ざんねんなゲームハード事典

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任天堂[編集 | ソースを編集]

ディスクシステム[編集 | ソースを編集]

  1. ROMカセットに限界が生じていたため、それよりも大容量化・低価格化を図るために鳴り物入りで登場したが・・・。
    • 登場時のCMには、あの所ジョージを起用したが・・・。
  2. 発売直後にはROMカセットが大容量化し始めていた。それに加えて耐久性に難もあり、存在の意義が薄れた。
    • それどころか、カセットそのものが進化してしまい、ついにはセーブ機能もついたカセットまでも現れる始末でディスクシステムそのものの立場がなくなってしまった。
  3. それ以来、任天堂はNINTENDO64までROMカセットに固執し続けた。
    • ロード時間を気にしての選択だったけど、それが容量面で足を引っ張りまくったのは事実。GCもロードタイムを気にしてあの小径ディスクの採用になった。
    • その64も64DDという似たようなシステムを発売したが、結果は言うまでもない。
    • 実際にはコストや強度的な問題もある。任天堂は伝統的に据え置き25,000円というのを一つの基準としてきたが、家電屋のソニーですらPS1の初期価格は39,800円で、いうまでもなくドライブが価格に占める割合は結構大きい(しかも初期型はあの故障率)。むしろソニーだからCD-ROMが上手くいったのであって、カセットだから失敗したと見ないほうがいい。
    • 結局、フラッシュメモリがBD-ROM並の大容量化したことと&低価格化により、Nintendo SwitchでまたROMカセット(ゲームカード)に回帰することに。
  4. サードパーティーも利益率の低さや著作権の問題から非協力的なところもあった。

ゲームボーイ[編集 | ソースを編集]

  1. 1989年に発売され、2019年で発売30周年を迎える携帯型ゲーム機。
  2. 単3アルカリ電池を4本も使用しながら、わずか数時間しか稼働しない、残念な性能であった。
    • 単3アルカリ4本で公称35時間のどこがざんねんなんだ?(ポケットの単4を2本で8時間は確かに交換ペースがしんどいけど。)
      • あくまで「公称」(自称)であって、実際のところはもって5~6時間もなかったような…?(気のせいかもしれないし、実機がないので検証のしようもないが)
        • 完全に気のせい。マンガン使っても10時間以上は確実に持つ。しかも公称値は連続使用時なので休みながらならもう少し伸びる。
      • 発売から10年~20年以上たち、本体の経年劣化で燃費が悪くなるなら、まだわかる。
  3. ドット欠けが激しく、ゲームによっては到底まともにプレイできない代物まであった。
    • 1998年に発売された、後発のゲームボーイカラーでは単3電池アルカリ電池2本で約20時間も稼働するうえ、ドット欠けもほとんど見らればくなるなど大幅に性能が向上した。
    • どうやらドット抜けは液晶本体ではなく、液晶と基板をつなぐケーブルの劣化が原因な模様。
  4. 任天堂の名誉のためにいえば、2002年3月末までに世界で1億台以上出荷され、販売台数は世界一のようなので、売上は決して残念といいきれない。
    • 初期はテトリス、白黒ゲームボーイ末期にはポケモンという超キラーソフトが出たからねえ。

バーチャルボーイ[編集 | ソースを編集]

  1. 任天堂の初期のVRゲーム。商品に対する制作側とユーザーの思惑が噛み合わず、黒字ではあるが失敗扱いとなる。
    • そもそも任天堂自体も64の立ち上げで忙しく、バーチャルボーイをどうするつもりなのかブレていた。
    • 正確に言えば、発売後すぐに商業的に失敗したことが判ったので、赤字になる前に早期撤退した。
  2. プレイ中の画面を見られるのはプレイヤーのみで完全にパーソナルだったのも普及を妨げたとされる。
    • 同時期に大ヒットした初代ポケモンがコミュニケーション性の強い内容と言うのは皮肉である。
    • せめてテレビで映像を出力できれば、もう少し売れたかもしれない。
      • 3D表示特化なので出力は無理だろうね…。
  3. 何をまちがえたのか赤一色というのはちょっと。
    • 暗闇に赤い光でしか表現できないため、黒い空に赤い水とかどんな場面を描こうが表現に制約が出る。色のせいで想像でも補えないのでまず地味とか不気味な印象を受ける。
    • 技術的にこれ以外の選択肢がなかったのだ。視認性、消費電力など、当時の現実的な範囲でVRをやるには赤黒が最適解で、これ自体は物凄くよく考えられている。マーケット的には・・・うん。
  4. 見た目的に携帯出来そうなのだが、重量等考えると携帯するのは無理だったりする。
  5. 3DSにベタ移植&リメイクできれば…と思ったのは自分だけではあるまい。
  6. 何度失敗しても懲りない「任天堂の3D」「セガのネットワーク接続」。3DSも立体視の反応がイマイチで結局2DSが出たし。
  7. 発売ソフトも、初期のファミコンに+αしたような単調な内容のものしかない。
    • レッドアラームやワリオランドはなかなかだけど、同時期の他ハード用ソフトと比べると小粒感が否めない。

サテラビュー[編集 | ソースを編集]

  1. 衛星データ通信を利用し、空からゲームが降ってくると言う触れ込みのSFCの周辺機器。様々な要因で普及に至らなかった。
    • そもそもBS自体があまり普及してなかったのが最大の原因。
    • BSが受信できれば通信料も利用料もなく完全無料でゲームが遊べる。が、すでに他社の次世代機が出ていたためSFCの製品寿命からすれば遅く、普及していないBS利用という通信インフラ面では早すぎた。
    • 半年は通販限定で店頭販売なし。購入前の段階ですでにハードルが高い。
  2. サービス中に発売されたスーパーファミコンジュニアには拡張端子無し。この時点で任天堂に見捨てられていた。
    • 海外先行の新型SNESがベースなので、端子切り捨てはコスト面からも避けられなかった。
    • 立ち上げに失敗したため、放送番組(配信ソフト)の削減という方法で1996年度からすでに見切られていた。

