もしあの地域が○○領だったら
(もしあの国が他国領のままだったらから転送)
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独立項目[編集 | ソースを編集]
アジア[編集 | ソースを編集]
スマトラ島がマレーシア領[編集 | ソースを編集]
- スマトラ島はオランダに支配される前はマレー半島と統一国家を形成する事が多かったです。
- マラッカ海峡全域が自国領になるためマレーシアの経済発展が早まり、アジアNIESに一角に成長していた
- 逆にインドネシアは現在でもアジア最貧国だったかも・・・
- インドネシアはジャワ語を公用語にしていた
- なお史実のインドネシア語の共になった言語はマレー語のリアウ州(スマトラ島に所在)の方言
- マレーシアの首都は内陸のクアラルンプールじゃなくて、沿岸部のマラッカ、ジョホールバル、シンガポールの(自国領のままなら)の何れかになっている
フィリピンがアメリカ領[編集 | ソースを編集]
- フィリピン・コモンウェルスは成立しなかった。
- とは言えフィリピン側の事を考えると戦後に51番目の州になっていたかもしれない。
- 人工的には三分割くらいが理想かと。
- スペイン系が多数を占める地域が州になっていたのでもしかしたらプエルトリコも州に昇格していたかもしれない。
- とは言えフィリピン側の事を考えると戦後に51番目の州になっていたかもしれない。
- 現在では沖縄同様東アジア防衛の要衝として位置づけられている。
- と言うかフィリピンが独立できない理由があったとすれば間違いなくこれが原因。
- 91年のピナツボ火山大噴火後も何とかして基地を存続させていた。
- 普天間の海兵隊の移転候補地としても浮上していた。
- というか前線基地の多くはここに移転していたかもしれない。
- アメリカ横断ウルトラクイズで最初に到達するアメリカ領はグアムではなくマニラだった。
- スプラトリー諸島(南沙諸島)の領有権問題にアメリカが参戦しもっとややこしいことになっていた。
- むしろアメリカ領として決着がついていたかもしれない。それでもパラセル諸島の領有問題は残るが。
- モロ・イスラム解放戦線がアメリカ本土でもテロを起こしていた。
- その結果アメリカとイスラム圏の関係が史実より早く悪化する。
- 国共内戦や文化大革命で大陸などから亡命する中国人が史実より多い。
- 「米西戦後にイギリスへ返還されていたら良かった」と思う住民がいたかも。
モンゴルが中国領[編集 | ソースを編集]
ちなみに中華民国は未だに領有権を主張しています。
- いまだに中国の支配下。
- 大躍進政策・文化大革命の被害も受けていた。
- 市場経済移行後も経済状況はよくなってきてはいるが、まだ発展途上。
- 少数民族地域なので冷遇されている。
- 北京から近いので新疆ウイグルやチベットよりはましだったと思う。
- しかし、経済は移住してきた漢族に牛耳られ、モンゴル人は貧しいまま。
- 北京から近いので新疆ウイグルやチベットよりはましだったと思う。
- 少数民族地域なので冷遇されている。
- 「外モンゴル自治区」になっていた(中華民国時代は蒙古省)。
- 逆に「内モンゴル自治区」が存在せず、隣接各省の一部になっている。
- 綏遠省・察哈爾省が存続していた。また寧夏も回族自治区ではなく省のままだったかも。
- 逆に「内モンゴル自治区」が存在せず、隣接各省の一部になっている。
- モンゴル語をキリル文字で書くことはなかった。
- モンゴル文字が未だに用いられるが、近年では「モンゴル語の出来ないモンゴル人」が増加している。
- それでも学校ではモンゴル語とモンゴル文字を習う。
- モンゴル文字が未だに用いられるが、近年では「モンゴル語の出来ないモンゴル人」が増加している。
- チンギス・ハーンは「民族主義の象徴」とされ今でも崇拝が禁止されている。
- 史実でロシア領トゥヴァ共和国となっている地域も中国領のままだった。
- 中国の少数民族として「トゥヴァ族」となっているがその地位はやはり低い。
- ただ、モンゴル人を懐柔するためにこちらは優遇されたかも?
