もしあの国が成立していたら
アジア[編集 | ソースを編集]
アラブ連合[編集 | ソースを編集]
フサイン=マクマホン協定によりハーシム家の一族を国王として成立しようとしていたアラブ王国
しかしその約束は破られたのだが実史と違ってアラブ王国が成立していた場合はどうなっていた。
- 全般
- 首都は多分バグダードになっていただろう。
- その場合ペルシャ湾の開発が実史よりも進んでいただろう。
- アラビア語はカイロ方言よりもバグダート方言の方が有名だったかも知れない
- どっち道イスラエルとは対立していたと思う。
- パレスチナは独立でなくアラブ王国への併合を求めて(つまり実史の北アイルランドと一緒)いたかも知れない
- エジプトとシリアが手を組んだアラブ連合共和国は誕生しない。
- サッカーアラブ王国代表が途轍もなく強くなっていた。
- ライバル国の数が減るので日本のW杯初出場は早まる。
- オスマン帝国滅亡後、ハーシム家が代々カリフとなる。
- そのため「アラブ帝国」と表記される。
- ひょっとするとエジプト、更にはマグリブまでも統合していたかもしれない。
- 中東の石油の大部分を保有しているため、とてつもなく豊かな国となっている。
- 2010年代に入ってから民主化運動が勃発する。
- アラブ共和国編
ナセルが中国のような社会主義のアラブ統一政権を樹立してたかも。そうなると以下のようになるだろう。
- 国名:アラブ人民共和国 首都:カイロ 成立年:1952年 初代国家主席:ナセル 初代首相:サダト 政権政党:アラブ社会党
- 成立前、アラブ諸王国の腐敗政治による格差の是正を正すため、戦後ソ連の支援でナギブの自由将校団が蜂起し、戦い、勝利したものの、絶大な支持を得たナセルがリーダーを奪い、そして建国。
- 建国後、諸王家はキプロス島に逃げ、ハーシム家をリーダーに加え、「アラブ君主国」を建国。そして、今の台湾みたいに、しょっちゅうアラブ人民共和国と小競り合いする。
- キプロスはただでさえ、ギリシア系とトルコ系で厄介なのに…。
- 領土はマグリブ地域からアラビア半島全域。自治領にスーダン、モーリタニア。
- ちなみに、パレスチナは英国領のままで、香港のような位置になる。中心地はテルアビブ。ちなみに、このときのパレスチナはエルサレムとテルアビブを中心としたごく狭い地域である。そして、アラブ人中心である。
- 流入したユダヤ人が「イスラエル」建国を求めており、そのうちの過激派は現代までテロを起こし続けている?
- 建国後まもなく、アメリカと、イランを巡って戦争。1956年に停戦。その後、北緯30度線を境に、アメリカの支援する「イラン君主国」(首都:テヘラン)と、ソ連とアラブ人民共和国が支援する「イラン民主主義人民共和国」(首都:シーラーズ)に分かれる。
- むしろ、東西になる予感。
- この際、ソ連がクルディスタンを独立させようとし、アラブ人民共和国との間で火種となる。
- ちなみに、反共の防波堤として、トルコが「イラン特需」で、大発展。60年代の高度成長で、中東1の経済大国となり、アラブ人民共和国そしてソ連と対峙する。
- それから、イラン君主国、キプロス、英領パレスチナ、ドバイがアラブ四魔人として、大発展。
- イラン戦争後、1966年にナセルがイスラム学者や地主に対する大弾圧を決行。しかし1976年、ナセルとサダトが相次いで病死。死後、ナセルは批評の嵐にさらされる。
- 死後、国家主席に就任したサダム・フセイン、「改革開放」を断行。英領パレスチナとの境であるヨルダン川東岸に、いくつか経済特区を設置。そして、経済の中心地ベイルートにも、高層ビルが乱立する。
