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ざんねんな野球事典

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分割済み[編集]

人物[編集]

審判[編集]

マイク・ディミュロ
  1. 「日米間での野球の交流」「審判技術の向上」を目標としたセ・リーグがMLBに依頼し、1997年に来日。
  2. ところがディミュロのストライクゾーンは当時の日本野球のストライクゾーンとかなり違っていたり、当時の日本で採用されていた審判員の立ち位置に関する取り決めに戸惑い他の審判員との連携が上手く取れなかったことで、現場からは不満が続出。
    • ディミュロを招聘したセ・リーグの川島会長(当時)は彼の擁護に努めたが…。
  3. 1997年6月5日の中日対横浜戦(長良川)で判定に抗議した中日の大豊泰昭を退場処分した際に、大豊とコーチ数名と星野監督がディミュロを取り囲み、バックネット方向に追い詰めるという事態となった。
  4. 集団で猛抗議されたことに大きなカルチャーショックを受けたディミュロは試合後、「自分のアンパイアとしてのキャリアの中で経験したことのない恐怖感を覚えた」とコメント。翌日セ・リーグの事務局に辞表を提出した。
    • 事務局は慰留に努めたが、この一件がアメリカで大きく報じられ、MLBも日本に審判員を派遣するメリットがないと判断し、セ・リーグの事務局にディミュロを帰国させるよう要望し、セ・リーグは止むなくディミュロの辞表を受理。
  5. MLB復帰後も微妙な判定が多かった。
    • 2008年5月25日のヤンキース対マリナーズ戦の2回裏、2打席連続の見逃し三振の判定にイチローが抗議。
      • これに呼応して判定に異議を唱えた監督のジョン・マクラーレンに対して主審のディミュロは退場を宣告した。
    • 試合後イチローは「あの審判こそ退場すべき」「大豊さんの気持ちが分かった」と発言。
  6. ディミュロの帰国後、現在まで日本プロ野球では外国人の審判員を採用していない。
    • また、ディミュロの審判員としての袖番号の「4」もディミュロ以降つけた審判員がおらず、事実上の永久欠番となっている。

試合・シーズン展開[編集]

プロ野球[編集]

シーズン[編集]

