もしあの市町村が改名していなかったら/北海道・東北
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北海道[編集 | ソースを編集]
野付牛町→野付牛市[編集 | ソースを編集]
- 東京都世田谷区喜多見と間違える人はいない。
- 牛つながりで「焼肉の町、野付牛」と焼肉祭りを売り出しているかもしれない。
- 「野付牛」(のつけぎゅう)という店はある。
- 「野付半島はどうして野付牛市にないの?」と聞く人が出てくる。
- 網走支庁は「北見総合振興局」になっていた(「オホーツク総合振興局」ではなく)。
- 平昌オリンピックに出場したLS北見は「LS野付牛」になっている。
福山町[編集 | ソースを編集]
- 広島県福山市と間違えてしまいそう。
- 広島県福山市にも「福山城」があるから「松前城」は何て呼ばれたか?
- 「渡島福山城」と呼ばれていただろう。
- 四国に「松前城」(まさきじょう)が存在するから「渡島福山城」の方が混同しなくていいのに。
- 福山町時代既に松前城と呼ばれていたのだが?
- 「渡島福山城」と呼ばれていただろう。
- 広島県福山市にも「福山城」があるから「松前城」は何て呼ばれたか?
- 旧国鉄の松前線はどう呼ばれたか?
- 「松前漬」は別な名前になっていたに違いない。
- 隣の福島町(元横綱千代の富士の出身地)と一字違いのため混乱する人が出た。
上磯町→上磯市[編集 | ソースを編集]
- 北海道新幹線の駅が「新函館北斗」になることは無かった。
- それでも「新函館上磯」になってた可能性は大。
- 位置的に大野だが、大野町はごねなかった気がする。
- それでも「新函館上磯」になってた可能性は大。
右左府村→右左府町[編集 | ソースを編集]
- 静内と三石が合併した際「日高町」を名乗っていた。
- こちらが門別と合併した場合、「門別町」になっていたと思われる。
女満別町[編集 | ソースを編集]
- 空港を抱える自治体で改名したところはなかった。
- 「大空空港」にはならない。
珸瑤瑁村[編集 | ソースを編集]
- 歯舞村→根室市
- 歯舞群島は現在でも珸瑤瑁群島と呼ばれていた。
- 難読だから「ごようまい諸島」とひらがな表記されることも多かった。
沓形町[編集 | ソースを編集]
- 東利尻町→利尻富士町との合併で利尻町を名乗れていた。
狩太町[編集 | ソースを編集]
- 一部の男子中学・高校生にとって人気のある地名になっていた。
- この一帯のスキー場はあまり人気が出なかったかも。
- カタカナの市町村はマキノ町の合併をもって日本から消滅していた。(一応南アルプスがあるけどねw)
- 桃太郎電鉄に「狩太駅」が登場。
青森[編集 | ソースを編集]
三本木市[編集 | ソースを編集]
- 十和田湖町も十和田町のままだった。
- 平成の大合併で十和田湖町(十和田町?)と合併し、晴れて「十和田市」を名乗った。
- 三本木と十和田の合併で「十和田湖市」の可能性も。
木造町→木造市[編集 | ソースを編集]
- 市名を「もくぞう市」と読み違える人が出てくる。
大湊田名部市[編集 | ソースを編集]
- 福島県いわき市が平仮名市名第一号となっていた。
- 平成の大合併で「むつ市」か半島と郡名から「下北市」と名乗っていた。
- 「下北市」って、大湊町と田名部町の両合併協議会で、一旦決まった市名なんだよね。(『むつ市史』にその記載がある。)
- 2つの自治体が合併する場合は両方の自治体名を冠することが一般的になっていた。
大湊町→大湊市[編集 | ソースを編集]
- 大湊田名部市→むつ市
- 旧田名部町からの反発を押さえられた場合、平仮名市名にならずに済んだ。
- 旧田名部町からの反発を押さえられなければ、結局「むつ市」になる。
- 軍港と自治体名が一致するため、海軍の町としてのアピールが今よりしやすかった。
岩手[編集 | ソースを編集]
黒沢尻町→黒沢尻市[編集 | ソースを編集]
- 北上山地を横断する鉄道や高速道路が、「北上」を称していた。
- 釜石自動車道に「北上高原SA」が開設されていた。
- 北上盆地と横手盆地を結ぶ鉄道路線名は、「横手線」になっていた。
- むしろ「横黒線」では?実際にそう呼ばれていた時代もあるし。
- 北上駅は「黒沢尻駅」のままで、北上江釣子ICは「黒沢尻IC」になっていた。
- 「江釣子IC」でいいだろ。
- 「黒沢尻江釣子IC」かな。
- 専修大学北上高校は「専修大学黒沢尻高校」になり、「専黒」が略称になっていた。
水沢市[編集 | ソースを編集]
- 東北全域を意味する「奥州市」を称して叩かれることはなかった。
- 岩手県立水沢高校と同水沢農業高校は名実ともに水沢市内にある高校になった。
- 東北自動車道の奥州スマートICは水沢ICがすでにあるため、水沢南スマートICになっていた。
岩谷堂町→岩谷堂市[編集 | ソースを編集]
- 江刺市→奥州市
- 東北新幹線の駅名は「新水沢」となっていた。
- 水沢岩谷堂では?
