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もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら

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あ行[編集]

井川慶[編集]

阪神→ロッテ
  1. 史実より早くロッテが日本一になっていたかもしれないし、2005年もリーグ優勝していたかもしれない。
    • 一方で阪神は2003年に優勝できたかわからない。
    • 2005年が史実通り阪神-ロッテになった場合、色々な意味で史実以上に耳目を集める事になる。
  2. メジャー移籍は史実通りだろうが、バレンタイン退任と共にと言う形になるか。

石井一久[編集]

ドジャース→ヤンキース

2004年オフ、ドジャース・ヤンキース・ダイヤモンドバックスの3球団で三角トレードを行いヤンキースに移籍する予定でしたが、ドジャースが撤退して破談となりました。

  1. ランディ・ジョンソンとのコンビで、2005年のヤンキースは史実より良い成績を残していた。
    • Rソックスと同率にならず、3~4ゲーム差をつけていたかもしれない。
    • 勿論、エンゼルスとのALDSでもホームアドバンテージを得ており、ALDSも制覇していたと思われる(ALCSで勝てたかどうかは別だが)。
  2. 松井秀との日本人コンビが実現していた。

今岡誠[編集]

阪神→ヤクルト

2000年に山部投手とのトレード計画がありましたがOB会からの反対により破断しました。

  1. ヤクルトの2001年の優勝はもう少し差が開いていただろうし、2002年以降も史実より良かったと思われる。
  2. 引退後はロッテでなくヤクルトで指導者をしていた?
阪神→オリックス

2001年に藪投手と共にトレード話が持ち上がっていましたが消えました。

  1. オリックスの成績がやや上昇していた。
    • トレード相手にもよるが。
いずれにせよ
  1. 阪神の2003年の優勝はなかったかあっても史実より僅差であり、2005年は中日が優勝していた。
  2. 野村克也監督(当時)との不仲説が現実以上に話題にされていた。
  3. 関本賢太郎や沖原佳典や上坂太一郎がセカンドorショートorサードで現実以上に活躍できていた。

岩隈久志[編集]

岩隈は2004年オフに所属球団・近鉄とオリックスの合併により誕生したオリックス・バファローズへ分配ドラフトで移籍することが決定していましたがこれを拒否。最終的には希望通り新規参入球団・東北楽天ゴールデンイーグルスへ金銭トレードされましたが、セ・リーグ球団(中日・巨人・阪神)への交換トレード話も出ていました。

共通事項
  1. 2005年の楽天は間違いなく100敗以上していた。その後の成績も史実よりずっと低かっただろうし、2013年にもリーグ優勝はできなかっただろう。
  2. 分配ドラフトでオリックス入りした選手のうち何人かが支配下選手枠の関係上無償or金銭トレードで楽天へ移籍していたかもしれない。
オリックス→中日

中日は西川順之助球団社長・井手峻編成部長らが興味を示す発言をしており、西川社長は「落合監督も『岩隈を欲しい』と言っている」と発言していました。

  1. 交換要員は野口茂樹+平松一宏・遠藤政隆ら。
  2. タイロン・ウッズと並ぶ投打の大型補強が実現していた。
  3. 岩隈・川上憲伸・山本昌・マルティネス・中田賢一と強力先発ローテが形成され、2005年の中日はリーグ優勝を達成していた
  4. パ・リーグを知り尽くした岩隈がいれば2005年の交流戦も「降竜戦」と揶揄されるほど悲惨な結果にはならなかった(史実より幾分かマシ程度だが)だろう。
オリックス→巨人

選手層の厚さ(=トレード相手の駒の質の良さ)、宮内義彦オーナーと巨人軍首脳の関係からサンケイスポーツは「巨人が移籍先大本命」と報道していました。

  1. 交換要員は高橋尚成・河原純一・江藤智などが取り沙汰されていた。
  2. 2005年の巨人の順位は史実ほど悲惨なことにはならなかっただろう。
オリックス→阪神
  1. 2005年の日本シリーズで33-4されてしまうことはなかった…のか?
  2. 同年の阪神はシーズン90勝以上(ヘタしたら100勝)を達成していた?

岩瀬仁紀[編集]

中日→日本ハム

とあるスポーツ紙によると2017年オフ、大野奨太のFA移籍に伴う人的補償で岩瀬を指名するものの本人が「人的補償になるなら引退する」と言い、金銭補償になった噂があったそうです。

  1. 日ハムの投手陣に少しは良い影響を与えられたかもしれない。
  2. 大野奨太の心情に大きく響いていたに違いない。
  3. 福敬登の支配下登録が早まっていた。
  4. 本人の事だから、FA権行使で翌年中日へ戻る→その時点で引退となった可能性が高い。
  5. 功労者を人的補償で放出する前例が出来たので、長野久義・内海哲也の放出に関する批判が多少和らいでいた。

江夏豊[編集]

1983年オフに日本ハムを退団することが決定した際には、本人は「セ・リーグならヤクルト、パ・リーグなら近鉄」と希望していましたが、トレードで西武に移籍することになりました。もし本人の希望通りになっていたら…

共通事項
  1. 史実よりも長くプレーしていた。
    • 最低でも、1985年までにプレーしていた。
  2. 登板機会が史実よりも多くなるので、通算200セーブ、通算3000奪三振を達成していたかもしれない。
  3. 引退試合が開催されていた。
    • 多摩市の一本杉公園野球場ではなく、最後に所属した球団のホームスタジアムで開催していた。
  4. 大リーグに挑戦することはなかった。
  5. 引退後に覚醒剤に手を出すことはなかった。
日本ハム→ヤクルト
  1. 阪神キラーか広島キラーとして、活躍していたかもしれない。
  2. ヤクルトのCMに出演していた。
  3. 引退後はフジテレビジョン、ニッポン放送の解説者を務めていた。
日本ハム→近鉄
  1. 石本貴昭氏とともに、ストッパーとして、活躍していた。
    • 鈴木康二朗氏は先発として、重用されていたかもしれない。
  2. 近鉄の観客動員数が史実よりも多くなっていたかもしれない。
  3. チームカラーに合っていたので、金村義明氏や村上隆行氏らと仲良くなっていた。
  4. 引退後にテレビ大阪の解説者になるのは史実通りだが、阪神戦だけではなく、近鉄戦の解説も担当していた。

江藤智[編集]

共通事項
  1. 巨人の三塁手は小久保が移籍してくるまで元木がレギュラーを務めていた。
  2. 長嶋茂雄監督は退任まで背番号33のままだった。
  3. 石井浩郎は放出されなかった可能性がある。
  4. 引退後はコーチとして広島に復帰していた。
広島→横浜

1999年オフ、横浜入り寸前とまで行きましたが当時の横浜の正三塁手・進藤達哉のFA残留により実現しませんでした。

  1. ローズ退団後は四番三塁手。
    • ローズ在籍の00年は五番三塁手。
  2. 05年くらいまでハマの四番を務めた。
  3. 少なくとも、ローズ退団後、尚典の四番起用はまず無かった。
    • 退団となった2001年は三番左翼手・尚典、四番三塁手・江藤、五番一塁手・佐伯。
  4. 村田入団後は一塁手にコンバート。
    • タイロンは獲得されなかっただろう。
  5. 2000年の金城(当時は三塁手)のブレイク→首位打者獲得はなかった。
  6. 吉村がブレイクしだしたあたりから代打起用。後にトレード要員。
    • 史実と同様西武、もしくは楽天あたりに移籍して現役生活を終えていた。
  7. 通算400本塁打達成できていた。
  8. むしろ現実の巨人移籍よりは活躍できたかもしれない。
  9. 1998年以後にもリーグ優勝していた可能性がある。
    • その代わり阪神の最下位脱出は遅れていた。
広島→阪神

巨人・横浜に加え阪神も争奪戦に参加していました。

  1. 四番三塁手で起用。
    • 終盤、場合によっては敬遠攻めにあったいた可能性が高い。
  2. 2000年の阪神は最下位を脱出できていた。
  3. FAで片岡を獲得することはなかった。
    • とらないのはアリアスでは?
      • アリアスは一塁だから獲得しているだろう。片岡で合ってる。
  4. 通算400本塁打達成できていたかも?
  5. その後獲得した金本・新井とともに、「広島の4番は阪神にFA移籍する」というジンクスが生まれていた。
    • あるいは阪神は金本を獲得しなかったかもしれない。
広島→中日