1959年の読売ジャイアンツ
  1. ペナントレースではリーグ5連覇を達成するも、日本シリーズでは杉浦忠を擁する南海ホークスに4連敗した。
    • 日本シリーズで引き分けを挟まず4連敗したのはこの時の巨人が最初。
1960年の大毎オリオンズ
  1. 「ミサイル打線」と渾名された強力打線を擁してリーグ優勝したが、日本シリーズでは魔術師:三原脩監督率いる大洋ホエールズに4連敗した。
    • シーズン中に大毎は引き分けを挟んでの18連勝を記録するなど絶好調だったたが終盤に失速、結局優勝を決めたのは最終戦の2試合前だった。
  2. この年の大毎オリオンズを率いたのは後に阪急や近鉄で黄金時代を築く西本幸雄だったが、日本シリーズで敗戦した際にオーナーからの電話で口論になりシリーズ終了後に1年で解任されてしまった。
1961年の大洋ホエールズ
  1. 前年日本シリーズ4連勝で日本一に輝いたが、この年はタイトルホルダーこそ出したものの最下位に沈んだ。
    • 日本プロ野球史上初めての「日本一のチームが翌年最下位」という事態に陥った。
    • さらに翌年と3年後の1962、64年はあと一歩のところで阪神に優勝をさらわれた。そして結局、1960年は「大洋ホエールズ」としての最初で最後の日本一(リーグ優勝)ということになってしまった。
1961年の近鉄バファロー
  1. 開幕直後に4連敗、4月中旬に8連敗、5月中旬に6連敗、その後も6月から8月にかけて10連敗を3度も記録するなど大型連敗を繰り返した。
    • 最終的な成績は36勝103敗1分、勝率は.261。
      • 優勝した南海には51.5ゲーム差、5位の阪急にも18ゲーム差と大きく引き離されて4年連続の最下位となり、千葉監督は責任を取って辞任。
  2. 6月3日、西宮球場での阪急ブレーブス戦でジャック・ブルームが「ヤンキー・ゴー・ホーム!」とヤジを飛ばした観客に激怒し、スタンドに乗り込んでその観客を蹴り飛ばし、制裁金5万円・出場停止7日間という処分を受けてしまった。
  3. この年、後に近鉄の主力打者となる土井正博が入団したが、この年の一軍出場は無かった。
1973年の阪神タイガース
  1. 巨人と激しい優勝争いを展開し、残り2試合で1勝すれば優勝というところまでこぎつけたものの、中日球場での対中日戦で敗戦、甲子園での巨人との最終戦に至っては1勝もできず(0対9)、巨人のV9を許した。
  2. 最終戦終了後、阪神のあまりの惨敗っぷりに怒ったファンがグラウンドに乱入し、巨人ベンチを襲撃するなど暴動を起こしたのは有名な話。
1975年の読売ジャイアンツ
  1. 長嶋茂雄が監督に就任して1年目の巨人だったが、チーム創設以来初めてリーグ最下位に終わった。
    • なお、巨人が最下位に終わったのはこの年が唯一である。
1977年の南海ホークス
  1. この年の南海の成績は2位とさほど悪い成績ではなかったが、残り2試合を残した9月28日に野村克也監督の電撃解任を発表。
    • 当時はまだ愛人関係にあった沙知代(当時伊東芳枝)の「チーム・選手への口出し、および度重なる公私混同」が理由で、野村を大事にしていた川勝傳オーナーの耳にも入り解任に至った。
  2. 野村と打撃コーチの高畠康真はロッテに、柏原純一は日本ハムに、江夏豊は広島にそれぞれ移籍。
  3. この年を最後に南海はAクラスに入ることなく、1988年にダイエーに身売りされた。
1978年の阪急ブレーブス
  1. 日本シリーズ第7戦でヤクルトの大杉勝男のHR判定を巡って上田利治監督が1時間19分の猛抗議をするも判定は覆らず。先発していた足立光宏が試合再開後に降板し、その後はヤクルトにボコボコにされ、シリーズ4連覇の夢は消えてしまった。
    • 上田は抗議の責任を取る形で、翌日監督を辞任。
1979年のヤクルトスワローズ
  1. 前年阪急との死闘の末悲願だった日本一に輝いたが、この年は最下位に沈んだ。
    • 皮肉なことに広岡達朗監督が「守れない選手はいらない」と放出したチャーリー・マニエルを獲得した近鉄バファローズがこの年球団史上初のリーグ優勝を決めている。
1988年の中日ドラゴンズ
  1. 4月終了時点で首位の広島に8ゲーム差の最下位、その後巻き返したが7月頭に巨人との北海道シリーズで3タテを喫してしまう。この時点での成績は29勝31敗2分で2つの借金。
  2. ここから怒涛の巻き返しを見せ、50勝15敗3分・勝率.769という驚異の成績で、10月7日のヤクルト戦を大勝し6年ぶり4度目の優勝。
    • しかし昭和天皇の体調悪化もあり、祝勝会(ビールかけ)は自粛となってしまう。
  3. 西武との日本シリーズではシーズンで18勝を挙げた小野和幸が第1戦・第5戦と打たれ、更に主砲の落合博満も本塁打・打点ともに0と西武に封じ込まれ、1勝4敗で無念の敗退。
1988年の近鉄バファローズ
  1. 終盤に前年までリーグ3連覇中の西武と熾烈な優勝争いを繰り広げ、残り3戦を3勝が優勝の絶対条件となるも、伝説の10.19・VSロッテ戦(川崎球場)で第2試合で時間切れ引き分けとなり、西武の4連覇を許す羽目に。
1990年の読売ジャイアンツ
  1. ペナントレースでは88勝、2位と22ゲーム差という大独走で優勝するも、日本シリーズでは西武ライオンズに4連敗した。
1994年の中日ドラゴンズ
  1. シーズン中盤まで巨人との首位争いとなったが、8月に8連敗を喫し広島に逆転を許す。
  2. しかし、9月に入ると持ち直し、9月20日からの9連勝などで、10月7日時点で巨人と69勝60敗で同率首位となる。
  3. 巨人をあと一歩まで追い詰めたものの、例の10.8決戦で3-6で敗戦し、優勝を逃した。
1998年の千葉ロッテマリーンズ
  1. ダブルストッパーの成本年秀、河本育之がそろって故障するなど投手陣が崩壊し、プロ野球新記録の18連敗を記録。エース黒木知宏は最多勝と最高勝率の2冠に輝いたが18連敗はあまりにも重くチームは最下位に低迷、責任を取って近藤昭仁監督は辞任した。
    • おまけに近藤監督は辞任会見の席上で「もっと強いチームで監督をやりたかった」と発言し、ロッテファンの非難を浴びた。
1999年の阪神タイガース
  1. ノムさんこと野村克也の監督就任1年目の阪神。6月に中日を抜いて一時首位に立った。
  2. しかし、勢いはすぐに無くなり、それどころか球団記録タイの12連敗を喫し、2年連続の最下位に終わった。
  3. 一方二軍はウエスタンリーグを2年連続で制覇し、さらにファーム日本選手権も制し初の日本一となった。
2000年の中日ドラゴンズ
  1. 初の2連覇を目指すも五輪で来日して獲得したディンゴが不発、巨人に目の前で劇的優勝を見せられる。
2002年の横浜ベイスターズ
  1. この年から経営母体がマルハからTBSに譲渡されたが…。