- 中国の少数民族として「トゥヴァ族」となっているがその地位はやはり低い。
- やはり「モンゴル独立派」が存在する。
- 下手すると甘粛省や新疆も巻き込んでいた可能性も。
- ウイグルや台湾同様に日本の右翼にも支援されていた。
- 北京と庫倫(現実のウランバートル)を結ぶ高速鉄道が建設されていた。
- 日本の大相撲が現実のようにモンゴル人だらけになったかどうか怪しい。
- 柔道やレスリングなどのオリンピック競技に流れる人が多くなりそうな気がする。
- 史実通りモンゴル人が進出していた場合「中国人」として扱われ、「中国による日本の国技の乗っ取り」と現実以上に非難されていた。
- さすがに少数民族が日本の国技をやってる扱いになりそう。
- チベット仏教が史実以上に衰退していた。
広州湾がフランス領[編集 | ソースを編集]
- 1898年から99年間の条件で租借地となったが、第二次世界大戦の日本による占領を経て返還した。
- 国共内戦時には亡命者がここに来ていた。
- ベトナム戦争時にもベトナムから避難する人もいた。
- フランス領だったこともあってベトナムとの関係はそれなりに良かった。
- 国共内戦での戦況次第では返還もなかったかもしれない。
- おそらくは1997年に香港とともに返還されていたと思われる。
- 仏中関係はおそらく史実よりも悪い。
- それでも(当時香港を保有していた)イギリスが西側で最も早く大陸中国を承認したことを考えると承認は史実通りの時期だったかもしれない。
- 仏中関係はおそらく史実よりも悪い。
- 現在は良くも悪くも「マカオ以上香港以下」となっている。
- 関連項目
バーレーン・カタールがアラブ首長国連邦領[編集 | ソースを編集]
- かつてアラブ首長国連邦はバーレーン・カタールも含んでいましたが、石油が豊富に取れることから単独で独立した。
- ドーハはドバイと肩を並べる都市になっていた。
- UAEの税負担もしていた。
- 2022年のオリンピックはUAE全域で開催されていた。
- ワールドカップでは…
- バーレーン・カタールの経済力は史実とそんなに変わらない気がする。
- バーレーン~カタール~アブダビを結ぶ道路やメトロが開通していた。
バングラデシュがパキスタン領[編集 | ソースを編集]
- 1947年に英国から独立し1971年にバングラデシュとして再独立するまで、バングラデシュはパキスタンの飛び地「東パキスタン」でした。
- 流石に何らかの自治権を獲得している。
- 西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタンの国家連合になっていたかも。
- 首都機能の一部がダッカに移転している。
- インドとの関係によってはクチビハール問題が未解決の可能性がある。
- 史実よりこの地域のイスラム教色が強くなっていた。
- パキスタン・ルピー紙幣は現在でもベンガル文字が書かれている。
パキスタンがインド領[編集 | ソースを編集]
- 英領インドの独立がもっと早ければ間違いなくこうなっていた。
- 第1次大戦後に独立を認められていたらヒンドゥーとムスリムの対立はあまりなかった。
- 1931年のウェストミンスター憲章で独立が決まっていた場合でもそこまで対立は激しくなかったと思われる。
- 一方史実通りの1947年独立なら新生インドは当初から国内に深刻な宗教対立というとんでもない爆弾を抱えることになっていた。
- 分離独立を求めるイスラム勢力が武装蜂起し「インド内戦」が起きていた。
- 下手をすると未だに経済発展どころではない。
- ポンディシェリーやゴアの返還も大幅に遅れていた。
- あるいはムスリムに配慮しすぎてヒンドゥーの不満増大ということも考えられた。
- 分離独立を求めるイスラム勢力が武装蜂起し「インド内戦」が起きていた。
- 遅くとも2010年代のうちには人口世界一の座は中国から統一インドに移り変わっていた。
- 現実で首都のイスラマバードがあるあたりは良くてラワルピンディの郊外住宅地止まり。
- インドの連邦公用語にパシュトー語とバローチー語が加わっていた。
- バングラデシュ(旧東パキスタン)の独立ももちろんない。
- ヒンディー語とウルドゥー語は一つの言語になっていたかもしれない。
- 関連項目
ミャンマーがインド領[編集 | ソースを編集]
- 大英帝国時代、ミャンマー(ビルマ)も英領インドの一部でした。
- 現在もインド系住民が経済を握っている。
- 完全な自国民であるため排除するわけにいかない。
- ビルマ地方の独立を目指す勢力も活動している。
- ロヒンギャ問題も史実通り発生。
- バングラデシュもインド領ならそこまで問題にはならなかったかもしれない。
- ロヒンギャ問題も史実通り発生。
- クリケットが史実よりも盛んになっていた。
- IPLにミャンマーのチームはあったかどうか微妙。
ロシア沿海地方が中国領[編集 | ソースを編集]
- 中国が日本海やオホーツク海にも面している。
- ウラジオストクは海参威のまま。
- やはり中国の日本海沿岸の重要な港町として栄える。
- 奴児干はオホーツク海沿岸の重要な港町として栄える。
- オホーツクやマガダンが極東地方の中心として栄える。
- シベリア鉄道のルートもクラスノヤルスク以東はクラスノヤルスク~ブラーツク~アルダン~オホーツク~マガダンとなり、マガダン以東もマガダン~カメンスコエ~アナディリまで建設され、カメンスコエでカムチャツカ方面への支線が分岐していた。
- そのためチュクチ半島やカムチャッカ半島への陸上交通路が整備され、北極海沿岸への鉄道や道路など陸上交通路も整備されていた。
- 伯力(史実のハバロフスク)、海参威(史実のウラジオストク)、雅克薩(史実のアルバジン)省が置かれていた。
- 日本海沿岸とロシアの関係は現実程盛んではなかった。
- 代わりに中国との関係が盛んになっていた。
- 樺太は日清戦争で日本に割譲されたが、第二次世界大戦後に中国領土に復帰していた。
- この地域にあるロシアのロケット発射場はカムチャツカ辺りに建設された。
- 当然ながら満州国の一部になっていた。
- その時代には省も7つ位設置されていた。
- 現実より開発が進んでいる。
- 人口も8000万人位居る。
- 日露戦争はどうなっていただろうか?