NINTENDO64[編集 | ソースを編集]

  1. 発売時期が悪すぎて、売上的にもPSに負けてしまった。
  2. 横スクロールアクションゲームがあまり無かった印象。
  3. 一方、海外ではPSを凌ぐほどの大ヒットを記録した模様。
  4. コントローラーはかなり複雑な構造だった。
  5. コントローラー中央にあるスティックの耐久性に難があり、激しく回転させるとたちまち摩耗してしまう。
  6. ドンキーコング64などはハード本体のメモリ増設(メモリー拡張パックを装着)しないと起動できなかった。
    • 「はがさないでください」
  7. VRSユニットという音声認識システムが周辺機器で発売されたがVRS対応ソフトは「ピカチュウげんきでちゅう」と「電車でGO!64」の2本しかなかった。
    • 発売初期は音声認識をゲームの操作に使うという画期的な機器だったが限られた単語しか認識することが出来ないという欠点を抱えていた。

ゲームボーイライト[編集 | ソースを編集]

  1. ゲームボーイポケットにバックライトが付いただけでなく、単3電池になったことで動作時間が伸びたのだが…。
  2. 半年後にゲームボーイカラーが発売されたためにそっちに話題を奪われてしまい、存在感が薄い。

64DD[編集 | ソースを編集]

  1. 64の周辺機器。しかし、64のメインユーザーを顧みない販売形態により全く売れず短命に終わった。
    • ランドネット稼働中に発売されたピカチュウ64は物理的に64DDが接続出来ないなど、開発サイドの広報活動も元々積極的でない。
    • ディスクシステムのように店頭での書き換えサービスも検討されていたが、実現しなかった。

モバイルアダプタGB[編集 | ソースを編集]

  1. GBとGBAの周辺機器。当時の子供に携帯があまり普及していなかったり、通信費が高い印象が強かったことからポケモンの力をもってしても普及には至らなかった。
    • そもそもポケモンクリスタルはカラー専用ゲームで遊べる環境が限られる上に、金銀本体は無関係だったし…。

ゲームボーイアドバンス[編集 | ソースを編集]

  1. GB、GBCの後継機。
  2. 性能面でSFCを上回るのと、「A・Bボタン」「セレクト・スタートボタン」に加え、「L・Rボタン」が追加されたのはいいが、「X・Yボタン」が追加されなかったので、SFCのゲームが完全移植できなかった。
    • 「X・Yボタン」が追加されたのはNDSになってから。
    • 音楽面ではSFC以下といえる環境(スーファミはPCM8音、GBAはPCM2音)だったので、原作を知っていると違和感ありまくりな移植になりがちだった。

ゲームキューブ[編集 | ソースを編集]

  1. PS2に発売日で大きく遅れをとってしまったことで失敗に繋がった。
    • ミリオンを達成したのはスマブラDXだけで、それ以外は皆ギリギリのところでミリオンに届かなかった。
  2. PS2よりもゲームキューブの方が性能が高かったが、DVDを再生することができない事に売上に影響が出ていた。
    • 海外では売上ではXboxにも負けてしまった。
    • せめてDVD再生機能さえあれば、少しは売れたかもしれない。
    • その後松下電器からPS2みたいにDVDも再生できる、ゲームキューブの融合機「Q」が発売されたものの、結果はもはや言うまでもない。
  3. ソフトも当初GCでのみ発売を予定していたものが、PS2でも出すことに変更したり、末期ではGCでのリリースを取りやめるタイトルも存在していた。
  4. すごい酷い言い方をするとコントローラー「だけ」は大人気。100%スマブラのせいだけど。
    • 3世代先のSwitchでスマブラSPが出るのに合わせ再販したレベル、金型まだ残してるのか…。
  5. ハイスペックな機種である64とゲームキューブの失敗の影響で、任天堂は完全にファミリー向けに向かい技術開発競争から降りてしまったのは非常にざんねん。ゲームキューブが売れていてハイエンド路線を続けていれば今ごろはソニーのXperia playみたいなスマホの任天堂版を作って大ヒットさせていたかも。
    • 2つが失敗したからというのもなくはないけど、そもそも高性能・高価格路線は任天堂の社風にあってない。「同じ土俵で消耗するな」は組長時代からの基本路線で、どっちかというと64が異端児。(GCは高性能だが、重視したのは使いやすさで最高性能ではないので実はちょっと違う)

ポケモンミニ[編集 | ソースを編集]

  1. その名の通り、ソフト交換式のポケモン専用携帯ゲームハード。通信機能も備えている。
  2. 小さく解像度も低いモノクロ2階調のディスプレイ。すでにGBAが出てる時期にこの画面では…。

ゲームボーイミクロ[編集 | ソースを編集]

  1. 小さい所以外は特に長所もなかった。初代GB互換機能もスペースの問題で無くなった。
  2. いくら小型とはいえ、なぜDS発売後に出した に尽きるかも。初代GBが動けばDSの補完機としての役目はあったのだが。
    • その上、販売価格が本家やSPよりも割高。
      • DSが思った以上に社会現象になってしまい、GBAのフェードアウトは早まった。
  3. ミクロ同梱版が発売されたファイナルファンタジーIV(GBA版)がバグの嵐だった。
  4. GBAで最後に発売されたFF5・FF6のCMでもDSが使われる有様。まあDS版FF3発売後だしね…。
  5. フェイスプレートをさまざまなバリエーションからとりかえておしゃれにできるのが売りだったが、結局発売中止になり一般発売はされず非売品の景品がいくつか配布されただけだった。

ニンテンドーDS[編集 | ソースを編集]

  1. 通常画面とタッチスクリーンの2画面があるという画期的なデザインだった。しかし…。
  2. 誰が何の意図で制作したか不明なゲームが目立った。例えば
    1. 阪神タイガースのクイズゲーム(大阪限定発売)
    2. 男のモテ戦略シミュレーションゲーム
    3. 般若心経を読むだけのソフト
    • ゲームカタログWikiでクソゲーの評価を受けていたり、チートバグ動画に使われたりしている。
    • これらはゲーム以外のアプリとしての活用を想定していたためだとか。
  3. DS Liteは上下画面の接続部が破損しやすい。この結果上画面をうまく立てられなくなったり、下手すると上画面が映らなくなったりする。

