もしあの人が健在だったら/音楽家
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阿久悠[編集 | ソースを編集]
- 2007年の第49回日本レコード大賞で特別功労賞を受賞する事はなかった。
- 東日本大震災の復興支援ソングを作詞していた。
有澤孝紀[編集 | ソースを編集]
- 60歳となった現在でも、作曲家としての活動を続けていた。
- 数多くのアニメソングの作曲を手がけていたかもしれない。
- 『プリキュアシリーズ』にも、少なくとも1作は音楽を担当していた。
- 『セイバーズ』以降のデジモンシリーズでもBGMを担当していた。
- 『祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン』のBGMを担当していた。(補足:かつて初代、スーパービックリマンのBGMを担当していたため。)
石坂まさを[編集 | ソースを編集]
- 長嶋茂雄・松井秀喜への国民栄誉賞受賞の際に、何らかのコメントを発表していた(両氏の応援歌を手がけたことがあるため)。
いずみたく[編集 | ソースを編集]
- 今ごろ都知事に就任している。
- 21世紀に入ってもフジテレビの「新春かくし芸大会」に審査員として出ている。
- この映画の音楽を担当していた。
- 21世紀に入ってもやなせたかしとのコンビで新作の童謡を発表していた。
市川昭介[編集 | ソースを編集]
- 2007年末までに最低2人くらいは新人演歌歌手をデビューさせていた。
- 引き続き、のど自慢番組の審査員をいくつか務めている。
- 演歌に留まらず、時代の流れに合わせて『いなかっぺ大将』以来となるアニソンを手がけているかも。
乾裕樹[編集 | ソースを編集]
- 『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』以降のシリーズでも自ら新たな楽曲を提供していた。
井上大輔[編集 | ソースを編集]
- 引き続きゴスペラーズに楽曲を提供し続けている。
- ガンダムシリーズにも何らかの形で関わり続けていた。
- ジャッキー吉川とブルーコメッツの再結成に参加。
- 大輔繋がりで宮川大輔との共演が何らかの形で実現していたかも。
- Honda絡みのヒット曲をあと1曲は出していた。
- タカシマヤグループソングも2代目が作られていた。
猪俣公章[編集 | ソースを編集]
- おふくろさん騒動で仲裁に入っていたかもしれない。
- 弟子のマルシアは歌手活動に専念していた。
- バラエティ番組などでおバカキャラを露呈することもなかった。
上田現[編集 | ソースを編集]
- レピッシュの再結成時に正式メンバーとして復帰していた。
- 元ちとせのプロデュースを続けていた。
- さらに新人アーティストを何人かデビューさせていた。
大瀧詠一[編集 | ソースを編集]
- 「夢で逢えたら」の大滝詠一Varが世に出る事はなかった。
- 或いは70歳になった時(2018年)やソロ活動開始45周年(2016年)or50周年(2021年)のような、人生や音楽活動の節目となる年に公開されていたかも。
- 「大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝パート5」が放送されていた。
- 2015年にはっぴいえんどが再集結した際には、一日限りで歌手としてステージに立った。
大村雅朗[編集 | ソースを編集]
- 21世紀に入ってもアレンジャーとして高い手腕を発揮。
- Epic系に留まらず、avex系や一部Giza系のアーティストのアレンジもこなしている。
- 時代の流れには勝てず、2000年代中盤以降は声優やアニソンなどの分野にも進出している。
片山耕[編集 | ソースを編集]
サンリオピューロランドや『キティズパラダイス』などサンリオ関係の番組で活躍した。
- 『おねがいマイメロディ』や『ジュエルペット』にも関わっていた。
- たかはしごうはサンリオに関わることはなかった。
- 朝のサンリオの番組が今でも放送継続していた。
- ピューロランド25周年記念に新作ショーを制作した。(補足:ピューロランドでは『ひびけ!リズム王国』をはじめ様々なショーの制作も行っていたため。)
吉良知彦[編集 | ソースを編集]
- ZABADAKとしては尚精力的に活動。
- NHK Eテレにこの先も楽曲を提供していた。
- Sound Horizon、Kalafina、志方あきこあたりにも楽曲を提供。
佐久間正英[編集 | ソースを編集]
- 2014年7月の氷室京介のライブ活動無期限休止宣言になんらかの形でコメントしていた。
- 親戚の生田絵梨花と『FNS歌謡祭』で共演していた。
高橋幸宏[編集 | ソースを編集]
- 2023年2月までに病状が回復していた場合、YMOの結成45周年記念イベントが行われていた。
