もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら

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目次

分割済み[編集]

もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら/外国人選手

あ行[編集]

相川亮二(横浜)[編集]

  1. 武山細山田論争なんて起きない。
  2. 横浜が捕手をかき集めることもないので鶴岡一成は巨人に残留していた。
    • 市川友也の代わりに日ハムにトレードされていたかも。
    • 史実通りFA宣言した場合はヤクルトか阪神が獲得に動いていた。
    • 久保康友のFA補償は金銭となっていた。
    • 橋本将も横浜には来なかった。
  3. 第3回WBC日本代表には相川の代わりに嶋基宏が選出されていた。
  4. 細山田武史は一軍出場がないまま戦力外通告を受けていた。
  5. 金城と同じく2014年にDeNAから引退勧告&コーチ就任打診→FAで巨人と言う可能性が高い。
    • 鶴岡の代わりに久保の人的補償で阪神入りと言う可能性もなくはない。

秋山幸二(西武)[編集]

秋山幸二は1993年オフに西武からダイエーにトレードされたが、もしこのトレードが無かったら?

  1. ソフトバンクホークスの監督に就任することはもちろん無かった。
    • ライオンズの監督に就任していた可能性も。
  2. ダイエーは1994年以降もBクラス常連。
    • 1994年は勝率5割以下になっていた。
    • 1999年の日本一は無かった。
      • 四年契約の王はこの年限りで退陣。
    • ダイエー本体の経営悪化から、現実より早く球団が売却されていた。
  3. 工藤・石毛がダイエーに来ることはなかった。
    • しかし工藤は球団への問題で移籍していた。
  4. 2009年のホークス監督は誰に?
    • 実績で言えば森脇辺りが妥当なのだろうが、古田などの外部招聘も十分にありえただろう。
  5. 10年連続、いや12~3年連続で30本以上を達成していたであろう。
  6. ジャクソン・松井稼・秋山・清原・テストラーデ・鈴木健・垣内・伊東・高木浩と抜け目の無い打線が完成していたであろう。
    • 「穴のない打線」では?
  7. FAで巨人に移籍していた。
  8. 村田勝喜は90年代末くらいまでダイエーのエースとして君臨し続けた。
  9. 渡辺智男も史実より長く現役を続けていた。

新井貴浩(広島・阪神)[編集]

広島に残留し続けていたら
  1. 赤松は今も阪神に在籍。
  2. 金本が4番を退いてからは鳥谷あるいはマートンが4番を打つようになっていた。
  3. 弟の新井良太も阪神に移籍しなかった。
    • むしろ良太も広島に移籍し史実通り兄弟で同じチームでプレーしていたかも。
      • 場合によっては桜井広大、林威助辺りが史実以上に活躍してて2010年代末まで現役だったかも?
  4. なんJの定番ネタが1つ減る。
    • 辛いさん呼ばわりされることもない。
  5. プロ野球選手ファンの項目で初めて単独ページが立つ可能性は低かった。
  6. 2000年代以後、2015年の間に広島は少なくとも1度はリーグ優勝していた。
    • 山本・ブラウン時代のあんまりな成績を見るに、新井1人だけではせいぜいCS出場が早まるのが限界だと思う。とは言え黒田もずっと広島に残っていればノムケン時代にリーグ優勝できた可能性が…?
阪神に残留していたら
  1. 金本の監督就任に伴いコーチ兼任で現役を続けていた。
    • 引退時期が史実通りなら丁度金本の監督退任と重なるため、引退セレモニー辺りでとんでもなく弄られていたに違いない。
  2. 広島ファンからは絶許扱いのままだった。

石井琢朗(横浜)[編集]

  1. 大矢監督時代は守備固めとしての出場が主となった。
  2. 石川雄洋はセカンドに固定されていた。
    • ホセ・カスティーヨ、渡辺直人の獲得は無かった。
    • 藤田一也のブレイクももう少し遅れていたかも。
    • ショートは石井琢朗、山崎憲晴、藤田一也の併用体制となりショートが穴では無くなるため史実より防御率が若干ではあるが改善したかも。
  3. 選手兼任コーチを務めていた。
    • 引退後は内野守備走塁コーチとして石川雄洋や山崎憲晴は勿論、梶谷隆幸や白崎浩之らも指導。二遊間の面子は悩ましい事に。
      • 梶谷隆幸と桑原将志の外野手転向は史実通り。
  4. 2016年に広島がリーグ優勝することはできなかっただろう(史実では打撃コーチとしての功績が非常に高かったことから)。
  5. 内川聖一と村田修一の去就にも影響したかも。

石毛宏典(西武)[編集]

  1. 1995年は極度の打撃不振。
    • 勿論、リーグ6連覇も果たすことは出来ずこの年で戦力外通告を受ける。
      • 翌年ダイエー、ロッテ辺りに拾われ同年に引退。
  2. ダリン・ジャクソンが来日することは無かった。
  3. 選手兼任監督をされるも成績不振で解任される。

イチロー(オリックス・マリナーズ)[編集]

