もしあの国が今でも存続していたら/アジア
ナビゲーションに移動
検索に移動
東アジア[編集 | ソースを編集]
東南アジア[編集 | ソースを編集]
ベトナム[編集 | ソースを編集]
- ベトナム帝国
- 首都のフエと外港のダナンはそれなりに大きな都市になっていた
- ベトナム中部の経済力がスカスカなんて言われる事は無かった
- 首都のフエはベトナム戦争で破壊されない代わりに高層ビルが乱立し、世界遺産登録も無かった
- 西側との国交樹立は史実のベトナムより早かった
- 冷戦終結後旧東側の多くと国交を結ぶ
- ベトナム共和国
- ベトナム戦争で勝利したか痛み分けに終わったらあり得た。
- もしくはそれ自体がなかった。
- ひょっとしたら中華民国のようにフーコック島に逃れたかも。
ラオス王国[編集 | ソースを編集]
- 右派がクーデターか何かで政権を奪取しパテート・ラーオは非合法化された。
- その後も90年代までパテート・ラーオの残党が山奥でゲリラ活動をしていた。
- 最近まで中華人民共和国ではなく中華民国を承認していた。
- ビエンチャンの街並みがビルだらけに。
- ホームレスの数も史実よりずっと多い。
- 鉄道復活ももう少し早かったはず。
- ルアンパバーンの王宮は現役なので世界遺産の登録範囲から外れている。
西パプア共和国[編集 | ソースを編集]
- かつてのオランダ領ニューギニア。一旦独立するもインドネシアに併合。
- 自国を「東南アジア」ではなく「オセアニア」と主張している。
- 「オセアニア」の節を作って移動させてみました。
- インドネシアとは緊張関係が続いている。
- それでもパプアニューギニアと合併したかは分からない。
- パプアニューギニアのASEAN加盟が議論されることはなかった。
- それでもオブザーバーにはなるかもしれない。ただ、インドネシアとの緊張が続くのであれば東ティモール同様参加は厳しいだろう。
- パプアニューギニアのASEAN加盟が議論されることはなかった。
- 首都の名前が「ジャヤプラ」ではなく「ヌンバイ」になっていた。
- 「ムンバイ」と紛らわしい。
蘭芳公司[編集 | ソースを編集]
- 蘭芳<らんほう>公司はボルネオ島西部にあった客家(華僑)による共和制国家。清の朝貢国だったが、同国の弱体化により、安全保障が確保されなくなった結果、オランダによる植民地化で滅亡した。
- 蘭領東インドに含まれる保護国だった(史実でも1912年頃までは保護国で存続していたらしい)。
- 1970年代位までオランダの保護領だった。
- それか英国とオランダの緩衝地帯とされていた(タイと同じ理由)。
- 現在では蘭芳共和国と呼ばれている。
- 広東省出身者が多かったので公用語は客家語と広東語。
- アジアNIESの一員を占めていたかもしれない。
- 観光開発されて多くの人が訪れていた。
- 香港と台湾、シンガポールと関係が深かった。
南アジア[編集 | ソースを編集]
インド・グリーク諸国[編集 | ソースを編集]
- 現在のインド北部とパキスタンに存在していたギリシャ人の征服王朝群。
- ギリシャ語文化圏を含むローマ帝国(ビザンツ帝国を含む)とは友好関係にあった。
- 古代ギリシャ宗教、仏教、ヒンドゥー教等が主要宗教。
- 現在ではキリスト教やイスラム教もそれに加わっている。
- 現在ではギリシャ語から派生し、周辺のインド・イラン語族の言語を影響を受けた別言語が公用語となっている。
- 文化的には現在のギリシャとイラン、北インドが混ざった様なものだった。
- 南インドは別の国になっていたかもしれない。
- 北インドも同様に別の国になっていたかもしれない。
西アジア[編集 | ソースを編集]
アフガニスタン[編集 | ソースを編集]
- アフガニスタン王国
- 今のような酷い惨状はなかった。
- 勿論、ソ連のアフガニスタン侵攻もなかった。
- よってモスクワオリンピックのボイコットも無く、ムジャヒディンが結成されない以上、アメリカがソ連に対抗するためのムジャヒディンへの支援が無く、タリバンも存在しなかった。
- 代わりにソ連はポル・ポト政権打倒のためにカンボジアに侵攻していたか?