中日も争奪戦に参加していました。

  1. 阪神同様四番三塁手で起用。
    • レオ・ゴメスは一塁へコンバート、これに伴い山崎武司はパ球団放出?
    • もちろんディンゴの獲得はない。
      • それでもディンゴはシドニー五輪出場のため来日しようとするからヘタしたら江藤獲得に失敗した巨人が獲得していたりして。
        • これが案外当たったりするかもしれない(中日では本塁打の出にくいナゴヤドームという本拠地に加え、不慣れなレフトの守備を守らさせられたのも不振の原因となった。巨人なら、ドームランホームランの出やすい東京ドームという本拠地に加えて正捕手の村田真一の衰えが著しかった&一塁手はマルティネス、清原の併用で固定されていなかったから、この2人か村田を押しのけてレギュラー定着)…ってのはないか。日本の投手に不慣れだったというのも不振の原因だし。
          • もっとも、本職の捕手になった場合バッテリーを組んだ日本人投手たちから日本の投手の攻略法を教わっていたりしたら大化けしていたかもしれないけど。それ以前に、ディンゴのメジャー流の配球に日本人投手たちがついていけるかが問題だが。
  2. 当然M1の試合でギャラードから満塁弾を放つこともない。逆に巨人相手に打っていたりして……
    • 2000年はうまくいけば中日が優勝していたかも。
  3. 2005年のタイロン加入以降代打に。
    • 裏を返せば2004年まではレギュラー確約(本塁打の出にくいナゴヤドームに適応できるさえすればだけど)。2004年は四番福留の離脱に加え、チームメイトたちが貧打に苦しむ中四番ファーストとして孤軍奮闘、中日の選手で唯一30本塁打を放つ…が結局ウッズ獲得で代打に回るか楽天に無償トレードされるか出番を求めてFA移籍するか。
      • 2005年以降も中日に残留した場合、2008年に和田一浩がFAで加入した際にFA補償で史実と同じく西武に放出されていたかも。
  4. 江藤慎一が中日で現役生活を全うしていた場合、彼もまた「ミスタードラゴンズ」の一人となっていただろうから、ドラファンからは「ドラゴンズの江藤二世(省三がいるため、厳密には三世だが)」と大きな期待を寄せられていた。

王貞治[編集]

巨人→阪急

1961年に、阪急ブレーブスのエース米田哲也との交換トレードの話が水面下で進められていたが、阪急が断ったため幻となりました。もしこのトレードが成立していたら…。

  1. 王はホームランバッターとしては大成しなかった。
    • 年間55本、通算868本もホームランは打てなかった。
    • 国民栄誉賞も受賞できなかった。
    • ピンクレディーの「サウスポー」も出なかった。
  2. 「OH」が「Ô」になっていた。
  3. 引退後は朝日放送の解説者。
    • 「おはよう朝日です」で宮根誠二に突っ込みまくられている。
  4. 巨人の背番号1は今でも普通に使われていた。
  5. 山本功児は主力として一塁を守っていた。
  6. 「ヨネカジ時代」は訪れなかった。
    • 梶本隆夫が「通算負け越しで200勝を達成した唯一の投手」になることはなかったかも。
  7. 投手に再転向した可能性もある。
  8. 巨人のV9はなかった。
  9. 1970年代には阪急が何度か日本一になっていた。
    • 1975年~1977年は日本一になっておりますが…
    • リーグ初優勝も史実(1967年)より早かった。
    • 西本幸雄が悲運の名将呼ばりにされる事はなかった。
  10. とりあえず、王貞治の一本足打法はない。
    • 素質はあるので、3割30本、つまり史実の加藤秀司くらいの打者にはなる。
      • 指名打者制導入以降はほぼ指名打者のみで出場。
      • 生涯のホームランの本数は史実より少なかったと思われるが、もう少し長く現役を続けていただろう。
    • その場合、ポジション被る加藤は「干される」「外野手として起用」「高井保弘のような代打者」「阪急以外がドラフト指名」のいずれかの道を歩む。
  11. 監督をやるとしたらもちろん阪急でってことになるだろう。少なくともホークスの監督にはならなかった。
    • 80年代の阪急・90年代のオリックスで優勝した監督は上田さんや仰木さんではなく彼(王さん)だった。
  12. 結婚相手は、おなじ阪急グループの宝塚歌劇団の生徒(劇団員、タカラジェンヌ)。そして娘が生まれたら、親子2代のタカラジェンヌになったかも?

大田泰示[編集]

巨人→広島
  • 大竹寛の人的補償が大田であるという噂が一時期流れていました。
  1. 少なからず環境が変化することから日ハム移籍後並みの成績を14年シーズンの段階で残せていたかもしれない。
    • 新井貴浩の復帰はなかったかもしれない。
    • ポジション的に被る鈴木誠也にも影響を及ぼしていた可能性も。
  2. 一岡が巨人に残るので広島の成績は史実と同程度か少し良くなかったと見られる。
    • 一岡本人もその後巨人でブレイク出来ていたかどうか?
      • 史実の広島移籍後と同じような活躍が出来れば巨人の成績も上がっていた一方、くすぶっていたままなら日ハムあたりにトレードされそこでブレイク、という流れになっていたかも知れない。

小笠原道大[編集]

日本ハム→中日
  1. ポジションが被ってしまうため、中村紀洋のテスト入団はなかった。
    • しかし森野将彦の外野コンバートは史実通り。
    • 中村紀洋は日本ハムか楽天が獲得していた。
  2. 日本ハムが人的補償で獲得した選手が「日本ハムの小笠原」になっていた。
  3. スコアボード表記が「小笠原道」になっていた。
    • そのため、小笠原孝は「日本人にも関わらずフルネームで表記されている」という珍しい事が起きる。
  4. 2007年以降の巨人の成績は史実ほど良くなかった。
    • 2008年は巨人ではなく阪神がリーグ優勝していた可能性がある。
      • 少なくとも2007年・2009年はそれぞれ中日がリーグ優勝していただろう。うまく行けば2008年も優勝し、(2006年〜2011年まで)リーグ6連覇していた可能性もある。
  5. 髭を剃り落とすことはなかったかも。
  6. なんJで「巨人小笠原」ネタはそこまで流行らなかった。
  7. 2014年の燃えドラで歌われていた「嵐を呼び打つ小笠原」が7年早く歌われていた。

緒方孝市[編集]

1999年オフ、FA権行使の話が出ましたが結局行使せず残留しました。仮に行使となれば、興味を示していたダイエー、巨人が獲得に名乗りを上げたでしょう。

共通事項
  1. 本拠地が天然芝→人工芝の球場になることで慢性的な故障に悩まされ満足に活躍できず史実より早く引退、となっていた可能性もあり?
  2. 史実通り2009年まで現役を続けていた場合、2015年に広島の監督に就任しなかった可能性が高い。
広島→ダイエー
  1. とりあえず、一番・センター。
  2. 村松がトレードに出されていたかもしれない。
広島→巨人
  1. 此方でも一番・センター。
  2. 清水が他球団へ移籍していた可能性も(おそらくレフト松井・ライト高橋由伸になるので)
    • トレード先候補は西武、日本ハムあたりか?
  3. FAでの選手獲得は1年に2人まで、というルールにより巨人は工藤と江藤のどちらかの獲得を断念していた。
    • 結果獲得を断念された方は中日など他球団が獲る。
  4. 巨人としては2人目の「おがたこういち」選手となっていた。
    • もし緒方耕一選手が1999年以降も現役を続けていた場合、同姓同名(但し下の名前の漢字表記が異なる)の選手として注目を集めていた。
      • 球場内のアナウンスはどうなっていたことやら・・・。
        • 耕一は「おがたこういち、『農耕』の『耕』と漢数字の『一』」に、孝市は「おがたこういち、『親孝行』の『孝』と『市場』の『市』」なんて風になってたりして…
        • 普通に「緒方耕」「緒方市」でいいだろう。(参考:佐藤男

落合博満[編集]

ロッテ→巨人

1986シーズン終了後、トレード先はほぼ巨人に決まりかけていましたが、当時の中日の星野新監督が主力選手の牛島や上川を放出して大逆転で中日移籍が決まりました。もし巨人に移籍していたらどうなっていただろか。

  1. 牛島和彦や上川誠二は引退まで中日でプレー。
    • 牛島は2004年から中日監督に、大矢明彦は2005年から横浜監督に。
      • 引退直後の牛島はTBSではなくCBCで解説者になっていた。
      • 落合はコーチや監督を経験しないまま人生を終えている。
    • 中日には牛島という絶対的なストッパーがいるため、郭源治がストッパーに回ることは無かった。
    • 平沼定晴も残留するので清原和博のバット投げ・飛び膝蹴り事件もない。
  2. 1993年当時は既に巨人に在籍していたためFAは行使せず。
  3. 落合の背番号は5になっていた。
    • 後に史実通り清原和博と入れ違いに移籍で5番を譲ったかも。
  4. トレード相手は駒田あたりか?
    • ポジション的に被る中畑が出されていたかも。投手なら西本とか?
  5. 中日では無く巨人の監督に就任していたかも知れない、或いは未だに解説者
    • 巨人は生え抜きの人が監督になるという伝統があるから解説者の道が濃厚
  6. 斎藤雅樹と交換されていた可能性も否定できない。
  7. 原辰徳と交換され史実以上の大ニュースに、そして原効果により翌年以降の川崎球場の観客動員が上がっていた。
    • もし原と交換だったら、父親の東海大監督の貢氏が激怒して、東海大系列から巨人及びロッテへの選手の入団はしばらくなかったかも知れない。
      • 原がトレードを嫌って引退した可能性が高いかと。
  8. 1987年の巨人は日本一になり、88年も優勝出来ていた。
  9. 中日は優勝出来ないまま星野監督の退任が早まったかも。
ロッテ→巨人(1980年頃)

これより前、1979,80年、二軍でプレーする落合選手の素質を当時の長嶋監督が見抜き、ロッテにトレードを申し込んだそうです。 もし、このタイミングで巨人入りしていれば?