- 1989年にカイロで大規模な学生運動が勃発。けれどもアラブ人民軍がこれを鎮圧。
- 同じころバブル経済に浮かれていたトルコ、国民所得が3万ドルの総中流国家に。しかし、90年のバブル崩壊で、失われた10年を経験。それを尻目に、アラブ大発展。
- 一方、91年に崩壊したソ連の経済をアラブからの商人が救う。よってモスクワにアラブタウンが。
- 同じころバブル経済に浮かれていたトルコ、国民所得が3万ドルの総中流国家に。しかし、90年のバブル崩壊で、失われた10年を経験。それを尻目に、アラブ大発展。
- 1997年、フセイン、60歳の若さで病死。後継者にレバノン人のエミール・ラフードがなったが、ヨルダンの発展が気に食わないので、ヨルダン閥を弾圧、そしてベイルート閥を政権に呼び寄せる。
- 同じく1997年に英国からパレスチナ返還。これにより、「アラブ人民共和国パレスチナ特別行政区」となる。その影響もあってか、アラブ4魔人やトルコに経済危機が勃発。ライバルのいなくなったアラブ、欧米やトルコ、キプロスの投資マネーで世界の工場に、そして2008年ようやくカイロオリンピックが、また2010年にベイルート万博が開催予定。
- その甲斐あって、ブラジル、ロシア、インドとともに、BRIAsになる。
- しかし、公害が激しく、砂漠化がひどい。
- また、イラン民主主義人民共和国は「地上の楽園」として在土イラン人の帰還事業やトルコ人の拉致を決行。最近では核実験をしてるかも。
- その甲斐あって、ブラジル、ロシア、インドとともに、BRIAsになる。
- 同じく1997年に英国からパレスチナ返還。これにより、「アラブ人民共和国パレスチナ特別行政区」となる。その影響もあってか、アラブ4魔人やトルコに経済危機が勃発。ライバルのいなくなったアラブ、欧米やトルコ、キプロスの投資マネーで世界の工場に、そして2008年ようやくカイロオリンピックが、また2010年にベイルート万博が開催予定。
大シリア[編集 | ソースを編集]
サウジアラビア王国の成立によりハーシム家を君主とする統一アラビア半島政権構想は頓挫しますが
その前座としてイラク国王であるファイサル2世とヨルダン国王であるフセイン1世が大シリア構想からなるアラブ連邦を結成しますがイラクのクーデターによる王制廃止で1年で崩壊します
仮に大シリア構想が実現していたら?
- ヨルダンとイラクで存続していた場合
- 国名はシリアを名乗らず「アラブ連邦」を名乗っていた
- 独自のアラブ世界統一を目指していたエジプト・シリアとは対立していた
- 上記の国に加えシリア、レバノン、パレスチナを含めていたら
本来の大シリアは現在のヨルダンとイラクに加えてシリア、レバノン、パレスチナを含みます。
- トルコとはハタイ県をめぐって対立していた
- エジプトはアラブの盟主になれなかったかも知れない
- イスラエルとはエルサレム旧市街をめぐって対立する
- 現在のパレスチナ自治政府が広く認められたか微妙(この場合、大シリアが全パレスチナの所有を主張するだろうから)
- 国内の宗教問題でテロが続発した可能性も
- 史実でもイラクはシーア派、レバノンとシリアのキリスト教人口はそれなりに多い
- 下手するとキリスト教徒人口がレバノンに移住する形でレバノンが離脱していたかも知れない
- 正式国名は「シリア・ハシミテ王国」となる。
南インド[編集 | ソースを編集]
インドがイギリスからの独立時、南インドを北部とは別の国として独立させようとする運動があったので、こんな項目を
- 国名はドラヴィダスタン共和国(または連邦共和国)となっていた。
- スタンいるかな?ドラヴィダ共和国。ドラヴィディアとか。
- ヴィジャヤナガル共和国の方がいい。
