もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら

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新規項目追加時はドラフトの開催順(同じ年なら指名順位→五十音順)でお願いします。

1960・70年代[編集]

鈴木啓示→阪神(1965)[編集]

  1. 近鉄の背番号1はもちろん永久欠番にならなかった。
  2. 江夏と共に左腕王国を築いていた。
    • 1965~85年の阪神の成績が史実よりも良く、何度か優勝できていたかも。
      • 少なくとも1973年は阪神が優勝し、巨人はV8となっていた。
  3. 近鉄監督に就任することはもちろんなかった。
    • 野茂英雄との確執ももちろんなかった。
      • 野茂英雄のメジャー行きももちろんなかった。
    • 1994年6月下旬から8月上旬の近鉄猛追(左記期間の成績30勝6敗)も無かった。
    • ここでネタにされることは当然なかった。
    • むしろいずれは阪神の監督になっていた。
  4. 背番号は「18」になっていたか?
  5. 有田修三が捕手として大成したか微妙なところ。
    • 史実よりも早くトレードされていた。
  6. 史実通り1985年に引退していたら、リーグ優勝→日本一という最高の形で有終の美を飾ることになった。

高田繁→南海(1967)[編集]

本人は幼少の頃から南海ファンでした。

  1. 地元のスター選手として、人気を集めていた。
  2. 大沢啓二氏からかわいがられた。
    • 日本ハム監督の就任は史実通り。
  3. 門田博光氏を指名することはなかったかもしれない。

村田兆治→広島(1967)[編集]

  1. 引退まで広島で活躍し、「地元の星」としてファンから愛されていた。
  2. 1970年代後半の成績は史実より良かった一方、1980年代前半の成績は史実より落ちていた。
    • 史実では1982年に肘を故障したため、これが広島球団へのダメージになっていたと思われる(実際、故障期間中の1983年にロッテは球団史上初の最下位に転落している)。

田淵幸一→巨人(1968)[編集]

  1. 関東で大人気。
  2. 西武移籍もなかった。
  3. 星野仙一の「ホシとシマの間違いじゃないのか」もない。
    • 実史通り中日へ入団しても、巨人キラーぶりは発揮できなかったと思われる。
  4. 阪神の指名は富田勝あたりか?
    • 当然富田の巨人移籍もなく、高田繁の三塁手転向が早まった。
  5. 田淵をモデルにしたテレビアニメ「がんばれタブチくん」の放送自体が無かったか、良くても関西ローカルでの放送となった?
  6. 張本を獲得することもなかった。
  7. レギュラーの座を死守しようと森が必死の策略を田淵に対して仕掛け、人の良い田淵は罠に嵌り、槌田の運命を歩んだかも。
    • 田渕を打撃に専念させるために、外野手に転向させていた。
      • 史実のような故障に悩まされることも無く、現役生活はもっと長かった。
  8. 息子の田淵裕章はもしかしたら日本テレビに入社していたかも。
  9. 1973年の巨人はもっと楽に優勝できていた。
    • 少なくとも甲子園の最終戦で阪神ファンの暴動は起きなかった。
  10. 史実通りダイエーの監督に就任した場合、生卵事件が5年ほど早く発生した。

星野仙一→巨人(1968)[編集]

  1. 星野仙一は嘗て巨人に在籍していた沢村栄治の再来と言われている。
    • そして江川卓が星野の後継者的なポジションを手に入れる。
    • 永久欠番となっている「14」の付与もあったか?
  2. そして巨人の監督にも就任
    • 長島監督の再雇用は無かった。
  3. 宇野のヘディングもなかった。
  4. 闘志をむき出しにすることもなく、活躍することもなく、ひっそりと引退していた。
    • 張本獲得の際に放出されていたかも。(史実では高橋一三)
  5. 牛島がロッテにトレードされることは無かった。
    • もちろん落合が中日監督に就任することも無かった。
  6. ブレービーも生まれていなかった……かも。
  7. 阪神の監督にもならなかった。

