もしあの人が角界入りしていたら
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あ行[編集 | ソースを編集]
青野文彦[編集 | ソースを編集]
北の湖親方がスカウトに来ていたとか。
- 三役までは行けただろう。
- おそらく日本出身力士最長身になっていた。
- 昭和20年代に身長214cm(青野:210cm)の不動岩という力士がいたのでそれはない。
- 四股名は「北石鎚」あたりか。
麻原彰晃[編集 | ソースを編集]
- 二子山部屋に入門していれば「若三杉彰晃」を襲名していただろう。
- 入門時期は史実でとある宗教家に「彰晃」の名を授けられた82年以前になるのでそれはないと思われる。
- 当然、オウム真理教がないため、地下鉄サリン事件などのオウム真理教事件はなかった。
- 宗教団体を始めるとしても神道系になっていた。
- あるいは右翼団体を立ち上げていた可能性もある。
- 片目が見えない力士として平成の双葉山と称された。
- 盲学校高等部時代に柔道二段を取得したこともあり本人の考え次第ではありえたかもしれない。
- ただし視力の問題で新弟子検査を通らなかった可能性も小さくない。
- だが「最多連勝記録を持つあの大横綱でさえ片目が見えなかった」と反論して新弟子検査を通っていたかも。
アンドレ・ザ・ジャイアント[編集 | ソースを編集]
- 最も身長の高い力士になっていた
- 年代(1946年生まれ)を考えると北玉や輪島のライバルになっていた
- 玉の海没後の1972年には複数回優勝し運が良ければ連続優勝を果たして横綱に昇進していた
- 史実ではこの年は年6場所とも優勝者の顔ぶれが異なった。
- その場合、戦後生まれ初の横綱は輪島ではなくアンドレになっていた
- 琴櫻は大関止まりで横綱に昇格できなかったかも
- 史実ではこの年は年6場所とも優勝者の顔ぶれが異なった。
石井慧[編集 | ソースを編集]
- 三役までスピード出世しそう。
- 相撲協会とのトラブルは避けられない。
- 朝青龍(現実でも親交あり)の各種問題に絡んでこちらも評判を落としていた。
- 日本以外の国籍を取得することなど考えなかった。
一ノ関史郎[編集 | ソースを編集]
- 伊勢ヶ濱部屋に入門し、同郷の清國や開隆山とともに幕内上位で活躍する。
- しかし岩手県出身と勘違いされる。
- 吊り技を得意とした。
- 明武谷・若浪・陸奥嵐との対戦が注目を集める。
- 角界屈指の能筆家として知られた。
逸見憲治[編集 | ソースを編集]
逸見政孝の実弟で元同志社大学相撲部員。輪島が学生横綱を決めた一番の対戦相手であった。
- 多分伊勢ノ海部屋に入門。
- 三役あたりまで順調に出世すれば「藤ノ川」を襲名できた。
- あまり早いと先代(森田武雄)と幕内在位が被るので難しいのでは。
- 琴藤沢(藤沢和穂)も佐渡ヶ嶽部屋ではなく伊勢ノ海部屋に入り、関取に昇進したかもしれない。
- 三役あたりまで順調に出世すれば「藤ノ川」を襲名できた。
- 豊山(長浜)広光同様、輪島の苦手になっていた。
- 断髪式がフジテレビで中継されるかも。
- その時は逸見政孝がTV中継か場内の司会を務めただろう。
- がんの発症で史実通りの時期に死去した場合、後年大翔鳳らと並んで語られる存在となる。
- 現在まで生きていたら、日本航空123便墜落事故の際に何らかのコメントをしていた。
- 逸見政孝が大相撲トーナメントの実況やリポーターを務めた。
- あるいは「本場所ではないとはいえ、身内贔屓と見られるから」と出演は控えたか。
