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ざんねんな競馬事典

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競走馬[編集]

ざんねんな競走馬事典

競馬関係者(馬主・調教師など)[編集]

株式会社ダノックス所有の競走馬(冠名にダノンと付いている馬)
  1. 2010年のNHKマイルCを当時のレコードで制したダノンシャンティ、朝日杯を制したダノンプラチナやダノンプレミアム、阪神ジュベナイルフィリーズを制したダノンファンタジー、マイルCSを制したダノンシャークなど数多くのGI馬を所有している
  2. ・・・しかしこれらの馬の共通点はマイル(1600m)のGIだということ。そしてダノンシャーク以外は全て2歳・3歳の世代限定GIである。
  3. 2歳・3歳で世代限定のGIは制するもそれ以降GIには届かないというケースが多い。
  4. また、マイル以外ではダノンレジェンドがダート1400mのJBCスプリントという交流のGIを制しているが、いまだにマイル以上のGIには縁がなく、クラシックも未勝利である。
  5. 特に前哨戦で勝利し期待させながら本番では惜敗するケースが多い。
サラブレットクラブ・ラフィアン所有の競走馬(冠名にマイネル・マイネと付いている馬。)
  1. 2歳戦やローカル重賞では活躍馬をそこそこ出しているがGIやクラシックでは好走まではするが勝てない。
  2. マイネル軍団の総帥こと岡田繁幸氏の目標は東京優駿(日本ダービー)制覇と言われているが果たしてその夢はかなうのか・・・。
    • ただ、上記にもあるように彼の馬選は良いとは言えない。
早田牧場
  1. 1990年代に力を付け、レオダーバン・ビワハヤヒデ・ナリタブライアン・ビワハイジ・マーベラスサンデー・シルクジャスティス・シルクプリマドンナといったGI馬を次々と輩出。
    • 有力種牡馬のブライアンズタイムも擁し、一時は社台グループに次ぐ国内第2位の生産者として日高地方を代表する牧場となったが…。
  2. 20億円という巨額のシンジケートが組まれ種牡馬となったナリタブライアンが、1998年に供用僅か2年で急死してしまう。
    • その翌年に完成した天栄ホースパークへの20数億円の投資も、経営状態を更に悪化させる要因となった。
  3. 末期はブライアンズタイムの種付け料収入で細々と食い繋いでいたが、2002年に倒産。
    • 代表だった早田光一郎も種牡馬シンジケートの資金を横領した罪で起訴され、2005年に懲役5年の有罪判決を受けた。
  4. 早田牧場に残っていた馬は社台が引き取った。
    • 一時期シルクホースクラブが運営していた天栄ホースパークも、2011年に社台系のノーザンファームに売却され「ノーザンファーム天栄」となった。
メジロ牧場
  1. メジロマックイーンやメジロライアン・メジロラモーヌ・メジロドーベルなど数多くの名馬を生み出したオーナーブリーダー。
  2. 取ったGIの数は多かったものの、日本ダービーだけは勝利することはできなかった。また、年度代表馬に所有馬が選ばれたこともなかった。
  3. 内国産種牡馬や自家産種牡馬を使った配合に拘っており、社台系の輸入種牡馬を使うケースはまれだった。結果的に2000年代以降の長距離軽視、スピード重視の流れには乗れなかった。
  4. さらに有珠山が近くにあるためにたびたび噴火の被害を受けていた。
  5. 2011年4月、成績不振によりメジロ牧場の解散と競馬界からの撤退を発表。一つの時代の終わりとなった。

騎手[編集]