ニンテンドーDSi[編集 | ソースを編集]

  1. Wiiより後に発売されたのに何故かバーチャルコンソールに対応しなかった。
  2. なぜかGBAとの互換性が廃止された。

ニンテンドー3DS[編集 | ソースを編集]

  1. 初代3DS。当初は25000円で販売されていたが、経った数ヶ月で15000円まで大幅に値段を下げた結果が売れば売るほど赤字になってしまった。
  2. 3D機能が売りなのに3D機能がいらないと言われてしまう上、スペックの関係で3D機能をカットした大手タイトルも多い。
  3. 発売当初のキラーソフト不足や震災の影響がスタートダッシュに大きく響いた。
  4. バーチャルコンソールでファミコン、ゲームボーイ、ゲームギアのソフトもダウンロードしてプレイできるようになったことで、残念な汚名を少し返上できたかも
    • アンバサダー向けにGBA用のソフトも提供されたのに、バーチャルコンソールでは配信されずじまい。
  5. 高嶋ちさ子が破壊した息子の3DSの写真が新聞に掲載されたことがある。
    • これにより、任天堂のハードは頑丈という定説が崩れることになった。
      • あれは「通常の状態で落とす程度では壊れない」という意味。高嶋ちさ子の場合は非常識な力でわざと叩き壊したから。そういう意味では決して残念とはいえない。

Wii[編集 | ソースを編集]

  1. 発売初期はWiiリモコンストラップがあまりにも細かったため、テレビを壊してしまうこともあった。
    • またWiiリモコンは単三電池を入れて動くのだが蓋がきちんとしまってなかったことから電池が飛び出し、事故やテレビ故障などが起きて結果的にリモコンにジャケットがつくようになった。
  2. 他社がHD対応していく中で任天堂は「時期尚早だから」と見送った。
    • それが裏目に出て末期にはソフト不足に悩まされた。
    • 尤もこれはコストパフォーマンスを重視した結果である。

WiiU[編集 | ソースを編集]

  1. 任天堂初のHD機だが、開発に時間掛かる事もあってかソフト不足となり、全然売れなかった。
    • そもそも、スイッチのような形だったら…。
      • WiiUで本当にやりたかったことが実現したのがSwitchのような気がする。
  2. ただし、スプラトゥーンが大ヒットしたのが一つの救い手だった。
  3. WiiU発売前日に地震と津波が起きてしまったのも残念な所。
    • 前日ではなく前年では?
      • 2012年12月7日に三陸沖で震度5弱の地震がありましたが…。
      • 前年のは3DS。(それも二週間経っているが)
  4. マリオカート8、マリオテニスウルトラスマッシュ、マリオパーティー10、どうぶつの森 amiiboフェスティバルなど、人気シリーズの名を冠しながら低評価のゲームも目立った。
    • 人気ソフトもその多くがswitchへの移植が行われており、wiiUのみでプレイできる名作は少ない。
  5. また、ファイアーエムブレムや星のカービィなどWiiでシリーズ本編が発売されたシリーズでも、WiiUでは発売されず3DSでシリーズ本編が発売された。

Nintendo Switch[編集 | ソースを編集]

  1. ゲーム専用に特化され、WiiUや3DSにあったインターネットブラウザやコミュニケーションツールは存在していない。
    • また、DSiや3DSにあったデジカメソフト(DSiカメラや3DSカメラのようなもの)やメディアプレーヤーソフト(DSiサウンドや3DSサウンドのようなもの)も存在しない。
      • Switchでは、カメラやマイクがないので仕方がない。
  2. 初期モデルは携帯モードでの消費電力が高かった。
  3. WiiUソフトや3DSソフトとの互換性はない(ついでに言うとWiiソフトやDSソフトも)。
    • ただし、一部の人気ソフトに関してはSwitchへの移植がなされている。
  4. 最近では新作ソフトをPS4とSwitchのマルチで発売するメーカーも多いがPS4独占やXboxOneとのマルチに比べてクオリティが落ちやすい為ヘビーゲーマーからは支持されていない。
    • ちなみに携帯モードにした時の性能が大体PS3ぐらいになるらしい。なので開発がしんどい割には売れないPS3の代わりにPS4/Switchで縦マルチというのがやりやすいんだとか。
      • PS4とSwitchは縦マルチではなく、横マルチでは?
    • 開発コストの低さの意味ではインディーズメーカーからは支持されていて、任天堂もインディーズソフトの販売に力を入れている。
      • スマホアプリからの移植作も多数配信されているが、ほとんどが有料でしかダウンロードできない(スマホアプリはほとんどが無料でダウンロードでき、なおかつアイテム課金にしているというのに)。
        • そのうえ、海外製だともはや詐欺同然で極めて低品質なゲームばかりが大量に配信されている。
          • 例:「ニンテンドーeショップの画面写真」で高画質と思わせ、「実際の画面」はPS1以下のクオリティだとか
          • 日本語のタイトルやゲーム内の翻訳が不自然なのとか。あれなら日本語表示などない方がましなレベル。
          • 従来のCEROに代わり、国際年齢評価連合(IARC)のレーティングを採用したのも参入への敷居を低くした要因になっている。
          • バグチェックもろくにできていないのも多い。
          • Google Playで見られるような、ソフトのレビューや、違反を報告するといった基本的なシステムがないので、内容を知らないままダウンロードするのはハズレの多い博打にしかなっていない。
          • 無料でダウンロード可能なフリーゲーム(あるいは基本プレイ無料)なら、どんなに低品質だろうと笑って許せるが、ちょっとでも金がかかるとなるとユーザーにとっては黙ってられない。

スーパーゲームボーイ2[編集 | ソースを編集]