- 北方領土は中ソ対立時の米中、日中接近の風潮の時に二島返還とかで手打ちになっていたかも。
- 长珲城际铁路はウラジオストクまで延伸。
- そうなっていれば瀋陽ではなく長春が新一線都市に認定されていたかも。
- 哈牡高速铁路も延伸し、哈爾浜も新一線都市に格上げされていた可能性がある。
- そうなっていれば瀋陽ではなく長春が新一線都市に認定されていたかも。
- 八縦八横をさらに沿海州のぶんをくわえた九縦九横が実現していた。
- 新潟と小樽は沿海州行きのフェリーがにぎわっていた。
沖縄が○○領[編集 | ソースを編集]
全般[編集 | ソースを編集]
- 安室奈美恵・仲間由紀恵・新垣結衣など沖縄出身の芸能人は日本ではほとんど知られなかった。
- 台湾領だとしたら台湾で有名になっていた。中国領だとしたら中国の人口があまりにも多いから、有名になっていないかも。
- 韓国領だとしたら韓流スターとして有名になっていた。
- 沖縄アクターズスクールも鹿児島に出来ていた。
- 日本で尖閣諸島はほとんど知られていない。
- そもそも尖閣諸島ではなく中華圏名の釣魚島という名前で有名になっていた。
- 台湾も共産党の支配下に入っていた場合、国民党は沖縄に逃げていた。
- 逆に大陸で国民党が共産党に勝って台湾も国民党の支配下にあった場合、共産党が沖縄に逃げていた。
- 沖縄戦の中心が中国軍だったらこうなっていた。
- 日本における南国リゾートと言えば宮崎か鹿児島(特に指宿・大隅半島・大隅諸島)。
- そのため南薩や大隅半島や大隅諸島は現実程過疎化せず、大隅線や南薩線は廃止されなかった。
- 鹿児島県の人口も200万人を越え、鹿児島市は政令指定都市に移行していた。
- 鹿児島でキャンプをするプロ野球球団もあった。
- と言うより現実の沖縄の立場が鹿児島だった。
- イメージとしては現実の鹿児島の田舎に沖縄の南国リゾートを足したものになっていた。
- 2000年のサミットも鹿児島で開催された。
中国[編集 | ソースを編集]
- 中華人民共和国沖縄省になっていた。
- 在日米軍は本土に集中していた。
- 当然、中華民国も領有権を主張していた。
- 奄美群島の領有権も主張し、実効支配もしていた。
- 南方領土と呼ばれていた。
- でも流石に大隅諸島の領有権は主張していない。
- そのため大隅諸島、特に種子島が国防の拠点になっていた。
- 種子島には自衛隊の弾道ミサイルが配備されていた。
- 宇宙センターの隣は自衛隊基地となっていた
- このため宇宙自衛隊が出来ていたかも。
- SCAPIN677と言う日本の一部の外郭領土の施政権を停止する施行令に基づきトカラ列島の領有権も主張し、実効支配もしていたかも。
- 中国海軍の太平洋における拠点として、基地が置かれていた。
- 中国屈指のリゾート地として栄えていた。
- 中国のスポーツキャンプ地となり、強豪スポーツチームのいくつかはここでキャンプをしていた。
- 尖閣諸島は台湾との係争地になっていた。
台湾[編集 | ソースを編集]
- 中華民国台湾省琉球県あたりになっていた。
- 日台関係が現実より少し悪かったかも。
- 当然、大陸側も領有権を主張していた。
- 奄美群島の領有権を主張するかは微妙。
- 大陸側が主張していたらこっちも主張していそう。
- 台湾のエイサーの由来が沖縄のそれになっていた。
- 尖閣諸島の領土問題はなかった。
- 台湾プロ野球の球団が置かれていただろう。
- 台湾プロ野球人気が長らく4球団制で低迷することもなかった。
- CPBL,TML分立時代なら沖縄市と那覇市の両方に球団があってもおかしくない。
- さすがに台湾と沖縄の規模では2リーグ制を維持できないと思われるため、那覇市の1球団が入るCPBLのみに戻る。
- WBCなどの国際大会で台湾代表は史実よりも活躍していた。
- NPBの外国人枠にアジア枠ができていたかも。
- 山川穂高は助っ人外国人として来日していたかも。
- おそらく例の事件では二軍落ちではなく解雇・送還になっていただろう。
- 大城や嶺井が「外国人捕手」としてレギュラーになっていれば、ディンゴやアリエルマルティネスは史実ほど話題にならなかった。