オリックスに残留していたら
  1. オリックスと近鉄との合併時に分配ドラフトで楽天に移籍する。
    • 球団創設1年目からAクラスだった。
      • どう考えても真っ先にプロテクトするから楽天は絶対無い。本人が「楽天に行きたい」と言わなければの話だが。
        • 楽天の初代監督がイチロー本人の少年時代の憧れの選手だった田尾安志、ということを考えると熱烈な誘いがあればひょっとして…という可能性も。
      • オリックス・バファローズが合併1年目からAクラス常連だっただろう。
        • …のはずが夏の終わりの時期に離脱してしまいセミロー扱い。(あまりイメージは薄いがイチローはNPBの晩年の2年間の毎年夏の終わりに故障で残りシーズンを棒に振っている。)
    • それ以前にFAで中日ドラゴンズに移籍しているはず。
      • 後を追ってムネリンもドラゴンズに移籍していた。
    • イチローの発言が影響して合併は白紙、近鉄は身売りの流れとなる。
  2. 当然のように毎年首位打者・最多安打のタイトルを獲得する。
    • 打率4割を達成している。
    • ラビットボールが使用された時期を考えると30本、100打点を達成していた可能性もあった
  3. 下手をすればここにカネによって移籍。
  4. 2000本安打を達成するのが実史より遅く、へたすりゃ日本式練習と選手起用の末怪我で引退の可能性すらあった。
  5. 2006年正月の古畑任三郎の犯人役に出ることはなかった。
    • ひょっとしたら松井秀喜がその役をしていたかも。
  6. 地球が消滅することもなかった。
  7. 規定打席に到達していたので、生涯打率のトップになっていた。
  8. 張本やピート・ローズがイチローの記録にケチを付ける事は無かった。
    • 日本通算として本当の意味で張さんを越えていた。
    • 「日本人記録」かつ「NPB記録」となっていた。
  9. ブルーウェーブの成績次第では仰木さんの監督退任が数年遅れていた。
    • 史実通りオリックスバファローズの初代監督になるとしてもブルーウェーブ最終年まで続けている。
  10. ブルーウェーブは2001年以降も04年まで1995・96年に優勝したユニフォームを着用していた。
  11. 村松のオリックス入りは史実通り。
    • オリックスが低迷していたのも史実通り。(塩谷の暗黒力をなめてはいけない)
マリナーズに残留していたら
  1. 背番号は一貫して51のままだった。
  2. 活躍に関してはよほどの事が無い限り史実に近いだろうから、マリナーズ史上2人目の永久欠番入りが事実上確約される。
  3. どのみちムネリンはブルージェイズに行っていた。

糸井嘉男(日本ハム)[編集]

  1. その年の最下位はなかった。
    • オリックスは13年も最下位になり、14年の快進撃もなく森脇浩司監督もそこで退任になってた可能性が高い。
  2. 大谷は遊撃手になっていた可能性も。
    • 2013年オフに糸井がメジャー移籍した場合は14年以降は史実通り外野起用の場面が多かっただろう。
  3. メジャー挑戦が実現した可能性も。
  4. 日ハムから直接FAで阪神へ→史実通りに、という可能性も。
    • その場合史実でオリックスへ人的補償で移籍した金田和之は同じような形で日ハムへ行っていたか、もしくは日ハム側が金銭を選び現在でも阪神でプレーしていたかも。
  5. トレード相手だった大引啓次のその後にもなんらかの影響を与えていたことは間違いない。
    • もしかしたらヤクルトへFA移籍することなく現在もオリックスでプレーしていた可能性も。

稲葉篤紀(ヤクルト)[編集]

  1. 2005年以降のヤクルトは現実よりも成績が良かった。
    • 何度かリーグ優勝をしている。
      • レフトラミレス・センター青木・ライト稲葉という外野陣が実現していた。
    • 逆に日本ハムの優勝回数は少なかった。
      • 当然「稲葉ジャンプ」も誕生しなかった。
      • 現役引退後はフジテレビかテレビ朝日の野球解説者になっており、北海道文化放送の解説者になる事は無かった。
    • ヤクルトの各年の成績を見る限り、「稲葉さえいれば優勝できた」ようなシーズンはほとんど無いようだが。惜しくもV逸した2011年は稲葉自身が不振だった。

岩隈久志(オリックス)[編集]

史実では分配ドラフト後に楽天へトレード移籍した岩隈だが、もしオリックスにそのまま入団していたら?

  1. オリックスはプレーオフ→クライマックスシリーズの常連になってたかも。
    • ヘタしたら、日本シリーズに進出してたかも。
  2. 故障で二軍落ち、ということにはならかったかも。
  3. 2007年シーズン途中に、歌藤達夫・萩原淳両投手とともに北海道日本ハムにトレード移籍。
    • 木佐貫洋とのトレード(史実では高木康成)で巨人へ、という可能性も。
  4. 楽天は4年連続最下位だったかも?
  5. 2008年はオリックスが優勝、楽天が最下位。
    • もし渡米しなければ2014年もオリックスを優勝に導かせたかも。
    • もし08年に岩隈も二桁勝利していれば10勝カルテットが10勝クインテットになっていた。
  6. 楽天の田中は入団1年目でエースに、2年目には開幕投手を務めていた。
    • 入団拒否していた可能性もある。
  7. 2005年の楽天は100敗に到達、下手すると30勝未満で終わった可能性も。
  8. 義父がコーチをしている縁でどっちみちゆくゆくは楽天に移籍するかもしれない。
    • あるいは義父がオリックスのコーチに就任する。

内川聖一(横浜)[編集]

  1. 現在も横浜の主砲として活躍。
    • メジャーリーグに移籍していた可能性もある。もし移籍したら畜生発言はここで出されていた。
    • トニ・ブランコとホセ・ロペスはDeNAに移籍せず。
      • そのため、ウラディミール・バレンティンは2013年に三冠王を達成出来ていたか内川に首位打者を獲られて阻止されていた。
  2. 現実以上に村田修一は叩かれていた。
  3. 数々の畜生発言は生まれなかった。
    • なんJの定番ネタが減っていた。
  4. 第3回WBCの侍ジャパンにDeNAだけ選手が呼ばれない、という事はなかった。
  5. 2011年のソフトバンクは日本一になれなかった可能性がある。

江川卓(阪神)[編集]

関連項目:もし江川問題が○○だったら

  1. 背番号3のエースとして、1985年の優勝に貢献した。
  2. 小林繁は巨人で選手生活を全うした。
  3. それでも入団当初はアンチ巨人の阪神ファンから「ほんまは巨人に行きたかった奴」と叩かれていたかもしれない。

江藤智(広島)[編集]

  1. 2000年以降も広島の主砲として活躍。
  2. しかし(新井貴浩や栗原健太などの)若手の台頭により2006年以降は代打の切り札になっていた。
  3. 通算350本塁打達成まであと1本という状況が何年も続くという事はなかった。
  4. 巨人のサードのレギュラーは小久保が移籍するまでずっと元木のまま。

江藤慎一(中日)[編集]