  1. スーパーファミコンに接続すれば、テレビでゲームボーイソフトが遊べるスーパーゲームボーイの続編。1998年1月発売。
  2. しかし、1994年のスーパーゲームボーイから四年たって、通信ケーブルに対応したことしか違いがないのはざんねん。
    • スーパーゲームボーイの擬似彩色機能やフレームは当時白黒だったゲームボーイにとってインパクトのある機能で、テレビでゲームボーイソフトをわざわざ遊ぶ十分な動機付けになっていたが、SGB2はそうしたインパクトのある違いをもたらせなかった。
  3. そもそも当時のテレビはいまと違ってブラウン管でばかでかいので、テレビ2台で通信対戦することは子供同士では考えにくい。
  4. そもそも1996年にニンテンドー64が発売して二年近いのに、今さらスーファミ対応というのも注目されなかった理由。
  5. スーパーゲームボーイは彩色機能が人気だったが、これの発売して数ヶ月あとにゲームボーイカラーが発売されてしまった。
  6. そもそも当時のゲームボーイ自体ハードの寿命サイクルの末期で、ポケモンブームで延命した側面があった。そのためこの機種の開発も96年のポケモンブームの影響が大きいと思われる。ポケモンは通信対戦通信交換が重要なため、どうしても通信ケーブル対応させたいと思ったのだろう。
    • しかし98年8月には64GBパック同梱ポケモンスタジアムが発売され、64で対戦できるようになってしまった。さらにゲームボーイ版ポケモンもポケモンスタジアムと64経由でテレビで遊べるようになり、わずか数ヶ月で存在意義を失うことに。
      • 98年10月にはゲームボーイカラーが発売され、既存のモノクロGB用ソフトも不完全ながら彩色できたため、ポケモン本編などゲームボーイソフトを彩色して遊びたい需要もとられてしまう。
        • さらに99年4月のポケモンスタジアム2では倍速プレイと多様なルールの対戦が実装され、ますますSGB2は意味を失ってしまった。スタジアムやカラーの発売はわかっていただろうに、なぜ数ヶ月前にこれを発売してしまったのか。
  7. それでも当時の子供向け電子機器のトレンドであるスケルトン系のかっこいいデザインは評価が高い。
  8. ゲームボーイカラーをニンテンドー64経由で遊ぶ機械としてポケモン金銀のローンチあたりにあわせて発売すればよかったのではないか。
  9. 実際にゲームボーイカラーとニンテンドー64に対応したスーパーゲームボーイ3が構想されていた。展示会での発表までいったものの発売中止に。スーパーゲームボーイ2の失敗の影響であればざんねん。
    • ちなみに前述の64ポケモンスタジアムのGBエミュレーション技術には、没になったスーパーゲームボーイ3のBIOS流用されているというウワサもある。
  10. 当時はまだ海外市場進出が難しい時代で、初代スーパーゲームボーイは海外で発売したがスーパーゲームボーイ2は海外で発売できなかった。

セガ[編集 | ソースを編集]

ゲームギア[編集 | ソースを編集]

  1. カラーなのはすごい、マスターシステム並の性能というのもすごい、ただし燃費がざんねんにも程がある。
    • 単3アルカリを6本もつかって3時間である。ゲームボーイが4本で35時間というのを考えると本当に悪燃費すぎる。なもんで皆AC-DCアタプタを使っていた、携帯機ってなんだっけ…。
      • ゲームボーイの設計者である横井氏はこのことを非常に気にしていて「他社がカラーにしたらうちの勝ち」とコメントしていた。実際その通りだったのだが。
  2. 発売初期はゲームボーイを皮肉ったCMを放映していたが、それが裏目に出てしまった。
  3. 末期はキッズギアとして子供向け路線に刷新したが、直後にポケモンブームでゲームボーイが売り上げを伸ばしたため、大打撃を被る。
    • 以降のソフトはキャラゲー、ペット育成ゲーム、既存ゲームの外伝作と訴求力に欠けた。しかもサードソフトはタイトーのパズルボブルだけ。

スーパー32X[編集 | ソースを編集]

  1. これをざんねんと言わずに何がざんねんの項目だろうか、というレベルでざんねん過ぎたメガドラの拡張ユニット。
  2. サターンへのつなぎとして出たが、CPUがサターンのチップなので、こっちを作るとサターンが作れなくなるという本末転倒っぷり。
  3. メガドラタワーの存在感はすごかった(ただしAC-DCアタプタを3個使うというざんねんっぷり)。

セガサターン[編集 | ソースを編集]

  1. メガドラの時は互角の戦いをしてたはずが、この世代になって一気に急降下したセガの汚点。
    • 主にアメリカでドル箱タイトルだったソニックの正当な続編を作らなかったのも敗因のひとつ。そのせいでアメリカ市場では惨敗。
      • 代わりにヨーロッパ受けを意識してNiGHTSを作ったらしい。
  2. 3D描写をするのにかなり独特のプログラミングが必要で、その分3Dが作りやすいPSに流れたというのがある。時代はまだ2Dと読んでいたんだろうけど。
  3. アーキタイプがかなり複雑で、コストダウンしづらいというのも問題点だった。今でもエミュレーションが難しく、あのM2ですらエミュレーション出来ていない。
    • XBOX360のレイディアントシルバーガンは「再現は無理だったので新作レベルで作り直した」というレベル。
  4. アーケード用のST-Vはほぼ同じ構成で、某プリクラの中も動いていたため、実は一番人が触ったセガハードという説があったりする。
  5. PCの×××なゲームからの移植作も多数発売したおかげで、ますます印象を落とした感が否めない(それでもPCに比べかなり抑えてはいるが)
    • かつてのVHSのように×××に肯定的であれば成功する法則は通じなかった。
  6. ナムコ製のセガサターン用ソフトが発売されなかったのが要因の一つ。

ドリームキャスト[編集 | ソースを編集]

