もしあの歌が大ヒットしていたら/さ~な行
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さ行[編集 | ソースを編集]
サイケ・カッポレ(ザ・レンチャーズ)[編集 | ソースを編集]
- ザ・レンチャーズは売れても番組などには出ないグループとして、後のGReeeeNなどがブレイクした際に引き合いに出されていた。
- ザ・レンチャーズとザ・レンジャーズが史実以上に混同されていた。
- タイトルに「サイケ」とありながら実態はサイケデリックというよりコミックソングであることが話題になっていた。
桜の花びらたち2008(AKB48)[編集 | ソースを編集]
- AKB48はキングレコードに移籍することはなかった。
- その当てつけとして乃木坂46が結成されることもなかった。
- 『Baby baby baby』はCDでリリースされていた。
- 独占禁止法問題が大きく扱われていた。
- 卒業式の定番ソングになっていた。
SANPEI DAYS(三瓶)[編集 | ソースを編集]
- その後も歌手活動を継続していた。
- 精力的に活動し、一発屋扱いされなかった。
- 活動の拠点を福島に移すことはなかった。
J Soul Brothers(J Soul Brothers)[編集 | ソースを編集]
(初代)J Soul Brothersのデビュー曲。
- 初代JSBとしてのアルバムもリリースできていた(史実でのJSB時代のシングル曲はEXILEのアルバムにカバーとして収録されていた)。
- SASAの脱退、それによるメンバーチェンジとEXILEへの改名もなかった。
ジェット・マシーン(フィンガー5)[編集 | ソースを編集]
渡米により活動を休止していたフィンガー5の復帰第一弾シングル。
- フィンガー5はその後も人気を維持していた。
- 具志堅実(1975年、マネージャーに専念した玉元一夫に代わって加入)が15歳になった1982年に紅白歌合戦初出場を果たした。
- 史実で人気絶頂の頃は、メンバーの年齢の関係で夜9時開始だった紅白歌合戦に出場できなかった。
- 玉元晃が15歳になった1976年に、晃のソロor晃と兄たちのユニットで初出場し、その後も81年まではソロやユニットでの出場という形だったかも。
- 具志堅実(1975年、マネージャーに専念した玉元一夫に代わって加入)が15歳になった1982年に紅白歌合戦初出場を果たした。
- フィンガー5といえばお子様ソングの印象が強いままで終わることはなかった。
- フィンガー5は史実以上に長く活動していた。
- フィンガー5の路線変更は成功したと見なされていた。
- その後もいろんなアーティストによってカバーされていたかもしれない。
時代を殴るには自分の素手がいい(幕末塾)[編集 | ソースを編集]
- 幕末塾はこの曲でブレイクしていた。
- 幕末塾がブレイク出来ていたので、彦摩呂がグルメリポーターになることはなかった。
- 人を殴るを題材とする曲といえばチャゲアスの『YAH YAH YAH』ではなくこの曲を指していた。
- どこかのプロボクサーがこの曲をテーマ曲にしていたかもしれない。
シャ・ラ・ラ(サザンオールスターズ)[編集 | ソースを編集]
- サザンのクリスマスソングと言えば『クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)』ではなくこの曲を指していた。
- 桑田佳祐と原由子のボーカルによるデュエットソングはこの曲以外にも積極的に発売されていた。
- サザンは現実以上に夏のイメージが強くなることはなかった。
少年よ 嘘をつけ!(渡り廊下走り隊7)[編集 | ソースを編集]
「少年よ 嘘をつけ!」はタイアップ先である映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』が大コケしたことにより、同時発売となったNot yet「西瓜BABY」に売り上げで大きく水を開けられ、前作「希望山脈」の売り上げより大きく落とし、大コケしました。もし、「少年よ 嘘をつけ!」が大ヒットしていたら?
