もしあの人が健在だったら/政治家

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首相[編集]

  • 新規追加は就任順にお願いします。
  • 昭和20年(1945年)以降に亡くなった人物のみにしてください。

広田弘毅[編集]

  1. 「東京裁判で処刑された悲劇の文官」と呼ばれることはなかった。
  2. 妻の自殺もなかったはず。
  3. 落日燃ゆが出版されることもなかった。

近衛文麿[編集]

  1. 下記の東条英機と同じく日本の首相経験者として最も長生きした人物となっていた。
  2. もしかしたら鳩山一郎の代わりに首相に就任してたかも
  3. 孫の総理就任を喜んだ。
    • 2014年の東京都知事選も孫を応援していた。
  4. 勿論、服毒自殺などしておらず、東京裁判でも処刑されていない。
  5. 孫の陶芸作品を大量購入していた。

東条英機[編集]

  1. 日本の首相経験者として最も長生きした人物となっていた(史実では東久邇宮稔彦王の102歳)。
    • 史実では1884年生まれ。2015年時点で131歳。
    • それどころか、世界一の長寿としてギネスに載っていた。
      • 流石にここまでのご高齢ではTV番組の生出演は厳しいが、戦後70年ということでインタビューや取材を多く受けていただろう。
  2. 自殺未遂の際に付けた傷を生涯ネタにしていた。
  3. 勿論、東京裁判では死刑になっていない。
    • 一定期間公職追放を受けた後、政界に復帰した。
  4. 全国にMOTTAINAIの精神を広め、日本のゴミ排出量は史実よりかなり減っていた。
  5. 孫娘の東條由布子氏が出しゃばることはなかった。
  6. やはりアメリカは大嫌いだ。
  7. 近衛文麿の孫「細川護熙」や岸信介の孫「安倍晋三」とはあまり仲が良くなかった。
    • 近衛は太平洋戦争開戦を決定付けた人物、岸は史実の東條内閣を内部崩壊させた人物。
    • ただし、安倍に関しては共通の思想から意気投合する可能性はある。
  8. 岩手に地盤を置く政治家として、鈴木善幸をライバル視していた。
  9. 東北新幹線盛岡まで引っ張ってきたのは東條英機。
  10. 東條は岩手で英雄視されていた。逆に米内光政は黒歴史。
  11. 同郷の小沢一郎を痛烈に批判していた。
  12. こういう人たちから崇拝される。だが東条本人はネット右翼をあまり快く思わないだろう。
  13. 同じ東北出身の軍人として、田母神俊雄を後輩としてかわいがっていた。
  14. 防衛大学校の校長に就任していた。
  15. 自叙伝「太平洋戦争回顧録」を出版し、印税収入で大儲けしていた。
  16. 太平洋戦争関連のドラマに本人役として出演していた。
    • TBSのドラマでビートたけしが東条英機を演じることはなかった。
  17. BSフジチャンネル桜で自身の冠番組が放送されていた。
  18. 自身の主張を産経新聞に執筆していた。
  19. 岩手県知事に就任していた。
  20. 河野談話や村山談話を痛烈に批判していた。
  21. 民主党政権を痛烈に批判していた。
  22. 小泉純一郎を対米従属として批判していた。
  23. クリーン政治家の代表として、田中角栄・竹下登・金丸信の金権政治を批判していた。
  24. 憲法9条はすでに廃止されていた。
  25. 領土問題(竹島・尖閣諸島・北方領土)はとっくに解決していた。
  26. 皇室を侮辱する奴は許さない。
  27. 「東条政経塾」という政経塾を開設していた。
  28. 核武装を唱えていた。
  29. 「海軍善玉論の嘘」という本を出版し、陸軍は悪くないと主張した。
    • この本のなかで山本五十六と米内光政を痛烈に批判していた。
  30. 田母神俊雄や石原慎太郎と定期的に議論していた。
  31. TPPに断固反対していた。
  32. 安倍首相の戦後70年談話を好意的に評価していた。
  33. 最近の嫌韓ブームに警鐘を鳴らしていた。
  34. 保守派論客として有名になっていた。
  35. 社民党日本共産党は破防法によって解体させられていた。
  36. はだしのゲンの皇室や戦前日本を侮辱する表現は強制的に修正。
    • 最悪、絶版になっていたかも。
  37. 男塾北斗の拳を愛読していた。
    • 漫画オタクとして麻生太郎と仲良くなっていた。