イ・テヒョン[編集 | ソースを編集]
- シルム(韓国相撲)で優勝回数最多・最長連勝などを誇る歴代最強レベルの選手。
- 90年代半ばに入門していたか。
- 春日王が前頭上位までいっている前例をみるに、春日王よりかなり体格も才能も優れた彼なら大関は狙えたのではないか。
- 貴乃花・曙の休場増加から朝青龍の台頭までの権力空白期ならうまくいけば横綱昇進し一時代を築いた可能性も。
- 朝青龍や白鵬ほど突出した才能は残せないだろうが、それでも権力空白期とうまく重なれば初土俵から極めてハイスピードの優勝などもできただろう。
- 貴闘力の優勝はなかった。むしろイテヒョンの初優勝場所になっていたかも。
- 武蔵丸と若乃花は横綱になれなかった可能性も。
- さすがにこの時期には間に合わないだろう。出世スピード的に。むしろ全盛期はこの2人が横綱になったあとの00年ー02年だろう。
- 琴奨菊が達成した10年ぶりの日本出身力士の優勝は、10年どころか15年くらいぶりになっていたかもしれない。
- 30代になり史実でもシルムをやめた2000年代後半には引退しただろう。そのため角界のさまざまな不祥事には巻き込まれる前にやめていた。
- 親方になっていた場合、在日コリアンの力士を集めた可能性も。
- 時期的に李大源は春日野ではなくこちらの部屋に入門していた。
- その場合、唐突な引退はなかった。史実でも前頭筆頭まで行っているので、大関はまず無理だろうが関脇くらいなら経験できたかも。
- 2024年現在でも年寄り株が空くのを待って幕下で取り続けていた可能性がある。
- その場合、唐突な引退はなかった。史実でも前頭筆頭まで行っているので、大関はまず無理だろうが関脇くらいなら経験できたかも。
- 帰化をめぐってもめていたことも確実。親方になるのに帰化必要なルールや、現役中は帰化しても外国人枠から外れないルールについて史実以上に問題になっていただろう。
- 時期的に李大源は春日野ではなくこちらの部屋に入門していた。
- 成功していれば、韓国シルム出身の力士が増えていた。
- 四股名は本名の漢字表記から「太」がついていたか。
- もしくは名字の「李」をだじゃれで「翔李」とか。
- それに入門した部屋の漢字を組み合わせる。
- もしくは名字の「李」をだじゃれで「翔李」とか。
- 容姿も力士としては良い方だし、体格も極端なあんこ型肥満ではないが立派な体格で身長が高く筋肉質なので、結構人気が出ていた可能性もある。
- その場合、同時期に流行った冬ソナとかけたネタがスポーツ紙などで使われただろう。
- 日韓ワールドカップとかけたネタも使われる一方で、日韓ワールドカップの時の陰謀論と韓国ヘイトが相撲にも波及していた。
- その場合、同時期に流行った冬ソナとかけたネタがスポーツ紙などで使われただろう。
- アニメの録画ができなかったという「武蔵丸の悲劇」は、「イテヒョンの悲劇」になっていたかも。
- 「痛みに耐えて、よくがんばった。感動した」という名台詞はなかった。かわりにイテヒョンが横綱昇進を決める優勝をしていたかも。
- 貴乃花は20回優勝で終わっていた。
- むしろ靖国神社参拝による韓国との関係悪化をなんとかリカバリーするような発言をしていたかも。
- それでも朝青龍の台頭以降は存在感が落ちていただろう。
- 史実では当時ネトウヨに嫌われがちだった(現代ではTwitterでのひょうきんな言動で愛されているが)朝青龍だが、当時からネトウヨにも人気になっていた。
- 朝青龍の「キムチ野郎」発言は、史実以上に問題になっていた。(あれってデマだったのかな?)