- 「クレヨンしんちゃん」の主題歌は引き続き渡り廊下が担当していた。
- 浦野一美は渡り廊下での評価が上がっていた。
- SDN48の印象が強いままで終わることはなかった。
- 渡り廊下のメンバーとしては無理があると見なされることはなかった。
- 過去のアイドル扱いされることはなかった。
- 第5回選抜総選挙の圏内にもランクインしていただろう。
- 渡り廊下のメンバー間格差を象徴することもなかった。
- 渡り廊下の中で孤立した存在になってしまうこともなかった。
- SDN48の印象が強いままで終わることはなかった。
- 渡り廊下が活動休止状態になることなく、年に2~3回はシングルをリリースしていた。
- 渡辺麻友名義のシングルは渡り廊下のシングルとしてリリースしていた。
- 2013年11月に解散を発表することもなかっただろう。
- 渡り廊下の男子目線の曲は売れないというジンクスはなかった。
- 第4回選抜総選挙では渡辺麻友が1位になっていた。
- 大島優子が1位に返り咲くことはなかった。
- 指原莉乃も総選挙で順位を飛躍的に上昇することはなかった。
- 多田愛佳はHKT移籍でなく、兼任メンバーになっていた。
- 仲川遥香は他の海外移籍組とともに兼任メンバーとしてAKBに復帰していた。
- 交通手当と移動日数のことを考えると兼任は無理かもしれませんが。
- 多田・仲川は大コケしたことで左遷させられたと見なされることはなかった。
- メンバーの仲が悪くなったデマもなかった。
- AKB48の派生ユニットの全盛期が続いていた。
- =もし『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』が大ヒットしていたらである。
- テレ朝はももクロを史実以上に推していなかった。
- そのももクロもクレヨンしんちゃんのタイアップに起用されることはなかった。
- テレ朝はももクロを史実以上に推していなかった。
- 渡り廊下はイロモノアイドルへの路線変更は成功したとみなされていた。
- 現実以上に子供に支持されていた。
- ミニモニ。やももいろクローバーZと良い意味で比較されていた。
- 岩佐美咲のAKB卒業→演歌に専念も遅れていた。
白い街(石原裕次郎)[編集 | ソースを編集]
- 「名古屋をテーマにしたご当地ソングは大ヒットしない」というジンクスはこの時点で覆されていた。
- 名古屋をテーマにしたご当地ソングが現実よりも多く発表されていた。
新宿駅から(松山まさる)[編集 | ソースを編集]
この曲でデビューするも売れず、何度かの改名の後「五木ひろし」としてブレイクしましたが、この曲がヒットしていたら…
- 芸名は今でも松山まさる
- 青春歌謡の歌手と見られていた
- 青春歌謡が下火になった辺りで人気が低迷したかも。
- その後不遇の時期があったものの、理解ある作詞家や作曲家に見出されて再ブレイク…という、現実と似たようなことになっていたかも。
- その場合でも改名はしていない
- その後不遇の時期があったものの、理解ある作詞家や作曲家に見出されて再ブレイク…という、現実と似たようなことになっていたかも。
- ブレイクするきっかけになった番組「全日本歌謡選手権」の現在の知名度は現実よりやや低い
新盛り場ブルース(里見洋と一番星)[編集 | ソースを編集]
「幻の名盤解放歌集」発売時ではなく、1971年のオリジナル盤発売当時に史実以上に売れていたら?
- ショッキング演歌がブームになっていた。
- 彼らの歌唱法を模倣する歌手も出現していた。
- グループ自体も史実より長く活動していた。
スカート、ひらり(AKB48)[編集 | ソースを編集]
- MVでの振り付けが史実以上に槍玉に挙がっていた。
- AKB48はパンツ見せ集団と史実以上に揶揄されていた(実際はブルマですが)。
- AKB48はメジャーデビューに際して社会派路線で売り出すことはなかった。
- 「制服が邪魔をする」「軽蔑していた愛情」を歌うこともなかった。
- 前述の通りに揶揄されたのでむしろ秋元康は健全な路線を志向し、AKB48は史実以上の硬派路線となっていた。
- ACのCMに出演することもなかった。
- 「制服が邪魔をする」「軽蔑していた愛情」を歌うこともなかった。
すてきなエルザ(ザ・ライオンズ)[編集 | ソースを編集]
- 東芝が大損することはなかった。
- ザ・タイガースの人気を奪っていた。
- 巨大な蝶ネクタイがブームに…ということはさすがにない。
- 熱烈なファンが、コンサートへ行くときに巨大な蝶ネクタイをつけることはあったかも。
- 西武ライオンズと関わりを持っていた。
素直なままで(IZAM with ASTRAL LOVE)[編集 | ソースを編集]
『素直なままで』は発売当時の歌手のネームバリューやタイアップとなったドラマ『ショムニ』の高視聴率とは裏腹に、オリコンではトップ10入りを逃した。もし、ドラマの視聴率に比肩するほどシングル売上が好調だったら?
