ざんねんな格闘技事典

提供: chakuwiki
移動先: 案内検索

ざんねんなモノ事典 > ざんねんなスポーツ事典 > 格闘技

団体[編集]

ボクシング[編集]

ボクシングジム[編集]

オザキボクシングジム
  1. 所属ボクサーが猟奇的事件を起こし、のちにここが火元となり小田急火災に至った。
協栄ボクシングジム
  1. 世界王者を多く輩出する名門だが、先代の金平正紀の時代には黒い霧や毒入りオレンジ、疑惑の判定、元ミカドの冷遇などスキャンダルが非常に多く、息子の桂一郎に変わってからもファイトマネー未払いなどが相次いだ。
笹崎ボクシングジム
  1. ファイティング原田を育てたジムとして有名だが、「ボクシング版江川事件」以降は低迷が続き、日本チャンピオンすらなかなか出なかった。
不二ボクシングジム
  1. 岡本不二が弟子のピストン堀口を連れて日本拳闘倶楽部から独立して設立された由緒あるジムだった。
  2. 東洋太平洋王者と日本王者は輩出したが、世界王者は出ないまま2010年に閉鎖。
三迫ボクシングジム
  1. 日本のオリンピック金メダリスト2人(桜井孝雄、村田諒太)はともにここでプロデビューしたが、いずれもジムがアマチュア側とトラブルを起こし、プロアマ間のしこりを残してしまった。

ボクシング王座認定団体[編集]

IBF日本
  1. 奈良池田ジム会長の池田久がJBCを離れ、当時設立間もないIBFから承認を受けて発足。
  2. しかし、JBCの圧力でほとんど関西ローカルにとどまり、認知度が低かった。
  3. そのため参加ジムも非常に少なく選手不足なため、経験が浅い選手を世界に挑戦させて惨敗したり、空手やキックボクシングの掛け持ち、さらには網膜剥離でJBCから引退勧告を受けた選手なども参加させていて、杜撰な運営だった。

相撲部屋[編集]

貴乃花部屋
  1. 貴ノ岩が日馬富士に暴行を受けてからはゴタゴタ続きで、貴乃花親方が角界を去ったことで閉鎖された。
    • 被害者のハズの貴ノ岩が付き人への暴力が発覚するなど元弟子らの不祥事が相次ぐ。同じ元弟子で優勝を経験した大関の貴景勝が不憫でならない。
二所ノ関部屋(旧)
  1. 大鵬や力道山を輩出した名門だった。
  2. しかし、2度の分家独立騒動が起こってしまった。
  3. 元金剛が引き継いでからは関取がなかなか生まれず衰退、そして親方が脳梗塞で倒れ部屋を畳んだ。

その他[編集]

SWS
  1. 1990年に新日本・全日本から多くの選手・スタッフを引き抜いて誕生したプロレス団体だが、週刊プロレスにバッシングされまくって1992年に崩壊。
    • 当時週刊プロレスの編集長だったターザン山本は後年、ジャイアント馬場から金銭を受け取って、その見返りとしてSWSをバッシングしていたことを暴露本で告白している。
戦極
  1. PRIDE消滅後に立ち上がった新団体のひとつだが、地上波放送がなかなか獲れず、テレビ東京がレギュラーのダイジェスト番組を放送するにとどまった。
  2. その後、吉田道場勢が離脱してから迷走が続き、メインスポンサーだったドン.キホーテの撤退でとどめを刺された。
全日本女子プロレス
  1. 1968年に創立、ビューティーペアやクラッシュギャルズ、極悪同盟など数々のスター選手を輩出し、「女子プロレスブーム」の火付け役となる。
    • しかしその裏で、経営陣一族の浪費癖や経営多角化の相次ぐ失敗などで巨額の借金を抱えてしまう。
    • さらに、80年代の終わりにはスター選手だったクラッシュギャルズの2人(ライオネス飛鳥・長与千種)と2人の宿命のライバル・ダンプ松本が相次いで引退して以降、ガクッと客足が遠のく。
    • 1996年頃には、倒産騒動があり、主力選手が他団体に移籍する始末。
  2. 結局、巨額の借金を抱えたまま、2005年に惜しまれつつ解散した。

人物[編集]

ボクシング[編集]

