もしあの人が健在だったら/アナウンサー・キャスター

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独立項目[編集]

あ行[編集]

石井智(TBS、定年退職後に急死)[編集]

  1. 当初の予定通り、ユニバーシアード福岡大会のマラソンの実況を担当していた。
  2. 露木茂や池上彰から、仕事をいくつか奪っていた。
  3. 定年後も、マスターズの実況は続けていた。
  4. 1971年日本シリーズ第3戦(阪急・山田が巨人・王から逆転サヨナラ3ランホームランを打たれた試合)の実況を担当していたため、この試合に関する取材を受けることが多くなっていた。

井上雪彦(山口放送)[編集]

  1. 当初の予定通り、山口放送の嘱託アナとなっていた。
    • 要は、定年を迎えてたって事。
  2. 現在も熱血テレビのキャスターをやっていた。
    • その場合、高橋裕アナは現在もズームイン!!SUPERの山口担当キャスターだった。
  3. 「出口のない海」に出演していた。

大杉(鈴木)君江(日本テレビ)[編集]

  1. 少なくとも職場復帰はしていただろう。
    • フリーアナに転向していた可能性もありえるが。
      • その場合は線維筋痛症による闘病記を綴った自伝を上梓していた。
  2. 日テレニュース24で放送される天気予報のナレーションを現在も担当していた。
    • 史実では、ナレーション不在期間を経て現在の杉上佐智枝アナに交代。
  3. 実史で担当した「所さんの目がテン!」で佐藤良子のピンチヒッターを担当する事があった(とか…)。
  4. 笑点アナウンサー大喜利の常連として親馬鹿ネタを炸裂させていた。

か行[編集]

川田亜子(TBS→フリー)[編集]

  1. サタデースクランブルの司会を続けている。
    • 史実の後任である本間智恵アナは、09年春から「スーパーJチャンネル」木-金曜サブキャスターを務めている(史実の木-金曜サブキャスター・八木麻紗子アナは08年秋から「学べる!!ニュースショー!」に出演しているので、バランスを取って)。
  2. テレビ朝日の新番組「報道発ドキュメンタリ宣言」では、長野智子と共にキャスターを務めている。
  3. この番組で共演を果たした縁で蛯原友里・押切もえ両人との番組共演が再現していたかも知れない。
    • エビちゃん結婚の際は祝福のコメントを発表したり、パリで行われた式に招待された。
  4. 2008年の北京五輪や2010年のバンクーバー五輪ではレポーター務めていた。
    • 流石に2010年のサッカーW杯南アフリカ大会は現地が危険と言う事で流石に日本に留まる。
    • 2012年のロンドン五輪でもレポーターを務めていた。
  5. 秘密のケンミンSHOWでは石川県代表としてちょくちょく出ている。
    • 2008年6月に放送された時は発言シーンをカットされる事は無かった。
  6. 2010年代前半までには結婚していた。
  7. 2015年3月14日の北陸新幹線金沢開業関連番組ではレポーターを務めていた。

岸佳弘(中部日本放送)[編集]

  1. 1999年3月の終了まで「CBCニュースワイド」のキャスターを務めていた。
    • 石塚元章(史実でも当初は岸アナの体調が回復するまでの繋ぎとしての登板だった)、冨富田和音、重盛啓之は「CBCニュースワイド」を担当することはなく、ラジオもしくは「ミックスパイください」の印象が史実以上に強くなっていた。
    • 後継番組の「ユーガッタ!CBC」にも「スーパーニュース」(フジ)の木村太郎のような役回りでレギュラー出演していた可能性大。
  2. 「CBCニュースワイド」終了後は順調に管理職の道を歩んでいただろう。
    • 先輩の日比英一同様、アナウンス部長→論説委員→論説委員長→取締役(→定年後は参与・大学教員)と順調に出世コースを歩んでいただろう。
  3. 大須生まれということもあり、CBCの番組で大須が絡むテーマが取り上げられた時には、必ず出演している。

久和ひとみ[編集]

