もしあの市町村が誕生していなかったら

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  • 市町村合併・分裂によって誕生した自治体が、現在までそれ以前の姿を保っていたら?
    • 合併したが名称が変わっていない自治体や、一部自治体が合併しなかった場合はもしあの市町村があの地域を編入しなかったらへ。
    • 合併を行っていない自治体は、市町村制施行時にその市町村が誕生しなかったらと考えてください。
もしあの市町村が誕生していなかったら 目次
北海道 青森
秋田 岩手
山形 宮城

島根 鳥取

福井

新潟 福島
佐賀 福岡 広島 岡山
長野 群馬 栃木
長崎
大分


埼玉
宮崎 愛媛 香川
山梨 東京
鹿児島 高知 徳島 和歌山 愛知 静岡 神奈川
沖縄

独立項目[編集 | ソースを編集]

宮城[編集 | ソースを編集]

大崎市[編集 | ソースを編集]

  1. 宮城県に形がおかしい自治体は誕生しなかった。
    • 市名は当然古川市のまま。
  2. 遠田郡の田尻町や涌谷町、小牛田町、南郷町は古川市に編入されていた。
    • 美里町も誕生しなかった。
    • むしろ田尻町+小牛田町+南郷町でも「遠田市」ができたかもしれない。それでも涌谷町は合併を拒否する。
      • 涌谷町も合併しないと遠田市がいびつな形になってしまう。
  3. 志田郡の鹿島台町、三本木町、松山町は合併して「大崎町」になっていた。
    • 読み方は「おおさきまち」となっていた。
  4. 玉造郡の鳴子町と岩出山町は単独町制を継続していた。

柴田町[編集 | ソースを編集]

  1. 合併が廃案になったのであれば平成の大合併になるまで船岡と槻木はしばらく合併していない。
  2. 大河原町や村田町と共に合併して「柴田市」が実現していた。
    • 新潟県新発田市と紛らわしくなる。
    • あぶくま市(未遂)や亘理市(未遂)が誕生していたかもしれない。

南三陸町[編集 | ソースを編集]

  1. 歌津町は2009年に本吉町とともに気仙沼市に編入された。

秋田[編集 | ソースを編集]

大潟村[編集 | ソースを編集]

  1. 新しく村を新設しなかった場合は全体が若美町(現・男鹿市)になっていた。
  2. 八郎潟にはほとんど人が住んでおらず、田んぼばかりになっていた。
  3. 日本創成会議によって秋田県の全市町村が「消滅可能性都市」とされていた。

仙北市[編集 | ソースを編集]

  1. 角館町は単独で自立し、田沢湖町と西木村は新・田沢湖町になっていた。

由利本荘市[編集 | ソースを編集]

  1. 本荘市は岩城町と大内町で合併し、改名しなかった。
    • 未だに埼玉県本庄市と間違われていた。
  2. 西目町はにかほ市になっていた。

鹿角市[編集 | ソースを編集]

  1. 十和田町は十和田湖に面していると勘違いする人も多かった。
  2. 場合によっては現在の鹿角市の一部は大館市に編入されていた可能性も。
    • 平成の大合併で秋田県の全ての市が市町村合併したことになる。

福島[編集 | ソースを編集]

伊達市[編集 | ソースを編集]

  1. 当然誕生しなかったら北海道の伊達市と重複することはなかった。
  2. 5町全て福島市に編入された。
    • 飯野町も一緒に加わったかも。
      • 合併していない桑折町や国見町はどうかな・・・?
        • 郡役所移転問題や伊達橋架橋問題のいざこざが尾を引いて阿武隈川東岸地域とは一緒にならないと思われる。
    • 福島市はもっと早く中核市になれたはず。
    • 阿武隈急行線は福島県内全線福島市になっていた。
    • 福島市からすると梁川とか月舘とかは正直いらない…。
      • 福島市に編入されなかった場合は「保原市」と「梁川市」が出来ていたかも。
    • 5町すべて編入されていたとしたら、いわき・郡山を抜いて県内人口1位になっていた。
    • このような可能性もある

伊達町+桑折町→伊達町 保原町+梁川町+月舘町+霊山町→保原市

矢祭町[編集 | ソースを編集]

  • 矢祭村も誕生していなかったとして
  1. 高城村全域と豊里村は塙町になっていた。
  2. 塙町が「合併しない宣言」を出していたのだろうか。

茨城[編集 | ソースを編集]

ひたちなか市[編集 | ソースを編集]