赤城武幸
  1. アマチュア時代に世界選手権やアジア大会出場など実績を残し、鳴り物入りで8回戦プロデビューも、世界タイトルは挑戦すら果たせなかった。
猪崎かずみ
  1. 世界最高齢女子プロボクサーとしてギネスにも認定された。
  2. 海外で世界初挑戦が一度決まったものの、メディカルチェックの問題のため見送られた。
  3. その後、後に世界5階級王者となる藤岡奈穂子にKO負けを喫し、引退勧告をを受ける。
  4. タイに渡り現役を続行するが、年齢を理由にランキングに入れず引退を余儀なくされた。
ガッツ石松
  1. ボクサーとしては、実力者。しかし、引退後のタレント活動の方がインパクトが大きい。
  2. クイズ番組での珍回答が、よくネタにされる。
    • 「ヒントでピント」のモザイクを使った問題で「SEX」と答えたことは有名。
亀田三兄弟
  1. ボクシング人気復活の起爆剤として期待されたが、相次ぐトラブルで国内ライセンスを失い、長男興毅と次男大毅はアメリカで引退を余儀なくされた。大毅に至っては海外初戦で敗れ網膜剥離のおまけ付き。
  2. 残った三男和毅は国内復帰が認められたものの、テレビからは見放され世界戦ですらネット配信のみという寂しい有様。
  3. 妹の姫月もプロボクサーになったが、セコンドライセンス停止中の父から離れられないため、海外で転戦せざるを得なくなっている。
古口哲
  1. アマチュア時代には当時のアマチュア日本記録となる61連勝をマークした。
  2. しかし、プロ転向の際にゴタゴタ(いわゆる「ボクシング版江川事件」)があり、2年のブランクを要した。
  3. 鳴り物入りでプロデビューしたが、練習がおろそかになり、タイトルには届かなかった。
小島英次
  1. 東洋太平洋王座を当時の日本最短タイ記録で獲得し、世界王座への期待も高かった。
  2. アレクサンデル・ムニョスの世界王座に2度挑戦するが、最初は2回TKO負け、2度目は奮闘するも10回TKOで力尽きた。
  3. その後の再起戦で一度勝っているワエンペッチ・チュワタナにまさかの2回TKO負け。「もう終わった」などの声が相次いだ。
  4. そして進退を懸けた仲宣明で勝利し復活を果たしたと思われたが、網膜剥離が発覚したため引退を余儀なくされた。
コング斉藤
  1. 1970年代にアメリカから逆輸入されたヘビー級ボクサーで、アメリカ時代既に「モハメド・アリと対戦か?」の文字が新聞で踊るなど話題になった。
  2. 日本デビュー戦では2回KO勝利を挙げるも、相手の無気力ボクシングが発覚したため一転バッシングを浴びる。
  3. その後、名誉挽回を懸けてミドル級の日本人と対戦も、今度は2回KO負け。かえって評価を落としてしまった。
坂本博之
  1. 「平成のKOキング」と呼ばれ世界ランク1位まで上り詰めるも、4度の世界挑戦は1度も実らなかった。
桜井孝雄
  1. 日本初のオリンピックボクシング金メダリストだが、プロ転向を巡り大学と揉めてOB会名簿からも除外されてしまった。
  2. プロでも自分のスタイルが受け入れられず「所詮アマ出身」とバッシングされた。
  3. 2012年、ロンドン五輪での村田諒太の金メダルを見ることなく逝去。
マイク・タイソン
  1. 少年時代から素行が悪いことで知られていたが、1990年に東京ドームでジェームス・ダグラスにプロ初黒星を喫してからが特に残念だった。
    • その翌年に強姦事件を起こし3年間服役。
    • 1997年のイベンダー・ホリフィールド戦2で相手の耳をかじり失格。
    • 引退後も2度逮捕された(1回は執行猶予、1回は不起訴)。
高野人母美
  1. プロボクサーとモデルの二刀流で女子ボクシングを背負って立つ存在として期待されるも、世界王座には届かず、その後は引退撤回騒動やファイトマネー未払いとトラブルが相次ぎ、日本を離れてアメリカ西海岸を拠点とするも戦績は芳しくないらしい。
  2. アマチュア時代には発熱でロンドン五輪につながる大会を欠場したこともあった。
  3. 試合より前日計量のパフォーマンスばかり注目される。
田辺清
  1. 日本初のオリンピックボクシングメダリストとして鳴り物入りでプロ転向したが、世界挑戦を目前に網膜剥離を発症したため引退を余儀なくされた。
タノムサク・シスボーベー
  1. 世界王座に3度挑むもすべて失敗、中でも鬼塚勝也との2戦は「疑惑の判定」に泣かされた。
  2. それより前にも松村謙二に「疑惑の判定」で東洋太平洋王座を追われてしまった。
ピューマ渡久地
  1. 鬼塚勝也、辰吉丈一郎と共に平成の三羽烏と呼ばれ活躍した。
  2. だが、チャコフ・ユーリ(勇利アルバチャコフ)相手に日本王座3度目の防衛戦を前に失踪し、王座剥奪と共に無期限ライセンス停止処分を受けた。
  3. その後、ライセンスが戻り復帰し、世界初挑戦として勇利と対戦が実現するが、9回TKO負け。
  4. 飯田覚士相手に2度目の世界挑戦が決まるも、脳梗塞と誤診されてしまい中止。
新井田豊
  1. 世界王座7度防衛を果たしたが、微妙な判定も多く、対戦相手陣営に「八百長」と吐かれたこともあった。
西島洋介山
  1. 日本人として珍しい重量級プロボクサーだったが、それゆえに相手に恵まれず試合の度に渡米して帰国して練習が続いた。
  2. その後国際タイトル獲得に至ったが、JBCが公認していない世界タイトルだったため、返上を巡りジムを揉めた。
  3. 結果、JBCライセンスを放棄せざるを得なくなりアメリカを拠点とするが、やがて試合枯れが続き、タイトルマッチで2回KO負けを喫し引退。
  4. その後、総合格闘技に転向したが、5戦全敗で終わった。
エドウィン・バレロ
  1. 生涯戦績27戦全KO勝利という完璧な記録を持っていたが…。
  2. コカインやアルコールに依存し、妻をDVの末殺害し逮捕。
  3. その後、警察の独房で自殺。
保住直孝
  1. ビッグマウスで竹原慎二や寺地永らを何度も挑発していたが、全く相手にはされなかった。
  2. 現役時代から何度も逮捕されており、結局はボクシング界から永久追放された。
宮崎亮
  1. 2012年の大晦日、盟友井岡一翔が返上したWBA世界ミニマム級王座を獲得した。
  2. その後、ライトフライ級に上げたが、それにもかかわらず減量に苦しみ、2013年大晦日の転級初戦でKO負け。
  3. 2016年に2階級挑戦、田口良一と手を合わせるも大差判定負け。
  4. 翌2017年の引退直後、公務執行妨害で逮捕。
村田英次郎
  1. 世界タイトルに4度挑戦しいずれも失敗したが、うち2度は引き分けで涙を飲んだ。
矢尾板貞雄
  1. 当時の世界王者パスカル・ペレスにノンタイトルで勝利し、日本人2人目の世界王者として期待された。
  2. 後にそのペレスの持つ王座に挑んだがKO負け。
  3. 2度目の世界挑戦へ向けて強豪との対戦を繰り返し、ポーン・キングビッチへの挑戦が決まるが、師匠とのトラブルのため突如引退してしまう。
渡辺二郎
  1. パヤオ・プーンタラットとWBA・WBC統一戦に挑むはずが、両団体の当時のルールの違い(WBAはまだ15ラウンド制だった)を理由に統一戦とは認められずWBA王座を剥奪された。
  2. 引退後、裏社会に足を踏み入れ、島田紳助引退や羽賀研二が「稀代のワル」となる原因を作った。
    • このため、世界チャンピオン会から除外されている。