  2. 谷繁元信・小宮山悟の移籍による戦力の低下、更に主力メンバーの不振が蔓延した結果、開幕から記録的な低迷を続け16年ぶりの13連敗を喫するなど最下位を独走。
    • 結局シーズン終盤の9月25日に森祇晶監督は契約を一年残して解任された。
      • 監督代行はヘッド兼打撃コーチだった黒江透修がシーズン最終戦まで務めた。
  3. チーム防御率・失点はリーグ5位、打率・得点・安打・本塁打はリーグ最下位、サヨナラ勝ちもなし、観客動員も大幅減少と、踏んだり蹴ったりのシーズンとなってしまった。
    • 明るい話題は2年目の吉見祐治が11勝を挙げて新人王を争ったことぐらい。
2002年の阪神タイガース
  1. この年より星野仙一が監督に就任。当時5年連続リーグ最下位を喫し「ダメ虎」と言われた阪神の改革を任されたが…。
  2. 開幕戦の巨人戦で勝利し12年ぶりに開幕戦を勝利で飾る。勢いそのままに巨人を3タテし開幕7連勝でスタートし、序盤こそ巨人と首位争いを繰り広げる。
  3. しかし、夏に差し掛かるとレギュラー選手に相次いで故障離脱が続出。
    • 特に赤星・矢野の離脱は痛かった。
    • 日韓ワールドカップの開催による変則日程の影響も少なからずあると思う。
      • 因みにワールドカップ開催中の6月の阪神の成績は4勝13敗。
  4. 後半戦には、当時の阪神名物であった大型連敗8を喫し、星野監督の怒りは頂点に。
  5. 結局、最下位は脱出したものの、Aクラス進出に失敗し4位に終わる。
    • オフには「血の入れ替え」とも称される大改革を決行し大量20人が退団。さらには、巨人もびっくりの大型補強を実施。
      • これが翌年の18年ぶりの優勝につながったという見方もある。
2002年の西武ライオンズ
  1. ペナントレースでは90勝、近鉄やダイエーと16.5ゲーム差という1990年の巨人を彷彿とさせる大独走で優勝するも、この年の日本シリーズは1990年とは逆のパターンで巨人に4連敗した。
2003年のオリックス・ブルーウェーブ
  1. 負け数・勝率こそセ・リーグ最下位の横浜に及ばないものの、140試合で927失点、チーム防御率が史上最悪の5.95で最下位になった。
  2. 優勝したダイエー相手に20失点以上の敗戦が4回もあった。
    • しかも7月27日に7-26で負け、そのわずか5日後の8月1日にまた1-29で負けた。
    • なお上記以外の2試合ではオリックスも11点取っている。
2006年の読売ジャイアンツ
  1. 原監督復帰、李承燁獲得で快進撃も故障者続出で初の2年連続Bクラス。
2007年の読売ジャイアンツ
  1. 第2次原監督時代として初のリーグ優勝を果たすも、この年より導入したクライマックスシリーズで中日に3連敗を喫する。
    • そのため、リーグ優勝しながら日本シリーズに出場できなかったチームはこの巨人が初となった。
2008年の阪神タイガース
  1. 2位と最大13ゲーム差からのまさかのV逸。
  2. そして2位で迎えたCSも中日に破れ、日本一への道も閉ざされる。
  3. 某掲示板では「Vやねん!」が未だにネタにされるほど。
  4. このV逸の責任をとり岡田彰布監督が辞任した。
  5. 矢野輝弘、新井貴浩、 藤川球児が北京オリンピックに出てよかったことなんて無かった。
2010年の福岡ソフトバンクホークス
  1. ソフトバンク時代としては初となるリーグ優勝を果たすも、CSでロッテに日本シリーズ出場を献上した。
    • そのため、日本シリーズ出場&日本一は翌年まで待つ事になった。
2011年の東京ヤクルトスワローズ
  1. 開幕直後から首位を独走していたが、10月に入ってから中日に逆転され、最終的にその中日にリーグ優勝を献上した。
2011年の千葉ロッテマリーンズ
  1. 前年3位から日本一という「下克上」を達成するも、この年はチーム総本塁打数が西武の主砲・中村剛也一人に負けるという貧打(ロッテ46本、中村48本)で最下位に沈んだ。
    • ロッテはこれで1975年前期とあわせて「日本一の翌年最下位」を2度味わった唯一のチームとなった。
2013年の北海道日本ハムファイターズ
  1. 前年優勝も大型トレードをして最下位、トレード相手のオリックスもブービー。
2014年の東北楽天ゴールデンイーグルス
  1. 前年は田中将大らの活躍により球団初のリーグ優勝・日本一に輝いた楽天だったが、星野監督の休養や田中のメジャー移籍などが響いたのかこの年は最下位に沈んだ。
2014年の読売ジャイアンツ
  1. ペナントレースは7ゲーム差つけてリーグ優勝を果たすも、CSでは阪神にまさかの4連敗。
    • なお、巨人は2007年もCSで中日に敗れたため、リーグ優勝した巨人が日本シリーズに出られなかったのはこれで2回目となった(西武が2年連続でCSでソフトバンクに敗れるまで、2回も日本シリーズに出られなかった唯一のチームだった)。
2015年の横浜DeNAベイスターズ
  1. 開幕10試合消化時点で、首位に立つ。
  2. しかし、交流戦で10連敗を食らって、堂々の最下位。
  3. そこから脅威の巻き返しで、巨人や阪神とのマッチレースを交わして、前半戦を首位でターン。
  4. しかし、オールスター明けに大失速。広島・ヤクルトに抜かされ、終盤は、中日との最下位争いを演じる羽目に。
  5. クライマックスの進出も消滅。終いには最終戦に敗戦し、最下位が確定。
    • 前半戦首位で折り返しながら、シーズンを最下位で終えるプロ野球史上初(2期制時のパは除く)の赤っ恥となる。
  6. この責任を取って、中畑清監督(当時)が、辞任した。
    • でも、キヨシのおかげで選手がやる気を出したのは大きい。
2016年の福岡ソフトバンクホークス
  1. 前半戦は快調に首位を飛ばすも、途中から最大11.5ゲーム差あった日本ハムの怒涛の追い上げを喰らい失速。終わってみればまさかのV逸。
  2. そして2位で迎えたCSもロッテには勝利したもののファイナルでまたしても日本ハムに破れ、日本一への道も閉ざされた。
  3. 近年のホークスとしては珍しくリーグ優勝または日本一になれずに終わった数少ないシーズンである。
2017年の広島東洋カープ
  1. 1980年以来となる2年連続のリーグ優勝を果たすも、CSではDeNAに敗れた。
2018年の埼玉西武ライオンズ
  1. 開幕から首位のまま10年ぶりのリーグ優勝を果たすも、CSではソフトバンクに敗れた。
2019年の東京ヤクルトスワローズ
  1. 序盤は快進撃も大型連勝も記録せず49年ぶりの球団ワーストタイ16連敗を喫して最下位。
  2. この年の収穫は村上宗隆が高卒2年目で36本塁打・96打点を挙げ新人王に輝いたぐらいか。