  1. 県内のひらがな市町村情勢はもう少しマシだったかも。
  2. 地理的に勝田・那珂湊ともどことも合併できないかもしれない(強いてあげるなら勝田+那珂か)。
    • 水戸市と合併していた可能性もある。
      • 寧ろ、「日立の企業城下町の勝田なんて相容れない!」って拒否されたかも。まぁ、自治体は合併だけが能じゃないから好いけどね。
    • ひらがなの「ひたちなか市」を避けるなら、「阿字ヶ浦市」になっていたかも。
    • 那珂湊は大洗町と合併した可能性も。
  3. 那珂市と那珂湊市が紛らわしいと話題になる。
    • 那珂市からは「那珂湊市は『平磯市』に改名しろ!」という抗議が来る。
    • 返す刀で、勝田市は「那珂市は『菅谷市』に改名しろ!」と抗議する。

かすみがうら市[編集 | ソースを編集]

  1. 出島村は土浦市に編入され、千代田町は石岡市に編入された。

群馬[編集 | ソースを編集]

みどり市[編集 | ソースを編集]

  1. 大間々町、笠懸町、東村は桐生市に編入されていた。
    • もしかしたら新設合併だったかもしれない。
    • 飛び地はもちろんできない。
  2. 群馬県のひらがなの自治体はみなかみ町だけになる。

埼玉[編集 | ソースを編集]

志紀町[編集 | ソースを編集]

  • 戦前の合併がなかったとして。
  1. 水谷村・宗岡村が北足立郡になることもなかった。
    • 宗岡村も富士見村→富士見市になっていた。
  2. 志木町は単独で存続していたのか?

千葉[編集 | ソースを編集]

横芝光町[編集 | ソースを編集]

  1. 横芝町は成東町、山武町、蓮沼村、松尾町と共に山武市となり、光町は匝瑳市に編入されていた。
    • 下手すりゃ光町は単独町制を継続していたかも。そうなれば匝瑳郡は存続。
  2. 千葉県の合成地名は天津小湊町(現鴨川市)をイメージにしていた。

習志野市[編集 | ソースを編集]

  1. 当然、習志野ナンバーはできない。
    • 史実のご当地ナンバーとなる船橋ナンバーが早く誕生していた。
  2. 津田沼町と幕張町の一部は船橋市に編入された。
    • そして船橋市は政令指定都市に移行した。
      • 習志野市と旧二宮町の部分は「習志野区」になっていた。

東京[編集 | ソースを編集]

練馬区[編集 | ソースを編集]

1947年、板橋区から一部が練馬区に分区されました。もし練馬区が板橋区より分区されず現在でも存続していたら…

  1. 現在では人口100万を超える大自治体に。
    • 世田谷を越える一大居住区。
    • そして政令指定都市化して結局分区。
      • 杉並+中野で「杉野市」に、世田谷・大田も独立。
  2. としまえん」は結局「ねりまえん」だったかもしれない。
    • 多分「旧豊島郡」由来の名前だから変わらないかも。
      • 北豊島郡な。
        • 近代になって豊島郡が南北に分割されたので間違いではない。
    • ねりまえんのかわりに「いたばしえん」と言われるようになる。
  3. 光が丘(以西)辺りが独立して「光が丘市」が誕生してしまうかも。
    • 「大泉市」かな?
      • いや、石神井以西だな。これで板橋は100万人以上を維持し、そこは埼玉県石神井市に。
  4. 吉祥寺の周辺は、住民らは武蔵野市への移籍を求めるプロ市民が発生する。
  5. 「練馬ナンバー」は誕生せず、「板橋ナンバー」になっていた。
    • 「杉並ナンバー」か「世田谷ナンバー」じゃない?
      • 最近は湘南や富士山の例外もあるけど、基本的には陸運局の所在地が車のナンバーになるので(城北地区の陸運局が練馬の北町にあるので)やっぱり板橋ナンバーだよ。練馬区民の優越感は杉並区民も中野区民も練馬ナンバー。
  6. 旧・東京府東京市上板橋第三小学校は練馬区立旭丘(移管当初は「旭ヶ丘」)小学校にならなかった。
  7. 東武練馬駅の駅名が別のものになっていた。
    • 「徳丸」を名乗っていた。
      • 一応東武練馬駅の由来は南に近接する旧練馬町に由来するものだが、有楽町線開業などのタイミングで改名した可能性もある。
  8. ということは東京22区?
    • かわりに世田谷区の一部地域が分区していたかもしれない。(実際練馬独立と同時期に分区運動があった)その場合、23区のまま。
    • 世田谷で分区していたらここも大規模な分区運動が起きていただろう。特に人口が100万人を突破した場合。

