もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/外国人選手

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もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら > 外国人選手

  • 日本における成績のみを対象とします。
  • 最後の日本球界在籍から1シーズン以上経過まで追加しないこと。
  • 新たに追加される場合は登録名(基本的にファミリーネーム)の50音順でお願いします。

あか行[編集]

ホアン・アイケルバーガー[編集]

  1. ストッパーとして活躍し、ヤクルトの2度目のリーグ優勝にも貢献していた。
  2. その名前からハンバーガーチェーンのCMに出演していた。
  3. 関根潤三氏は「アイケルバーガーは名前が面白くて獲ったんだけど、大活躍して驚いた」と言っていた。
  4. 「登録名が7文字以上の助っ人外国人は活躍できない(そこそこ活躍しても一年限り)ジンクス」は平成一ケタ代のうちに破られていた。
    • 史実だと完全にジンクスを打破したと言えるのは2003年ロッテのホセ・フェルナンデスあたり?

アニマル・レスリー[編集]

  1. 阪急からオリックスに変わってもクローザーとして大活躍した。
  2. 身売り一年目で日本シリーズ進出・・・の可能性もあった。
  3. 「風雲たけし城」に出ることはなかった。
  4. うまくいけばブルーウェーブ改名後もしばらく在籍し続けていたかも。

アーロン・ガイエル[編集]

  1. 間違いなく、ハウエル→オマリー→ホージー→ペタジーニ→ラミレスと来てバレンティンに続くヤクルト優良助っ人の系譜に名を連ねていた。
  2. ヤクルトは2007~2011年の間に1度ぐらいはリーグ優勝していた。
  3. 古田敦也はもう少し長く監督を続けられていたかも。
  4. 『実況パワフルプロ野球』で彼の守備パラメータがあそこまで酷くはならなかった…はず。

フランシスコ・カラバイヨ[編集]

  1. 通訳がいらないほど日本語がうまかったので、いろいろな番組やCMに出ていた。
  2. 2015年のオリックスの成績が史実より良くなっていた。
  3. 横浜DeNAに移籍したかもしれない。(カラバイヨの師匠がラミレスだから)

ゲーブ・キャプラー[編集]

  1. 2005年・2006年の巨人の成績が少しは良くなっていた。
    • その場合、堀内監督退任も遅れていた。
  2. 2006年オフに一時引退を表明することはなかったかもしれない。

マイク・グリーンウェル[編集]

  1. ≒「もし“神のお告げ”が無かったら」である。
    • シークリストやコールズの獲得も無かった。
      • もしかしたら、ハンセンも来なかった。
    • アロンゾ・パウエルの獲得はなかった。
    • 一緒に来日したハイアットも現実以上に活躍出来ていた。
  2. 97年の阪神は、久しぶりにAクラス入りしていた。
    • 98年から最下位にならなかった。
      • いずれにしても、90年代後半~00年代初頭の阪神の成績は現実よりマシだった。
  3. 阪神の「暗黒時代」や「ダメ外人」の代名詞になることもない。

さ~な行[編集]

ドン・シュルジー[編集]

  1. DH制導入後(交流戦導入前)のパリーグで唯一本塁打を放った投手として現実以上に有名だった。
    • 仮に2本目3番目…と打ち続けていたら「元祖二刀流」と呼ばれていたかも。
  2. 退団・帰国が遅れていて、「がんばろうKOBE」で優勝したブルーウェーブの一員になっていた。

ジェイソン・ジョンソン[編集]

  1. 西武の連続Aクラス記録は2013年まで続いていた。
  2. 彼と同じく糖尿病を患いながら活躍した1988年巨人のビル・ガリクソンと比較されていた。
    • 間違っても(史実において常勝チームをどん底に叩き落した共通点を持つ)1975年巨人のデーブ・ジョンソンと比べられることはなかった。

ベニー・ディステファーノ[編集]

  1. 同年に在籍していたバンス・ローと名コンビになっていた。
  2. 乱闘で有名な強打者として、他球団のマイク・ディアズやジム・トレーバーらと並び称されていた。
  3. 宇野勝が外野にコンバートされることはなかった。

ディンゴ(デーブ・ニルソン)[編集]

  1. もし日本でも捕手だった場合、谷繁が中日に来ることはなかった。
    • そして史実どおり横浜が低迷していた可能性も低い。
      • いや、最初から外野にコンバートする構想だった。
  2. 2004年のアテネ五輪・2008年の北京五輪のオーストラリア代表にも選ばれる。
    • そしてアテネではウィリアムスとバッテリーを組んでいたかも・・・
      • そして李承燁みたいに謝罪。
      • キューバを破って金メダルを獲っていた。
  3. 山﨑武司と李鍾範はどこかに放出されていた。
    • 山﨑はおそらく当時大砲不足だった西武あたりかも?
  4. 年齢的に長くて2008年くらいまで続けていた可能性も。
    • ジェフ・ウィリアムスはもちろん、クリス・オクスプリング(阪神)やエイドリアン・バーンサイド(巨人)とも日本でも対戦していた。
  5. 登録名を悔やむ声はなかった。
    • 登録名の由来である、オーストラリアの動物の「ディンゴ」の知名度が上がっていた。
  6. パ・リーグに移籍してDH要因として活躍した可能性も。

