もしあの人がプロレスラーになっていたら
ナビゲーションに移動
検索に移動
井上康生[編集 | ソースを編集]
- 妻のデ○ブログで団体が(ry
大ノ海久光[編集 | ソースを編集]
1951年のアメリカ巡業中に勧誘された。
- 芝田山部屋→花籠部屋を創設することはなかった。
- 現役時代の若乃花幹士(初代)はずっと二所ノ関部屋所属。
- やはり石川孝志を弟子にする。
栗原恵[編集 | ソースを編集]
- 「栗原めぐみ」のリングネームで栗原あゆみとギミック上の双子にされていた。
- ただ長身なので、「大きなお姉ちゃん」的な感じ。
小泉今日子[編集 | ソースを編集]
デビュー前はプロレスラー志望だったらしいが…
- ベビーからヒールターンしそう
篠原信一[編集 | ソースを編集]
小川直也から誘われたこともあるとか。
- どこかで誤審アングルが組まれていた。
竹原慎二[編集 | ソースを編集]
- アングルで「とんでもない修羅場」が作られる。
花田勝[編集 | ソースを編集]
- 弟にもオファーが掛かるが、あっさり断られる。
浜口京子[編集 | ソースを編集]
- オリンピックで金取ったら十分ありえる。
- 2004年頃だったらハッスルに父娘で参戦していただろう。
- その後は、父の愛弟子がいるスターダムへ。
- 浜田文子との2世対決が実現した。
双羽黒光司(北尾光司)[編集 | ソースを編集]
中学時代に新日本プロレスの試合を観戦していたところ、北沢幹之に卒業後に入門するよう勧誘され、控室まで連れてもらいアントニオ猪木と対面しました。その時は既に立浪部屋への入門が内定していたため、相撲を選択しましたが…。
- プロレスラーとして大成できていた。
- ファンから「(北尾の試合は)しょっぱい」と酷評されることもなかった。
- 小錦は横綱に昇進していた…か?
- もし昇進していた場合、外国出身力士の横綱は史実の曙より数年早く誕生していた。
- 同じ相撲出身の天龍源一郎と熱い試合を展開していた。
- 2000年代の中盤には引退していた。
舞の海秀平[編集 | ソースを編集]
- プロレスでもやはり新技を編み出して「技のデパート」と呼ばれていた。
武蔵丸光洋[編集 | ソースを編集]
- 太い腕とアメフト譲りのタックルを武器とする。
- 怪我した相手を気遣う優しい一面も。
室伏広治[編集 | ソースを編集]
- リングネームは「ハンマー室伏」と名乗っていたかも。
- ルーマニアの血を引くので「マリウス室伏」もありえた。
- 得意技はハンマー投げの要領を活かしたジャイアントスイングだったかも。
- 同じ陸上の投擲繋がりで「猪木2世」と呼ばれていた。
- よってデビューはIGF。
山本美憂[編集 | ソースを編集]
- ポストキューティー鈴木として売り出していた。
- 弟や妹、そして息子もレスラーに?