プロレス[編集]

アジャ・コング
  1. 本名が宍戸江利花なので、フジテレビの「めちゃイケ」でエリカ様をやる羽目になってしまった。
  2. 相手に裏拳を当てた後、フォールしようとしたら、相手に丸め込まれて、3カウントを取られてしまったことが何度もあった。
ザ・コブラ(ジョージ高野)
  1. デビュー戦がざんねんだった。
    • 1983年11月3日に蔵前国技館で行われたザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)戦で日本デビューを果たしたが、スミスが技を受けようとしなかったり、トップロープ越しのノータッチ・プランチャーを仕掛けたがスミスがかわして鉄柵と床へ激突、両膝に大ダメージを受けてしまった。
      • このデビュー戦は後日ワールドプロレスリングで中継されたが、途中からはダイジェストになっていた。
        • プランチャーを仕掛けたシーンはカットされている。
  2. その後ジュニアヘビー級の二冠王(NWAとWWF)となったが、団体の都合や業務提携の解消から1985年に2本とも返上。
    • 新設されたIWGPジュニアヘビー級王座には二回挑戦したが、二回ともタイトルを獲得できなかった。
      • 1回目は越中詩郎に敗れ、2回目の高田延彦(当時伸彦)戦は両者リングアウトでタイトルは移動せず。
ハル薗田
  1. 全日本プロレスで選手としてだけでなく若手のコーチとしても活躍していたが南アフリカ航空295便墜落事故で新婚の妻とともに命を落とした。
    • 新婚旅行を兼ねた南ア遠征へ向かう途中の悲劇であった。
      • しかも当初はパリ経由の予定が相手側プロモーターの手違いで当該便に乗ることになってしまった。
クリス・ベノワ
  1. 世界ヘビー級王座や世界タッグ王座を獲得するなど輝かしい実績を残した名選手だったが一家心中事件を起こしたため一時は存在がほぼ抹消されていた。
    • WWEの公式サイトからもプロフィールが消されている。
    • 事件の原因は激しい戦いによる脳の損傷だったとされている。
渡辺桃
  1. Queens Questのリーダーだが、林下詩美より目立っていない。
  2. ワンダー・オブ・スターダム王座を13回防衛したことが話題にならなかった。