- 釜石自動車道の江刺田瀬ICは「岩谷堂田瀬IC」となっていた。
- 奥州市に合併後は「奥州市岩谷堂区」になっていた。
- 本州にも「えさし」があることはほとんど知られない。
- 北海道江差町が一番知られ、次いで同じ北海道北部の枝幸町(旧興浜北線の終点、駅名は「北見枝幸」)が知られる。
- 大河ドラマなどのロケ地などで使われる「えさし藤原の郷」は「いわやどう藤原の郷」になった。
- あるいは漢字で「岩谷堂藤原の郷」かも。
高田町→高田市[編集 | ソースを編集]
- 上越市発足後ならこの市名を名乗れたかもしれない。
- 他の○○高田が黙っていないかと・・・
- 「たかた」でなく「たかだ」と読む人がもっと多くなる。
- 駅名は「陸前高田」のまま。
- 市名と駅名の関係が愛媛県西条市と伊予西条駅のようになる。
福岡町→福岡市[編集 | ソースを編集]
- 福岡県福岡市が「博多市」を名乗っていたらこの市名を名乗れた。
- 埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)より10日早く市制施行した。
- 金田一村がごねて埼玉の福岡に先を越された場合は「北福岡市」になる。
- 埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)より10日早く市制施行した。
- 二戸駅は「北福岡駅」のまま。
金田一村→金田一市[編集 | ソースを編集]
- 二戸市
- 町おこしに金田一耕助シリーズや金田一少年の事件簿を利用していた。
- 北福岡駅は金田一駅に改称されていた。
- 金田一駅が金田一温泉駅に改称されるのは史実通り。
三陸町→三陸市[編集 | ソースを編集]
- あまちゃんの舞台が三陸市だと思う人がいそう。
- 南三陸町のライバルになりそうなイメージ。
宮城[編集 | ソースを編集]
志津川町[編集 | ソースを編集]
- 女川や金華山にも、「南三陸」を称する施設が登場していた。
- 「南三陸さんさん商店街」は、「志津川さんさん商店街」を称していた。
- 歌津町は気仙沼市に編入されていた。
鳴瀬町→鳴瀬市[編集 | ソースを編集]
- 航空自衛隊基地は「鳴瀬基地」を称していた。
- 人口の多い矢本が黙っちゃいないと思う。
船岡町[編集 | ソースを編集]
- 大河ドラマ「樅の木は残った」の舞台としてもっと有名になった。
- 平成の大合併で隣の大河原町と村田町を合併した際、「柴田市」を名乗れた。
佐沼町[編集 | ソースを編集]
- 迫町→登米市
- 「佐沼警察署」「佐沼高校」など主な施設と自治体名が一致した。
- 平成の大合併で「佐沼市」が実現した。
- 市名と字(旧町名)の字が同じなのに読みが異なるという混乱は生じなかった(とめ市とよま町)。
- 郡域合併後はとめという読みが無くなるため、誤解はなくなっていた。
- 市名と字(旧町名)の字が同じなのに読みが異なるという混乱は生じなかった(とめ市とよま町)。
登米(とよま)町→登米市[編集 | ソースを編集]
- 登米(とめ)市
- 明治の役人以来の誤読が解消されていた。
宮城町→宮城市[編集 | ソースを編集]
- 県名と県庁が一致する県が増える。
- 青葉区は宮城区に…なっていないか。
- 宮城野区は間違いなく出来ない。
古川市[編集 | ソースを編集]
- 市名と代表駅の名とIC名が一致していた。
秋田[編集 | ソースを編集]
花輪町→花輪市[編集 | ソースを編集]
- 尾去沢鉱山閉山後だったらこの市名になったかもしれない。
- 観光地を抱える十和田町と八幡平村は黙っていない。
- 東北自動車道の「鹿角八幡平IC」は「花輪八幡平IC」になっていた。
- 8月に行われる「花輪ばやし」はもっと有名になっていた。
- 「鹿角花輪駅」は「陸中花輪駅」のままだった。
- ご当地グルメの「鹿角ホルモン」が「花輪ホルモン」になっていた。
角館町→角館市[編集 | ソースを編集]
- 観光地を抱える田沢湖町は黙っていなかった。
- 仙北市の市役所が角館にあったらこの市名になっていたかもしれない。
- 旧仙北町(大仙市に合併)や仙台市の北の地域や盛岡市の一地区と誤解されたり混乱する人はいなかった。
