もしあの人が健在だったら/歌手

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独立項目[編集]

男性[編集]

忌野清志郎[編集]

  1. おそらく数回はアースマラソンに挑戦中の間寛平の応援に駆けつけていた。
    • 自身もがんを克服していた場合、前立腺がんが見つかった寛平ちゃんを何度も励ましていたに違いない。
      • 治療のために渡米するという知らせを聞き、自らもアメリカに駆けつけている。
    • 応援ソングの「RUN寛平RUN」と「走れ何処までも」をカメラの前で披露する機会もあったかも。
    • 当然、ゴールの瞬間にも立ち会っていた。
  2. あの「雨上がりの夜空に」がこれほどNHKでかかることもなかった。
    • ハウスカレーのCMに「Baby#1」が使用されることもなかった。
  3. 2011年には無事還暦を迎え、赤いちゃんちゃんこを着てライブを行っているに違いない。
    • もちろんステージ上で「愛し合ってるか~い!」。
    • そのライブは60歳の誕生日となる2011年4月2日に予定されていただろう。
      • しかし震災の発生により開催日が変更され、内容も本人の意思で急遽チャリティライブに変更されていた。
        • もちろん興行収入は全て義援金として寄付されていた。
  4. 「Baby#1」は新規録音されてシングルで発売されていた。
  5. 「Oh!Radio」はリリースされなかったかも知れない。
    • FM802ではRADIO SOUL 20版のみがオンエアされていたかも。
  6. 加藤清史郎との競演も実現した
  7. 泉谷しげると一緒に地デジとダビング10に喧嘩を売っていたかも。
  8. 母校である都立日野高校の文化祭で同窓会主催の催し物に絵画出す等、参画してたはず。
    • ライブの際、現役生司会者が「俺たち日野高生の誇り!最強OB!忌野清志郎!!」と絶叫するだろう。
  9. 斉藤和義の「ずっと好きだった」の替え歌「ずっとウソだった」の替え歌に賛同しているはず。

大塚博堂[編集]

  1. 「本当の大人の恋愛を歌える吟遊詩人」として、その後もコンスタントな人気を維持。
    • おそらく1980年代以降の音楽シーンが著しく変わっていた。
    • シンガーソングライターとしてだけでなく、他者への楽曲提供活動も積極的にこなしている。
  2. 50代中盤に差し掛かった頃から、『おもいっきりテレビ』あたりにコメンテーターとして出演しているかも。
  3. ひょっとしたら、本当に「ダスティン・ホフマン」になれていたかもしれない
  4. 親友である、江本孟紀(元プロ野球選手)とデュエットしていた。(実際、死の数年前から計画されていた)

河島英五[編集]

  1. 「復興の詩」コンサートを自らの手で完結させていた。
    • 完結後も形を変えて継続していたかもしれない。
    • 新潟県中部地震や東日本大震災の際にも精力的に支援した。
      • 中越地震ね。
  2. 息子の翔馬が20歳になった時に「野風僧」の歌のとおりに酒を酌み交わしていた。
  3. 堀内孝雄が紅白歌合戦で涙ながらに歌うことはなかった。
  4. 新曲の中で孫とリアルで共演していたかもしれない。
  5. 大阪環状線桃谷駅の駅メロに「酒と泪と男と女」が選ばれなかった。あるいは史実通り選ばれたとしたら彼が何かしらコメントをしていたかも。

黒沢健一[編集]

2016年に急逝し、1997年が最後のステージとなってしまったL⇔Rの中心人物。

  1. 時代の流れに乗ってL⇔Rの再結成は亡くなる史実の1〜2年後あり得たかもしれない。弟とは共演したのに

桑名正博[編集]

  1. 脳幹出血から奇跡の復活を果たしている場合は、脳疾患予防の啓発広告や医療保険のCMに出演したかもしれない。
  2. 社会貢献活動を続けており、悪友・やしきたかじんの「OSAKAあかるクラブ」にも協力していた。
    • 活動の流れから親交のあるミュージシャンを集めてロックフェスを主催していた。

高橋ひろ[編集]

  1. 現在もアニメソング(主にポニーキャニオン関連のアニメ)への楽曲提供を積極的にこなしていた。
  2. アニメ・特撮関係のイベントやコンサートにも多く出演していた。
    • 幽☆遊☆白書のエンディング「アンバランスなKissをして」および「太陽がまた輝くとき」の歌唱をしていた。

立川清登[編集]

