もしあのスポーツ選手が○○だったら
独立済み[編集 | ソースを編集]
競馬[編集 | ソースを編集]
内藤繁春[編集 | ソースを編集]
- 騎手復帰が実現していたら
- 参考・内藤繁春
- 内藤の人生は大きく変わっていた。
- 新聞などでも『最高齢騎手誕生!』と報道していただろう。
- 引退した騎手の復帰が続出したりして。
- 内藤の著書『定年ジョッキー』は発行されなかったorされたとしても、その内容が大幅に変わっていた。
- 新聞などでも『最高齢騎手誕生!』と報道していただろう。
- それでも、いまごろ(2009年6月)は騎手を引退して余生を楽しんでいただろう。
- 熊沢重文との師弟対決が取り沙汰されていただろう。
- 引退騎手復帰への条件緩和は無かったかもしれない、
ゴルフ[編集 | ソースを編集]
石川遼[編集 | ソースを編集]
- マンシングウェアオープンKSBカップで優勝しなかったら
2007年の「マンシングウェアオープン KSBカップ」でアマチュア選手である当時高校生だった石川遼が、15才8ヶ月優勝し、日本男子ゴルフツアーの最年少優勝記録を更新しました。そして、その後特例でプロへ転向して2009年には1億円プレーヤーとなるなど、大活躍を見せてます。もし、この大会で石川遼が優勝しなかったら?
- 上位に入った場合
- その後に国内のゴルフトーナメントに出場して、高校卒業後にプロ昇格試験を受けた。
- 上位に入らなかった場合
- 大学へ進学し、ゴルフは続けている(かな…)。(この項を最初に立てた時点では、まだ高校生だったな。)
- 恐らく、数々のプロゴルファーを輩出した日本大学(違ってたらごめんなさい)へ進学?
- いや、東北福祉大じゃないかな。そして松山英樹とは大学時代の同級生ならびにライバルとして凌ぎを削り合っていたかも。
- 恐らく、数々のプロゴルファーを輩出した日本大学(違ってたらごめんなさい)へ進学?
- その他
- 優勝決定日の翌週に放送されたTBS「サンデーモーニング」で、この試合に出場し、石川の優勝を許したプロ選手に対し大沢親分と張さんから「喝」を入れられる事も無かった。
- ハニカミ王子という愛称が付くこともないので、王子ブームは起こらなかった。
- 王子といえば未だに斎藤佑樹のまま。
- ほぼ同時期に紹介された青森県八戸市在住の中学生アマチュアゴルファーの「ぽっちゃり王子」こと古田航希くんも知名度がなかった。
- ゴルフ中継では「宮里藍」や「諸見里しのぶ」などがいる「女子」の方が実史より注目度が高かった
- カート事故が起こらなかったはずなので、当然中継をめぐってTBSが2ちゃんねるで叩かれることもない。
- 1991年4月~翌年3月生まれは、菊池雄星が注目を浴びるまで、呼び名は「眞子さま世代」
- study! 眞子内親王殿下は1991年10月ご誕生です。
- アマチュアで高校生ゴルファーの優勝といえば、2013年の勝みなみ。
- いずれにせよ、「スピードラーニン」のCMに起用される事は無かった。
- 過剰報道によるアンチはいなかったか。
卓球[編集 | ソースを編集]
福原愛[編集 | ソースを編集]
- 小学校以降も仙台白百合学園に残っていたら
卓球少女として有名だった福原愛選手は、仙台白百合学園の幼稚園に通い、小学校への就学も決まっていましたが、親の仕事などのもろもろの都合で地元の公立小学校に就学を変更、その後大阪・青森と住居・学校を移っています。もし、親の仕事が好調で、学校側がスポーツ・芸能活動に理解を示し残留していたら。
- 仙台白百合学園は知名度が向上していた。
- 卓球選手のいる学校として東北はもちろん日本中から女子の入学希望者が殺到する。
- 学校側も制服姿の福原選手を広告に使う。
- 愛選手を主将に、東北中の有能な卓球選手を中学から入学させ、インターハイにも出場。優勝の可能性もあった。
- ひょっとしたら高校以下は都心部を離れていない。
- エナジースクエアは別の場所にできた。
- 史実どおり泉区に移転した場合、史実の公立学校との場所関係から通学時間は短縮。
- 白百合学園だけでなく、全国の女子校・男女別学女子部の芸能活動禁止条項が緩和されていた。
- 福原選手は高校までを過ごした後、史実どおり早稲田大学へ。
- 一般入試の可能性もある。
- 退学してなかったかも。
- あるいは普通の女性としての人生だったかも。
- そうなれば、卓球少女「泣き虫○○ちゃん」の称号は、別の女の子に与えられてたか?
- バブルが崩壊していなかったらありえたことでもある。
- 青森山田高校出身の男子卓球・水谷準選手の注目度が低かった。
- 青森山田高校は野球のイメージが強い学校に…。
- おっとっと、サッカーも…。
- 当然、青森県内の民放で流れる某石油タンク販売会社や某ジュース加工会社のCMにオファーを受けていない。
- 代わりに、宮城県内の民放テレビ局で流れるCMのオファーを受けている。
- 2012年のロンドン五輪など、実史通りの活躍をしたかどうか?
バスケットボール[編集 | ソースを編集]
岡山恭崇[編集 | ソースを編集]
- NBAに挑戦していたら
岡山恭崇はかつてNBAからドラフト指名を受けていたが、全日本での活動を優先したため辞退しました。もし彼がNBAに挑戦していたら、どうなっていたのか?