  1. グラフィックスチップの開発が予定よりも遅れた事やFF7のようなキラーソフト不足などもあり、売上的にもPSや64に負けてしまった。
    • これが原因でセガが家庭用ゲームの製造から撤退した要因になったとか。
  2. サターンのコントローラーのボタンが標準で「ABCXYZ」+「LR」の6+2ボタンだったのに、ドリームキャストで「ABXY」の4ボタン+「LR」の4ボタン2トリガーに減らしたせいで操作の自由度が激減し、ソフトの開発も思うようにいかなかったせいでPS/PS2にも負けてしまった。
    • せめて「ABCXYZ」の6ボタンにさえすれば少しは売れたかもしれない。
    • 「C・Z」の2ボタンが減ったことで、サターンの「ABCXYZ+LR」のボタンを全部使うソフトの操作を完全に再現できず、機能の一部を削らざるを得ないソフトもあった。
    • 初期型のコントローラーではLRトリガーの耐久性に難があり、何度も連打を繰り返すとたちまち内部の支えが折れてしまうことも。
  3. インターネット接続と対戦プレイを売りとしていたが、当時はまだ常時接続が普及していなかった(せいぜいテレホーダイしかなかった)ので、時代を先取りしすぎたのは否めない。
    • その後ブロードバンドアタプタで常時接続にも対応したが、それ以前のゲームではモデムでしか通信出来ないので結局電話代に怯える日々。ブロバン登場後だったが「auの専用回線」を利用する連ジはブロードバンドアタプタ経由での通信対戦が出来なかった。
  4. ゲームソフトのメディアとして採用されたGD-ROMにしても、対応するドライブも登場せず、DVDに押されてしまう結果に。
    • アーケードゲーム基板のNAOMIとの互換性が高いとはいえ、移植されずじまいなのが多い。
      • そのNAOMIを延命させるためにドリキャスを解体して部品取りに使うしか無いので、残存数自体も少なくなっている。
  5. ビジュアルメモリ推しとネット接続推しは時代の最先端を行っていた。そもそもセガは昔から洋ゲーが多くセガハードも海外で強かったので、成功していれば史実よりも早くJRPGやノンゲームの流行が終演し、オープンワールドやハイエンドなゲームが日本メーカーからどんどん作られていただろう。

SIE[編集 | ソースを編集]

PSP[編集 | ソースを編集]

  1. いろいろと機能を詰め込みすぎてコストカットに時間がかかった。
  2. 採用された独自規格はどれも普及せずに終わってしまった。
    • PSP用のメディアとして開発されたユニバーサル・メディア・ディスク(UMD)にしても、対応する機器が登場せずじまいになった。
      • UMDの容量は最大で約1.8GBで、当時の水準では1GBオーバーでも大容量といえた部類ではあったが、後に発売されたSDHCメモリーカードが4GB→8GB→16GB→32GBと、だんだん大容量化&低価格化したおかげで、次第にUMDの優位性が失われるようになった。
      • メモリースティックPro Duoも完全にPSP用と化していた。
  3. 販売台数を見るとざんねんとまでは行かない気がする。まあMHP2Gのおかげという感じもするが。
    • ただしスタートダッシュは超がつくほど残念。設計で無理しすぎてボタンが戻らないといったハードウェアの問題を始め、任天堂などもはや敵ではないと油断していたらいきなりDSが出てきてPSP発表会の開始が遅れた空白の17分間など、あらゆる面で京都流と対極にあるダメっぷりだった。
  4. UMDが射出されるというデマをネットで流布されていた。
  5. 自分の考えたハード設計を著名な建築家のデザインにたとえるなど、当時の久多良木社長の強気で詩的な発言が叩かれていた。
    • しかし、当時の久多良木社長の誇大とも思えた構想は、むしろシンギュラリタリアンとして時代を先取りしていたとも言える。最近のAI技術やVR技術の進歩、実写と見分けのつかないグラフィックをみていれば、むしろ久多良木社長の世界観に頑張ってついていったほうが、海外の大手メーカーとも技術で張り合える、世界レベルの技術力を持つことができたのかもしれない。
      • じゃあどうしてそうならなかったかと言うと、無駄に頑張らなきゃいけなかったからだよ。あの時必要だったのは尖ったハードじゃなくて優秀なエンジンを動かせる癖のないハードであって、ソフト開発に負担かけるやり方が結果として海外の大型タイトルに太刀打ちできんという状況を招いた側面は否定できない。それはPS4が癖のないハードになったことを見ても明らかだと思う。

PSP Go[編集 | ソースを編集]

  1. ダウンロード販売のみというのが時代が早すぎた、とにかく早すぎた。
  2. 最大のネック「だってソフトの貸し借り出来ないじゃん」。
    • =パッケージ(UMD)と違って、中古の転売もできない。
    • ダウンロード販売のサービスを終了したら二度と購入できなくなる。
      • 実際、PSP用ソフトのダウンロード販売を提供していた「PlayStation Store」が2016年3月31日でサービスを終了した。
      • まあ、これはPSP(Go)だけに限らず、ダウンロード販売のゲーム全てに該当するので、PSP(Go)だけの非とはいえないが。
        • 実は認証の関係でPSPからStoreで購入出来ないだけで、PCかPS3/4でPSNにログインして購入、その後PSPでPSNにログインすればダウンロード自体は可能。2018年にダラバーのPSP版をDLで買った私がいる。
  3. UMDが使えないのでPSPで持ってたソフトすら買い直す必要があったのも…。
    • 一応UMD Passportというシステムで値引き販売は出来たが。
    • UMDからデータを吸い出し、プレイできるようにする案も考案されていたようだが、海賊盤が作られる懸念から対応が見送られた。
  4. 本体には一応ソフトを保存する領域として、16GBのフラッシュメモリも内蔵されていたが、大容量のゲームをダウンロードするのには向いていない。
    • ゲームによっては数十MB~数百MB程度のもあったりするので、その分大きく変動もするが。
    • 専用のメモリースティックマイクロ(M2)も、最大容量が16GBまでしか出なかったので、どんなに頑張っても32GB分しかデータを入れられない。
  5. CFWが使えない、と某アングラゲーム誌で散々叩かれていたがそりゃまぁ…ね。
    • 実際にはもうPSP goでのCFW導入技術は確立されている。
  6. 但し、単純な画質はPSPシリーズで一番良い。一時中断の機能があるのもgoだけ。また、本体が小型なので可搬性は高い。