※史実では1969年のシーズンオフに水原茂監督との対立で恩師である濃人渉監督務めるロッテオリオンズに放出され、一時は「中日の江藤で終わりたい」と任意引退までし、ファンからもスーパースターである江藤の放出には大きな反発の声が上がりました。
その後、1971年には史上初の両リーグ首位打者という偉業を達成するも、その後は大洋、太平洋、再びロッテと各球団を転々としました。

  1. ドラゴンズ一筋で史実通り(現役生活18年にして通算打率.287、2057安打、367本塁打、1189打点)かそれ以上の成績を残した場合、彼こそが「2代目ミスタードラゴンズ」を襲名していた。
    • 史実で2代目の高木守道は3代目、3代目の立浪和義は4代目とそれぞれ繰り下げ。
    • 1999年オフに江藤智(広島)のFA獲得に成功した場合、江藤智はドラファンから「ドラゴンズの江藤二世(省三がいるため、厳密には三世だが)」と大きな期待を寄せられていた。
  2. 当然、両リーグ首位打者は2011年に内川聖一が達成するまで誰一人として現れなかった。
  3. 慣れ親しんだ中日球場(1975年よりナゴヤ球場)で長らくプレーできる+理解者である弟の江藤省三とともにプレーできるわけだから史実より選手生命も伸び、また彼の残留によってチームの成績も伸び、1973年には中日が巨人のV9を阻止(V8で止める。ちなみに史実では阪神が2位)。
    • 谷沢健一が左翼手のレギュラーに定着するのは史実より遅れていた。当然新人王もなし。
    • 1974年には史実より1年早く2000本安打を達成。この年ドラゴンズは日本シリーズでロッテに勝利し、日本一になっていたかも。
  4. 引退後、ドラゴンズを含めたプロ球団の監督やコーチを務めていた?(史実では現役時代の1975年に太平洋クラブで選手兼任監督を務めた以外、プロでの指導歴はなく、引退後はアマチュア指導者に転身)

大島康徳(中日)[編集]

  1. 中日に残留していればレギュラーを張り続けることは困難であり、代打の切り札としてせいぜい2-3年プレーした後で引退していた。2000本安打も達成していない。
  2. 日本ハムの監督にも就任しなかった。中日でコーチ、監督を務めていた可能性もある。
    • 山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった。

大村三郎(巨人)[編集]

※2011年シーズン途中に工藤隆人との交換トレードで巨人入りするも、その年のシーズンオフにFAで千葉ロッテに復帰。

  1. 2012年の巨人のシーズン成績が若干変わっていた。
  2. 千葉ロッテに復帰しなかったということで、登録名を(巨人移籍まで使用していた)『サブロー』に戻すこともなかった。
  3. 引退が早まっていた(忠実には2016年に引退)。

小笠原道大(日本ハム)[編集]

  1. 2007年の中日との日本シリーズ第5戦における完全試合(山井→岩瀬のリレー)は彼のヒットで阻止されていた。
    • よって落合博満の采配云々が賛否両論になる事もなかった。
  2. カッスレは生まれない。
    • そのため野球chの規制強化が行われず大移民がないためなんJは未だに過疎板のままである。
  3. 髭も剃ることはなかった。

岡田彰布(阪神)[編集]

史実では1993年に自由契約の後オリへ移籍した岡田だが、もしオリックスに入団せずそのまま引退したら?

  1. 阪神の監督やコーチには就任してただろうがオリックスの監督には就任してなかっただろう…
    • 2010年からのオリックス監督には誰が就任してただろうか…
    • 岡田貴弘もT-岡田に改名することはなかった。

落合博満(ロッテ・中日)[編集]

もし1986年の大型トレードが無かったら(ロッテ→中日)
  1. 1988年の10.19自体がなく、ロッテは西武と優勝争いをしていた。
    • それはどうだろう?そもそも落合が三冠王とっても下位に低迷していたチームだから
      • 「10.19」があったのは1988年のシーズン終盤でロッテが近鉄に対して相当数の勝ち星を献上したかららしい。落合がいたらそんなに近鉄のロッテに対する勝利数は史実ほどは多くなかったと思われるから西武は普通に近鉄に差を付けて優勝していたかも。
  2. 金田監督が就任した時に他球団へ移籍した?
  3. 牛島和彦は引退まで中日でプレー。
    • 牛島が中日の監督に就任していた可能性もある。
  4. もう1~2度三冠王を獲れたかも。
    • 松永浩美の11打席連続敬遠はなかった。
  5. 1988年の中日優勝はなかったかも。後年中日監督に就任する可能性も低く、史実のように中日が優勝を重ねていることもないかもしれない。
  6. ロッテから直接巨人に移籍していた可能性もある。
    • 代わりに原辰徳がロッテに移籍し、川崎球場の観客動員が上がっていた。
  7. いずれにせよ1986年以後の中日の球団史は大幅に変わっていた。
    • 星野が二度目の中日監督になることもなかったかも。
      • その場合、阪神、北京オリンピック日本代表、楽天の監督にもなっていなかった。
  8. 平沼定晴もロッテに移籍せず、清原のバット投げ事件は起きなかった。
  9. フランチャイズの千葉移転までに王貞治のシーズン本塁打記録を塗り替えていた。
もし1993年にFA移籍しなかったら(中日→巨人)
  1. 1994年は中日がリーグ優勝していた。でも、日本シリーズで西武が倒せたかどうかは微妙
    • 10.8決戦はなかっただろう。
  2. 巨人は4番打者ばかりを集めるような補強はしていなかった。
    • 1990年代以降の巨人の成績は史実より悪かったものの、巨人人気は現実ほど低下しなかった。
      • 逆に阪神の暗黒時代は早く終結していた。
  3. 現役引退まで中日でプレーしていた。
    • 下記のように中日で監督に就任し、裏切り者扱いされず現実以上に人気があっただろう。
  4. 駒田がFAで横浜に行くことはなかったので、その後横浜が優勝できていたか疑わしい。
    • 駒田は当時長嶋監督に冷遇されていたので、横浜にFA移籍はしていたと思う。
  5. 2014年の西武は伊原が監督に再就任せず、辻が監督になっていたと思われる。
中日に残留して中日の監督に就任していたら
  1. 名古屋で一部のファンから裏切り者扱いされることはなかった。
    • 2004年以降の「燃えよドラゴンズ」でも「オレ竜監督」ではなく「落合監督」と歌われている。
    • むしろ中日の監督になるのが史実よりも早かった。
    • 勿論2011年の不当解任も無いので、翌年以降の暗黒化も起きていない。
  2. 川相昌弘、上田佳範は中日に移籍しなかった。