バリトン歌手の立川清登(立川澄人)が健在だったら。

  1. 『すてきな出逢い いい朝8時』の司会をもっと長く続けていた。
    • 同時期に出演していたNHK教育の学校放送「うたって・ゴー」も放送終了まで出演し、史実より幅広い世代に「たちかわのおじさん」として知られていた。
  2. 2002年、平井堅の歌で「大きな古時計」がリバイバルヒットした際に、平井との共演という形でNHK紅白歌合戦に復帰出場していた。
    • 75歳でのNHK紅白歌合戦出場となり、藤山一郎に次いで、史上2番目の高齢での歌手としての紅白出場者となった。
      • バリトンボイスは健在で、そこらの歌手を凌駕してハズ。
  3. 2003年、2005年、2008年のプロ野球シーズン中には何かにつけて「阪神タイガースの歌(六甲颪)」を歌っていた。
    • 史実でも、亡くなった1985年には、阪神の優勝色が濃くなるに連れて毎週のごとく『いい朝8時』の冒頭で「六甲颪」を歌っていたので。
      • ちなみに立川氏バージョン(初版1980年)から「六甲颪」は公式に球団歌と認定された。
        • 球場に流れる「六甲おろし」も立川氏バージョン。
        • 唐渡吉則バージョンは現実ほどメジャーにならなかっただろう。
    • 例の「33-4」や「Vやねん!」に関して何らかのコメントをしていただろう。
  4. 『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員を最終回まで勤めていた。

出門英[編集]

  1. 「ヒデとロザンナ」としての活動や楽曲提供などを引き続き精力的に行っているだろう。
    • ロザンナと共に本格的な歌手活動を再開し、紅白歌合戦(史実では1970,71年に出場)にも数十年ぶりに出場したかもしれない。
  2. 次男の暴走も止めていたはず。
    • 同じ様な経験を持つ三田佳子に妻のロザンナと共に相談に行っていた。
  3. 「必殺仕事人2009」に悪役として出演していた。
  4. デーモン小暮とコラボしていた。

中川勝彦[編集]

参照:wikipedia:ja:中川勝彦

  1. 歌手・俳優活動よりも、「しょこたんパパ」としてタレント活動のほうが多くなっている。
    • リアル関根勤親子・リアル横峯親子のごとく、親子共演を実現させている。
    • 本人も奇抜な言動であったが、それ以上に娘に振り回される。
    • 『スーパーロボット対戦』シリーズへの『超力ロボ ガラット』参戦が実現。本人がCVで出演するのはもちろん、CMには娘がヴァルシオーネRのコスプレで出演。
    • 娘が芸能界入りする理由が別のものになっていた。
      • 場合によっては「親の七光り」にしかならない可能性もあった。
    • 現実以上に2世タレントのイメージが強くなっていた。
  2. 本人の一人称「ワシ」がこの方々の間で再ブレーク。
    • 麻生太郎氏と並び、上記の方々に崇拝されている。
  3. 娘に負けず、ネット上で「かっちゃん☆ぶろぐ」を運営している。
  4. ミュージシャン活動ではコンスタントにシングル・アルバムを発表。
    • さらにはプロデュース業にも進出。まずは娘のプロデュースから始め、後は新人歌手のほか、声優・アニソン関係も多くなっている。
      • TBS土6→日5枠で最低1作品は主題歌もしくは挿入歌を歌っている。
        • 娘・翔子と共に「宇宙戦艦ヤマト2199」の主題歌メンバーに名を連ねていたかも。
      • 林原めぐみや水樹奈々等の声優がパーソナリティーを勤めるアニラジにゲストとして呼ばれていた。
  5. 参議院選挙に自民党から出馬。
  6. 娘のポケモンに対抗して、デジモンファンとして有名に。
    • その縁でこの人が歌う主題歌をプロデュース。
  7. 「ハイバーホビーPLUS」で水木しげるとの対談が実現。「水木先生の漫画を読まないと大人になれない」との持論を熱く展開。
    • 2008年の「ゲゲゲの鬼太郎」アニメ化40周年、2009年の水木しげる傘寿にも何らかの形で関わっている。
    • 2010年上半期のNHK朝のテレビ小説『ゲゲゲの女房』にも、何らかの役で出演している。
  8. 吉川晃司、福山雅治、及川光博、Gacktといった俳優としても活躍しているミュージシャンとドラマや映画乃至は楽曲で共演していた。
    • 2010年の大河ドラマ『龍馬伝』で桂小五郎(現実には演:谷原章介)あたりを演じていたかもしれない。
  9. 大河ドラマ、幕末ものの時代劇で新撰組局長近藤勇あるいは副長土方歳三を演じていた。
    • 生前年末年始の大型時代劇にて沖田総司を演じていたので可能性は高い。
  10. 本人を模したVOCALOIDが発売されていた。
  11. NHK紅白歌合戦に、娘の応援としてゲスト出演していた。
    • 娘の応援ゲストとしての出演が、紅白初出演でもあった。
  12. オタク系ミュージシャンつながりで西川貴教とアニメ・ゲーム主題歌でコラボしていた。
  13. ポケモンの映画で娘と何らかの形で共演が実現していたかも。
  14. 阪神・淡路大震災の復興支援イベントを何らかの形で行っている。
    • 東日本大震災が発生した時は、娘と共に何らかの形で復興支援イベントを行っていた。
関連項目