幣原喜重郎[編集]

  1. サンフランシスコ講和条約の発効により日本が独立を果たすと三菱系企業の株を買い占めた。
    • 幣原の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女であるため。
    • 勿論三菱系企業の株を買い占めた後はその株を妻の実家・岩崎家の人々に譲渡or安く売り渡していた。
  2. 大甥の古在由秀が東京天文台長に就任したことを喜んでいた。
    • 古在の母・澄江は幣原の兄・坦の次女。
    • 史実では古在が東京天文台長に就任したのが1981年。もし幣原がこの当時生きていたら109歳。泉重千代並みに長生きしていたら存命の可能性もある。
    • ただ東京天文台が名古屋大学空電研究所や文部省緯度観測所との統合により1988年に国立天文台が発足、この時古在は初代国立天文台長に就任したが、もし幣原がこの時まで生きていたら116歳になっていた。ここまでいくと存命の可能性は低い。
    • ましてや古在が文化功労者に選ばれた2009年まで生きていたら幣原は137歳になっている。もしこの時まで存命だったら世界一の長寿としてギネス世界記録(旧・ギネスブック)に登録されることになる。
  3. 義姉の曾孫・木内孝胤の衆議院議員選挙初当選を喜んでいた。
    • 木内の曾祖母・磯路は弥太郎の次女なので幣原の妻・雅子の異母姉にあたる。
    • だが木内の総選挙初当選は古在が文化功労者に選ばれた年である2009年。もしこの時まで(ry
  4. 憲法関連のインタビューを受けていた。

吉田茂[編集]

  1. 1970年の大阪万博の開会式に来賓として招待された。
  2. 1972年の沖縄返還を非常に喜んだ。
  3. 1968年の「明治百年」の式典に出席した。
  4. 孫の首相就任を喜んでいた。
    • ところが漢字の読み間違いが多い様子を見ると情けなくも思えてきた。
  5. 孫による代理戦争には苦笑い。
    • 政敵の孫「鳩山由紀夫」を目障りに思っていた。

芦田均[編集]

  1. 娘婿の大甥・小沢健二がフリッパーズ・ギターとしてデビューしたことをを喜んでいた。
    • 芦田の長女・ミヨはオザケンの大叔父・下河辺三史に嫁いだ。オザケンの母方の祖父・下河辺孫一は三史の兄。
    • もしフリッパーズ・ギターのデビュー時に芦田が存命なら102歳になっていた。なおオザケンのソロデビュー時に芦田が存命なら106歳になっていた。
    • フリッパーズ及びオザケンが渋谷系を代表するアーティストということで渋谷系アーティストの後見人的存在となった。

鳩山一郎[編集]

  1. 由紀夫の首相就任を後悔していた。
    • 邦夫のほうがマシだと思っていた。

石橋湛山[編集]

  1. 東洋経済新報社は史実より大きな会社になっていた。
  2. 母校の早稲田大学で定期的に講演を開いていた。

岸信介[編集]

  1. 孫の首相就任を喜んでいた。
    • 辞任の際は悲しんだ。
      • 再登板後は再び喜んだ。
  2. 山口を代表する政治家として、山陽新幹線の厚狭駅を開業させていた。

池田勇人[編集]

  1. 広島を代表する政治家として、山陽新幹線の新尾道駅と東広島駅を開業させていた。

佐藤栄作[編集]

  1. 上記の岸の場合と同様、安倍晋三の首相就任を喜んでいた。
    • 佐藤にとって安倍は大甥にあたる。
  2. 非核三原則の密約がバレて、ノーベル平和賞を剥奪されていた。
    • ノーベル賞剥奪はさすがに前例がないのでそこまではならないのでは。
  3. 現実以上に佐藤B作と混同されやすかったかも。

田中角栄[編集]