- ドラマ『ショムニ』の曲といえば、SURFACEの「それじゃあバイバイ」ではなく本楽曲のイメージが強かった。
- IZAMはソロ名義での活動にも勢力的になっていた。
Splendid Love(Lip's)[編集 | ソースを編集]
- Lip"s が、90年代を代表するアイドルグループになって、「静岡だけ、すごく知名度の高いアイドル」や、ribbon の亜流扱いされることがなかった。
- Lip's が、スーパーモンキーズより先んじてダンスアイドルグループとして知名度を上げた。
- 吉村夏枝がan・anでヌードを晒すこともなく、数少ない「島根県石見地方が生んだアイドル」になっていた。
- 仮に、加藤貴子が今のように女優として成功しても、芸能界で永作博美並みのポジションを得ただろう。
Xeno~見知らぬ人~(古田敦也)[編集 | ソースを編集]
- 古田敦也はもう数枚シングルを出していた。
- 野球選手がCDを出す風潮はもう少し続いていたかも?
- 2000年代前半まではギリギリ残っていたかも知れない。
空も飛べるはず(スピッツ)[編集 | ソースを編集]
ドラマ「白線流し」の主題歌としてではなく、1994年の新譜として発売時に大ヒットしていたら?
- スピッツのブレイクは1年早まっていた。
- 「白線流し」の主題歌は別の曲だったかもしれない。
それでも好きだよ(指原莉乃)[編集 | ソースを編集]
『それでも好きだよ』は同時発売となった乃木坂46『おいでシャンプー』に売り上げで大きく水を開けられ、大コケした。もし、『それでも好きだよ』が大ヒットしていたら?
- 乃木坂46は『ぐるぐるカーテン』の一発屋で終わっていた。
- 場合によってはAKB48公式ライバルユニットは失敗したと見なされていた。
- 第4回選抜総選挙では指原莉乃が1位になっていた(史実では第5回で1位)。
- 場合によってはHKTに移籍することもなかった。
- 『意気地なしマスカレード』は指原莉乃withアンリレ(入山杏奈・川栄李奈・加藤玲奈)名義でリリースすることはなかった。
- 指原莉乃のソロ活動が活発的になっていた。
- 卒業も早まっていたかも。
た行[編集 | ソースを編集]
だからその手を離して(B'z)[編集 | ソースを編集]
- B'zのデビュー曲
- TM NETWORKと比較され、批判されていた。
- 早い話が倉木麻衣と宇多田ヒカルの間で起きたパクリ騒動がここで起きていた。
- ハードロック路線になることはなかった。
- 稲葉浩志が歌い方を変えることはなかった。
- 初期のライブのみに演奏されたこの曲の別バージョンがCD化されていた。
抱きしめたい(Mr.Children)[編集 | ソースを編集]
ミスチルのブレイク後に有名になったが、発売当時の売上は振るわなかった。もし当初から大ヒットしていたら?
- アルバムと別の日に発売、またはアルバム未収録であればこうなる可能性も十分にあった。
- 本作で音楽番組初登場を果たせていた。
- 次作の「Replay」も史実以上にヒットしていた。
- 「抱きしめたい」がミリオンセラーを果たしていた場合、間違いなくこちらもそうなっていた。
- 「CROSS ROAD」以降は史実とそこまで変わらないかもしれない。
- 発売から23年後、×××××されることはなかった。
- 問題の曲を歌った平浩二がとばっちりを受けることも当然なかった(平は作詞を手掛けていない)。
Teacher Teacher(AKB48)[編集 | ソースを編集]
CD売上こそ決して悪い曲ではないが、他の分野では上位にランクインすることができなかった。投票券付きCDの売上以上に、世間での曲の評価や浸透度が史実以上だったら?
