もしあのプロレスラーが○○だったら
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男性[編集 | ソースを編集]
アニマル浜口[編集 | ソースを編集]
ハッスルに参戦していたら[編集 | ソースを編集]
アニマル浜口は娘である浜口京子とともにハッスルからオファーを受けていました。
- 京子が1日限定でプロレスのリングに上がっているだろう。
- 父親はマネージャー。
- 小川直也とメダリストタッグを組んでいた。
- 締めを任され、「3!2!1!ハッスル!ハッスル!気合いだ!気合いだ!気合いだあああ!!!」と絶叫した。
- 愛弟子の坂田亘、TAJIRIとともにアニマル軍を結成していた。
- 大谷晋二郎、大森隆男も。
- 同じく愛弟子の高橋奈苗もHikaruに代わってハッスル入りしていた。
- 長州力もアニマル軍入りしていた。
- ハッスルなき後はZERO1最高顧問に就任した。
アントニオ猪木[編集 | ソースを編集]
事業欲がなかったら[編集 | ソースを編集]
- タバスコの日本での普及はなかったか遅れていた。
- 日本に持ち込まれたのは猪木より前だが、猪木が広めたのは事実なので。
- アントンハイゼルもないので、ジャパンプロレスもUWFもなかった。
- 永久機関で失笑を買うこともなかった。
- おそらくUFOもIGFもない。
- 猪木自身、引退後はタレントとして活動していただろう。
- 選挙に出馬はしたのだろうか?
- 「日本プロレス乗っ取り」と誤解されず、新日本プロレス旗揚げもなかったかもしれない。
飯伏幸太[編集 | ソースを編集]
新日本プロレスの入団テストを受けていたら[編集 | ソースを編集]
飯伏幸太はDDTプロレスリングと新日本プロレスにダブル所属していますが、実は中学卒業時に新日本の入団テストを受けようとして親に止められたことがありました。
もしその時点で親の許可が得られて受験していたら?
- 共通
- DDTと新日の2団体所属はなかっただろう。
- 合格して入団していたら
- キャリア的には棚橋弘至らと同期ぐらいか?
- DDTは2005年くらいまでに解散したかもしれない。
- IWGPジュニア戴冠の史実より早かった。
- 不合格または別の事情により入団を果たせなかったら
- どこかのインディー団体に拾われていたかもしれない。
- DDTが旗揚げされるかされないかの時期だったので入団した可能性もあったが、当時はいわゆる「どインディー」な団体だったので史実のような活躍ができたかどうかは不明。
大仁田厚[編集 | ソースを編集]
日本一周徒歩旅行を達成していたら[編集 | ソースを編集]
大仁田厚は地元の高校を中退後、日本一周徒歩旅行を計画し実行に移しましたが、当時の実家が火災で全焼したため神戸で断念しました。
もし火災に遭わず日本一周を達成していたら…。
- 長崎に帰ったときの様子が全国紙でも取り上げられていただろう。
- プロレスラーではなく冒険家になっていたかもしれない。
- この場合、FMWはもちろん存在しなかった。
新日本へ参戦していなかったら[編集 | ソースを編集]
- 1999年の1.4の客入りはあまり良くなかった。
- 大仁田の参戦が発表されたことで、残っていたチケットが一気に売れたそうなので…。
- (史実で大仁田と対戦した)佐々木健介は一体誰と戦っていただろうか?
- テレビ朝日の真鍋由アナウンサーが有名になることもなかった。
- グレート・ニタが復活することも無かった。
- 長州力は1998年の1.4で引退したままなので、WJプロレスは存在していない。
金村キンタロー[編集 | ソースを編集]
スクランブルファイヤーデスマッチで亡くなっていたら[編集 | ソースを編集]
金村キンタロー(当時金村ゆきひろ)はW★ING時代の1993年、スクランブルファイヤーデスマッチで皮膚移植手術を受ける程重度の火傷を負っていた。
- W★INGは直後に崩壊し、永久に封印された。
- 「憲法がなかったらぶっ殺す」とまで言い放った邪道・外道への批判は想像を絶するものだった。
- 邪道・外道は新日本プロレスに来ることはなかったと思う。
- オカダ・カズチカのマネージャーは誰がやってたんだろう?