西東京市[編集 | ソースを編集]

  1. 平成の大合併で東京都では一件も合併が成立しなかった。
  2. 田無市は現在に至るまで合併せずにそのままの形になっていた。

小笠原村[編集 | ソースを編集]

  • 戦前、小笠原支庁には5つの村(大村、扇村袋沢村、沖村、北村、硫黄島村)が存在していましたが、返還時に同地域は小笠原村一村として返還されました。
    • もし、返還時に5村のまま返還されていたら?
  1. 人口が増加することもなかったかも。
  2. 宇津木村で行われていたような町村総会が行われていた。
  3. 平成の大合併で、「父島村」「母島村」になっていた。
  4. 北村(母島)が廃村状態になることもなかった。
  5. 硫黄島村も置かれるが、前代未聞の公務員(自衛隊員)しかいない村になる。
    • 2007年ごろに「いおうじまむら」から「いおうとうむら」に名前が変わっていた。
    • 役場は便宜上防衛省市ヶ谷庁舎に置かれる。
      • 村議会も無ければ、村長選挙も無い。村長は防衛大臣あたりが兼任?
  6. 沖ノ鳥島と南鳥島はどこの村になったのだろうか。
    • 地理的に硫黄島村の管轄になりそうだが…
    • 最悪、鳥島のようにどこの自治体にも編入されず未編入地域になるかも。

山梨[編集 | ソースを編集]

早川町[編集 | ソースを編集]

  1. 現在の早川町の全域は身延町と合併していた。
    • 身延町の飛び地も解消されていた。
  2. 2021年現在、被災地を除いて人口が少ない町は笠置町になっていた。

中央市[編集 | ソースを編集]

  1. 田富・玉穂両町は甲府市と合併した。
    • 山梨大学の学生を中心に医学部(旧医大)は「下河」、それ以外は「武田」と呼ばれたかも。
  2. 豊富村は市川三郷町になった。
  3. 中央自動車道やJR中央本線などに迷惑をかけることもなかった。

長野[編集 | ソースを編集]

東御市[編集 | ソースを編集]

  1. 東部町と北御牧村は小諸市と合併して新・小諸市になっていた。
    • ひょっとしたら浅科村も合併していたかもしれない。
  2. 北陸新幹線が小諸市にも通過するようになる。

栄村[編集 | ソースを編集]

  1. 水内村は飯山市に、堺村は野沢温泉村に編入されていた。
  2. 2005年、中野市と豊田村の合併により下水内郡は消滅。
  3. 平成の大合併で飯山市と野沢温泉村の合併が実現できたかも?

小谷村[編集 | ソースを編集]

  1. 中土村は北小谷村に編入されていた。
  2. 北小谷村と南小谷村は北相木村と南相木村に似たような地域となっていた。
  3. 北小谷小学校と南小谷小学校は閉校していない。
    • 北小谷村南小谷村中学校組合立小谷中学校ができる。

佐久市[編集 | ソースを編集]

  1. 東村は浅間町に編入されていたかも。
  2. 平成の大合併で現在の佐久市が成立するがおそらく市名は「あさま市」になっていたかもしれない。
    • 佐久穂町は佐久町のままだった。
  3. 長野新幹線の駅名は変わらず。

千曲市[編集 | ソースを編集]

  1. 千曲駅は更埴駅になっていた。
  2. 戸倉町と上山田町は坂城町と合併していたかもしれない。

新潟[編集 | ソースを編集]

上越市[編集 | ソースを編集]

1971年4月29日に直江津市・高田市が合併して誕生した上越市。もしこのときに合併協議が廃案になり、平成の大合併直前まで直江津市・高田市が存在していたらどうなっていたか。

