もしあの新幹線が同時に開通していたら

ナビゲーションに移動 検索に移動

東海道・山陽・九州新幹線[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄時代に開業していたら鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道化はなかった。
  2. 新鳥栖・筑後船小屋・新玉名の各駅は追加着工されなかった。
  3. スニーカーはなかった。
    • 何故?
  4. 現実の山陽新幹線の小倉~博多(~博多南)間は九州新幹線になり、民営化後はJR九州の管轄になっていた。
  5. JR九州も500系新幹線車両を導入していた。

もし東京~鹿児島中央間の直通列車があったら[編集 | ソースを編集]

  1. 最速達新幹線は1地方につき1駅停車が原則。
    • 東京-名古屋-新大阪-広島-博多-鹿児島中央。
      • その次に速いものは新横浜、京都、新神戸、岡山、小倉、熊本にも停車。
      • 結局静岡県民は涙目。
        • 富士山静岡空港が重宝される。
          • 名称は速達タイプはもちろん「つばめ」、準速達タイプが「はと」。
            • 100系以来のグリーン個室(パーラーカー的スタイル)が導入される。

東北・北海道新幹線[編集 | ソースを編集]

もしあの新幹線が○○だったら#東北新幹線と同時に開業していたら

もし東海道・山陽新幹線の東京~博多間が同時に開業していたら[編集 | ソースを編集]

1964年10月に開業していた場合[編集 | ソースを編集]

  1. 山陽区間のカーブが多くなっていたため、同区間でも最高速度は270km/hのままだった。
    • 500系のぞみは誕生しなかった。
      • JR西日本が単独で新幹線車両を開発することは一切無かった。
    • 最高速度300km/h運転は東北新幹線で初めて行われた。
  2. トンネルも現実よりは少なくなっていた。
    • 例えば新大阪~新神戸間では六甲トンネルが建設されず、海側を経由していた。新神戸駅は現実とは逆に三ノ宮駅より海側に建設されていた。
      • 新神戸~西明石間では第二神明道路と同じようなルートを辿っていた。
    • 新関門トンネルの位置も変わっていたと思われる。
  3. 大阪~福岡間は現実以上に航空機のシェアが高くなっていた。
    • 東京~福岡や東京~広島ではほとんど航空機利用となっていた。
  4. 東北・上越新幹線も1970年代初頭には開業し、北海道新幹線も1988年3月の青函トンネル開業と同時に全通していた。
    • 北陸・九州新幹線も民営化までに全線開業していた。
  5. 山陽自動車道開通後は、大阪-岡山、岡山-広島、広島-福岡といった区間でも高速バスに利用者を大きく奪われていた。
  6. 36形食堂車の登場が早まっていた。
    • その代わり35形のビュッフェに椅子はなかった。
  7. 山口県辺りまで弾丸列車のルートを転用していた。
  8. 広島市福岡市の政令指定都市移行が現実よりも早まっていた。
    • 岡山市も20世紀のうちに移行していた。
  9. 広島東洋カープのリーグ初優勝が早まっていた(史実では山陽新幹線が全通した1975年にリーグ初優勝を飾っている)。
    • 巨人のV9はなかったかも。
  10. 山陽本線の昼行特急(山陰方面への直通を除く)は1964年に全廃されていた。
    • 151系の大半が向日町運転所に転属することはなく、サヤ420形も登場しなかった。
      • 「つばめ」「はと」の愛称は九州島内の特急(「有明」などに相当)に転用される。
    • 特急「しおじ」は誕生しなかった。
    • 一方で急行列車は東海道本線同様、新幹線開業後も大部分が存続した。
      • 50.3改正のように昼行優等列車が一斉に廃止されることはなかった。

1975年3月に開業していた場合[編集 | ソースを編集]