  1. 内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤー
    • 原、中畑、篠塚の控えとして使われた。
  2. 左キラーもしくは代打の切り札
    • 従って南海から山本雅夫の獲得も無く、エンマ記者暴行事件も起きなかった?
  3. 愛甲猛が打者として大成しなかった。
  4. チームの成績次第で長嶋監督の退任が遅れていた。
巨人→ヤクルト(1997年)

ポジションが被る清原が移籍したため、出場機会を求めて日本ハムに移籍しましたが、この時、ヤクルトの野村監督からも入団の誘いを受けていました。この時、ヤクルトへ移籍していたら・・・

  1. 広島からの小早川の獲得は無かったと思われる。
    • むしろ1997年開幕戦の小早川の3連発がなかったことでペナントレースの展開も変わっていたかも。
    • 落合が巨人投手陣の攻略法を伝授し、別の形で巨人叩きに成功する展開か。
  2. 横浜は1960年以降のリーグ優勝がない状態が続いていた。
  3. 1997年~98年は信子夫人はサッチーのいじめに耐えていた?
    • 福嗣くんもカツノリにいじられていたかも。
  4. 背番号は日ハムの場合と同じく3。
    • ライル・ムートン(史実では1998年に背番号3を背負っていた)の背番号は別の番号になっていた。
  5. 同一リーグ内での移籍という意味で対戦する投手もある程度勝手を知っているので成績もそこまで衰えずもう2~3年長く現役を続けられていたかも。
  6. 後年ヤクルト監督に就任すれば黄金時代の再来も。

か行[編集]

掛布雅之[編集]

阪神→ヤクルト(1989年)

かつて阪神の監督を務めていた安藤統夫コーチから移籍の誘いを受けていましたが、実現することなく現役を引退しました。もしこのときヤクルトへ移籍していたら・・・

  1. 移籍一年目はレギュラーで活躍し、ヤクルトはAクラスに入っていた。
  2. 野村監督就任後は代打の切り札か、馬が合わず結局引退のどちらか。
    • 上手くいけば1999年に阪神のコーチに就任していた。

門田博光[編集]

南海→巨人

1980年オフ、巨人・長嶋監督によって「ポスト王貞治」「定岡兄弟、河埜兄弟がそれぞれ同一チーム在籍という話題作り」を狙ってか門田・定岡智秋と新浦壽夫・河埜和正の各選手の交換トレードがまとまりかけましたが、巨人の監督交代で「(貴重な左腕投手である)新浦は出せない」として破談となりました(当事者である定岡智秋氏談)。もしこの時、門田選手が巨人へ移籍していたら…

  1. 松原誠の獲得はなかったかも。
  2. 1985年の「河埜落球事件」は発生せず、河埜和正はもう少し長く現役を続けられていた可能性もある。
  3. 門田本人はその後史実と同じ程度の成績は残すもののセ・リーグの場合守備に就かなくてはならないことによりそのあたりの影響が出た可能性も?
    • 史実より早く現役引退、もしくは近鉄か阪急(オリックス)の在阪球団に移籍し現役生活を終えていたかも知れない。
    • 加藤英司のようにセ・リーグの水が合わず、となっていた可能性もあり得る?
  4. 吉村禎章、駒田徳広のブレイクが遅れていた可能性も。
  5. 場合によっては、蓑田浩二氏を獲得するることはなかったか、彼とのトレードで阪急に移籍していたかもしれない。
  6. 新浦の韓国球界への移籍はなかったかも知れない。この場合、横浜大洋・ヤクルトに所属することもなかったか。
南海→近鉄

1988年オフの南海のダイエーへの身売り→福岡移転の際門田本人が子供の教育の都合上関西を離れられない、ということでトレードを志願し当初は近鉄入りが有力か?との噂がありましたが結局オリックスへと移籍しました。もし近鉄へ移籍していたら?

  1. 1989年は日本シリーズで近鉄が巨人を倒し日本一になっていた。
    • ブライアント・門田・リベラの最強クリーンナップが実現していた。
  2. オリックスは1989年の優勝争いには加われなかった。
    • ホームランを打った際ブーマーとハイタッチし肩を脱臼することもなかった。
  3. ホークスに復帰せず近鉄で現役生活を終えていたかも知れない。
    • もしかしたら1991年か1992年にもリーグ優勝できていたかもしれない。
南海→阪神

1980年オフに掛布雅之氏とのトレードの話がスポーツ新聞でスクープされました。

  1. 掛布雅之氏は史実より長くプレーしていた。
  2. 門田博光氏は史実より早く引退していたかもしれない。
    • 1985年の日本一は史実通り。バース・門田・岡田でバックスクリーン3連発を打っていたかも。

亀山努[編集]

阪神→近鉄(1998年)

1997年オフに佐々木恭介監督はフロントに亀山努氏の獲得を進言していました。

  1. 3~7年プレーしていた。
  2. 中村、ローズ、クラークとともにいてまえ打線の一角に入っていた。
  3. 2001年もプレーしていたら、2001年のリーグ優勝に貢献していた。
  4. 毎日放送解説者の就任は史実通り。
  5. 引退が遅れるので、枚方リトルの監督を務めることもなかった。
  6. 引退後あそこまで激太りしなかったかも。
  7. そもそも阪神時代に交錯による怪我がなければもう少し長く現役を続けていたので可能性があった。
  8. 礒部公一が捕手から外野手へコンバートしなかった。

清原和博[編集]

西武→阪神

清原選手は1996年にFA宣言した際、巨人と阪神からオファーを受けていましたが、結局巨人に移籍しました。もしこのとき巨人ではなく阪神に移籍していたら…

  1. 阪神の暗黒時代は史実より早く終わっていた。
    • うまくいくと20世紀中に優勝していた?
    • 移籍初年度の1997年も最下位脱出どころかAクラス入りしていた可能性がある。
    • ノムさんや仙さんの監督就任がなかったか?
  2. 甲子園では「地元の星や」と大歓迎。
  3. 金本知憲は阪神に入らなかったかも。
  4. 八木裕の背番号が「7」に変更になり、今岡誠は「4」になっていた。
  5. 天然芝の本拠地により、身体への負担が多少、軽かったかも。
    • デッドボールに当たりすぎない限り、怪我などのアクシデントももう少しマシだった。
      • 肉体改造もなかったかも。
  6. 通算成績が史実よりよくなっていた。
    • 500号本塁打の達成はもっと早かった。
      • 当然ながら藤川球児への「チン●コ」発言は無い。
        • もしかしたら500号を打った試合の勝ち投手が球児だったかも。
  7. 今の新井などを見ていると、打てなかった場合にはブーイングや野次は巨人に入団した史実以上かもしれない。
  8. その後数年の巨人の成績は史実より実は良かった?
  9. 落合は巨人に残留し、「巨人の人」として現役生活を終える。となると後年中日監督に就任しなかった可能性も高い。
    • むしろ巨人の監督になっていた。
      • そうなっていれば「史上初の外様監督」が実現していた(2015年開幕時点で、巨人以外の球団に所属した経験のある者が巨人監督を務めたことはない)。
  10. 『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』でキヨハラがメインキャラになる事もなかった。
    • 『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』はなかった。
    • もしくは野村克也が阪神監督に就任後、悪役キャラとして準レギュラー化していた。
  11. 中日から大豊をトレードで獲得することはなかった。
    • ただそうなると矢野輝弘も阪神に移籍して来ないのでその後の野球人生は大きく変わっていたはず。
  12. 2012年に真弓明信の後任で阪神監督に就任していた(史実では和田豊が就任)。
  13. 水樹奈々は清原が巨人に移籍したことで「巨人はズルい」と感じることはなく、お情けで阪神を応援することもなく現在も巨人ファンのままだった。
    • 2016年9月に甲子園球場でライブを開催することもなかった。
  14. 吉田義男監督(当時)の発言「縦縞を横にしてでも」が迷言ではなく名言として語り継がれる。
    • 言葉通り横縞のユニフォームが作られていただろうか?
  15. どっちみち「神のお告げ」のグリーンウェルの存在が若干薄れていた。
    • グリーンウェル以降、四番候補の助っ人外国人を獲得しては失敗することはなかった。
      • あるいは清原が活躍できなかった場合、史実での巨人のようにポジションの被る助っ人外国人に追いやられ代打要員になるかあるいは二軍落ちを経験していた。
  16. 1985年のドラフト会議の件を引き合いに出し、「猛虎魂を感じる巨人ファン」とか「ほんまは巨人に入りたかったんやないのか?」などとネタにされていたかも。
    • 実際には父親が阪神ファンだった影響でドラフト会議の際に第二希望としていた球団だったこともネタにされていた。
  17. 2003年の優勝メンバーの1人となっていた。
    • この年の阪神は日本一になっていたかもしれない。
巨人→西武