- 2018年のレコード大賞はこの曲が取っていた。
- 曲の選考基準に対する批判は史実よりおとなしいものになっていた。
- 乃木坂46への異常なゴリ押しに槍玉が挙がることもなかった。
- DA PUNP「U.S.A」、欅坂46「ガラスを割れ!」、乃木坂46「シンクロニティ」の印象が薄れていた。
- 第10回選抜総選挙ではセンターを務めた小栗有以への投票数は史実以上だった。
- AKB48本体も上位にランクインするメンバーが多く、本体メンバーが影が薄い思いをさせられてしまうこともなかった。
- その代わり、SKE48とNGT48の存在感はそれほど大きくはなかった。
- AKB48本体も上位にランクインするメンバーが多く、本体メンバーが影が薄い思いをさせられてしまうこともなかった。
- 2018秋の握手会がイオンモールで開催されることはなかった。
- 開催するにしても商業施設レベルのものではなく大規模なホールで開催されていた。
- じゃんけん大会も小規模な会場で開催することもなかった。よって、開催の意義が問われることもなかった。
- AKB48のイベントは充実している割にはやる気がないと言われることもなかった。
- 開催するにしても商業施設レベルのものではなく大規模なホールで開催されていた。
- 2018年の紅白歌合戦ではこの曲を歌っていた(史実では「恋するフォーチュンクッキー」)。
- 2019年の選抜総選挙が中止されることはなかった。
- AKB48はCDだけが売れているアイドルとしてみなされることもなかった。
Do the Donkey Kong(バックナー&ガルシア)[編集 | ソースを編集]
- バックナー&ガルシアは「Pac-Man Fever」の一発屋に終わることはなかった。
- 解散に追い込まれることはなかった(史実ではその後、1999年にレコーディングのため再結成している)。
- その後も、人気ゲームソフトをテーマにした歌を出し続けていた。
- マリオブラザーズやソニック・ザ・ヘッジホッグ、ポケモンなどの歌も出していたかもしれない。
- 史実で映画『E.T.』をテーマにした「E.T., I Love You」を出していたことから、映画をテーマにした歌も盛んに出していた。
- その後も、人気ゲームソフトをテーマにした歌を出し続けていた。
トゥモロー ~ジョージアで行きましょう編~(和田アキ子)[編集 | ソースを編集]
- 和田アキ子としては久々のオリコン100位入りシングルとなったが、それ以上に大ヒットしていたら?
- ジョージアの「ナンデーモ・カンパニー編」のCMは史実以上に長く続いていた。
- Re:Japanによるカバー盤が発売されていたかもしれない。
- 2003年のNHK紅白歌合戦で和田がこの曲を歌っていた。
- 和田アキ子のデビュー35周年記念企画は史実以上に盛り上がりを見せていた。
- 2003年の日刊スポーツに掲載された紅白出場歌手のその年の活動で、和田アキ子の項目に「所有の競走馬がデビュー6連勝」と書かれることはなかった。
- 原曲であるミュージカル「アニー」の「トゥモロー」と良い意味で比較されていた。
時計をとめて(わらべ)[編集 | ソースを編集]
「めだかの兄妹」「もしも明日が…。」と同程度のヒットになっていたら。
- わらべは解散に追い込まれることもなかった。
- この場合、サンドイッチは結成されず、鳥居かほりと藤井暁が結婚することもなかった。
- 欽ちゃんファミリーの全盛期が続いていた。
- ニャンニャン事件の余波で大コケしたとみなされることはなかった。
としごろ(山口百恵)[編集 | ソースを編集]
- 山口百恵のデビュー曲。もし南沙織の「17才」、森昌子の「せんせい」並みに大ヒットしていたら?