  1. ロッキード事件の裁判では最高裁でも有罪となった。
    • 仮に地裁、高裁判決が変わらずに、実刑判決が出たとしても、丸紅の檜山廣と同様に、その時点で77歳と高齢であり、執行停止になり収監されることはないだろう。
    • ほとぼりが覚めた時点で自民党に復帰する。
  2. 1994年に村山内閣で娘の田中真紀子の初入閣を喜んだ。
  3. 真紀子の暴走を止めることができ、秘書給与の問題で議員辞職することはなかった。
  4. 真紀子は自民党に残ったままだった。
  5. 北越急行を「北越新幹線」にしてしまい、犀潟以南金沢・大阪まで直通させている。北陸新幹線は長野どまりとなるが、直江津連絡の特急「みのり」が運行していた。
  6. なんとなく、2015年現在の安倍晋三政権には批判的なような気がする。
  7. 現実において2016年現在起きている「田中角栄ブーム」はあったのだろうか…。
  8. 上越新幹線にもグランクラスが連結されていた。
    • 実際、2019年3月から導入された。
  9. 小泉純一郎政権の構造改革を痛烈に批判していた。
  10. 民主党政権にも非常に批判的だった。
  11. 彼の物真似をする吉本芸人の島田一の介と対面したかも。

三木武夫[編集]

  1. リクルート事件で揺れる自民党内部を嘆いていた。
  2. 愛弟子の海部俊樹の首相就任を喜んだ。
    • ただ竹下派によって担がれたため「竹下派の傀儡政権にならないか?」と心配していた(史実の海部内閣は竹下派の傀儡政権だった)。
    • 海部が竹下派に引きずられないように海部同様三木の弟子でありながら三木直系であり竹下派とは対立関係にあった鯨岡兵輔と坂本三十次をお目付け役として海部内閣の官房長官に送り込んだ。
      • 史実では山下徳夫と森山眞弓が務めた第1次海部内閣の官房長官を鯨岡が務めた。第2次海部内閣の官房長官が坂本なのは史実通り。

福田赳夫[編集]

  1. 息子の首相就任を心から喜んだ。
    • だが辞任の際は情けなく思っていた。
  2. ライバルの娘である田中真紀子を目障りに思っていた。

大平正芳[編集]

  1. 初の衆参同日選挙で当時の主流派・反主流派が協力できず、自民党は両院で大敗していた。
    • 大平氏は責任を取ってその時点で辞任している。
    • ひょっとしたら社会党中心の非自民連立内閣が誕生していた。
      • しかし共産党は連立には参加しない。
        • 議席数次第では共産党と社会党左派(社会主義協会)が手を結び、政局の火種になるかも。その場合社会党は分裂の可能性もあろう。
      • おそらく飛鳥田一雄首相になっていたはず。
      • その後1983年の総選挙で社会党は惨敗し自民党が政権復帰、中曽根内閣に交代した。
    • 自民党政権が続いていても、後の鈴木、中曽根内閣は厳しい政権運営を強いられていたかもしれない。
      • 中曽根内閣はともかく、鈴木善幸内閣は誕生しなかった。恐らく宮澤喜一首相が史実より11年早く誕生した。
    • そもそも自民党が2つに分裂し、政界再編が史実よりずっと早く起こっていた。
      • だが主流派はともかく、反主流派が1枚岩になるのはイデオロギー上難しかった。
        • 福田派と中川グループは真正保守(タカ派)なのに対し三木派はリベラル(ハト派)なので。
          • 右派政権が誕生するか左派政権が誕生するかは三木新党にかかっていたかもしれない。
          • 三木新党は新自由クラブを吸収していた。
      • その場合バブル景気は起こらなかったかもしれない
  2. 1988年以降も生きていた場合、瀬戸大橋の開通を心から喜んでいた。
    • もちろん開通式にも呼ばれていた。
  3. 『タイムパトロール隊オタスケマン』のED「アーウー・オジャママン」も最終回までそのままだった。

鈴木善幸[編集]

  1. 東北新幹線新青森駅開業を大いに喜んでいた。
  2. 三陸を代表する政治家として「あまちゃん」にゲスト出演していた。

竹下登[編集]