清原は巨人を自由契約になった時にコーチ兼任で西武に復帰するプランもありました。もしこれが実現していたら…

  1. 西武は2007年にBクラスに転落することはなかったかもしれない。
    • その場合伊東監督は辞任することはなかった。
  2. 桑田がメジャーに行くことはなかったかもしれない。
  3. 史実通り2008年に西武が優勝していた場合、巨人との日本シリーズで有終の美を飾って引退していた可能性も。
    • そうなれば「古巣を見返した」と話題にされていた。
  4. 中島裕之から背番号3を、あるいは和田一浩から背番号5を譲られていた。
巨人→中日

2004年に野口茂樹投手とのトレードがあったようですが、タイロン・ウッズ選手の獲得により流れました。

  1. ≒阪神がウッズを獲得していたらである。
    • ウッズが史実レベルの活躍をした場合、中日は2004、2006年に優勝できたのだろうか。
  2. 史実通り2007年に日本一になった際に引退していたかも。

工藤公康[編集]

1年早くFAでダイエーに入団していたら?

(1993年オフ)
  1. パリーグ初の「前年最下位からの優勝」は2001年の近鉄より前に実現していた。
  2. 1996年の生卵事件はなかった。

愛知県出身ということで地元の中日が複数回獲得に名乗りを上げるも、いずれも実現しませんでした。もし中日入りしていたら?

西武→中日(1994年オフ)
  1. 中日とダイエーの運命が大きく変わっていた。
    • ダイエーは低迷脱却が遅れ、中日はもっと早く2度目の日本一になれていた。
      • 1996年の「メークドラマ」は中日が作っていた。
    • 1999年の日本シリーズで両チームが対戦した場合、史実とは逆に中日が4勝1敗で日本一になっていたかも。
    • 2015年にソフトバンクの監督に就任することもなかった。
      • 2015年のソフトバンク監督は若田部あたりが就任していたかも。
      • 引退後は中日で指導者or東海テレビ/ラジオ・CBCなどの解説者になっていた(1999年オフに加入した場合も同様)。
  2. ダイエーは1999年オフに獲得を目指していたかもしれない。
    • いや、工藤が史実で1999年オフにFA宣言したのはダイエー球団のフロントと揉めたからだし、中日だったらその可能性は低いだろう(地元出身かつFAで来てくれた選手を無碍に扱うことはまずあるまい)。
  3. 工藤が西武時代と同じ背番号47を着用する場合、野口茂樹(史実では1995年から背番号47を着用)は史実とは別の背番号を着用していた。
ダイエー→中日(1999年オフ)
  1. 本人・チームともに2000年の成績がもう少しまともになっていた可能性がある。
    • 少なくとも、巨人の東京ドーム最終戦での「9回に4点差を逆転して優勝決定」は無かった。
    • うまくいけば中日が優勝していた。
  2. 地元ファンは大歓迎か?
  3. 野口茂樹の背番号が変更になっていた可能性も。
    • 変更するとすればおそらく宣銅烈の引退で欠番となった20番(星野監督の現役時代の背番号)か、武田一浩の背番号変更で欠番となった18番か。
      • 前者の場合、川崎憲次郎が史実通り2001年に中日に加入したとしても史実とは異なる背番号になっていた。
    • 工藤が47を着用しなかった場合、同じく20番か当時中継ぎの一人として活躍していた正津英志の21番(ダイエー移籍直後の背番号)あたりだろう。
      • まあどちらにせよ(野口が背番号変更するにせよ工藤が47以外を着用する場合にせよ)、前年のMVP同士の共演は相手打線の脅威になっていたことは間違いない。
  4. 山本昌は200勝達成できずに引退、もしくは他球団に移籍して達成していた可能性も。
    • 逆に「最強熟年コンビ」として末永く活躍を続けたかも。

小坂誠[編集]

ロッテ→楽天

小坂誠は2005年オフに巨人の誘いを受けロッテから移籍するも、打撃不振などからレギュラーをつかむことができず、2008年オフに楽天入りしました。では2005年オフに小坂が楽天に入っていたら?

  1. 最悪でも、現実ほど悲惨な状況にはならなかった。
  2. 2008年も4位に上がれていたかもしれない。
  3. 巨人のメークレジェンドの状況も変わっていた。
  4. 地元出身選手という理由で更に人気が出ていた

小早川毅彦[編集]

広島→阪神

1996年に猪俣隆投手とのトレード話がありましたが破談しました。

  1. =97年の開幕3連発がないという事なので、ペナントレースの行方が大きく変わっていたかも。
  2. グリーンウェルが来日しなかったかも。
  3. 引退後は史実通りか。

さた行[編集]

佐々木主浩[編集]

マリナーズ→巨人

マリナーズ退団時に当時の堀内監督が一旦は争奪戦への参加を表明するも、フロントの反対により実現しませんでした。

  1. 横浜・巨人両球団の2004年の成績は史実より落ちていた。
    • かつてのクローザーを獲得し損ねた横浜はもちろん、巨人もチーム内外の風当たりを懸念する声からフロントが反対したことから、チームになじめず投手陣がさらに悲惨な状態になっていたと思われる。
    • 下手すれば、巨人は2004年~2006年にかけて3年連続Bクラスに落ちていた。
    • 佐々木に払った13億の高額年俸が不要になるため横浜はもっと効果的な補強ができていたかもしれない
    • 逆に阪神は2004年もAクラス入りしていた(史実では4位)。
  2. 本人も、2004年限りで現役を引退していたかもしれない。
  3. 背番号22は吉見祐治がロッテ移籍まで着用した後、2011年から須田幸太が着用。
横浜→オリックス

1994年、横浜ベイスターズの近藤監督は宮古島でやったオリックスとのオープン戦でオリックスの仰木監督に「おたくの鈴木一朗(イチロー)とうちの佐々木をトレードしませんか?」と言いましたが、仰木監督は「まだ一年間見ていないから出せないな。」と言って断りました。もし、このトレードが成立していたら…

  1. 1998年、横浜が優勝することはなかった。
    • イチローがブレイクしてもAクラスに入ることはなかった。
  2. 佐々木主浩が「大魔神」と呼ばれることはなかった。
  3. そもそも、1993年オフにオリックス監督が土井正三から仰木彬に交代しなければ可能性があった。
横浜→ダイエー

1994年にフロントに入った根本さんが目を付け、トレード寸前まで行ったそうです。

  1. やはり1998年、横浜が優勝することはなかった。
  2. ダイエーのAクラス入り及び優勝は少し早くなったかもしれない。
    • ダイエーはペドラザを獲得しなかった可能性がある。あるいは横浜がペドラザを取っていた?