北村友一
  1. 2006年デビュー。キャリア3年目で重賞制覇、2018年に交流JpnI全日本2歳優駿でGI級レースを初制覇。その翌年には大阪杯・秋華賞・阪神ジュベナイルフィリーズと中央の芝GIでも3勝をあげるなど関西の騎手の中でも十分な実績をあげてきている。
  2. そんな彼がなぜざんねんなのか、それは2013年、京都でレースに騎乗した際に進路妨害行為で4日間の騎乗停止の処分を受けてしまう。
    • ここまでなら別段ざんねんなことではない。問題はその際、採決室で騎乗停止を宣告されたときに不服だったのかその場で机を持ち上げて倒すという粗暴行為に及んだがためにさらに2日の騎乗停止が追加されてしまったということ。
      • 粗暴行為で騎乗停止が追加されてしまったのは史上初のことであり、その際に「机を持ち上げて倒した」というインパクトから北村(机)と言われてしまうことに。
  3. その後本人の誕生日に届いたケーキに「机を倒す北村友一騎手」が描かれていたり、Googleの検索でも「北村 机」で本人のウィキペディアのページがヒットするなどすっかり彼の代名詞と化してしまった。
後藤浩輝
  1. 若手時代に暴行事件を起こし「木刀」というあだ名が定着した。
  2. 逆に調教師に殴られたりする事件が複数起こった。
  3. 中央G1は複数回勝っているもののその時のG1馬は以降未勝利などこれ以上の結果が出ず牡馬のほとんどは種牡馬入りできなかった。
  4. 2012年、2014年と落馬事故で頚椎骨折を繰り返したが奇しくも同じ騎手の斜行による落馬だった。
    • そして2015年…。
  5. 2001年の京都大賞典ではステイゴールドの斜行を止められず、ナリタトップロードの鞍上の渡辺薫彦を落馬させてしまった。
    • レース後、後藤は検量室に来たテイエムオペラオー(繰り上がりで1着)の馬主の竹園正繼から「これで三度目だぞ!」と詰め寄られる一幕があった。
      • 因みに一度目はこの年の大阪杯(後藤はアドマイヤボスに騎乗)、二度目はこの年の宝塚記念(後藤はダイワテキサスに騎乗)。
        • この落馬事故の影響でナリタトップロードは秋の天皇賞を回避することになってしまった。
田原成貴
  1. トウカイテイオー、マックスビューティ、マヤノトップガンで知られ、リーディングジョッキーにもなったことのある名手。
  2. 騎手時代からマスコミと対立することが多かったが特に調教師に合格した時に起こした事件では他の調教師からも激しく非難された。
    • 調教師免許試験に合格した際の記者会見を拒否し、それを報じたスポーツニッポンの橋本全弘を鞭で殴打したという事件。
      • 協議の結果田原と橋本は一応和解したが、田原から橋本への正式な謝罪は遂になかった。
  3. 調教師になっても得意先の馬主を怒らせ所有馬を引き上げられてしまう。
    • その後馬の耳に発信機を付け過怠金処分を受ける。
  4. 2001年に空港に刃物を持ち込もうとして逮捕、さらに覚醒剤所持でも逮捕され調教師免許剥奪の上15年間の競馬関与禁止処分を受ける。
    • そして2009年に再び薬物で捕まり競馬関与禁止が無期限へと延長。翌年も薬物で逮捕された。
丸山勝秀
  1. 1980年にデビュー。1990年の宝塚記念でGI初勝利を飾ったが…。
  2. その2年後の1992年4月末に、同僚の騎手が所有していた記念品を無断で持ち出し質屋で現金に換金したとして、窃盗の容疑で逮捕されたことが発覚。
    • 中央競馬の騎手免許を剥奪され、事実上競馬界を追放されてしまった。
三浦皇成
  1. デビュー当年から好成績を上げ、わずか5か月で重賞制覇するなど当時は武豊の再来と言われていた。
  2. しかし2010年に9頭が絡む落馬事故では自身が騎乗していた馬が斜行したことが事故の原因となり騎乗停止。これにより評価が一変してしまった。
  3. 2016年には落馬で1年の長期休養を余儀なくされてしまう。
  4. 地方交流のGI(JpnI)は制しているが、中央のGI競走は今現在未勝利である。
安田康彦
  1. 1991年にデビュー。翌1992年には早くも重賞初勝利(札幌3歳S・テイエムハリケーン)を飾り、1999年の秋華賞で人気薄(12番人気)のブゼンキャンドルに騎乗しGI初勝利。
    • 2000年から2001年にかけてはメイショウドトウの主戦騎手として和田竜二騎乗のテイエムオペラオーと幾多の名勝負を繰り広げた。
  2. その一方で酒癖と素行が非常に悪く、調教に酒を飲んだまま参加したり、調教を無断で休んで厩舎関係者や調教助手からクレームが来る事態に…。
  3. 2005年頃からは酒による素行不良が原因で騎乗数が大幅に減少し、2006年4月30日をもって騎手を引退。
    • 引退後はコンビニでの恐喝容疑で逮捕という事件を起こし、一時期は父の伊佐夫ですら消息が分からない状態に…。
クリストフ・ルメール
  1. 現在はJRA所属だが短期免許で来日していた時から数多くのGIを制したフランス人ジョッキー。
  2. しかし2015年にJRA所属になり3月にデビューするはずだったのだが調整ルームに携帯電話を持ち込むという禁止事項を犯してしまい1か月デビューが送れてしまった。
  3. 優秀なジョッキーゆえに数多くの有力馬の主戦になった結果、ルメールが乗れないとわかるとレース回避する有力馬が続出することに・・・。
    • 例えばアーモンドアイとレイデオロ(両方ともルメールが主戦を務める)は2019年9月の時点で一度も同じレースで走ったことはない。ルメールあり気の使い分けには苦言を呈する人も少なくはない。
  4. 毎年のように期待を背負って凱旋門賞に参戦するが………。