- 史実でのムジャヒディンの政権やタリバンの政権よりずっとましであった。と言うより上記の通り、ムジャヒディンやタリバンは存在しなかった。
- 鉄道や道路などのインフラが充実し、国民への教育も男女平等に行き届いていた。
- ザヒル・シャー国王が現実通り、2007年まで生きていた場合、1933年から74年間、国王の座に居たことになり、近世以降の君主としては最も在位の長い君主になっていた。
- アフガニスタンでの資源調査も現実より進んでいる。
- アフガニスタン民主共和国
- アフガニスタン・イスラム首長国(第一次)
- アメリカが北部同盟を見捨ててタリバンが全土掌握に成功していた場合だろう。
- 2021年に実現。2001年からの潜伏期間中も「アフガニスタン・イスラム首長国」を名乗り続けており、タリバン側からしてみれば20年間北部同盟が「反乱」を起こしたもののアフガニスタン・イスラム首長国は滅亡せず「存続」していた。
- チェチェン独立承認したためロシアとの関係はすこぶる悪い。
- ロシアがアフガンにまた侵攻するかは微妙。
- タリバンを支援したパキスタンも仲が悪い。このによりインドが親露国に。
- ロシアがアフガンにまた侵攻するかは微妙。
- ビンラディンはこの国で暮らす。
- 北朝鮮やポルポト政権もかくやの圧政が行われ、国内はボロボロになる。
- おそらくだが中国がこの国の最大支援国になる。
- 反中の場合ウイグル独立承認とかやりかねない。
- アフガニスタン・イスラム共和国
- アメリカが見捨てなければ存続していた。
- アフガニスタンでのアメリカvsタリバンの戦争は今でも続いている。
イエメン[編集 | ソースを編集]
- イエメン人民民主共和国
- 存続するとすればベトナムのドイモイ政策のような社会主義市場経済の導入が行われている。
- ただしイエメン社会党の一党制は変わらず。
- そのせいで報道の自由などのランキングでは下位の常連国となっている。
- 国際社会からは「無理に民主化しても国が荒れる可能性が高いので仕方ない」と認識されていた。
- 政治、経済ともにベトナムとの関係が深くなっている。
- 近年では徐々に中国との交流が増えている。
- ただしイエメン社会党の一党制は変わらず。
- 中東では珍しい世俗・進歩的国家となっている。
- このためベトナムのように社会主義国でも親米的な国家となっている。
- 冷戦時代は親ソ連・反米(アメリカからテロ支援国家認定されていた位)だったが、冷戦終結とともにアメリカと関係改善。
- このためベトナムのように社会主義国でも親米的な国家となっている。
- 社会主義市場経済で北イエメンの経済水準をすでに超えていた。
- 治安も多分南イエメンの方が良好だった。
- イスラム過激派は徹底的に弾圧され存在しない。
- 中東革命も南イエメンではたぶん不発に終わっている。
- 北イエメンにおける中東革命では南イエメン系勢力が世俗勢力のまとめ役となっている。
- その後自由選挙で南イエメン系のイエメン人民党(仮)が権力を握り南北統合をしようとする。
- あるいは北イエメン解放民族戦線(仮)としてゲリラ戦を行い政権を打倒していた。
- この時イスラム過激派に対し南イエメン系勢力がベトナムの軍事指導を受け軍事的殲滅を行っていた。
- 「南北イエメン統一」は一部過激派が主張しているだけで絵空事に過ぎなかった。
- イエメン民主共和国
- 1994年に上記のイエメン人民民主共和国復活を目標として建国されたが内戦で敗北。
- おそらく沿ドニエストルみたいな感じになっている。
- 建前のみ社会主義をとっているが昔ほど徹底していない。
- 多くの国が北イエメンを承認するので、承認する国も少ない。
- 現在では「民主主義と民族の権利のための共同体」に加盟しているかもしれない。
- ソマリランドとも(似たような境遇の国ということで)国交を樹立してそう。
- 中東革命に伴う内戦ではソマリランドのように一切北を無視している。
- イエメン社会党の一党独裁は相変わらず変わらない。
イスラエル[編集 | ソースを編集]
- イスラエル王国
- 今でもダビデとソロモンの子孫が代々王位に就いていた。
- 同じくソロモンの子孫が王位についていたエチオピアと深い関係にあったが、史実通りエチオピア王政が崩壊していたら急速に関係悪化していた。