相撲[編集]

安藝ノ海節男
  1. 双葉山の70連勝を阻止したということだけで横綱になったような力士。
    • 優勝も関脇時代の1度だけ。
    • 地元の広島でもあまり知られてないような印象がある。
  2. 親方時代に経営していたちゃんこ店の地下にキャバレーを出店させたことや離婚問題のせいで協会にいられなくなった。
朝潮太郎(3代目)
  1. 奄美諸島出身だったが日本復帰前に密航して入門したためしばらく神戸出身を装う羽目になった。
  2. 横綱昇進後は調子のムラが激しく「強い朝潮と弱い朝潮がいる」と揶揄された。
  3. 還暦土俵入りで使う赤い横綱をもらい楽しみにしていたが前年に急逝してしまった。
    • 一説によると体を鍛えるために無理なトレーニングをしていたのが原因だとか。
    • 弟子の小錦や南海龍がトラブルを起こしたことによる心労が原因とも。
朝青龍明徳
  1. 00年代の大相撲を代表する名横綱だったが土俵外での不祥事のイメージが強い。
    • 引退原因も一般人への暴力行為だった。
  2. 土俵上での振る舞いも物議をかもすことが多かった。
  3. モンゴル人だったことが日本人の横綱審議委員や好角家の心証を悪くさせたように思えて仕方がない。
  4. Twitterの日本語があまりうまくない。
朝ノ霧満
  1. 平成12年夏場所7日目、対千代白鵬戦で取組中に廻しが急に緩み、行司の待ったも間に合わずに×××が露わになってしまった。
    • 審判長から物言いがついた後「東方力士(朝ノ霧)の前袋が落ちたので西方力士(千代白鵬)の勝ちとします」と場内に説明され、朝ノ霧は反則負け(不浄負け)となった。
      • 大正6年夏場所3日目、十両・男嶌と幕下・友ノ山との対戦で男嶌が喫して以来、実に83年ぶりの珍事だった。
  2. この取組は翌日の日刊スポーツの一面トップに掲載、ロイター通信によって世界に打電されてしまった。
維新力浩司
  1. 十両屈指の人気力士で西筆頭まで出世したが惜しくも入幕はできなかった。
    • 曙や若花田を破ったこともあるだけに平幕の実力はあったと思われる。
  2. プロレス入りした後も名前のわりに維新軍や長州力とは一切縁がない。
  3. あまりの小兵ゆえに付け人を連れて飲みに行った際に自らが付け人と間違われた。
板井圭介
  1. 大乃国から3つの金星を奪っているが、何れも綺麗に勝ったとは言えない相撲内容だった。
    • 板井の引退後の年寄襲名が認められなかった一因とも言われている。
      • 大乃国本人は板井のことを心底嫌っており、引退後のインタビューで「1人顔面を張ってくる力士(板井)がいた。あまりに腹が立つので組み止めたら両肘を極めて、土俵の外に出さずにそのまま腕を折ってやろうかと思ったほどだ」と語っている。
  2. 1991年7月場所で幕内全敗(0勝15敗)を記録してしまった。
  3. 引退後に八百長を告発し物議を醸した。
笠置山勝一
  1. 出羽海一門で打倒双葉山の参謀役を務めたが本人は17回戦って一度も勝てなかった。
    • 奇策を考えても土俵に上がれば雰囲気に呑まれて出せなかったとか。
  2. 晩年は専門誌に自伝小説を連載していたが本人の死去により完結できなかった。
稀勢の里寛
  1. 14年ぶりに誕生した日本出身横綱だったが、昇進初の本場所(平成29年3月場所)で優勝した後、怪我が多いため8場所連続休場や横綱ワーストの8連敗(不戦敗除く)もあり、横綱としては長くはなかった。
  2. 2場所連続優勝をしたがその際の怪我を引きずってしまい、無理をして出場→連敗で怪我が悪化し休場という悪循環に陥っていた。
久島海啓太
  1. 高校・大学時代に様々なタイトルを獲得したが、角界入りすると腰高で脇の甘い取り口からか三役への昇進は果たせなかった。
    • 平成5年春場所13日目の旭道山戦で、立合いから旭道山の強烈な張り手を一発喰らい土俵の中央で崩れ落ちてしまった。
      • 全体的に番付運にも恵まれなかった。
      • この旭道山戦、実はあのレオパルドンを凌ぐ最短KO記録であったことが判明。(レオパルドンは0.9秒、久島海は0.8秒でKO、水曜日のダウンタウン調べ)
  2. 引退後は田子ノ浦部屋を創設し、碧山を幕内まで育て上げたが2012年2月に急死。