灰田勝彦[編集]

  • 「野球小僧」「鈴懸の径」「ジャワのマンゴ売り」「南海ホークスの歌」などを遺し、1982年に肝臓ガンで世を去った灰田勝彦。もし健在だったらどうなっていたか…。

ウィキペディアによる灰田勝彦

  1. 歌謡界が史実とは変わってたかも知れない。
    • 相当変わったと思う。
  2. 紅白歌合戦で北島三郎と大トリ争ったかも。
  3. 藤山一郎と並ぶ国民的歌手になってたかも知れない。
    • 夏の甲子園記念大会では藤山一郎:「栄冠は君に輝く」・灰田勝彦:「野球小僧」という豪華な揃い踏みがあると思う。
      • 野球好きの虫がうずき、「あれ?キャッチボールの相手いないの?じゃあ僕とやろうよ」と高校生相手にキャッチボールもしかねない…。
        • しかし、芸能人と高校球児の交流は禁じられているので、それは難しいというか、ありえないと思う。
      • ちなみに藤山氏と灰田氏は同級生でもある(お二人とも1911年生まれ)。
  4. 南海ホークスの身売りを見て、ショックを受けていた。が、後続球団の初めての日本一(1999年)には歓喜していただろう。
    • 後続球団の球団歌を歌う機会もあったに違いない。
    • 後続球団での南海復刻試合の時に灰田さん自ら球場で歌っているかも。
      • 自ら歌うことはなくても、再注目されるのは確かだろう。
  5. 「野球小僧」つながりで、小林克也&ザ・ナンバーワン・バンドとの共演が取り沙汰されていた。
    • 「野球小僧」ハワイアンバージョンなんて歌うかも。ハワイアン歌手でもあるので。
      • …つまり、「うわさのカム・トゥ・ハワイ」のデュエットもあり得るという事。
  6. 長年にわたって親交のあるディック・ミネと共に出身大学に建てられた「鈴懸の径」歌碑除幕式に出席し、合唱してるかも。
  7. 自身がエースを務める「灰田チーム」という草野球チームをクラブチームに昇華させて(その際に「チーム灰田」あたりに改名)都市対抗狙うかも。灰田氏の野球への情熱はハンパなかったそうだし…。
  8. 専属の日本ビクターにとって存在は大きかったに違いない。コニカミノルタの諸新製品のCMソングを歌ってた可能性もある。
    • 日本ビクターが、ほぼ毎年夏行う「ビクター・甲子園ポスター」キャンペーンにも参加するが、義務感の参加ではなく嬉々として自発的に参加するだろう。
  9. 父親が広島生まれだった関係で現代版「広島東洋カープを優勝させる会」の発起人の可能性もある。もちろん広島市民球場建設の樽募金にも参加。

樋口宗孝[編集]

もしあの人が健在だったら/音楽家#樋口宗孝

hide[編集]