- 史実では外国人横綱を嫌う人たちが朝青龍の品格を毎度問題視していたが、むしろネトウヨが朝青龍の品格をかばうようになっていた。
- それでも現役末期の朝青龍はバッシングにあっていただろう。史実でも白鵬の台頭初期は朝青龍より品格がいいと持ち上げられていたが、一強時代になってからはだんだん悪役扱いになっていったから。
- 史実では外国人横綱を嫌う人たちが朝青龍の品格を毎度問題視していたが、むしろネトウヨが朝青龍の品格をかばうようになっていた。
- 「つくる会」などの歴史修正主義グループに品格問題を提起されていたかも。
- 「嫌韓流」などの当時のヘイト本でもバッシングされていた。
- もしも小泉総理の靖国神社参拝の直後で関係悪化がひどい状態で横綱昇進、優勝を続けていた場合、千秋楽の君が代斉唱は、優勝力士が外国人力士だった場合、君が代の後に出身国の国歌もかかるように配慮されていたかも。
- そうなっていれば、その後の朝青龍白鵬の独走時代で相撲ファンがみんなモンゴル国歌を覚えて歌えるようになっていた。
井上一樹[編集 | ソースを編集]
- 井筒親方などとは親戚で、中学卒業後に角界に入ることが一時は決まっていた。
- 「何年かでやめてちゃんこ屋やってるかな」と現役引退後に本人が振り返っていたので、展開的にはそうなっていた可能性は高そう。
- 鶴嶺山の代わりに「相撲茶屋 寺尾」を経営していた。
- 真面目に取り組んでいたら、中日で18年選手をやっていた点からしてそれなりに長く現役をやっていただろう。
- 鶴ノ富士(福薗洋一郎)のように幕下の主になっていたかもしれない。
- 非技での勝利も一回はあったはず。
- 鶴ノ富士(福薗洋一郎)のように幕下の主になっていたかもしれない。
井上康生[編集 | ソースを編集]
- 三役は行けるか。
- 行けたら宮崎県出身としては金城以来の三役力士になっていた。
猪木寛至(アントニオ猪木)[編集 | ソースを編集]
- 顎の長い顔つきから、やはり顎の長さで有名だった『大内山平吉』の二代目を襲名していたかもしれない。
- 馬場同様、怪我なく順調に行けば間違いなく三役にはなれただろう。そして北の湖、輪島の最強のライバルとして君臨。
- 引退後はやはりレスラーに転身していた。
- 少なくとも親方として協会に残るところは想像できない。
- 入門までの経緯がどうなっていたか気になる。
- 史実のプロレス入りのように力道山が絡んでいたら二所ノ関部屋に入門していた。
- 現役中から副業に手を出していた。
- ちゃんこ店の全国展開をもくろむも大失敗する。
ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ[編集 | ソースを編集]
- 魁聖一郎より先にブラジル出身の初の力士となった。
- 三役まで行けただろうか?
- 朝青龍以上に気性の荒い力士になっていた。相手を故意に怪我させたり付け人に暴行したり…。
- 南海龍とも比較されていた。
- あだ名はやっぱり「俺王様」。
エメリヤーエンコ・ヒョードル[編集 | ソースを編集]
- 相撲にも総合格闘技同様の適性があった場合、当然横綱までいき、朝青龍のライバルになりそう。板井の連勝記録も当然のごとく抜いていた
王貞治[編集 | ソースを編集]
- 実際、吉葉山から勧誘があった。
- 腕力に乏しいので、相撲向きではない。関取は苦しいか?
