もしあの歌手がブレイクしていたら
鳴り物入りでデビューした歌手がもしブレイクしていたら?
- 新規追加は50音順でお願いします。
- 後に(別の形で)ブレイクした人については「史実より早くブレイクしていたら」の妄想とします。
- 実際にそこそこブレイクした人については「史実以上にブレイクしていたら」の妄想とします。
- グループはもしあの歌手グループがブレイクしていたら、男性アイドルはもしあの芸能人がブレイクしていたら#男性アイドル、女性アイドルはもしあの女性アイドルがブレイクしていたらへ。
あ行[編集 | ソースを編集]
秋山純[編集 | ソースを編集]
生田斗真や風間俊介同様にブレイクしていたら。
- ソロでCDデビューしていたかもしれない。
- そうでなくても俳優か声優としての実績でジュニア卒業していたかもしれない。
- 声優専門のジャニーズJr.も増えていたかもしれない。
- そうでなくても俳優か声優としての実績でジュニア卒業していたかもしれない。
- 2008年に引退して不動産業に転職することもなかった。
- ディズニー映画の声優にジャニーズが起用されることも史実以上に多くなってた
今井ゆうぞう[編集 | ソースを編集]
『おかあさんといっしょ』卒業後、ブレイクしそうなところまでいったが、はいだしょうこと同じくらいブレイクしていたらどうなっていたか。
- 今井翼とのW今井ユニットが期間限定で結成された。
- うたのお兄さんからのイメージチェンジをしたいという意志は史実以上に強かった。
- 横山だいすけの影が薄くなってた。
- 俳優としての活動ももう少し多かった。
植村花菜[編集 | ソースを編集]
「トイレの神様」以外にもヒット曲に恵まれていたら?
- 結婚後も芸能活動を精力的に続けていた。
- ニューヨークへ移住することもなかった。
- 西野カナと比べられることもなかった。
内田裕也[編集 | ソースを編集]
自身の自虐ネタにもなっている位にヒット曲がない内田裕也。もし、ヒット曲を出しまくっていたら。
- 内田裕也が「あさイチ」で「いつか紅白に出て見返したい。」と言ったことが現実になった。
- 島田陽子が東京都知事選挙に出馬した内田裕也に支援することはなかった。
恵畑ゆう[編集 | ソースを編集]
『BSおかあさんといっしょ』では体操のお兄さんでしたが、元々はうたのお兄さん志望でうたのお兄さんとしてのポジションにもいたため、ここに記載させていただきます。
- 東宝芸能を退所しなかったかもしれない。
- もしくは他の王手芸能事務所に移籍していたかもしれない。
- NHK以外の番組にも徹底的に出演していた。
- 今井ゆうぞうとひなたおさむとユニットを結成していたかもしれない。
小野恵令奈[編集 | ソースを編集]
AKB48卒業後も歌手としてブレイクしていたら?
- 当然、2014年に引退することはなかった。
- 「リーガル・ハイ」の第2期の主題歌も歌っていた。
- その縁で「リーガル・ハイ」にも何らかの形で出演することができていた。
か行[編集 | ソースを編集]
克美しげる[編集 | ソースを編集]
- ムード歌謡路線への転向に成功していたら
克美しげるは初期の頃はそれなりの売れ行きがあり、絶頂期には「エイトマン」の主題歌を歌ったが、ムード歌謡路線転向後は次第に売れ行きがフェードアウトしていった。もし、ムード歌謡路線への転向に成功していたら?
- 不倫や借金生活に走ることはなかった。
- 愛人殺害事件も起きなかった。
- クスリに走ることもなかった。
- こうなっていた。
- カムバック企画として3000万円作戦が行われることはなかった。
- 克美茂への改名もなかった。
- 俳優活動も活発的になっていた。
- フランク永井の仕事を奪っていた。
かまだみき[編集 | ソースを編集]
- BSおかあさんといっしょが終わった後もNHKの番組には出演し続けていた。
- NHK以外の番組にももう少し多く出演していた。
- 結婚後に芸能活動を長期休止することもなかった。
- 芸能界復帰できたかもしれない。
- 親友のはいだしょうことはNHK以外の番組でも多く共演していた。
川嶋あい[編集 | ソースを編集]
- 演歌歌手としてブレイクしていたら
川嶋あいは中学生の頃に演歌歌手としてデビューしましたが全く売れず断念し、路上ライブから歌手を志すことになりました。もし演歌歌手としてブレイクしていたら?