  1. テレビで孫のDAIGOと共演していた。
    • 2015年8月の24時間テレビで、日本武道館に来るのか?
    • TBSテレビ「ひるおび!」で、共演かもしれない。(竹下は「政治関連のゲストコメンテーター」で、DAIGOは実史通りの出演。)
    • DAIGO以前に影木栄貴との共演も見られた。
  2. DAIGOと北川景子の結婚を心から喜んでいただろう。

宇野宗佑[編集]

  1. 滋賀を代表する政治家として、東海道新幹線南びわ湖駅の開業を成功させていた。
  2. ドナルド・トランプが大統領に就任した時に彼と自分自身をカードゲーム(Playing cardsとUNO)に例えてお祝いのコメントを述べていたに違いない。

宮沢喜一[編集]

  1. ハト派の重鎮として、日本の右傾化を憂いていた。
  2. 自身が首相のときに河野談話が発表されたことを後悔していた。
  3. 福山市を代表する政治家として「崖の上のポニョ」にゲスト出演していた。

橋本龍太郎[編集]

  1. 自身の経済政策の失敗を悔やんでいた。
  2. 2012年の自民党政権復帰時に安倍の代わりに再登板していた。
    • で、経世会政治の復活。報復として清和会の連中を抵抗勢力として失脚させていった。

小渕恵三[編集]

  1. 森喜朗が総理大臣になることはなかった。
    • 娘の小渕優子が衆議院議員に立候補することもなかった。
      • 未だにTBSでADをやっている?
        • プロデューサーあたりに昇進していたかも。
      • 2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣で、誰が経済産業大臣になったのだろうか?
      • 父が高齢になり政界引退すれば立候補もありえるだろう。
        • 多分中曽根家が強く立候補を主張し、小渕家は恵三氏を最後に政界から退いていたかも。
    • 北陸新幹線の建設が現実よりも遅れていたかも。
  2. 小泉内閣の発足は2~3年ほど遅れていた。
    • よって、2007年現在も小泉政権が続いている。
    • 小泉内閣誕生後も経世会は小渕を中心にして求心力を維持したので、抵抗勢力がより手強くなっていた。
      • 上とは矛盾するが、郵政民営化法案が否決されるどころか提出さえ行えず、早期に退陣している可能性も。
        • その場合、造反組が離党して国民新党新党日本が結成されることはなくなる。
        • 逆に小泉氏が自民党を離党して新党を旗揚げしているかも。
          • みんなの党や日本維新の会(のちの維新の党)の結党はなかった。橋下徹は小泉新党から出馬していた。
        • 2007年7月の参議院選挙で、自民党があれ程大敗しなかった。
      • むしろ2006年9月の「郵政解散」が無く、現状の衆議院の自民党の議席が今ほど無かった。
    • おそらく2003年頃まで総理を務め、任期満了で退陣し、小泉に後を引き継いでいた。
  3. 2000円札の登場を見届けていた。
    • もちろん沖縄サミットにも出席していた。
      • そうなれば、2008年7月に行われる北海道洞爺湖サミットのアドバイザーになっていた。
      • または、日本国内で行われたサミットを唯一経験した首相として(洞爺湖)サミット担当大臣に就任していたかも。
      • 沖縄県民からたくさん祝福された。
  4. 2008年9月に行われる自民党総裁選挙で誰を支持したか?
  5. 小渕氏は亡くなったために「いい人」扱いされているが、存命なら「凡人」扱いのまま。
    • その後の総理が森だったので比較として良く見られている面もあるので、その後が小渕より人気のある人物だった場合、なおのこと「どうでもよい人」扱い。
  6. 2008年以降、DAIGOと一緒にバラエティに出演してたりしてWISH!
  7. 格差・貧困問題は社会問題になるほど大きくはならなかった。
    • 派遣村が作られることはなかった。
      • 2009年時点では小泉内閣が続いており、史実通りの政権交代もなかった。
  8. 2019年現在も長生きしていたら、菅義偉が「令和おじさん」となった時に現実以上に「平成おじさん」としての彼(小渕氏)が引き合いに出された。
    • 改元前後あたりに菅氏との対談も見られたかも。
    • 2018年から19年4月の間には、平成の30年間を振り返る企画のテレビ番組にも「平成おじさん」として出演していた。