- 坂本龍一の病状も考慮するとオンラインイベントになっていた可能性も。
- 同年「高橋幸宏のオールナイトニッポン」が40周年記念として一夜限りで復活するかも。
- 2023年3月28日に坂本龍一が死去した際に高橋が存命だった場合、高橋幸宏が自身のTwitterかInstagramで灰色の画像を一枚だけ投稿して追悼した。
中里綴[編集 | ソースを編集]
- 58歳となった現在でも作詞家としての活動を続けていた。
- 1990年代に入ってからはアニソンの作詞も手がけていた。
- 阪神大震災や東日本大震災の復興支援ソングを作詞していた。
- 阿久悠やなかにし礼みたく、小説を書いていたかも。
- そして、最低1作品は映画化なりドラマ化なりされていた。
- ストーカー被害者の会を設けてストーカー問題は現実より早く一般社会に知られるようになる
- 史実ではストーカーと化した元・交際相手に命を絶たれたので
- その元・交際相手の運命も変わっていた(彼が事件を起こさなかったor起こしていたとしても未遂に終わっていたらの話だが)。
- 奇跡的に生還できた場合、『奇跡の生還! 九死に一生スペシャル→仰天真実…ザ・ミラクル』や『奇跡体験!アンビリーバボー』などで取り上げられていた。
- あのストーカー殺人事件に関しても何らかのコメントをしていた。
- 史実ではストーカーと化した元・交際相手に命を絶たれたので
- テレフォンショッキングに、最低1回は出演していた。
羽田健太郎[編集 | ソースを編集]
- 引き続き『題名のない音楽会21』の司会を続けている。
- 『マクロスF』にも何らかの形で関わっていたかも。
- 菅野よう子とのコラボレーションも実現。
- May'nや中島愛とのコラボも実現。
- マクロスから離れるが、『花は咲く』にピアニストとして参加、または自ら指揮していたのは間違いない。
- 菅野よう子とのコラボレーションも実現。
- 横浜市に本社があるシュウマイ「崎陽軒」のCMに今も出続けている。
- 『爆竜戦隊アバレンジャー』後も、少なくとも1作は戦隊シリーズの音楽を担当している。
- 平成仮面ライダーシリーズやウルトラシリーズにも登板。
- もういっそプリキュアシリーズにも進出してニチアサ完全制覇達成。
- やるとすれば時系列的に『ドキドキ』と『ハピネスチャージ』かな。そして『Goプリ』で弟子の高木洋に道を譲る形となる。
- 東京ヤクルトスワローズファンでもあるので、関連の楽曲を作曲・編曲している。
- 松嵜麗とも何らかの形で一緒に仕事をしていた可能性もある。
- スワらしい時間にも参加していた。
樋口宗孝[編集 | ソースを編集]
→もしあの人が健在だったら/歌手#もしあの人が健在だったら/歌手#樋口宗孝
日詰昭一郎[編集 | ソースを編集]
- 上記大村雅朗とともに健在だったら、今のJ-POP史は全く違っていたかもしれない。
- 2010年くらいまでに自身のプロデュースでビーイング系アーティストを複数組デビューさせていた。
- その内数組は『名探偵コナン』で主題歌に起用されていたはず。
- ビーイング系に止まらず、「ドクトル日詰」名義でTMファミリーとの共同制作も続けていた。
- 小室哲哉が詐欺容疑で逮捕された際には誰よりも嘆き悲しんでいた。
- または事件そのものが起きていなかった可能性も。
- 小室哲哉が詐欺容疑で逮捕された際には誰よりも嘆き悲しんでいた。
福田和禾子[編集 | ソースを編集]
- 今でも「おかあさんといっしょ」で歌われる子どもの歌を作曲していて、同番組の音楽スタッフの一員でもある。
黛敏郎[編集 | ソースを編集]
- 『題名のない音楽会』の司会を2000年頃まで続けていた。
- ジャイアント馬場の葬儀で「NTVスポーツのテーマ」の指揮をしていたかも。
- 作曲家としての活動だけではなく保守派文化人としての活動も続けていた。
- 但し三島由紀夫に通じる真の愛国者・民族主義者だったので(史実でも三島・黛両氏は親交があった)、ネット右翼には批判的な立場をとっていた。
- すぎやまこういち氏(保守派だが…)と、音楽ではなく政治的な意見の違いで激しく対立していたかもしれない。
- 但し三島由紀夫に通じる真の愛国者・民族主義者だったので(史実でも三島・黛両氏は親交があった)、ネット右翼には批判的な立場をとっていた。
宮川泰[編集 | ソースを編集]
- 引き続き日本テレビ系報道番組のテーマソングを手がけている。
- 息子に代わってNHK「クインテット」に出演していた。
- 当然ながら「宇宙戦艦ヤマト 復活編」、「キムタク版ヤマト」、「宇宙戦艦ヤマト2199」の音楽を続投。
- 更にこれら各作品では書き下ろし新曲を担当。
渡辺岳夫[編集 | ソースを編集]
- 現在でもアニソンを中心に、作曲を数多く手がけていた。
- 2008年の東京国際アニメフェアで第4回功労賞を受賞する事はなかった。
- 少なくとも1作は戦隊シリーズの音楽を担当していた。