- 天才中学生演歌歌手として注目される。
- 路上ライブはしていなかった。
- 自身をモデルにしたアニメ映画も作られていなかった。
- 当然、I WISHはなかった。
- naoは無名の作曲家・ミュージシャンのまま。
- 最初の妻とは死別するのは史実通りか。
- 但し、再婚相手はおかもとまりではなかった。
- 最初の妻とは死別するのは史実通りか。
- naoは無名の作曲家・ミュージシャンのまま。
- 社会貢献や支援・慈善活動を行うのも史実通りか。
木内梨生奈[編集 | ソースを編集]
本人は歌手を目指していたので、ここに記載します。
- 天てれ卒業後も楽曲提供を続けていた。
- 細田羅夢やドリ5にも楽曲提供していたかもしれない。
- ラブライブの声優もやってたかもしれない。
- プリキュアの主題歌を歌っていたかもしれない。
北野井子[編集 | ソースを編集]
ビートたけしの娘。史実以上にブレイクしていたら?
- 同年代の二世歌手である宇多田ヒカルとは何かと比べられていた。
- そしてライバル視していた。
- ジャンルこそ違うが吹石一恵も。
- そもそも宇多田ヒカルの存在が強くなければフェードアウトされることはなかった。
- アメリカへ留学することはなかった。
- 調理師の男性とでき婚することなく、離婚することもなかった。
- 倉木麻衣、倖田來未、小柳ゆきの存在が薄れていた。
- YOSHIKIはプロデューサーとしても名を馳せていた。
- 小室哲哉の仕事を確実に奪っていた。
- つんくとはライバルとして張り合っていた。
研ナオコ[編集 | ソースを編集]
- 東宝レコード時代に歌手としてブレイクしていたら
研ナオコは東宝レコードからレコードデビューしたが歌手としてはヒットに恵まれず、次第にCMやバラエティ番組に出演するタレントとして有名になり、キャニオン・レコードに移籍後に歌手として大ブレイクした。もし、東宝レコード時代に歌手としてブレイクしていたら?
- ニューミュージック路線への転向はなかっただろう。
- 東宝レコードはその後、歌謡曲歌手に力を入れていた。
- 史実のように「カルトレーベル」と呼ばれることはなかったかもしれない。
- 場合によっては、業績不振に陥ることなく1980年代以後もレコード会社として存続していたかもしれない。
香田晋[編集 | ソースを編集]
香田晋は演歌歌手としてデビューしましたがヒット曲に恵まれず、その後「クイズ!ヘキサゴン2」で一時的に人気を博しましたが、本格的なブレイクには至らず、引退しました。もし、史実以上に演歌歌手としてブレイクしていたら?
- 鳥羽一郎、山川豊、小金沢昇司の仕事を奪っていた。
- 「紅白歌合戦」の出場回数も史実より多かった。
- 故郷の福岡に帰郷することなく、飲食店を経営することなどなかった。
- 「クイズ!ヘキサゴン2」と名前の縁でmisonoとのコラボが何らの形で実現していた。
- 里田まいwith合田兄妹(家族)自体企画されなかったかも。
近藤夏子[編集 | ソースを編集]
- ワーナー時代にブレイクしていたら
同じくワーナーからデビューしたきゃりーぱみゅぱみゅやゲスの極み乙女。並みに(ワーナー時代に)ブレイクしていたら?
- ワーナーからよしもとアール・アンド・シーにレーベルを移籍することはなかった。
- 「前向いちゃって、走っちゃって、転んじゃって〜こんな自分です。スキです。か?〜」以後、新譜が2年間空くこともなかった。
- 2011年くらいにNHK紅白歌合戦に出場していた。
- 同一漢字のTBSアナウンサーの近藤夏子と混同されていた。
さた行[編集 | ソースを編集]
佐伯伽耶[編集 | ソースを編集]
- 所属事務所のイザワオフィスが制作に関与した番組以外にも出演できていた。
- フジテレビ深夜番組時代が黒歴史扱いされるかネタにされるくらいにはなった。
坂田おさむ[編集 | ソースを編集]
シンガーソングライターとして『おかあさんといっしょ』の楽曲提供にはかなり貢献していますが、もしタレントとしても売れていたら。
- 子供の曲のみならず、大人の曲ももっと多く作っていた。
- ジャニーズ事務所所属のタレントにも楽曲を提供していたかもしれない。
佐藤弘道[編集 | ソースを編集]
たいそうのおにいさんとして活動していた弘道おにいさんですが、おかあさんといっしょ出演中はうたのおにいさんの側面もあり、おかあさんといっしょ卒業後は、歌手活動もするようになりました。伸び悩み、現在は歌手活動を止めています。もし歌手としても売れていたら。
- 小林よしひさ以降のたいそうのおにいさんもうたのおにいさんの側面も持つことが許された。
- 上原りさも史実より早くうたのおねえさんの側面も持つことが許された。
- 実際に本人は元々はうたのおねえさん志望だった。
- 上原りさも史実より早くうたのおねえさんの側面も持つことが許された。