    • 部屋を継承する親方もおらず田子ノ浦部屋は閉鎖、所属力士は出羽海部屋と春日野部屋にそれぞれ移籍した。
琴錦功宗
  1. 速攻を持ち味として大関の有力候補とされたが自らの不祥事や怪我のため関脇止まりだった。
    • 一部からは八百長で儲けるためにあえて大関昇進を回避していたのではないかとすら疑われたこともある。
  2. 引退後は15年にもわたり借株でしのぎ続けた。
新海幸藏
  1. しつこい足癖で鳴らし「タコ足の新海」とも呼ばれた力士だが、気性が荒く酒が入ると手がつけられなかったため、力士仲間からは嫌われていた。
  2. 1937年の九州巡業中に、酒に酔って先輩力士をビール瓶で殴ってしまい強制引退。
    • 引退相撲でも祝儀の分配を巡って師匠の出羽海と揉め、師匠を殴ったと言われている。
  3. 廃業後は様々な事業に手を出したが全て失敗し、晩年は川崎のアパートに移り住んで一人暮らしをしていた。
    • 最期も自身が吸っていた煙草の不始末からアパートを全焼させる火災を起こし、自分の部屋で焼死してしまった。
隆の里俊英
  1. 糖尿病を克服して横綱になり千代の富士のライバルとも目されたが病魔により本来の実力を発揮しきれず引退。
    • 最高優勝4回というのは明らかに少なすぎる気がする。
  2. 鳴戸親方としては稀勢の里や高安など多くの名力士を育てたが自らの目で大関や横綱になるのを見届けることはできなかった。
貴闘力忠茂
  1. 1990年に入幕。1994年には幕尻で初土俵から102場所目(歴代2位。当時は歴代1位の遅さ)での初優勝を遂げた。
    • また、大鵬の三女と結婚しており、大鵬との養子縁組も行った。そのため現役引退後は大鵬部屋付きの親方となり、部屋を継承したこともあった。
  2. しかし根っからのギャンブル好きであり、年収の9割を費やすほどの依存症であった。
    • 幼いころはギャンブル依存症の父親のせいでギャンブルが嫌いだったが、初めてやった競馬で大穴を当てたことが切っ掛けでギャンブルにのめり込んでしまう。
      • その結果実に5億円以上ギャンブルで失ってしまった。また、ギャンブルで作った借金はたびたび大鵬に肩代わりしてもらっていたという。
  3. そして2010年、野球賭博に手を出したことが明らかになってしまう。結果相撲協会からは解雇されてしまう。
    • その後大鵬の三女とも離婚し、大鵬との養子縁組も解消。そして大鵬死去後の葬儀へも参列できなくなってしまった。
  4. 今現在も彼のギャンブル依存症は続いている。
玉ノ海梅吉
  1. 師匠玉錦の急逝により二所ノ関親方としての職務も果たす羽目になったため大関になれなかった。
  2. 終戦直後に捕虜徴用の容疑でGHQに捕まったことがある。
    • その時の協会の対応が冷淡だったため親方をやめNHKの相撲解説者に転身した。
玉の海正洋
  1. 北の富士とともに「北玉時代」を築き上げたが盲腸手術後の血栓症により急逝。
    • 健在なら一代年寄級の実績を残していてもおかしくなかった。
    • 女子プロボウラーとの婚約話も進んでいたらしい。
  2. 父親は在日コリアンだったが存命中にその事実を明かすことができなかった。
    • 弟が暴力団員となった後、×××で逮捕されたため、出自や家族については隠されていった。
鶴ヶ嶺昭男
  1. 井筒親方として自らの息子3人を関取にし霧島を大関にまで育て上げたが晩年は寂しいものだった。
    • 内縁の妻が金遣いが荒い人物だったせいで慢性的な金欠状態だったという。
    • 息子の逆鉾や寺尾とも不仲だったという。
鳥羽の山喜充
  1. 運動経験なしから角界入りし入幕を果たすが新入幕初日(平成14年春場所)の朝稽古で膝を負傷し幕内の土俵には立てなかった。
    • その後も幕内復帰を目指し取り続けたが2015年に無念の引退。
双羽黒光司
  1. 戦後で唯一の優勝経験なしの横綱。
    • 力士生活を通して最高優勝がないというのは横綱としては異例すぎる。
  2. 幕下時代から素行が最悪で実家に逃げ帰ることも普通にあった。
    • 最終的におかみさんへの暴力行為により引退に追い込まれる。
    • 後世の相撲ファンにとっては不祥事のイメージしかない。
    • 当時発売された「つっぱり大相撲」(FC)での変名が「大腹黒」だったのが妙に納得できる。