山口高志→近鉄(1974)[編集]

  1. 1975年は近鉄が年間優勝していた。
  2. 阪急は身売りまで日本一になれなかったかも。

北別府学→日本ハム(1975)[編集]

  1. 広島黄金時代はなかった。
    • カープ唯一の200勝投手になることもなかった。
  2. 日本ハムの優勝回数が増えていた。
    • 少なくとも1980年は後期優勝していた。

落合博満→巨人(1978)[編集]

1978年のドラフトをボイコットした巨人ですが、実は落合博満を2位指名する予定でいました。もし巨人がドラフトをボイコットせず、落合を指名していたら…

巨人
  1. ロッテの弱体化がもっと早くに始まっていた。
  2. その年の巨人はAクラス入りできた。
  3. 江川はそのまま阪神に入団。小林が阪神へトレードされることもなかった。
  4. 仮に江川入団がその場で認められた場合、巨人バッシングはもっと大きかった。
  5. とは言ったものの三冠王にはなれただろうか?
  6. 第1期長嶋政権のうちにもう一度優勝出来ていたかも。
    • そうなれば「長嶋監督を胴上げする落合」というシチュエーションが1期2期の両方で見られた。
ロッテ
  1. 少なくとも巨人バッシングはそれほど起きなかった。
  2. 長嶋監督の解任時期が変わっていたかも。

木田勇→ヤクルト(1979)[編集]

  1. ヤクルトの成績が、もう少しましになっていた可能性がある。
    • ただし初年度のみ。
  2. 本人も、もう少し現役を長く続けられていた。
    • ヤクルトは、巨人と共に地元の大洋に次ぐ「第二の意中」としていた為。
  3. 清原和博の6球団競合が史実以上に注目された。

1980年代[編集]

山崎武司→巨人(1986)[編集]

ドラフト前、巨人のスカウトが「絶対うちが獲るから他の球団とは接触しないでくれ」、「外れ1位か2位で指名する」とも言われてましたが、最終的に巨人は2位まで山崎を指名することなく、中日が山崎を2位指名しました。もし巨人にドラフト指名されていたら・・・。

  1. 史実のように、数年間二軍で下積みして、レギュラーを獲得し、巨人の主砲となっていた。
    • 松井と共に怪物主砲コンビとして、他球団から恐れられていた。
  2. 外野手として活躍していた場合、広沢はヤクルトからFAで移籍しなかったかも。
    • 一塁手で活躍の場合、落合は中日からFAで移籍していない可能性アリ。
  3. 高橋由伸が入団して以降は、出場機会が激減する。
    • それに伴い、他球団にトレードされていた。
  4. 史実より、現役生活が短かった可能性もある。

古田敦也→??(1987)[編集]

古田敦也は1987年、立命館大学時代にもドラフトで指名される可能性があったが指名されず、トヨタ自動車に入社し、2年後ヤクルトに指名され入団。その後の大活躍は周知の通り。
では、この時指名されていたら。

阪神

阪神スカウト陣は、立命館大学の古田敦也捕手をドラフトで指名するよう推したが、「メガネを掛けているのは捕手として致命的欠点である」というフロントの意見で指名を見送った。

  1. 1992年は阪神が優勝していた。
    • 1993・94年も優勝していたかも。場合によれば連覇・日本一ということもありうる。
  2. 関西テレビの関純子アナと結婚していた。
  3. 既に引退し、今頃は阪神で専任監督。
    • 阪神のプレーがクレバーなものになり、昔からのファンはちょっと寂しく感じるようになる。
      • 基本的に勝てばいいので勝ち方など気にしなくなる。
  4. 中日から阪神にトレード後も矢野はずっと控え捕手のままだった。
    • いや、矢野はヤクルトにトレードされて正捕手を務めた。
    • その場合2003・2005年のいずれかはリーグ優勝できなかった可能性もある。
  5. 入団からしばらくは平凡な捕手。ブレイクは野村監督就任まで待たねばならなかった。
    • ただし肉体のピークが過ぎているので名球会入りはなかった。
  6. ヤクルトの黄金時代はなかった。
    • 最悪の場合身売りされていた。
  7. 飯田は二塁→外野のコンバートが無くずっと捕手だった。
  8. ソウルオリンピックの正捕手は應武篤良だった。
  9. 野口寿浩がスワローズを代表する名捕手になっていた。
    • 当然日本ハムや阪神・横浜に移籍することはなかった。
  10. 古田自身は兵庫県川西市出身なので、地元の星として人気は絶大だった。
日本ハム