レース[編集]

菊花賞
  1. 牡馬クラシック三冠の最終戦だが、世界的には2000m以上のレースは価値が薄いのもあり、近年は菊花賞をパスして天皇賞秋や凱旋門賞に向かう三歳馬もしばしば。
  2. 勝ち馬の中には歴代の三冠馬やゴールドシップ・キタサンブラックなどその後数多くGIを制する馬もいればこのレース以降GIどころか重賞すら取れなかった馬もいる。一時は後者の率が多かった。
欧州クラシック三冠
  1. 長距離レースの価値が低く二冠を達成してもセントレジャー等には向かわず、そもそも二冠さえ狙わない馬が殆どで、日本やアメリカと異なりほぼ形骸化している。
  2. 英ダービー、KGVI&QES、凱旋門賞が実質的な三冠とされることもある。
    • またダービー後は路線をマイル~中距離に定め、インターナショナルS(イギリス)やアイリッシュチャンピオンS(アイルランド)へ向かうことも多い。
宝塚記念
  1. 上半期を締め括るドリームレースなのだが、出走馬のレベルがそれほど高くなかった年が幾つかある。
    • そもそも開催時期が梅雨シーズンであることが多く降雨で馬場が悪化することが多いため消耗を嫌った有力馬が回避することが多い。
    • また、春シーズンをドバイや香港などの海外遠征に費やし、秋まで休養する有力馬も多い。
  2. このレースが唯一のGI制覇となった馬も多い。
    • その後の人生(馬生)が幸せではなかった馬も多い(ハマノパレード・オサイチジョージ・サイレンススズカ・ダンツフレームなど…)。
  3. ここ最近は1番人気が大敗するケースが多い。
天皇賞(春)
  1. 春シーズンを代表する伝統的な長距離レース。90年代までは有力馬が多く集い、春の頂点を決めるレースとして盛り上がっていた。
  2. しかし近年の中距離重視の風潮とドバイや香港などの海外GIの充実から、回避する有力馬が多い。
ジャパンカップ
  1. 国際GIとして外国馬を招いて行われる秋シーズンの目玉ともいえる大レース。
  2. しかし最近は有力な欧州の馬は殆どがブリーダーズカップや香港のGIへ遠征してしまい外国馬がショボくなりがち。
  3. この時期の東京コースはタイムが出やすい高速馬場であり、パワーが要求される欧州の馬場とは真逆の適正が必要になってしまうのが原因。
    • 実際凱旋門賞を制したモンジューやデインドリームがジャパンカップでは敗退している。
    • 日本馬が凱旋門賞で苦戦するように、欧州馬はジャパンカップで苦戦するのである。
  4. 近年は日本馬も使い分けや休養、オーストラリアや香港などへの遠征などで回避する有力馬も少なくはない。
  5. 2019年、ついに外国馬が1頭も登録することはなかった。
    • ただし外人ジョッキーはJRA所属のルメールとデムーロに短期免許で来日中の5人全員が日本馬に騎乗して出走した。その結果、ジョッキーだけなら国際招待と揶揄される羽目に・・・。
阪神3歳ステークス
  1. 70年代の勝ち馬からはキタノカチドキやテンポイントを輩出した。
  2. しかしグレード制導入後勝ち馬の中でその後もG1を勝った馬はサッカーボーイしか出てこなくなった。
    • 種牡馬入りできたのもそのサッカーボーイともう一頭のみだった。
    • 障害競走を経て高知競馬に移籍した勝ち馬もいた。
  3. 1991年より阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定戦となった。
サマーシリーズ
  1. 2019年サマースプリントシリーズチャンピオンのタワーオブロンドンがその年のスプリンターズステークスを勝つまでシリーズチャンピオンの競走馬からGI馬が出なかった。
  2. サマーマイルシリーズは対象重賞が3つしかないため優勝馬が出ること自体珍しい状態になりつつある。