  1. 少なくとも『TXNニュースアイ』の司会を番組終了まで続けていた。そして史実より番組終了時期が遅れた。

た行[編集]

谷川明美(東海ラジオ放送)[編集]

  1. 冠番組『谷川明美の花鳥風月』がお蔵入りになることはなかった(持病が悪化していなければの話だが)。
    • ということで、『天野良春“リアル”』はなかったor現実とは別の時間帯で放送していた。
  2. ひょっとしたら、東海ラジオを退社してフリーアナウンサーになってたかも。

筑紫哲也[編集]

2008年11月7日に肺がんの為、73歳で亡くなった筑紫哲也であるが、もし今も健在だったらどうなっていただろうか。

  1. もし何の病気にも罹っていない場合、JNN系「NEWS23」のタイトルが、2009年3月の番組最終回まで「筑紫哲也ニュース23」となっている。
    • むしろ番組自体続いていたのでは?
    • 膳場貴子はNHK残留?
  2. 実史通りに病気の治療を行っていた場合は、「NEWS23」は実史通りだが、2009年2月16日に来日するアメリカのクリントン国務長官と一般視聴者との対話を番組内で行っていた。
  3. 2ちゃんでは相変わらず叩かれていた。
    • ガンを克服していた場合、同サイトでは「あのまま死んでくれればよかったのに」などと散々に書かれた挙句、そのスレが100個目ぐらいまで建つ事態に陥る。
    • 「逆神」扱いされていたりもした。
  4. 所謂「保守」の言論人からは、「亡国メディアの首魁」といった感じで批判され続けている。
    • 保守系論壇誌では年数回のペースで氏の発言に対する批判記事が掲載され続けている。
    • 2009年の民主党政権誕生後は、「“御用”ジャーナリスト」とか「政権スポークスマン」と揶揄されていた可能性もある。
      • そして2012年末の衆議院選挙にて自民党が政権回帰した後は、「引退勧告」を告げられていた。

土居まさる(文化放送→フリー)[編集]

  1. 後輩であるみのもんたと仕事を分け合っていた。
    • ミリオネアの司会は土居だった。
  2. 特番の時期になると『ヒントでピント』SPの司会を務めている。
  3. 「土居まさるのラジオデイズ」は長寿番組になっていた。
  4. 日本テレビ「オジサンズ11」に出演し、梶原しげるの出番が無かったかも。
  5. 2009年2月のテレビ朝日開局50周年記念の「ヒントでピント」特番が放送されていたか…。
    • そりゃあ放送されてるだろ。
      • 『そりゃあ放送されてるだろ』というコメントに同感。ひょっとしたら、これをきっかけに『ヒントでピント』復活特番が、4月と10月の番組改編期に放送されていただろう。
    • 仮に、その特番が放送されていた場合、司会はテレビ朝日のアナウンサーが担当して、土居は解答者としての出演というかたちになっていたと思われる。
  6. (史実どおりであれば)小林千登勢、中島梓の葬儀で、少なくとも司会を務めていた。
  7. 土井勝も健在だったら、現在でも混同する人が出ていた。
    • 同姓同名(漢字表記は異なるが)という縁で対談も実現していたかもしれない。
      • 土居の本名は平川巌彦なのだが。

な行[編集]

中村昭治(テレビ朝日→テレビ金沢)[編集]

  1. キー局を退職したアナウンサーがアナウンサーを続ける手段として地方局への移籍が史実より盛んになっていたかもしれない。
  2. 大鳴戸親方の断髪式の取材を予定通り行っていた。
  3. テレビ金沢が日テレ系列ということで24時間テレビにリポーターとして出演していた。

成田敦子(文化放送→フリー)[編集]

  1. 癌自体がなかったら、文化放送に定年まで残り続けていた。
    • もしくは55歳で早期退職して参議院議員になっていたかもしれない。
  2. 「チーちゃんごめんね」は存在しなかった。
  3. 「ママさんアナウンサー」の先駆けになっていた。
  4. 落合恵子の人気を奪っていたかもしれない。

