もしあの学校が○○だったら

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独立項目[編集]

全般[編集]

共学化されていなかったら[編集]

元男子校[編集]

北星学園大附属[編集]
  1. 今も校名は「北星男子」。
仙台育英[編集]
  1. 未だに甲子園常連校の域を出なかった。
  2. 女子陸上で名を馳せることはなかった。
  3. 女子の制服が今は亡き『プチセブン』の全国制服グランプリで1位の常連になることはなかった。
    • 『プチセブン』の全国制服グランプリでは聖和学園が1位の常連校になっていた。
東北[編集]
  1. 東北といえば野球だけで、ゴルフやフィギュアスケートのイメージはない。
    • サッカーは?
  2. 宮里藍とダルビッシュ有がCMで共演することはなかった。
中京大中京[編集]
  1. 今でも中京大中京といえば野球。
    • 最近になってサッカーも。
  2. 男子フィギュアスケートだけ強化していたかもしれない。
  3. 浅田真央は姉と同じ東海学園に進んでいた。
    • 村上佳菜子も。

元女子校[編集]

札幌山の手[編集]
  1. 花園に出場する南北海道代表はほぼ毎年変わっていたかもしれない。
    • 函館大有斗の出場回数も史実より増えていた。
    • 函館ラサールの初出場ももっと早かった。
    • リーチマイケルの人生が大きく変わっていた。下手したら来日していたかも怪しい。
    • 佐藤幹夫監督は母校である小樽潮陵で率いてたかも。
  2. 女子駅伝の強化に取り組み、札幌静修と熾烈な争いをしていたかも。
    • 一方、男子駅伝は室蘭大谷の独壇場。
武修館[編集]
  1. 流石に武修館という校名にはならなかったはず。
  2. 釧路地区の高校アイスホッケーは公立ばかりが上位だったかもしれない。
明成(宮城)[編集]
  1. 佐藤久夫は仙台高校バスケ部HCを退いた後は東北学院高校バスケ部のHCになっていた。
    • 東北学院高校がインターハイやウィンターカップの常連になっていた。
  2. 明成は女子バスケにより力を入れていて史実以上に聖和学園と凌ぎを削っていた。
日出[編集]
  1. kis-my-ft2のうちは2人は堀越など別の高校に進学していた。
至学館[編集]
  1. 現在でも校名は中京女子大。
    • 「女子大」に男子が入学することが話題になることはなかった。
  2. Jポップのような校歌が話題になることはなかった。
遊学館[編集]
  1. 石川は星稜の衰退で、金沢の1強になっていた。
済美[編集]
  1. 「やればできるは魔法の合言葉」の校歌は世に知られる事はなかった。
    • この校歌が作られることもなかった。
  2. 松山商業、今治西の甲子園出場回数が各2回づつ増えていた。
    • 21世紀に入ってからも松山商業が夏の甲子園の常連となっていた。
  3. 愛工大名電がセンバツ2連覇を成し遂げていた。
  4. 上甲正典は宇和島東監督を退いた後、家業である薬屋の経営に専念していた。
  5. 2004年の決勝は駒大苫小牧-中京大中京
    • この年の決勝のテーマは「愛知県勢春夏連覇か、北海道勢初優勝か?」になってた。
    • 駒大苫小牧-千葉経大付だった可能性もある
  6. 高校サッカーでは小松、松山北の冬の国立出場回数が各1回づつ増えていた。
  7. 堀川恭平のジェフ入りはなかった。
神村学園[編集]
  1. 鹿児島実と樟南の夏の甲子園出場が1回ずつ増えていた。
    • 鹿児島の高校野球といえば未だに鹿児島実業、鹿児島商業、樟南(旧鹿児島商工)だった。
  2. 2005年選抜の決勝戦は愛工大名電-沖縄尚学。
    • または羽黒が山形県勢初の決勝進出を果たしていた。
  3. 能代商が神村学園に勝利することはなかった。
    • 秋田の夏の甲子園連敗記録が続いていたかもしれない。
  4. 高校サッカーは鹿児島実と鹿児島城西の2強だった。

