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ざんねんな野球事典

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球団[編集]

セ・リーグ[編集]

阪神タイガース
  1. 関西を代表する球団であるが、日本一になったのは(2リーグ時代に限れば)1985年の1回のみ。
    • 平成時代は広島や(球団消滅した)近鉄共々、一度も日本一を経験できずに終わった。
    • 観客動員は巨人よりも多いくらいだが、成績は悪い…。特に巨人には毎年のように負け越している。
    • それだけに一度優勝するとファンがお祭り騒ぎになる。
  2. 大阪の球団と勘違いされることが少なくない (本来なら兵庫の球団であり、大阪の球団はオリックスである) 。
    • 甲子園は神戸市よりも大阪市の方が近いというのもあろう。
    • 昔は大阪タイガースだったのも影響しているだろう。
  3. オフのお家騒動は、もはや名物。
読売ジャイアンツ
  1. 今も昔も球界の盟主のはずだが、アンチも多い。
    • カネに物を言わせて他球団の4番を強奪してきたりするため。
      • FAで獲得した選手も思ったほど活躍しないケースの方が多い。
    • 最近は阪神の方が球界の盟主になってきているかも。成績はともかく、観客動員では既に阪神に抜かれている。
  2. 優勝しても今ひとつ盛り上がりに欠ける。
    • 勝って当たり前、という認識が強いので。
東京ヤクルトスワローズ
  1. 巨人と並ぶ東京の球団だが、人気は巨人の影に隠れがち。
    • 特に神宮での阪神戦の場合、ヤクルトファンよりも阪神ファンの方が多い。さながら東京甲子園球場と言った印象。
      • 同じようなことは横浜スタジアムにおけるDeNA×阪神戦にも言える。
  2. 黄金時代と言われる野村監督時代ではあるが、その実日本一とBクラスを交互に繰り返していた(93年日本一→94年4位→95年日本一→96年4位→97年日本一→98年4位、この年で辞任)。
横浜ベイスターズ
  1. 特に親会社がTBSだった2002年~2011年の間が悲惨だった。11年間で8度も最下位という悲しい結果に終わった。
    • この間にAクラスになったのは1回(2005年)のみ。
    • 前代未聞の3年連続90敗を達成し、チーム内もかなり悲惨な状況だったとされる。
中日ドラゴンズ
  1. 2011年に落合博満監督が退任して以降、2013年からここまでBクラスが続いている。
    • 特に2016年は谷繁元信監督がシーズン中に事実上の解任となり最下位、以降も2年連続で5位が続いた。
松竹ロビンス
  1. セントラル・リーグの初代優勝チームだが、日本シリーズ中にチーム内で内乱が発生、毎日に2勝4敗で敗れ去る結果となった。
    • その後成績は低迷し1953年に大洋ホエールズと合併、「大洋松竹ロビンス」となるも、1954年に松竹が球団経営から撤退。再び「大洋ホエールズ」に戻ることとなった。

パ・リーグ[編集]