  1. 市街地のストロー効果が起きず、直江津・高田両市の市街地は現在ほど廃れていない。
    • 逆に春日山周辺は田園地帯のままだった。
  2. 直江津と高田の関係は三条vs燕の様相を呈していたかも。
    • 合併協議が進捗した場合は、旧「上越市」の枠組みが2003年頃に完成。その後は現在と同じ枠組みになる。
      • 但し市の名称が「上越市」になっていたかどうかは微妙。ひょっとしたら「頸城市」、または平仮名で「くびき市」になっているかも。
    • 逆に合併がご破算になった場合、直江津と高田がそれぞれ独自で周辺町村を合併。
      • 新直江津市には海岸沿いの柿崎町、吉川町、大潟町、頸城村、名立町が加わっている。
        • 柿崎・吉川・大潟・頸城で合併し、こちらが「くびき市」になっていた。
      • 新高田市には内陸部の安塚町、浦川原村、大島村、牧村、板倉町、清里村、三和村が加わっている。
      • 旧名立町(直江津市側)にかろうじて隣接している中郷村の扱いでもめること必至。
        • 直江津市になるか、場合によっては新井市と合併し妙高市になる。
      • いずれの市も単独で人口が20万人には届かないため、特例市に移行はできない。
      • さすがにそんな合併はなかったかもしれないのでこういうことになっていた。
        • 平成の大合併で新潟県ではあまり市町村合併が進んでいなかった可能性大。
    • 稲田周辺に直江津があったら、そうなってたかもね。
  3. 北陸新幹線の新駅設置を巡っても両市は対立。
    • すったもんだの末に脇野田駅ではなく春日山駅が選ばれ北陸方面へ向かうカーブが大変なことになる。
      • 向こうでもネタになっているが、フル規格新幹線初のスイッチバック駅になっているかもしれない。
        • 12両編成用のターンテーブルがあったら笑う。
      • さすがにそうはならないだろう。新幹線駅の位置も史実通りになり、駅名はおそらく新高田駅になっていた。
    • 揉めに揉めた挙句、しれーっと両市をパスして新井にできたら笑う。
  4. 警察署は現在のように上越警察署だけではなく、合併せず高田警察署と直江津警察署の2署のまま。
    • 安塚警察署も忘れるな。
    • 直江津警察署と柏崎警察署から独立した柿崎警察署が誕生していたかもしれない。
  5. ほぼ唯一の観光資源、上杉謙信のお膝元の座を巡っても対立。
    • 春日山城と林泉寺が分割統治されてたかも。
  6. ご当地ナンバーの上越ナンバーは高田ナンバーになっていた。
  7. 直江津高校は閉校せず、高田高校か上越高校に中等ができていた。
    • もしくは糸魚川市の糸魚川高校かもしれない。
  8. 高速道路の上越ICは高田直江津ICに、上越高田ICは高田ICに、上越JCTは春日山JCTになっていた。
  9. PRマスコットのけんけんずは高田市のキャラクターになっていて、直江津市のマスコットは水族館のペンギンをモチーフにしていた。
    • 史実のうみがたりの公式キャラクターが、うみがたり開館前にもっと早く誕生していたが、おそらく別の名前になっていた。
  10. 春日中学校の独立は史実通りだが、直江津中学校からは一部が分離されることはなかった。
    • 春日中学校区の小学校も分裂する可能性が高い。
  11. カントリーサインは上杉謙信は採用されず、直江津市は直江津港の風車に、高田市は高田城のイラストになっていた。

燕市[編集 | ソースを編集]

  • 吉田町も一緒に合併していたとして
  1. 少なくとも「吉田市」が誕生していた。
  2. 西燕駅は「花見駅」となっていた。
    • 上越新幹線の燕三条駅は「吉田三条駅」となっていた。
  3. 「燕」という漢字は鳥の名前のイメージが高まる。
  4. 分水町は合併を拒否していた可能性も。

加茂市[編集 | ソースを編集]

  1. 下条村は三条市に、須田村は白根町(後の白根市及び現新潟市南区)に編入されていた。
    • 七谷村は平成の大合併で村松町と一緒に五泉市になっていた。
      • もしくは単独で自立していたかも。
  2. 岐阜県美濃加茂市は「加茂市」になっていた。
  3. それでも「合併しない宣言」は出していただろう。
  4. 加茂駅に特急列車は停車しなかった。

糸魚川市[編集 | ソースを編集]

  1. 根知村と小滝村は単独で存続し、西海村と大野村は糸魚川町に編入されて東部の4村は早川町になっていた。
    • 後の平成の大合併で糸魚川市になっていた可能性がある。
      • 能生町と青海町が入っていたかどうかは微妙なところ。
  2. それでも糸魚川駅は事実通り北陸新幹線の駅になっていた。

佐渡市[編集 | ソースを編集]

  1. 対馬市と壱岐市と同様に一島一市の合併は頓挫していた。

新道村[編集 | ソースを編集]