- 山川穂高は助っ人外国人として来日していたかも。
- NPBの外国人枠にアジア枠ができていたかも。
韓国[編集 | ソースを編集]
- 大韓民国琉球道あたりになっていた。
- 韓国を代表するリゾート地になっていた。
- 並びに半島本土から寒さを避けるために移住する韓国人が多かった。
- 奄美群島の領有権を主張するかは微妙。
- 尖閣諸島は韓国と中国と台湾の係争地になっていた。
- 韓国プロ野球の球団が置かれていたかは微妙。
- 那覇都市圏の人口規模だとかなりギリギリ。
- もし置かれていたとしても設置は最近の10球団制拡張の時期だっただろう。
- ソウル市に3球団は過剰という意見も多いことから、ウリヒーローズのかわりに琉球ヒーローズとして参加していたかも。
- もしくは全州レイダース復活と共に参入して12球団になっていたかも。
- しかし韓国サイトMLBPARKの意見では、韓国の規模に沖縄を足しても12球団は厳しいという声も多い。
- もし置かれていたとしても設置は最近の10球団制拡張の時期だっただろう。
- 那覇都市圏の人口規模だとかなりギリギリ。
- 沖縄はバスケ人気も高いことから、KBLにも球団を参入させていた可能性が高い。
- サッカーは人口規模だけならKリーグ参入は可能そうだが、野球とバスケの人気に押されて二部落ちしていたかも。
- 史実でも沖縄は高校野球人気や琉球ゴールデンキングスの人気が高い一方、FC琉球は苦戦続きで現在J3なことから。
- WBCなどの国際大会で韓国代表は史実よりも活躍していた。…か?
- 時期によっては代表クラスを輩出できないかも。
- とはいえヤン・ウィジのバックアップに大城を併用できれば打撃面でもリード面でも研究されにくくなるかも。
- NPBの外国人枠にアジア枠ができていたかも。
- 2019年のプレミア12では決勝で日本を破って優勝していたかも。
- 2021年の東京五輪でももう少しうまくやっていた可能性が高い。
ボルネオ島全域が○○領[編集 | ソースを編集]
ブルネイ[編集 | ソースを編集]
クウェートがイラク領[編集 | ソースを編集]
- つまり「サバーハ家(現クウェート首長)がイギリスの味方にならなかった場合」。
- 現在はイラクの一部で「クウェート県」となっている。
- クウェートとバスラがイラクの2大港湾都市として栄えていた。
- 史実のバスダッド-バスラの鉄道がクウェートまで延びていた可能性もある。
- 必然的に湾岸戦争は起きなかった。
- フセイン政権は親米的な状態で「アラブの春」あたりまで続いた。
- ひょっとするとどこかのタイミングでアメリカがイラクをけしかけ第2次イラン・イラク戦争が起きていた可能性すらある。
- フセイン政権は親米的な状態で「アラブの春」あたりまで続いた。
ヨーロッパ[編集 | ソースを編集]
オーストリアがドイツ領[編集 | ソースを編集]
- 「モーツァルトはドイツ人なのかそれともオーストリア人なのか?」とドイツを騒がせた議論が起こる余地は無かっただろう。
- 1991年1月27日付の英"The Observer"紙にて、1791年12月25日に掲載されたモーツァルトの死亡記事を「モーツァルトはドイツ人ではなくオーストリア人」と訂正することもなかった。
- 首都はベルリンではなく、神聖ローマ帝国の首都であったウィーン。
- いや、ナチスドイツ指導下で進んだ話が今もそのままだったらベルリンだった。
- あるいは中間地点としてミュンヘンなどになっていたかもしれない。
- 第二次大戦後にドイツ同様東西に分割されていた。
- オーストリアの東側は「東オーストリア」という東ドイツの飛び地になっていた。
- あるいはオーストリアそのものは分断されない(ドイツのまま)が、ハンガリーとの国境沿い(旧ハンガリー王国領)がハンガリーに割譲されていた。
- 最もありそうな展開としては「1848年の二月革命の影響によりオーストリア帝国各地で独立運動が発生し帝国が空中分解→大ドイツ主義に基づきドイツ人居住地域が「ドイツ」に組み込まれる」といったところか?