- 後年、陳大豊が時津風部屋に入門し「大豊(おおゆたか)泰昭」を名乗る。
- 劉朝恵(栃ノ華朝王)は王の部屋に入門していた。
- NPBの通算本塁打記録は野村克也のまま、世界記録はバリー・ボンズによって更新されていた。
- 松井秀喜に通算本塁打記録更新の期待がかかるがやはり実現せず。
- 背番号は「55」にならなかった。
- シーズン本塁打記録は野村以降「バース→カブレラorローズ→バレンティン」と長きにわたり外国人により更新され続けた。
- 松井秀喜に通算本塁打記録更新の期待がかかるがやはり実現せず。
- 大食伝説がさらにパワーアップしていた。
- 史実では飲み比べで負けた大鵬にも勝っていた。
大谷翔平[編集 | ソースを編集]
- 2022年現在では大関には行っていただろう。
- 二刀流という言葉は無名のまま。
大八木淳史[編集 | ソースを編集]
- 順調に進めばかろうじて三役まではいけそう。
- タレント活動でも本名ではなく現役時代の四股名を使っていた。
岡山恭崇[編集 | ソースを編集]
- 活躍はともかく史上最長身力士として名を残す事は確か。
- 2m超えでかつ同郷だった『不動岩三男』の二代目を襲名していた。
- 幕内まで行けるかどうか微妙。
- 出世していたら小錦とともに両国国技館のトイレ大型化の立役者とされていた。
- 角界入りしてもNBAにドラフトされてた。
か行[編集 | ソースを編集]
香川伸行[編集 | ソースを編集]
- 怪我なく順調に行けば幕内くらいまではいけそう。三役は苦しいだろうが。
- 角界入りしてもやはりあだ名は”ドカベン”のまま。
- しこ名もドカベン。漢字は「堂香弁」。
- 「浪の山」もありかも。
- 「堂香弁」になっていたら下の名前は元ネタにちなみ「太郎」だった。
- この会社が懸賞金を出す。
- しこ名もドカベン。漢字は「堂香弁」。
- 3月、11月で人気。
- 引退後はやっぱり讃岐うどんの通販をやっている。
- ネットラジオ「ドカベンアイランド」の常連相撲甚句投稿者に。
- その後、手抜きのユーザーサポートを批判し出入り禁止に。
- 四国出身であんこ型の○川のぶ行と比較される。
- その力士が「ドカベン2世」と呼ばれ、入門時の期待が現実以上に大きくなったかもしれない。
- 彼の身長は当時の新弟子検査の身長の基準(173cm以上)に達してなかったため、アマチュア相撲を経て幕下付出しでの入門となる。
- 中卒で入門された場合、甲子園における3試合連続本塁打が達成されるのは1985年が初となる(藤井進と清原和博が同年に達成)
釜本邦茂[編集 | ソースを編集]
高校時代に花籠部屋関係者から「サッカーでは飯が食えないぞ」と言われ勧誘を受けた。
- 若乃花から貴ノ花への「水泳じゃメシは食えない」発言を事実と勘違いする人が多くなっていた。
- 足技をよく繰り出す。
- 1973年初場所のパンフレットで大竜川の説明文に「釜本選手顔負け」と書かれることはなかった。
- 太秦出身ゆえ東映の作品にも出演した。
- 兄弟子の龍虎と共演も見られた。
- 日本は未だにオリンピックの男子サッカーでメダルを獲得したことがない。
亀田興毅[編集 | ソースを編集]
- 力士としてはあまりにも華奢だが、あの運動能力を持ってすれば十両まではいけるのでは?
- これを言っちゃ元も子もないけど、現在の基準のままならまず新弟子検査に通らない。
- 体重はバカ食いすればすぐに増えるが、身長は…、
- どうしようもないので、頭にシリコンを詰める。
- 確か今はソレって禁止になってなかったっけ?
- 身体検査のときにかかとを大きく上げて合格する。実際にそれやって入門に成功した力士がいる。
- どうしようもないので、頭にシリコンを詰める。
- アマチュア相撲で実績を挙げて体格検査免除を勝ち取るという手もある。そっちの方が彼らしい。
- 体重はバカ食いすればすぐに増えるが、身長は…、
- これを言っちゃ元も子もないけど、現在の基準のままならまず新弟子検査に通らない。
- 最大の敵はトラブル・・・・・朝青龍以上の問題児になるかも・・・・・
- 大砂嵐のように「不祥事により引退→他の格闘技へ転向」という進路の可能性大。
- 弟達も角界入り?
- 鉄砲で部屋の柱を折ってしまう。
バルビーノ・ガルベス[編集 | ソースを編集]
- ベネズエラ出身の初の力士となった。
- 出身はドミニカのはずだが…。
- 化粧まわしには国旗が入っている。
- やはり三役まではいけたか?