サッカー弱小校だったら[編集]

  • 掲載条件はインターハイ・選手権通算5回以上の出場経験があって、ベスト8以上に進出したことがある学校。

北海道大谷室蘭(旧室蘭大谷)[編集]

  1. 室蘭市がサッカーで町興しをすることはなかった。
  2. 宮澤裕樹はコンサドーレユースに加入していたかも。
  3. 史実より早く登別大谷と統合されていた。

青森山田[編集]

  1. 史実以上に野球に力を入れていたかも。

市立船橋[編集]

  1. 特に県外では県立船橋に知名度で負けていた。
  2. 市立船橋といえばバスケのイメージが強くなっていた。

星稜[編集]

  1. 本田圭佑は滝川第二辺りに進学していた。
  2. 野球の弱体化はなかった。

東福岡[編集]

  1. 「赤い彗星」と言えばシャア・アズナブルかカクテルを指していた。
  2. 東福岡と言えばラグビーをイメージする人が史実より多かった。
  3. 長友佑都は地元愛媛の高校か愛媛FCユースに進んでいた。

国見[編集]

  1. V・ファーレン長崎はなかった(前身のひとつが国見OBのチームだったので)。
  2. 国見町が合併で雲仙市になるとともに校名も変わったかもしれない。

バスケ弱小校だったら[編集]

  • 掲載条件はインターハイ・ウインターカップ通算5回以上の出場経験があって、ベスト8以上に進出したことがある学校。

男子[編集]