- オーストリア帝国政府がナショナリズムに否定的だったため大ドイツ主義は実現しなかった。
- サッカードイツ代表のワールドカップでの優勝回数が増えていた。
- 『わが闘争』でのハプスブルグ家批判の描写はなかった。
- そもそもヒトラー(オーストリア出身)がドイツ帝国出身になっていたため極端な民族主義に走ることは無かった。
- ただし貧農の子供であったことを考慮するとそうなっていたかも。
- レッドブル・ザルツブルクとRBライプツィヒのどちらかは存在しなかった。
- どちらにせよ、両チームの資金力を合併できていればバイエルン・ミュンヘンの独走は阻止できていた。
- むしろRBが連覇とcl制覇を達成していた。
- どちらにせよ、両チームの資金力を合併できていればバイエルン・ミュンヘンの独走は阻止できていた。
- railjetはICEの一種になっていた。
- nightjetは誕生せず、CityNightLineが現存していた。
- AfDとFPÖ、CDUとÖVP、SPDとSPÖ、LinkeとKPÖ、FDPとNEOS、両国のGRÜNEがそれぞれ提携していた。もしくは最初からひとつの政党だった。
- オーストリアのほうがドイツよりナショナリズムと欧州懐疑主義が強いため、ドイツ政治もそれに引っ張られていた。
- ノルベルト・ホーファーとアリス・ワイデルのタッグが実現していれば、選挙でかなりの好成績を残していた。
- LinkeもKPÖと合併していれば、そちらに引っ張られて反西側色が強まっていた。
スイスがオーストリア領[編集 | ソースを編集]
- スイスはハプスブルグ家発祥の地であり、元々はオーストリア領でした。しかしスイス都市間の原初同盟と農民で構成された同盟軍がオーストリアの精鋭部隊に連勝し、ついにはヴェストファーレン条約によってスイスは独立を勝ち取るのですが、仮にスイスの独立がオーストリアによって潰されていたらどうなっていたのでしょうか?
- イタリア北部の山岳地帯がオーストリア領になっていた可能性も・・・
- オーストリアが第1次大戦で敗戦後は現実世界のスイスの一部がイタリア領になった可能性もある。
- モンブランはオーストリアを代表する山に。
- オーストリアは金融のイメージを持たれる。
- ゴルゴ13はオーストリア銀行に口座を持っている設定になっている。
- 冷戦時代にはオーストリアの首都をウィーンからチューリヒに移転しようとする議論が頻繁に行われる。
- つかその「原初同盟軍」って、後にその精強さで知られるようになるスイス傭兵の元祖だろ?
- 奴らの長槍密集陣形の登場によって、重騎士正面突撃しか能のない中世戦術に革命がもたらされるんだが、奴らが名を上げる前に潰されるってことは・・・
- とりあえずローマ法王庁の衛兵の出自が変わるのは確か。
- スイス部隊に文字通り「おんぶにだっこ」状態だったフランスの絶対王権の確立が、1世紀ぐらい遅れるのも確か。
- 奴らの長槍密集陣形の登場によって、重騎士正面突撃しか能のない中世戦術に革命がもたらされるんだが、奴らが名を上げる前に潰されるってことは・・・
- 「永世中立国」の代名詞はどこになっていたのだろうか…。
- オーストリアになる。(現実のオーストリアも一応永世中立国)
- あるいは概念そのものが存在していない。
- ベルギーか(敗戦後の)日本かな。
- ただ史実を考えるとオーストリアが永世中立国になるのは早くても戦後になり現実世界のスイスにあった国際機関の大半は別の都市に設立されていた
- 設立経歴を考えると国際オリンピック委員会(IOC)と国際サッカー連盟(FIFA)の本部はパリにある
- 国際連盟もジュネーブではなくロンドン(第1次大戦が勃発するまでイギリスが世界一の大国だったため)かブリュッセルのどちらかに本部が置かれていた
- 国際連盟の本部がロンドンにあった場合、第2次大戦の勃発で国際連盟が機能不全(連盟が機能不全に陥った原因はナチスドイツがヨーロッパの大半を征服し本部のあるジュネーブが地理的に孤立したためなので)に陥る事はなった
- この場合、戦後に設立された国際連合の本部もロンドンに置かれている可能性がある
- 史実ではニューヨーク以外ではロンドンも国際連合本部の誘致に熱心だった、仮に国際連盟の本部が置かれていたら、あっさりロンドンに決まった可能性もある
- 現実のニューヨークの国連本部は国連北米支部か史実でロンドンに置かれていた国際海事機関のビルとなっていた
- 国際連盟の本部がロンドンにあった場合、第2次大戦の勃発で国際連盟が機能不全(連盟が機能不全に陥った原因はナチスドイツがヨーロッパの大半を征服し本部のあるジュネーブが地理的に孤立したためなので)に陥る事はなった
- 直接民主主義はどこの代名詞になっていただろうか。
- マジックフォーミュラはどうなっていただろう。
- 現実のスイス領内が鉄道だらけになることはない。
- リヒテンシュタインはおそらく存在しなかった。
- 二重内陸国はウズベキスタンだけに。