- 邪道・外道は新日本プロレスに来ることはなかったと思う。
- ファイヤーデスマッチは少なくとも日本では御法度になっていた。下手すると電流爆破も。
- むしろ、ファイヤー、電流爆破、蛍光灯を含む、全てのデスマッチが規制されていた。
- アパッチプロレス軍は結成されなかった。
- FREEDOMSも結成されなかったので、葛西純や佐々木貴は大日本に残留していた。
ジャイアント馬場[編集 | ソースを編集]
夫人の間に子供が生まれていたら[編集 | ソースを編集]
ジャイアント馬場には生涯子供がいませんでしたが、もし子持ちになっていたら…。
- 結婚の公表もさすがに早かった。
- 男の子が生まれていたらプロレスラーよりむしろ野球選手に育てようとしただろう。
- 野球を断念したとしてもレスラーにはせず、全日のスタッフになっていたであろう。
- もし巨人(あるいは横浜)に入団したら「父が果たせなかった夢を…」と報じられていた。
- 女の子だったら全女に入れたかさもなければ父のマネージャー。
- 嫁が史実ほど金に汚くならなかったかも。
- この場合、ノアも旗揚げされなかった。
- 坂口征二も全日本に移籍した。
- BI対決がもう1回実現したかもしれない。
TAKAみちのく[編集 | ソースを編集]
- 女性問題を起こさなかったら
2018年11月に写真週刊誌に不倫問題をスクープされたTAKAみちのく。もしスクープされなかったら…?
- K-DOJO退団やジャストタップアウト(JTO)旗揚げもなかった。
- 2AWに団体名を変えることもなかった。
- JTOでデビューしていた選手達はK-DOJOでデビューしていた。
- 鈴木軍を離脱することもなかったかもしれない。
棚橋弘至[編集 | ソースを編集]
交際相手に刺されたときに亡くなっていたら[編集 | ソースを編集]
棚橋は2002年に別れ話のもつれから交際相手から背中を刺されて重傷を負い、一時意識不明に陥った。
- 新日本プロレスの暗黒期は史実より長く続いた。
- 新日のエースは中邑真輔。おそらく中邑は本隊もしくは本隊に近いグループで活動したのでCHAOS結成はなかっただろう。
- WWEへ移籍することも無かった。
- 後藤洋央紀は少なくとも1度はIWGPを載冠しているだろう。
武藤敬司[編集 | ソースを編集]
SWSに移籍していたら[編集 | ソースを編集]
SWSは当時海外修行中だった武藤敬司をエースに指名していましたが、当時の新日フロントに慰留され実現しませんでした。
- 言うまでもなく闘魂三銃士は解散。新日の存続も史実以上に危うくなった可能性も。
- 天龍源一郎は全日に残ったかUWFあるいはFMWに移籍しただろう。
- SWSは史実より少しは長続きしただろう。
- 海外団体との提携が史実通りならグレート・ムタはWWFにスポット参戦という形で登場。
- SWS崩壊後はWWF→WWEのスーパースターとして正式契約し、怪奇派レスラーとしてアンダーテイカーと人気を二分していた。
内藤哲也[編集 | ソースを編集]
2014年の「レッスルキングダム8」でIWGPヘビー級王座を奪取していたら[編集 | ソースを編集]
2013年のG1で優勝して、東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利書を獲得した内藤哲也は2014年の「レッスルキングダム8」でオカダ・カズチカの保持するIWGPヘビー級王座を奪取しようとしましたが、失敗しました。
もし、この時、内藤がIWGPヘビー級王座を奪取していたら…。
- 観客からブーイングを浴びることはなかった。
- 内藤哲也が失速することはなかった。
- 史実(2016年)より2年早くIWGPヘビーを奪取していた。
橋本真也[編集 | ソースを編集]
引退していたら[編集 | ソースを編集]
橋本真也は2000年の小川直也との一戦に進退を懸けたが、敗れて一度引退を申し出ました。しかしファンの子供から復帰を願う折鶴を贈られ引退を撤回しました。
もし引退を撤回しなかったら…。
- ZERO-ONE(現ZERO1)は誕生しなかった。
- ハッスルもなかった。
- 大谷晋二郎らは史実より長く新日に在籍していた。
- 武藤らとともに全日に移籍した。
- 小川直也もまた新日を主戦場とした後IGFに参加した。
- 坂田亘はプロレスからは離れHERO'S、後にDREAMで戦い、小池栄子とも出会わなかった。
- 引退後は健康管理にも気を配り、早世することもなかっただろう。
谷津嘉章[編集 | ソースを編集]
全日本に残留していたら[編集 | ソースを編集]
1990年に全日本プロレスを離脱し新団体のSWSへ移籍した谷津嘉章。もし、全日本に残留していたら?
- ジャンボ鶴田と共に、超世代軍の壁になっていた。
- 鶴田の離脱後は本田多聞と五輪コンビを継承。
- SPWF設立や新日本・PRIDE・WJ・DDTへの参戦も無かった。
- 史実と同じ(2010年)ぐらいにノアのマットで引退していた。
- 2019年に右足を切断していたかは…微妙なところだろう。
女性[編集 | ソースを編集]
ダンプ松本[編集 | ソースを編集]
プロレスラーになっていなかったら[編集 | ソースを編集]
ダンプ松本は幼少期の時、父親の借金・DV・浮気などのトラブルがあったので、母親を父親から守るためにプロレスラーになりました。
もし父親のトラブルが起きず、プロレスラーになっていなかったら?