  1. 公約通り、200X年にX JAPANが再結成されていた。
    • 再結成のライブには小泉氏も私人として駆けつけていた。
    • 本人の希望していた全米進出も果たしていた。
  2. アルバム『HURRY GO ROUND』や『Ja,Zoo』は自らの手で完成させていた。
    • 『HURRY GO ROUND』はシングルです。
    • 「子ギャル(CO-GAL)」「ZOMBIE'S ROCK」も『Ja,Zoo』に収録されていた。
  3. DQNVIPカーを意味する2ch用語「hibe」(ひべ)は生まれなかった。→参考
  4. hydeと余計に混同されていた。
    • 某巨大掲示板と某Wiki百科辞典とそのパロディサイトでは、「hideの身長は156cm」が流行っていたかもしれない。
      • hideもhydeも本名が「秀人」だから余計紛らわしい。
    • サッカーの中田英寿の方と混同される可能性もあった。
    • 1世代上くらいの年配者にhideの事を説明すると、「ヒデとロザンナ」の方のヒデと混同される可能性もある。
  5. 98年の自殺者が急激に減る。
  6. Taijiの歯がぼろぼろのままになってた
    • Taijiも2011年に早世せずに済んでいたかも。
  7. トリビュートアルバム『SPIRITS』が発売されないので、GLAYはライブで「MISERY」を歌わないし、自身のシングルやアルバムに収録される事もない。
  8. RIZEがピンクスパイダーをカバーすることも無かった。
  9. 骨髄バンクのCMに出演し、ドナー登録への協力を呼びかけた。
    • 実史で生前に親交があった貴志真由子さんが2009年に他界した時は、哀悼の意を表していた。
  10. 2010年8月に発生したパチンコ台メーカー「SANKYO」での、諸問題が発生しなかった。
  11. 横須賀に「hideミュージアム」が出来る事もなかったであろう。
  12. 淫夢厨から「ひでしね」で風評被害を食らっていた(少なくとも「もう死んでる」と返されることはない)。

ヒデ夕樹[編集]

  1. かの有名な「この木なんの木」の再収録が行われていただろう。
    • 再ブレイクして史実以上に認知度は高まり、合唱の定番曲になっていただろう。
  2. ささきいさおや水木一郎らと同様に、頻繁にアニメ特撮関係のコンサートに出演していたに違いない。
    • ウルトラマンレオの2期のオープニングや東映版スパイダーマンのオープニング&エンディングなどの歌唱をしていた。
    • 「人造人間キカイダー」のオープニング&エンディングや、「快傑ライオン丸」のオープニングの「風よ光よ」もお忘れなく…。

藤原誠[編集]

参照:wikipedia:ja:藤原誠

  1. 『マクロスF』にも何らかの形で関わっていたかも。
  2. 懐かしアニメ関連の特番が組まれるたびに「マクロス」を歌っていたかも。

フランク永井[編集]

  1. 東日本大震災後には「東北音頭」を自ら歌ってリバイバルヒットさせた。
    • もちろん自殺未遂による脳への後遺症が残らなかったらというのが大前提となる。

三波春夫[編集]

  1. もし美空ひばりが健在だったらに書かれていることの8割方はひばりではなくこの人がやっている。
  2. ワールドカップ音頭とかなでしこジャパン音頭とか作られて歌っていたかも
  3. 愛知万博の際に「世界の国からこんにちは」の新バージョンを歌っていた。
    • 史実で愛知万博版の新バージョンを歌っていた三波豊和(三波春夫の長男)との父子デュエットが実現していたかも。
  4. 論客としての活動も増えていた。
  5. 新潟県中越地震発生時、何らかの形で復興支援を行っていた。
    • 東日本大震災発生時にも、何らかの形で復興支援を行っていた。
  6. 2020年夏季オリンピック東京開催決定を心から喜んでいただろう。
    • 決定時に東京五輪音頭の歌詞を一部変えた東京五輪音頭(仮)を歌って、後日「新・東京五輪音頭」発表したに違いない。
  7. 2014年にNHK紅白歌合戦に出場し、「東京五輪音頭」を歌っていた。
    • 91歳での紅白出場となり、出場歌手としては最高齢の紅白出演になっていた。
  8. 映画「20世紀少年」三部作で春波夫(三波がモチーフ)役を演じた古田新太と共演していた。

村下孝蔵[編集]

  1. 21世紀に入ってから2回位紅白歌合戦に出場していた。
    • 2000年代後半以後に、『SONGS』枠で出場していた可能性が高い。
  2. 現在でも地道なライブ活動を続けている。
  3. 時代の流れには勝てず、音楽番組よりも旅番組で見る回数が多くなったかも。
  4. 昭和の名曲特集などで初恋を歌いまくってる。
  5. 渋くて味のあるメロディーメーカーとなり素敵な青春ソングを作り続けている。
  6. あたたかい人柄を慕う人が多くて相談をよくもちかけられて忙しい日々を送る。
  7. 天才ギターリストとしてプロのギター指導に精を出す。
  8. ベンチャーズの一員となって超絶のギターテクを披露。全国で大ブレイクする。
  9. 地道に弾き語りを続け、アコーステイックサウンドの良さを普及し続けている。
  10. 「あなただけを」「また逢う時まで」「純情可憐」といった生前未発表曲に詩が付いていた。
  11. 「初恋リメイクバージョン」が作られる。
  12. 実娘と父娘デュオ結成。
  13. 「七夕コンサート2012」が渋谷公会堂で行われる。
  14. 中越地震や東日本大震災の後アコースティックギター弾き語りの復興支援チャリティーライブをやっている。メインの曲は「この国に生まれて良かった」。