- ウィリアム・テルはただの反逆者でしかなかった。
- おそらく現実のスイス領のうち、ドイツ語圏しかオーストリアに残っていない。
- フランス語圏はフランスに、イタリア語圏も「未回収のイタリア」の一部とされ結局イタリアに割譲。
- ドイツ語圏がまとめてドイツ領になってしまったかもしれない。
- スイススーパーリーグのクラブがオーストリアに加わっていれば、サッカーリーグのレベルは有数のものになっていた。
- UEFAリーグランキングではポルトガルやロシアに迫る8位くらいになっていたのではないか。
- 代表チームもドイツやフランスに迫る強豪国になっていた。
- 地味にアイスホッケーでも世界有数の強豪国になっていた。
スロバキアがハンガリー領[編集 | ソースを編集]
- スロバキアは10世紀から第一次大戦後の1918年まで北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリー領でした。
- チェコスロバキアは成立しなかった。
- 代わりにチェコ共和国(ボヘミア?)が単独で独立している。
- ウクライナ・ザカルパッチャ州もハンガリー領(ちなみに現在でもハンガリー系住民が多い)。
- 冷戦以後の歴史は史実とそこまで変わらない。
- 冷戦以後もワールドカップ出場常連に。
- 国旗はハンガリーの旗にスロバキアの国章を加えたものに。
- 3つの丘に白い複十字は二国共通の紋章だが、丘が青いのがスロバキア、緑なのがハンガリー。そのため、ハンガリーの緑の三色旗にスロバキアの青い国章を加えるといいと思う。
- 史実ほどオルバン政権が強くはなかったかも。
- それでも連立を増やして与党を維持できただろう。
チェコ、スロベニアがオーストリア領[編集 | ソースを編集]
- チェコとスロベニアはオーストリアハンガリー帝国時代はオーストリア側の管轄であり神聖ローマ帝国(ドイツ)の領域でした
- 唯一の湾岸都市であるコペルは大きな史実より規模の大きい都市となる人口は最低でも50万人を突破していた
- 神聖ローマ帝国の皇帝の所在地であるプラハがオーストリア領のままなのでオーストリア人はオーストリアこそ正当なドイツ国家と考える国民が多数になる
- オーストリアがサッカー大国から転落する事は無かった
- 国内リーグも高レベルのまま推移しており日本人選手も多数所属していた
- 4大リーグに匹敵。
- オーストリア出身の監督も多数のJリーグのチームで指揮をしていた
- オーストリア人監督が指揮をした経験のあるJリーグチームは浦和レッズ、名古屋グランパス、サンフレッチェ広島、ジェフ千葉といった所だろうか
- ドイツともライバル関係となっていたか。
- 国内リーグも高レベルのまま推移しており日本人選手も多数所属していた
- チェコとオーストリアの最近の政治の流れを考えれば。大幅に多党化していた。
- ボヘミアモラビア共産党(KSCM)が議席を失うことはなかった。
- むしろスロベニアのLEVICAや最近数十年ぶりに州議会に復活したオーストリア共産党などと共闘し、国会に議席を確保していた。
- チェコ海賊党人気があるため、オーストリアでも海賊党が議席をとっていた。
- ANOやTOPも史実通り人気に。BIERも議席を確保し、オランダなみの多党化に。
- ボヘミアモラビア共産党(KSCM)が議席を失うことはなかった。
- 野球チェコ代表は史実以上に健闘していた。
- エクストラリーガがオーストリアにも展開していた。
- アイスホッケーでも有数の強豪国になっていた。
フィンランドがソ連領[編集 | ソースを編集]
- 内戦で赤衛派が勝っていたらありえた。
- 1990年頃に独立していた。
- スカンジナビア三国がソ連の衛星国に。
- ペサパッロがソ連全土に普及していたかも。
- インドのクリケットプレーヤーから野球選手を発掘するプロジェクトがメジャーであったように、ロシアのペサパッロプレーヤーから野球選手を発掘するプロジェクトが行われていたかも。
- フィンランドのメタルもソ連全土に普及していたか。
- フィンランドのメタルがソ連全土で流行った場合、ユーロビジョンでメタルバンドが優勝するのは史実よりももっと早かった。
- 世界的にメタルの地位が凋落することもなかった。
- むしろユーロビジョンはユーロメタルになっていた。
- 紅白歌合戦が紅白メタル合戦になり、KPOPはKMETALになっていた。
- 衣装も初期の東方神起みたいなのが20年代でも主流だった。
- 紅白歌合戦が紅白メタル合戦になり、KPOPはKMETALになっていた。
- フィンランドのメタルがソ連全土で流行った場合、ユーロビジョンでメタルバンドが優勝するのは史実よりももっと早かった。
アフリカ[編集 | ソースを編集]
スーダンがエジプト領[編集 | ソースを編集]
- スーダンはエジプトが保護国だった時代共同統治領でしたがもしスーダンもエジプト領だった場合、どうなっていたか?