試合[編集]

1982年8月31日 プロ野球セ・リーグ公式戦 大洋対阪神(横浜スタジアム)
  1. 7回表の阪神の攻撃で、サードの前に落ちたフライの判定を巡って阪神が抗議。
    • その最中に阪神のほぼ全員の選手が三塁塁審の鷲谷亘を三塁側のファウルゾーンのフェンス付近で取り囲み、島野育夫一塁ベースコーチ・柴田猛コーチが鷲谷塁審を抑えつけ、殴る蹴るの暴行を加えた。
      • 止めに入った球審の岡田功に対しても殴る蹴るの暴行を加え、岡田球審はグラウンドにうずくまる事態に…。
  2. この試合の責任審判でもあった岡田球審は、「暴力団のようなチームと試合ができるか!!」とプロテクターをたたきつけて怒り、審判団を引き揚げさせた。
    • その後阪神・安藤統男監督が控室を訪れて陳謝し、岡田球審が「大変痛めつけられましたが、柴田・島野両コーチを退場させて試合を再開します」と異例の表現で場内アナウンスし、試合再開となった。
      • 審判団は没収試合も考えていたが、安藤監督の謝罪とと夏休みの最終日で多かった観客への配慮から続行を決めたとのこと。
    • 試合は9回に問題のフライを打ち上げた藤田が9回にツーランホームランを放ち、阪神が3対1で勝利。
  3. 島野コーチと柴田コーチは公式戦の無期限出場停止処分を受けたが、後に両コーチが事件について反省の意を示したこともあり、翌1983年3月に処分は解除されている。
1982年10月18日 プロ野球セ・リーグ公式戦 大洋対中日(横浜スタジアム)
  1. この試合がシーズン最終戦の中日は、引き分け以上なら優勝という大一番。
    • さらに首位打者争いも長崎啓二(大洋)と田尾安志(中日)の差が僅かに1厘差という状況で迎えた1戦。
  2. 大洋は長崎を試合に出さず、一方で田尾に対しては5打席連続敬遠を行った。
    • この行為に対し、田尾は5打席目で敬遠球に対し抗議の意味を込めた空振りを行ったほどだった。
  3. 試合はランナーとして出塁した田尾が失点に絡むケースもあり0-8で大洋が大敗。この結果、中日の優勝が決まったが…。
  4. ファンからは「イニングの先頭打者である田尾へ敬遠した大洋の行為は敗退行為ではないか」と連盟に抗議が集中する事態となった。
1991年6月18日 プロ野球セ・リーグ公式戦 中日対大洋(ナゴヤ球場)
  1. 6-6で迎えた延長10回裏に中日・彦野利勝がレフトにサヨナラホームランを打ったが、一塁ベースを回った所で転倒。
    • 脚を痛めて走塁ができなくなり、代走の山口幸司がホームインした。
  2. 彦野の怪我は当初捻挫と診断されていたが、その後の検査で右膝の靭帯が断裂していることが判明、長期離脱を余儀なくされてしまった。
1998年7月7日 プロ野球パ・リーグ公式戦 オリックス対ロッテ(グリーンスタジアム神戸)
  1. ロッテはこの日まで1つの引き分けを挟み16連敗。あと1敗で連敗記録の単独ワースト記録を樹立する状況で、7月7日のオリックス戦を迎えた。
    • この試合はパ・リーグの5位と6位の対戦だったが、フジテレビ系列で生中継されるほどの注目を集めた。
  2. ロッテの先発・黒木知宏は初回からガンガン飛ばし、イチロー・谷佳知らを擁する青波打線を1点で封じていた。試合も9回表の時点で3-1とロッテが2点のリード。
    • 当日の神戸の高温多湿の天候から脱水症状を発症していたという黒木だが、台所事情(クローザー不在)もあり近藤監督に明かさずに投げ続け、魂のピッチングで2死1塁とする。
  3. ここで打席にはハービー・プリアム。インコースに弱いプリアムに対し、黒木はアウトコースのボールで2ストライクを奪うと、139球目をセオリー通りインローに投げ込んだが…。
    • 146km/hのストレートをプリアムは完璧に打ち返し、ボールはそのままマリーンズファンが陣取るレフト席にスタンドイン。あと一球で連敗脱出というところからの同点ホームランとなってしまった。
      • ホームランを打たれた直後に黒木はマウンド上で泣き崩れ、チームメイトに抱えられながら降板。
        • ベンチに下がった直後に黒木は脱水症状と体力消耗で全身痙攣を起こし、バスに乗り込む際までチームメイトに抱えられていた。
  4. 試合は3-3のまま迎えた延長12回裏、ロッテの3番手・近藤芳久がオリックスの代打・広永益隆に代打サヨナラ満塁ホームランを食らい敗北。
    • ロッテは連敗の日本新記録の17連敗を単独で樹立することとなってしまった。
2007年10月6日 プロ野球セ・リーグ 広島対横浜
  1. この試合は佐々岡真司の引退試合だったが、佐々岡が登板した9回表に村田修一が36号ホームランを放った。なお、このホームランは村田の本塁打王を決定付けるものだった。
    • 佐々岡は「真剣勝負をしてくれて気持ちよかった」とコメント。
2008年10月12日 プロ野球セ・リーグ ヤクルト対横浜
  1. ヤクルトの4選手の引退試合だったのにもかかわらず、またしても村田修一が7回表に46号3ランホームランを決め、これが村田の本塁打王を決定付けた。この46号が、横浜ベイスターズの年間のホームラン記録を塗り替えるものとなった。
    • この村田のホームランでヤクルトの先発・高市俊の勝ち星が消滅。高市はその後プロでの勝利がないまま引退。
2010年9月30日 プロ野球セ・リーグ 阪神対横浜
  1. この試合は阪神・矢野燿大の引退試合で、9回表2アウトの時点で阪神が勝ち越していれば矢野が捕手として出場する予定だったのが、9回表に横浜・村田修一が3ランホームランを放ち横浜が3対4で逆転。矢野は出場できなくなってしまった。試合は3対4で横浜が勝利。
  2. なお、試合後に行われた矢野の引退セレモニーで花束を贈呈したのは村田修一だった。
  3. この試合のサンテレビでの実況中継で 「行くな、行くな、越えるな!」 が話題となった。
2012年10月8日 プロ野球パ・リーグ ソフトバンク対オリックス
  1. この試合はソフトバンク・小久保裕紀の引退試合だったが、オリックスの先発である西勇輝がノーヒットノーランを達成。
  2. なお、このノーヒットノーランは平成生まれの選手では初記録となった。
2017年10月1日 プロ野球セ・リーグ 巨人対阪神
  1. この試合に巨人が4-5で敗れ、さらにDeNAが広島に13-7で勝利したため、巨人は初めてクライマックスシリーズ出場を逃すこととなってしまった。
    • その際にDeNAの応援団が二次会で「読売一生Bクラス!」コールをしたのが有名である。
    • 横浜DeNAの先発だったウィーランドが5回7失点だったのに勝利投手になるし(本人は凄く不思議な気持ちになった)、3ランホームランをかましてしまった。
    • ちなみに2010年代において、巨人がBクラスになったのはこの年が唯一である。

日本シリーズ[編集]

