もしあのスポーツ選手が別の競技で活躍していたら

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元ネタがある人[編集]

幼少期や学生時代の部活を続けていたら・・・?

浅田真央[編集]

アイスホッケー

浅田真央は幼少期はアイスホッケーがしたくてフィギュアスケートの練習をしている隣でアイスホッケーをやってると気になってしまうほどでありました。

  1. 日本女子フィギュアはトリノ五輪以降、暗黒期に突入していたかもしれない。
  2. スマイルジャパンの一員としてソチ・平昌に出場していた。
  3. 姉の浅田舞はもっと長くシニアで活躍し、最低でもオリンピックや世界選手権の候補ぐらいはありえた。

石川遼[編集]

サッカー

石川遼は幼少期はゴルフの他にサッカークラブに所属していた時期があり、中学時代にゴルフ部がなく別の部活に所属していました。もし、ゴルフを諦めサッカーを続けていたら。

  1. 果たして「ハニカミ王子」のニックネームがついたかどうか?
  2. 地元に近い柏レイソルか浦和レッズのユースに所属していたかも。
  3. 松山英樹のプロ転向も史実より早まっていたかも。

大林素子[編集]

サッカー

大林素子がバレーボールを始めたのは中学進学後で、それ以前はサッカースクールに通っていました。もし中学以降もサッカーを続けていたら。

  1. 全日本女子バレーチームのオリンピック出場はシドニーより前に途絶えていたかもしれない。
  2. 日立ベルフィーユの集団退部騒動もなかったかもしれない。
  3. 長身なのでポジションはGKかDF。
  4. 読売ベレーザに所属して高倉麻子らとともに女子サッカーの開拓を進め、アトランタ五輪にも出場していた。

ガッツ石松[編集]

野球

ガッツ石松は元々野球少年であったが、貧しい家庭を養うためプロボクサーになりました。

  1. 少なくとも「ガッツポーズ」が「ガッツ石松」由来なのは間違ってもありえない。
  2. 「僕さぁ、ボクサーなの」のギャグもなかった。
  3. 高校、大学、社会人と進んで、引退後に体育教官になっていた。
  4. 現実の板東英二ポジションに落ち着きそう。
    • 不祥事で干されるところまで一緒にはならないよね・・・?

稀勢の里寛[編集]

野球

稀勢の里寛は中学時代は相撲の他に野球にも取り組み、チームでは「エースで4番」として活躍、地元の名門常総学院からスカウトされるほどでした。

  1. 日本出身横綱のブランクは史実より長くなっていた。
  2. 常総学院では投手を務めていた。

清宮幸太郎[編集]

ラグビー

清宮幸太郎は父親がラグビー監督の清宮克幸ということもあり、幼少期は野球に加えラグビーにも取り組み、早稲田実業入学もラグビーのためでした。

  1. 2017年のドラフトで(史実で清宮を指名した)7球団は中村奨成と安田尚憲に分かれて指名されていた。
    • 中村の広島入団は叶わなかったかもしれない。
  2. 近藤健介の捕手再挑戦もなかったかもしれない。
  3. 在学中に早実の花園出場が果たされていた。
  4. もちろん高校卒業後は早稲田大学に進学していた。
  5. 春季東京都大会決勝がナイターになることもおそらくはなかった。

具志堅用高[編集]

野球

具志堅用高は高校進学時は野球部に入部するつもりでしたが、先輩のボクシング練習を目の当たりにしてボクシング部に入部しました。

  1. 世界王座13度防衛記録はもちろんなかった。
  2. もし高卒でプロ入りしていたら与座朝勝より先に興南高校出身初のプロ野球選手になっていた。
  3. さすがにカンムリワシではなかっただろう。

黒木優子[編集]

スキー

黒木優子はスキーで全国大会に出場する程の実績を残すも、ボクシングと出会った後に「スキーでは雪国の人には敵わない」とボクシングに一本化しました。

  1. 小関桃の2階級制覇挑戦はあっただろうか?
  2. 同郷かつ同学年の村田愛里咲のように北海道の学校にスキー留学していた。

ミハエル・シューマッハ[編集]

サッカー

F1ドライバーとして活躍したミハエル・シューマッハはサッカーでもプロレベルであったと言われています。

  1. フェラーリはともかく、ベネトンは史実より早く(20世紀中)に消滅していた。
  2. 2002日韓ワールドカップでドイツの準優勝メンバーにいたかもしれない。
  3. 弟は史実通り?