大阪近鉄バファローズ
  1. 球団創設以来一度も日本一になれれないまま、2004年にオリックス・ブルーウェーブに球団合併された。
    • リーグ優勝した1979~1980年・1989年・2001年は日本シリーズに出場したものの、いずれもセ・リーグ球団(1979・1980年→広島(前者はあの『江夏の21球』)、1989年→巨人、2001年→ヤクルト)に日本一を献上している。
阪急ブレーブス
  1. 1936年のプロ野球開幕当時からある球団だったが、戦前は優勝争いすらできない球団だった。
  2. 球団創設から1967年に初優勝するまで32年かかっている。
  3. 1970年代に黄金時代を迎えるも、人気は低迷し続けていた。
オリックス・バファローズ
  1. 最近でこそファンクラブ会員は増加傾向にあるが、未だにメディアでは阪神タイガースの需要が高い。
  2. 2019年現在までリーグ優勝経験なし。
    • 最後の優勝はブルーウェーブ時代の1996年。
  3. クライマックスシリーズを勝ち抜いた経験がない。
    • 2回進出しているが、いずれもレギュラーシーズン2位で1stステージがホーム開催にもかかわらず敗退。
  4. 最近はセ・パ交流戦で好成績を残すことがあっても、その強さがパ・リーグ公式戦に生かせていない。
日拓ホームフライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ
  1. 東映撤退後に日拓が参入したが、わずか1年(1973年)で日本ハムへ球団を売却。
  2. 7色のユニフォームが特徴的であった。
    • 但し選手・監督からは「ダブルヘッダーの第1試合で勝利したのでゲンを担いで着続けようとしたら『別のを着てくれ』と言われてしまった」(土橋正幸)「7種類のうち1種類は着た覚えがない」(新美敏)と、評判はあまり良くなかった模様。
日本ハムファイターズ(東京時代)
  1. 参入初年で前後期ともに最下位、総合最下位に終わった。
  2. 一度も日本一になれないまま(しかも東京ドーム時代に至ってはリーグ優勝すらできず)、2004年に本拠地を北海道へ移動した。
    • 唯一リーグ優勝した1981年は日本シリーズに出場したものの、同じく当時後楽園を本拠地とした巨人に日本一を献上している(北海道移動後の2009年・2012年にも巨人と対戦したが、いずれの年も巨人に日本一を献上している)。
    • 東京時代(前身含め)で唯一の日本一は東映フライヤーズ時代の1962年。
  3. 後楽園→東京ドームでの試合日程は巨人中心で、日本ハムは8月を中心に他球場で試合を余儀なくされたり、ダブルヘッダーの場合はデーゲームが巨人であるのに対して日本ハムはナイトゲームでの開催を余儀なくされたりしていた。
南海ホークス
  1. 日本シリーズにおいて、巨人にめっぽう弱かった(通算1勝8敗)。勝ったのは杉浦忠が4連投4連勝した1959年のみ。ダイエーに売却された後の2000年にもON対決で敗戦。
  2. 野村克也監督の辞任後がとにかく悲惨な成績だった。
福岡ダイエーホークス
  1. 1989年、南海ホークスをダイエーが買収したが、その後ダイエー本社の経営不振により球団を手放さざるを得なかった。
    • ただ、弱かった南海ホークスを強くしたのはダイエーの力というのもまた事実。
福岡ソフトバンクホークス
  1. 2019年9月6日に千賀滉大が達成するまで、実に76年間もノーヒットノーランが達成されなかった (ダイエー時代には1度もなし) 。
毎日オリオンズ
  1. パシフィック・リーグの初代優勝チーム。初代日本シリーズ優勝チームとなるも、1952年7月16日の対西鉄戦において露骨な遅延工作でノーゲームを狙った結果西鉄ファンの怒りを買ったあげく暴動が発生(平和台事件)。
    • これで毎日新聞は球団経営に嫌気がさしたのか1958年毎日オリオンズは大映ユニオンズと合併し「大映毎日オリオンズ」となり、1960年には毎日新聞が球団経営から手を引くこととなる。
高橋ユニオンズ
  1. 1950年代中頃にパリーグの数合わせのため急造した球団。
  2. 一度もAクラスにすらなれず、たった3年で解散してしまった。
    • その弱さはネーミングライツをしていたトンボ鉛筆が1年で撤退してしまうほど。
太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)
  1. 西鉄の経営難からライオンズを引き取ったものの、あまりの弱さに短命に終わる。
    • 後に、西武に買われたものの、しばらくは「空白の期間」としてなかったことにされていた。
      • いわゆる「黒歴史」というやつだ。
  2. 「福岡は遠いから行かない」と、江川に断られたのはあまりに有名。
  3. 太平洋クラブ時代の、アメリカンフットボールよろしく胸番号が大きく書かれたユニフォームは、もはや伝説。

メジャーリーグ[編集]

マイアミ・マーリンズ
  1. 定期的に「ファイヤーセール」と称して選手を大放出するため、成績が安定しない。
  2. ワールドシリーズを二度制しているが、いずれもワイルドカードからの勝ち上がりで地区優勝は一度もない。

ナショナルチーム[編集]

パナマ代表
  1. WBC本大会では未勝利。予選導入となった2013年と2017年はともに予選から出場もそれぞれブラジル、コロンビアに敗れ予選敗退。

人物[編集]