やしきたかじん[編集]

  1. おそらく、レギュラー番組を引き続き担当。
    • 胸いっぱいでの『テレビ事業仕分け』の視聴率予想、出演者のギャラ予想・賞味期限へのいちゃもんは今も健在。
  2. 新しく歌を出していたかもしれない。
  3. あいかわらず、NHKの番組には出演しない。
  4. そして、ABCの番組にも出演しない。
  5. めちゃイケでは、年に1回だけゲスト出演。
  6. しゃべくり007にゲスト出演していた。
    • そこでのコーナーで『たかじんnoばぁ〜』が行われていた。
  7. 終盤の笑っていいともの『テレフォンショッキング』に約22年ぶりに出演していた。
    • 後番組の『バイキング』を見て「こんなんアカンわ!」と痛烈に批判していた。
  8. ライブも継続的に行う。
  9. 司会としてはあいかわらず、よくしゃべりまくる。
  10. 三番目の奥さんとの間に子どもが生まれていた可能性もある。
    • むしろ、再婚せずに独身を続けていたかも
  11. 北新地に銅像を建てる予定は無かった。
  12. 東京嫌いは相変わらずか?
  13. 大阪環状線大阪駅の駅メロに「やっぱ好きやねん」が選ばれた際に何かしらコメントをしていたかも。
    • 逆に選ばれなかった可能性もある。
  14. 百田尚樹の著書『殉愛』に関連した騒動は起きていない。
    • 百田氏についても面白い物語を生み出せるベストセラー作家として認識され続けている。
      • 但し歴史や時事に関わる事柄での事実誤認や、自らに批判的な人物・集団への人格攻撃やヘイトスピーチに捉えかねない発言に対しては批判やバッシングが起きていた。
  15. 2015年に行われた大阪都構想の住民投票では賛成多数で都構想が可決されていた可能性が高い(史実では僅差で否決)。
    • たかじん自身が橋下氏の意見に賛成していたと思われるので。
    • 何れにせよ、大阪府や大阪市の歴史は変わっていたかも。
  16. 2025年開催の大阪万博誘致にあたってはアンバサダーなんかも務めていた。
    • 2018年に開催が決定すると彼自身も大喜びしていただろう。
  17. あの発言の余波もあるのでAKB48ファンとの対立が続いていた。

女性[編集]

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江利チエミ[編集]

  1. 自らの波乱の人生を著書にしていたであろう。
  2. 歌手活動を休止して女優に専念していたであろう。
  3. 美空ひばりの葬儀で他の参列者とともに「川の流れのように」を歌っていた。
  4. フジテレビ「ボキャブラ天国」でネタにされていた。
  5. フジテレビ「ミュージックフェア」で尾崎豊と競演。伝説となる。
    • 美空ひばりも健在だった場合、同番組の節目の回で雪村いづみも加えた「三人娘」の共演が実現していた。
  6. 中島梓が「ヒントでピント」の女性軍キャプテンになることはなかった。
    • 1982年2月の急逝後に佐良直美が登板したものの自身のスキャンダルのため短期間で番組を降り、その後任として中島が起用されたため。
    • 1986年までキャプテンを務め、同年に史実通り山内美郷に交代。(交代時期は史実の7月と違い改編期の4月か10月)
  7. 80年代後半にはムーンライダーズ(かって「ウスクダラ」の幻の新録でバックを務め、「イスタンブール・マンボ」もカバーした)とのジョイントアルバムをリリース、テクノサウンドにも果敢に挑んでいた。
  8. 紅白歌合戦への出演は拒み続けている。
    • あるいは、第51回紅白歌合戦で32年ぶりのカムバック出場を果たしていた。
  9. 堀ちえみがデビューしたときにWりちえみとして脚光を浴びたかも
    • あるいは堀ちえみと混同されることが多くなっていた。
  10. ミュージカル界にも相変わらず精力的に出演を続ける。鳳蘭辺りが相当食われていたかも。
    • 『サンセット大通り』の日本初演が相当早まっていたかも知れない。
    • 平野綾をミュージカル女優に鍛え上げていたかもしれない。
  11. 実写映画版「サザエさん」にサザエ役で出演していた縁で原作者・長谷川町子の葬儀に参列していた。
    • 実写ドラマ版「サザエさん」(浅野温子版)にフネ役で出演、観月ありさ版では裏のおばあちゃんを演じていた。
    • 当然、実写映画版『サザエさん』で共演していたフネ役・清川虹子の葬儀にも参列していた。
  12. 高倉健の訃報にコメントをしていて、葬儀にも参列していた。
  13. 「はじめまして」のDVDBOXが発売され、副音声として息子を演じていた松田洋治、娘を演じていた二階堂千寿との対談が収録されていた。