- 「みちのくの小京都角館」をもっと売り込むことができた。
生保内町[編集 | ソースを編集]
- 田沢湖町→仙北市
- 平成の大合併で田沢湖市が実現していた。
大曲市[編集 | ソースを編集]
- 市名と代表駅の名が一致していた。
- 大曲以外の町村は黙っていないと思う。
- 大曲花火大会はもっと有名になっていた。
象潟町→象潟市[編集 | ソースを編集]
- 秋田県に平仮名の市町村名はなかった。
- 市外住民から「『にかほ』?意味不明だよ。」と思われる事はありえない。
- 市名を「ぞうがた」と読まれてしまう。
- 鳥海山の麓にあるため「鳥海市」に変える動きが出てくる。
- 否、「象潟」は奥の細道で知名度が高いから、「鳥海市」への改名運動は起こらないだろう。
- 旧仁賀保町・金浦町は象潟に不満だろうから起きると推測される。
山形[編集 | ソースを編集]
楯岡町→楯岡市[編集 | ソースを編集]
- 東京都武蔵村山市が「村山市」を名乗っていた。
- 東村山市に関してはおそらくそのまま。
- 楯岡駅も「村山駅」に改称することはなかった。
赤湯町→赤湯市[編集 | ソースを編集]
- 山口県新南陽市が「南陽市」を名乗っていた。
- 市名と代表駅の名が一致していた。
- 宮内地区からの反発も山形新幹線開業で下火に。
宮内町→宮内市[編集 | ソースを編集]
- 南陽市
- 山口県新南陽市が「南陽市」を名乗っていた。
- 山形新幹線開業時に赤湯駅が「宮内赤湯駅」など宮内が付く名前に改称されていた。
- 信越本線の駅との誤解は起きないと思う。
左沢町[編集 | ソースを編集]
- 町名と鉄道路線名と代表駅の名が一致していた。
- 「ひだりざわ」と間違える人が出てくる。
福島[編集 | ソースを編集]
中村町→中村市[編集 | ソースを編集]
- 高知県の中村は、「土佐中村市」か「為松市」(一条家の中村城の別名「為松城」に由来)を称していた。
- いわき市(漢字で「岩城市」とも)は成立せず、「平市」のままだった。
- この他にも、本拠地にした大名の姓を市名にする旧城下町は登場しなかった。
- 宮城県の大崎市は、「古川市」のままだった。
- この他にも、本拠地にした大名の姓を市名にする旧城下町は登場しなかった。
- 「相馬野馬追」ではなく、「中村野馬追」と呼ばれている。
- 「中村=馬追い祭り」のイメージが、全国に定着している。
- 相馬野馬追の一連の行事は中村だけではなく原町や小高でも行われている。相馬市でやっているから「相馬」を名乗っているわけではない。
- 8割型原町だよな。
- そもそも原町は旧城下町じゃない。旧城下町なのは中村と小高。
- そういうことを言っているのではなくて、神旗争奪戦などの主だったイベントはほぼすべて原町市内で行われているだろ、ってこと。
- 8割型原町だよな。
- 史実の相馬市と同様、城下町を意識した地域振興が実践されている。
- 仙台市が伊達家の本拠地に因んで「伊達」を称する娯楽イベント(例:伊達ロックフェスティバル)が開かれているのと同じく、中村市でも相馬家の本拠地に因んで「相馬」を称する娯楽イベントが開かれている。
- 「野馬追いの城下町・中村」が観光キャッチフレーズになっている。
- 「道の駅そうま」は、「道の駅そうま中村」か「道の駅にったき」を称している。
- 相馬郡は双葉郡のように宇多郡と行方郡を組み合わせた宇方郡とか行多郡とか言う郡名になっていた。
- この場合、磐前郡(いわさきぐん)と菊多郡も、「菊前郡」みたいに合わさった名称になっていた。
- 史実通り相馬郡になっていた場合、平成の大合併で史実の南相馬市が「相馬市」を名乗っていた。
- 市名で紛糾することもなかったためもしかしたら飯舘村も合併していた。
- 中村市の紋章は、相馬家の九曜紋(九つの丸)と「中」の字を組み合わせたデザインになっていた。
原町市[編集 | ソースを編集]
- 地域振興は、ラジオタワーから連想される名物で実践されている。
- 「日本のラジオの発祥地」を自任している。
- 当然、原ノ町駅には、「ようこそ!日本のラジオの発祥地・原町へ」という垂れ幕や看板も掲示されている。