相川亮二
  1. 2006年のWBC優勝メンバーであるが、リーグ戦では優勝に縁がなかった。
    • 最初に所属した横浜は1998年に優勝しているが、彼の1軍デビューはその翌年だった。
    • 2009年にヤクルトに移籍するも、彼が巨人に移籍した翌年の2015年まで優勝から遠ざかっていた。
    • そしてもっと優勝できそうな巨人に移籍したのに優勝を経験できず引退。
伊東勤
  1. 西武監督時代の2007年に怪我人が相次ぎ、交流戦で10連敗を喫し、26年ぶりのBクラス (5位) に終わったことにより監督を辞任。
  2. その後WBC日本代表総合コーチ→韓国・斗山ベアーズヘッドコーチを経て2013年に千葉ロッテの監督に就任。3位→4位→3位→3位と来て、最後の2017年は最下位で監督を辞任。
    • 伊東自身にとって選手、監督通して31年目にして初の最下位だった。
上田利治
  1. 選手時代は広島に在籍したものの、怪我で活躍できず早々と引退。
  2. ヤクルトとの1978日本シリーズ第7戦で6回裏一死からヤクルトの大杉勝男が左翼線に放った本塁打をファウルだと抗議し、そのためにシリーズ史上最長の1時間19分の中断を余儀なくされた。
    • その後試合は再開したものの、マニエルと再度大杉に本塁打を打たれた結果、阪急はヤクルト初の日本一を献上する形になり、上田はこの日本シリーズでの混乱の責任を取るため退任した。
  3. 1988年10月23日、阪急ブレーブスとしての西宮球場最終戦終了後の挨拶で「去る山田久志、そして残る福本」と言うつもりだったものを、間違えて「去る山田、そして福本」と言ってしまい、最終的に福本の引退に繋がってしまった。
  4. 1996年にはオリックスと熾烈な優勝争いを繰り広げたものの、同年9月に家庭の事情により休養しチームを離脱、オリックスに逆転優勝を許す形になってしまった。
    • 仮に優勝していたらこの年の日本シリーズは同じく東京ドームを本拠地とする巨人との対決になっていただろう。
梶本隆夫
  1. 阪急ブレーブスの左腕エースとして、米田哲也と共に「ヨネカジ」として活躍するも、チームが長らく低迷していたこともあってか通算254勝255敗と通算200勝以上した投手の中で唯一の負け越し投手になってしまった。
    • さらにルーキーイヤーには20勝を挙げるも、南海ホークスの宅和本司が26勝を挙げたため新人王を逃した。現在でも20勝して新人王になれなかったのは梶本だけ。
加藤哲郎
  1. 1989年日本シリーズ第3戦終了後の例の失言により、近鉄悲願の日本一を逃したA級戦犯として大きな非難を浴びてしまった。
    • 加藤は第3戦の試合後のヒーローインタビューで「別に、とりあえずフォアボールだけ出さなかったらね、まぁ、打たれそうな気ぃしなかったんで。ええ、たいしたことなかったですね。シーズンの方がよっぽどしんどかったですからね、相手も強いし」と発言したが、これがいつの間にか「巨人はロッテより弱い」という発言になってしまった。
      • 加藤は第7戦に再び先発したが、2回表に駒田徳広に先制ソロホームランを打たれ、駒田に「バーカ!」と近鉄ベンチに向かって叫ばれるなど、3回3分の1を投げて3失点で降板。近鉄は悲願の日本一を逃してしまった。
金村義明
  1. 日本一に縁が無かった。
    • 1989年(近鉄)、1997年・1998年(西武)と日本シリーズには3回出場したが…。
      • 1989年はチームメイトの加藤哲郎の失言騒動もあり3連勝からの4連敗で日本一を逃す。
        • 1998年は西武の最後のバッターとなってしまった。
  2. 引退試合(1999年9月30日・千葉ロッテ戦)もJCOの臨界事故・中日のリーグ優勝・山本和範の引退試合と被ってしまった。
    • 金村は引退後にラジオ番組で「これまでの選手生活を思い出すと涙が溢れ、ボールが見えづらかった。にもかかわらず、先発の薮田(安彦)は容赦なくフォークを投げてきた。空気を読んで欲しかった。」と語っている。
菊池雄星
  1. もの凄く、ソフトバンクに弱かった。初めて、ソフトバンクに勝ったのは2018年9月28日だった。
    • 2018年は残念なことだらけ。5月は左肩の張りで一軍登録を抹消され、勝率は規定投球回以上では1位になったが、規定により最高勝率はロッテのボルシンガーに譲って、タイトルを逃し、完投が1回だけで完封は0だった。
G.G.佐藤
  1. 北京オリンピック野球日本代表に選ばれたが、本番では痛恨のエラーを連発したため、メダルを逃したA級戦犯として大きな非難を浴びてしまった。
新庄剛志
  1. 2012年度の野球殿堂入りの候補者に上がったが、わずか5票しか得られずそれ以降は候補者リストから外された。
  2. 1999年6月に巨人の槙原寛己から敬遠球をサヨナラ打。その時お立ち台で決め台詞として「明日も勝つ!」と言い放ったが、その発言から一週間後に阪神は首位陥落。
    • さらに、1999年9月に新庄が8回裏に巨人のバルビーノから決勝ソロ本塁打、お立ち台で再び「明日も勝つ!」発言。ところが翌日から阪神は球団ワーストタイ記録の12連敗を喫し、最終的には2年連続最下位という散々な結果に…。
大豊泰昭
  1. とにかく優勝に縁がなかった。
    • 1994年のリーグ優勝がかかった最終試合(10.8決戦)で巨人に破れ、リーグ優勝を逃す。