国会議員[編集]

浅沼稲次郎[編集]

  1. 自民党と社民党の二党政治になっていた。
  2. 岸信介と対立していた。
  3. 総理大臣に就任していたかも。
    • 社会党内の改革を進め、江田三郎を持ち上げていたかも
  4. 日本人初のピュリッツアー賞受賞者は、沢田教一だった。(史実では、この時の様子を撮影した、長尾靖[毎日新聞社カメラマン]が第一号である。)
  5. 「子供に刃物を持たせない運動」はなかった。
    • 流石に「キレる17歳」が社会問題になる頃にはその運動は活発化していたのではなかろうか。
関連項目

安倍寛[編集]

戦中に反戦を訴え、翼賛選挙に大政翼賛会の非推薦で当選した安倍寛。戦後も長生きしていたら。

  1. 1957年に総理大臣に就任していた。
    • 史実通り岸信介が総理に就任した場合、第二次岸内閣で官房長官、第二次岸改造内閣で防衛庁長官を務めていた(史実では赤城宗徳)。
  2. 晋太郎氏の結婚を大いに喜んでいた。
    • 孫を溺愛していた。
    • 溺愛する一方で、安倍家の跡取りとして厳しく接していた。
    • 岸信介同様、孫の晋三氏に多大なる影響を与えていた。
      • 晋三氏の政治姿勢がややハト派寄りになっていたか?
  3. 晋太郎氏は生前に総理大臣に就任していた。
    • 晋三氏は唯一の親子三代の総理大臣になった。
  4. 晋太郎氏の三男・信夫氏を岸家の養子に出す事に反対していた。
    • 信夫氏の名付け親になり、信夫氏は史実とは違う名前になっていた。

安倍晋太郎[編集]

  1. リクルート事件のほとぼりが冷めた頃、総理大臣に就任している。
    • あるいは河野洋平の後を受けて自民党総裁にのみ就任。村山内閣をバックアップしている。
      • 1996年の総選挙で晴れて総理大臣になっていた。橋本龍太郎は総理になれなかったかもしれない。
    • 1993年の第40回衆院選(嘘つき解散)にて宮澤喜一に代わり自民党総裁に。公明党と連立を組み史実より6年早く自公連立政権が誕生し、第79代内閣総理大臣に就任する。
      • 自公連立は安倍(岸)家が公明党の支持母体である創価学会と親密であったため実現した。
      • 浜田幸一(ハマコー)が悲願の初入閣を果たしている。
        • 安倍は生前、浜田に「俺が総理大臣にならない限り、お前は一生大臣にはなれない。」と冗談交じりに話していた。
        • しかし、案の上浜田は失言等数々の問題を起こし早々に辞任。
  2. 2007年現在の次男坊の姿を見て、情けなく感じているかもしれない。
    • 個人的にはまだ総理になってないような気がする。次男が総裁選に出馬したのは「チャンスをものに出来なかった父の姿を間近で見ていたから」らしいので。
    • 辞任に伴い「もういい!俺がなる!息子のケツは俺が拭く!」と言いだす。
    • 彼が健在だった場合、次男坊はすでに亡くなっているような気がします。
      • それは●したってこと?
  3. 2012年12月末に発足した、第2次安倍内閣をどう思ったか?
    • 表向きには厳しく評価するも、裏ではしっかりアドバイスはしてあげていたと思います。
    • おそらくこの時点で初めて晋三氏が首相になる。
    • 晋三氏が歴代最長の在任期間を更新した時にはお祝いのコメントを寄せた。
  4. 晋三氏は、父子二代、それも父親が存命中に就任した唯一の総理大臣になった。
  5. そもそも息子の晋三氏が内閣総理大臣に就任したかが正直疑問だったりする。
    • 自身が内閣総理大臣を経験してるのは確実視されてるだけに。
      • 史実では息子の晋三が制定し施行させた特定秘密保護法や安全保障法制を晋太郎氏自身が首相として制定させ施行させていた。

新井将敬[編集]