岡崎律子[編集]

  1. 2007年現在も「メロキュア」は健在。
  2. アニソンや女性声優への楽曲提供も積極的にこなす。
    • 「ネギま!」辺りのキャラクターソングも手掛けているかも。
    • 確実に畑亜貴から仕事を何本か奪っていた。
  3. TVの軍艦島特集でリポーターとして出ていたかも。
  4. キングレコードの声優は今のように水樹奈々の一人勝ちになっていない。
    • それどころか、水樹に楽曲を何曲か提供していた。
  5. 当然現在でもアニラジにゲストで呼ばれていた。
  6. 「for RITZ」は自らの手で完成させていた。
  7. 東日本大震災発生時に復興支援を行っていたかも。
  8. ささきいさお、JAM Project、茅原実里、水樹奈々らと共に「宇宙戦艦ヤマト2199」の主題歌メンバーに名を連ねていた。
  9. Animelo Summer Liveに何度か出場していた。

河井英里[編集]

  1. 現在でもアニソンなどの楽曲提供も積極的に行っていた。
  2. アニラジにもゲストで呼ばれる可能性もあった。
  3. 声優の川上とも子が亡くなった際に何らかのコメントをしていた。

川村カオリ[編集]

  1. 山田邦子たちと一緒に乳がんの啓発活動を続けていた。
    • その関係で「スター混声合唱団」に入っていた。
  2. 同じ宗派を信仰している小説家の鹿島田真希が芥川賞を受賞した時、何らかの形でお祝いコメントを出していた。
  3. ロシア系ハーフであることを生かし、ロシア好きの上坂すみれと交流を深める。
  4. 2014年ソチ冬季五輪のイメージソングを(NHK又は民放各局のいづれかで)歌い、メインキャスターも務めていた。
    • 2018年ロシアワールドカップでも同様。

越路吹雪[編集]

  1. 1980年代以降も芸能活動を継続。
  2. 史実ではコーちゃんが亡くなった1980年に上演された宇野重吉演出の舞台『古風なコメディ』での演技が評価され、ミュージカル以外の舞台もこなす女優として評価されるようになる。
    • 舞台のみならず1960年代半ばまでは出演していた映画にも再び出演するようになり、さらにテレビドラマにも出演するようになる。
    • もし山口百恵が結婚後も芸能活動を続けていたら、コーちゃんと百恵ちゃんが舞台・映画・テレビドラマで親子役を演じていた。
    • どちらにせよ鳳蘭や前田美波里辺りは相当食われてただろうな。『サンセット大通り』の初演も相当早まっていたかも。
  3. 歌手としてはシャンソンや映画音楽のみならずロック・ポップス・ジャズ等も歌うようになり、ジャンルを超えた歌手として評価されるようになる。
    • やがては、アニソンにも進出するようになる。
      • アニソン関係の中でも特に後述する水樹奈々と親交を深める。
  4. 『ある愛の詩』を取り上げたアーティスト同士という縁から、ポール・モーリアとコラボレーションしていた。
    • ちなみにコーちゃんの歌った曲では他に『枯葉』『愛の讃歌』『雪が降る』等がモーリアも演奏している。
  5. 1986年にセリカのFF化に伴いセリカXXがセリカから独立してA70型スープラとなった時にスープラのCMに出演し、CMソングも歌った。
    • 1993年にスープラがフルモデルチェンジされて2代目のJZA80型になった時も初代から引き続きスープラのCMに出演し、CMソングも歌った。
  6. スピードスケート選手の清水宏保を可愛がっていた。
    • ちなみに史実では清水君が小学校に入学した年にコーちゃんは胃癌のため56歳の若さで亡くなった。
  7. 声優兼歌手の水樹奈々と歌番組で共演し、自身の「愛の讃歌」と水樹の「深愛」をデュエットしていた。
  8. 平原綾香と歌番組で共演して「Jupiter」をデュエットしていた。
  9. 後藤真希と歌番組で共演して「サン・トワ・マミー」をデュエットしていた。
  10. フュージョンバンドのT-SQUAREともコラボし、スクェアの『TRAVELERS』に歌詞を付けてカヴァーする一方、スクェアも『愛の讃歌』や『ある愛の詩』をインストでカヴァーした。
    • 『TRAVELERS』の作詞をするのは勿論岩谷時子。
  11. 先日亡くなった岩谷さんの葬儀にも参列した。
  12. 天海祐希が自身の役を演じたドラマにも、ラストシーン(現在の姿)で出演していた。