- 「原町市民FM」という名のラジオ局も立地している。
- 原町無線塔跡の近くにある道の駅も、「道の駅 原町無線塔」を称している。
- 当然、原町無線塔を模したキーホルダーやクッキーなども販売されている。
- 常磐自動車道の「原町市」の看板に描かれる絵も、原町無線塔になっていた。
- 原町発の全国的イベントとして、「原町ラジオコンテスト」が開催されている。
- 秋葉原ラジオ会館が、原町店を出していたかもしれない。
- ラジオタワーから派生して、市役所または地域振興団体が、情報産業の誘致に乗り出していた。
- 「日本のラジオの発祥地」を自任している。
- 国道6号の表示は、「原町」のままだった。
- 道路などの行き先表示で、「頭や足に方角の市町村」が「方角の親元」より優先するという、メチャメチャな事は発生しなかった。
- 常磐自動車道のIC名も「原町IC」のままで、真野川流域にあるSAは「真野川SA」か「原町鹿島SA」を称していた。
- 南相馬ということで冷遇されることもなかったはず。
- 史実でも特に冷遇されているわけではないが。
長塚町[編集 | ソースを編集]
- 標葉町→双葉町
- 常磐線の駅は「長塚駅」のままだった。
- だるま型マスコットは、「フタバくん」ではなく、別の名称になっていた。
- 道路標識で、「双葉」と表示されている箇所は「長塚」と表示されている。
- 栴檀以外の木が町樹になっていた。
平市[編集 | ソースを編集]
- 内郷地区や好間地区は、平市に編入されていた。
- 常磐自動車道では、「いわき中央IC」は「平IC」を称し、「いわきJCT」は「平JCT」を称していた。
- 常磐自動車道の平市の立て札には、白水阿弥陀堂か竜ヶ城(磐城平城)が描かれている。
- 水戸の常磐自動車道では、下りは「平」が最も遠い地点として表示されている。
- 石岡市(岩城家つながり)や平泉町(徳姫つながり)や岐阜市(藩主安藤家つながり)と、姉妹都市を提携している。
- 当然、観光面では平泉と平の交流会も開催されている。
- 水戸などと同じく、城下町を意識した地域振興が実践されている。
- 観光キャッチフレーズに、「サンシャイン」という語は使用されていない。
- 考えられる観光キャッチフレーズは、「竜のお堀に浮かぶ城下町・平」か?
- 季節のイベントとして、夏には「じゃんがら踊りコンテスト」が開催されている。秋の「竜ヶ城月見の宴」は史実通り。
- そもそも町内会ごとに振り付けや演奏方法が異なるものを比べることは出来るのか?それ以前に新盆のご遺族のための踊りだし。
- 「いわき」や「たいら」といったひらがな市名ではないので、街造りのコンセプトが明確になっていた。
- 観光キャッチフレーズに、「サンシャイン」という語は使用されていない。
小名浜町→小名浜市[編集 | ソースを編集]
- 磐城市→いわき市
- マリンタワーは、言うまでもなく「小名浜マリンタワー」。
- 「サンシャイン小名浜」が、観光キャッチフレーズになっている。
- 小名浜港の周航船も、「小名浜デイクルーズ」を称していた。
- 常磐線の泉駅が「小名浜駅」に改名されていた。
- 国鉄との連絡運輸が盛んに行われていた福島臨海鉄道の小名浜駅が存在する限りは無理だろう。小名浜発小名浜行の訳の分からない貨物列車になってしまう。
- 史実の「いわき海星高校」は、「小名浜海星高校」を称していた。
- 旧称の小名浜水産高校のままだろう。
- 水産の名前を忌避したと思うので改称は避けられなかったと思う。
- 旧称の小名浜水産高校のままだろう。
- 浜通りの中村が史実通り「相馬市」を称していた場合、浜通りの平が漢字表記で「岩城市」か「磐城市」を称していた。
湯本町→湯本市[編集 | ソースを編集]
- 常磐市→いわき市
- 常磐ハワイアンセンター(スパリゾートハワイアンズの旧称)は湯本ハワイアンセンターだった。
- ハワイアンセンターができる前から温泉街として有名だったかも。
- 関東圏では箱根湯本との区別のため「磐城湯本」と呼ばれていた。
- そのまま「常磐湯本」もありでは?松島以北の太平洋沿岸が「三陸」って呼ばれてるのに対して、松島以南の太平洋沿岸は「常磐」って呼ばれてるし。