PlayStation Vita(PCH-1000の3Gモデル)[編集 | ソースを編集]

  1. 本体だけで通信可能にする…というのは意欲的だったが、わざわざVitaのためだけに1回線用意するというのは流石に。
    • 国によって3Gを提供する事業者が異なり、日本ではドコモ1社のみで独占したせいで、他の選択肢がなかった。
    • 一応他のSIMカードでもネット接続は可能。docomo側のサービス終了後も、プリペイドSIMなどに差し替えれば問題ない。
    • 3Gモデルだと「3Gの契約が必須」という誤解を招いたのも売れなかった原因かもしれない。
      • 3Gの契約は強制ではなく、任意(契約しなければWi-Fiのみ使用可能)だという、の周知が全然できてなかったのもあるかも。
  2. マイチェン後のPCH-2000に3Gモデルが出なかったというのもあり、実は5年に渡って販売されていたというのが驚き。
    • もっとも、その3Gも2020年代頃から順次廃止されるみたいなので、今さら3Gに対応したところで後の祭りではあるが。
    • だからといって、4Gや5Gに対応させようとしたところで、売れるとは限らない。
      • 当時は既にスマートフォンの普及も始まっていた時期だし、2000系になった辺りでは更に通信速度が上がった4G回線も普及済みだったので、単にWi-fiモデル買ってテザリングでOKとなったのも、2000系SIMモデルの開発をためらった原因でもある。
  3. あまりにも売れなかったみたいで、2年後にやっとソニー直販で初回限定版がなくなったなんて話もある。
  4. PSPの解像度が480×272ピクセルであったのに対し、PSVitaは倍の960×544ピクセルとはいうが、並のスマホでも1280×720ピクセル以上も当たり前になりつつあるので、解像度においてもスマホに押されつつある。
    • まあ当時のスマフォは800×480ピクセル(ギャラクシーS2)だったので、メリットはあったのだが。
  5. 解像度と画面の大きさは当時のスマフォにたいして優位だったので、当時オワコンになりつつあった3Gじゃなく4Gに対応して、ローンチ時からしっかり内蔵アプリが動くようにしていればよかったかもしれない。
  6. スマホでやれることをスマホが普及しきる前にほぼvitaでできるように考えていたにも関わらず、ローンチから構想していたアプリが実際に揃うまで数ヶ月のタイムラグがあったこと、4Gではなく3Gで対応してしまったことで、スマホが先に普及し尽くしてしまった。

PlayStation 4[編集 | ソースを編集]

  1. ウクライナのマイニング工場が摘発された時に暗号通貨マイニングとして使われていた

PlayStation 5[編集 | ソースを編集]

  1. ガワが蓮舫
    • 実はSeriesXよりデカい、更に電力消費もSeriesXより高い
    • 性能もSeriesX以下。デザインありきで設計したので仕方ないね
  2. 当初はAMDの最新APUであるRDNA2を搭載していると豪語したが、いざ発売されて分解したらRDNAのカスタム品だった。公式もこっそりRDNAに修正。
  3. 魔法のSSDもウリの一つとしていたが分解して増設SSDにロード時間で負ける。ご丁寧に基板に直付けされているので外せない。
  4. 転売ヤーのおもちゃにされ、ハードの売上に対してソフトの売上の比率が他ハード(特にSwitch)と合っていないと馬鹿にされる。
  5. がんばって開発したAAAより基本無料の原神の方が売れていてデカいスマホと馬鹿にされる。
  6. 売れているアピールをしているがなぜかPCに逃げ道を作っている。そこ(PC/Windows)はMSの領域(ハード)ですよ。
  7. 縦置きを2年くらいするとCPUに塗布していた液体金属が漏れて故障する噂が出回る。実際にそれで故障した人がいて無償修理になった。現時点でこの不具合は認めていない。
  8. 「よーし売ってくぞー」というタイミングで世界的な半導体不足をモロに被って弾がなかったのは不運であるが・・・ドリキャスと違って計算を間違ったわけではないだけに。
    • 半導体不足は2022年後半あたりから解消されはじめてた。
  9. 暗号通貨マイニングに使われていたというのはフェイクということになっているが、ウクライナのマイニング工場でPS4を使っていたのを考えると小規模なところで使っていたのではと疑われる
  10. PSは型番変更(スリム化)で値下げしてシェアを伸ばしていくのが勝利の方程式で、それを30年近くやっていたがインフレの波を受けて遂に型番変更で周辺機器も含め値上げすることに。
    • 最新の周辺機器はいつでもどこでも持ち運べるSwitch、ネットがつながっていればスマホやテレビでもできるXCloudの後追いでリモート専用機器として発表したが、Wi-Fi専用機でPS5が必要だったので失笑を買う
    • スリムになったPS5はドライブ着脱型にしたが取り付けと取り外しの際にネット接続が必要
  11. インソムニアックのハッキング騒動で実際の販売台数が出ているが調べてはいけない。
  12. SIEがアメリカ主導になったため決定が×になった

マイクロソフト[編集 | ソースを編集]

Xbox[編集 | ソースを編集]

  1. マイクロソフト初のハードだが日本国内では殆ど売れなかった。
  2. 更に電源コード発火事件まで起こってしまった。

Xbox360[編集 | ソースを編集]

  1. 技術的問題のせいで「マジかよ糞箱売ってくる」等と言われてしまった。
  2. 相変わらず日本国内では殆ど売れなかった。
  3. 一応STGファンには愛好家が多い、あとチャロンのプレイヤー。
    • 初期のニコニコ動画利用者にはアイドルマスターのイメージしかない。
  4. 登場初期のRRoDがかなり問題になった。

Xbox One[編集 | ソースを編集]