杉谷拳士[編集]

ボクシング

北海道日本ハムファイターズの杉谷拳士は父がプロボクシング元日本王者で、自身もボクシングジムに通っていた時期がありました。

  1. 日本ハムのベンチは少しばかり暗い雰囲気だったかもしれない。
    • 西武ドームのウグイス嬢にネタにされることもなかった。
  2. 父と同じ協栄ジムに所属して親子日本王者になっていた。
  3. 兄がプロ野球選手になっていたかもしれない。
  4. 世代が近く名前に「拳」が付くかつ父が元日本王者など共通点も多い拳四朗とライバル関係になっていた。
  5. 現実通りの明るいキャラだとしたら、亀田一家程ではなくてもプロレスラーまがいのパフォーマンスで有名となり相手選手にいじられる可能性もなきにしもあらず。

鈴木貴美一[編集]

野球

鈴木貴美一は日本バスケが誇る名将ですがバスケを本格的に始めたのは高校からで中学までは野球少年でした。もしも高校以降も野球を続けていたら…

鈴木貴美一は…
  1. 高校は能代工業ではなく甲子園の常連校に野球留学していた。
  2. 大学は史実通り法政大に進学。大型外野手として法政大の黄金時代の主力の一人として活躍。
  3. 大学卒業後はプロには行かずに日本石油(現:JX-ENEOS)に入社して主力として活躍。
  4. 引退後は日本石油のコーチを経て母校法政大のコーチに就任。
  5. 2003年より法政大の監督に就任。黄金時代を築き上げており現在もなお監督として長期政権を築いている。
日本バスケは…
  1. 秋田経済法科大(現:ノースアジア大)がバスケの強豪になる事は無かった。なので東北学院大などライバル校のインカレ出場回数が増えていた。
    • 中村和雄が秋田経済法科大バスケ部のHCになる事も無かった。
  2. アイシン男子バスケ部(現:シーホース三河)が強豪チームになる事は無かった。
    • 所属リーグは日本リーグ二部→JBL2→NBDL。B.LEAGUEになった現在はB3のチームとして参戦している。
    • B3はチーム名に企業名を入れる事が可能なので現在も「アイシンシーホース三河」と名乗っている。
      • アイシンバスケ部が弱いままなので平山譲の「ファイブ」も存在しなかった。
      • 史実でアイシンの選手として復活を遂げてファイブの題材となった佐古賢一を始めとしたベテラン選手達の運命も変わっていた。
  3. アイシンバスケ部の杉浦良昭部長は名を上げる事ができずに無名のまま。
    • 杉浦部長が男子日本代表の強化部長になる事も無いので2006年の世界バスケにおける男子日本代表の選手選考はもっとスムーズに行われていた。
      • 結果的に日本バスケの内紛騒動が少しマシになっていたかも…
  4. ジェイアール・ヘンダーソンは来日する事なく世界各国のリーグでプレーする選手になっていた。
    • ヘンダーソンが「桜木ジェイアール」という名前で日本に帰化する事も無く日本代表で活躍する事も無かった。
  5. 平成以降の日本バスケのトップリーグにおいて20年以上同じチームで指揮を取り続ける指導者は皆無だった。
    • 現役HCながら複数回にわたって男子日本代表のHCを兼任する指導者も皆無だった。

鈴木隆行[編集]

ボクシング

鈴木隆行はサッカー選手かプロボクサーか悩むほどのボクシングファンだったとある番組で告白しました。

  1. 2002W杯日本代表には代わりに久保竜彦か山下芳輝あたりが選ばれていた。
    • 場合によっては開催国初のグループリーグ敗退もありえた。
  2. 東京の中堅ジム所属だったと思う。
  3. 世界タイトル挑戦までは行けたかも。

田口成浩[編集]