沼川浩子(くまもと県民テレビ)[編集]

KKTを退社する3日前に実家の火災に巻き込まれて亡くなった沼川だが、仮にこの火災に巻き込まれていなかったor巻き込まれていたとしても奇跡的に生還し、一命を取り留めていたら・・・・・・。

  1. 父・沼川洋一の後継者として政界入り。
    • ひょっとしたら、第2次安倍内閣で閣僚入りしてたかも(第46回衆議院選で沼川が当選していたらの話だが)。
  2. (史実で死亡の原因となった)実家の火災から生還できた場合、ドキュメント番組で取り上げられていた。
    • それでも、悲劇のアナウンサーの名は不動のものとなっていた。
      • もちろん、火災に巻き込まれていなかった場合は、円満にKKT退社。
    • ひょっとしたら、防災・危機管理ジャーナリストに転向してたかも。
      • その場合、防災関連の番組にコメンテーターとして出演していた。
  3. 松野明美や、こかどひろこから仕事をいくつか奪っていた。

ま行[編集]

松宮一彦(TBS→フリー)[編集]

  1. フリーアナとして大活躍。
    • 福澤朗や宮根誠司からキャスターの仕事を奪っていた。
      • 松宮さんはそこまで器用ではなかったね。
        • ご指摘ありがとうございます。
    • ナレーションの仕事が多くなっていた可能性も。
      • 赤平大や関口伸(ともに局アナ出身のナレーター)からナレーションの仕事を奪っていただろう。
    • 活躍の場をFMに移していると思う。
    • 音楽系のイベントの司会とかは独壇場でしょう。
  2. NEWS23のキャスターになってたかも。
  3. 仮にTBSを退社していなかった場合は、TBSテレビ・編成局アナウンス部長になってたかも。
    • あるいは、TBS R&Cに出向。
  4. 冬場はスキーで忙しいので仕事を減らす。
  5. 「明るい鉄道オヤジ」を公言していた。
  6. 『SURF&SNOW』は意地でも続けている。
    • 案外今だとポッドキャスト化してたかも。
  7. 「平成クイズ列車出発進行」とかやってそう。
  8. 鉄道博物館オープンの時には、セレモニーの司会か、ゲストに呼ばれていたかも知れない。
    • 東京駅の復原工事完成や、東急渋谷駅の地下移転などの時にもセレモニーの司会をしたかも。
  9. 2008年のJR西日本主催・「ありがとう新幹線0系」イベントの司会してただろう。
  10. 「ぶらり途中下車の旅」にしばしば出演し、阿藤快、車だん吉と並ぶ「ミスターぶらり旅」となっていた。
    • 「タモリ倶楽部」の鉄道関連の企画の常連になっていたかも。
    • TBSなら「そこが知りたい」の「通勤線途中下車の旅」じゃない?
    • 鉄道の日前後の週末に、松宮・堺(CX)・藤田大介(NTV)の3人によるイベントをやるとか?
  11. 近年のアイドルの曲やK‐POPについても、自分の基準に従って良し悪しをきちんと評価している。
    • 場合によっては、番組での発言が元でネットで非難されることがあったかもしれない。
  12. 鉄道の車内放送や駅の案内放送のアナウンスを担当している。
    • ただし、首都圏の民鉄のみ。JR東日本の新幹線を含む優等列車などのアナウンスは実史通りフジテレビの堺正幸アナウンサーの担当。
    • TBSの地元である赤坂を通る地下鉄千代田線の駅アナウンスをやるんじゃない。過去に(実史で)『ゆりかもめ』の駅アナウンスを期間限定ながらフジテレビの女子アナウンサーが担当した事があったから。
  13. BS朝日の「コサキンDEラ゛ジオ゛」に、定期的にゲスト出演している。
  14. BSやCSの鉄道関連の番組に盛んに出演している。
    • 出演だけでなく、自ら企画・構成を手がけた番組が放送されていたかもしれない。
      • TBS版「みんなの鉄道」?
    • 音楽よりも鉄道関連の活動が中心になり、鉄道ファン以外の子供や若者には「誰それ?」という存在だったかも。
    • 安住アナは史実より有名にならなかったかも