- 出演していた映画「としごろ」もヒットしていた。
- 山口百恵は清純派路線で売り出されていた。
- 「青い果実」「ひと夏の経験」などはなかった可能性がある。
- 20歳過ぎで引退するのはおそらく史実と同じ。
- 引退前の盛り上がりは史実ほどではなかったかもしれない。
- 引退後にメディアで取り上げられる機会は現実よりも少なかった。
- 「伝説の歌手」「大物」というイメージではなく「70年代の人気歌手の1人」という感じか。
- 若い世代の間での知名度は、現実よりもずっと低いだろう。
- 結婚相手が三浦友和じゃなかったかもしれない。
dragons' dance(YUKI)[編集 | ソースを編集]
- 小室ブームの下降は史実よりも緩やかになっていた。
- (シングルが同日発売・アニメ映画主題歌という共通点がある)「もののけ姫」の割を食らったとみなされることはなかった。
- 中日ドラゴンズ第二応援歌となった。
Toi et moi(安室奈美恵)[編集 | ソースを編集]
- 小室ブームが続いていた。
- 安室奈美恵が小室哲哉と決別することはなかった。
- あったとしても遅れていた。
- 安室奈美恵が小室哲哉と決別することはなかった。
- 1999年度のNHK紅白歌合戦で、この曲が歌われていた。
- ピカチュウは安室奈美恵の応援担当ゲストだった。
- これ以降、ポケモン関係の楽曲はavexが管理。
- ポケモンアニメの主題歌もavex所属のアーティストによるタイアップとなっていた。
- ももクロやエビ中ではなく、IDOL☆STREET系のアイドルが主題歌を歌っていた。
- 史実とは逆にソニーミュージックが妖怪ウォッチのアニメ主題歌を管理していた。
- 2000年以降、「安室の時代は終わった」と言われることもない。
- 翌年にリリースした九州沖縄サミットのテーマ曲「NEVER END」は自身最大のヒット曲「Can you Cerebrate?」のセールス記録を越えていた。
- 2000年前半~半ばのavexは安室と浜崎あゆみで人気を二分していた。
- 宇多田ヒカルは史実ほど売れず、和製R&Bが定着することはなかった。
- 日本のポピュラー音楽の世界でToi et moi(トワ・エ・モア/トワ・エ・モワ)といえば「誰もいない海」や「虹と雪のバラード」を歌った歌謡ポップデュオではなく本楽曲というイメージが強くなっていた。
- 小室哲哉の海外での事業は大成功していた。
- 女性歌手が産休に入ると売れなくなるジンクスが確立することはなかった。
- 産休及び育休制度が史実より早く普及していたかも?
- 映画「幻のポケモン ルギア爆誕」も史実以上にヒットしていただろう。上手くいけば興行収入が前年を超えていたかもしれない。
翔んでディープインパクト(和田青児)[編集 | ソースを編集]
- 競馬の三冠馬であるディープインパクトを歌った演歌。
- 以降も競馬をテーマにした歌が出続けたのは言うまでもない。
- ダービーを勝ったウオッカ、アパパネやオルフェーヴル、ジェンティルドンナといった以降の三冠馬など名馬が出る度に歌った曲は確実に出ていた。
- 騎手にも波及し歌手デビューが定番になっていた。
- 増沢末夫の「さらばハイセイコー」、伊藤正徳の「おれでよければ」のようなヒット曲が生まれていたかもしれない。
- コイウタ(前川清)やキタサンブラック(北島三郎)など歌手が馬主の競走馬がGI勝った時に表彰式で所有馬をテーマにした描きおろし曲を歌っていただろう。
- 芸能界での馬主ブームは史実以上だった。
- キタサンブラックの歌は実際に発表されたが(「夢に向かって」。馬の引退時には歌詞を替えた「ありがとう キタサンブラック」も発表)。
- 発売が半年〜1年早ければもう少しヒットしていたと思う。
- 「ウマ娘 プリティーダービー」も史実ほど製作が難航しなかったかもしれない。
な行[編集 | ソースを編集]
ナウ ロマンティック(KOJI1200)[編集 | ソースを編集]
- 今田耕司は歌手としての評価が上がっていた。
- 『IQサプリ』で大コケしたことをネタにされることもなかった。
- 「ナウ ロマンティック」はオリコン最高30位で10万9120枚売れたのになんで、大コケしたことになるんだろう。