佐々木信也[編集]

大毎→巨人

1959年オフに巨人の水原茂監督からの誘いを受けましたが、新聞沙汰になったことにより、本人は断りました。もし受け入れていたら…

  1. 史実よりも長くプレーしていた。
    • それでも、代打や守備固めで出場することが多かった。
  2. 史実よりも遅れて解説者になっていた。
    • 引退後は日本テレビの解説者になっていた可能性もあった。
    • フジテレビのプロ野球ニュースのキャスターになることはなかったかもしれない。
      • 引退後にフジテレビの解説者に就任し、そのままプロ野球ニュースのキャスターになっていた可能性もあり得る。

定岡正二[編集]

巨人→近鉄

巨人の定岡正二はキャリア末期に近鉄へトレードされる事になっていたが、これを拒否しました。もし、そのトレードをすんなり受け入れていたら・・・。

  1. 淡口憲治と山岡勝は引退まで巨人。
    • いや、淡口憲治は蓑田浩二との交換トレードで阪急ブレーブスに移籍していたかもしれない。
  2. 近鉄ではリリーフ要因として2,3年投げていた。
    • 1989年の日本シリーズでも投げるも、大局に影響はなかった。
  3. 引退後、「へなちょこ」「負け犬」などと呼ばれる事はなかった。
    • いや、巨人OBであることをネタに芸能界入りするのは同じで、結局その後の人生は変わることなかったと思う。
    • 芸能活動は関西メインとなり、所属も吉本興業もしくは松竹芸能だった。
  4. 後に出演するTBS系のスポーツ番組に出演する事が無かった。
  5. 兄の智秋(当時・南海内野手)一家が大阪暮らしについて色々とフォローしていた。

嶋重宜[編集]

広島→近鉄

2003年にトレードの構想があったようですが消えました。

  1. 2004年の近鉄の成績が史実より良くなり、あるいは合併消滅ではなく身売りで済んでいた?
    • 史実通り合併消滅の場合オリックスはプロテクトしていただろう。その場合オリックスの成績は史実より高くなった。
      • 楽天に入った場合初代4番打者になっていた?
  2. 2004年の広島は最下位になっていた。

下柳剛[編集]

阪神→横浜

2007年にFA宣言した際には下柳本人と言うより愛犬の待遇をめぐる争いであったと言われており、結果的に阪神に残留しましたが、ではその時横浜に移籍していたら?

  1. それでも横浜暗黒時代が避けられていたかと言うと……
  2. 「ハマのおじさん」は工藤ではなく、下柳になったかもしれない。
  3. 阪神は2008年、「Vやねん!」がネタになるほど勝てたかどうかわからない。
  4. 田中秀太のプレーに対して激怒してグラブを叩きつける、という事件は起こらなかった。
    • その代わりに横浜で石川雄洋か藤田一也あたりが同じような感じで餌食に..?
  5. デイリースポーツが2010年のW杯の試合翌日に本田圭佑よりも彼の結婚を一面で取り上げるということはなかったかも。

新庄剛志[編集]

阪神→横浜

新庄本人は横浜移籍を希望しており、畠山準氏とのトレードで移籍する予定でしたが、藤田平監督が任期途中で解任されたことにより、流れてしまいました。もし、実現していたら…

  1. 1998年の日本一に貢献していた。
  2. 野中信吾氏とのトレードで移籍していたか。
  3. 中根仁氏と盛田幸希氏の交換トレードは無かったかも。
  4. その後の阪神の成績が意外と良かったかも。

進藤達哉[編集]

1999年オフ、進藤達哉はFA権を行使して千葉ロッテかオリックスに移籍しようとしました。しかし、編成の都合で破談となってしまいました。もし、移籍が実現したら。

共通事項
  1. 江藤は横浜に入団した。
横浜→千葉ロッテ
  1. ポジションは三塁
    • 内野が二塁・酒井、三塁・進藤、遊撃・小坂となる。
    • NPB歴代No.1の堅守内野陣が組まれた可能性も。
  2. 初芝が追いやられた可能性が高い。
    • 江藤を獲得できなかった巨人か阪神あたりに移籍していたかも。
  3. 確実に今江、西岡らにいい影響を与えていた。
  4. オリックスの背番号7は空き番のまま。
横浜→オリックス

翌年、トレードでオリックス入りとなります。もし、FAで一年早く移籍していたら。

  1. 小川はオリックスで野球人生を全うしたと思う。

千賀滉大[編集]

ソフトバンク→西武

帆足和幸の人的補償候補として検討されたものの、当時の千賀は育成選手であり人的補償対象外だったため断念しました。

  1. 支配下登録直後は不安定な西武中継ぎ陣の中でリリーフエースとして文字通りの獅子奮迅の活躍が見られていた。
    • 先発再転向は史実通り。投手陣の隙が埋まることで、場合によっては2017年は西武がパリーグを制覇していたかもしれない。
  2. 2018年・2019年の西武のポストシーズンの成績がもう少しよくなっていた。
  3. 2019年シーズンより菊池雄星に変わって背番号16を着用。
    • 松坂には背番号00を提示していた。
  4. 仮に育成選手が人的補償の対象として認められていた場合、その後のFA人的補償が根底からひっくり返っていた可能性も否めない。
    • 鶴岡慎也の人的保証が甲斐拓也だった可能性もなくはない。

高村祐[編集]

近鉄→巨人

2004年シーズン途中に巨人の元木大介との交換トレードが東京中日スポーツで報じられたが誤報であり、もし入団していたら

  1. 抑えを固定できなかったチーム事情で抑えを任されいた。
  2. 東北楽天ゴールデンイーグルスへの入団はない。

田口壮[編集]

オリックス→阪神

田口壮は2001年FAでカージナルスへ移籍しましたが、阪神も獲得に動いていました。本人の意向で阪神入団はお流れとなりましたが、もし田口壮が阪神に入団していたら…

  1. 2002年の阪神はAクラス入りは果たせた。
    • Aクラスは果たせなかったとしても、もう少し良い成績を残せていただろう。
    • 巨人は優勝できなかった、あるいは優勝してもデッドヒートは必至だった。
  2. カージナルスの2006年のWS優勝はなかったかも。
    • 2004年もWS出場を果たせなかった可能性あり。
  3. 2003年にアニキ(金本)は他球団へ移籍していたかも。
  4. 「阪神に行きたくない10カ条」の影響で、阪神ファンから全く応援されなかった。
    • そのまま不振に陥り、2,3年でひっそりと引退。
      • そして、石嶺、山沖、星野と続いた失敗FAに名を連ねていた。
  5. ノムさんの後任の阪神監督が仰木さんなら呼ばれて入った可能性が大きいし、以前からの恩師なので活躍できやすかった。

武田一浩[編集]

日本ハム→中日

日本ハムで活躍していた武田一浩投手は1995年、上田利治監督ら首脳陣との衝突からわずか2試合の登板に終わり、同年オフにはトレード要員となります。明治大学の先輩だった星野仙一監督の復帰が決まっていた中日へのトレード(交換相手は与田剛)が内定しましたが、中日が与田(翌1996年途中でロッテにトレード)の放出に消極的だったことから成立に至らなかった一方、ダイエーの王貞治監督が武田の獲得を熱望。下柳剛・安田秀之との交換トレード(2対2)で松田慎司とともにダイエーへ移籍し、1996年にキャリアハイの15勝を挙げました。その後1998年オフにFA宣言して中日に移籍しましたが、もし予定通り中日にトレードされていたら?

  1. 武田は中日の右のエースとして、同僚の今中慎二(左のエース)とともに先発ローテーションの柱として活躍。
    • 1996年は今中や斎藤雅樹・ガルベス(ともに巨人)と四つ巴の最多勝争いを展開。今中・武田のダブルエース&山本昌・前田幸長・門倉健・野口茂樹による強力先発ローテと「強竜打線」の活躍により、1996年の中日はセ・リーグ優勝を達成していた。1998年も野口・武田・川上・山本昌・門倉の先発ローテでリーグ優勝(史実の1999年と合わせて2連覇)できていたかもしれない。
      • 同年の日本シリーズでは今中が開幕投手を務めていただろうが、武田はパ・リーグを知り尽くしていることも相まってオリックス主催試合(グリーンスタジアム神戸)の第3戦あたりで先発していただろう。となると第2戦は山本昌が先発か?(第4戦はおそらく武田と同様の理由で前田幸長が先発か)
  2. 中日が同年オフに(武田と同じ右腕で先発投手である)村田勝喜を西武とのトレードで獲得することはなかったかもしれない。
  3. ダイエーの暗黒時代脱出、城島健司の成長は史実より遅れていたかもしれない。下柳が史実の武田のポジションになれれば史実通りかもしれないが。
  4. 与田は史実通り、中日から放出されて以降も故障から復活できず引退していた。日本ハムの1996年〜2002年(史実で下柳が在籍していたシーズン)の成績は史実より悪くなり、上田監督の辞任も史実(1999年)より早くなっていた。
    • 1996年はオリックスが、1998年は西武がそれぞれ史実より早く優勝を決めていた。
  5. 日本ハムから勝利を挙げられないままパ・リーグを去ったことになるため、交流戦が開始された2005年まで現役を続けるか、その後さらにセ・パ各1球団ずつを渡り歩かない場合、全12球団からの勝利(史実では巨人移籍後=引退年の2002年に達成)は達成できなかったことになる。
  6. 背番号は13番(史実では1996年〜1997年に平沼定晴が着用)か21番(同じく村田勝喜が着用)あたりだろうか?前者の場合は岩瀬仁紀が、後者の場合も正津英志がそれぞれ史実と異なる背番号を着用していたかもしれない。