大沢啓二氏によれば日ハムもドラフト候補に挙げていたが「鳥目である」というデマが流れてナイターでは使えない、と指名を見送ったとのこと。さらにデマと分かった後でドラフト外の獲得を計ったがそのときにはすでにトヨタ入りが決まっていたそうな。

  1. 大沢氏の監督退任時のファンに対する土下座はなかった。
  2. 古田自身がそれほど有名にならなかった。
    • それでも札幌に移転する前に1度はリーグ優勝できていたかもしれない。
巨人
  1. 阿部は巨人を逆指名しなかった。
  2. 90年代は再び巨人の黄金時代。V10もあったかも。
  3. 村田真一が正捕手から追い出されトレード。
  4. 阪神の暗黒時代の成績はさらにひどくなっていた。
ヤクルト
  1. ヤクルトの1991年までの成績がもう少しまともになっていたかもしれない。
  2. 秦の外野手転向が早まった。

野茂英雄→??(1989)[編集]

野茂は史上最大の8球団競合となりましたが、この時野茂の指名を見送った巨人・中日・広島・西武のいずれかからも指名を受け、且つ巨人・中日・広島・西武のどこかがドラフトに勝っていたら?

全般
  1. 12球団競合の場合、巨人の指名が確定した瞬間に大歓声が上がっていた。
  2. 『ドカベン プロ野球編』のドラフトの展開が若干変わっていた。
    • 山田が全球団競合→外れ1位で岩鬼が巨人とダイエーの競合…という流れになっていたかもしれない。
巨人
  1. 90年代は再び巨人の黄金時代。V10もあったかも。
    • その場合1990年代の阪神は1度もAクラスに上がることはなく、1992年の優勝争いもなかった。
    • 巨人の人気低下が1990年代に起こっていた可能性もある。
    • ヤクルトが史実通りなのでそこまで無双はできない。
  2. それでも翌年のドラフトでダイエーを拒否した元木の指名には乗り出していた。
  3. 大森はどこからも指名されずに社会人行き。
    • 巨人が2位で指名する可能性が高いが、1位条件だったから拒否して社会人かも・・・
      • 元木と違って野茂は社会人の投手なのでこだわらない可能性もある。
      • ダイエーの元木指名がなければ、元木を2位で当てて大森は3位でもいけるかもしれない。しかし2位でも拒否の大森が3位を受け入れて入団するかは微妙。
  4. トルネード投法を矯正され、並の投手として現役を終えた可能性も。
  5. 背番号は11になり、1990年の斎藤雅樹の背番号は41のまま、翌年加藤初の21を引き継ぐ。
中日
  1. 90年代前半はもう少し成績が良かった。
  2. 与田はダイエー辺りから外れ1位指名を受けていた。
    • 在京球団志望でウェーバー順を考えると日本ハムの可能性が高い。
広島
  1. 1991年は日本一になれていた。
  2. 佐々岡のその後はどうなっていたことやら?
    • 佐々岡は地元枠の囲い込みなので2位指名の可能性もある。
西武
  1. 西武黄金時代はもう少し長く続いていた。
    • 少なくとも1993年と1994年は日本一になれていた。
    • 1995年のオリックス優勝やロッテ旋風もなかったかも。
    • リリーフが鹿取ひとりだと90年の優勝は逆にきつかったかも
  2. 潮崎は外れ1位指名で競合した可能性も。
    • 潮崎は西武逆指名だったから拒否して翌年西武の可能性もある。
    • 当時の外れ1位はウェーバーなので競合はしない。