1975年の日本シリーズ
  1. 広島東洋カープが初めて出場した日本シリーズであったが、剛腕:山口高志を擁する阪急ブレーブスに4敗2分と1勝も出来ずに敗退した。
    • おかげで重松清の小説「赤ヘル1975」でも、日本シリーズについてはほぼ書かれていない。
1989年の日本シリーズ
  1. 第3戦までに近鉄が3連勝するも、加藤哲郎の発言が 「巨人はロッテより弱い」 と報道されてから、巨人が4連勝して逆転優勝を収めた。
    • 加藤曰く、第3戦の試合後のダッグアウトであるスポーツ新聞の近鉄の担当記者から「(巨人は)ロッテより弱いんちゃうの?」と振られ、「あれだけええピッチャーおったら(リーグ)優勝するで。でも打線はアカンなぁ」と答えたら、後半の部分だけがいつの間にか「巨人はロッテより弱い」という話にすり替えられたと後に主張している。
2000年の日本シリーズ
  1. 福岡ドームで第3戦から第5戦が開催される予定だった10月24日から10月26日にかけて、別のイベント(日本脳神経外科学会)が開催された影響で、東京ドーム2連戦→休養日なしで福岡ドームで第3戦→2日間中断→福岡ドーム2連戦→休養日なしで東京ドームで第6戦(巨人の日本一が決定)という変則日程になってしまった。
2005年の日本シリーズ 阪神ロッテ
  1. トラキチにとっては非常に最悪な結果に(33-4)。
  2. 第4戦以外はすべてロッテが10点とって勝利した。
2007日本シリーズ第5戦 中日対日本ハム
  1. 中日は山井大介が先発で登板し、8回ノーヒットで抑えるも落合博満監督などの判断で9回に岩瀬仁紀に交代した。結果は岩瀬もノーヒットに抑え1対0で中日の優勝が決定。この采配に賛否両論の意見が寄せられた。
2012年の日本シリーズ 第5戦 日本ハム対巨人
  1. 4回表に日本ハム・多田野が巨人・加藤に対して投げた一球が問題になった。
    • スローで見ると加藤の頭にボールは当たっていなかったが、球審の柳田は死球と判定し多田野を退場処分に。
      • 多田野は「だます方もだます方。だまされる方もだまされる方」とコメント。
  2. 5回表に再び加藤の打席が回ってくると加藤に対して大ブーイングが…。
2014年の日本シリーズ 第5戦 阪神対ソフトバンク
  1. トラキチにとっては悪夢以外の何物でもない。阪神の西岡剛が一塁へゴロを放つとファーストがバックホームで2死を取り、再びファーストへ投げたが、ファーストが捕球できず、外野へ転がる間にランナーが帰ったが併殺プレーにおいて西岡がラインの内側を走ったことによる守備妨害でアウトとなり、そのままソフトバンクの日本一が決定。

その他[編集]

セ・パ交流戦
  1. パ・リーグの強さが顕著になり、セ・リーグが勝ち越せたのは2009年のみ。
    • 交流戦優勝球団もパ・リーグ球団が12回 (うちソフトバンクが8回) 。
    • その究極と言えるのが2010年で1位から6位をパ・リーグが占めた。
  2. 2015年から2018年まで、交流戦で勝ち越したリーグがドラフト会議で優先的に指名できるルールだったのが、4回ともパ・リーグが勝ち越したこともあり、1年おきに交互に優先権が与えられるルールに変わった。
2015年のセ・リーグ
  1. 交流戦でパ・リーグに大きく負け越し、7月にはリーグ全球団の勝率が5割未満になる異例の事態が発生した。
2015年のパ・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ ソフトバンク対ロッテ
  1. CSファイナルでは3度目となるソフトバンク対ロッテ。前回(2010年)は同年3位のロッテがパ・リーグ優勝球団のソフトバンクに勝利しており(あの「史上最大の下剋上」のシーズン)、さらにCSの前身であるパリーグプレーオフ(2005年)においても同年2位のロッテが同年1位のソフトバンクに勝利していた。
  2. しかもそれが5年周期であったことから「下剋上」・「ゴールデンイヤー」と銘打ったロッテであったが、パ・リーグ優勝球団のソフトバンクに3連敗し敗退を喫した(アドバンテージ分を除く)。
2019年のパ・リーグクライマックスシリーズファイナルステージ 西武対ソフトバンク
  1. パ・リーグ優勝球団の西武が、同年2位のソフトバンクに4連敗し敗退。ファイナルステージで (アドバンテージを除き) リーグ優勝球団が4連敗するのはパ・リーグで初めて (セ・リーグでは2014年に前例あり) 。
    • なお、西武は昨年度も同じくCSでソフトバンクに敗退したため、2年連続でパ・リーグ優勝球団が日本シリーズに出られないこととなった。

高校野球[編集]

1992年夏2回戦 明徳義塾対星稜
  1. 星稜のプロ注目4番打者松井秀喜に対して明徳義塾が全5打席連続敬遠。スタンドからメガホンが投げ込まれ球場から大ブーイングが発生し、明徳義塾の勝利の校歌斉唱で「帰れコール」が起きて校歌がほとんど聞こえず。
  2. 明徳義塾の学校や宿舎に苦情電話が殺到。あまりの大バッシングに続く3回戦で明徳義塾の選手は本来のプレーができず広島工に0-8で完敗。
2006年春の選抜高校野球大会
  1. 前年夏の甲子園・秋の明治神宮大会優勝の優勝候補筆頭・駒大苫小牧が出場辞退したせいでどこが優勝しても「ナンバー2を決める大会」になってしまった。
  2. 決勝の横浜対清峰は21-0という記録的大差がついてしまい最後まで後味の悪い大会になった。
2011年春の選抜高校野球大会
  1. 東日本大震災で中止も検討された中、なんとか開催にこぎつけるも入場行進中止、鳴り物禁止、延長戦なし、終盤の逆転劇なし、ナイターなし、サヨナラゲーム1試合だけという非常に盛り上がりに欠ける大会に。
  2. 被災地からの出場で被災後数日連絡が取れてなかった東北高校は、全国から大声援を受けるも初戦で大垣日大に0-7で完敗。
    • 東北に勝利した大垣日大の学校や宿舎に(上記の明徳義塾のような)苦情電話が殺到。続く2回戦で大垣日大の選手は本来のプレーができず東海大相模に5-13で完敗。
    • なお優勝したのはその東海大相模。
2012年夏岩手大会決勝 花巻東対盛岡大付
  1. 3回表一死一・ニ塁の場面で、盛岡大付の選手が放ったレフトポール付近の打球を三塁塁審が本塁打と判定。
    • 花巻東の伝令が「ファウルじゃないのか」と抗議したが判定は覆らず。
      • 試合は3-5で花巻東が敗れた。
  2. この試合は岩手大会の準決勝で、アマチュア史上初となる160km/hを記録した大谷翔平の最後の夏の甲子園出場をかけた試合だったため注目度が高く、翌日のスポーツ紙は「大谷、審判の誤審に泣く」「花巻東、誤審の前に消える」などと誤審と決めつけるような見出しに。
  3. 岩手大会を優勝した盛岡大付も1回戦で立正大淞南に4-5で惜敗。
    • 更に閉会式で、高野連の奥島孝康会長が講評の中で「とりわけ残念なのが、大谷投手を甲子園で見られなかったこと」と発言してしまった。
2013年夏準々決勝 花巻東対鳴門
  1. 花巻東の選手がサイン盗みを行っていたことが発覚しネットで大問題に。
    • さらにカット打法も問題になる。
  2. 続く準決勝で花巻東の選手は本来のプレーができず延岡学園に完封負け。
2017年夏3回戦 仙台育英対大阪桐蔭
  1. 仙台育英の選手が大阪桐蔭の一塁手中川卓也の足を蹴った疑惑でネットが大炎上。
    • もし大阪桐蔭が勝っていたら前人未到の4季連覇もありえただけに…。
  2. 続く準々決勝で仙台育英の当該選手は欠場となり、広陵に完敗。