- ゴア、アンダマン諸島の帰属をめぐって実史の北部にあるインド共和国と対立していた
- 冷戦期はアメリカ寄りの国家に
- そのため韓国とほぼ同時期にF-15Eを導入していた
- 南部の工業地帯、シリコンバレーが無いのでインド(北インド)の発展が実史に比べて遅れていた
- その代わりにコルカタ、アフマダーバード、ポーパールの何れかが発展していた
- 教育水準が高く工業が発展していることから北部に比べて豊かな国になっている、一人当たりのGDPはタイと同程度になっていた
- 首都はバンガロールまたはチェンナイになっていた
- 高速鉄道、高速道路がバンガロール~チェンナイまで繋がる
- 下にある通り、北インドとの国境がスーラト~バレシュワルに引かれていたら国土の中心にあるハイデラバードが首都になっていた。
- 独立していた場合公用語は何語になっていたのだろう・・・テルグ語が最も多数派、タミル語はドラヴィダ語の中で最も主要な言語とされてる、首都のバンガロールがあるカンダナ州はカンダナ語が公用語
- おそらく首都圏言語を考えるとタミル語の影響を受けまくったカンダナ語(一部はテルグ語からも影響を受ける)という可能性も
- その場合、カンダナ州の西部、北部の人があいつらが言うのはカンダナ語じゃない!バンガロール語だ!と主張していた。
- 補足として現在の東京方言は江戸時代のころと比べて関東各県の影響を受けている
- ちなみにスコットランド英語はイギリス英語と比べスコットランド語の影響がいくらか残っている
- 結局、共通言語として英語が使用される。
- おそらく首都圏言語を考えるとタミル語の影響を受けまくったカンダナ語(一部はテルグ語からも影響を受ける)という可能性も
- 現実のパキスタン同様に親中国になっている。
- 国境がスーラト~バレシュワルに引かれていた場合、ムンバイも自国領となるので、ボリウッド映画はヴィジャヤナガル(仮)の映画となっていた。
- 並びにインド映画の拠点はコルカタになっていた。
- ムンバイはヴィジャヤナガル経済の中心に。
- 一方でインド経済の中心はコルカタに。
ハイデラバード[編集 | ソースを編集]
- 藩王がイスラム教徒だったハイデラバードは自立を求めたが、インドに併合された。もしここでパキスタンに編入され、後に独立していたら?
- パキスタンに併合されていた可能性もある。
- それまでは「中パキスタン」と呼ばれていた。
- 少なくとも市民はパキスタン・バングラデシュ以上にインド編入の意思が強かっただろう。
- 一つの国に領土を囲まれた内陸国がレソト以外にもできる。
- 国名は「ニザーム」。
シベリア・ソビエト社会主義共和国[編集 | ソースを編集]
- ウラル山脈以西とは別の構成国になっていた。
- ウラル山脈以西はモスコビア辺りの国名になっていた。
- ソ連崩壊でシベリアという国になっていた。
- 北方領土はこちらの領土になっていた。
- このためソ連崩壊時にすんなり日本に返還していた。
- 外満州の中国への、ブリヤートのモンゴルへの返還も実現していた。
ヨーロッパ[編集 | ソースを編集]
大ギリシャ[編集 | ソースを編集]
大ギリシャ構想(メガリ・イデア)はギリシャ国王オソン1世がによって唱えられたギリシャ民族統一主義で、第1次大戦後はこれを元にした領土を実現しようとしていました。具体的には現在のギリシャ国土に加えアルバニアのチャメリア地方、ブルガリア南部、キプロス島、トルコのマルマラ地方、トルコ西部沿岸部、トルコ北西沿岸部の半分近くを得ようとしましたがトルコの抵抗や仲介役となったイギリスの意向で失敗します。
では仮にギリシャが上記地域の保有化に成功していたらどうなっていたでしょうか?