- また、この王国が成立したのが紀元前1021年頃なので、現在でも王政が続いていれば、日本の皇室(初代神武天皇の即位が紀元前660年)より400年近く古いので、現存する世界最古の王朝となる。
- ユダヤ人の海外離散はなかった。
- ヒトラーはそこまで悪人扱いされていない。
- 陰謀論のネタが枯渇している。
- 杉原千畝は無名のまま。
- 当然ユダヤ人への差別はなく、反ユダヤ主義は存在しなかった。
- 1972年のミュンヘンオリンピックでイスラエル選手団が殺害される事件はなかった。
- 十字軍やイスラム勢力をすべてはねのけてきたのだから、かなりの軍事力であろう。
- 現代のアメリカも恐れて手が出せない。
- キリスト教もイスラム教も生まれていない。
- イエスは「イスラエル王国の復興」をめざしていたので、王国が存続していれば存在意義を失う。
- ただ改革者として登場する可能性はあるが、「キリスト教」というほど独立した宗教には発展していないだろう。
- ムハンマドはみずからの宗教をユダヤ教・キリスト教の後継者もしくは集大成と位置づけているので、キリスト教が無ければ彼の宗教も全く違った形になっていたはず。
- となると、ヨーロッパで主流の宗教はギリシャ・ローマ神話に由来する宗教?
- イエスは「イスラエル王国の復興」をめざしていたので、王国が存続していれば存在意義を失う。
- 中東の殆どを自国の領土としていたかも。
- 少なくとも現実のイスラエルよりは大きいだろう。
- 現実のイスラエルに加え、パレスチナ自治区とヨルダンが領土になっていた。
- 現実のイスラエルとパレスチナ自治区とヨルダンの人口、世界のユダヤ人の人口、ホロコーストがなかったことを考えると、人口は4000万人ぐらいにはなっていた。
- 「パレスチナ」という固有名詞はなかった。
- エルサレム王国
- 地理的にはアジアだがほとんどヨーロッパとして扱われている。
- この国のサッカー協会は最初からUEFAに加盟していた。
- イスラム勢力から領土を守るため相当な軍事力を蓄えていた。
- 現実のイスラエル同様国民皆兵の意識が根付いていた。
- 「十字軍の名残」といえば真っ先にこの国の存在を思い浮かべる人が多い。
- 十字軍に対する歴史的評価は良くなっていた。
- 交易維持の都合などからオスマン帝国とは意外と仲が良かったかもしれない。
- イスラム圏に近いためルネサンスでは重要な役割を果たしていた。
- 19世紀に立憲君主国となる。
- 第1次大戦後に旧エデッサ伯領、アンティオキア公国、トリポリ伯領の領有を要求するが拒否される。
- パレスチナ地域は現実より平和な気がする。
- 現在も「ユダヤ人の民族国家」は絵空事にすぎない存在のまま。
- ユダヤ人は第二次大戦後多くがアメリカに移住するかナチス無き(西)ドイツに帰還していた。
イスラム帝国[編集 | ソースを編集]
- アッバース朝
- カリフの地位がオスマン家に乗っ取られる事は無かった。
- イスラム教の聖地であるメッカを巡ってアイユーブ朝やオスマン帝国とは度々対立していた。
- オスマン帝国の成立が史実通りの場合、大シリア地方西部はオスマン帝国領→欧米の植民地の歴史を辿る。
- オスマン帝国やサウード王国、列強諸国との抗争で現在の領土は現実世界のイラクとサウジアラビア西部、湾岸諸国を合わせた領域まで落ち込む。
トルコ[編集 | ソースを編集]
- オスマン帝国
- 第一次世界大戦には参戦せず中立を保つ。
- 代わりにイタリアが連合国に寝返ずに、中央同盟国側で参戦していた。
- つまりこうなっていた。
- あるいは連合国側に参戦していたか、史実通り中央同盟国側に参戦するが、中央同盟国が勝利していた。
- 代わりにイタリアが連合国に寝返ずに、中央同盟国側で参戦していた。
- ジャスミン革命をうけて帝政独裁を倒そうとするデモが起こる。
- そもそもジャスミン革命自体がオスマン帝国から始まっていた。
- いや、そもそも第一次世界大戦後くらいに近代化政策の一環で立憲君主制に移行するはずなので、帝政独裁はこの時点で終わっている。なのでジャスミン革命の経過は史実通り。