    • 1998年に阪神に移籍するも、在籍した3年間は全て最下位。その阪神も彼が引退した翌年の2003年までリーグ優勝&Aクラスから遠ざかっていた。
    • そして中日に逆戻りしたのに優勝を経験できず引退。なお、中日は彼が引退した翌々年の2004年にリーグ優勝を果たしている。
辻内崇伸
  1. 大阪桐蔭時代に甲子園を大いに沸かせ、ドラフトの目玉として注目を集める中で巨人に1位指名され入団するが、度重なる怪我のため一軍登板はないまま引退。
中村剛也
  1. 日本を代表するスラッガーのひとりだが、怪我が多いため侍ジャパンには2015年プレミア12の1回しか選ばれていない。
長嶋茂雄
  1. 初めて監督に就任した年(1975)は後述に書かれているようにセリーグ最下位、その後の1976年と1977年はリーグ優勝を果たすも、日本シリーズではいずれも阪急に敗れている。
    • 1996年も当時リーグ史上最大の11.5ゲーム差をはね返してリーグ優勝(いわゆる「メークドラマ」)を果たすも、今度は阪急から改名したオリックスに敗れている。
      • なお、長嶋監督時代に日本一になったのは第2次監督時代の1994年・2000年の2回である。
  2. 2004年アテネ五輪を目指す日本代表監督にも就任したが、脳梗塞を患い五輪本番では指揮を執れず。
二岡智宏
  1. 2008年に巨人軍の選手会長に指名されたが、その年の開幕戦の試合中にふくらはぎの肉離れを起こして二軍調整、7月11日に一軍復帰の予定だったが直前に某女性アナとの五反田の9800円のホテルでの不倫が発覚し延期となってしまう。
    • 7月20日に復帰するも正遊撃手の座を坂本勇人に取られ三塁手に。さらに打席に立つたびに不倫相手をもじった名前や「五反田」「9800円」とヤジられる始末であった。
  2. 追い打ちをかけるように9月に足首の捻挫で二軍落ち。そのままシーズンを終え、その年の11月に日本ハムへトレードされてしまう。
    • 選手会長になってわずか1年の解任と選手会長がトレードされるというのは異例のケースであり。不倫騒動が原因でトレードされたのではと言われていた。
西本幸雄
  1. 監督として日本シリーズに8度出場しながらも優勝できなかった 「悲運の名将」 。
    • このうち5回は巨人のV9時代 (1967~1969・1971・1972) に重なっている。
      • 但し西本本人は「もし私が本当に悲運なら戦争で死んでいるし、復員してから野球に再会できたり、大毎・阪急・近鉄の3チームで素晴らしい選手に巡り合えて、8度も日本シリーズに出場などできない。『悲運の名将』なんておこがましい。敢えて言うなら『幸運な凡将』ですね」と1980年のインタビューで語っている。
根本陸夫
  1. 広島・西武・ダイエーのフロントを歴任し、黄金期の土台を築いたが、監督としてはAクラスが広島時代に1回 (1968年) のみで、それ以外はすべてBクラスである。
  2. そしてダイエー(として)の初優勝を見ることなく1999年4月にこの世を去った。
平松政次
  1. 「カミソリシュート」と言われた速く切れ味鋭いシュートを武器に大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げ、巨人キラーとしても有名だが、チームが弱かったせいもあって一度もリーグ優勝を経験できないまま引退した。
福本豊
  1. 1988年の本拠地最終戦で、当時の阪急監督である上田監督がうっかり失言してしまったせいで引退させられてしまった。
    • 上田監督「去る山田、そして福本」
マーティ・ブラウン
  1. 広島東洋カープ2人目の外国人監督だった (1992年~1994年に広島に在籍) が、その後楽天での監督時代も含めて5年間で12回も退場処分を受けている。
星野仙一
  1. 2008年の北京オリンピックの野球競技・日本代表で監督を務めるも、メダルなしの4位に終わった。
バリー・ボンズ
  1. ホームランのMLB記録を更新したスラッガーだったが、薬物疑惑が付きまとい、司法妨害罪と偽証罪で起訴されるまでに至った。
堀内恒夫
  1. 巨人のV9時代のエースだったが、監督としては1年目の2004年は3位、翌2005年は5位に終わっている。
  2. 2005年の本拠地最終戦では堀内監督にブーイングが飛び、最終戦セレモニーが中止になった。
森祇晶
  1. 横浜ベイスターズ監督時代は成績不振に喘ぎ、特に2002年は勝率3割台と落ち込み、シーズン終了まで14試合を残したところで解任された。
    • なお、森監督のBクラスは2002年のみである。
山本浩二
  1. 2013年のWBCで3連覇を目指す侍ジャパンの監督を務めるも、ベスト4で終わった。
湯浅禎夫
  1. 初代日本シリーズ優勝監督であるが、前述の平和台事件の元凶になってしまい、責任を取って辞任することになった。
    • プロアマ両方で功績を残したにもかかわらず野球殿堂入りを果たしていないのは、平和台事件の影響だと言われている。
ウィリン・ロサリオ
  1. 2018年に年俸3億4000万円+出来高払いと、鳴り物入りで阪神タイガースに入団したのにもかかわらず、75試合で8本塁打・40打点・打率.242と成績が低迷し、シーズン終了後にウエイバー公示された。