  1. 出てるの?ってぐらい地味。
    • 世界的には別に売れていないわけではない。日本国内の台数はプレイディア以下というひどい有様だが。
  2. 一応360用のゲームをレトロフィットさせたりと努力はしてる、問題なのはOne専用のゲームが少なすぎる事か…。
  3. Oneになって、ようやくブルーレイディスクも再生できるようになったが、先代のライバルPS3ですでに実現させているので、何を今さらな感が否めないのが残念。

バンダイ[編集 | ソースを編集]

初代たまごっち[編集 | ソースを編集]

  1. 生産が追いつかず、 急いで大量生産したころにはブームが去っていて、結果的に六十億の赤字になってしまった。
    • これが原因でバンダイとナムコと合併する遠因になったとか。
  2. この教訓から第2期以後、バンダイはブームに慎重な姿勢を見せるようになった。

ピピンアットマーク(pippin@)[編集 | ソースを編集]

  1. バンダイがアップルコンピュータと組んで発売したものの、PS・SS・64の三つ巴には全く太刀打ちできず。
    • インターネットに接続できるという点も、時代を先取りしすぎだった…。
      • 発売当時はADSLどころか、常時接続すら地方に提供されなかったせいで売れなかったらしい。
  2. 現在では両社にとって黒歴史となっている模様。
    • あと49,800はやっぱり高い。ゲーム機なのか?映像端末なのか?マルチメディア端末は高価な割に何ができるかイマイチ分からないという問題をどこも抱えている。
    • NHKの「これが我が社の黒歴史」という番組の第一弾でも特集されたほど。どうやら公認の黒歴史っぽい。但し、この時の技術でiモードでの成功があったので、完全に無駄な投資ではなかった。

アタリ[編集 | ソースを編集]

Atari 2600[編集 | ソースを編集]

  1. カートリッジ方式を採用した当時としては革新的なゲーム機だったがソフトの粗製乱造などが原因でゲーム機市場そのものを崩壊させてしまった。
    • サードパーティーの中には制作能力が怪しい素人レベルのところもあった。
      • サードパーティーとして参入した会社にはシリアル作っている会社やペットフード作っている会社などもあった。当然ゲームの質はお察しであるが、宣伝力は高かったので被害を受けた人も多かったようだ。
  2. 日本ではAtari 2800として発売されたが、直後にファミコンが出たこともあってアタらなかった。
    • ファミコンより高い価格設定がまずかった。あと、日本向けのタイトルにも恵まれなかった。
  3. 2014年、同機向けソフトで伝説のクソゲー『E.T.』がニューメキシコ州の砂漠にある埋立地から発掘されたことで、時を経て話題になる。
    • 以前から、大量に売れ残ったカートリッジを埋立地に廃棄しているという都市伝説がささやかれていたのが、発掘調査をしてみたら現実にあったという話。
      • 日本では「権利関係で出せなくなったメガドライブ版『テトリス』が夢の島に…」という話に転じたのは有名。
  4. 80年代初頭から発売されたコモドール64などのホームコンピューターはVCSよりも性能が良く、パソコンよりも安価で、なおかつワープロや会計などのゲーム以外の要素にも活用できることから、これらのホームコンピューターにシェアを切り崩されたこともアタリショックの遠因とされている。
  5. 発売されたのが1977年、いわゆるアタリショックが1983年だから製品寿命としてはそんなに悪いわけではない。問題なのは業界を巻き添えにして一気に縮小したという点である。

Atari Lynx[編集 | ソースを編集]

  1. 4,096色カラー液晶に、スプライトの拡大縮小回転のハードウェア処理、通信ケーブルを用いた8人同時参加プレーなど、当時の携帯ゲーム機としては驚異的な性能を持っていた。
    • しかし、その驚異的な性能ゆえに駆動時間が短く、大きさや重さも携帯ゲーム機史上最大となってしまい、更にキラーソフトにも恵まれず、あまり売れなかった。

Atari Jaguar[編集 | ソースを編集]

  1. アタリ社が再起を賭けて発売した第5世代ハード。64ビットシステムマシンを導入し、64ビット級のグラフィックを謳い発売された。
    • だが肝心のソフトは64ビットには程遠いグラフィック。システムを生かした良作もあるにはあったが、それ以上にクソゲーも多かった。
      • ニコ動的には「どこで操縦を学んだのですか?」と言ってくる緑の顔の女性が出てくる「Cybermorph」が有名だろうか。
  2. その結果全世界でおよそ25万台(日本国内ではおよそ3000台)という大惨敗を喫した。ちなみに全世界で3番目に売れていないゲーム機である。
  3. なお、全く売れていないのにも関わらずJaguar CDという後付けのCD-ROMも販売された。

NEC[編集 | ソースを編集]

PCエンジンGT[編集 | ソースを編集]

  1. PCエンジンの携帯機版。本家と同じくカードのソフトで遊べることを売りにしていたが、価格設定は割高で消費電力も大きく、コストパフォーマンスが悪すぎた。

PCエンジンスーパーグラフィックス[編集 | ソースを編集]

  1. PCエンジンの上位互換機であるが、価格が高かった上、対応するソフトもごく僅かにとどまった。
    • 「大魔界村」「ストライダー飛竜」のPCE移植が難航したので本体を強化しちゃえという発想で生まれたが、移植を待っていた既存ユーザーはメガドライブ買った方がいいという本末転倒な結果に。
  2. 形状の都合上、CD-ROM2が接続できず、わざわざ専用のロムロムアダプタを発売する羽目に。
    • この反省からか、スーパーCD-ROM2は直接接続できるようになった。しかし…(以下後述)。

PCエンジンLT[編集 | ソースを編集]

  1. 4型液晶ディスプレイ・テレビチューナー標準装備という(1991年当時)非常に贅沢な作りだったために値段が10万弱にまで跳ね上がり、バブル崩壊も相まってあまり売れず現在では希少品に。
  2. 形状の都合上、スーパーCD-ROM2が接続できず、わざわざ専用のスーパーロムロムアダプタを発売する羽目に。
    • なお、旧タイプのCD-ROM2は直接接続できる。

PC-FX[編集 | ソースを編集]