- 上記の領土を実現した際ギリシャの首都はイスタンブールへ移転していた
- そもそもイスタンブールではなく首都になると同時にコンスタンティノープルに再改名されていた
- むしろ「ビザンティウム」かと。
- 当時の流れを踏まえると武装禁止などかなりの制限が付けられていた。
- セーブル条約ではボスポラス・ダーダネルス両海峡の非武装化が予定されていた。
- この点が後に何らかの火種になった恐れもある。
- そもそもイスタンブールではなく首都になると同時にコンスタンティノープルに再改名されていた
- 旧トルコ領のイスラム教徒は根こそぎギリシャ正教会へ改宗される
- 場合によっては残留イスラム教徒のテロが続発した可能性も・・・
- ギリシャ内戦の時、イスラム教徒の勢力も抵抗したかも・・・
- むしろ国外追放の方が可能性が高そう。
- 場合によっては残留イスラム教徒のテロが続発した可能性も・・・
- トルコは完全にアジアの扱いになり、地元のサッカー協会もアジアへ加盟
- ギリシャも国土の一部がアジアとなる(小アジア)が、通常ヨーロッパとして扱われていると思われる。
- ボスポラス海峡を得たためギリシャ経済が史実より磐石なものになる
- よってギリシャ危機も数年遅れるか、起こらない(精々史実日本の平成不況程度)
- ギリシャの経済発展も史実より早かった
- 逆にトルコは経済発展が大幅に遅れ、今でも完全に途上国扱い、新興国ですらない
- ギリシャの先進国から新興国への降格も無かった(ちなみに史実で先進国から新興国へ降格された国はギリシャが初)
- よってギリシャ危機も数年遅れるか、起こらない(精々史実日本の平成不況程度)
- アテネの人口は半減している
- 人口は精々現実世界のテッサロニキ程度
- オスマン帝国時代にかけてヨーロッパ支配の拠点となっていたエディルネは史実ほど衰退しない
- そもそも国際的には「アドリアノープル」として認識されている。
- 2004年のオリンピックはコンスタンティノープルで開催されていた(第1回は史実どおりアテネで開催)
- 精々アテネで3つほどの競技が開催される程度になっていた
- 誘致の際にはアテネが第1回オリンピックの開催都市だったことが重要なポイントとされていたのでそれはない。
- それはどうだろ?、首都以外の都市または最大都市以外の都市で一番最初に開催した国は次に五輪を開催する時、首都または最大都市で五輪開催を誘致するしギリシャもアテネの次は自国の首都であり最大都市であるコンスタンティノープルで開催したいと思ったはず
- 一例として2020年の誘致活動をしているマドリード、2000年に開催されたシドニーはそれだった
- それはどうだろ?、首都以外の都市または最大都市以外の都市で一番最初に開催した国は次に五輪を開催する時、首都または最大都市で五輪開催を誘致するしギリシャもアテネの次は自国の首都であり最大都市であるコンスタンティノープルで開催したいと思ったはず
- ギリシャの人口は2013年現在3000万を超えていた
- 参考として現実世界のマルマラ地方の人口は2200万ほどなので
- その場合ギリシャの経済規模はポルトガルを超えている
- イスタンブール(この世界ではコンスタンティノープル)を失ったためトルコは五輪に立候補出来ない、と言うより経済規模が弱くて五輪を開催できるほどの経済力が無い
- 2020年のオリンピック誘致は東京とマドリードの一騎打ちになっていた
- あるいはバクーやドーハといった史実で最終選考に残れなかった都市がもう少し粘っていた。
- ギリシャはユーロ圏の中では比較的豊か且つ経済的に安定している国となるので現実よりはドイツ頼りな有様にはなってない。
- それでも経済は他の南欧諸国同様ガタガタだろうけど。