試合・シーズン展開[編集]

プロ野球[編集]

1959年の読売ジャイアンツ
  1. ペナントレースではリーグ5連覇を達成するも、日本シリーズでは杉浦忠を擁する南海ホークスに4連敗した。
    • 日本シリーズで引き分けを挟まず4連敗したのはこの時の巨人が最初。
1960年の大毎オリオンズ
  1. 「ミサイル打線」と渾名された強力打線を擁してリーグ優勝したが、日本シリーズでは魔術師:三原脩監督率いる大洋ホエールズに4連敗した。
    • シーズン中に大毎は引き分けを挟んでの18連勝を記録するなど絶好調だったたが終盤に失速、結局優勝を決めたのは最終戦の2試合前だった。
1961年の大洋ホエールズ
  1. 前年日本シリーズ4連勝で日本一に輝いたが、この年はタイトルホルダーこそ出したものの最下位に沈んだ。
    • 日本プロ野球史上初めての「日本一のチームが翌年最下位」という事態に陥った。
    • さらに翌年と3年後の1962、64年はあと一歩のところで阪神に優勝をさらわれた。そして結局、1960年は「大洋ホエールズ」としての最初で最後の日本一(リーグ優勝)ということになってしまった。
1975年の読売ジャイアンツ
  1. 長嶋茂雄が監督に就任して1年目の巨人だったが、チーム創設以来初めてリーグ最下位に終わった。
    • なお、巨人が最下位に終わったのはこの年が唯一である。
1975年の日本シリーズ
  1. 広島東洋カープが初めて出場した日本シリーズであったが、剛腕:山口高志を擁する阪急ブレーブスに4敗2分と1勝も出来ずに敗退した。
    • おかげで重松清の小説「赤ヘル1975」でも、日本シリーズについてはほぼ書かれていない。
1978年の阪急ブレーブス
  1. 日本シリーズ第7戦でヤクルトの大杉勝男のHR判定を巡って上田利治監督が1時間19分の猛抗議をするも判定は覆らず。先発していた足立光宏が試合再開後に降板し、その後はヤクルトにボコボコにされ、シリーズ4連覇の夢は消えてしまった。
    • 上田は抗議の責任を取る形で、翌日監督を辞任。
1979年のヤクルトスワローズ
  1. 前年阪急との死闘の末悲願だった日本一に輝いたが、この年は最下位に沈んだ。
    • 皮肉なことに広岡達朗監督が「守れない選手はいらない」と放出したチャーリー・マニエルを獲得した近鉄バファローズがこの年球団史上初のリーグ優勝を決めている。
1989年の日本シリーズ
  1. 第3戦までに近鉄が3連勝するも、加藤哲郎の発言が 「巨人はロッテより弱い」 と報道されてから、巨人が4連勝して逆転優勝を収めた。
1990年の読売ジャイアンツ
  1. ペナントレースでは88勝、2位と22ゲーム差という大独走で優勝するも、日本シリーズでは西武ライオンズに4連敗した。
1998年の千葉ロッテマリーンズ
  1. ダブルストッパーの成本年秀、河本育之がそろって故障するなど投手陣が崩壊し、プロ野球新記録の18連敗を記録。エース黒木知宏は最多勝と最高勝率の2冠に輝いたが18連敗はあまりにも重くチームは最下位に低迷、責任を取って近藤昭仁監督は辞任した。
    • おまけに近藤監督は辞任会見の席上で「もっと強いチームで監督をやりたかった」と発言し、ロッテファンの非難を浴びた。
2002年の西武ライオンズ
  1. ペナントレースでは90勝、近鉄やダイエーと16.5ゲーム差という1990年の巨人を彷彿とさせる大独走で優勝するも、この年の日本シリーズは1990年とは逆のパターンで巨人に4連敗した。
2003年のオリックス・ブルーウェーブ
  1. 負け数・勝率こそセ・リーグ最下位の横浜に及ばないものの、140試合で927失点、チーム防御率が史上最悪の5.95で最下位になった。
  2. 優勝したダイエー相手に20失点以上の敗戦が4回もあった。
    • しかも7月27日に7-26で負け、そのわずか5日後の8月1日にまた1-29で負けた。
    • なお上記以外の2試合ではオリックスも11点取っている。
セ・パ交流戦
  1. パ・リーグの強さが顕著になり、セ・リーグが勝ち越せたのは2009年のみ。
    • 交流戦優勝球団もパ・リーグ球団が12回 (うちソフトバンクが8回) 。