野球

田口成浩は中学時代までは野球少年でしたが、姉の影響で高校からバスケットボールを本格的に始めました。もしも高校以降も野球を続けていたら…

  1. 明桜高の主力選手として活躍し明桜高を甲子園に導いていた。
  2. 高校卒業後は史実通り富士大へ進学。下級生のうちからレギュラーを掴み取り2年生の時に出場した全日本大学選手権では富士大を優勝に導いていた。(史実では決勝で法政大に敗れて準優勝。)
  3. 大学での活躍が評価されてドラフトで楽天が地元枠で指名。俊足巧打の大型内野手として活躍している。
  4. ヒーローインタビューでの決め台詞はもちろん「おいさー!」。
    • 楽天ファンの間では「BURN!」に並ぶ決め台詞となっている。
  5. 秋田ノーザンハピネッツは日本バスケ界の名将である中村和雄HC退任後は人気実力ともに低迷してBリーグではB2からのスタートを余儀なくされていたかも。
  6. Bリーグオールスターのスリーポイントシュートコンテストの初代チャンピオンは金丸晃輔になっていた。

中野浩一[編集]

中野浩一は高校時代陸上部に所属したが太ももの肉離れのため大学進学を断念。その後父と同じ競輪の道を歩んだがプロゴルファーになることも考えていたそうです。

共通
  1. 世界選手権10連覇はもちろんなかった。
  2. 競輪の知名度も史実のようには上がらず、20世紀のうちに全廃されていたかもしれない。
    • ケイリンがオリンピック種目に採用されることもおそらくなかった。
  3. 加護亜依は2015年くらいまでに芸能界を引退したかもしれない。
陸上
  1. 名門大学でモントリオール五輪を目指していた。
  2. ただモスクワ五輪ボイコットで競輪に転向していた可能性もあった。
ゴルフ
  1. 世代が近い尾崎直道辺りがライバルになっていたかもしれない。

錦織圭[編集]

サッカー

錦織圭は小学生の時にサッカーに本格的に取り組んでいました。もし中学以降もテニスではなくサッカーを選んでいたら?

  1. 日本人男子最高ランクもグランドスラム決勝、そしてオリンピックテニスのメダルなども夢物語のままだった。
  2. 松岡修造も史実よりおとなしかった。
  3. 地元に近いサンフレッチェ広島ユースに所属していたかも。

福島千里[編集]

スピードスケート

福島千里は十勝出身というだけあって幼少期はスピードスケートにも打ち込んでいましたが、凍傷になったため陸上に絞ることになったそうです。もし凍傷にならずスケートに絞っていたら?

  1. 日本女子短距離のオリンピック出場は遠いままだった。
  2. バンクーバーでオリンピック初出場を果たしていた。
  3. 北海道ハイテクACの知名度も史実より下がっていた。
    • 北海道ハイテクノロジー専門学校も。
  4. 同郷かつ高校の後輩である高木姉妹のいい姉貴分となっていた。

巻誠一郎[編集]

アイスホッケー

巻誠一郎は幼少期にサッカーの他にアイスホッケーにも打ち込んでました。

  1. 2006ワールドカップでは代わりに久保竜彦が選ばれていた(コンディションさえ良ければだが)。
  2. 弟もアイホケの選手だったか?
  3. 父と共にクラブチームを発足させてアジアリーグを目指したかもしれない。
    • または、親兄弟揃って日光アイスバックスのコーチや選手になっていた可能性もある。

村上幸史[編集]

野球

村上幸史は中学まで軟式野球の投手としてノーヒットノーランも記録し強豪校からも誘いが来るほどの実力でしたが、体育の授業中に陸上部の顧問からスカウトされたのを機にやり投に転向しました。もし、スカウトされず野球を続けていたら?

  1. 日本のやり投が史実のようにレベルアップすることはなかっただろう。
  2. 石川雅規あたりとライバル関係になっていた。

山口俊[編集]

相撲
  1. あのメンタルではそこまで大成しなかったかもしれない…
  2. 父親と同じく時津風部屋に入門していた。

元ネタがない人[編集]

もしあの選手が、自身に関わりのないあの競技で活躍していたら・・・?

  • 乱立を防ぐため身体能力などから判断してなるべく活躍できそうなもので。

王貞治[編集]

陸上
  1. 1964年の東京オリンピックで圧倒的な強さで金メダルを獲得していた。

多田野数人[編集]

サッカー
  1. 八千代松陰高の主力として市立船橋と高校選手権出場を争う。
  2. 遠藤保仁と並ぶトリックPKの名手になっていた。
  3. 某主審から不可解なレットカードを突きつけられてしまう。

福本豊[編集]

陸上
  1. おそらくは短距離中心だったかも。
  2. 1972年・1976年のオリンピックに出場していた。



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