  3. 引退後はプロレスラーに転身したが相手を八百長野郎呼ばわりし実質的にプロレス界からも追放されてしまった。
前田山英五郎
  1. 大関時代は張り手を得意として大暴れしていたが横綱になってからはろくな実績が残せなかった。
  2. 本場所を休場中に来日したサンフランシスコ・シールズの試合を見に行ったことがばれ引退に追い込まれた。
  3. 横綱昇進時に「粗暴の振る舞いこれありし、時には自責仕る可く候」という但し書きを横綱免許状に付けられてしまうほどの暴れん坊。
    • 現代語訳すると「暴力的な行動がみられるため自覚が必要」といったところ。
男女ノ川登三
  1. 一時期、高砂部屋伝統の「朝潮」を名乗っていたが、春秋園事件に連座したことが親方の逆鱗に触れ、四股名を剥奪されてしまった。
  2. 四股名を「男女ノ川」に戻した後は調子を戻し、1936年夏場所後に横綱に昇進。
    • しかし春秋園事件前に痛めた関節炎の影響で強弱の差が激しく、横綱時代は双葉山に全く歯が立たなかった。
      • 横綱時代の対双葉山戦では一度も勝てなかった。
  3. 1938年夏場所千秋楽では武藏山と対戦するが、両者とも横綱でありながら6勝6敗同士で勝ち越しと負け越しを掛けた一番という悲壮な対戦となってしまった。
    • 男女ノ川はこの一番に敗れて、横綱の皆勤負け越しという不名誉な記録を作ってしまう。
  4. 引退後は一代年寄制度で年寄・男女ノ川を襲名して相撲協会の理事に就任したが、自宅の庭に作った農園の経営に熱中し、相撲協会を去った。
    • その後は様々な職を経験するも長続きせず、不遇な晩年を過ごした。
  5. 最晩年は武蔵村山市の料亭で下足番をしていたが、1971年に脳出血のため都内の病院で死去(67歳)。
武藏山武
  1. 新十両・新入幕・新三役で当時の最年少記録を樹立、近代的な容貌、筋肉質の体型等で人気が高く、武藏山を題材にした応援歌まで作られた。
  2. ところが昭和6年秋場所9日目の沖ツ海戦で強烈なぶちかましを右肘に受け、それまでの最大の武器だった右腕の怪力が失われてしまった。
    • 大関昇進後は後遺症に苦しんで充分に相撲が取れず、休場が相次いで優勝争いに加わることすら出来なかった。
  3. それでも昭和10年春場所・夏場所と好成績を残し、夏場所後に第33代横綱に昇進。
    • しかし横綱昇進後は前述の肘の故障が更に悪化、胃酸過多症もあって休場がちで、皆勤したのは1938年夏場所のみ。
      • 幕内での最高優勝は小結時代の1回のみだった。右肘の故障が無ければ…。
若嶋津六夫
  1. 諸方面から「次の横綱」と期待され続けたが取り口や恵まれない体格などのせいでとうとう昇進できなかった。
    • 2度目の綱取りがかかっていた昭和59年秋場所では11勝4敗と健闘するも多賀竜の大活躍もあり昇進を逃した。
      • しかも多賀竜戦には八百長疑惑まで出ている。
  2. 還暦を迎えた直後に路上で転倒し一時は死の淵をさまよった。
  3. 現役時代に焼き肉12人前を平らげるも店を出るなり戻してしまったことがある。
若ノ鵬寿則
  1. 身長195cm・体重162kgという恵まれた体格、所要11場所での十両昇進(初土俵からの負け越しなし)を果たすなど将来性は評価されていた。
  2. しかし立合いの変化が多く、平成19年初場所の5勝中、3勝が立合いの変化で挙げた白星だった。
  3. また言動も粗暴で、平成20年夏場所8日目に安馬(後の日馬富士)に豪快なうっちゃりで敗れた後、悔しさの余り部屋の風呂場の壁を叩き割り、風呂桶を壊すなど暴れて厳重注意を受けてしまった。
  4. 平成20年名古屋場所後に大麻所持で検挙され、相撲協会から解雇されてしまった。
若羽黒朋明
  1. しつこい押し相撲で大関まで昇進したが、大の稽古嫌いが響き大関在位13場所で陥落。
  2. 柏戸・大鵬が優勝した場所で土を付け「オレは柏鵬の反逆児」と発言したが…。
  3. 廃業後の1965年にハワイから拳銃を暴力団へ密輸入していたことが発覚し、逮捕されてしまう。
    • 柏戸・大鵬・北の富士らが書類送検される拳銃密輸事件のきっかけを作ってしまった。
  4. 刑務所を出所した後、嘗てのファンの誘いで岡山市内の相撲料理店の副店長に就任、心機一転してよく働いたが、1969年に脳塞栓症のため岡山市内の病院で急逝した。34歳の若さだった。