もし自殺しなかったら。

  1. 1998年2月に証券スキャンダルで収賄罪で逮捕される。
    • 本人は当然無罪を主張するが、最高裁まで争うものの結局有罪が確定する。
    • この間、選挙区の東京4区からは無所属で出るしかなかった。
      • 自民党公認候補は史実通り森田健作。
  2. ほとぼりが冷めた2012年の総選挙で日本維新の会から立候補したかもしれない。
    • あるいは、2012年12月or2014年2月の東京都知事選(前者は上記の第46回衆議院総選挙と同じ日に実施)に立候補していた。

荒船清十郎[編集]

  1. 運輸大臣時代に選挙区の深谷駅を急行列車停車駅にしたように、上越新幹線建設時に深谷駅を新幹線停車駅にした。
    • 「我田引鉄」とバッシングされたのはいうまでもない。
  2. 山口敏夫や枝野幸男といった他の埼玉県選出の大物政治家の存在感が史実より薄くなっていた。

石井紘基[編集]

2002年10月に刺殺され死亡しました。もし、この時刺殺されなかったら。

  1. 2009年の民主党政権で入閣していた。
  2. 参議院議員だった小宮山洋子が石井の後を継いで補選で当選し、衆議院に鞍替えしたが、参議院議員を続けるか、他の選挙区から衆議院選に立候補する。
  3. 2012年の総選挙でも当選した場合、選挙後の民主党代表選に立候補する。
  4. 民主党政権での事業仕分けを蓮舫とともにその中心となっていた。

江崎真澄[編集]

  1. 流石に史実と同じ1993年に政界を引退していただろう。政界引退時既に78歳だったので(その年齢以上議員を続けていたら「老害」といわれていた筈)。
  2. 8つの派閥を渡り歩いた政治家ということで、2つの派閥を渡り歩いた乃木坂46のメンバー・鈴木絢音とバラエティ番組で共演する。
    • 江崎は広川派→緒方派→砂田グループ→岸派→藤山派→水田派→田中派→二階堂グループに所属(所属政党は日本自由党→民主自由党→自由党→自由民主党)。鈴木は生駒派→真夏軍団に所属。

大麻唯男[編集]

  1. 旧立憲民政党右派の大物政治家として自ら率いる派閥の大麻派を大派閥にしていた。
    • 勿論大麻派が岸派に吸収合併されることなどない(史実では大麻の死後大麻派は岸派に吸収合併された)。
    • 戦前の民政党は三菱財閥と密接な関係にあったため、戦後派の政治家では三菱系企業OBの政治家や岩崎家と血縁・姻戚関係を持つ政治家が大麻派入りしていた。
      • 岩崎弥太郎の玄孫にあたる木内孝胤(史実では民主党→日本未来の党→生活の党→維新の党)も大麻派の流れを汲む派閥に属する自民党の政治家として政界入りした。
  2. もし泉重千代並みに長生きしていたら自分の子分の息子である小泉純一郎の首相就任を喜んでいた。
    • 小泉純一郎の父・純也は大麻の子分だったため。純也は戦前は民政党に所属、戦後は改進党→日本民主党を経て自民党大麻派に所属。史実では大麻の死後純也は岸派→藤山派に所属。
    • ちなみに第1次小泉内閣発足時大麻が生きていたら112歳。ここまで生きていた可能性は低いが泉重千代の没年よりは8歳若い。

五島慶太[編集]

  1. 西武の堤康次郎氏も健在だったら、伊豆と箱根山において、激しい縄張り争いを繰り広げていた。
    • 伊豆急行の開通式に立ち会っていた。
  2. 東映が東急グループを離脱することはなかった。
    • 大川博はどこかの段階で経営から追われていた。
    • 五島昇も比較的早期に経営の表舞台を退いた。
    • 岡田茂が後継者になっていた。
  3. 20世紀末以降の東急グループの経営縮小もなかった。
  4. フライヤーズは売却されていない。
    • 電鉄所有に戻ってる可能性も高い。
      • もしそうなっていた場合は西武ライオンズ発足以降は西武との試合が新たな伝統の一戦になっている。

小林一三[編集]