- 残された方のトルコの反ギリシャ感情が現実以上のものになっていた。
- それに加えて現実と違ってガチガチのイスラム原理主義的な国家となってイランみたいになってた可能性も。
- 少なくともギリシャ・トルコのその後の歴史は史実と全く異なる物になっていた。
- トルコはしばらくギリシャの属国同然になっていたかもしれない。
- ギリシャのものは何でも優れたものと見なし、トルコのものは何でも劣ったものと見なす風潮が教育やらメディアを通して喧伝されていたかもしれない。
- トルコ風の名前は格好悪いものとしてギリシャ風の名前に改名するなんて人も現れていた。
- ギリシャのものは何でも優れたものと見なし、トルコのものは何でも劣ったものと見なす風潮が教育やらメディアを通して喧伝されていたかもしれない。
- トルコはしばらくギリシャの属国同然になっていたかもしれない。
- ギリシャが第2次大戦の枢軸国に名を連ねていた可能性もある。
- 歴史的にイタリアと親密な関係を保ち続けてきたことや第1次大戦後にイギリスとの間に対立が生じていそうなことなどから推測。
- 上で述べたようなコンスタンチノープルの国際管理などもあれば可能性はさらに増す。
- それでも大勢にはあまり影響しない。
- 戦後には共産化か南北分割もありえたかもしれない。
- そしてマルマラ地方はトルコに割譲される。
- トルコは名実ともに連合国入りをしていた。
- 歴史的にイタリアと親密な関係を保ち続けてきたことや第1次大戦後にイギリスとの間に対立が生じていそうなことなどから推測。
- ヴェニゼロスの世界的な知名度はもう少し上昇していた。
- 史実では独立国ながらもギリシャ系住民の居住区とトルコ系住民の居住区で二分されているキプロスからトルコ系住民は追い出されてギリシャ人のみの島となっていた。
- トルコの領土回復はできず、カルスはソ連(→アルメニア)に、アンティオキア一帯はフランス(→シリア)、といった具合に分割統治されていた。
- 21世紀ごろになるとトルコが「旧領土の回復」を目指す極右団体が現れていた。
- ビザンツ帝国の影響から、現在も王政だったかもしれない。
- 国王は皆コンスタンティノープルのハギア・ソフィア(アヤソフィア)大聖堂で戴冠する。
バルカン連邦[編集 | ソースを編集]
チトーはユーゴスラビアを南東欧の大国にしようと考えアルバニアをユーゴ第7の共和国にしようと画策し
更にユーゴスラヴィア主導で、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、アルバニア、そして共産化したギリシアと合わせてバルカン連邦を成立させようと考えていた
結局ソ連の妨害で頓挫したがバルカン連邦が成立していたらどうなっていた?
- 首都は多分ベオグラードになっていただろう
- ベオグラードで五輪が1回くらいは開催されていた
- 中国に接近してアルバニア決議はバルカン決議になっていた?
- それでもトルコ、ソ連とはやっぱり対立
- ユーゴスラビア解体の際は実史よりもエライ事になっていた
- 一部の共和国が分割されたかも例えば
- マケドニアはブルガリアとアルバニア
- ボスニアはクロアチアとセルビア
- コソボはアルバニアとセルビアで分割されたかも知れない
- 一部の共和国が分割されたかも例えば
- ギリシアは今も貧乏国だったかも知れない・・・
- ギリシアのEU加盟が遅れていた、下手するとルーマニア・ブルガリアと同時期に加盟していた。
北欧諸国の統一国家[編集 | ソースを編集]
国民国家成立の過程で北欧諸国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)の統一国家を作る計画があったそうです。(首都はイェテーボリになるとも言われていた)