    • 福島、小倉、函館、札幌に1,600mのコース設定が無い。
      • サマースプリントシリーズには1,000mの重賞があるのだが…。
    • 2019年はサマー2000シリーズからも優勝馬が出なかった。
    • 2020年から重賞ではなくリステッド競走の米子ステークスをサマーマイルに入れることに。
  3. 福島競馬場は1つしか対象重賞がない。函館すら2つある。
    • 1,200mのレースはあるのだが重賞は無い。
第44回阪神大賞典(1996年)
  1. 中央競馬史上屈指の名勝負の1つに数えられる名レース。
  2. じゃあ何がざんねんだったのかと言うと、この名レースが土曜日に開催されていたこと。
    • 競馬ファン・競馬記者・予想家・評論家などからも「これだけ注目度の高いレースをなぜ土曜日に行なうのか?」という声が多数聞かれた。
    • 当然、JRAの重賞日程は前年の11月下旬には既に決定されているため、その時点でナリタブライアンvsマヤノトップガンの対決となることは主催者のJRAにも予想不可能だった。
  3. この影響か、翌年以降阪神大賞典は現在に至るまで日曜日の開催となっている。
  4. マヤノトップガンに騎乗していた田原成貴は「あくまでも天皇賞(春)の前哨戦」「上がりだけのレース」「ブライアンが本調子ならトップガンはスタンドまで吹っ飛ばされていた」と、名勝負と評価する世間の声に疑問を呈している。

競馬場[編集]

中央競馬[編集]

函館競馬場
  1. 日本で歴史が一番長い競馬場と言われるが…。
  2. 重賞数が3つと中央競馬開催競馬場の中で一番少ない。
    • それゆえ重賞名も「函館」が付くだけで他場のように特徴がない。
  3. ある調教助手(当時)が「開催存続のためにも足を運んでください」とTwitterで言った。
    • スタンドは全面改築されたものの…。
  4. 1992年まではホッカイドウ競馬の開催もあったが、門別競馬場の開設の影響で1998年に廃止された。
  5. かつて某紳士服店の看板が名物で中継で必ず映っていたが2018年から塗りつぶしで競馬場から見られないようにした。
福島競馬場
  1. 2000年ぐらいまでは秋の開催でも3歳の未勝利戦を行っていた。
    • ある時は全12レース中特別3レースを除く9レースが未勝利戦なんてことも…。
  2. 重賞が4つ(福島牝馬S・ラジオNIKKEI賞・七夕賞・福島記念)と、中央の競馬場の中で2番目に少ない。
  3. 1984年のグレード制導入以降、未だにGⅡの競走が行われていない。
    • 函館・新潟・小倉は振替でのGⅡ開催経験がある。
新潟競馬場
  1. 2020年現在秋の開催は中央において唯一重賞が行われない。
  2. 中央で唯一の直線1,000mコースがあるものの…。
    • アイビスサマーダッシュ勝ち馬でGIを制したのはカルストンライトオのみ。
    • スプリンターズステークスが2度も代替開催されたがいずれも1,200mコースで行われた。
      • 成績などの関係上、G1のスプリンターズステークスを直線1000mでやるのは無理でしょ。
    • 芝のコンディション差が顕著で外枠が圧倒的に有利。
東京競馬場
  1. スプリントの基幹距離である芝1,200mコースが無い。
    • 中山競馬場の改修でのスプリンターズステークスは新潟競馬場で代替開催された。
    • 1984年までは右回りの芝1200mが設定されていた。
  2. 府中の大欅は観戦や中継の妨げになってるのだが様々な事情により伐採することは不可能。
    • 実際は欅ではなく榎。
  3. 芝2,000mコースは設計上内枠有利。
    • メジロマックイーンの失格の原因と言われている。