- ただし得意技となったであろう張り手を封じられるような事態にならなかった場合に限る。
- 判定に不満を持って行司に張り手を喰らわして、追放処分になる。
- 親方が頭を丸めて謝罪する。
アレクサンドル・カレリン[編集 | ソースを編集]
- 相撲のコツさえ掴めば横綱もあっという間。
- 下手をすると大相撲の歴史が大きく変わっていた。
- 千代の富士の引退を早めたり若貴や曙の昇進を阻んだりという展開が想像できる。
- 曙以前に史上初の外国人横綱になっていてもおかしくなかった。
- レスリング時代同様の不敗神話を残した場合、入幕からの連勝記録、幕の内最高優勝回数、幕の内での横綱連勝記録などが、王選手の868HR並みに破れない記録となっている。
- 彼がレスリング同様の無双を角界でしたと仮定した場合、曙や旭富士、若乃花などは横綱になれないor北尾みたいに優勝0回で横綱になっていた。貴乃花はカレリンが衰えた頃の2000年以降に連続2回優勝でようやく横綱になりそう。
金日成[編集 | ソースを編集]
- 北朝鮮出身力士初の関取となり、幕内最高優勝を遂げたときに万人が認める正真正銘の”抗日闘争の英雄”となっていた。
- 息子も角界入りしていたと思う。
- 孫も?
- 横綱にまでなっていたら、双葉山の69連勝はなかった。
- 四股名は「大同江」や「牡丹峰」のように故郷平壌の名所からとったものになっていた。
- もちろん北朝鮮の歴史も大きく変わっている。
- ソ連派か延安派あたりが実権を握っていたら東欧革命の余波で崩壊していた。
具志堅用高[編集 | ソースを編集]
- 亀田興毅同様華奢ではあるが、十両は行けたかと思う。
- 頻繁にダメ押しを繰り返し、親方衆から何度も注意される。
- 四股名には「鷲」という字が入る。
- 730のイメージキャラクターになったかどうかは微妙。
さたな行[編集 | ソースを編集]
佐々木恭介[編集 | ソースを編集]
- 少年時代に相撲部屋からスカウトが来たという。
- 関取になったら赤系の廻しを締める。
- 早々と廃業して野球に転向していれば佐賀ノ海(元近鉄の土師一夫)と対比される。
- 引退後に年寄を襲名できていたら名力士の育成かテレビでの理論的な解説で名を残していた。
佐竹雅昭[編集 | ソースを編集]
- 大卒で入った場合、曙、貴乃花と同期入門となり、彼らのライバルとして三役までは順調に出世しそう。
ジグジドュ・ムンフバト[編集 | ソースを編集]
- 白鵬の実父で、モンゴル初のオリンピックメダリスト(メキシコ五輪のレスリングフリースタイル87kg級で銀メダル獲得)
- 史上初の外国人力士として注目されていた。
- キャリア後半には高見山との外国人対決が実現していた。
- 四股名は「猛虎山」。
- 若いころの実績を考えると入門して5年で横綱に昇進し、大鵬ともに猛鵬時代を築いた。そのため、柏戸と栃ノ海と佐田の山は大関止まりだったかもしれない。
- 優勝回数は少なくとも25回は行ってた。その功績から、日本国籍を取得していれば、引退後に一代年寄「猛虎山」を襲名して、猛虎山部屋を創設していたかもしれない。そして息子を入門させていた可能性がある。その息子の四股名は「猛鵬」だったかもしれない。
- 史実通り日本国籍を取得していなければ、引退後に格闘家に転身していたかもしれない。
- この人が若い頃には日本とモンゴルの国交がなかったため半ば亡命同然の入門になっていた可能性あり。
- 社会主義体制の崩壊までモンゴルに戻れなかったかもしれない。
ジョーイ・バートン[編集 | ソースを編集]
- 相当問題行動の多い力士として有名になっていた
- 万が一、横綱になるような事があったら、何故このような品格のない人間を横綱にしたのかとワイドショーで言われる
ヴィルトル・スタルヒン[編集 | ソースを編集]
- 高見山より先に史上初の外国人力士になっていた。
- 体格から考えて横綱まで行ったかも。
マイク・タイソン[編集 | ソースを編集]
- 史上初の黒人力士誕生。
- 朝青龍以上のトラブルメーカーになりそう。