- 瀬戸口清文みたいに作詞活動もしていたかもしれない。
- 息子の文哉、友哉も芸能界入りしていたかもしれない。
茂森あゆみ[編集 | ソースを編集]
1999年に速水けんたろうとともに「だんご3兄弟」がヒットしたが、それ以降も売れていたら。
- ソロでの歌手活動をもう少し多く続けていた。
- 水木一郎やたいらいさおのようにアニソン歌手として徹底的に活躍していた。
- 松野ちかも芸能界から離れることはなかったかもしれない。
- 重盛さと美との共演が実現した。
杉田あきひろ[編集 | ソースを編集]
もしタレントとしても売れていたら。
- 杉田智和との混同が起きた。
- 肌黒のうたのお兄さんとしての注目度も高かった。
- 年齢詐称がばれるのが早かったかもしれない。
- クスリに手を染めることもなかったかもしれない。
田中星児[編集 | ソースを編集]
水木一郎や速水けんたろうと同じくらいブレイクしていたら。
- おかあさんといっしょの初代うたのおにいさんとして称されていた。
- グッチ裕三のいとこであることも史実以上に認知されていた。
- ハッチポッチステーションでも準レギュラー出演も果たしていたかもしれない。
- おかあさんといっしょの40周年と60周年のコンサートにも出演していた。
段田男[編集 | ソースを編集]
新人賞を受賞するほどの人気はありましたが、その後体調不良で活動休止となり、事務所を解雇されて引退に追い込まれました。もし、事務所から活動再開を認められるほどの人気だったら?
- 体調不良に罹っても芸能活動をし続けることができていた。
- よって、ここに書かれていることの幾つかは現実のものとなっていた。
- 大工に転身したり歌謡教室を運営したりすることもなかった。
- 香田晋、小金沢昇司の影が薄くなっていた。
- 名前の縁で最上もがと何らかの形でコラボしていた。
つのだりょうこ[編集 | ソースを編集]
もしタレントとしても売れていたら。
- NHK以外の番組への出演がもう少し多かった。
- 育児タレントとしての注目度が上がっていた。
- はいだしょうこや三谷たくみの影が薄くなっていた。
- はいだしょうことの混同も起きていた。
- つのだ☆ひろとの共演が実現した。
- 杉田あきひろがクスリに手を染めた時、報道系の番組でコメントを述べていた。
- 168cmの長身を活かし、モデル活動もしていた。
- 声楽科出身ではない歌のおねえさんも増えていた。
なは行[編集 | ソースを編集]
中川勝彦[編集 | ソースを編集]
- 全国的な人気を得ていたら
- ヴィジュアル系アーティストのブームが史実より早まっていた。
- 週刊誌により、結婚(事実婚?)し、子供もいると報じられていたかもしれない。
- 白血病で32歳の若さでこの世を去った時、史実以上に芸能界・世間から大きな悲しみに与えていた。
- 娘の中川翔子がデビューした時、「中川勝彦の娘」と大いに報じられていた。
- 「親の七光り」と叩かれていた可能性もある。
- その場合、芸能界に居辛い状態になって、史実以上に人気が出なかった可能性もある。
- しかし、現実の本人の人気は才能と努力によるものなので、やはり史実通りか。
- 同じように父(尾崎豊)を亡くした尾崎裕哉が歌手デビューすると中川翔子と比較されるようになっていた。
- 「親の七光り」と叩かれていた可能性もある。
浜崎あゆみ[編集 | ソースを編集]
- 女優時代にブレイクしていたら
浜崎あゆみは元々は女優として活動していましたが、女優時代はブレイクに至らず、歌手に転向して大ブレイクしました。もし、女優としてブレイクしていたら?
- 事務所移籍は当然ない。
- サンミュージックはお笑いに力を入れることはなく、現在でも女性芸能人に力を入れていた。
- 桜井幸子が事務所移籍することもなかった。
- 少なくともサンミュージックの稼ぎ頭になっていたはず。
- 安室奈美恵の全盛期がもう少し長く続いていた。
- 女子高生の文化も色白志向が高まることもなかった。
- 華原朋美も同様であった。よって小室ファミリーの全盛期が続いていた。
- 『電波少年』に出演したり体調不良に悩まされたりすることもなかった。
- そもそも小室ファミリー(特に安室奈美恵、華原朋美)の仕事を奪う存在にはなっていなかった。
- 「感じ悪いね」発言騒動はなかった。
- 歌詞盗作騒動もなかった。よって安倍なつみと比べられることもなかった。
- 突発性難聴にかかることもなく、左耳の聴覚が失われることもなかった。
- 女優時代を黒歴史にすることはなかった。
- 「ツインズ教師」がDVD化されていたかも。
- 酒井法子の仕事のいくつかを奪っていた。
- 愛内里菜が世に出ることはなかった。あるいは違った路線でデビューしていた。
- 最初から垣内りかとして活動していたかも。
- 西野カナは?