実史では没になってしまった計画、もしこの国家統合が実現していたら今の北欧はどうなっていた。
- 第1次世界大戦では連合国側につき(フィンランド、エストニア、南シュレースヴィヒの奪還が目的)戦勝国となる。
- ロシア帝国も連合国(協商国)側だから、中央同盟国側に参戦して勝利しない限りはありえない。
- ドイツは東方、西方だけではなく北方にも戦線を抱える羽目になる。
- 戦後スカンディナビア王国はラトビアの所有こそ認められなかったもののフィンランド、カレリアの一部、エストニア、ラップランドを併合
- あとこれ等の地域を併合した記念として新国土(フィンランド等)に近いストックホルムに首都を移転
- 旧デンマーク、ノルウェー出身者は約束が違うとして猛反対!ついでにイェテーボリ市民も
- 協商国側で参戦しても、南シュレースヴィッヒの奪還位しか達成出来そうに無いので、一次大戦後、対ソ干渉戦争に勝利して、フィンランドとエストニアを影響下に入れる方がありえそう。
- あとこれ等の地域を併合した記念として新国土(フィンランド等)に近いストックホルムに首都を移転
- 第2次大戦中に中立を宣言するもナチスに攻められ傀儡政権が樹立
- あたふたしている内にカレリアとフィンランドの半分とエストニアはソ連に不法占拠される。
- 戦後スカンディナビア王国はフィンランドとエストニアの返還をソ連に求めている。
- 逆に、冬戦争(に当たる戦い)でソ連を完璧に撃退していた。
- 冷戦時の外交では一応永世中立を自称(ややソ連より)するも外交ではこっそりアメリカに内通していると言う状態が続く。
- ソ連の脅威から首都をまたイェテーボリかオスロ、コペンハーゲン、ベルゲンへの移転が論議されるようになる。
- 91年に大規模な返還運動が起こりその過程でソビエト領フィンランドとエストニアはフィン=エストニア共和国として独立、早速スカンディナビア王国の編入が決定する。
- その後、スカンディナビア王国の旧ソビエト領地方では多くの失業者が出て問題となる。
- エストニア地方はエストニア州となる。(州都はタリン)
- ラップランド(州都はキルナ)とアイスランドは特別州としてスカンディナビア領のまま(ただし大幅な自治権をもつ)
- 言語は「北欧語」と1つにまとめられる。
- しかしデンマーク方言・スウェーデン方言・ノルウェー方言のどれを標準語とみなすかでもめる。
- 北欧統一国家もサミットに参加しておりG9に。
- EUに加盟するもユーロは導入されず、独自通貨「スカンディナビア・クローネ」が用いられる。
北ドイツ・南ドイツ[編集 | ソースを編集]
第二次世界大戦中に立案されたドイツ占領計画のひとつにドイツを北と南に分割し、ザールラントやルール地方は国際管理に置くか近隣国家に割譲されるという案がありました。この計画ではドイツの重工業はすべて解体or破壊される予定だったそうですが、仮にドイツの南北分割だけでも実行されていたらどうなっていたでしょうか。
- 現実のソ連・イギリス占領地区が北ドイツ、フランス・アメリカ占領地区が南ドイツといったところか。
- 資本主義国家だったらザールラントやルール地方は返還されるが、社会主義国家だったら近隣諸国に割譲されたかも。
- ベルリンが分割されるのは史実通り。ただ南北分割ではなかっただろう。
- ドイツ南部の独立志向を見ると南北統一はなかったかもしれない。
- 実際「東西に分断されたから統一した。南北に分断されていたら統一しなかっただろう」と誰かが言ったらしい。
統一アイルランド[編集 | ソースを編集]
アイルランドは1922年にイギリスから独立しましたが、北部6州はイギリスに残留し「北アイルランド」となっています。では、北部6州も含めた統一アイルランドが成立していたら?