  1. 東宝の会長を務めていた。
  2. 阪急が新大阪駅周辺の開発に加わり、新大阪線を開業させていたかもしれない。
  3. 1967年でも健在だったら、阪急ブレーブスの初優勝を見届けていた。
  4. 阪急ブレーブスがオリエント・リースに売却されることはなかった。
    • 近鉄バファローズを吸収合併することもなかった。
    • 球界拡張がない限り、東北楽天ゴールデンイーグルスは誕生しなかった。
    • 西宮球場から神戸への移転もなかった。
      • 移転するとしても京都(西京極)あたりかも。
  5. 自由民主党から政界に復帰している。
  6. 阪神との経営統合もなさそう。

沢たまき[編集]

  1. 現在も国会議員だった場合、公明党の党首になってたかも。
    • いまごろ(2009年6月)は、次期衆議院選のことで躍起になっていただろう。
  2. ひょっとしたら、国会議員を引退して女優に復帰してたかも。
    • その場合、連続テレビ小説『つばさ』で玉木千代役を演じていた(史実では吉行和子)。

田村秀昭[編集]

  1. 田母神俊雄の論文事件になんらかのコメントをしていただろう。

辻政信[編集]

  1. 現在も国会議員だった場合間違いなく最高齢。
  2. 史実では、岸批判の後に自民党を除名されて参議院議員になっているがおそらくほとぼりが冷めたのを見計らって再び衆議院議員になっていただろう。
  3. たびたび過激な発言をしてお茶の間をにぎわせていたかも
  4. 何かの間違いで首相になっていたら国内外から批判されたかも

堤康次郎[編集]

  1. 1964年に開催された東京オリンピックを観戦していた。
  2. 彼の後押しがあって、1972年に西武鉄道が西鉄ライオンズを買収していたかもしれない。
    • 西武ライオンズの初の優勝は1978年辺りになっていた。
    • 鬼頭政一の監督就任はなかった。
  3. 子供の堤清二と堤義明の対立はそれほど深くならなかった。
    • セゾングループも存在しなかったかも。
      • 西武の鉄道と流通の分裂はなかった。
  4. 堤清二が小説家としてデビューしていない可能性もある。
  5. 堤義明が証券取引法に違反することはなかった。
    • プリンスホテルの経営縮小はなかった
    • 史実の30000系は登場しなかった。
      • 史実の40000系が30000系を名乗る、但し20000系ベースのデザイン。
    • 001系は登場しなかった。
  6. 西武グループが大洋球団に出資することはなかった。

土井たか子[編集]

  1. 安保法案に反対していた。
  2. 社民党がひどく衰退することはなかった。

中川一郎[編集]

  1. 長男・昭一の政界転向はなかった。
    • 仮にあったとしても、一郎氏の政界引退後。
  2. 悲願の首相の座を手にしていた(政界の惑星で終わっていた可能性も否定できないが)。

中川昭一[編集]

  1. もし中川昭一が2009年の総選挙で当選していたらである。
  2. 今津寛の衆議院議員復帰はなかった。
  3. 郁子夫人が自民党衆議院北海道11選挙区支部の支部長に就任することはなかった。
    • 勿論夫に代わって議員になることもなかった。
  4. 第二次安倍内閣で財務大臣に復帰。
    • 麻生太郎は外務大臣にスライド、そして岸田文雄は入閣してなかった。
      • 党幹事長か経産大臣だったかも。
        • 2009年に落選していなければ、安倍さんではなく、中川さんが総裁→総理になっていた。
    • 落選したが生存していたルートだった場合、2010年に町村氏が補選に出馬していた段階で繰上当選になっていた。

浜田幸一[編集]

  1. 現在もビートたけしのTVタックルに出演。
    • 2013年1000回突破&25年目突入3時間SPにも出演。
  2. 2012年12月16日猪瀬直樹が東京都知事就任にメスを入れていた。
  3. ↑の直後に発足した第2次安倍内閣にも何らかの提言・苦言を言ってたかも。
  4. 都議会での女性議員に対する野次事件について何か一言言っていた。
    • ハマコーは「女性議員に対して野次らない」というのが信条だったため。
  5. 「日本にカジノができたら行きますか?」と記者に聞かれる。

松岡利勝[編集]