  1. 東海道区間も現実の山陽新幹線と同一規格になっていたため、最高速度300km/h運転が可能となっていた。
    • 2009年現在、東京~新大阪間で2時間を切る列車も誕生していた。
  2. 500系新幹線電車をJR東海も製造していた。
    • その後の車両も500系がベースになっていた。
  3. 現実よりもトンネルが増えていた。
  4. 場合によっては岐阜羽島・米原経由ではなく鈴鹿山脈にトンネルをぶち抜いて四日市経由となっていた可能性もある。
  5. 東京~大阪間における航空機のシェアが低下していた。
  6. 500系のぞみの引退はなかった。
  7. 名古屋-大阪間においても近鉄のシェアは低下していた。
    • 名阪甲特急もノンストップをやめて全て四日市・津・大和八木停車になっていた。21000系も製造されなかった可能性もありうる。
    • あるいは1970年代における名阪甲特急の暗黒時代が短くなっていた(1970年代後半に国鉄は爆発的な運賃・料金値上げを行ったため)。
      • スナックカーこと12000系は登場しなかったかも。
        • 近鉄特急におけるリクライニングシート導入も現実よりも遅れた。
  8. 1970年に開催された大阪万博の来場者数が現実よりも少なかった。
  9. 東海道本線の昼行特急は史実より10年余り長く存続した。
    • ヨンサントオ改正あたりで下り方が神戸発着は「こだま」、大阪発着は「はと」に愛称統一された。
    • 山陽本線の全線電化後「つばめ」は九州に乗り入れ、485系が定期列車として東京〜名古屋間を走行する。
    • 北海道の特急「おおとり」は別の愛称を名乗っていた。

東北・上越新幹線[編集 | ソースを編集]

北陸新幹線・羽越新幹線(上越妙高-長岡間)[編集 | ソースを編集]

  1. 新潟県を走る定期の特急がいなほだけに。
  2. 長岡~直江津間も経営分離されていた。
  3. 長岡から上越新幹線と直通。
    • 上越妙高を頸城駅に改名するか上越新幹線を関越新幹線に改称しない限り乗り間違えが続出する。
  4. 新大阪まで延長された暁には新大阪~新潟の直通新幹線が設定されていた。
    • それが「つるぎ」を名乗っていたかも。
      • 「つるぎ」ではなく、「らいちょう」か「しらゆき」ですよ。
        • 関西・北陸~東北方面へのミニ新幹線構想が浮上していたか、そうでなければ新潟接続の羽越線方面の特急電車が拡充整備されていたかもしれない。
  5. 場合によっては、新潟から仙台へと延長する形で新幹線路線を建設していたかもしれない。
    • 秋田方面へと北上するよりも、東北地方最大都市である仙台へと結んだ方が収益面だけでなく、東北・北海道新幹線との接続や乗換等が円滑なため有利なため。
      • その場合は、並行在来線である米坂線の三セク化(山形鉄道が経営)又は路線そのものの廃止が不可避となっていた。
        • 開通後は、新潟県を含めた北陸地方と東北地方との往来が円滑となり、相互間の交流が盛んになる。
          • これによって金沢市と富山市は北日本と西日本との、新潟市は北陸・東北・関東との接点となる。仙台市は北日本の中核都市となって規模も札幌市や福岡市と匹敵するようになり、現実以上に発展する。
    • 新大阪~東北・北海道新幹線乗入れ直通運転は、需要と所要時間の関係で行われない可能性が高い。
      • もし、東北・北海道新幹線への直通運転が行われたのであれば、新大阪~新潟・仙台間が「らいちょう」か「しらゆき」、新大阪~盛岡・新青森・新函館北斗・札幌間が「はくちょう」と名乗る。
      • 糸魚川から分岐して長岡まで直結(途中の駅は柏崎のみ)、長岡から上越新幹線に直通して新潟へ 羽越新幹線としてではなく北陸新幹線新潟支線として開業
      • 北陸新幹線新大阪開業後は大阪ー新潟の直通運転が行われる名称は「しらゆき」(最速達タイプ)(停車駅:新大阪、京都、福井、金沢、新高岡、富山、長岡、新潟) 
        • 準速達タイプは黒部宇奈月温泉・糸魚川・柏崎にも停車
      • 所要時間は大阪ー長岡:約2時間20分 大阪ー新潟:約2時間40分 金沢ー新潟:約1時間20分