- 北アイルランド紛争は無かったはず。
- 但し、史実と逆でプロテスタント側がイギリスへの復帰を主張してテロを起こしていた可能性はある。
- ベルファストがこの国の第二都市になっている。
- 経済力では首都のダブリンより上だったかもしれない。
- 英語の国号が「Republic of Ireland」ではなく「Irish Republic」だった可能性もある。
- イギリスのEU離脱後、イギリスとEUの陸上国境がなくなるため史実ほど揉めなかった。
- 代わりに「アイルランドのEU離脱」を求める声もおそらく北部中心に出ていた。
- 当然サッカーアイルランド代表は一つしかなかった。
- ラグビーなど他競技の「アイルランド代表」も普通に国旗を使っている。
南北アメリカ[編集 | ソースを編集]
カスカディア[編集 | ソースを編集]
1803年、ジェファーソンの主張でアメリカ北西部からカナダ南西部にかけて建設されるはずだった国。カナダのブリティッシュコロンビア州、アメリカのオレゴン・ワシントン2州が主権地域とされ、他にもアイダホ州・カリフォルニア州北部・アラスカ州の一部・ユーコン準州の一部を含むと提案されていた。
- 首都は政治と経済に分かれ、政治はバンクーバー、経済はシアトルとなる。
- 世界中の多国籍企業をシアトルへ誘致し、第2のシリコンバレーが完成。世界有数の経済大国となる。
- バンクーバーも世界一住みたい街の上位に入っていることから、それを武器に移住希望の外国人を募る。
- 結果、シンガポール顔負けの多民族国家ができあがる。
- 一方、アメリカは宇宙産業や航空機産業を奪われたくないため、経済封鎖などの圧力をかけるだろう。
- 結局アメリカの圧力で同国へ併合、但し「カスカディア州」という州が残る
- 大きいので分割された可能性はあるが。
- むしろ、アメリカと同格かそれ以上の国になっていた可能性がある。
- 史実の米墨戦争の代わりに「カスカディア - メキシコ戦争」が勃発したかもしれない。
- 戦勝した場合、西海岸のほぼ全域がカスカディア領となっていた。
- 南北戦争に何かしら干渉を行っていた。
- 史実の米墨戦争の代わりに「カスカディア - メキシコ戦争」が勃発したかもしれない。
新アフリカ共和国[編集 | ソースを編集]
詳しくは新アフリカ共和国を参照してください。
- 初代大統領のロバート・F・ウィリアムズが中国に亡命していたことを考えると現在も中国の友好国である可能性が高い。
- そのためアメリカは反中国家となり現代でも常任理事国が中華民国のままだったかもしれない。
アフリカ[編集 | ソースを編集]
アフリカ合衆国[編集 | ソースを編集]
- 民族も言語も文化もバラバラである故、どうあがいても大混乱に陥る。
- とりあえず英語、フランス語、アラビア語、スワヒリ語の4つが連邦公用語に指定されるが、このいずれも解さない国民も少なくない。
- その中で中国語が秘かに勢力を拡大してくる。
- とりあえず英語、フランス語、アラビア語、スワヒリ語の4つが連邦公用語に指定されるが、このいずれも解さない国民も少なくない。
- 「アフリカ」が名実共に国家名になる。
- アメリカ合衆国と紛らわしい。
- 略称は「USA」だとアメリカになってしまうから「USAf」だろうか?
- USFもあり。
- 略称は「USA」だとアメリカになってしまうから「USAf」だろうか?
- アメリカ合衆国と紛らわしい。
- 「アフリカ」と言いながら参加しない国がある。
- カーボベルデとかモロッコとか。
- 特に後者の場合、西サハラ問題で揉める可能性も。
- カーボベルデとかモロッコとか。
- 他の地域でも国家統合が検討される。
- ヨーロッパだとこうなる。
大マリ連邦[編集 | ソースを編集]
史実ではマリ・セネガルだけでしたが、当時はこれ以外にも現在のブルキナファソ、ベナンも含める予定でした。しかし単独での独立を望んだベナン・ブルキナファソは自立の道を選び、マリ、セネガルも後に分裂します。
もしベナン・ブルキナファソ・マリ・セネガルで成立し、現在でも存続していたら?
- セネガルとガンビアの合併構想もなかった。
- 現在はフランスに次ぐフランス語大国になっている。
- 主導権をとるのは結局中心のマリ。
- ダカールは外港として栄える。
- ベナンの中心地だったコトヌーは衰退していた。
オセアニア[編集 | ソースを編集]
ミクロネシア連邦[編集 | ソースを編集]
アメリカ政府は史実のミクロネシア連邦の他、太平洋諸島信託統治領全域(現在の北マリアナ諸島・マーシャル諸島・パラオ)も含めて独立させる予定でした。
- サイパンが観光地として有名になることはなかった。
- 親日国家になっていたか。
- 安全保障はアメリカにお任せなのは変わらない。
- 特に世界情勢には大きく影響しないと思われる。