  1. とりあえず、農水大臣の職は退いていた。
    • 後任は史実通り、赤城徳彦。
  2. 安倍内閣はもう少し長持ちしてたかも。
  3. 2009年の衆院選では出馬していなかったか、出馬しても落選していたと思われる。
    • いずれにせよ、政界は引退していただろう。

三塚博[編集]

  1. 派閥の後輩である安倍総理のご意見番的存在になっていた。
  2. 2003年に引退していなければ、総選挙後に衆議院議長になっていた(史実は河野洋平)。

山村新治郎(11代目)[編集]

1970年のよど号ハイジャック事件で人質の身代わりとなって有名になったものの、1992年に帰省していた佐原市(現香取市)の自宅で精神疾患を患っていた次女に刺されて亡くなった議員ですが、もしこの事件がなかったか、あっても奇跡的に一命をとりとめたら?

  1. 香取市から選出の議員が現在でも続いている。
  2. 地元は今も市長選が荒れていた。
  3. 2006年の香取市発足に関して、何らか関わっていた。
    • 下手すると合併そのものが無かったか、違う形になっていたかも。
  4. 遅くとも、2000年代に入る前後には政界を引退していただろう。
  5. 史実で死亡の原因となった事件から生還できた場合、ドキュメント番組で取り上げられていた。
  6. 『時事放談』に、最低1回はゲスト出演していた。

渡辺美智雄[編集]

  1. 自民党総裁選に立候補し続ける。
  2. 渡辺派の分裂もなかった。
  3. 息子喜美の自民党離党を引き止めていた。
    • 当然、2014年3月に発覚した某化粧品会社社長からの献金問題も無かった。
      • 2014年12月の衆議院選で父の代からの議席を失うことも無かっただろう。
  4. 1999年のサッチーミッチー騒動でコメントを求められた。
    • 愛称が浅香光代と同じ「ミッチー」のため。

知事・市町村長・地方議員[編集]

伊藤一長[編集]

選挙期間中に暴漢から銃撃され四選を断たれてしまった伊藤一長長崎市長。伊藤市長がもし銃撃されていなかったら……

  1. もちろん長崎市長四選していた。
  2. 次期衆院選に出馬していた。
    • あるいは2010年の長崎県知事選挙に立候補していた。
      • 仮に知事となっていた場合、宮崎県の東国原英夫知事と対立してたかも。
      • 大仁田よりはマシだろ。
      • 多分、国会議員になったら、2013年12月にあの悪法を強行成立させた某巨大与党ではなく、平和について真面目に考える政党に入るでしょうね。
  3. 実史通り撃たれても生存していたら更に平和を訴えている
  4. 助かって無事当選した所で、しばらく執務は困難だったと思われる。
    • 上のコメントに同感。最悪の場合、任期満了を待たずに市長辞任→出直し市長選という展開になっていたかも。
      • 辞任のタイミングによっては、第45回衆議院総選挙or2010年長崎県知事選とのダブル選挙になっていただろう。

仲谷義明[編集]

  1. ≒もし名古屋が1988年夏のオリンピック招致に成功していたらである。
    • 仲谷が自殺した際に『名古屋オリンピック誘致失敗が自殺の原因になったのではないか』という推測があったため。
  2. 大阪が2008年夏のオリンピック招致に失敗した際に、コメントを寄せていた。
    • 東京の2016年夏期五輪招致失敗でも同様かも…。
      • 東京が2020年夏のオリンピック開催地に決まった際には、心から喜んでいただろう。
  3. 2005年の愛知万博実現を心から喜んでいただろう。

松本清[編集]

マツモトキヨシの創業者としてだけではなく、すぐやる課などのアイディアを駆使した名物市長として松戸を一躍発展させましたが、二期目半ばにして病気のため夭逝なされました。 もし病死することがなかったとしたらどうなっていたでしょうか?

  1. 市長を二期務めた後自民党より国政に進出。晩年は総理の座にも座っていた。
  2. もしくは千葉県知事になり、名物知事として有名になっていた。
    • 知事としての初仕事は「全市町村役場は<すぐやる課>設置せよ」。
    • (実史の森田健作知事が授与した)2013年5月末の長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督の千葉県民栄誉賞はどうなっただろうか?



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