地方競馬[編集]

浦和競馬場
  1. 南関東の地方競馬場のなかで一番狭い。大井が16頭、船橋・川崎が14頭に対し浦和は最大12頭のみ。
  2. 住宅地のど真ん中にある関係上これ以上の拡幅は不可能。さらにナイター開催も南関東では唯一行われていない。
  3. 他3場と違い交流重賞はJpnIIまでしか行われていない。2019年にJBCが開催されたが常設のJpnIはない。
  4. コースも直線が短くカーブも急であり、特に第3コーナーは今までに2名の騎手が落馬が元で命を落としている。
    • それゆえ浦和コースを知り尽くした地方騎手の乗る地方馬が交流重賞で中央の強豪馬に勝利するケースは多い。
金沢競馬場
  1. 日本海側では唯一現存する地方競馬場。(益田は廃止、新潟は中央開催のみになった)
  2. 人気馬が落馬したり不自然な大敗をする、明らかに不自然なオッズの偏りがあるなど、八百長疑惑が色濃い。
  3. 金沢所属で重賞勝ちもある実績のある吉原寛人騎手が中央に所属できないのもこういう事情があるとか・・・。
笠松競馬場
  1. 競走馬ではオグリキャップ、騎手では安藤勝己などを輩出した競馬場だが…。
    • 廃止が検討された時期かなり多くの騎手が中央や他の地方競馬に移籍した。
  2. 2019年現在地方競馬主催者として唯一ダートグレード競走を開催していない。
  3. コース内側に田畑や墓地があるように敷地のほとんどが借地であり地主と裁判になったことがある。
  4. 2011年、レース中にも関わらず馬場を均す車がコースに入ってしまい出走馬が避けざるを得ないなどあわや事故になりかねない事件が起こり当然レースは不成立となった。
  5. 競走馬が競馬場を脱走する事故が多く馬と衝突した車の運転手が死亡したことがある。
  6. 所属馬で地方重賞を複数勝利した牝馬が過酷なローテーションで現役中に死亡し物議を醸した。
中津競馬場
  1. 大分県中津市にあった競馬場。
  2. ピーク時である1979年度の売上は130億円もあったが、1995年度からは単年度収支で赤字を計上し続け、2000年までの累計赤字は21億円に。
    • その累積赤字を理由に2001年2月10日、大分合同新聞に「中津競馬場、来春をめどに閉鎖」という記事が掲載された。
      • その3日後の2月13日、中津競馬組合会議で中津市の鈴木一郎市長は「2001年6月3日をもって閉鎖する」と正式に表明。
  3. ところが、3月22日の開催を最後に突然の閉鎖。
    • 閉鎖理由は「ゴールの判定写真を行う映像業者との契約更新ができなかったから」というものだった。
    • しかも中津市は「閉鎖によって仕事を失う人たちに一切の補償をしない」と表明。
  4. 中津競馬に所属していた競走馬のうち、約100頭は他の競馬場などに引き取られていったが、残りの約200頭は引き取り先が見つからず廃馬処分に…。

関連項目[編集]




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