か行[編集]

片岡篤史(日本ハム)[編集]

  1. 小笠原の三塁コンバートはなかった。
  2. 小谷野が台頭してくるあたりまで三塁のレギュラーを務めた。
  3. 2ちゃんねるで「モミー」などと呼ばれることはなかったかも。
  4. 檜風呂のネタはなかった。
  5. 2006年に日本ハムで日本一になって新庄とともに引退した。

金田正一(国鉄)[編集]

  1. 産経はもう少し長く球団を持っていた。
  2. 背番号「34」を永久欠番にしていたのはスワローズ。
  3. それでも巨人はV9できただろう。
  4. 金田が名球会を発足させることはなかった。
  5. 400勝出来ていたか怪しい。

金本知憲(広島)[編集]

  1. 阪神の暗黒時代は現在に至るまで続いている。
    • 当然2003年と2005年のリーグ優勝はなかった。
  2. 新井貴浩の阪神移籍もなかった。
    • 新井良太は阪神に移籍していただろうか・・・
  3. 赤松真人は2009年現在も阪神の選手。
    • 彼が大活躍し阪神を優勝に導くかも。
  4. 阪神ではなく三村監督の誘いで楽天に移籍していたかも。
  5. 2015年に緒方ではなく金本が広島の監督に就任していた。
    • そうなると2016年からの阪神の監督は誰になっていたことやら?
      • 矢野が1軍監督、掛布が史実通り2軍監督とか?
  6. 史実より早く連続フルイニング出場がストップしていた可能性も。

川口和久(広島)[編集]

  1. 巨人は逆転優勝出来なかったかもしれない。
    • もし優勝出来なかったら1997年オフに長嶋監督は解任されていた。
  2. 引退後はそのまま広島の投手コーチに。
    • 2000年代の広島は投壊していなかっただろう。

川崎憲次郎(ヤクルト)[編集]

  1. 2ちゃんねるの川崎祭は起きなかった。
    • 「川詐欺」と書かれることもなかった。
  2. 2004年の中日の開幕投手は普通に川上憲伸になっていた。
  3. 2001年以降は引退試合を除いて登板数は0。引退試合は9月末あたりにひっそりと登板。
  4. 宣銅烈の後の中日の背番号「20」は欠番状態に。
    • そして2005年より中田賢一が背負う。その後は史実通り。
    • 落合監督就任に伴い若手の誰かが付けていた。
    • 山田監督時代に川上が背負う。
      • そして2009年からまた欠番に。

木田優夫(巨人)[編集]

  1. 先発、抑えで活躍。
    • 岡島、木村龍治は活躍は無く槙原の抑えは無かった。
      • 岡島は先発として槙原は引退が早まっていた。
        • 條辺剛の活躍が遅れて現役が長く、うどん屋を開店することは無かった。
  2. 原、堀内監督の就任より登板数が減少より引退は早まっていた。
    • 引退後は、日本テレビの野球解説者に就任。
    • だから日本ハムファイターズのゼネラルマネージャー補佐に就任することも無い。
    • 当然、プロ野球ドラフト会議にて日本ハム球団のくじ引き役を務め、1巡目指名で7球団が競合した清宮幸太郎を引き当てることはない。
      • 『ズームイン!!サタデー』の熱ケツ情報で広報部長で活躍。
  3. 野村貴仁が巨人に来ることはなかった。当然(ry

木村昇吾(広島)[編集]

  1. FA行使でどこにもオファーが無い話は未だに考えられなかった。
    • 「セルフ戦力外」という言葉は誕生しない。
  2. 彼の引退試合は行われていたはず。
  3. 安部友裕・西川龍馬のブレイクが遅れていた。

清原和博(西武)[編集]

  1. 「番長」キャラにはならなかった。
    • その場合、『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』は『かっとばせ!キヨハラくん21』になってたかも。
  2. 史実ほどは成績の低迷はなかった。
  3. 落合は1997年は巨人に残留して、現役を巨人で終えていた。
    • 巨人の監督になっていた可能性もある。
  4. 1997年、1998年に西武がリーグ優勝できなかった可能性がある(東尾の著書より)。その場合東尾は一度もリーグ優勝を体験することなく西武監督を終えていた。
    • 西武の黄金時代も史実より早く終わっていた。
    • 99年の貧打線で清原残ってたらもうちょっとマシだったんじゃないのと思うことはある。
  5. いずれ世代交代のために西武を自由契約にされ、仰木監督の誘いで西武から直接オリックスに移籍か。
    • そうなったら2002年の山崎武司と平井正史とのトレードはなかったと思われる。
    • 意外と阪神に移籍していたりして。
  6. 肉体改造することもなかった。
  7. 水樹奈々は清原が巨人に移籍したことで「巨人はズルい」と感じることはなく、お情けで阪神を応援することもなく現在も巨人ファンのままだった。
    • 2016年9月に甲子園球場でライブを開催することもなかった。
      • 甲子園ではなく東京ドームでライブを開催していたかも。
        • 史実でも東京ドームでライブを開催していたが現実以上に盛り上がっていた。
  8. 35歳以降は指名打者中心となり、門田博光や山崎武司みたいに40歳過ぎても年間30本以上の本塁打を打っていた。
  9. 通算2500安打・600本塁打を達成していた可能性があり、背番号3番は球団の永久欠番となっていた可能性があった。

久保康友(阪神)[編集]

  1. 再び先発に戻っていた。
  2. スタンリッジを放出したことはあまり批判されなかった。
  3. 鶴岡が人的補償で来る事はなかったため、岩田や藤浪の成績が史実よりも悪かった。
    • 黒羽根利規の出場機会が史実よりも減り、2014年に盗塁阻止率1位になる事はなかった。
  4. モスコーソが2桁勝利を達成していたかも。
  5. DeNAの背番号27は1年空き番号となり山﨑康晃か石田健大が着けていたかも。

小久保裕紀(ダイエー・巨人)[編集]

もし2003年の無償トレードが無かったら

2003年オフ、ダイエーの中内正オーナーが福岡ドームで会見を開き、中心選手であった小久保裕紀を巨人へ無償トレードすると発表しました。もし、このトレードが発生していなかったら?