- エジプトはアフリカ最大の国。
- どっちにせよ南スーダンは切り離されていたか?
- 南スーダンだけでなく北スーダンでも独立が活発化していた。
- しかし北スーダンの独立派と南スーダンの独立派は連携しない。
- 南北スーダンの対立を利用する形で独立を阻止していた。
- ダルフールもあることからヌビア地方は長い間混乱していた。
- 場合によってはエジプト本国も影響を受ける。
- 観光を主要産業にできなかったかもしれない。
- 場合によってはエジプト本国も影響を受ける。
- しかし北スーダンの独立派と南スーダンの独立派は連携しない。
- 国名が「クシュ」あたりになっていた可能性もある。
- 南スーダンだけでなく北スーダンでも独立が活発化していた。
- 地域名としては「スーダン」ではなく「ヌビア」となっていた。
- 現実のマリが「スーダン」を名乗っていた。(旧フランス領スーダンだったため)
- 現実で線路が途切れているアスワンとワジハルファの間も鉄道でつながっていた。
- 同じゲージに改軌されている場合はエジプト鉄道の列車がラムセス中央駅(カイロ)からハルツームまで直通していた。
- 紅海に面したポートスーダン市は現在までに改名されている。
- オサマ・ビンラディンがこの地に足を踏み入れることはなかった。
- 史実でスーダンに潜伏していた頃エジプトは親米のムバラク政権だったため。
アルジェリアがフランス領[編集 | ソースを編集]
- 公式には植民地ではなく一種の海外領土とされていた。
- アルジェリアにEUの規定が適用されるか問題になっていた。
- 本土の対岸ということもありギアナ同様にユーロは導入されていたと思われる。
- リビア辺りがアルジェリア独立勢力を支援していた。
- それによるテロもたびたび起こっていた。2013年に起きた天然ガス精製プラント襲撃事件もここが関わっていた。
- ソ連崩壊までは史実のFLNに相当する勢力がソ連や東ドイツの支援を受けていた。
- フランスとソ連の関係が悪化していた。
- アフリカ諸国の難民・移民がここを目指すため、国境警備に手を焼いていた。
- 現在ではたとえ海外領土扱いだろうと「アフリカ最後の植民地」と呼ばれている。
- 国連の非自治地域リストにも記載されていた。
- フランス政府に協力的なアラブ人の組織や白人主導でのアルジェリア独立を求める組織も誕生しますます収拾がつかなくなっていた。
- OAS(秘密軍事組織)の後身団体も21世紀まで存続している。
- フランスの核実験はずっとサハラ砂漠で行われている。
- 「ムルロア環礁」など知っている日本人は皆無。
- ビアフラ紛争でフランスがビアフラを支援した際にナイジェリア政府が「ビアフラを第2のアルジェリアにしようとしている」と非難していた。
- アルジェリア独立に好意的な見方をしていたアメリカとの関係がもつれていた可能性あり。
- フランスのNATO脱退(1966)の一因にもなっていた。
- 中ソ対立後、中国とフランスが接近し、冷戦は三つ巴に。
- アラブ系住民の比重が高くなり、場合によってはアラブ系大統領が誕生していた。
ナミビア・ボツワナ・ジンバブエ・レソト・スワジランドが南アフリカ領[編集 | ソースを編集]
- 1990年までナミビアは南アフリカの委任統治領(国際連盟解体後も信託統治領に移行せずそのまま所有)だった。
- また、南アフリカは旧英保護領のボツワナ・レソト・スワジランドや英直轄植民地のジンバブエ(当時はローデシア)も狙っていたらしい。
- 当然、この土地にもホームランド(バントゥースタン)が置かれていた。
- ちなみにナミビア(当時は南西アフリカ)にもホームランドを置く計画もあったが、人口が希薄で原住民がまだ原始的生活を送っていたこととアンゴラ独立戦争もあって有耶無耶に終わった。
- ボプタツワナは史実のボツワナまで広がるも、ダイヤモンド鉱山などは南アフリカ領にされていた。