- 少年隊に冷ややかな目で見られたことを『ダウンタウンのごっつええ感じ』でネタにされることもなかった。
名古屋はええよ!やっとかめ(つボイノリオ)[編集 | ソースを編集]
近年におけるインターネットでのブームではなく、発表後(1985年)からご当地ソングとして定着するほど大ヒットしていたら
- 名古屋の知名度は史実よりさらに向上していた。
- 「名古屋に来たらカラオケ店で絶対に歌う歌」として史実よりさらに注目されていた。
- それぞれの時代に合わせたバージョンが発売されていた。
- 例えば「瑞穂グラウンドが国立競技場に、小牧が国際空港に」は「TV塔がスカイツリーに、セントレアが国際空港に」に変わっていた。
- セントレアは国際空港だから、「レインボーホールが国際展示場に」に変わったかもしれぬ。
- 「愛・地球博」開催がされた2005年頃にリメイクして発売されていたり、あるいはSKE48がカバーして歌っていたとかあったかも知れない。
- むしろチームしゃちほこが歌いそうな気が。
- 例えば「瑞穂グラウンドが国立競技場に、小牧が国際空港に」は「TV塔がスカイツリーに、セントレアが国際空港に」に変わっていた。
- 「名古屋をテーマにしたご当地ソングは大ヒットしない」というジンクスが崩れていた。
- 東日本大震災でアカんくなった東京の未来を預言した唄として、全国に再注目された。
- 新幹線の名古屋飛ばしのさいに「私たち名古屋人が怒ったらよ、新幹線を名古屋で止めてまうでよ」がよく引用されていた。
渚の天使(弘田三枝子)[編集 | ソースを編集]
- 弘田三枝子は和製R&B路線が定着していた。
- 「和製R&Bの女王」の称号は和田アキ子ではなく彼女のものになっていたかもしれない。
- 「人形の家」はコケていた、あるいは発売自体されなかったかもしれない。
NOTHING FROM NOTHING(AYUMI featuring DOHZI-T & DJ BASS)[編集 | ソースを編集]
浜崎あゆみがアイドル時代にAYUMI名義でリリースした幻のデビュー曲。
- 浜崎はavexへ移籍せず、カリスマ性の強いアーティストではなくアイドル歌手として売れていた。
- あるいはラッパーとして売れたかもしれない。
夏だモン(広瀬香美)[編集 | ソースを編集]
- 広瀬香美といえば冬の歌というイメージを脱却していた。
- 翌年発売のアルバム「rhapsody」に「ヤッパ・・・冬だモン Ver.」を収録することはなかった。
- 主題歌になったドラマも史実以上にヒットしていた。
- くりぃむしちゅーの例えツッコミのネタが一つ減っていた。
なめこのうた(福原遥)[編集 | ソースを編集]
インターネット上でのブームだけでなく、CDの売上や音楽配信で史実以上の数字を記録していたら
- なめこブームが続いていた。
- アニメはDVDではなく、TVシリーズだった。
- 福原遥の歌手活動がさらに活発になっていた。
- ジュニアアイドルとして大ブレイクしていたかもしれない。
- 2013年のNHK紅白歌合戦に、福原遥が出場していただろう。
- ジュニアアイドルとして大ブレイクしていたかもしれない。
- 「なめこのCD」に収録されている楽曲が次々とシングル化されていた。
二月の海(宿屋の飯盛)[編集 | ソースを編集]
のちの歌のお兄さん・坂田おさむ(当時は本名の坂田栄一名義)が在籍していたバンドのデビューシングル。
- 最大のヒット曲「夜汽車の音は遠い思い出」のヒットも現実以上だった。
- 「宿屋の飯盛」の解散が遅れていた。
- 坂田栄一のソロデビューが遅れ、坂田修→坂田おさむへの改名もなかった。
- もちろん歌のお兄さんになることもないので、「おかあさんといっしょ」の歴史が大きく変わっていた。
- 史実通りソロデビューしていても、歌のお兄さんにならない限り「フォークマン・ブラザーズ」としてなぎら健壱と歌っていた時のイメージが強いままだった。
- 坂田栄一のソロデビューが遅れ、坂田修→坂田おさむへの改名もなかった。
ニホンノミカタ-ネバダカラキマシタ-(矢島美容室)[編集 | ソースを編集]
- 矢島美容室はセカンドシングル以降を発売できていた。
- シングルは5枚出しているんだが?