能代工業[編集]
  1. 日本の高校バスケの勢力図が大きく変わっていた。
    • 北陸、洛南、福岡大大濠、京北などの名門校の優勝回数が増えていた。
    • 高校バスケは私立校の独壇場となり公立校の強豪はかなり少数派に。
    • 史実で能代工業に行った選手達が全国に散らばるので強豪校がバランス良く分散していた。
      • 田臥勇太は福岡大大濠に進学して福岡大大濠で3年連続3冠を達成していた。
        • 北陸の可能性もある。
  2. ウィンターカップに46年連続出場なんてあり得ない。
    • 秋田の高校バスケは毎年出場校が変わる激戦区になっていた。
      • 平成高校の全国大会出場も早まっていた。
    • 高校バスケにおいて長期にわたって連続出場している高校といえば福井の北陸になっていた。
  3. 高校バスケの全国大会における東北勢の初優勝は1982年の選抜バスケ(現:ウィンターカップ)での日大山形。
    • インターハイに至っては2015年の明成までお預け。
      • 能代工業が弱小だと東北の高校バスケそのものが弱体化している可能性もあり、その場合は高校バスケにおいても高校野球同様に優勝旗が未だに白河の関を越えていないかも。
  4. 秋田=バスケ好きというイメージがつかない。
    • 能代市がバスケで町おこしだなんてやるはずが無い。
      • 能代駅や東能代駅のホームにバスケットゴールが設置される事は無かった。
        • JR東日本秋田支社のバスケ部も、「国鉄時代の遺産を無くす」の対象にされて廃部となっていたかも。
          • 秋田銀行の女子バスケ部も創部されなかったかも。
            • プレステージ・インターナショナルもバスケ部を創部されず、東北の実業団女子バスケも山形銀行の一強になっていた。
    • 高校バレーの強豪の雄物川や高校ラグビーの強豪の秋田工業のイメージがより一層強くなっている。
      • 企業内部活も北都銀行のバドミントン部のイメージが強くなっている。
        • あるいはTDKの硬式野球部も。
  5. B.LEAGUEの秋田ノーザンハピネッツが誕生していたかどうかすら怪しい。
    • 史実では秋田のバスケ熱の高さから2010年に仙台89ERSに次ぐ東北のプロチームとして誕生していたが、少なくとも誕生が遅れていた事は確実。
      • 下手するとB.LEAGUEになってもハピネッツが誕生していない可能性も。その場合は秋田が東北唯一のプロバスケ空白地帯に。
    • 誕生していたとしても史実のようにクレイジーピンクと呼ばれるB.LEAGUE屈指の熱いブースターを誇る人気チームになる事は無かった。
      • 「能代工並みの圧倒的な強さを見せないといけない」というプレッシャーもかけられることも無かった。
    • ブラウブリッツ秋田(サッカー)や秋田ノーザンブレッツ(ラグビー)の人気が史実よりも上がっていた。
  6. SLAM DUNKに登場する(作中では最強とされる)山王工業は能代工業がモチーフなので湘北はインターハイ二回戦で別の高校と対戦している。
  7. 走り込み偏重の能代工業が王者になれないので日本バスケ界は早い段階から走り込み偏重から技術を重視する路線に切り替える事ができて結果としてバスケ日本代表(現:AKATSUKI FIVE)の成績が少し良くなっていたかも。
  8. 能代工業は全国においてはまったく無名の普通の工業高校になっていた。
    • 21世紀に入る頃には能代市の衰退により能代市内の他の高校と合併して新しい高校に生まれ変わり能代工業という名前は消えていた。
    • 一部ではウェイトリフティングの名門として知られていた。
明成(宮城)[編集]
  1. 佐藤久夫HCが今でも仙台高校のHCを続けていたら十分あり得た。
    • そうなった場合、宮城の高校男子バスケは今でも仙台高校一強。
  2. 八村塁は福岡大大濠あたりに進学していた。
    • もしかすると中学卒業の時点で渡米してアメリカの高校に入学していたかも。
  3. 校名が史実で一時期検討されていた「仙台大学附属明成高等学校(通称:仙台大明成)」に改名されていた。(仙台大は明成と同じ朴沢学園の系列校。)
洛南[編集]
  1. 京都の高校男子バスケは東山一強になっていた。
  2. 竹内兄弟は能代工業に進学していた。
    • 比江島慎は福岡大大濠に進学していた。
  3. 洛南は史実以上に進学校のイメージが強まっていた。
    • もしくは日本人初の100m9秒台を記録した陸上短距離選手の桐生祥秀の出身校。
福岡大大濠[編集]
  1. 福岡の高校男子バスケは福岡第一一強になっていた。
    • この世界では東福岡がサッカー・ラグビー・バレーのみならずバスケでも強豪として名を馳せていたかもしれない。
  2. 金丸晃輔は福岡第一に進学していた。
  3. SLAM DUNKに福岡大大濠をモデルにした博多商大附属は登場していない。
    • あるいはそのモデルになった高校は福岡第一だった。
  4. 福岡大大濠は剣道の強豪校としてのみ知られていた。
    • もしくはお笑いコンビ博多華丸・大吉の博多華丸の母校。
福岡第一[編集]
  1. 福岡の高校男子バスケは福岡大大濠一強になっていた。
    • この世界では東福岡がサッカー・ラグビー・バレーのみならずバスケでも強豪として名を馳せていたかもしれない。
  2. バスケ留学の一環で年齢詐称しているセネガル人留学生を入学させる事は無かった。
  3. 福岡第一は陽岱鋼などを輩出した野球の強豪校としてのみ知られていた。
    • もしくはCHAGE and ASKAの母校。

女子[編集]