- 土俵上で相手の耳を噛みちぎり追放処分を喰らう。
田中英壽[編集 | ソースを編集]
- 横綱にはなれただろう。
- 輪島、北の湖の三人で優勝を争い、田輪湖時代と言われただろう。
- 理事長戦で北の湖と対立。
- 日大から多くの選手を引き抜いたのは史実どおり。
- 理事長就任後、日本相撲協会を私物化、独裁者となり、錬金術に手腕を振るう。
- 201X年、日本相撲協会理事長室に東京地方検察庁特捜部が突入し、所得税法違反で逮捕される。現役の日本相撲協会理事長が逮捕されたことで日本中に衝撃が走る。
- 1946年生まれなので2011年には停年退職しており、理事長の任期も2010年初場所後までだった。
西澤ヨシノリ[編集 | ソースを編集]
- 幕内までは順調に進むが、三役までは時間がかかる。
- 横綱まで行かない限りは40過ぎても現役を続けていただろう。
- 現実で旭天鵬が持つ通算黒星最多記録をさらに上回っていた。
- 竹原慎二のミドル級世界王座はなかったかもしれない。
- 四股名は「真田丸」だったかもしれない。
西島洋介[編集 | ソースを編集]
- おそらく幕内まではいってた。
- 国内で戦えず海外に渡ってフェードアウトなどない。
- いずれにせよ引退後は格闘家になっていた。
- やっぱり四股名は「洋介山」?
はま行[編集 | ソースを編集]
マニー・パッキャオ[編集 | ソースを編集]
- 最多平幕優勝を飾りスピード出世していた。
- フィリピン出身の初の力士?
- 高い地位まで出世できていたらフィリピン巡業が実現していた。
- 朝青龍にとって大きな壁になっていた。
- 少なくとも2005年の年6場所完全制覇はなかった。
馬場正平(ジャイアント馬場)[編集 | ソースを編集]
- 出羽海部屋に入門して、戦前の巨漢力士の代表格として名を馳せた『出羽ヶ嶽文治郎』の二代目を襲名していた。
- あるいは、長身の大内山がいる時津風部屋に入門し、大内山の引退後に二代目を襲名したかも。
- 怪我なく順調に行けば軽く三役にはなれただろう。柏鵬時代の到来もなかったかもしれない。
- 体重を増やすのに苦労した。
- 引退後はやはりレスラーに転身していた。
- 親方として協会に残れていた場合はガンを早期に発見できもっと長生きできていたはず。
ビリー・ヘリントン[編集 | ソースを編集]
- 平幕くらいにはなっていそう。
- 小錦や曙に比べると地味な力士になっていた。
- ちなみに曙と同じ1969年生まれ。
- バイセクシャルという性癖はどう影響したのだろうか…。
- 日本人と結婚していたかもしれない。
- 場合によってはそのまま帰化の可能性も。
- その場合2018年の事故死はなかったはず。
- 場合によってはそのまま帰化の可能性も。
- もちろんポルノ男優にはなっていない。
- したがって、ニコニコ動画に「本格的ガチムチパンツレスリング」などという動画が上がることはない。
- もちろんケツドラムや「新日暮里」などの空耳も存在しない。
- 相撲よりもネット文化に与える影響のほうが大きい気がするけど仕方ないね。
- 日本のネット界隈で「兄貴」といえば誰を指していたのだろうか。
藤本京太郎[編集 | ソースを編集]
- 生まれながらにして恵まれた体格を持つので、怪我さえなければ三役は入れただろう。
- 四股名が目まぐるしく変わっていた。
- 締め込みの色は基本的に赤やオレンジなどの明るい色。
- 一時期の朝青龍のように金色だったこともあるはず。
チェ・ホンマン[編集 | ソースを編集]
- 三役までは普通にいけそう。横綱になったら明石志賀之助の再来と言われそう。
- 明石は実在すら怪しいのでむしろ雷電か谷風あたりに例えられているのでは。
- ネット民からはとにかく嫌われていた。
- 本場所で差別的なヤジを飛ばされるどころか殺害予告すら複数回されていた。
- 国技館の周りで在特会が排外デモを行い好角家の顰蹙を買っていた。
- ただ日本に住むことになるので、兵役免除の非難は史実のように直接浴びることはなく、その件で調子を崩すことはなかったかも。