  2. 2015年から2018年まで、交流戦で勝ち越したリーグがドラフト会議で優先的に指名できるルールだったのが、4回ともパ・リーグが勝ち越したこともあり、1年おきに交互に優先権が与えられるルールに変わった。
2005年の日本シリーズ 阪神ロッテ
  1. トラキチにとっては非常に最悪な結果に(33-4)。
  2. 第4戦以外はすべてロッテが10点とって勝利した。
アジアシリーズ
  1. スポンサーの撤退や日程、さらに参加国の都合により、2013年を最後に行われず。
    • 2014年にはWBSCより公認を得られていた。
2007年10月6日 プロ野球セ・リーグ 広島対横浜
  1. この試合は佐々岡真司の引退試合だったが、佐々岡が登板した9回表に村田修一が36号ホームランを放った。なお、このホームランは村田の本塁打王を決定付けるものだった。
    • 佐々岡は「真剣勝負をしてくれて気持ちよかった」とコメント。
2007日本シリーズ第5戦 中日対日本ハム
  1. 中日は山井大介が先発で登板し、8回ノーヒットで抑えるも落合博満監督などの判断で9回に岩瀬仁紀に交代した。結果は岩瀬もノーヒットに抑え1対0で中日の優勝が決定。この采配に賛否両論の意見が寄せられた。
2008年10月12日 プロ野球セ・リーグ ヤクルト対横浜
  1. ヤクルトの4選手の引退試合だったのにもかかわらず、またしても村田修一が7回表に46号3ランホームランを決め、これが村田の本塁打王を決定付けた。この46号が、横浜ベイスターズの年間のホームラン記録を塗り替えるものとなった。
    • この村田のホームランでヤクルトの先発・高市俊の勝ち星が消滅。高市はその後プロでの勝利がないまま引退。
2010年9月30日 プロ野球セ・リーグ 阪神対横浜
  1. この試合は阪神・矢野燿大の引退試合で、9回表2アウトの時点で阪神が勝ち越していれば矢野が捕手として出場する予定だったのが、9回表に横浜・村田修一が3ランホームランを放ち横浜が3対4で逆転。矢野は出場できなくなってしまった。試合は3対4で横浜が勝利。
  2. なお、試合後に行われた矢野の引退セレモニーで花束を贈呈したのは村田修一だった。
  3. この試合のサンテレビでの実況中継で 「行くな、行くな、越えるな!」 が話題となった。
2011年の千葉ロッテマリーンズ
  1. 前年3位から日本一という「下克上」を達成するも、この年はチーム総本塁打数が西武の主砲・中村剛也一人に負けるという貧打(ロッテ46本、中村48本)で最下位に沈んだ。
    • ロッテはこれで1975年前期とあわせて「日本一の翌年最下位」を2度味わった唯一のチームとなった。
2012年10月8日 プロ野球パ・リーグ ソフトバンク対オリックス
  1. この試合はソフトバンク・小久保裕紀の引退試合だったが、オリックスの先発である西勇輝がノーヒットノーランを達成。
  2. なお、このノーヒットノーランは平成生まれの選手では初記録となった。
2014年の東北楽天ゴールデンイーグルス
  1. 前年は田中将大らの活躍により球団初のリーグ優勝・日本一に輝いた楽天だったが、星野監督の休養や田中のメジャー移籍などが響いたのかこの年は最下位に沈んだ。
2014年の読売ジャイアンツ
  1. ペナントレースは7ゲーム差つけてリーグ優勝を果たすも、CSでは阪神にまさかの4連敗。
2014日本シリーズ第5戦 阪神対ソフトバンク
  1. トラキチにとっては悪夢以外の何物でもない。阪神の西岡剛が一塁へゴロを放つとファーストがバックホームで2死を取り、再びファーストへ投げたが、ファーストが捕球できず、外野へ転がる間にランナーが帰ったが併殺プレーにおいて西岡がラインの内側を走ったことによる守備妨害でアウトとなり、そのままソフトバンクの優勝が決定。
2017年10月1日 プロ野球セ・リーグ 巨人対阪神
  1. この試合に巨人が4-5で敗れ、さらにDeNAが広島に13-7で勝利したため、巨人は初めてクライマックスシリーズ出場を逃すこととなってしまった。
    • その際にDeNAの応援団が二次会で「読売一生Bクラス!」コールをしたのが有名である。
2018年の埼玉西武ライオンズ
  1. 開幕から首位のまま10年ぶりのリーグ優勝を果たすも、CSではソフトバンクに敗退。