- 関東圏では箱根湯本との区別のため「磐城湯本」と呼ばれていた。
- ハワイアンセンターができる前から温泉街として有名だったかも。
- 常磐と磐城がごちゃまぜになることはなかった。
野沢町[編集 | ソースを編集]
- 磐越自動車道の「西会津IC」は「野沢IC」になっていた。
- 観光や地域振興では、「野沢」のブランド化戦略を練っている。
- 長野県の野沢温泉村と混同されていた。
- むしろ開き直って、こっちでも野沢菜の栽培を始めていたかも。
- 北会津村や南会津町は誕生しなかったかもしくは別の地名になっていた。
- 南会津町は「会津田島町」になっていたかもしれない。
田島町[編集 | ソースを編集]
- 「会津の祇園の里・田島」を観光キャッチフレーズにしている。
- 本家・京都の祇園との合同イベントが実施されているかも。
- 会津若松への対抗心が、現実より強くなっていた。
舘岩村→舘岩町[編集 | ソースを編集]
- 南会津町
- 旧大宮市との関係が深くなる。
- 逆に旧浦和市の関係はどうだろう…。
若松市[編集 | ソースを編集]
- 福岡県若松市は筑前若松市になっていた。
- ただ、会津若松駅は市名改称前に改名していたのでどうなっていたかは微妙。
- 北九州市が出来るまで同名市のままの可能性のほうが高い。
- 会津を接頭語として活かす習慣が減っていた。
- 自治体名に付けられることは稀で坂下町、高田町、本郷町…。
- 駅名も旧国名から岩代川口駅、岩代柳津駅…。
- 寧ろ、史実通り「会津」が接頭語として使われる方が多いのでは?「岩代」だと中通りのイメージが強いし。
- ただ実生活レベルで見ると、福島県民にとってはあまり現実と変わりがない。
- 未だに若松測候所、若松商業高校が存在し、新聞の天気予報もスペースの問題から既に若松と記されているため。
- 高速バスの行き先表示もサボ、方向幕の幅の都合で「高速 若 松」
- 未だに若松測候所、若松商業高校が存在し、新聞の天気予報もスペースの問題から既に若松と記されているため。
長岡村・伏黒村[編集 | ソースを編集]
- 長岡村→(旧)伊達町→伏黒村→(新)伊達町→伊達市
- 長岡村が改名しなかった場合、その後の伏黒村の町制施行による名前も変わっていた。
- 伏黒村が長岡町を吸収合併したものになるので恐らく伏黒村→伏黒町となっていた。もしくは当時流行りの合成地名で伏長とか黒岡とか…。
- 国道4号と国道399号の交差点は長岡交差点になっている。
- 国道399号の橋は伏黒橋、伏長橋とかそんな名前になっている。
- 先に総務省、北海道伊達市の見解を得られていた場合に限るが、伊達市の合併の際の市名を決めるゴタゴタはなかった。
- 伊達町があったために公募の際に「伊達市」を除くという条件がついたため。これがなければ郡名由来ですんなり決まっただろう。
保原町→保原市[編集 | ソースを編集]
- 伊達市
- 確かに県下一位の人口の町であったため妥当な名前だが、福島市内から市街地が続き、JRの駅もありそこそこ栄えている旧伊達町、城下町でそこそこ栄え県立高校も擁する旧梁川町からブーイングが噴出するに違いない。
- 旧保原町には陣屋跡しか無い。
- 保原街道がもうちょい整備されていた。
- 大泉駅や二井田駅のあたりが東保原駅に解明されていたかもしれない。
- 伊達駅は西保原駅になっていただろうか?
- 聖光学院のユニフォームの袖刺繍が伊達から保原に変わる。
- 北海道の伊達市と重複することはなかった。
小野新町[編集 | ソースを編集]
- 小野町
- 間違いなくわざと聞き間違えるシモネタが流行る。
安積町→安積市[編集 | ソースを編集]
- 大和郡山市が安積市成立を機に郡山市に改称する。
- 郡山駅を安積駅に改称する提案がされる。
- 郡山は安積市の中心部の地区名としてのみ使われる。
- 旧田村町はあまりよい印象を持っていない。
- 朝霞市と混同されていた。
船引町→船引市[編集 | ソースを編集]
- 田村高校が田村市内にないと馬鹿にされることがなかった。
- 警察署に関してはいかんともしがたいが。
- 「田村郡の中心じゃないのに田村市」と言われることはなかった。