ゲーリー・トマソン[編集]

  1. 赤瀬川原平の「超芸術トマソン」には別の名称が付けられていた。
    • あるいは「芸術的な空振りではなくホームラン時のフルスイング」を「超芸術」として例えられていた。
  2. 前年で引退した王貞治の穴を埋める存在として期待通りの活躍さえしていれば、「トマ損」や「舶来扇風機」などと罵られることも無かった。
    • 藤田元司監督ともトラブルは起こしていなかったかもしれない。
  3. 巨人を解雇された後にMLBへの復帰は叶わずとも、現役引退ではなく日本の他球団に移籍していた可能性も。

は・ま行[編集]

バンプ・ウィルス[編集]

  1. 1986年頃までにプレーしていた。
  2. 1984年の日本シリーズは阪急ブレーブスが制覇していた。
  3. ジョー・ヒックスの加入はなかった。
    • アニマル・レスリーの加入が1987年頃にずれ込んでいた。

コリー・ベイリー[編集]

  1. ≒「もし2003年4月11日の対阪神戦でアリアスと片岡から連続ホームランを喫していなかったら」である(長っ!)。
  2. シーズン前半は中継ぎとして、オールスター後はリリーフとして登板回数が増えていた。
  3. 2003年のペナントレースで、阪神に15.5ゲーム差をつけられることもなく、とりあえず巨人はリーグ2位でシーズン終了。
    • この年の星野阪神の強さは半端じゃなかったので、阪神の優勝は変わらなかったと思う。
    • 原監督の更迭はなく、2004年も指揮を取っていた。
      • 単に堀内暗黒時代の到来が1年ずれただけかも。
  4. ベイリー本人は3年ほど巨人に在籍し、その後はメジャーに復帰。無事アメリカで現役を引退していた。
    • 台湾リーグへの移籍もなく、八百長問題で追放ということにもならなかった。

ブライアン・ボグセビック[編集]

  1. 2016年のパ・リーグは楽天か西武が最下位になっていた。
  2. ひょっとしたら、『ポプテピピック』とコラボしていたかもしれない。
  3. 一緒に来日したブレント・モレルやこの年の新人吉田正尚とともにチームを盛り上げる存在になれていた。
    • ステファン・ロメロかクリス・マレーロのどちらかが来日しなかった。あるいは来日が遅れていた。
  4. 翌年以降もオリックスに在籍し、オリックスが福良淳一監督在任中に1回はCSに進出出来ていた。

ドン・マネー[編集]

  1. 1985年までにプレーしていた。
  2. デービスの加入はなかったかもしれない。
  3. 1984年の近鉄はAクラス入りしていた。
  4. 1984年のオールスターゲームに出場していたかもしれない。

ジェフ・マント[編集]

  1. 1996年のセ・リーグは前半戦から巨人・中日・広島の三つ巴状態になっていた。
    • 「メークドラマ」は流行語にならず、代わりに「乱セ三国志」あたりが流行語になっていた。
  2. 仁志敏久は入団1年目から二塁手に固定されていた。
  3. ナベツネの「クスリとマントは逆から読んだらダメなんだ」という迷言はなかった。
  4. MLBのジェフ・ケントと一字違いであることがもっと話題になっていた。

ライル・ムートン[編集]

  1. 1998年のヤクルトはAクラス入りしていた。
  2. ロベルト・ペタジーニの獲得はなかったか、あるいは獲得した場合外野手として出場していた。
  3. 伊藤智仁投手コーチの「マートンじゃなくて、ムートンだと思えばいいんだ。」という迷言はなかった。

やらわ行[編集]

クリス・ラルー[編集]

  1. ヤクルトは外国人選手に定評のあるイメージが強いままだった。
  2. 長期に活躍すれば成瀬の背番号が違っていた。
  3. 壇蜜始球式からの炎上がネタにされる事はなかった。

ジェイミー・ロマック[編集]

  1. 右翼手で定着していた場合、中堅手で梶谷隆幸との競争が続いていたため桑原将志のブレークが遅れた。
    • この為、桑原では無く梶谷が2017年にゴールデングラブ賞を獲得していたかも。
  2. ネフタリ・ソトは来日しなかった。
  3. 某所で、『ロマック算』なるものが生まれる事は無かった。

ルイス・ロペス(2005年・楽天)[編集]

  1. 2005年の楽天のチーム成績はもうちょっとマシになっていた。(史実では38勝97敗1分と100敗に手が届きそうなくらいひどい成績であった。)
  2. ポジションが被るホセ・フェルナンデスは楽天に移籍しなかった。
  3. もしかすると実績やかつての名物助っ人と同じ名前という理由で楽天を退団した後に広島が獲得して「広島のルイス・ロペス」が数年振りに復活していたかも。
    • ちなみに広島にいたほうのルイス・ロペスは2010年に楽天でコーチを務めた。

呂明賜[編集]

  1. 1988年のセ・リーグは終盤まで中日と巨人のマッチレース状態になっていた。
    • 場合によっては、同年のパ・リーグや1994年のセ・リーグ同様最終戦までもつれていたかもしれない。
  2. 1989年の日本シリーズは史実のように第7戦までもつれこむこともなく、巨人が圧倒的な強さで制していた。



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