  1. 第5世代だが3D描写不能という、ざんねんな設計が仇となる。
    • それ故にラインナップもギャルゲーばかりに。

その他メーカー[編集 | ソースを編集]

ツインファミコン[編集 | ソースを編集]

  1. シャープがファミコンとディスクシステムを融合した機種だが、ファミコンとディスクシステムを買うより割高だった。
    • ファミコンにはないビデオ出力、本体・電源の統合、ディスクシステムの電池切れエラー解消など利点も多く、ソフトや拡張機器の互換性も保っている。上位機種と見ればざんねん感はないような…。

3DO[編集 | ソースを編集]

  1. いわゆる第5世代の先頭に立つハードとしてパナソニックなどから発売されたが、開発元の意向で情報家電として扱われた為販路が限られ、値段も高価だったため後発組のPSやSSなどに押され玉砕した。
  2. 『ザ☆ドラえもんズ』は本機で発売された『友情伝説ザ☆ドラえもんズ』が初出。
    • 漫画版第1話で3DOをモチーフにしたゲームハードが「滅多に見れない伝説の機種」という扱いで登場したが、別な意味でその通りになってしまった。
  3. 『ストリートファイターII』シリーズ集大成にして最終作『スーパーストリートファイターII X』も発売された。当時この移植版をプレイ出来たのは本機だけであることも忘れてはいけない(たが、後に97年発売のSS版・PS版『ストリートファイターコレクション』に(アーケード版完全移植で)収録された)。

NEO-GEO CD[編集 | ソースを編集]

  1. 通常に比べて安いソフトだが、等速のため読み込みに時間かかかる。
    • このロードというのが毎回30秒から1分が当たり前、中には3分以上かかるという代物で、さらにロード時間に猿がお手玉をするという演出がますますユーザーを苛つかせた(さすがに猿のお手玉は初期に出たソフトのみで、それ以降のソフトはゲームキャラのデモになっているが)。
      • ネオジオCDのデータはROM版と同様にデータ未圧縮にしている。これもロード時間が長くなったことの一因である。
    • 後継機種のNEO-GEO CD-Zでは2倍速ドライブを搭載している…が、ロード時間が若干マシになった程度でなにかあるとすぐロードが発生するという根本的な問題は解決できていない。起動時にROMのデータ全てをハードに読み込ませることでロード時間を大幅に短縮させるという方法は採用しなかったのだろうか(プレステだと日本一ソフトウェアのゲーム等がこれを採用している)。
    • そのため、少しでもロード時間を短縮させようとソフトの中にはROM版よりデータ容量を削減しているものも。つまりネオジオの劣化移植である。
  2. 末期はNGCDのメモリ容量が不足してしまい、ROMは出てるけどCDは出てないというソフトが存在する。

NEOGEO POCKET[編集 | ソースを編集]

  1. SNKのモノクロ携帯ゲーム機。なんといっても発売のわずか1週間前に任天堂がゲームボーイカラーを出すというタイミングの悪さ。
  2. そのせいか、すぐにモノクロ版の発売5ヶ月後にカラー版を出すと発表する羽目になるが、さらにネオポケカラー発売の7ヶ月後には軽量化カラー版を出すなど販売戦略が迷走しまくり、モノクロ版はもちろんカラー版も売上は芳しくなかった。
  3. 携帯機ゆえの宿命なのだが、レバーの操作感は良かったがボタンが2つしか無いなどUI全体があまり格闘ゲームとの相性が良くなく、結果としてソフトのラインナップがテーブルゲームに多く偏ってしまった。
  4. 略称はNGP。しかしソニーのプレイステーションポータブルの次世代機「PlayStation Vita」のコードネームに流用されてしまう。
  5. なお「I'm not BOY. 誰だってBOYを捨てるときがくる。」というあまりに挑戦的なキャッチコピーが有名だが、これはカラー版の発売時の宣伝文句である。
  6. ワンダースワンもそうだがなぜこの時期にモノクロで出したのか理解に苦しむ。当時の子供だったけど今さらモノクロと一笑に付してしまった。
    • スペックはゲームボーイカラーよりよかったようだが、それを気にするようなユーザーはそれこそゲームギアやアタリリンクスがカラーであったことを知っているわけで…。

CD-i[編集 | ソースを編集]

  1. CDの対話的環境の構築を目的としてフィリップ社によって製作されたマルチメディアマシン。ゲーム機能も搭載しており日本国内でも販売された。
  2. しかし国内外で同時期のハードより質が劣る同機はそれらの後塵を拝する結果となり一般市場から撤退した。全世界での販売台数は57万台。
  3. なお、任天堂がスーパーファミコン用CD-ROM周辺機器の開発の際にフィリップ社と提携していた縁からマリオやゼルダのゲーム作品をCD-iで製作することを許可したことがあった。
    • しかしそれらも非常にざんねんな出来となっている。

ルーピー[編集 | ソースを編集]

  1. カシオ計算機から発売していた女子向けのゲーム機だったが、ターゲットが限定されすぎて他のゲーム機の影に隠れる形に。
    • 本体が25000円。ソフトが8000円くらい。高価な電子玩具扱いでゲーム機として扱われているのか微妙な存在でもある。
    • シール印刷機能を本体に内蔵。発売はプリクラとほぼ同時期で時流の先見性はあった…のかもしれない。
  2. ソフトが少ない上にシール作りを主目的としたツールソフトが大半。

ピクノ[編集 | ソースを編集]

  1. コナミのお絵描きゲーム機。単体でテレビにお絵描きができ、ゲームや知育の専用カードソフトも発売された。が、そもそもゲーム機として認知されていない。
  2. 当初は本格的なCGイラストを描きたいけどPCは買えない、という層がメインだった。
  3. セガのピコが受けたため低年齢向けの知育ハードへシフト。セーブカードを別売りにした廉価版のピクノ2も発売したが、ピコのシェアは崩せなかった。
  4. タイトルやデモ画面を除けばプレイ中BGMは一切なく効果音のみ。地味で寂しい。

関連項目[編集 | ソースを編集]