坂井泉水[編集]

  1. 現在もZARDのボーカルとして活躍していた。
    • 子宮頸癌も克服していだだろう。
  2. ひょっとしたら、結婚してたかも。
  3. 2007年大みそかの紅白歌合戦に特別出演することはなかった。
    • 現在も極端にマスコミ露出の少ない歌手となっていた。
      • むしろこれから増えていくと思われたが・・・。てな感じだが。
  4. 東日本大震災の発生以後には「負けないで」を自ら歌っていた。
    • 日テレ系「24時間テレビ」で、日曜夕方から夜に日本武道館で「負けないで」の生歌を披露したかな?
    • それがきっかけで2011年の紅白歌合戦に初出場していたかも。
      • 被災地からの生中継という形になっていたかもしれない。
  5. 窪塚洋介の転落事故と比べられることはなかった。
  6. 2011年以降開催されている「大阪マラソン」の際にシークレットゲストとして登場。24時間テレビにならって、インテックス大阪から、先頭のランナーの到着(寸前)の際、そのタイミングにあわせて「負けないで」を生で歌ってた。

SACHIKO(DOUBLE)[編集]

くも膜下出血により25歳の若さで急逝した姉妹デュオDOUBLEの姉SACHIKO。その彼女が、もし21世紀以降も健在だったら。

  1. 2007年現在も2人で活動を継続。
    • 7枚目のシングルは『ANGEL』ではなくなっている。
    • m-floや久保田利伸、平井堅等とのコラボレーションも2人で参加。
  2. 2人のソロ活動はグループ活動がひと段落した合間に行われている。

テレサ・テン[編集]

  • 本人は台湾出身ですが、日本の歌手扱いとしてこちらに入れておきます。
  1. 1995年に幻のシングル曲『泣かないで』が予定通りリリースされていた。
  2. その後のシングル数枚で日本有線大賞を取り、自身の記録を更新していた。
  3. 香港マカオ本土復帰を複雑な思いで見つめていた。
    • 中国共産党による言論統制の強化により足を運ぶこと自体だんだん減っていった。
  4. 幾度か「HEY!HEY!HEY!」や「うたばん」などに出演していた。
    • 紅白歌合戦にもあと1,2回は出ていた。
    • 日本アジア航空のCMキャラクターにも起用されていたかもしれない。
  5. この人の葬儀にも真っ先に駆けつけている。
  6. 水樹奈々とコラボを行っていた。
    • テレサが「深愛」と「夢幻」をカバーしていた。
    • 松浦亜弥ともコラボをしていた。
    • 水樹の2013年11月の台湾公演にサプライズゲストとして登場していた。
  7. TVドラマ「テレサ・テン物語」の内容が変わったか、そのドラマ自体存在しなかった。
    • テレサ・テン役を務めた木村佳乃と対談していた。
  8. 中国本土でのコンサートも実現していた。
    • 2008年の北京オリンピックの開会式か閉会式に招待されていた可能性もある。
      • 後述のように中国共産党と距離を置くようになっていた場合その可能性はほぼなくなる。
  9. アメリカやヨーロッパでもデビュー。「アジアの歌姫」から「世界の歌姫」になっていた。
  10. 中国共産党政権との距離の取り方によりかなり運命が変わってくる。
    • 接近していれば天安門事件などへの言及はほぼ無くなっていた。
      • ジャッキー・チェンのように香港の若者には支持されなくなっていた恐れもある。
    • 接近していなければ今も中国民主化運動の強力なサポーターであり続けていた。
      • その反面大陸でまた歌が禁止されていたかもしれない。
        • 「鄧麗君」は「六四天安門事件」や「法輪功」のようにネットで検索できない単語に指定されていた。
    • 本人の出自(父親が国民党の軍人)を考えると恐らく後者の可能性のほうが高い。
  11. パリに居住し続けていたら2015年のパリ同時多発テロ事件の犠牲者を追悼する歌を出していた。

bice[編集]

  1. 2011年現在もシンガーソングライターとして活動を継続していた。

羽生未来[編集]

  1. 羽生未来は「ETV50 もう一度見たい教育テレビ フィナーレ」に出演していた。
  2. 「ワンワンパッコロ!キャラともワールド」にもゲスト出演し、「英語であそぼ」でお馴染みな英語の歌を歌っていた。
  3. 「英語であそぼ」の共演者だったグランパ・ジェリーことジェリー伊藤の訃報に悲しんでいた。

