知名度は高くない。
    • 長生きしていればとんでもない世界的な芸術家になっていたのは必至だった。
  23. ヨーロッパで最後にキリスト教を受容した国らしい。
    • 日本の南北朝末期にあたる1387年。
    • なおキリスト教以前の多神教がどのようなものだったかはあまり資料が残っていない。
      • とりあえずミツバチの守護神という世界的にも珍しい神様がいたことは分かっている。
  24. とにかく音楽好き。
    • 4年に1度行われる「歌と踊りの祭典」は国民的な大イベントになっている。
    • ソ連からの独立を求めるデモにも歌がつきものだった。
    • リトアニア人が団体でバスに乗っているといつの間にか大合唱が起きるらしい。
    • ソ連時代からジャズも盛んだった。
  25. 大量の十字架が立てられた丘が観光名所。
    • ソ連時代にはブルドーザーで撤去した翌日に前日の撤去分以上の数の十字架が置かれていたという伝説もある。
  26. ジャガイモのない料理など考えられない。
    • 各家庭には必ず電動ジャガイモおろし機がある。
    • ジャガイモを使ったツェペリナイという団子だけでなくピンク色の冷製ボルシチも名物。