  1. 富岡村と稲田村が出来ていた。
  2. 中学校は富岡中学校と稲田中学校があった。
    • 春日中学校は古い時代からあり、城北中学校は大町中学校と富岡中学校が合併して誕生した中学校である。
      • 城東中学校が広い校区にはならなかった。
  3. 2009年に富岡区と稲田区が設置された。

石川[編集 | ソースを編集]

加賀市[編集 | ソースを編集]

  1. 作見駅は加賀温泉駅に改称されなかったかも。
    • 北陸新幹線の金沢~敦賀間開業後に脇野田駅みたいに改称されていたかもしれない。
  2. 2005年10月に誕生した市は「加賀市」ではなく「江沼市」になっていた可能性が。

能登町[編集 | ソースを編集]

  1. 当然だが鳳珠郡は誕生しない。
  2. 内浦町は珠洲市と合併していた。
  3. 能都町を「能登町」と勘違いする人もいたかもしれない。
  4. 柳田村が残るので石川県から村が消えることもなかった。
    • 能登地方に内陸自治体が現存している。

岐阜[編集 | ソースを編集]

各務原市[編集 | ソースを編集]

  1. 名電各務原駅の読み方を「めいでんかかみがはらえき」に変更されることはなかった。
  2. 鵜沼町は単独で市制施行していた。
    • それ以外の3町は平成の大合併で川島町と柳津町とともに岐阜市に編入されていた可能性がある。

静岡[編集 | ソースを編集]

御前崎市[編集 | ソースを編集]

  1. 御前崎町は牧之原市になっていた。
  2. 浜岡町は独立独歩を続けていたかもしれない。
    • そのため小笠郡が今でも存続していた。

愛知[編集 | ソースを編集]

東海市[編集 | ソースを編集]

  1. 横須賀町は横須賀市と姉妹都市になっていたか。
  2. 人口が10万人を超えていない可能性がある。
  3. 平成の大合併で横須賀と上野が合併した場合は「北知多市」になっていたかもしれない。

滋賀[編集 | ソースを編集]

東近江市[編集 | ソースを編集]

  1. 五個荘町は能登川町と安土町と合併して「安土市」となり、残りの湖東町と愛東町と永源寺町は「東近江町」になっていた。
    • 東近江町が発足した時に「東近江郡」という新しい郡が新設される。
    • 八日市市は蒲生町と合併しても改名していない。

大阪[編集 | ソースを編集]

東大阪市[編集 | ソースを編集]

  1. 旧布施市は大阪市に編入されて大阪市布施区となり、河内市・枚岡市はそのまま独立した市として残る。
    • その後平成の大合併で河内市・枚岡市は八尾市・柏原市と合併し「東大阪市」もしくは「中かわち市」が誕生。その場合、市の中心は近鉄八尾駅周辺になっている。
      • この場合、鴻池付近は分離の上で四條畷町とともに大東市入りすることを希望していた可能性もある。最も実現の可能性は相当低いが……
    • 大阪市に編入された場合、布施区は後に大阪府道24号(俊徳道駅前を東西に横切る道路)以南が分区され「長瀬区」となっていた。
  2. 枚岡市の中心駅は枚岡駅ではなく瓢箪山駅となっていた。
    • かなりの割合で枚方市と間違えられる。
  3. 荒本駅前の24階建高層ビルの市役所は建設されなかった。
  4. 若江岩田駅が河内市の中心駅となるので、乗降客がもっと増えていた。
  5. 近鉄けいはんな線がかつて「東大阪線」を名乗ることはなかった。
    • 南大阪線があるし、東大阪電気鉄道も戦前に計画されていたからそこは史実通りだろう。
    • 分からんよ。近鉄中央線にしてた可能性も結構あると思う。
  6. 大阪府第三の都市は枚方市。
  7. ハウス食品は存在しない。
  8. 大阪府内には摂津・河内・和泉の3つの旧国名を名乗る都市が存在していることになる。
  9. 残る布施・河内の2市で東大阪市を形成していたかも。
  10. 近隣大都市名に方角をつけた自治体名が現実ほど増えなかった。
    • 北九州の場合同様、東大阪が河内地域中部を指す広域地名として広く使われていた可能性が高い。
  11. 大阪府立東大阪支援学校は「大阪府立枚岡支援学校」という名前になっていた。

兵庫[編集 | ソースを編集]

南あわじ市[編集 | ソースを編集]

  1. 淡路島の全ての市町村が淡路市になっていた。
    • そうなると洲本市役所が淡路市役所になっていた可能性がある。

淡路市[編集 | ソースを編集]