- トルコ民族主義の高まりから正式に「オスマントルコ帝国」または「トルコ帝国」に改名していたかも
- 実際オスマン帝国末期はトルコ人の知識人を中心にオスマン帝国のことをトルコ帝国と呼ぶ人も多かった
- 首都の名称もコンスタンティノープルから「イスタンブール」に正式に変更していた。
- パレスチナに移住したユダヤ人は委任統治したイギリスではなくオスマン帝国本土でテロを起こす
- 希土戦争でムスタファ・ケマル率いるアンカラ政府軍が敗れていればこうなっていた。
- 現在のトルコではムスタファ・ケマルは反乱者扱いだった。
- 領土はセーブル条約に定められていたようにイスタンブール周辺とアナトリア内陸部のみ。
- イタリアやフランスに占領された地域は後に返還されたかもしれない。
- セーヴル条約ではイスタンブールを含むボスポラス海峡は国際管理下。
- 国際管理下で引き続き多民族共生志向のオスマン帝国首都イスタンブールと、トルコ人至上主義のアンカラ政府残党が潜伏しているアナトリア内陸部との対立がある。
- 実際にはクルド人がテロを起こしているように、トルコ民族主義者がテロを起こして、紛争になっている。
- 地中海に面していないのでキプロスへの介入はできず、史実では南北に分断された74年にキプロスはギリシャに併合されている。
- アンキタルヤを含めたフランス勢力圏の一部はシリアになっている。
- セーヴル条約で認められたイタリア勢力圏は、第二次世界大戦時に枢軸国が占領したギリシャへ統合して、ギリシャ人の枢軸傀儡政権支持を図る。
- 現在もアナトリアにギリシャ人が多く住んでいた。
- ギリシャ人とトルコ人の間で紛争が発生していた可能性もある。
- トルコ語はみみずのようなアラビア文字で書くオスマントルコ語を今でも使ってた。
- その結果、より「中東」イメージが強くなる。
- 全盛期の領土を保持していた場合、中東・地中海世界の大国として君臨していた。
- 場合によってはオスマン帝国で社会主義革命が起こり、ここがソ連のような国になっていたかもしれない。
- 前述のように第一次世界大戦には負けず国内が安定したため、近代化を推し進める。第二次世界大戦後には高度経済成長を成し遂げて先進国となった。
- 第一次世界大戦後、立憲君主制に移行して国名をオスマン帝国から「トルコ帝国」に変更した。
- 第二次世界大戦では早い段階から連合国で参戦し、枢軸国に攻められて首都のイスタンブールが陥落し、アンカラに臨時首都を置く。
- 第二次世界大戦後、アフリカやアジアの植民地独立の影響でイラク、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルといったトルコ以外の領土が独立した。
- 戦後、敗戦国の日本や(西)ドイツと同様に高度経済成長を成し遂げて、人口的にイギリスやフランスを上回り、アメリカ、日本、(西)ドイツに次ぐGDPが世界4位の経済大国となり、近年では中国の台頭で世界5位となり、イスラム圏屈指の大国となる。
- 高度経済成長を成し遂げ、イスラム圏唯一の経済大国となったトルコの国威発揚のため、1968年にイスタンブールオリンピック、1975年にアンカラ万博が開催される。
- イスラム圏の代表として先進国首脳会談に加わり、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・日本・カナダ・イタリアにトルコを加えてG8となっている。
- EUには早い段階から加盟している。
- イスタンブールは2度目の夏季オリンピック開催を目指し、2000年、2008年、2020年の開催地に立候補するが、落選するのは史実通り。
- セルジューク朝
- 中東は北のセルジューク朝と南のアラブ人諸王朝(サウジアラビア・クウェート・カタール・イエメン)とに二分される。
- エルサレムを擁しており、ユダヤ人も多い。
- イスラム主義・反ユダヤのアラブ系と、多民族・多宗教のセルジューク朝との仲はあまりよくない。
- 現実とは逆にアラブが反米、イラン・中央アジアを含むセルジューク朝が親米。
- イスラム主義・反ユダヤのアラブ系と、多民族・多宗教のセルジューク朝との仲はあまりよくない。
- ホルムズ海峡南岸のアラブ首長国連邦とオマーンにあたる地域もセルジューク朝が支配している。