国際大会[編集]

アジアシリーズ
  1. スポンサーの撤退や日程、さらに参加国の都合により、2013年を最後に行われず。
    • 2014年にはWBSCより公認を得られていた。
  2. 2013年大会は中国が出場辞退したため、なぜかヨーロッパ代表が出場した。
日韓クラブチャンピオンシップ
  1. アジアシリーズの代替として開催されるも、2009年と2010年のたった2回で打ち切られた幻の大会
  2. 日本シリーズ優勝チームとKBOリーグ韓国シリーズ優勝チームの直接対決方式。
    • 二回とも日本のチームの勝利に終わり、韓国のチームは勝利できないまま終わった。
2006ワールドベースボールクラシック 第2ラウンド1組
  1. アメリカ戦ではボブ・デービッドソンによる誤審がクローズアップされてしまった。
    • 王監督は試合後「特に野球のスタートした国であるアメリカで、そういうこと(誤審)があってはいけない」とコメント。
    • 更にメキシコ‐アメリカ戦でも明らかな誤審が二つあり、この判定に奮起したメキシコ代表が2-1でアメリカに勝利。1勝2敗で並んだ日本・アメリカ・メキシコのうち、失点率が最も低かった日本が準決勝に進み、アメリカの第2ラウンド敗退が決定してしまった。
      • 一部には「この大会はワールド・ベースボール・クラシック(World Baseball Classic)ではなく、ワールド・ボブ・クラシック(World Bob Classic)だ」と揶揄する声もある。
  2. 韓国が日本に勝って準決勝進出を決めた際、マウンドに国旗を立てた行為も大きな問題になった。
2009ワールドベースボールクラシック
  1. 第1・2ラウンドではダブルイリミネーション方式が採用されたが、日韓戦が5回に及ぶなど欠陥が多く露呈した。
  2. 第2ラウンド2組1回戦でアメリカがプエルトリコにまさかの1-11コールド負け。
    • 敗者復活に回った後、プエルトリコに6-5でリベンジするなど準決勝進出を果たすも、1位決定戦でベネズエラに6-10、準決勝でも日本に4-9でそれぞれ敗れベスト4で終わった。
2013ワールドベースボールクラシック
  1. 日本のメンバー集め難航で強気に出た韓国と米国が優勝候補と目されながら早期敗退、日本のイケイケムードがあだとなり決勝進出失敗。

その他[編集]

全日本アマチュア野球王座決定戦
  1. 1991年から1997年にかけて開催されていた、事実上のアマチュア野球日本一決定戦なのだが…。
    • 時期的な問題点(社会人側が秋の日本選手権優勝チームなのに対し、大学側は春の全日本大学野球選手権の優勝チーム)・明治神宮大会と開催時期が近いという事情が現場の不評を買うことになり、1997年限りで廃止された。

野球場[編集]

