もしあのプロレス団体が○○だったら
ナビゲーションに移動
検索に移動
分割済み[編集 | ソースを編集]
旗揚げをしていたら[編集 | ソースを編集]
サムソン・クツワダの新団体[編集 | ソースを編集]
- 全日本プロレスは弱体化を招き、崩壊あるいは国際プロレスとの合併を選んでいたかも。
大日本プロレス(梶原一騎)[編集 | ソースを編集]
- 千代の富士のプロレス転向が実現した。
- フジテレビ繋がりで全日本女子プロレスとも提携。
- 史実の大日本プロレスは別の名前になっていた。
トーゴー&テーズ・カンパニー[編集 | ソースを編集]
グレート東郷が国際プロレスと決別後に日本再進出を目指し設立し、NET(現:テレビ朝日)及びフジテレビとも接触したものの日本プロレスの圧力に遭い断念。
- 共通
- 後にアントニオ猪木が合流したかもしれない。
- この場合、新日本プロレスはなかった。
- いずれにせよNETの日プロ中継参入はなかったので、日テレ独占中継は史実より長く続いていた。
- ただ、ジャイアント馬場が日プロ幹部と対立していたら、遅かれ早かれ独立し、後は史実通り。
- NETが中継権を持ったら
- 「ワールドプロレスリング」はこの団体を中継していた。
- フジテレビが中継権を持ったら
- 梶原一騎の大日本プロレスは構想自体なかった。
ワールド女子プロレス[編集 | ソースを編集]
- おそらく「ニューワールド女子プロレス」の時期が早まっただけだった。
世界格闘技連合[編集 | ソースを編集]
- W★INGプロモーションはあまり特徴の無いデスマッチ団体に成り下がっていた。
- 史実のW★INGより早い時期に共倒れしていた。
日本プロレスリング共同機構(FFF)[編集 | ソースを編集]
- 史実のようなインディ乱立はなかった。
解散・活動停止していなかったら[編集 | ソースを編集]
日本プロレス[編集 | ソースを編集]
- 大木金太郎を代表に立てて、ギリギリ存続させる。
- TBSが国際プロレスから乗り換える形で付き、同時期にストロング小林も移籍した。
- 全日の三冠ヘビー級王座も誕生しなかった。
国際プロレス[編集 | ソースを編集]
- 東京12チャンネルが中継を打ち切らなかったらこうなっていた。
- はぐれ国際軍団やパイオニア戦志はなかった。
- 場合によってはDDTなどもなかった。
- 「こんばんは事件」もないため、ラッシャー板前の芸名も変わっていた。
FMW[編集 | ソースを編集]
- 荒井社長は自殺しなかった。
- FREEDOMSやアイスリボンなども旗揚げされなかったかもしれない。
SWS[編集 | ソースを編集]
- 馬場の死後に天龍が全日に一時復帰することはなかった。
- 当然、WAR、NOW、PWCなどはなかった。
- 大日本も当然、旗揚げされず、登坂社長はSWSの社員のまま。
- DRAGON GATEも多分ない。
GAEA JAPAN[編集 | ソースを編集]
- OZアカデミー団体化、センダイガールズ旗揚げはいずれもなかった。
- マーベラスもなかった。
- 長与はいずれどこかのタイミングで引退していただろう。
解散していたら[編集 | ソースを編集]
- 現在は解散したプロレス団体については「史実より早く解散していたら」の妄想とします。
FMW[編集 | ソースを編集]
大仁田厚が2度目の引退をしてFMWを1度離れた際、「大仁田がいなければFMWは3ヶ月で潰れる」とまで言われていたが、もし言葉通りになっていたら?
- 大仁田の2度目の復帰はなかったが、あってもフリーランスとして復帰していた。
- ハヤブサは全日本に移籍していた。
- 事故に巻き込まれることもなかったかもしれない。
- 荒井昌一の自殺も多分なかった。
全日本プロレス[編集 | ソースを編集]
三沢光晴を筆頭とする所属選手及びスタッフの大量離脱により解散危機に見舞われました。
- 渕、川田ら残された選手はフリーに転じて新日やインディーを転戦していた。
- 渕は解散危機の時点で46歳だったので、もしかしたら解散した時点で現役を引退していたかもしれない。
- 武藤らは新日退団後、ZERO-ONEに合流していた。
- 馬場家はプロレス界から身を引いていた。
- 三沢亡き後、ノアをリストラされた選手たちで新団体を旗揚げしていた。
- 後に秋山準が社長就任。
- 整理屋はノアかゼロワンを買収していた。
- 諏訪魔らもノアでデビューしていた。
DDT[編集 | ソースを編集]
2010年に副業の居酒屋で店長の横領が発覚した際、団体そのものの解散も検討されたそうです。
- ユニオンプロレスが残るなら、独立してDDTから一部選手が移籍。
- 飯伏はこの時点で新日に移籍していた。
- 赤井沙希のレスラーデビューもなかった。
アイスリボン[編集 | ソースを編集]
2012年に創立者であるさくらえみが退団した際、それを継承した藤本つかさには会社より団体の解散か継続かを問い、後者を選びましたが、もし前者を選んでいたら?