  1. 「淡路市」の名称は淡路島全体が1つの市になった時に改めて命名することになっていた。

丹波市[編集 | ソースを編集]

  1. 隣の篠山市が「丹波篠山市」に名称を変更しようという動きは起こらなかった。
    • 現実以上に「丹波=篠山」のイメージが強くなっていた。
  2. あるいは兵庫県の旧丹波国に属する地域全体で合併し、その時に「丹波市」あるいは「丹波篠山市」が生まれていた可能性もある。
  3. 市島町は京都府福知山市との越県合併を目指していた可能性もある。

加西市[編集 | ソースを編集]

  1. 加東市も誕生しなかった。
    • 加西郡と加東郡の町も全て小野市と合併していた可能性が高い。
  2. イオンモールは建設されていなかったかもしくは遅れて建設されていた。

和歌山[編集 | ソースを編集]

有田川町[編集 | ソースを編集]

  1. 有田郡全ての町村(合併していない広川町や湯浅町も含めて)が有田市になっていた。

那智勝浦町[編集 | ソースを編集]

  1. 那智滝の知名度は史実より上がっていた。
  2. 勝浦町が合併しなかった場合にこの町名を名乗ることができなかった。
    • 太地町より小さな町として存続している。
    • 宇久井と色川は史実通り那智町と合併していた。
  3. 下里町と太田村は合併して新・下里町になっていた。
  4. 平成の大合併で現在の那智勝浦町である新制の那智町が誕生していた。
    • 太地町が合併していたかどうか怪しい。

かつらぎ町[編集 | ソースを編集]

  1. 葛城市と混同されなかった。

紀の川市[編集 | ソースを編集]

  1. 5町とも和歌山市に合併された可能性大。

徳島[編集 | ソースを編集]

阿南市[編集 | ソースを編集]

  1. 富岡町は群馬県富岡市との重複回避のために「阿波富岡市」として市制施行していた。
  2. 阿波富岡駅の阿南駅改称はなかった。
  3. 平成の大合併では新設合併で「阿南市」が誕生していたかもしれない。

高知[編集 | ソースを編集]

東洋町[編集 | ソースを編集]

  1. 合併が破談したということなら、今頃野根と甲浦は絶縁状態になり、平成の大合併でも合併の「が」の字すら出なかった。
    • 甲浦町は徳島県への編入を求めたかも。
      • 特に阿佐海岸鉄道ができた現在は徳島県側との関係のほうが密接になっているだろう。
  2. 同県の黒潮町や、太平洋市(未遂)が史実より叩かれていた。
  3. どこかの県に「東洋市」が出来ていた。

福岡[編集 | ソースを編集]

福智町[編集 | ソースを編集]

  1. 田川地域の市町村合併は全て頓挫していた。
  2. 赤池町の財政再建団体は復活していたかもしれない。

長崎[編集 | ソースを編集]

対馬市・壱岐市[編集 | ソースを編集]

  1. 当然、佐渡市も隠岐の島町も誕生しない。
    • 奄美市は名瀬市のままだった。
    • 宮古島市も平良市のまま。当然某市と名前で揉める事なんてない。
  2. 一島一市の合併はほぼ頓挫している。
  3. 対馬の上県郡の町は上対馬町、下県郡の町は下対馬町になっていた。
    • 2つの郡が合併して対馬郡になっていたかもしれない。

熊本[編集 | ソースを編集]

南阿蘇村[編集 | ソースを編集]

  1. 3村ともに阿蘇市になっていた。
    • 高森町編入を求めていた可能性がある。
  2. 現実以上に現在の南阿蘇村の部分が廃れていた。
  3. 合併で村の新設は時代遅れになっていたかもしれない。

沖縄[編集 | ソースを編集]

北大東村・南大東村[編集 | ソースを編集]

  1. 米軍支配後も企業統治の状態が続いていた?
    • 大日本製糖(→大日本明治製糖)か、あるいはそれを引き継ぐ企業が支配していた。
  2. 便宜上、行政は沖縄のどっかの市町村に所属する形を取っていた。
    • 返還後はその市町村のままか、小笠原村に移るか、それとも文化的繋がりから八丈町に属すかで一悶着あった。

沖縄市[編集 | ソースを編集]

  1. コザ市が存続するので現在は南アルプス市の他にも片仮名の市が存在するようになる。
  2. 美里村は単独で市制施行していたか?
  3. それでも沖縄ナンバーは存在する。