前田智徳→ダイエー(1989)[編集]

前田智徳は当初ダイエーのドラフト指名が噂されていましたが、史実ではダイエーが指名することなく広島に指名され現在に至ります。 もしこの時ダイエーに指名されていたら。

  1. ダイエーの黄金期は早く来ていた。
    • その代わり1991年の広島優勝はなかった可能性も。
  2. 1位指名の場合、元木大介がダイエー入団を拒否することはなかった。
  3. アキレス腱断裂後は主に指名打者として起用。
  4. 松中信彦はダイエーに指名されなかった。
    • 指名していた場合多村仁志がFAで移籍することはなかった。
      • 多村はトレードで来たんだが・・・。
  5. 小久保が無償で放出されたときにFAで他球団に移籍していた。
  6. それでも広島に指名された可能性はある。

元木大介→巨人(1989)[編集]

  1. 元木が現実ほど嫌われる事はなかった。
  2. 大森もまたダイエー(?)に指名されて、期待通りの活躍をしたかもしれない。
    • あるいは大森が拒否して社会人に進み、2年後を待っていた。
    • 当時の大森の評価を考えると巨人以外のチームが1位で指名する可能性はない。
  3. 元木の成績は史実と変わっていなかった。
    • ただし、入団当時の背番号は「24」だった。
  4. 仮に巨人とダイエーの抽選になり、巨人が抽選に敗れた場合、その後は実史通りとなっていた。
    • ダイエーの元木指名は野茂の外れ1位なので競合しないのでは?
      • 巨人も野茂の外れ1位指名だったとしたら競合する。あるいはダイエーが野茂を諦めて元木に変えた場合とか。
        • 当時の外れ1位はウェーバーなのでダイエーに指名された時点で巨人は指名できないので競合しない。
  5. 性格が歪まずに済んだかもしれない。
  6. 大森と巨人の縁はなかったので、大森がスカウトとして担当した坂本勇人が巨人入りすることはなかった。
    • 従って、2008年シーズンは史実どおりN岡が「Mナ事件」で謹慎(!?)したとしても、小坂誠が飼い殺しの憂き目に遭うことはなかった。
    • 2008~2009年に阪神が巨人に11連敗なんてことはなく、2009年5月現在、阪神は現実より順位が上にいる。
    • 巨人以外の大森の評価は低かったので2位でも指名できた可能性が高い。ただし本人が2位なら巨人でも拒否を明言していたのでプロに入らなかった可能性はある。
  7. 1990年のドラフトでは巨人も小池を指名していた。

1990年代[編集]

小島弘務→西武(1990)[編集]

前年にドラフト外で西武入りするも、規約違反が発覚して以降の西武入団・移籍禁止というペナルティーを科されましたが、この規約違反及びペナルティーがなくて西武に指名されていたら?

  1. 本人はもう少し長く現役を続けられた。
    • 根本氏もダイエー監督や代表取締役に就任せず、死去まで西武の関係者の座に居続けたかもしれない。
  2. 西武も1993年~2003年の間に、最低1回は日本一になれていた。

湯舟敏郎→ロッテ(1990)[編集]

この年のドラフトでは、ロッテは小池ではなく湯舟を指名する意向でした。

  1. 小池は交渉権を得た球団に入団していた。
  2. この年限りで引退した村田の後釜として育成された可能性がある。
  3. 1995年のロッテは、優勝できなくとももっといい成績を残せていた。
    • 少なくとも、首位オリックスと12ゲーム差なんてことはなかった。
  4. 阪神暗黒時代の成績が、更に悪化していた可能性もある。
    • 小池が阪神だった場合は史実より良かった可能性もある。

若田部健一→??(1991)[編集]

若田部が希望していた在京セリーグは、巨人以外は指名すらしませんでした。もし巨人以外の在京セリーグから指名を受け、かつ抽選に勝っていたら?