- 藤本つかさはセミリタイアし、タレント活動の合間にスポットでやる感じになっていた。
- 残された選手はさくらえみに付いて行くか、フリーに転じるか、引退のいずれかを選択していた。
- 世羅りさは地味な舞台女優のままだった。
大日本プロレス[編集 | ソースを編集]
- 横浜アリーナ大会失敗で解散
2001年に横浜アリーナ進出を果たした際、登坂栄児は「崩壊寸前だった団体へのショック療法」だったと社長就任後に明かしたが、もし失敗して解散に至っていたら?
- デスマッチ封印はなかろうとも、史実のような隆盛はなかった。
- グレート小鹿は当時大量離脱で解散危機に陥っていた全日本に復帰していた。
- 岡林裕二は自衛隊にいたままだった。
- 金村キンタロー強制猥褻事件が原因で解散
2008年に発生した金村キンタロー強制猥褻事件、当時・統括部長だった登坂栄児社長は引責辞任(後に再任)したが、「処分が甘い!」と糾弾され、解散を選んでいたら?
- デスマッチは業界全体で封印された。
- 大仁田の完全引退も早まったか?
- 残されても金網やランバージャックぐらいか?
- デスマッチファイターも行き場を失い、引退か、アメリカでの活動かを選択していた。
- あるいはアジアのプロレス途上国(中国とかタイなど)で粛々とやる可能性も。
- ストロングはZERO1、ノアなどに分散。
- 植木嵩行は神奈川県警にいたままだった。
- 橋本大地はIGFを切られた後、路頭に迷い、消息不明に。
- 武藤に拾われたかも。
- グレート小鹿は引退して居酒屋に専念か?
その他団体別[編集 | ソースを編集]
日本プロレス[編集 | ソースを編集]
- 分裂しなかったら
- 猪木と馬場による主導権争いが過熱していた。
- 馬場死後もヨメが主導権握ったままだったら猪木と三沢が離脱して新団体を設立した可能性も
- 放映権は引き続き日本テレビ。
- 日プロ中継が金曜8時のままのため「太陽にほえろ!」は制作されず、石原裕次郎のテレビドラマ進出が遅れ、萩原健一(俳優として)や松田優作らのブレイクが違う形になるなど芸能界にも多大な影響を及ぼした。
- 最近になってようやく実現した「武藤×三沢」や、もしかしたら「鶴田×藤波」なんてのも・・・。
- 国際プロレスも存続。
- それでも大阪プロレスやみちのくプロレスは誕生。
- 大仁田の日本プロレス引退は史実どおりでFMWも誕生。FMW分裂後は大日本プロレスなどの過激な団体も登場
- 日本プロレス所属レスラーはあまり過激な団体とは対戦しないというルールができていた。
- 大仁田の日本プロレス引退は史実どおりでFMWも誕生。FMW分裂後は大日本プロレスなどの過激な団体も登場
- 本当の「協会」になっていた。
- 各団体は協会所属を原則とする。
- とっくにプロレスラーの福利厚生にルールができていた。
- 三沢はもちろん、何名かは2010年現在健在。
DDT[編集 | ソースを編集]
○○と合流していたら[編集 | ソースを編集]
DDTプロレスリングとそのグループは、2020年にプロレスリングノアと合流し、サイバーファイトを立ち上げました。もし、DDTがノアではなく別の団体と合流したらどうなっていたでしょうか?
- WRESTLE-1
- WRESTLE-1は、DDTに吸収合併という形となっていた。
- わかりやすくいえば、WRESTLE-1は、オリックスに合併された近鉄バファローズのような扱いとなっていた。
- DragonGate
- かつて、共同で興行をやっていたことがあるので、以外としっくり来ていたかも。
- 但し、運営会社が一緒になっただけで、あまり変わらない。
- 当然、ドラゲー側は本拠地移転もなく神戸で活動。
- 変わったことと言えば、ドラゲーの試合中継がabemaTVで始まったことくらいか。