- レボワは史実のレソトの範囲まで広がっていた。
- カングワネはスワジランドの一部にされていた。
- その他、ジンバブエにもできていただろう。
- 極端な話、差別が史実以上だった場合はむしろ諸外国がホームランドを承認してしまった可能性すらある(ホームランドにしっかりとした領土の確保を要求させた上で)。
- その場合、クワズールーもナタール州ごと独立していたかもしれない。
- 黒人の比率が圧倒的だったので差別問題は史実以上に深刻化していた。
- なお、史実でもレソト(当時はバソトランド)・スワジランドの割譲は計画されていたが、人権問題が深刻化していたことと南アフリカが英連邦を離脱したこともあって流れた。
- この状況下でも割譲が許されたということは、アフリカにおける共産化が史実以上に進み、西側諸国が(共産対策のため)黙り込みを決めた場合とか。
- そしたら、冷戦時に南アフリカで大規模な内戦が起きていた可能性もあるだろう。
- 史実ではローデシア共和国の首相だったイアン・スミスは国民党に入党していた。
アメリカ[編集 | ソースを編集]
サン・バルテルミー島がマルタ騎士団領[編集 | ソースを編集]
- 1744年からスウェーデンに売却されるまでマルタ騎士団の財産になっていた。
- 領土があるので外交関係を持つ国は多いはず。
- 国連に加盟していた。
- それでも歴史的経緯で考えるとマルタ騎士団の首都はグスタビアではなくローマになるはず。
アラスカがカナダ領[編集 | ソースを編集]
- アラスカは飛び地ではなかった。
- 世界最大の飛び地はカリーニングラードに。
- 州になっていたかは微妙。
- カナディアン航空はエアカナダと合併しなかったかも
- カナダ憲法22条にもとづき上院議席が配分されていた。
- カナダ西部の24議席に入っていた場合、元から人口比で不利なアルバータ州とブリティッシュコロンビアの不満が高まる。
- もしくはマニトバ州とサスカチュワン州を上院4議席に削減しアラスカも4議席になっていた。
- カナダ西部の24議席に入っていた場合、元から人口比で不利なアルバータ州とブリティッシュコロンビアの不満が高まる。
- カナダ自由党は史実ほど強くなかった。
- アラスカはカナダ保守党の地盤であった可能性が高い。
- ブロックケベコワのような地域政党ができていたかも。
- それでもトップ4プライマリーや恒久基金(擬似ベーシックインカム)などのアラスカ特有の制度は史実通り導入されていた。
オセアニア[編集 | ソースを編集]
フランス領南方・南極地域がオーストラリア領[編集 | ソースを編集]
- オーストラリアのインド洋での影響力が強まっていた。
- 日本人がワーホリ出稼ぎで南極領の保全をやるケースが増えていたかも。
- 上院ではノーザンテリトリー同様2議席が与えられる。オーストリア上院は78人に。
ニュージーランドがオーストラリア領[編集 | ソースを編集]
- 1901年のオーストラリア連邦誕生時に加わっていた場合。
- 国名が「オーストララシア」になっていたかもしれない。
- 法的な位置づけとしては「ニュージーランド州」としてニューサウスウェールズやビクトリアと同じ立場だった。
- かつてはホールデンがニュージーランドにも工場を持っていたが撤退。
- ラグビーのナショナルチームが導入することはないと思われるのでハカの知名度は現実より低い。
- 「オーストラリアの離島の先住民の文化」として一部に知られる程度。
- オーストラリアンフットボールがニュージーランドにも本格普及するため、史実よりもさらにラグビーはマイナーになっていた。
- マオリの子女も大陸やタスマニアの先住民同様に親から引き離され白人家庭で生活させられた。
- ワイタンギ条約はオーストラリア連邦編入の時点で死文化された。
- サッカーのOFCはAFCかコンカカフに統合されていた。
- あらゆる競技のオーストラリア大陸予選がどこかに統合されていた。