共通すること
  1. 娘はHKTではなくAKBに加入していた。
    • 同じ野球選手の娘、ということで倉持明日香と何らかのコンビを組んでいたかも。
      • 大森美優も含めた3人で「野球三姉妹」というユニットを組んでいたかも。
横浜(大洋)
  1. 戦力外通告とかがない限り、入団から引退まで横浜で過ごしていた。
    • 斎藤と若田部が入れ替わっただけで1998年は優勝していただろう。
  2. 斎藤隆は中日に単独指名で入団していた。
    • 「ササキ様に願いを」のネタが少し変わる。
  3. 神奈川県出身なので「地元の星だ」と歓迎され期待されていた。
ヤクルト
  1. 1990年代はヤクルト黄金時代となっていた。
  2. 石井一久が他球団の指名を受ける。
  3. そもそもヤクルトは1982年のドラフトで駒沢大学進学を表明していた新谷博を強行指名→入団拒否以来駒大とは絶縁状態、ということを考えると若田部の指名はどう考えてもありえなかった気が。

小池秀郎→ロッテ(1992)[編集]

小池は1990年のロッテ指名を拒否しましたが、翌々年のドラフトではどの球団の指名でも入団する姿勢を取っていました。ここでもしロッテが再チャレンジの意味を込めて指名していたら?

  1. 武藤は近鉄に指名されていた。
  2. チームになじめていれば、1995年のロッテの成績がもう少しまともになっていた。
    • 2位止まりでも、オリックスに史実ほどの大差をつけられることはなかった。
  3. パナソニック(松下)在籍時にロッテは監督交代や本拠地移転などがあったので、当時ほどの嫌悪感は持たれず、入団拒否の可能性も低かったと思う。
    • ロッテ拒否は事前交渉が無かったことなどロッテ側の対応への不満もあるから無理だと思う。

松井秀喜→??(1992)[編集]

オリックス
  1. イチローらとともに、強力クリーンアップを形成し、メジャー移籍までは黄金時代が続いていただろう。
ヤクルト
  1. 1990年代のヤクルトは無敵の強さを誇っていた。
    • メジャー移籍までは古田などとともに最強のクリーンアップを形成していた。
    • 1960~1970年代の巨人のV9に匹敵する強さとなっていた。
  2. 野村克也監督は史実より長くヤクルトの監督を務めた。
    • 阪神の監督には就任しなかったかもしれない。
    • だが夫人の脱税で監督を辞任するのは史実通り。
  3. 「東京ヤクルトスワローズ」への球団名変更はなかったかもしれない。
  4. 巨人は伊藤智仁を指名していた。
近鉄
  1. 松井入団以後少なくとも1度は日本一になっていた。
  2. 中村ノリ・松井・ブライアント(のちローズ)の最強クリーンアップが出来ていた。
横浜
  1. 1990年代中盤における横浜ベイスターズの成績は現実よりも良かっただろう。
    • 1997年以前にもリーグ優勝していた可能性はある。
    • 逆に阪神は横浜に勝てなかったかも。
      • 最悪の場合、1990年代中盤の暗黒時代に現実にはなかった「他の5チーム全てに負け越し」という事態になっていた。
    • 逆に2003年以降(メジャー移籍後)の成績不振がさらに深刻化した可能性も。
西武
  1. 西武黄金時代はもう少し続いていた。
    • オリックスのリーグ2連覇やバレンタインロッテの躍進もなかった。
広島
  1. 1996年はリーグ優勝できていた。
    • 1998年~2012年の間も何度かAクラスに入っていた。
日本ハム
  1. 札幌移転までに数回リーグ優勝していた。
    • 少なくとも、1996年と1998年は優勝できていたと思われる。
ロッテ
  1. 1995年は優勝できなくとも、オリックスとのゲーム差がもう少し詰まっていた。