本田美奈子.[編集]

  1. 復帰会見後、まずはミュージカルの舞台へ帰ってくる。
  2. その後、過去に白血病を克服した渡辺謙に見出される。
    • 2人でACジャパンのCMに出演し、骨髄ドナー登録の協力を呼びかけている。
      • 「私も骨髄移植で血液型が変わったんですよ」と、十二代目市川團十郎との対談も実現。
    • やがてミュージカル女優から女優に本格転身。ハリウッドデビューを果たす。
      • やはり映画の中でも歌うシーンは存在。
      • 映画内の楽曲は元クイーンのブライアン・メイが担当。
  3. モノマネ番組で「1986年のマリリン」をご本人として20年ぶりに披露する。
  4. 「藤岡弘、」とこの手の芸名はどっちが先だ?とずっと議論のネタにされたと思う。
    • ちなみに、「藤岡弘、」→「モーニング娘。」→「本田美奈子.」の順である。
  5. 「ミス・サイゴン」のキム役(マルチキャスト)の内、ソニンか知念里奈のどちらかがキャスト落ちしていたと思う。
  6. 紅白歌合戦にミュージカル歌手として出場。
    • あるいはクラシックの歌手として出場。
      • いずれにしても、曲目は『アメイジング・グレイス』で決まり。
    • 2010年頃に念願の紅白初出場を果たしていたかもしれない。
  7. 朝霞駅前に本田美奈子.モニュメントはなかったかもしれない。
    • もしくは、朝霞市の方で何かしら表彰していた。その場合モニュメントは今と同じく朝霞駅前に存在している。
      • 朝霞警察署の一日署長は、お母さんではなくご本人が再び務めていただろう。
  8. 2009年11月6日放送のNHKの番組で取り上げられることもなかった。
  9. 秘密のケンミンSHOWに埼玉県(朝霞市)民代表として出演。
    • 「朝霞市の埼玉ケンミン」ね。
  10. 何らかのアニメの主題歌を手がけていた。
    • 劇場版「マルドゥック・スクランブル」の主題歌は史実通り担当していた。
      • そのイベントで林原めぐみと対談しており、林原と同世代の1967年生まれだけに親交を深めていった。
    • アニメロサマーライブにも出場していた。
    • ナージャのOPは黒歴史?
      • 『魔法騎士レイアース』『HUNTER×HUNTER(第一期)』のEDを忘れてはいけません。
      • さらにOVA『マドンナ 炎のティーチャー』の挿入歌も担当していました。
    • アニメ『WHITEALBUM』のイベントに出演し、緒方理奈役の水樹奈々と「1986年のマリリン」をデュエットした。
      • ミュージックフェアでも水樹と共演を果たしていた。
  11. 40代になる前後には誰かと無事結婚していただろう。
    • 親友である南野陽子の結婚式にも出席していた。
  12. 「1986年(生まれ)のマリリン」こと篠田麻里子との共演を果たしていた。

松野莉奈[編集]

  1. 私立恵比寿中学は現在も8人で活動をしていた。
  2. 私立恵比寿中学の平均身長が低くなることもなかった。
    • 目立つ存在が減ることはなかった。
  3. ソロ活動ではシシド・カフカの仕事をいくつも奪っていた。

村上幸子[編集]

  1. 紅白歌合戦への出場を果たしていた。
  2. 史実で自粛していた「不如帰(ほととぎす)」で再起をかけていた。
    • 瀬口侑希がカバーすることもなかった。
  3. 名前と出身地の縁で小林幸子とは何らかの形でコラボしていた。
    • 同じく村上市出身である原幹恵ともコラボしていたかも。
  4. 「秘密のケンミンショー」では新潟県代表の1人として出演していた。

毛利公子[編集]

  1. 無事に第一子を出産していた。
    • 第一子の名前は、自身が在籍していたSugarに因んで『徳本朱賀(しゅが)』としていただろう。
    • 二世タレントとして活躍していただろう。
      • 毛利が出産した第一子が、女の子かつAKB48のメンバーになっていた場合、倉持明日香の影が若干薄くなっていた。
  2. ひょっとしたら、Sugar再結成の話が出ていたかも。
    • 「婚カツ!」の主題歌はPUFFYのカバーではなく、リメイクされた「ウェディング・ベル2009」だったかも。
    • 阪神大震災や東日本大震災の復興支援ライブを開いていた。

関連項目[編集]




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