谷繁元信[編集]

横浜→巨人

1997年オフ、FA権を所得し、当時正捕手が不在だった巨人の移籍の噂が囁かれましたが、横浜が強くなってきたことにより残留しました。もしFAで巨人に移籍していたら・・・。

  1. 村田真一は史実より早く引退していた。
    • 或いは、横浜に移籍して史実の頃まで現役を続けていた。
  2. 阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
    • 阿部はどこが指名してただろうか。
      • 史実で谷繁を獲得していたはずの中日か、それとも地元(千葉県)のロッテあたりか。
        • 谷繁を失う横浜の可能性もある。
  3. 横浜は1998年優勝できなかった。
    • 権藤博は史実より早く監督を退任していた。
    • 横浜は史実より早く暗黒期に突入していた。
  4. 中日は史実より優勝回数が減っていた。
  5. 中村武志は横浜へ移籍せず、中日一筋で現役を終えていた。

坪井智哉[編集]

阪神→西武

2001年に野村監督との関係が悪化したためトレード要員になり、西武の土肥選手との話が浮上しました。もし西武に移籍していたら?

  1. 2004年の日本ハムはBクラスになり、ロッテがAクラスになっていた。
  2. 新庄剛志と出会わなかったので史実ほど活躍できていない可能性もある。
  3. 引退後にDeNAの打撃コーチを務めるのは変わらない。

土肥義弘[編集]

西武→阪神
  1. 2002年から巨人キラー(2005年、横浜の投手として対巨人戦7勝1敗)を発揮していれば阪神は史実より1年早くAクラスになれたかも。
  2. 2003年の優勝にかなり貢献していた。
    • ただ当時の阪神の中継ぎ投手事情を考えると隙間がなかった可能性も。
  3. 2005年の横浜はBクラスになり、2016年に15年ぶりのAクラスと言う事になっていた。

なは行[編集]

中村紀洋[編集]

2002年オフ[編集]

02年にFA権を取得してメッツ・巨人・阪神の3球団に入団する事を考えましたが結局、年俸3億から5億円(当時の日本人プロ野球最高年俸)の値上げで近鉄に残留しました。 仮に中村ノリが02年のFA権を取得して上記の3球団に移籍していたら。

  1. 少なくとも近鉄の身売りは実史よりも遅れていた
    • ドジャース(マイナー)→オリックス→育成選手扱いで中日(その後昇格)にはならなかった。
      • オリックスともめて自由契約になる際、野球と関係のない所属を含めたコラがネットにばら撒かれることもなかった。
近鉄→メッツ

入団目前まで行きましたが、メッツがメディカルチェックを終えるとすぐに公式ホームページに「入団に合意した」と先走って発表してしまい、中村がこれに反発して破談となりました。

  1. 新庄と日本人選手どうしとして競演していた
  2. 天然芝球場で尚且つ近鉄時代に怪我をする前なので実史のドジャース時代に比べたら活躍がマシになる
    • とわ言えマイナー落ちになってたら悪名高いままメッツの契約が切れる2年後に近鉄に復帰していた
近鉄→巨人
  1. 松井の穴埋めとして活躍を期待されるが、思うように活躍できず巨人の成績は上がっても精々3位か4位に留まった
  2. その後、本人の性格の問題からフロント、選手間の亀裂を自ら作り谷や李承燁の加入と引き換えに他球団に放出されていた
    • 清原同様、結局オリックスに移籍していそう。
  3. 少なくとも小久保の獲得はなかった。
  4. 頭髪を黒に染めていた。
近鉄→阪神
  1. 片岡やアリアスとポジションが被るため、彼らとレギュラー争いを演じた。
    • あるいは今岡が控えになったかも。
    • ショートにコンバートされた可能性が高い。
  2. しかしあまり実際の歴史と変わらなかったような(リーグ優勝→過大な報酬を要求→メジャー挑戦→…)
  3. それでも一時期は人気が出て、食いだおれ人形に扮した中村ノリ人形が登場する。
    • 阪神ファンは「地元の星だ」と大喜び。
  4. 甲子園は天然芝球場なので怪我が減って実史よりも活躍できた可能性も・・・
  5. 阪神では珍しい1973年生まれのスター選手となっていた。
  6. 金本や新井は阪神入りしなかったかもしれない。
  7. 2003年の優勝メンバーの1人となっていた。
    • この年の阪神は日本一になっていたかもしれない。

2004年オフ[編集]

2004年の球界再編後、ロサンゼルス・ドジャースに移籍します。その後2度目のFA宣言で2009年から楽天に入団するのですが、もし分配ドラフトにより2005年から楽天でプレーしていたら?

近鉄→楽天
  1. 年俸の大幅減は避けられなかった。
    • もめて自由契約→中日へと史実をかぶるかも。
  2. 無論4番を打っていた。
    • 1年目の楽天は最下位脱出は無理でも、もう少し(03・08年の横浜程度は)勝てていたかも。
      • あの頃はお山の大将状態だったので史実よりもっと酷いことになっていたと思う。
  3. 2006年にホセ・フェルナンデスを獲得することはなかった。
  4. 近鉄時代以上にチーム内で浮いてしまって、2度目のFAで巨人か阪神へ。
    • その前に寺原と交換トレードでソフトバンク行きもあったかも。
      • その場合多村はFAでソフトバンクへ。
        • 多村は横浜ファンらしいから三浦と同理論でFAの可能性は低いと思うが、結局はあのタイミングで別の投手とトレードされていただけだろう。
    • だったら小笠原の抜けた日本ハムのほうが可能性高そう。
    • 横浜の場合は金城か石井(琢)、木塚、川村の誰か+若手の2:1トレード。
      • 村田がいるからいらんわ。横浜が補強するなら間違いなく投手だし。
    • でも土肥を解雇とか謎が多いフロントだからありえたかも。
      • その場合は1塁村田、3塁中村、外野で内川とか。
  5. 2006年からの野村克也監督に丸められていそう。
    • そして野村再生工場の下で復活出来ていたかも。
      • 上手くいけば史実の山﨑武司のようになっていた。
      • 09年には楽天を優勝に導きノムさんを胴上げ。パ・リーグあるいは日本シリーズでMVPに。

2006年オフ[編集]

2006年度の終了時に年俸8000万円が気に入らずオリックスを退団、結局年俸400万円で中日の入団テストを受け中日に入団しましたが、中日以前にもヤクルトの古田監督、日ハムのヒルマン監督も獲得(年俸1000万円で獲得)に興味を示していました。もし、これらの球団に移籍していたら?

オリックス→日本ハム
  1. 07年の優勝時に大幅な年俸値上げ(年俸1000万円→1億円以上)をフロントに要求する
    • 一応日ハムフロントも中村ノリの話を聞き入れ年俸を上げるが、精々2000万~3000万円程度に留まる
      • 中村ノリ「俺の価値は2000万かよ!!」
      • それに対するフロントの答え→「出て行きたければ勝手にどうぞ
    • 補足として日ハム時代のノリは本塁打打っても20~25発程度だったと思うので
    • その後、来年度の年俸が納得できず日ハムを退団するのだが・・・
オリックス→ヤクルト
  1. 07年のヤクルトの成績が多少はマシになった・・・か?
    • その結果古田も退団することも無かった。
  2. 1年だけ復活するも、翌年成績がた落ちで解雇。

西口文也[編集]

西武→広島

1995年にスポーツ紙に報道されたようです。

  1. 1997・1998年に西武はリーグ優勝できたのだろうか。
    • 場合によってはヤクルトや横浜が日本一になれなかったかもしれない。
  2. でもその後のカープの成績を考えると200勝は結局ムリだった?
  3. 関東圏でないのでジョセフ・オツオリに似ていると言われずオツのあだ名が定着する事もなかった。
  4. 松坂大輔の成績は史実とあまり変わらないか。
  5. 90年代後半の広島は史実よりいい成績を残せていた。
    • 小林幹英や澤崎の酷使はなかった。

仁志敏久[編集]

巨人→オリックス

2006年オフにオリックスから巨人にトレードされた谷佳知ですが、シーズン中にも仁志敏久とのトレード話がありました。しかし仁志が拒否。結局仁志は横浜にトレードされました。もしこのトレードが実現したら・・・。