  1. 2004年のホークス打線が凄い事に・・・
    • 21世紀初の日本シリーズ2連覇以上をしていたかもしれない
  2. そもそも2003年のオープン戦での怪我による離脱ももちろんなかった。
もし2007年以降も巨人に残留していたら

2006年のオフにFA権を行使して古巣であるホークスに移籍しました。もし、この時ホークスに戻らず巨人に残留していたら?

  1. 移籍した小笠原にポジションを奪われ、代打での出場が多くなる。
    • 2000本安打を達成できないまま引退していたかも知れない。
    • 小笠原の巨人移籍は無かった可能性も。
      • むしろイスンヨプが退団して、ソフトバンクにいってた可能性がある。
  2. 確実に坂本勇人、長野久義、阿部慎之助などにいい影響を与えていた。
    • 主将は阿部ではなく、坂本が早いうちに就任したかもしれない。
    • 逆にソフトバンクの選手には、史実ほどいい影響を与えていなかったかも。
  3. 侍ジャパンの監督に就任したかどうか怪しい。
  4. 松田宣浩のブレイクが早まったかも。

駒田徳広(巨人)[編集]

  1. 高木豊、屋鋪要、山崎賢一が放出されることはなかった。
  2. 落合、広沢、清原とポジションがかぶる選手を次々獲得するチーム内では出場機会が極端に減り、結局数年以内にトレードか戦力外になっていた。
    • 少なくとも2000本安打は達成できなかった可能性が高そう。
  3. 今は巨人の2軍投手コーチに就任している。尤も斎藤の代わりに2軍監督になっている可能性も否めないが…。
    • え、投手コーチ?
      • 何かおかしいと思ったら打撃コーチの間違いだ。斎藤の経歴をそのまま貼り付けたのに気づかなかったのが悪い(大汗
  4. 1998年に横浜が優勝出来たかどうか怪しい。

さ行[編集]

佐々木主浩(横浜)[編集]

※史実では1999年オフにシアトル・マリナーズへ移籍(2004年に復帰)。

  1. 2000年以降の横浜の成績がもう少しだけマシになっていたかもしれない。
    • 少なくとも森監督(2001年に就任)と衝突していなければ、最下位になった回数も減っていたはず。
    • ただし成績が下降線をたどると共に酷使され、現役引退が早まったかも。
  2. 横山道哉は史実よりも早く他球団に放出されていた(2004年に日本ハムへトレード移籍)。
  3. 前妻との離婚&榎本加奈子との不倫騒動は無かったかもしれない。
    • もちろん、史実通りだったという可能性も否定はできないが。
  4. その後も変わらず活躍したと仮定したら、日本球界におけるセーブ記録は揺るがない物になっていた。
    • 名球会への入会基準にセーブの数が加わるのは史実(2003年オフ)よりも早まっていた。

新庄剛志(阪神)[編集]

※史実では阪神退団後メジャー挑戦。

  1. 赤星のデビューは数年遅れていた。
    • 当然「新庄さんの穴を埋めたい」発言もなかった。
  2. 金本がFA宣言しても阪神は興味を示さなかった。
  3. あんなはじけたキャラにはなってなかった。
  4. 森本稀哲は無名のまま日本ハムでくすぶっていた。
  5. その後も「明日も勝つ」発言が出るとファンから必ず非難囂々。
  6. 星野仙一が来なかった・・・のか?
    • 星野さんが史実通り来たとして、新庄の平凡で不安定な成績が槍玉に挙げられ2002年オフの「血の入れ替え」で仕分けられるターゲットにされていただろう。
  7. 阪神暗黒時代が続いていた。
    • そして2008年現在、関西での一番人気スポーツチームはガンバ大阪。
    • 近鉄と合併したのはオリックスでなく阪神だった。
  8. 片岡の人的補償としてハムに移籍したかもしれない。
    • (前年の成績にもよるが)流石にプロテクトから外れることは考えにくいような…
  9. 松井秀喜が日本人初のワールドシリーズ出場となっていた。
  10. 日本ハムに移籍していたか微妙。そうなると、北海道移転が失敗になっている可能性もある。
    • パリーグ問題で揺れていた2004年にプロ野球ファンを励ます存在が当時の選手会長の古田敦也ぐらいしかいなく、同年の明るい話題が減っていた。

杉内俊哉(ソフトバンク)[編集]

  1. 帆足を獲得することはなかった。
    • 巨人が帆足を獲得していた。
  2. 2012・2013シーズンはもう少し順位が良かっただろう。

た行[編集]

田尾安志(中日)[編集]

  1. 現役引退までドラゴンズでプレー(史実通り阪神にトレード移籍、という可能性もあるが)。
    • 1988年・ドラゴンズV戦士のひとりになってたかも。
    • 悲願の首位打者のタイトルも獲得していた。
    • 星野政権下で結局トレードに出された可能性も否定できない。
      • 落合獲得時に交換要員でロッテへ、となっていた可能性も。
        • その場合引退後はロッテの監督に就任し、楽天の初代監督になることはなかった(1年早く野村克也が就任?)
  2. 杉本正大石友好両選手は当面西武でプレーしていた。
    • 当然1988年のドラゴンズに「郭-大石」のリリーフバッテリーは存在しない。
      • 中村武志の運命もちょっぴり変わっていたかも。
        • 楽天でプレーすることなく現役引退。
  3. 「タオタオ坊や」というニックネームをつけられることもなかった。
  4. 1985-86年にそれまで強打を誇っていた中日打線があれほど弱体化することはなかった。もっとも交換された杉本・大石の貢献を考えればチーム成績はそれほど変わらないか。