やらわ行[編集]

八木治郎[編集]

  1. 実史より長く、『いい朝8時』の司会を勤めていた。
    • 1986年9月に西川きよしと入れ替わる形で降板。
    • その分、『すてきな出逢い いい朝8時』として放送していた時期が3年5ヶ月短くなっていた(実史では1983年5月から)。
  2. 『野生の王国』のナレーターも、1990年9月の番組終了まで担当。
  3. 『噂の!東京マガジン』の司会者になってたかも。
  4. 小池清、野村啓史両アナの全国的知名度がやや下がっていたかも。
    • それを言うなら、野村『啓司』ですよ。

山川千秋[編集]

「FNNニュースレポート23:00」「~6:00」「FNNモーニングコール」などでキャスターを務め、露木茂、逸見政孝と並ぶ70年代後半~80年代フジテレビの顔でした。しかし病のため「モーニングコール」を降板して僅か半年後、55歳の若さで亡くなっています。もし彼が健在だったら…。

  1. 定年までフジテレビのキャスターを務め、退社後もフリーとして活躍。
    • 「ニュースJAPAN」または「スーパーニュース」でコメンテーターをしていただろう。
    • 木村太郎は、「NEWS COM」から引き続きFNN夜ニュースを担当。
  2. 逸見政孝の葬儀で弔辞を読んでいた。
    • 彼が闘病生活に入る前にもちろんエールを送っていた。
    • 逸見氏が123便事故で亡くなっていたら(搭乗予定だったが嫁の勧めで新幹線に変更)ありえた展開?
  3. 少なくとも報道局長に昇進していたかも。
    • あるいは、テレ東に移籍して、そこでキャスターをやっていた。
  4. フジテレビの役員に就いていた場合、ライブドアによる買収騒動ではホリエモンに論戦を挑んでいたかもしれない。
    • FNS加盟局の役員or社長に就任していた可能性もありえる。

山本琢也(TVQ九州放送→エフエム東京→テレビ熊本)[編集]

39歳という若さでクモ膜下出血に倒れた、山本琢也。仮にクモ膜下出血になっていなかったorなっていたとしても奇跡的に回復し、職場復帰が実現していたら・・・。

  1. いまもなお、テレビ熊本のアナウンサーとして活躍していた(他局に移籍していた可能性も考えられるが)。
    • 『TKUスーパーニュースぴゅあピュア』の6時台のキャスターになっていただろう。
    • テレビ宮崎の柳田哲志アナが生放送中に重症を負った(2008年6月14日)ときに、同じFNSの仲間として何らかのコメントをしていただろう。
  2. クモ膜下出血から生還できた場合、自らの闘病生活をつづった単行本を出していた。
  3. 2009年8月の横浜市長選に出馬していた。

山本真純(日本テレビ)[編集]

  1. 大杉君江の場合と同じく職場復帰を果たしていた。
  2. 『ボウリング革命 P★League』の実況に復帰。史実で今もリポーターをしている上田まりえの仕事を奪っていたかも。

米森麻美(日本テレビ→フリー)[編集]

  1. 1年限りとかで『DORA』の再結成コンサートを同じメンバーの永井美奈子や薮本雅子と共にしていた。

頼近美津子(NHK→フジテレビ→フリー)[編集]

  1. 史実よりさらに多くのクラシック番組やイベントで司会やナレーションをしていた。
  2. もし夫の鹿内春雄が死なず、かつフジサンケイグループの実権が鹿内家のままだったら、今もフジテレビの番組に多く出演している。あるいはアナに復帰しないままフジサンケイグループの経営にかかわっていた可能性も微レ存・・・・?
    • さらに結婚した時にフジテレビをやめていなければ今頃はフジのアナウンス部長になって今の日テレの木村優子みたいにお局化していたかも。



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