高校野球[編集]

1992年夏2回戦 明徳義塾対星稜
  1. 星稜のプロ注目4番打者松井秀喜に対して明徳義塾が全5打席連続敬遠。スタンドからメガホンが投げ込まれ球場から大ブーイングが発生し、明徳義塾の勝利の校歌斉唱で「帰れコール」が起きて校歌がほとんど聞こえず。
  2. 明徳義塾の学校や宿舎に苦情電話が殺到。あまりの大バッシングに続く3回戦で明徳義塾の選手は本来のプレーができず広島工に0-8で完敗。
2006年春の選抜高校野球大会
  1. 前年夏の甲子園・秋の明治神宮大会優勝の優勝候補筆頭・駒大苫小牧が出場辞退したせいでどこが優勝しても「ナンバー2を決める大会」になってしまった。
  2. 決勝の横浜対清峰は21-0という記録的大差がついてしまい最後まで後味の悪い大会になった。
2011年春の選抜高校野球大会
  1. 東日本大震災で中止も検討された中、なんとか開催にこぎつけるも入場行進中止、鳴り物禁止、延長戦なし、終盤の逆転劇なし、ナイターなし、サヨナラゲーム1試合だけという非常に盛り上がりに欠ける大会に。
  2. 被災地からの出場で被災後数日連絡が取れてなかった東北高校は、全国から大声援を受けるも初戦で大垣日大に0-7で完敗。
    • 東北に勝利した大垣日大の学校や宿舎に(上記の明徳義塾のような)苦情電話が殺到。続く2回戦で大垣日大の選手は本来のプレーができず東海大相模に5-13で完敗。
2013年夏準々決勝 花巻東対鳴門
  1. 花巻東の選手がサイン盗みを行っていたことが発覚しネットで大問題に
    • さらにカット打法も問題になる
  2. 続く準決勝で花巻東の選手は本来のプレーができず延岡学園に完封負け
2017年夏3回戦 仙台育英対大阪桐蔭
  1. 仙台育英の選手が大阪桐蔭の一塁手中川卓也の足を蹴った疑惑でネットが大炎上
  2. 続く準々決勝で仙台育英の当該選手は欠場となり、広陵に完敗。