  1. 仁志と原監督の仲違いはあまり大きくならなかった。
    • そして原監督もそんなに批判されなかった。
  2. 巨人の外野が大変なことになっていた。
    • 同時に横浜の内野も(以下略)。
      • 藤田一也、野中信吾、石川雄洋らによる二遊間争いが1年早く始まった。
  3. 平野恵一も谷とのセットで巨人に出されたかも。

長谷川良平[編集]

  • 中日(名古屋)への移籍話がありました。
広島→中日
  1. 広島は最下位が続き、大洋の代わりに松竹と合併していた。
  2. 中日は昭和30年代にもう2、3回優勝していた。
  3. 長谷川は200勝を達成していた。
  4. 中日で引退してコーチに就任していたかも。
    • そして中日の監督になっていただろう。

広沢克己[編集]

  • 1997年オフに金銭トレードの話があったようです。
巨人→横浜
  1. 1998年の優勝に貢献していたと思われる。
    • 駒田と併用か代打の切り札かは不明。
  2. 阪神移籍は史実通りの気がするが、史実より後になったかも。

福本豊[編集]

  • 1988年オフに阪神でプレーすることを考えていたそうです。
阪急→阪神
  1. 2~3年間プレーしていた。
  2. 引退後は、阪神でコーチをやっていた。
    • 史実でも阪神でコーチに就任していたが、もっと早まっている。

まや行[編集]

槙原寛己[編集]

巨人→中日
  1. あの完全試合はもちろんなかった。
  2. 1994年は中日が優勝していたかも?
    • 最終決戦で登板した場合、負け投手になった可能性が高い(ここ一番の勝負に弱いため)
    • 確か1985年の対阪神戦でバース・岡田・掛布に3者連続ホームランを打たれたのも槙原だったっけ?
      • 槙原の1994年の成績が史実通りなら巨人はそれだけ勝利を失い、中日がそれだけ勝利を増やすことになるから、中日がリーグ優勝していた可能性が高い。ただし、よりによって日本シリーズの大事な場面で西武打線に打たれていた可能性は否定できない。
  3. 1996年は巨人の選手に3連打を浴びた。
  4. 福岡ドームでの完全試合も無かった…?
    • むしろ中日で完全試合を達成していたかも。
  5. 地元出身かつ、槙原自身も「プロ入りするなら巨人か中日」と宣言していたこともあって、中日ファンから大いに歓迎されていた。
  6. 背番号は巨人時代と同じ17番になるだろう。上原晃(史実では中日を退団する1996年まで背番号17を着用)は槙原が中日入りしていた場合、その時点で17番を剥奪されていたことになる。
  7. 1990年代後半の中日の先発ローテは今中慎二・山本昌・槙原の三本柱が顔となっていた。
  8. 1996年は抑えを務めていたかもしれない(史実では抑え候補として獲得した宣銅烈が不調のため、中山裕章がその代理を務めた。槙原自身も1998年以降は抑えに抜擢されていた)。

松坂大輔[編集]

西武→ヤンキース

松坂が入札制度によるMLB挑戦を表明した際、ヤンキースは40億円もあれば落札できると予測していましたが、Rソックスが60億もの資金を出したために獲得を逃す形となりました。ではもしヤンキースが落札し、入団していたら?

  1. 2007年のヤンキースは地区優勝できていた。
    • 2008年もポストシーズンに進めていた。
  2. 日本人MVP1号になっていた可能性も。
  3. 早ければ2009年か2010年のオフにはヤンキースを退団していたかも?
    • 帰国が早まっていればソフトバンクに入った史実ほど劣化しなかったかも?
  4. 無論、井川慶は別の球団に入団していた。
    • 2014年現在もMLBに在籍していた。

丸佳浩[編集]

広島→ロッテ

2018年オフに広島からFA宣言した丸は千葉県出身ということもあり巨人だけでなくロッテも大型契約を提示して獲得を目指しましたが結局獲得には至りませんでした。もしロッテに移籍していたら?

  1. 地元出身の大スターということでロッテファンからは拍手喝采で迎え入れられた。広島ファンも「別リーグで地元のロッテなら仕方ないか」と受け止めたため、史実に比べてバッシング・批判の声はずっと少なかった。
  2. 史実でトークショーにて「丸が来なくて良かった!」と発言し問題になった清田育宏は丸入団で尻に火が付いて奮起or「俺はもうこれで終わりだ…」と意気消沈し戦力外のどちらかだろう。
    • 仮に2019年オフに戦力外にならなかったとしても背番号1を剥奪されていたかもしれない。
  3. もしかしたら鴨川市(ロッテの秋季キャンプ地。丸の故郷・勝浦市に隣接)でオープン戦や一軍公式戦が開催されていたかもしれない。
  4. かたや丸獲得に失敗した巨人は29年前の「巨人はロッテより弱い」発言を蒸し返され、他球団ファンから煽られていた。(ちなみに件の騒動で渦中の人となった加藤哲郎は一応広島OBだったりする)
    • 長野久義は翌年以降もそのまま巨人でレギュラー。
  5. ポジションが被る荻野貴司・岡大海に影響が与えられたかもしれない。
    • 清田育宏含めた3人のうち誰かが巨人にトレード放出されたかも。
  6. 広島の補償は金銭になっていた可能性大。
  7. 2019年のロッテはAクラスになっていただろう。ペナントでソフトバンクを圧倒していた(17勝8敗)ためCSファーストステージでソフトバンクを破っていた可能性もかなりある。
    • もし西武をも破り日本シリーズに出場、史実通り相手が巨人の場合は4.の通りになるだろう。
      • 丸獲得に成功していた場合はレアードを獲得していない(というより資金的にレアードまでは獲得できない)だろうしどうだろう…?
  8. 2019年の巨人はセ・リーグを優勝できたか?できたとしてももっと僅差になりそう。
    • 巨人ではなくDeNAが優勝していたかもしれない。
  9. 大島洋平がセ・リーグ2019年外野手部門ベストナイン(史実では得票数4位で惜しくも落選)に選出されていた。
  10. ブランドン・レアードはロッテではなく巨人か阪神に移籍していた(史実では丸獲得のために用意し、結果的に余っていた資金を流用する形でロッテが獲得)。レアード巨人移籍の場合は外国人枠の関係上ビヤヌエバを獲得していなかったり、ゲレーロがシーズン途中で解雇されていたかもしれない。
  11. 丸の背番号は史実で提示されていた通り井口監督が着用していた6番が有力だが、1番(清田から剥奪)・9番(福浦和也の引退後に継承)になっていた可能性もある。
  12. 登場曲に、『Brave Freak Out』か『Axxxis』が使われた可能性も。

三浦大輔[編集]

横浜→阪神
  1. ベイスターズファンからバッシングを受けていただろう。
    • 逆に最後の砦を奪われた横浜ファンに自殺者が多数出た可能性も。
    • 2010年オフにLIXILの要求を丸呑みして身売りし、数年後に新潟に移転していた。
  2. 人的補償で阪神の選手が横浜に移籍していただろう。
    • おそらく、辻本賢人投手が横浜に移籍することになっただろう。
  3. 阪神の成績にはあまり影響しなかった。
    • むしろ、金村曉同様、殆ど活躍できず戦力外になったかもしれない。
  4. 引退後は阪神には残らず、引退時期にもよるが谷繁元信に呼ばれて中日で投手コーチをやっていた可能性が高い。その後遅くとも与田剛が監督になる前に退団。
    • 横浜出戻りはいまだ果たせていない。横浜の一軍投手コーチは2019年も篠原貴行が担当し、二軍監督は2020年から新沼慎二になっていた。
  5. 横浜の背番号18は1年間のブランクを経て清水直行が着用。その後また1年開いて久保康友に受け継がれた後、2019年からは上茶谷大河が着用している。

村田修一[編集]