- 大韓航空が日本便にA380を導入した際にイメージキャラクターとして起用された。
増渕竜義[編集 | ソースを編集]
同年代の栃乃若や常幸龍と出世レースを繰り広げる。
- 某縦綱と対戦しても脅されない。
- でも勝ってしまったら案の定怪我で低迷する。
- むしろ同い年の某斜綱に口兄われる。
- AAは使い回し。ただし「ヤクルトで健康増進」なるメッセージが入ることも。
- 当然その会社から化粧廻しも贈られる。
ディエゴ・マラドーナ[編集 | ソースを編集]
- 星誕期偉真智より先にアルゼンチン出身の初の力士となった。
- 平幕で「上位力士5人抜き」を達成する。
- 髷掴みを行司・審判が見逃し、「神の手」と呼ばれる。
- ライバルの力水に睡眠薬を仕込む。
- 間違いなく不摂生で糖尿病になっている。
- 最悪の場合寿命を縮めていた。
- 幕内でそれ相応の実績を残していたら優勝力士に「アルゼンチン共和国大統領杯」が贈られていた。
村上宗隆[編集 | ソースを編集]
- 2022年現在の実力だと大関は行っていた。
- 並びに次世代の日本出身横綱候補になっていた。
- 最低でも御嶽海陥落後の1横綱1大関はなかった。
- というより御嶽海は大関に上がれず、関脇止まりのまま。
- 2023年春場所での横綱・大関不在もなかった。
- 横綱は行っていた。
- 1999年度生まれ世代が現実以上に力士の黄金世代と呼ばれるようになる。
- 村上本人と師匠が同郷の木瀬部屋に入門し、金峰山を名乗るかか、師匠の現役時代の四股名の肥後ノ海を襲名していたかもしれない。
村田諒太[編集 | ソースを編集]
- 同年代である白鵬のライバルとして立ちはだかる。
- ご当地となる春場所ではかつての九州場所における魁皇のように大声援を受ける。
- 早い時期に部屋を逃げ出していた可能性も否定できない。
室伏広治[編集 | ソースを編集]
- 大関以上は十分可能性。
- 年代的には、貴乃花~朝青龍の狭間なので、朝青龍の独走を食い止めた。
- 投げ技を得意としていた。
- まわしを取ったら室伏、と言わしめた。
- 特に出し投げが後世までファンの間で語り草になった。
- ルーマニアで弟子を勧誘。
- マジレスすると、父・重信は双葉山に誘われたことがあったとか。母親(広治の祖母)に反対され断念したが、もし説得できて角界入りしていたら広治も同様にありえた。
- 親方になっていたら貴乃花の改革に賛同していたと思われる。
- 部屋持ちなら一時期貴乃花一門に属していた。
毛沢東[編集 | ソースを編集]
- 史上初の中国人力士として注目を浴びていた。
- 中国国民党が中国共産党に勝てていたかも。
やらわ行[編集 | ソースを編集]
エマニュエル・ヤーブロー[編集 | ソースを編集]
- アマチュア相撲で琴光喜をやぶってる人。角界入りしてれば、最初の黒人出身の関取となれただろう。(ちなみに最初の黒人出身関取は戦闘竜)
安岡力也[編集 | ソースを編集]
- 千代大海の前に「ヤンキー大関」と呼ばれていた。
- ヤンキーではなく「愚連隊関取」。年代的に、その意味での「ヤンキー」という言葉は使われていない(少なくとも普及していない)。
- さすがに「芸能人ケンカ最強候補」の範疇からは除外される。
- やや上の世代にあたる若羽黒の乱行のせいで「こいつも出世させたらまずいことになる」とされ番付運に恵まれなかった。
八名信夫[編集 | ソースを編集]
- あの悪役顔ともみ上げでかなりの個性派力士になったと思われ。
- やはり俳優に転身していただろうか。
- タニマチに映画会社やテレビ局の人間がいる場合に限る。
- 本名と出身地(1月22日生まれの野球選手と同じ)があのお方を連想させるため、2ch相撲板でネタにされていた。
- ちびっ子相撲では8人を相手にする。
- 引退後の進路次第では青汁の普及が現実ほど進まなかった。
山口俊[編集 | ソースを編集]
- 父と同じく時津風部屋に入門し、十両昇進で谷嵐の四股名を継承する。
- 当時の師匠・双津竜は谷嵐と断髪式を共催した仲なので、入門時からかわいがられた。
- やっぱり父と同じく平幕止まりか?