- 「黒人差別」、「ドリームガールズのパクリ」などいわれることはなかった。
- むしろ史実以上に批判されていたのでは?
- この曲で紅白出場を果たしていた場合、マーガレット(木梨)は4度目の初出場という珍記録を達成。(あとの2人も3度目の初出場を果たす)
- 自分で↑を書いていてアレなんだが、この場合は紅組白組どちらでの出場だったんだろう・・・
- ナオミ(綾小路翔)がDJ OZMAで紅白に出た時にボディスーツ騒動を起こしたことが原因でNHK出禁になっているので矢島美容室が紅白に出るのは不可能ですけど。
願いごとの持ち腐れ(AKB48)[編集 | ソースを編集]
- 売上こそ決して悪い曲ではなかったものの、投票券付きCDの売上以上に、「恋するフォーチュンクッキー」や「365日の紙飛行機」のように世間での曲の評価や浸透度が史実以上だったら?
- 選抜総選挙の投票数が更に増えていた。
- 屋外イベントが中止されなかったら十分あり得た。
- 2017年のレコード大賞はこの曲が獲っていた。
- ビルボードジャパンのHOT100でも年間TOP10にランクインしていた。
- 2017年のNHK紅白歌合戦でもこの曲が歌われていた。
- NHKはこの曲を黒歴史にしてしまうことはなかった。
- 欅坂46の「不協和音」、乃木坂46の「インフルエンサー」の影が薄くなっていた。
- そもそも、姉妹ユニットのメンバーをセンターにしたことが間違いだとみなされることはなかった。
- AKB48の姉妹ユニットへの必要以上な依存体質を晒すことはなかった。
- 松井珠理奈と宮脇咲良を必要以上に頼りすぎだとみなされることはなかった。
- 松井珠理奈と宮脇咲良がギクシャクすることもなかったか?
- 松井珠理奈と宮脇咲良を必要以上に頼りすぎだとみなされることはなかった。
- 姉妹ユニットからの兼任メンバーがAKB48との兼任解除が発表されることもなかった。
- AKB48本体メンバーが影が薄い想いをさせられることはなかった。
- 渡辺麻友の卒業はなかったか遅れていた。
- 2018年の選抜総選挙ではAKB本体メンバーが4位以下に留まる結果になることはなかった。
- AKB48ファンはオリジナルメンバーでの選抜志向を強めることはなかった。
- AKB48はメンバーが多い割には姉妹ユニットに頼り切っていることが疑問視されなかった。
- AKB48の姉妹ユニットへの必要以上な依存体質を晒すことはなかった。
- AKB48の初夏発売シングルの原点回帰を求める意見すら出ていなかった。
- そもそも秋元康が変なコンプライアンスを追求していなかったら初夏発売シングルが迷走することはなかった。
- 初夏発売シングルのセンターは次世代メンバーに偏重することはなかった。
- 次世代メンバーをセンターにしない初夏発売シングルは人気が出ないとみなされることもなかった。
- この曲のセンターは次世代メンバーにすべきだったと意見すら出なかった。
- そもそも事務所に所属する年長メンバーが居座り続けることがなければメンバー間格差は起きず、次世代メンバーの卒業は減っていた。その分、姉妹ユニットへ必要以上に頼り切ることもなかった。
- 選挙券目当てとしたCDの大量購入後の不法投棄を晒されることなかったらこうなっていた。
- ファンの質の悪さを晒すこともなかった。
- CDの大量投棄で実際の売上に反比例させることを象徴することもなかった。
- そもそもCD売上は曲のヒットに正比例する風潮が続いていた。
- 2018年の選抜高校野球大会の入場行進曲にもなっていた。
- 合唱関係者からの批判は問題にならなかった。
- J-POP楽曲を合唱曲にアレンジすることに対する批判が強まることもなかった。
関連項目[編集 | ソースを編集]
もしあの歌が大ヒットしていたら |
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あ~こ/さ~の/は~わ |