谷繁元信(横浜)[編集]

  1. 横浜の暗黒時代突入は避けられていたはず。
    • 逆に中日の優勝回数は減っていた。
      • 場合によっては落合監督は史実より早く退任していたかも知れない。
  2. 中村武志が横浜に移籍することはなく、中日一筋、あるいは中日から楽天へ移籍して引退していた。
  3. 中日は2000年代半ば頃から捕手難に悩まされレギュラーが固定できない状況になっていた可能性が高い。
    • 移籍組の清水将海か小田幸平が正捕手に、あるいは田中大輔が抜擢されていたかも。
    • 谷繁がいて横浜で正捕手になれなかった相川亮二、鶴岡一成が中日に移籍して来た可能性もありそう。
    • 鈴木郁洋や田上秀則が中日から移籍せずにそのまま中日に残ることになるだろうからそこまで捕手難ということにはならないのかもしれない。(ちなみに鈴木はオリックスで長くプレーし、田上はソフトバンクでレギュラーにまで上り詰めた。)
  4. 当然2014年に中日のプレイングマネージャーに就任することはなかった。

谷佳知(オリックス)[編集]

  1. 2000本安打を達成していた可能性は充分あり得た。
    • ただトレードの原因には前の2年の不振が原因なので坂口の台頭で残留しても戦力外になっていた可能性がある。
  2. 妻の谷亮子は、政界に進出することはなかったかもしれない。
  3. 2008年と2014年にオリックスが優勝出来ていた。

田淵幸一(阪神)[編集]

  1. 真弓明信は阪神にトレードされず、1979年以降西武でプレーしていた。
    • 従って、2009年以降の阪神の監督になることはなかった。2009年以降の阪神の監督は、平田、木戸辺りが考えられる。
    • 晩年、代打で甲子園をわかせることもなかったので、阪神に「代打の神様」という言葉自体存在していたかどうか。
      • 当時の西武は球団買収直後で福岡時代の選手を次々と放出していたことを考えると、移籍先は阪神ではないにしても真弓が他球団にトレードされていたのは結局同じような気もする。
    • むしろ田淵自身が現役晩年に「代打の神様」になったのでは?
    • キン肉マンのキン肉大王の名前は「真弓」ではなく別の名前になっていた。
  2. 1985年の阪神のリーグ優勝・日本一はなかったかもしれない。
  3. アニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」では阪神の選手として登場していた。
    • ただし原作では実際に阪神時代も含まれていた。
  4. 田淵は星野監督就任以前から阪神のコーチに就任していた(トレードを巡って球団と対立することもなかったため)。
    • 濱中は故障さえ無ければブレイクが早まり、長きにわたって阪神の四番として活躍していた。
    • 中村監督時代に入閣していたらお坊ちゃん首脳陣と批判対象としてあげられていたかもしれない。

多村仁(横浜・ソフトバンク)[編集]

寺原隼人とのトレードがなかったら(横浜→ソフトバンク)
  1. 登録名を変更することはなかった。
  2. 相変わらず怪我がちなので成績は史実と変わらず。
  3. スペ体質から脱却できていた場合内川・村田とクリンナップを形成し2008年~2010年の上位打線はえげつない事になっていた。
    • それでも投手陣が崩壊していたため最下位脱出は出来ず。
  4. 2000年代後半の横浜の投壊は更にひどいものになっていた。
  5. 2011年に日本一を経験する事はなかった。
  6. 2012年オフの大型トレードもなかった。
2012年オフの大型トレードがなかったら(ソフトバンク→DeNA)
  1. 江尻慎太郎と山本省吾はDeNA、吉川輝昭と神内靖はソフトバンクで現役生活を全うした。
    • 江尻は引退後そのままDeNAの2軍投手コーチに就任。
      • 古巣の日ハムかもしれない。
  2. 吉村裕基は筒香とともに大村コーチの下で復活。
    • 或いは、他球団にトレードされていた。
  3. 2014年にも日本一を経験出来ていた。
    • 吉村の代わりに同年のクライマックスシリーズでMVPを獲得していたかも。
  4. ユリエスキ・グリエルはDeNAに入団しなかった。

寺原隼人(ソフトバンク・横浜)[編集]

多村仁とのトレードがなかったら(ソフトバンク→横浜)
  1. 現在も12球団勝利のまま。
  2. 山本省吾と喜田剛は横浜に移籍せず、オリックスで現役生活を全うした。
山本省吾らとのトレードがなかったら(横浜→オリックス)
  1. それでも2012年オフにはソフトバンクにFA移籍していた。
    • 人的補償は史実通り馬原孝浩か。

土井正博(近鉄)[編集]

  1. DH制を利用し、近鉄で大活躍していた。
    • 1979、1980年は近鉄が日本一になっていた可能性もある。
      • その場合マニエルが加入していないので、リーグ優勝も危うかっただろう。
  2. 清原は史実ほどの成績は残せなかった。
  3. 松井稼頭央も2009年に2000本安打を達成していなかった。
    • そもそもメジャーに行っていたかどうかも疑問
  4. 近鉄で現役を終えそのままコーチを務めていた。
    • 石井浩郎や中村紀洋あたりが彼(土井さん)のおかげで現実以上に活躍していただろう。
  5. 80年代〜90年代は西武ではなく近鉄が黄金時代を築いていたかも。

なは行[編集]

中村紀洋(オリックス)[編集]

2004年オフの分配ドラフトでオリックス入団後メジャー移籍しなかったら
  1. 2005年のオリックスはプレーオフ進出していた。
    • 仰木さんは体力が続くまで監督を続けていた。
  2. 背番号は近鉄時代と同じ「5」をつけ、翌年史実通り清原に譲っただろう。
  3. タフィローズは巨人退団後帰国せずに1年早くオリックスに入団していた。
    • 清原・ローズ・中村の強力クリーンナップで2006年もプレーオフ争いしていた。下手すりゃプレーオフ進出出来ていたかも。

二岡智宏(巨人)[編集]