古木克明→ダイエー(1998)[編集]

  1. 1年目から活躍できていれば、1999年の日本一と2000年のリーグ連覇に貢献。
    • 2000年は日本一になれていたか、史実通り巨人日本一でも3勝4敗にはできていた。
  2. 現役引退時期が変わっていたかも。
    • 史実より早いか遅いかはわからないが…

松坂大輔→??(1998)[編集]

阪神
  1. 入団後阪神のエースに成長し、史実より早く暗黒時代を脱していた。
    • 2003年より前にリーグ優勝していたかも。
  2. 史実でドラフト1位で入団した藤川球児は阪神に指名されなかったかもしれない。
  3. 大リーグから帰国後もソフトバンクや中日ではなく阪神に入団していたかも。
オリックス
  1. オリックスの長期不振はなかった。
    • 貧打にあえいだ2002年はともかく、2003年の投手陣崩壊は緩和されていた。
    • 21世紀に入っても1度はリーグ優勝できていた。
  2. 三輪田氏の自殺もなかったかもしれない。
ヤクルト
  1. 荒木以上の騒ぎになったのは確実。
  2. 若松監督時代にもう一回くらい優勝できていた。

2000年代[編集]

赤星憲広→??(2000)[編集]

共通すること
  1. なんJで「赤星、ハア?」という用語が使われることはなかったかもしれない。
中日
  1. 地元ということで大いに歓迎されていた。
  2. 二軍からのスタートになっていた?
  3. 土谷(鉄平)などと比較されて過小評価されたかもしれない。

明石健志→日本ハム(2003)[編集]

  1. 地元ということで大いに歓迎されていた。
  2. 日本ハムも2007年から2015年までの間も1回ぐらいは日本一になれていた。

一場靖弘→日本ハム(2004)[編集]

ダルビッシュを逃した場合、指名の可能性もあったそうです。史実では楽天が自由枠で獲得しましたが、もし日本ハム入りしていたら?

  1. 日本ハムの成績は対して変化なし?
  2. 一場のセリーグデビューの時期が変わっていた可能性も。

川端慎吾→??(2005)[編集]

阪神
  1. 2013年までに1回ぐらいはクライマックスシリーズファイナルステージに進出できていた。
  2. 他のポジションで定着していたかもしれない。
オリックス
  1. 史実通りには育たなかった可能性もある。
    • その場合、入団後数年程で他球団に放出されていた。

前田健太→??(2006)[編集]

共通すること
  1. 広島暗黒時代が現実よりも長く続いていた。
  2. 広島で「前田」といえば今でも前田智徳のことだった。
    • 史実でもファンの間では「前田」といえば今でも前田智徳ですが何か?
阪神
  1. 大阪出身なので「地元の星だ」とファンは大喜びする。
  2. 2008年か2010年あたりにリーグ優勝(あるいはCS優勝)できていたかも。
巨人
  1. ただでさえ強い巨人がさらに強くなっていただろう。
  2. 恐らく同い年の澤村よりも成績は良かったと思われる。
ロッテ
  1. 2007年にリーグ優勝、2010年も2位以上になれた。
  2. 大嶺祐太は単独指名でソフトバンク入り。
    • 弟の翔太もロッテに入団しなかった。
    • ロッテのキャンプ地が鹿児島から石垣島に移転することもなかったかも。

長野久義→巨人(2006・2008)[編集]

2006年
  1. 2007年の巨人はCSで3連敗なんてことはなく、出場を逃したとしても1勝はしていた。
  2. 本人のキャリアが少し早く開花していた。
  3. 2008年途中に阪神に13ゲーム差離されることもなかった。
    • Vやねん!?メークレジェンド?何それ?
2008年
  1. 2009年の日本一メンバーにも加わり、本人のブレイクも少し早まっていた。
    • 2009年の新人王は松本哲也ではなく長野だった。
  2. 巨人が大田泰示を取り損なっていた。あるいは大田がプロ志望届を出さずに進学していた。