札幌ドーム
  1. サッカー・野球の双方に使える多目的が売りだが、使用料が高いという理由で北海道日本ハムファイターズは北広島市に自前の球場を作り、本拠地を離れることになってしまった。
    • 元々2002 FIFAワールドカップの会場として建設された為、野球場としてはスタンドが急すぎる。
  2. 冬は天然芝が雪で使えないためサッカーの試合はできない。
  3. 一応「五大ドーム」の一つとなっているのだが、集客力と移動にかかるコスト、そして高額の使用料が重なり、開催実績はほかの4ドームに比べて圧倒的に少ない。
    • 嵐以外は一度やって埋まらなかったから二度とやらない、となる模様。ただしその嵐も2020年を最後に活動休止。
西武ドーム(メットライフドーム)
  1. 西武球場をドームにしたもの。ドーム球場になったのではなく球場の上に屋根を取り付けたという構造である。
    • その結果雨は防げるが風雨になると客席上段に雨が入って来る、空調はないので夏場は夜でも蒸し暑く、熱中症対策は必須である。冬場は寒風吹き曝し状態になるので寒さ対策も必要になってくる。
    • ドーム化初期は雨対策が不十分であったため、ドーム球場でありながら雨天中止になることがあった。
    • 元々屋根付きの屋外球場扱いにして、税金を安くするつもりだったが認められず、結局、一般的なドームと同じ税金がかかっているらしい。
  2. また、交通アクセスも良いとは言えない。西武球場前駅は6番線までホームはあるが狭山線が単線なので運行本数が増やせず、試合やイベント終了後は大混雑となってしまう。
  3. ネーミングライツを行っているが、命名権を買った企業に不祥事が発覚した事がある。
ヤクルト戸田球場
  1. 台風や集中豪雨等で増水した場合、球場全体が水没してしまう。
  2. アクセスも良くなく、最寄りのバス停から降りて10分歩いてやっと到着。
千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム)
  1. 幕張の海のそばに建てたため、浜風が強い!
  2. あまりに浜風が強いことから、かつて、千葉市議会で「千葉マリンのドーム化」が審議されたことがある。
    • 当時の市長が、「マリーンズが優勝したら考える」と発言したものの、いまだに実現されていない。
東京ドーム
  1. 日本初のドーム球場だが・・・
  2. ドーム球場のはずなのに、「風が吹いている」らしい。
    • 某仙一氏が「ここはホームラン風を吹かしている」と発言したことがある。
  3. 昔、ポール際の大飛球で大きく揉めたことがある。
    • これがきっかけで、ポールの色が塗り替えられた。
武蔵野グリーンパーク野球場
  1. 首都圏の慢性的な球場不足を解消するために1951年に開設。
  2. 国鉄も三鷹駅からここまで支線を通していたが…。
  3. プロ野球の試合は僅か1シーズンしか使われず、球場も5年後に解体されてしまった。
  4. 短命だった理由は、都心からのアクセスの問題・土質の問題(天然芝が育ちにくかった)・神宮の接収解除などで首都圏の野球場不足が緩和された事などが挙げられている。
東京スタジアム
  1. 建設された1962年当時としてはかなり先進的な野球場だったが、ロッテオリオンズの監督に就任した金田正一が「投手に不利な球場だ」といったことによりわずか11年で使用終了し解体されてしまった。
  2. 実はこの球場での最後の試合にロッテは名を連ねていない。
    • 1971年10月15日のヤクルト対阪神戦が最後のプロ野球公式戦。
川崎球場
  1. 1988年、ロッテ対近鉄の 「10.19決戦」 が川崎球場で行われたため多くの観客が詰めかけたものの、球場に発券機がなく窓口はてんやわんやに。さらにもともと入場者数が少なかったのが災いし、売店や自動販売機が品切れとなり、トイレも男女兼用で鍵が壊れていたところもあり、特に女性にとっては不便だった。
  2. 1989年から1991年にかけて改修工事が行われ、1988年に比べると利便性は向上したものの、それでもロッテ球団側の不信感を拭えず、1992年にロッテは千葉に移転した。
  3. そして現在は野球場としてはほぼ使われておらず、主にアメリカンフットボールが行われている。
  4. 観客がスタンドで、試合そっちのけで流しそうめんや麻雀をしていたのは、もはや伝説。
    • アベックが試合そっちのけでイチャコラしていたのを、テレビカメラに抜かれて、珍プレー番組に使用されることも。
中日球場→ナゴヤ球場
  1. 試合中に火事になったことがある。
    • 戦時中に空襲を経験していた杉下茂は火の手を見た瞬間「ああ百年目、俺ももうだめだ」と思ったらしい。
    • 最後の火災の時、ファンはグラウンドへ避難した。
      • その試合は消化試合だったため、当時「EXテレビ」で上岡龍太郎や島田紳助から「これがホンマの消火試合や」と揶揄されていた。
  2. 伊勢湾台風で、水没したことがある。
    • グラウンドは冠水、スコアボードが大破した。
  3. 球場名が変わった経緯がざんねん。
大阪ドーム(京セラドーム大阪)
  1. 地盤が弱いため、応援などで集団でのジャンプができない。
    • 震度計が反応するらしい。
      • あるアーティストがライブ中に観客にジャンプを煽ったところ、そのアーティストは出禁になったらしい。
  2. 野球観戦の場合、死角になる部分がかなり多い。
  3. 音楽イベント用に屋根の高さを変えられるギミックがあったが、制御装置が販売終了してしまい、故障したらメンテナンスが出来ない事から一定の高さで固定されてしまった。
  4. 天井のスーパーリングに打球が挟まることがしばしばある。
藤井寺球場
  1. 照明の問題で1983年までナイター開催が不可能だった。
    • 1983年までの事実上の本拠地はナイター設備のある大阪市の日本生命球場(日生球場)。
      • 1979年と1980年の日本シリーズは、南海の本拠地だった大阪球場を借りて開催。
    • 球場の設備も悪かったようで、1984年に近鉄に入団したドン・マネーが音を上げて帰国してしまった程。
  2. 1984年にようやくナイター設備が完成するも、その13年後の1997年に近鉄は大阪ドームに本拠地を移転。
    • 晩年は近鉄の二軍戦や高校野球の大阪大会が中心となった。
  3. 2004年9月30日のウエスタン・リーグ優勝決定戦(近鉄対中日戦)が最後の試合となった。
    • 2006年に解体され、現在球場の跡地には学校やマンションが立て並んでいる。
阪神甲子園球場
  1. 阪神ファン=大阪人と思われていることから大阪府にあるものだと思ったら、住所は兵庫県西宮市。
    • 東京ディズニーランドのようにネタにも挙がらないので、素で大阪にあるもんだと間違われる。
      • 事実神戸市よりも大阪市の方が近い。
  2. あまりに、阪神ファンのヤジが多いことから、現役選手から「やりずらい球場」の筆頭に挙げられることが多い。
神戸総合運動公園野球場(ほっともっとフィールド神戸)
  1. トイレが和式中心で評判が良くない。
  2. アクセスは比較的便利だが、神戸市の中心部からはやや行き辛い。
  3. ブルーウェーブ末期の平日のナイターはガラガラで、スタンドで寝ている人が居たらしい。
  4. その影響か、2011年以降オリックスの主催試合は年10~15試合程の開催となっている。
  5. ネーミングライツ適応後の略称が卑猥すぎる。
福岡ドーム(福岡 ヤフオク!ドーム→PayPayドーム)
  1. 開閉式ドーム球場として設計されたものの、諸々の理由により屋根が開閉されることは滅多にない…。
  2. 当初計画ではツインドームを作る予定だったが、ダイエーの経営難などにより取りやめになった。
  3. 2020シーズンから名前が変わるが、略称がかなり怪しくなってしまった。
  4. 「ホームランテラス」という、いわゆるラッキーゾーンの誕生で、ホームランの出やすい球場に。
ホークススタジアム筑後(タマホーム スタジアム筑後)
  1. ソフトバンクホークスの練習場、二軍・三軍の球場として2016年開場。
  2. 雁の巣の時と比べ物にならないぐらい福岡ドームから遠くなった。
    • 新幹線でも1時間かかる。
  3. 周囲に飲食店がほとんどなくコンビニ弁当を食べざるを得ないと言われている。
  4. 主力選手が契約更改の時改善を訴えた。

ユニフォーム[編集]