  1. =山本モナとの不倫スキャンダルを起こしていなかったら、である。
  2. 坂本勇人のブレイクが遅れていた、あるいはセカンドでレギュラーを獲得していた。
    • あるいは二岡がセカンドもしくはサードにコンバートされていた。
  3. 交換相手だったマイケル中村はその後もしばらくは日ハムに残留し、武田久がストッパーになることはなかった。
    • マイケルはもしかしたら横浜あたりにトレードされていた可能性も。
  4. 長野久義は7ではなく違う背番号を着けていた。
  5. 新戦力の台頭と補強により2011年あたりから代打に回ることが多くなっていた。
  6. 故障がちで満足な活躍が出来なくなり史実通り他球団へ放出、となっていた可能性も否定できない。
    • 村田をFAで獲得する際の人的補償でDeNAへ移籍、となっていたかも。

野村貴仁(オリックス)[編集]

  1. 2000年以降も中継ぎとして大活躍。
    • 500登板を達成し、最優秀中継ぎ投手を受賞していた。
  2. 引退後、投手コーチに就任。
  3. 98年オフ以降は同じ中継ぎ抑えの平井正史、鈴木平と共に山田久志が投手コ―チを務めることになった中日ドラゴンズに移籍していたかもしれない
    • 地元が高知ともあり、高知ファイティングドッグスの監督に就任していた。
  4. だから×××に染めることはなかった。
    • 自宅もゴミ屋敷ではなかった。

野茂英雄(近鉄)[編集]

野茂、近鉄で大活躍編
  1. 大阪近鉄バファローズは何度か優勝・日本一を果たしている。
    • 藤井寺球場か大阪ドームの観客動員数は増えてただろう。
    • 近鉄とオリックスの球団合併はなかったかもしれない。
      • 2004年のプロ野球ストライキや2005年以降のセ・パ交流戦導入はなかったかもしれない。
      • 2004年の球界再編がかなり現実と異なる形となっていたと思われる。但しダイエーに関しては親会社の経営悪化が原因なので現実通りソフトバンクに球団を売却していた。
  2. 今でもイチローはオリックス、松井は巨人、松坂は西武。日本人選手のメジャー行きは無かった。
    • もしくはマック鈴木のように国内プロ野球を経由せずマイナー契約が主流になっていた。
      • ハンカチ王子は大学に進学せず渡米していた。
        • ↑の意味がまったくわからないんだけど。
    • 日本におけるプロ野球人気が現実ほど低下しなかった。
      • 現在でも地上波によるプロ野球中継は多く行われている。
  3. 日本全体の大リーグに対する興味が激減しているはずなので、大リーグの知識が(プロも含めて)貧弱だった可能性もある。そうなると日本はWBCで優勝できていたかどうか……
鈴木監督、長期政権化編
  1. 鈴木監督と対立、徹底的に干された野茂はほとぼりが冷めたころ阪神にトレードされる。
  2. 阪神ではどれだけ力投しても味方の打線に足を引っ張られなかなか勝てず、200勝到達は再度移籍したオリックスでひっそりと成し遂げる。

張本勲(日本ハム)[編集]

  1. 現役時代後半はDH制をフル活用し、活躍していた。
  2. 高橋一三の選手生命は短くなっていた。
  3. 背番号10は永久欠番になていたかもしれない。
  4. 日曜朝の某番組で「喝」をやっていたかどうか?

広沢克己(ヤクルト)[編集]

  1. オマリーは巨人かオリックスに移籍していた。
  2. 2000本安打を達成できたかもしれない。
  3. その後阪神に移籍することもなく、ヤクルトで選手生命を全うしていたかも。
  4. 連続試合も1180試合以上出場していた。

藤川球児(阪神)[編集]

もしあのプロ野球選手が○○だったら#藤川球児


藤田一也(DeNA)[編集]

  1. それでも12年オフのドラフトでは白崎を1位指名した。
  2. 内村賢介は2012年限りで自由契約にされていたかも。
    • そうなった場合もDeNAが獲得し、その後は史実通り。
  3. ベストナインもゴールデングラブ賞も獲得出来ず、球宴出場も出来ていない。
  4. 梶谷隆幸と桑原将志のブレークは遅れたか、もう少し早く外野コンバートされていた。
  5. 倉本寿彦か柴田竜拓はドラフトで指名されなかったかブレークが遅れた。

別所毅彦(南海)[編集]

1948年の巨人による「別所引き抜き事件」で南海→巨人に移籍しました。

  1. 二リーグ分裂後初期は南海がV9を達成していた可能性があった。
  2. 逆に巨人は同時期のリーグ優勝及び日本一の回数が減少していた。
  3. 野村は別所とバッテリーを組んで捕手として成長していた。
  4. 現役引退後は南海監督となっていた。
  5. 王は一本足打法にすることはなく、通算本塁打数日本一の記録を達成することはなかった。
    • これは巨人のコーチ会議でヘッドコーチだった別所が打撃コーチの荒川に対して当時の王の打撃不振を非難し、その日の試合で荒川コーチが王に一本足打法をさせて王がホームランを打ったため。

ま行[編集]

松井秀喜(巨人・ヤンキース)[編集]