上本博紀→広島(2008)[編集]

  1. 一応広島県出身なので「地元の星だ」として人気が出ていた。
    • ただ県東端の福山市出身らしいので本当に地元と言えるのかどうかは微妙。
  2. 弟の上本崇司も史実通り広島に指名されていた場合、同一チームでの兄弟コンビが実現していた。
    • そういう意味で阪神の新井兄弟と比較されていたかもしれないが、こちらの場合はどちらも移籍選手なので事情は異なる。
  3. 二塁・遊撃のいずれかでレギュラー定着した場合は、東出輝裕、梵英心、菊池涼介辺りのキャリアにも影響を及ぼす可能性も。

今村猛→??(2009)[編集]

ソフトバンク
  1. やはり2軍スタートとなった?
ヤクルト
  1. 松園直巳(当時は存命)に気に入られ、史実より早く一軍入りしていた可能性がある。
  2. サッシーこと酒井圭一超えの期待がかけられていた。
横浜
  1. 一軍定着していれば、ベイスターズの成績がもっとまともになっていた可能性がある。
    • 仮に最下位続きでも、勝率は史実より良かった。
    • 筒香嘉智が別の球団に行くと見られるので長期的に見れば寧ろそんなに変わらなかった可能性も。
      • さらに今村がTBS時代やDeNA初期に酷使される可能性を考えれば横浜の16年以降の成績がかなり低迷していたかもしれない。
  2. 「カピバラ族」は今村と三嶋一輝をさす言葉になっていた。
楽天
  1. 「東北勢初優勝を阻んだエース」ということで、東北のファンは複雑な心境になっていた。

堂林翔太→中日(2009)[編集]

  1. 菊池雄星の競合は5球団となり、運命が変わっていたかもしれない。
  2. 一軍での活躍次第では高橋周平を指名しなかった可能性も。
    • 外野での起用がメインだったかもしれない。
  3. 結婚相手は枡田絵理奈アナではなかったかも。
  4. 「カープ女子」などに代表されるカープブームは発生しなかったかもしれない。

2010年代[編集]

澤村拓一→中日(2010)[編集]

澤村は相思相愛とされた巨人から単独指名を受け入団しましたが、ドラフト直前の情報では中日との競合が予想されていました。もし中日が交渉権を獲得していたら?

  1. 菅野智之ほどではないにせよ入団拒否の可能性が高かった。史実ではそのリスクを冒すより確実に入団するであろう大野雄大を指名したほうがよいと判断された。
以下、中日に入団していたと仮定して
  1. 活躍度は史実とあまり変わらない。
  2. 背番号は澤村つながりで14番かも(巨人では栄治の背番号ということで永久欠番になっているが、中日入りしていたならばもらえたかもしれない)。そうでなくても10,20番台はまず確実。
  3. 中日入りしていた場合注目度は史実より幾分か低くなっていた。
    • 史実通り抑えに転向→大炎上となれば、中日の勝ち星がより悲惨な事になっていた。
  4. 大野は外れ1位でオリックスあたりが獲っていたため、中日入りはなくなっていた。
    • 巨人は外れ1位で史実では2位だった宮国を1位指名。

山田哲人→阪神(2010)[編集]

  1. 関西出身なので、地元の星として人気は絶大だった。
  2. 史実通りトリプルスリーを達成した場合、阪神人気は史実以上に高くなっていただろう。
    • 2015年のペナントレースは優勝できていたかも。
    • 他の若手選手も彼に刺激され、現実以上に活躍しただろう。
    • オリックスに指名された場合よりは可能性はあるだろうけど、それでも阪神でトリプルスリーは若干厳しい気がする。

斎藤佑樹→楽天(2010)[編集]

  1. 入団当初は「マー君とハンカチ王子が同じチームに!!」と大いに盛り上がるが…。
    • 否が応でも田中の無敗記録達成や渡米時に何かしらのコメントを求められていた。
      • 松井などの台頭もある為、マー君の渡米後はメディアにこき下ろされる機会が史実以上に増えていた。
    • CSや日本シリーズでは当番の機会が1回でもあれば良い方だと思う。
  2. 塩見がヤクルトの単独指名になるので、山田哲人の交渉権はオリックスが獲得していた。

菅野智之→??(2011・2012)[編集]

2011年、ソフトバンク

菅野争奪戦にはソフトバンクも参加予定だったいう情報がありましたが、もしソフトバンクが交渉権を獲得していたら?