読売ジャイアンツ(1960)
  1. この年、日本テレビやNHKが、テレビのカラー放送を開始することを受けて、開発。
    • ホーム用は、白地のままだと、当時のカラーテレビではハレーションを起こすため、ベージュ地のユニフォームが採用され、「GIANTS」のロゴも赤色になった。
  2. しかし、なぜかたった3ヶ月で使用は終了。
    • 長い巨人軍の歴史の中で、もっとも短い期間しか使われなかったユニホームとされている。
  3. また、当時の解説者陣からの評判もすこぶる悪かったらしい。
中日ドラゴンズ(1968)
  1. 日本プロ野球史上初となるノースリーブのユニフォーム。
  2. しかし着用した途端にチームは低迷、さらにシーズン途中で監督(杉下茂)が休養、挙句の果てに最下位と、「縁起の悪いユニフォーム」としてシーズン終了と同時に封印された。
    • その後、1998年に中日は再びノースリーブのユニフォームを採用したが…。
  3. 36年後の2004年にNHKの特番でこのユニフォームが再現されたが、当時監督を務めていた杉下茂は「二度と見たくなかった」とコメント。
日拓ホームフライヤーズ(1973)
  1. オールスター開けの後半戦に登場した7種類のユニフォームが有名。
    • その中には、当時の中日ドラゴンズのホーム用のパクリみたいなデザインもあった。
  2. シーズン終了後に、球団が日本ハムに身売りしたため、たった3か月でお蔵入りとなった。まさに「幻のユニフォーム」。
読売ジャイアンツ(1975ー1980)
  1. 第一次長嶋政権時代に登場した、サンフランシスコ・ジャイアンツのパクり・・・もとい、参考にしたユニフォーム。
  2. 登場した年が、球団史上初の最下位。さらに、このユニフォームの時には一度も日本一になれず、トドメに長嶋監督の解任で、完全に「曰く付きのユニフォーム」となってしまう。
    • オマケに、江川事件(いわゆる「空白の一日」)が起こったのも、このユニフォームの時だった。
  3. 長嶋茂雄前監督解任→藤田元司新監督就任の81年には、何事もなかったかのように74年以前のモデルに戻されてしまった。
太平洋クラブライオンズ(1976)
  1. 通称「アメフト型ユニフォーム」。
    • ホーム・ビジター用の前面に、背番号と同じ大きさの番号が着いていた。
  2. 当然選手やファンからは大不評で、後期途中からマイナーチェンジしたユニフォームに。
阪神タイガース(1982ー2006)
  1. タイガースの代名詞ともいえる縦縞のユニフォーム、1985年の虎フィーバーの時のユニフォームとしても有名だが・・・。
  2. それ以降の暗黒時代のユニフォームとしても有名になってしまう。
    • 長く使用されていただけに、暗黒時代に突入してからも85年のフィーバーを良くも悪くも引きずっていたのがよく分かる。
      • ホーム用よりも85年のリーグ優勝と日本一の胴上げを経験したビジター用の方が暗黒時代のイメージも強くなった。
        • 2000年に元々ビジター用だった黒の帽子のみになったがそのきっかけは野村克也監督から「(ホーム用の縦縞の帽子の)頭の白が間抜けっぽい」と意見をつけられたことだった。
        • ホーム用のユニフォームはのちに暗黒から脱却し85年以来の優勝となる2003年・05年にも着用し、暗黒のイメージを払拭させられたがビジター用は00年まででお役御免となった。
福岡ダイエーホークス(1989-1992)
  1. 世界的デザイナー・三宅一生のデザインだったが…。
    • 鷹の顔を模したヘルメットが「日本一恥ずかしいデザインのヘルメット」として有名に。
      • 通称「ガッチャマンヘルメット」。
千葉ロッテマリーンズ(1992-1994)
  1. 千葉マリンスタジアムへの移転を機に、チームのイメージカラーとしてピンクを採用。
    • 小宮山悟の証言によると、ユニフォームの選定段階ではいくつかのカラーパターンが選手側に提示され、その中でエメラルドグリーンが一番人気を集めた。
      • しかしオーナー代行の重光昭夫の鶴の一声でピンクに決まり選手は一様に落胆したとの事。
  2. 結局1995年に監督に就任したバレンタインが「戦う者の着るユニフォームではない」と批判し、現在の白地に黒の縦縞のユニフォームになった。
近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズ(1997-2004)
  1. 大阪ドームへの移転を機にユニフォームを大きく変更したが…。
  2. 当初のビジター用の赤のユニフォームが選手から「東芝のユニフォームみたい」「プロが着るユニフォームじゃない」と酷評されまくった。
    • 更にデザインを担当したコシノヒロコが、週刊ベースボールのインタビューで「私が作ったユニフォームなんだから誰が着たって似合うに決まってる」と発言した記事が載り、火に油を注いでしまった。
中日ドラゴンズ(1998)
  1. ホーム用・アウェー用の他に、日曜日の試合でのみ着用したサンデーユニフォームが存在した。
    • 1968年以来、2度目のノースリーブタイプのユニフォームだったが…。
  2. このユニフォームでの試合の勝率が、それ以外の試合より極端に低かった(12試合・3勝9敗、勝率.250)こともあり、この年限りで廃止された。
オリックス・バファローズ(2005)
  1. オリックスブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併で誕生。その初代ユニホームは…。
  2. ブルーウェーブのユニホームの胸のロゴを「BlueWave」から「Buffaloes」に変えただけ。帽子のロゴも字体はそのまま「BW」から「Bs」に変えただけ。
    • 吸収合併だから仕方ないのかもしれないが、これには旧近鉄のファンや近鉄出身の選手から、大バッシングを受けたことは言うまでもない。
      • この不評を受けて、大阪での主催試合用のユニフォームも作られた。
      • 結局このブルーウェーブ風ユニフォームも1年で廃止となり、翌年からは大阪用からラグランの青と帽子の赤ラインを抜いたデザインを神戸用として採用。
        • その3年後には大阪での主催試合が増えたのに合わせてか、神戸用そのものも廃止。
埼玉西武ライオンズ(2009-2014)
  1. ロゴタイプを変更、この際のリーグ優勝なし。
  2. ことあるごとに「ライオンズブルーに戻せ」と言われやすかった。

背番号[編集]

巨人の4番
  1. 腸チフスで現役中に死亡した黒沢俊夫の背番号で、永久欠番。
  2. 4が死に重なり、縁起が悪いから永久欠番になったと思ってる人が多い。
ロッテの26番
  1. ファンの番号として永久欠番にしているが、こちらも縁起が悪いという理由で永久欠番になったのと同じ(元26番が強盗殺人事件を起こした)。
阪神の40番
  1. 着用していた土橋修が1966年のシーズンオフに交通事故死。
    • その前に付けていた並木輝男も1988年に脳溢血のため急死、その後に付けたマイク・ラインバックも1989年に交通事故死するなど、かなり不吉な背番号となっている。

関連項目[編集]




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