野球場[編集]

川崎球場
  1. 1988年、ロッテ対近鉄の 「10.19決戦」 が川崎球場で行われたため多くの観客が詰めかけたものの、球場に発券機がなく窓口はてんやわんやに。さらにもともと入場者数が少なかったのが災いし、売店や自動販売機が品切れとなり、トイレも男女兼用で鍵が壊れていたところもあり、特に女性にとっては不便だった。
  2. 1989年から1991年にかけて改修工事が行われ、1988年に比べると利便性は向上したものの、それでもロッテ球団側の不信感を拭えず、1992年にロッテは千葉に移転した。
  3. そして現在は野球場としてはほぼ使われておらず、主にアメリカンフットボールが行われている。
阪神甲子園球場
  1. 阪神ファン=大阪人と思われていることから大阪府にあるものだと思ったら、住所は兵庫県西宮市。
    • 東京ディズニーランドのようにネタにも挙がらないので、素で大阪にあるもんだと間違われる。
      • 事実神戸市よりも大阪市の方が近い。
札幌ドーム
  1. サッカー・野球の双方に使える多目的が売りだが、使用料が高いという理由で北海道日本ハムファイターズは北広島市に自前の球場を作り、本拠地を離れることになってしまった。
    • 元々2002 FIFAワールドカップの会場として建設された為、野球場としてはスタンドが急すぎる。
  2. 冬は天然芝が雪で使えないためサッカーの試合はできない。
  3. 一応「五大ドーム」の一つとなっているのだが、集客力と移動にかかるコスト、そして高額の使用料が重なり、開催実績はほかの4ドームに比べて圧倒的に少ない。
福岡ドーム(福岡 ヤフオク!ドーム)
  1. 開閉式ドーム球場として設計されたものの、諸々の理由により屋根が開閉されることは滅多にない…。
  2. 当初計画ではツインドームを作る予定だったが、ダイエーの経営難などにより取りやめになった。
西武ドーム(メットライフドーム)
  1. 西武球場をドームにしたもの。ドーム球場になったのではなく球場の上に屋根を取り付けたという構造である。
    • その結果雨は防げるが風雨になると客席上段に雨が入って来る、空調はないので夏場は夜でも蒸し暑く、熱中症対策は必須である。冬場は寒風吹き曝し状態になるので寒さ対策も必要になってくる。
    • ドーム化初期は雨対策が不十分であったため、ドーム球場でありながら雨天中止になることがあった。
    • 元々屋根付きの屋外球場扱いにして、税金を安くするつもりだったが認められず、結局、一般的なドームと同じ税金がかかっているらしい。
  2. また、交通アクセスも良いとは言えない。西武球場前駅は6番線までホームはあるが狭山線が単線なので運行本数が増やせず、試合やイベント終了後は大混雑となってしまう。
大阪ドーム(京セラドーム大阪)
  1. 地盤が弱いため、応援などで集団でのジャンプができない。
    • 震度計が反応するらしい。
東京スタジアム
  1. 建設された1962年当時としてはかなり先進的な野球場だったが、ロッテオリオンズの監督に就任した金田正一が「投手に不利な球場だ」といったことによりわずか11年で使用終了し解体されてしまった。



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