- ペナントレースでの平成最後のノーヒットノーラン達成者は岸孝之になっていた。
- 2017年名古屋場所の休場中に酒乱で暴行事件を起こしてしまう。
- 30歳の誕生日にやらかした力士として、2004年の増健と比較される。
山崎武司[編集 | ソースを編集]
- おそらく北の湖部屋に入門。
- 実際中学卒業前に幾つかの部屋から勧誘されたけど、野球を続けたいから断ったと本人が語っていた。
- 三役まではいけたと思われる。
- 関脇までは順調に昇進を重ねるが、関脇から大関に昇進するときに時間が掛かったかも?
- その割に大関から横綱へは2~3場所で昇進してしまったりとか?
- 片岡篤史と相撲を取って怪我をさせることはなかった。
- 大関以上に上がれた場合「国技館の地下駐車場に愛車で乗り付けてみたかったから頑張れた」などと発言していた。
- 好物のエビフライを大食いし伝説を残す。
山下泰裕[編集 | ソースを編集]
- 怪我なく順調にいけば、少なくとも一場所は三役を張るところくらいまでいけたのでは。
- たぶん国民栄誉賞は授与されていない。
- 英語力を買われNHKの相撲中継で英語副音声の解説を務めていた。
- 竹田恆和の後任のJOC会長は誰になっていたのだろうか…。
- プーチンと関わりを持つことはなかった。
- 代わりにモンゴルの大統領あたりと関わりを持っていたかも。
山之内健一[編集 | ソースを編集]
- おそらく幕内までいっていた。
- 引退→プロレス転向→逮捕の転落人生にならなかった。
- 順番違う、逮捕後にプロレス転向の即脱走。
山本KID徳郁[編集 | ソースを編集]
- 四股名には「神」の文字が入る。
- 怪我による休場が多く、思ったほど番付は上にならないだろう。
山本正人[編集 | ソースを編集]
- 幼馴染の琴光喜がいる佐渡ヶ嶽部屋に入門していただろう。
- 実績面から三役ぐらいはあるかも。
横田真之[編集 | ソースを編集]
- 明徳出身で初の力士になっていた。
- 柳川信行も明徳義塾に進学したかもしれない。
- 右上手投げを得意とするが左の力も強い。
- 朝潮引退後の高知県出身関取不在はなかった。
- 息子の慎太郎も角界入りした場合、関取に昇進するものの脳腫瘍のため長期休場で番付を下げてしまう。
- 最悪番付外に陥落していた。
ピート・ローズ[編集 | ソースを編集]
- 三役ぐらいはなれたかな。
- やはり野球賭博で永久追放される。
- 史実での発覚時期と同様なら表沙汰にならなかった可能性も否定できない。
- 初土俵からの連続出場記録は青葉城ではなくこの人が持っていた。
- 低い立ち合いからのぶちかましを得意とした。
デニス・ロッドマン[編集 | ソースを編集]
- 三役はいけるかな。
- ネックは髪型か。
- 親方などからたびたび止められ女装は封印する羽目に。
ジョナ・ロムー[編集 | ソースを編集]
- 三役までは普通にいけそうだが持病の関係で長続きは難しそうか。