村田がFA宣言した際、中日と阪神も獲得に名乗りを上げていました。もしも村田が入ったのが巨人ではなくそのどちらかだったら……

共通する事
  1. ラミレスは史実通りDeNAに移籍した。
  2. 2014年時点ではリーグ優勝を経験できていない。
  3. 巨人の三塁手は現在も固定できていない、或いは中井大介がレギュラー。
  4. 横浜の人的補償は投手。
  5. 藤井秀悟はそのまま巨人で現役生活を全うしたか戦力外通告を受けて他球団へ移籍。
    • 打撃投手にはなっていないかも。
  6. 移籍先のフロントと衝突することさえなければ、史実と同時期に引退することはなく現役引退が史実より遅れていた。
    • そのため、2000本安打も達成できていた。
  7. 背番号25は筒香嘉智が継承するのは史実通り。
横浜→中日
  1. エクトル・ルナを獲得する事はなかった。
  2. 人的補償の投手次第でDeNAは2013年、2014年のどちらかにCS進出できていたかも。
  3. 堂上直倫が京田陽太の入団まで遊撃のレギュラーに定着した一方で、高橋周平と福田永将の出場機会は史実より少なくなった。
    • 福田は史実より早く外野に挑戦し、左翼手のレギュラーとして定着した可能性も。
  4. 2012年オフのトニ・ブランコらのDeNA移籍は史実通りか。
  5. 中日はセ・リーグ3連覇を達成できていただろうか?
横浜→阪神
  1. ゴールデングラブ賞は獲得できている。
  2. マウロ・ゴメスを獲得する事はなかった可能性も。
    • よって、2014年の日本シリーズ出場はなかったかも。
  3. 新井貴浩共々併殺を量産し、結局2chで乙女と罵られていた。
  4. 史実通りに2014年にゴメスを獲得していた場合、新井兄弟の出譲機会は大幅に減っていた。
    • 新井貴浩のその後は史実通り。
    • 今成亮太も三塁にコンバートされなかった。

村田兆治[編集]

ロッテ→阪神

1982年オフ、肘の故障とロッテの不人気ぶりから阪神移籍を志願するも、阪神側の交換要員が決まらず破談となりました。

  1. 復帰した1985年には、阪神優勝に大きく貢献していた。
    • 村田の引退までは、阪神の成績は史実ほど悲惨にならなかった。
    • 場合によっては1985年セリーグの投手タイトルを総なめにしていた。
    • 1985年の阪神優勝・日本一が「エースなき優勝」と言われることはなかった。
  2. 一方、ロッテは1982年から1994年まで13年連続Bクラスを経験していた。
    • 1984年は史実と変わらず2位で終われたのでは。
  3. 阪神でも木戸克彦を袴田英利同様鍛え上げていた。

元木大介[編集]

2005年、巨人から戦力外通告を受けた際にオリックスと楽天からオファーを受けてましたが、浪人してまで巨人に入団した経緯もあって現役引退を選びました。もし、この時点で他球団に移籍してでも現役続行する選択をしていたら…

共通事項
  1. 巨人のコーチに就任していたか不明。ましてやヘッドコーチなどもっとなさそう。
  2. 在籍した球団でコーチをやっていたかもしれない。
巨人→オリックス
  1. 同じくオリックスへ加入した清原とまた行動を共にする形になった。
    • 清原や中村紀洋と同様、「地元の星」として歓迎されていただろう。
    • 2球団でチームメイトとなった金本・新井コンビ(広島→阪神)が清原・元木コンビと比較されていた。
      • 2008年の関西ダービーでは清原・元木コンビと金本・新井コンビがポスターに起用されていた。
  2. 右の代打として、少なくともあと2~3年程度は現役を続けていた。
    • または塩崎の代わりに二塁手でレギュラーを張っていた。
    • 大引啓次のブレイクが遅れていたかも。
  3. 2008年のオリックスのAクラス入りを見届けて、清原と共に引退した。
    • 引退試合が清原と同じ対ソフトバンク戦だった場合、間違いなく王監督から花束を貰っていた。
      • そして学生時代のエピソードを引き合いに出されていただろう。
巨人→楽天
  1. ノムさんに干されることが無ければ、楽天の成績は史実よりマシになっていた可能性も。
  2. フェルナンデスは一塁かDHに回されていた。
    • 場合によっては、2006年のベストナイン獲得は微妙なところになっていたかも。
  3. 引退後は、地元局の解説を中心に、仙台のローカルタレントとして活躍か?

山沖之彦[編集]

オリックス→ヤクルト

1994年オフにヤクルトの監督である野村克也氏の誘いを受けていました。

  1. 史実よりも長くプレーしていた。
  2. 1995年、1997年の日本シリーズに出場していた可能性が高い。
  3. 引退後は、ニッポン放送、フジテレビジョンの解説者を務めていた可能性が高い。
  4. 娘さん(宝塚歌劇団宙組・芹香斗亜さん)がタカラジェンヌになることがなかったか、あっても境遇がかわったはず。なお、夫人は、元タカラジェンヌの白川亜樹さんで、宝塚歌劇団の・小川友次理事長は、阪急ブレーブス広報担当の前歴あり。

山口俊[編集]

DeNA→中日
  1. 2017年に暴行事件を起こした際にクビ、そのまま消えるかどこかに拾われていた?
    • いやせっかくのFA獲得選手だし、中山裕章でさえ受け入れた中日のことだからあっさりクビにまではしないだろう。
  2. もし事件がなく、2019年に史実通りの活躍をしたとすれば中日はクライマックスシリーズに出られていた。
  3. DeNAの補償は誰になっただろうか?

山崎武司[編集]

中日→横浜

2001年オフにFA宣言し、一時は金銭面で好条件を提示した横浜ベイスターズ移籍へ傾きましたが、シーズン後に新しく監督となった山田久志の慰留もあり実現しませんでした。 もしも慰留がなく、このまま横浜へ移籍していたら?

  1. 平井正史との交換トレードはなかった。
  2. 史実通りに谷繁元信が中日へFA移籍し、同時に中村武志も横浜へトレード移籍した場合、『実質的な世紀の大トレード』と史実以上に騒がれたかも。
    • 中村が楽天に移籍した際、同時に楽天に移籍した可能性も。そうなった場合は史実と同じ。
  3. コックスとウッズのどちらかは獲得しなかった。
    • 田代コーチの下で再生に成功した場合、2003年の本塁打王はタイロン・ウッズではなく山崎だった。
    • 取らなかったのがコックスだった場合は横浜の最下位はなかったかもしれないが、ウッズの場合は……
  4. 選手生命は史実より短かった。
    • 楽天発足前に引退していたかも。

外国人選手[編集]

タイロン・ウッズ[編集]

横浜→阪神

2004年オフに中日とのマネーゲームの末に中日が制覇しました。もし、阪神が制覇していたら

  1. アンディ・シーツ氏が入団することはなく、ソフトバンクに移籍していた。
    • その場合シーツがスカウトしたマートンやゴメスが阪神に入団しなかったため、2010年代の阪神の成績が低下していた可能性がある。
      • 逆に2010年代のソフトバンクの成績が史実以上になっていた可能性も。
  2. ジョージ・アリアス氏よりも多く本塁打を打ち、2005年のリーグ優勝に貢献していた。
  3. 2006年と2008年にリーグ優勝していた可能性が高い。
    • 監督の岡田彰布氏は史実よりも長く監督をやっていたかもしれない。
      • 真弓明信の監督就任は無かった…かもしれない。

トーマス・オマリー[編集]

阪神→オリックス

1994年オフにオリックスとヤクルトが争奪戦を激しい繰り広げていました。その後、ヤクルトに入団。

  1. 1995年、1996年のリーグ優勝と1996年の日本一に貢献していた。
  2. ヒーローインタビューの決め台詞は「頑張ろう、神戸。」、「神戸市民の皆さん、応援ください。」となっていた。
  3. 阪神でコーチやスカウトに就任していなかったかもしれない。
    • 2005年に仰木彬氏が再び監督に就任した時に、彼の招聘により、コーチに就任していた可能性が高い。
  4. サンテレビジョンか関西テレビ放送でゲスト解説者として招待されていた。
  5. 当然ながら小林-オマリーの14球はなかった。
  6. トロイ・ニール、ダグ・ジェニングス(D・J)のどちらかは入団しなかった。
  7. イチローが首位打者を取ったのは変わらないだろうが、95年に打点王を取れなかった可能性は高まる。
  8. 1995年、ヤクルトはリーグ優勝できたのだろうか。史実より一年早く巨人vsオリックスとなっていたかも。
ヤクルト→西武

1996年オフに西武が獲得に名乗りを挙げていたことがありました。

  1. ドミンゴ・マルティネス氏が入団することはなかった。
    • その場合、中日にトニ・ブランコ氏が入団する事はなかったかも。
  2. 1997年、1998年のリーグ優勝に貢献していた。
  3. 2、3年ぐらいプレーしていた。

ジェレミー・パウエル[編集]

巨人→オリックス

ソフトバンクよりも先にオリックスと契約していました。そのまま入団に至っていたら…

  1. 二重契約問題が起こることはなかった。
  2. 2、3年ぐらいプレーしていた。
  3. 2008年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズで登板していたかもしれない。
    • そもそも上手くいけば08年にオリックスを優勝に導いていたかも。

グレッグ・ハンセル[編集]

阪神→中日
  1. マーク・バルデス氏が阪神に残留していたら、確実にあり得た。
  2. 2004年もプレーしていたら、2004年の日本シリーズに出場していた。
  3. 中日でスカウトをやっていたかもしれない。



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