- 1シーズンプレーして引退。
- それでも「日本人初」として箔が付くので、後々語り継がれる。
- 引退後はNBA解説者となる。
- 身長の高い日本人はどんどん渡米していく。
- 結果、国際大会のプロ解禁まで現実よりさらに弱くなっていた。しかし、解禁後は中韓などとアジアの覇権争いを展開。
- 一方、国内では海外流出を阻止するべくプロリーグを発足。それでも歯止めをかからず。
マイケル・ジョーダン[編集 | ソースを編集]
- 本格的にMLBに転向していたら
世界的なバスケットボール選手として知られるマイケル・ジョーダン。しかし彼はで一度目のスリーピートを達成した1993年のオフに誘拐事件によって父親を亡くすという不運が引き金となり一度NBAから引退し、もうひとつの夢であったMLBに挑戦します。しかし1994年に2Aのチームでレギュラーとして活躍したもののメジャーから声が掛かる事はなく、MLBでストライキがあった事もあり1994-1995シーズン終盤からNBAに復帰します。
もしメジャーへと昇格していてかつMLBでストライキが起こらずにジョーダンが野球選手を続けていたら…
- (ブルズつながりでシカゴ・ホワイトソックス傘下のマイナーチームに居たので)ホワイトソックスの看板選手となっていた。
- マイナーでの成績を見る限りではこの人みたいな俊足が売りの選手になっていた。
- 転向当初は話題ばかりが先行するが結果をきちんと残してMLBでもスターとなる。
- 複数のスポーツで活躍した人物として名前を残す。
- 1990年代後半以降のNBAの勢力図が大きく変わっていた。
- ブルズが再びスリーピートを達成できたかどうかは微妙。
- ジョン・ストックトン擁するユタ・ジャズが1回くらい優勝できたかも。
- レブロン・ジェームズは2011-2012シーズンを前にNFLへと転向していた。
- 2011-2012シーズンはストライキの影響で開幕が遅れておりレブロンにNFL転向という噂があったので。
- もしそうなったとしたらマイアミ・ヒートはリーグ屈指の強豪になっていない。もちろん2012-2013シーズンに樹立した27連勝なんて無理。
- 2011-2012シーズンはストライキの影響で開幕が遅れておりレブロンにNFL転向という噂があったので。
川村卓也[編集 | ソースを編集]
川村卓也は高校卒業後OSGフェニックスでプレーしてましたが、そのOSGがbjリーグへ転籍した際にリンク栃木ブレックスに移籍しました。
- もし違うチームへ移籍していたら
この時、リンク栃木ブレックス以外のチームに移籍していたら…
- 2008年以降も岩手でJBLの開催があった。
- 年に一度の岩手開催は会場を埋め尽くしただろう。
- ありえたのはアイシンかトヨタか…
- もし浜松・東三河フェニックスに残留していたら
では、OSGから引き継いだ浜松・東三河フェニックスに残留していたら…
- 当然チームの大黒柱となっていた。
- 浜松の成績は史実以上(2008-09から4連覇)だった。
- 2011年に史実通り岩手が参入したら岩手対浜松は会場が満員になっていただろう。
- その後2013年に岩手に移籍していたら、岩手のファイナル出場は史実より1年早まっていたかもしれない。
生井けい子[編集 | ソースを編集]
- 教員採用試験に合格していたら
生井けい子と言えば、1975年女子世界選手権で日本の準優勝と共にMVPと得点王にも輝いた名選手として知られるが、日本体育大学卒業時に教員を目指していたが、不合格となり、その後は職員兼コーチとして大学に残り全日本で活動していました。もし採用試験に合格していたら?
- おそらく教員の傍ら第一線で続けるのは極めて難しいため、世界選手権準優勝などはなかった可能性が高い。
- 日本バスケ界がそれを「過去の栄光」として引きずることもなかった。
- 結果として一部役員の権力濫用もなく、こうなっていただろう。
- 日本バスケ界がそれを「過去の栄光」として引きずることもなかった。
ビーチバレー[編集 | ソースを編集]
浅尾美和[編集 | ソースを編集]
- Vリーグのチームに加入したら
浅尾美和と言えば「ビーチの妖精」と言われる人気で、実力面はともかくビーチバレーの存在を国民に幅広く知らしめた功績を持っています。しかしながら彼女も高校まではインドアの6人制の選手でした。一方でインドア人気は頭打ちとも言われています。
もし、彼女がインドアに戻ってVリーグのチームに加入したらどうなるか?
- ビーチバレー界は大打撃を受ける。
- 佐伯も引退したし、浦田と菅山だけじゃ穴埋めも難しいだろう。ポスト浅尾の周藤も知名度イマイチ。
- 逆にインドア人気は一時的ながら回復。
- やはり高校時代と同じレフトでの起用になるだろう。
- 地元と近いデンソーかトヨタ車体か東レになりそう。
- 東レの場合は木村沙織と組んだ企画がお台場主導で行われただろう(2011-12シーズンまで)。
- 対応し切れなくてすぐ辞めることになりそう・・・。
体操競技[編集 | ソースを編集]
田中理恵[編集 | ソースを編集]
- 2010年世界選手権でロンジンエレガンス賞を獲得していなかったら
- 田中理恵の知名度は低いままだった。
- 世間で田中理恵と言えば声優のままだった。
- 声優の方が結婚・離婚した際に同姓同名として取材を受けることもなかったかも。
- 2012年ロンドン五輪日本代表に選ばれても兄と弟の影に隠れがちだった。
- それでも美人アスリートとしてメディアでそれなりに取り上げたとは思うが…。
- おそらく東京2020組織委員会の理事にもならなかっただろう。
- 世間で田中理恵と言えば声優のままだった。
- 賞の存在が日本で知られるのも2011年の内村航平の受賞がきっかけだった。