- ペルシャ湾経由での石油の輸出がしにくいアラブ系国家は半島を横断して紅海へ石油を送り出すパイプラインを作ろうとしている。
- マムルーク朝
- 王朝とは名前だけで、現実にもマムルーク朝後半は血筋に関係なくマルムーク(トルコ系奴隷出身騎兵)から有力者が国のトップになる非世襲国家。
- 軍の近代化(徴兵制・自動車化)に伴い、そのマルムークは消滅。
- 単なる軍事政権に変化。
- その後も軍事政権が続いていたが、アラブの春で民主化。
- マルムーク朝支配下のシリアも民主化され、シリア内戦は起きず。
- ハザール
- カフカス地方の諸民族をまとめていた。
- ソ連に対抗する資本主義陣営の最前線だった。
- 現在はロシアとイランに挟まれて、両国の間でいろいろ苦労してそう。
- 突厥
- 現代の主な産業は鉱業。
- 内部にカザフ・ウズベク・ウイグル・モンゴル・内モンゴル(漢民族)などの自治区がある。
- ソビエト連邦はアフガン侵攻ではなく、突厥侵攻を行い国際的な非難を浴びた。
- アフガニスタンは平和なまま。
- シベリア鉄道は突厥領を避けてバイカル湖北岸を走る。
- 替わりにアラル海沿岸のモイナク-ハルバシ湖北岸-ウテュケン山(突厥の首都)-ウランバートル-張家口の突厥鉄道が作られる。
- 現実のウズベキスタン~内モンゴルにかけての東西に長い国土。
- ヒッタイト
- 現在も製鉄王国。
- マケドニアのアレクサンダー大王はヒッタイトとの交戦を避け、西に進軍していた。
- トルコ共和国は存在せず、エーゲ海沿岸部はギリシャ共和国。
- イスラム帝国を撃退したため、アナトリア半島・バルカン半島ではイスラム教は普及ぜす。
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国[編集 | ソースを編集]
- 一時期アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアは一つで共和国を構成していました
- 民族の居住地域がさらに多様化していた。
- やはりトルコとの仲は悪そう。
- そんな中で親トルコ的なアゼルバイジャン人が独立運動を展開する。
- ソ連崩壊で独立するも内戦が起きるのは変わらない。
- コーカサスのユーゴスラビアで済めばいいがソマリア状態になっている可能性も。
- 国境線を変えたくない国際社会の意向により、さらに悲惨な状態になっていたと思われる。
クルディスタン人民共和国(マハバード共和国)[編集 | ソースを編集]
- クルド人が世界最大の少数民族になることはなかった。
- フセイン政権でクルド人が攻撃された時多くのクルド系イラク人がマハバードに逃げ込んだ。
- 現在ではイラク・クルディスタンとの合同が検討されていた。
- 一党独裁制もそれを見越して近年になりやっと放棄。
ペルシア帝国[編集 | ソースを編集]
- アケメネス朝
- ゾロアスター教が中東や中央アジア一帯に広まっていた
- 史実通りイスラム教が成立しても、イスラム教の代わりにゾロアスター教が東南アジアや中央アジアに広まる
- よってインドネシアやマレーシアはゾロアスター教を信仰する国になっていた
- 東南アジアにおいてイスラム過激派の活動は無かった
- その代わりフィリピンでキリスト教のフィリピン伝来が史実通りだった場合ゾロアスター教の過激派がフィリピンで活動していた
- 流石にイスラム過激派と提携事は無かったはず
- イスラム教シーア派は広まらずマイナーな宗派になっていた
- マケドニアにペルシアが滅ぼされないためヘレニズム文化は成立しない
- アケメネス朝が西部で存続するためイスラム世界のモンゴル人征服が無く、アッバース朝は史実より長続きしていた
- サファヴィー朝
- 正式名称はイラン帝国
- 首都のエスファハーンは高層ビルが乱立し現実世界のカイロのような都市になっていた
- オスマン帝国滅亡時までイスラム圏の盟主の地位を争う
- おそらくスンニ派のオスマン帝国とシーア派のサファヴィー朝という構図になっていた。
- 北部は余り発展せず、本格的な発展はカスピ海で油田、天然ガスが発掘されるのを待つ事になっていた
- ジャスミン革命で立憲君主制へ移行していた
- いずれにせよこれに近い状態になっていた。