K-1[編集]

ボブ・サップ
  1. 2002年にK-1デビューするとアメフトをはじめとした数多くのスポーツで鍛え上げられた巨体と「ザ・ビースト」と呼ばれるほどのアグレッシブなファイトスタイルやそのキャラクターが人気を博し、バラエティ番組にも多く出演。
    • また、大晦日に放送されたダイナマイトでの曙太郎との一戦は当時紅白歌合戦の視聴率を瞬間的に上回った。
  2. 2006年に契約のこじれから出場予定だった試合をボイコット。一時法廷闘争まで噂されたが後に和解。その後2010年にも試合のボイコットを起こすなど2度の敵前逃亡を起こしてしまった。
    • ただしこれに関しては契約していた会社にも問題があるわけで本人の問題という訳ではないのだが・・・。
  3. 技術を覚えてからセオリーに沿ったファイトに拘ってしまい成績が悪化。たびたびKO・TKO負けを喫していた。
  4. 2017年には週刊文春に6年近くDVを行っていたことをスクープされてしまった。

柔道[編集]

石井慧
  1. 下記の棟田康幸を抑えて北京オリンピックに出場し、見事21歳で最重量級の金メダルを獲得するも、その後問題発言を連発し柔道ファンから嫌われる。
  2. 2008年秋に柔道を引退し総合格闘技に転向。裏切り者として柔道関係者を完全に敵に回す。
  3. あとに「夢だった総合格闘技に転向するために、わざと批判されて柔道界から追放されるためにこのような発言をした」と証言(消えた天才より)
内柴正人
  1. アテネ・北京とオリンピック連覇し大ヒーローだったが2011年に×××
  2. 北京オリンピックの男子柔道の金メダリストは2人ともざんねんな選手に。
棟田康幸
  1. 2003年男子100kg超級、2007年男子無差別級とそれぞれオリンピック前年の世界選手権で2度の優勝経験がありながら、オリンピックに1度も出場できず。
  2. アテネオリンピックは2003年世界選手権の100kg級優勝の井上康生と同無差別級優勝の鈴木桂治に敗れて出場逃す。
  3. ラストチャンスだった北京オリンピックは若手の石井慧に阻まれて出場できず。

試合・シーズン展開[編集]

ボクシング[編集]

全日本新人王決定戦
  1. 全日本新人王には次回発表の日本ランキングで最下位にランクされる特典が与えられるが、その次の更新で消える選手も多く、「意味がない」と言われる始末。
WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ 渡嘉敷勝男対ルペ・マデラの4戦
  1. 最初の対戦は渡嘉敷にとっての初防衛戦で渡嘉敷が勝利したが、微妙な判定だった。
  2. 2度目は5度目の防衛戦として対戦したが、引き分け。
  3. 3度目はダイレクトリマッチとなり、今度はマデラが勝ったが、負傷判定に納得がいかないファンが多かったことや当初引き分けと発表するなど不手際が重なった。
  4. これに協栄ジムが抗議し、3連続で組む羽目になった。4度目はマデラがしっかりと勝利し完全決着。
  5. これに割を食ったのがマデラに対戦を要求していた新垣諭。対戦が消滅した新垣の所属する奈良池田ジムはIBF日本設立へ。
WBC世界ミニマム級タイトルマッチ 井岡弘樹対ナパ・キャットワンチャイの3戦
  1. 最初の対戦は井岡にとって2度目の防衛戦、最終12ラウンドでダウン寸前まで追い込まれるも終了ゴングが30秒早く鳴らされ辛くも引き分けた「疑惑のゴング」。
  2. これを受けて組まれたダイレクトリマッチでナパが判定勝ちで王座奪取。
  3. 3度目の対戦はナパの2度目の防衛戦。11回TKOで井岡を沈めるが、レフェリーストップに納得がいかない井岡の兄・一法(現井岡ジム会長。井岡一翔の父)がリングに乱入しナパに対して暴行するという事件が起きた。
1997年6月28日 WBA世界ヘビー級タイトルマッチ (王者)イベンダー・ホリフィールド対マイク・タイソン(挑戦者)
  1. 3回にタイソンがホリフィールドの耳を噛みちぎり反則負け。
2001年7月16日 日本フライ級タイトルマッチ (王者)坂田健史対内藤大助(挑戦者)
  1. 坂田にとって日本タイトル初防衛戦となったが、0-1の引き分けで王座防衛という微妙な結果に終わり、試合後に内藤の同僚がおもちゃのナイフのようなものを持って暴れ出す事件が起こり、遺恨試合になってしまった。
2002年4月19日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助(挑戦者)
  1. 内藤にとって敵地タイでの世界初挑戦だったが、当時の世界タイトルマッチ最短記録となる34秒KO負けを喫し、帰国後に「日本の恥」などとバッシングされた。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ 山中慎介対ルイス・ネリの2戦
  1. 最初の対戦は具志堅用高に並ぶ13連続防衛が懸った試合。ネリがTKOで沈めたがドーピング検査で陽性反応が出たと発表され大混乱。
  2. その後命じられた再戦でネリは体重超過のため王座剥奪(試合はネリがTKOで返り討ち)。その後ネリは日本のリングから永久追放処分、山中は引退。後味の悪さを残した。
2017年12月9日 IBF世界スーパーフェザー級王座決定戦 尾川堅一対テビン・ファーマー
  1. 試合は尾川の判定勝ちとなっていたが、試合前のドーピング検査で陽性反応が出たため無効試合となり王座獲得も無効とされた。
2018年4月15日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)比嘉大吾対クリストファー・ロサレス(挑戦者)
  1. 前日計量で比嘉が計量オーバーを犯し、王座を剥奪された。
  2. 試合も減量失敗の影響で本来の実力を出せず9回TKO負け。