巨人に残留していたら
  1. 2003年以降もセ・リーグの打撃タイトルを総ナメにし、引退までに一度は三冠王を獲っていた。
    • 王貞治の868本までは行かなくても、2位の野村克也の657本程度、あるいはそれを超える本塁打を打っていたのは間違いない。
  2. 巨人の暗黒期突入は回避されており、原監督の解任は無かった
    • その場合、2007年までに一度はリーグ優勝していた。
    • 日本テレビの巨人戦中継は現在でも頻繁に行われている。
      • 「劇空間プロ野球」が今でもあったかもしれない。
    • 2003年に阪神が史実通り優勝していてもぶっちぎりで優勝出来ていたか怪しいかも。
  3. 二度目のFA宣言で、念願の阪神入りもあったかもしれない(松井自身、巨人入団まで阪神ファンだった)。
    • プロ入り後に巨人ファンに寝返ったようなので(メジャー移籍後の2003年に「阪神好調」の件について聞かれた際に「巨人を応援している」と発言してコメントを拒否した)それはありえないかと。
  4. 当然ヤンキースからの猛反対に遭うこともなかったため、WBCへも出場していた。
    • 史実通りイチローも代表入りしていたら、日本代表の強さはえげつないものになっていただろう。
  5. 「ゴーゴーゴジラッ!マツイくん」は2012年まで続いていた。
  6. 引退後は臨時コーチではなく、正式なコーチとして(野手総合、打撃あたり)巨人に留まっていた。
    • それでも様々な思惑で監督にはなっていない。
  7. 2006年の怪我はどっちにしろ(『AV OPEN』の特別審査員で選考作品が届き早く見たいため集中力を欠きあの怪我がおきたという説があるらしい)おきたため巨人は史実では2006年は4位だが5位か最悪最下位に沈んだ。
    • その場合、原監督は球団史上最速の1年で解任になってた。
      • もっとも上記の通りだったら、少なくとも第2次原監督時代はここで終焉になっていただろう。ただし後任によっては2009年あたりで復帰していただろうとは想像できるが。
ヤンキースに残留していたら
  • 本人はヤンキースで引退する事を望んでいたらしい。
  1. ヤンキース側が「MVPをFAによって放出するのはまずい」と囲い込みに動いていたら可能性はあったと思う。
    • 逆に引退も史実より早まったかもしれない。
  2. 史実通りの経歴でもMLBの野球殿堂入りの対象を満たさないので、初の野球殿堂入りの可能性はイチローまで持ち越しとなる。
    • その代わりにヤンキースでは「55」の永久欠番入りが真剣に検討されていた。

松永浩美(オリックス)[編集]

  1. 1993年シーズン開幕直後に故障することはなかった。
    • 背番号を「02」に変更するという前代未聞の事態も起きなかった。
  2. 現役引退までオリックスでプレー。
    • 引退後も、コーチor球団職員としてオリックスに残る。
    • 1993年シーズンオフにFA宣言していたかもしれない。
    • 当然、通算2000本安打を達成。
  3. 野田浩司は当面阪神でプレーしていた。
  4. 当然「甲子園のグラウンドは幼稚園の砂場」という発言を捏造されることはなかった。
  5. 1993年の阪神の成績が現実より良かった。
    • Aクラス入りを果たしていた可能性もある。

蓑田浩二(阪急)[編集]

  1. 引退後、オリックスでコーチとして活躍していた。
    • 監督に就任していた可能性もある。
  2. 上田利治氏が日本ハム監督に就任した際に、コーチとして招聘された可能性もあり得る。

村田勝喜(ダイエー)[編集]

  1. 1994年はダイエーが優勝していた。
  2. 1999年の日本一にも貢献していた。
    • 工藤・若田部・吉田・篠原・ペドラザらと投手王国を築き数年早く優勝してダイエーが黄金時代になっていた気も。
  3. 1996年の生卵事件はなかった。
  4. 100勝は果たしていた。

村田修一(横浜)[編集]

  1. 2chで乙女と罵られることはなかった。
  2. 第三回WBCに出られたかどうか微妙。
  3. 2012年、横浜は5位になっていたかもしれない。
    • もしくはこの段階でAクラス争いに絡んでいた。
  4. 中村ノリの復活、あるいは筒香のブレイクはなかったかも。
    • 2013年に中日からブランコを獲得することもなかった。
      • むしろバルディリスが移籍して来なかったと思う。
  5. 藤井秀悟は人的保障ではなく巨人を戦力外となったところをDeNAが獲得しその後は史実通り、か?
  6. 性格を考えると中畑監督との対立が起きそうではある。
    • 史実通りの成績ならば2014年~2015年辺りに放出されていた可能性が高い。

やらわ行[編集]

山口俊(横浜)[編集]

  1. 7月11日の30歳の誕生日に東京都内の病院で傷害と器物破損の疑いで書類送検されてることはなかった。
  2. 専属捕手だった高城俊人の出場機会は史実より増えていた。
    • 上手くいけばオリックスにトレードされることもなかったかもしれない。

山崎武司(中日)[編集]

中日の主砲として活躍した山崎武司も、2002年は年齢的な衰えや山田久志監督との対立から散々な結果に終わり、同年オフに平井正史とのトレードでオリックスに放出されました。もしこのトレードが無かったら?


共通事項
  1. 平井は無償トレードで中日に移籍して史実通り復活。
    • もしくはそのままオリックスでくすぶっていて、分配トレードで楽天に行っていたかも。そして、野村再生工場で復活。
  2. 楽天は2007年も最下位脱出できず、その年限りで野村監督退陣。
復活編
  1. 2003年は山田監督がクビになってから打ちまくり、翌年落合博満監督のもと復活。史実での楽天時代の成績と同程度の成績を残す。
    • 当然同年の日本シリーズにも出場。中日が日本一になっていた可能性も。
    • そうなった場合、タイロン・ウッズの獲得はなかっただろう。その場合は阪神辺りに移籍。
    • 山崎が一番慕う人間はノムさんではなく落合になっていた。
    • 著書の題名は『落合監督に教わったこと』。
そのまま引退編
  1. 結局山田監督解任後も復活できず、寂しく引退。在名テレビ局の解説者に。
    • もしくはそのまま中日の打撃コーチに。
結局楽天に放出編
  1. 結局上記と同じく結果を残せず、2004年オフに自由契約。その後は楽天に移籍し史実通り。

山本和範(ダイエー)[編集]

  1. 生卵事件はなかったか、あってもそれほどの大騒ぎにならなかった。
  2. 登録名を「カズ山本」から本名に戻すこともなかった。
  3. 1999年の篠原貴行は1981年の間柴茂有以来となる勝率10割を記録した。
  4. 1996年のオールスターでのホームランは戦力外からの復活ではなく、本拠地開催を飾るホームランとなっていた。

吉永幸一郎(ダイエー)[編集]

  1. 城島健司の台頭後、本格的に一塁コンバートされた。
  2. 松中が早く外野転向、外国人選手の運用にも影響があった。



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