東京成徳大高[編集]
  1. 吉田亜沙美や大崎(旧姓:間宮)佑圭は桜花学園に進学していた。
  2. 東京成徳大高は女子ラクロスの強豪としてのみ知られていた。
  3. 名称が類似している下北沢成徳(女子バレーの強豪として有名)とは史実以上に混同されていた。
  4. 東京の高校女子バスケは八雲学園一強になっていた。
桜花学園[編集]
  1. 日本の高校女子バスケの勢力図が大きく変わっていた。
    • 東京成徳大高、昭和学院、中村学園女子、岐阜女子などの名門校の優勝回数が増えていた。
  2. 史実で桜花学園女子バスケ部のHCを長年務めている井上眞一HCが就任していなかったらあり得た。
    • この場合井上HCは中村和雄のように他カテゴリ(大学・社会人)や男子チームのHCをやっていたかもしれない。
  3. 大神雄子は地元の強豪である山形商業or隣県の強豪である聖和学園に進学していた。
    • 渡嘉敷来夢は東京成徳大高or昭和学院に進学していた。
  4. 愛知の高校女子バスケは安城学園一強になっていた。
  5. 桜花学園は女子ハンドボールの強豪としてのみ知られていた。
  6. トヨタグループ各社のバスケ部もトヨタ自動車だけだったかも。
    • 仮にグループ各社で乱立しても男子ではほとんどB2止まりで、女子ではWリーグへの参戦もほとんどなかった。
  7. 愛知県は男子で強い能代工業のある秋田県並にバスケ王国にはなれなかった。
    • トヨタグループ以外とは関係無い他社がバスケ部を作ったとしても、プロリーグへの参戦もほとんどなかった。
  8. 平成のうちに男女共学化を検討していたかもしれなかった。
  9. 隣県の岐阜女子のレベルも下がっていた可能性があった。

ラグビー弱小校だったら[編集]

男子[編集]

石見智翠館[編集]
  1. 出雲高校の出場が増えていた。
  2. 島根県大会の近隣県統合が本気で検討された。

学校別[編集]

聖和学園[編集]

小学校を運営していたら[編集]

宮城の聖和学園は現在、幼稚園、高校、短大を運営し、過去には中学校である吉田中学校も運営していましたが、小学校だけは運営したことがありません。もし、小学校も運営していたら?

  1. 戦後の学制改革とともに設立していた。
  2. 名前は聖和学園吉田小学校だった。
  3. 女子専門の小学校だった。
  4. 宮城県沖地震の余波で吉田中学校とともに運命を共にしていた。

智辯学園和歌山高校[編集]

野球部がなかったら[編集]

  1. 箕島高校の凋落と共に和歌山全体のレベルも凋落していた。
  2. 南部、日高中津などの公立高校の野球レベルが上がっていた。
    • 南部と市立和歌山商業の2強時代が来ていた。
    • 粉河や笠田などの新鋭校も甲子園に出ていた。
    • 桐蔭(旧和歌山中)や向陽(旧海草中)といった戦前に活躍した古豪の復活もあった。
      • 桐蔭vs大阪桐蔭の対決もあった(こっちは公立だけど)
        • 桐蔭vs桐蔭学園(神奈川県)も実現していた
    • 新宮市など南紀地方からの甲子園出場機会も増えていたと思われる。
  3. 高島監督は奈良の智辯学園の監督を続けるため、天理や郡山などの出場回数が減る。
  4. 智辯学園和歌山高校の全国的知名度は低いまま。
    • 進学実績も低いまま。
      • 和歌山の公立進学校もさることながら、岸和田高校などももう少しいい進学実績を出していた。
    • 高校生クイズファンの間では多少は知られていた。
  5. 私立では高野山や初芝橋本の出場機会が増えていたかもしれない。
  6. 2002年に奈良の智弁学園と対戦することはなかった。
  7. 後に智弁学園に統合された。

高川学園[編集]

多々良学園が引き継がれず消滅していたら[編集]

山口県から高校サッカー全国大会出場を続ける高川学園は、元々多々良学園と言う校名でした。しかし学校法人が破綻したため一時は存続の危機に見舞われたところでタカガワが手を差し伸べ、存続となり現在に至っています。 もし、スポンサーが見つからず消滅していたら…

  1. 山口は一気に激戦区となっていた。
    • 山口県鴻城、西京が全国選手権初出場を果たしていた。
    • 西京は2008年に選手権初出場を決めました。
  2. 一方、山口県勢は全国大会で苦戦を強いられる。
  3. 白井監督は全国からたくさんのオファーを受けていた。
  4. 野球部OBの高木豊がメッセージを送った。
  5. 防府市への移転は何だったのか」と言われる。
    • 特に最寄り駅を改築したJR西日本から。



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