  1. 入団していれば、1年目からそれなりの成績を残せていた可能性がある。
    • 少なくとも負け運に付きまとわれる可能性は巨人よりも低かったはず。
  2. 入団拒否→翌年巨人入りの場合、「元木の二の舞」という声が各地で出ていた。
    • 菅野の事だから巨人以外だったらどこに指名されようが入団拒否だった可能性が高い。
  3. 大谷翔平の争奪戦にも間接的に影響が出ていた。
    • 日本ハムが二年連続で一種のサプライズ的指名を行う事はなく、大谷も複数球団による争奪戦になっていた可能性がある。
  4. 武田翔太は2位で指名。史実の2~5位はそのまま3~6位で指名していた。
2012年、日本ハム

一部で日本ハムの菅野再指名が囁かれていましたが、もし2012年ドラフトでも日本ハムが交渉権を獲得していたら?

  1. 「またしても日本ハムが交渉権」ということで、会場や東海大学のどよめきが大きくなっていた。
    • それでも拒否した場合、社会人へ行っていたかもしれない。
      • 原監督の引き抜きもありえたかも。
      • 史実の大谷のように資料を提示して今度こそ入団するよう必死の交渉を図っていたんじゃなかろうか。
  2. 大谷翔平は複数球団による争奪戦になっていた。
    • いや、こっちの場合だと全球団が指名を敬遠してに本人の希望通りアメリカに行っていた可能性が高い。
  3. 念願の巨人に移籍できるチャンスがあるとすればおそらく矢野とのトレードの時だろうが、裏密約を疑われる恐れがあるので多分実行されない。
    • 今だったら大田⇔菅野のドラ1同士の電撃トレードも有り得る。その代わりに吉川は別の球団へ放出される(石川と公文は史実通り)。

東浜巨→ロッテ(2012)[編集]

  1. 小池拒否以降初の亜細亜大学からロッテ入り(トレード除く)ということで、話題になっていた。
  2. うまくいけば、年に30試合程度は登板できる投手になっていたかもしれない。

大瀬良大地→ソフトバンク(2013)[編集]

  1. 九州出身ということで、地元の星として期待されていた。
  2. 2014年のリーグ優勝・日本一に貢献できていた可能性もある。

オコエ瑠偉→??(2015)[編集]

巨人
  • 小学校時代に巨人のジュニアチームに参加したのがきっかけで外野手に転向。また、「あの一件」が無ければ実際に指名したのではと言う説もありますが…。
  1. 桜井、重信と上位指名選手が単独指名だったので、オコエが1位指名なら順位が1つずつズレる。
    • 但し楽天が平沢を指名できていれば2~3位指名になっていたかもしれない。その代わり他球団と競合する可能性も高まる。
    • 2位指名時に桜井が他球団に獲られていた可能性もある。
  2. 未来の巨人の強打者候補として1年先輩の岡本と競い合う機会が多くなる一方、1軍登板の機会は史実よりも大幅に少なくなっていた。
ロッテ

一部ではロッテもオコエ獲得を目指していたという噂がありますが…

  1. 平沢の指名に踏み切った球団がいくつか出ていた可能性もある。
  2. 活躍できていれば、2016年のCSでファイナルステージ進出を果たしていた可能性がある。
  3. 内竜也と親戚同士であることがもっと話題にされていた。

今井達也→オリックス(2016)[編集]

  1. 江川に入団拒否されて以降、初の作新出身選手として話題になっていた。



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