- クレーン・ユウが極悪同盟のトップになっていた。
- クラッシュギャルズ対極悪同盟の試合が史実以上に盛り上がらなかった。
- 第78代WWWA世界タッグ王座になることはなかった。
豊田真奈美[編集 | ソースを編集]
敗者髪切りマッチで丸坊主になってしまったら[編集 | ソースを編集]
豊田真奈美は1992年の時に山田敏代と敗者髪切りマッチをやりました。
史実では豊田が勝って山田が丸坊主になりましたが、もし山田が勝って、豊田が丸坊主になってしまったら?
- 豊田真奈美のファンがいなくなっていた(豊田もそう言っている)。
長与千種[編集 | ソースを編集]
医者になっていたら[編集 | ソースを編集]
長与千種は幼少期の時医者になることが夢でしたが、父親の借金で一家がバラバラになったので断念しました。
もし父親の借金が無く、医者になることができたら?
- ライオネス飛鳥は誰と組んでいたのだろうか?
- GAEA JAPAN、Marvelousは誕生しなかった。
北斗晶[編集 | ソースを編集]
引退を撤回しなかったら[編集 | ソースを編集]
1993年12月、選手生命を賭けて神取忍と戦い、負けてしまった北斗晶は引退を表明しましたが、翌1994年11月に東京ドームで行われた「憧夢超女大戦」で引退を撤回しました。
もし、引退を撤回しなかったら?
- 佐々木健介と結婚してなかったかもしれない。
- GAEA JAPANで尾崎魔弓と一緒に暴れることはなかった。
マッハ文朱[編集 | ソースを編集]
ゴルファーになっていたら[編集 | ソースを編集]
マッハ文朱はプロゴルファーになることが決まっていましたが、姉が週刊誌の募集記事を見つけたのがきっかけでプロレスラーとなりました。
もし姉がその記事をみつけることなくそのままゴルファーになっていたら…。
- 活躍はともかく日本人最長身女子ゴルファーとして注目されていた。
- 全日本女子プロレスは息を吹き返せず、赤城マリ子の引退と前後して崩壊した可能性もあった。
- ビューティー・ペアが史実通り結成されても社会現象になっていたか微妙。
- 国際プロレス女子部が継続された可能性も。
世志琥[編集 | ソースを編集]
ヤンキーアイドルになれたら[編集 | ソースを編集]
世志琥(当時・世IV虎)はavexの「ヤンキーアイドルオーディション」に参加して、合格しましたが、avexが「ある事件のタイミングで、このまま進められない事情ができた。」という理由でヤンキーアイドルのプロジェクトが中止になってしまいました。
- オリコンにチャートイン出来るほど売れていたはず。
顔面殴打事件がなかったら[編集 | ソースを編集]
2015年、スターダムで世志琥(当時・世IV虎)が何度もグーパンチをしてくる安川惡斗の顔面を殴りまくって大怪我させた事件。
もし、この事件がなかったら。
- 高橋奈七永と一緒にスターダムをやめることはなかった。
- SEAdLINNNGが生まれなかったはずなので、JWPをやめた中島安里紗はフリーで活動していた。
- Marvelous移籍はないか?
- SEAdLINNNGが生まれなかったはずなので、JWPをやめた中島安里紗はフリーで活動していた。
- 棚橋弘至が週刊プロレスで大怪我した安川惡斗が表紙になったことで批判することがなかった。
米山香織[編集 | ソースを編集]
引退撤回しなかったら[編集 | ソースを編集]
米山香織は引退セレモニー中に引退を撤回し、物議をかもしました。もし撤回しなかったら?
- JWPが引退ロードの返金などで大きな損害を被ることはなかった。
- 場合によっては2017年のJWP解散→PURE-J旗揚げの流れもなかったかもしれない。
- 引退後もJWPのイベントには顔を出していただろう。
- YMZもなかった。
- そもそも引退を表明しなかったら
- JWPを退団してフリーにならなかったか遅れていた。
- さくらえみにタイに連れて行かれることもなかったかもしれない。
- ラビット美兎が付き人を辞めることもなかった。
ラス・カチョーラス・オリエンタレス[編集 | ソースを編集]
ヒール路線に移行しなかったら[編集 | ソースを編集]
ラス・カチョーラス・オリエンタレスは1997年の時、ヒール路線に移行しました。もし、ヒール路線に移行しなかったら?
- 忠実より目立つことはなかった。
- 当然、イス攻撃で相手を流血させることはなかった。
三田英津子が存在しなかったら[編集 | ソースを編集]
三田英津子は1993年の時にデスバレーボムを開発しました。もし、存在しなかったら?
- 高岩竜一がデスバレーボムを使うことがなかったので、大谷晋二郎に初勝利するのが忠実より遅くなっていた。