プロレス[編集]

1990年6月8日 全日本プロレス ジャンボ鶴田vs三沢光晴
  1. ジャンボ鶴田が何度も「オー!」をやったら、客に「『オー!』はいいよ。」と野次られてしまった。
  2. ジャンボ鶴田がロープに寄りかかっている三沢光晴にドロップキックをかまそうとしたが避けられ、ロープに股間をぶつけてしまった。
    • その後、ジャンボ鶴田が三沢光晴のバックドロップを返して、フォールしたが、三沢に返され、3カウントを取られてしまった。
1999年1月4日 新日本プロレス 橋本真也vs小川直也
  1. 小川が橋本を一方的に痛めつける試合となり無効試合に。
    • 試合後に小川がマイクで「新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」と発言。
      • リング下ではセコンド同士の言い争いに端を発した乱闘が発生しており、当時引退していた長州力がカメラマンを押し退け、小川に対して「これがお前のやり方か?」と詰め寄った。
        • この乱闘で小川側のセコンドだった村上和成が、飯塚高史らに集団で顔面を踏みつけられ一時昏睡状態に陥るほどの重傷を負うなど、かなり後味の悪い試合となってしまった…。
  2. 一説では大仁田厚の新日本初参戦を警戒した猪木の当て付けという説もある。
2004年10月9日 新日本プロレス・IWGPヘビー級選手権試合 (王者)藤田和之vs佐々木健介(挑戦者)
  1. 藤田和之が佐々木健介にグラウンドでの胴絞めスリーパーをやったが、藤田の両肩がマットについていたのでレフェリーが3カウントを入れてしまった。
    • 佐々木健介の妻である北斗晶は大激怒。
    • 勝利した佐々木健介はうっかり、喜んでしまい、北斗晶に怒られた。
2005年2月20日 新日本プロレス・IWGPヘビー級/3冠ヘビー級W選手権試合 (IWGP王者)天山広吉vs小島聡(3冠ヘビー級王者)
  1. 試合終了直前、天山が脱水症状でKO負け。思わぬ形での決着にリング上も混乱した。
    • 某選手はそれにキレて小島にガチで蹴りを入れたとか。

相撲[編集]

大相撲平成二十二年七月場所
  1. 直前に発生した野球賭博問題の影響で、NHKの大相撲中継が中止に。
  2. 賭博問題の影響で大関琴光喜が解雇。18人の力士が謹慎休場となった。
平成二十三年五月技量審査場所
  1. 七月場所への番付編成のために開催された場所。
    • 天皇賜杯を含む外部からの表彰・取組に懸けられる懸賞金は辞退。
    • 呼出の着物に掲載される広告・力士幟は自粛。
    • NHKの大相撲中継も中止された。
      • 但し、今後の記録資料のための実況収録は通常通り行われた。
    • 「本場所ではない」との理由で、優勝額も作成されなかった。
大相撲平成二十七年一月場所
  1. 白鵬が史上初の全6場所全勝制覇を成し遂げた場所だったが、十三日目の稀勢の里戦が撮り直しになったことに対して審判批判を展開し物議を醸した。

競技場[編集]

両国メモリアルホール
  1. 戦前は初代両国国技館だったが、敗戦後はGHQの接収され、「土俵を広げる」条件で1場所だけ行われた。
  2. 接収解除後は蔵前国技館が既に建設に入っていたなどから売却された。
大阪大国技館
  1. 旧両国国技館より大きな施設だったが、戦局悪化のため4年で7回の準本場所を開催したのみで倉庫に転用→戦後に接収で解体されてしまった。
東京ドーム
  1. プロレス団体が、東京ドームを興業に使うと「崩壊または分裂。最悪の場合、消滅する」というジンクスがある。

関連項目[編集]




関連記事