- 松浦勝人はエイベックスを退社していた。
- そもそも、松浦は浜崎を見い出していなかった。
- 安達祐実の存在が薄れていた。
- 安達祐実は『家なき子2』以降、次第にフェードアウトしていった。
- そもそもサンミュージックは安達祐実を必要以上に力を入れることはなかった。
- 某クイズ番組での露骨なひいき・ごり押しもなかった。
- 井戸田潤と結婚することもなかった。
- 深田恭子の存在も薄れていた。
- 『未成年』との縁で野島ドラマの常連になっていた。
- 桜井幸子の仕事も奪っていた。
- 遠藤久美子、矢田亜希子、釈由美子などと1978年生まれ女優の一員になっていた。
- 正統派路線を貫いており、転向とともにギャルに支持される路線へ走ることはなかった。
- むしろ20代まではアイドル性の強い女優として売り出しており、深田恭子、上戸彩などとともに名を馳せていた。
- 2ちゃんねるの「あみ&あゆ板」は「鈴木あみ板」のままだった。
- 痛車のネタが減っていた。
- ホンダ ゼストスパークのあゆ仕様車もなかった。
- ものまねのネタにされることもなく、AYUが世に出ることもなかった。
- 女性芸能人の物まねのネタで上位にランクインすることなく、上位は松浦亜弥か宇多田ヒカルで争っていた。
- 倖田來未は史実より早くブレイクしていた。
- 2000年代の女子高生のカリスマは倖田がそのポジションについていた。
- ヒョウ柄の服が流行ることもなかった。
- ピコ太郎が世に出たか怪しくなる。
- NMB48のロゴマークもヒョウ柄ではなかったかもしれない。
- 1978年生まれの歌手と言えば椎名林檎を思い出す人が現実以上に多くなっていた。
- ブレイクしたとはいえ、史実より地味な存在になっていたかもしれない。
- 「M 愛すべき人がいて」は制作されなかった。
- あるいは違った形で人物伝ドラマが制作されていた。
林寛子[編集 | ソースを編集]
- 山口百恵や石川ひとみ同様にブレイクしていたら。
- 紅白出場もできたかもしれない。
- 毒舌家にはならなかった。
- 娘は今でも芸能活動を続けている。
ひなたおさむ[編集 | ソースを編集]
もしタレントとしても売れていたら。
- 坂田おさむとの混同があった。
- NHK以外の番組にも徹底的に出演していた。
- 声優としての活動も多くなっていた。
- ディズニー映画の声優にもなっていた。
- 横山だいすけのライバル的存在になっていた。
HIMEKA[編集 | ソースを編集]
- カナダに帰国することはなく、2015年現在もアニソン歌手として活動を続けていた。
- Twitterアカウントを消すこともなく、ツイキャスも多くの視聴者を集めていた。
堀江淳[編集 | ソースを編集]
「メモリーグラス」以外にヒット曲に恵まれていたら?
- 「あの人は今」系の番組に出演することはなかった。
- 死亡説や移住説が流れることもなかった。
- 「“生きてますよ”コンサートツアー」をやることもなかった。
- 苫小牧市の同姓同名の公務員が疑われることもなかった。
ま~わ行[編集 | ソースを編集]
水木一郎[編集 | ソースを編集]
- 歌謡曲歌手としてブレイクしていたら。
水木一郎は1968年に歌謡曲歌手としてデビューしましたが売れず、1970年代に男性アニメシンガーになり、見事、ブレイクしました。もし、歌謡曲歌手としてブレイクしていたら。
- 史実で水木一郎が歌っていたアニソンを佐々木功が歌っていた。
- JAM Projectが誕生することはなかった。
- それでも、企画物として何度かアニソンを担当していた可能性がある。
みずき舞[編集 | ソースを編集]
- 細江真由子時代にブレイクしていたら
現在は演歌歌手で元プロレスラー小橋建太夫人。もし本名(細江真由子)でのアイドル活動時期にブレイクしていたら。
- ポップスと演歌を融合した「アダルトミュージック」というジャンルが史実以上に広く受け入れられていた。
- ムード歌謡との線引きがあいまいなものに。
- 本名でブレイクしているので改名はなかったかもしれない。
- いずれにしても小橋と出会い、後に結婚するという流れは変わらなかった。ただマスコミでの捉えられ方は全く異なっていた。
みちよ[編集 | ソースを編集]
- 平家みちよ時代にブレイクしていたら
現在はシンガソングライターとして活動しているみちよですが、元々は平家みちよというアイドルとして活動していました。もし、平家みちよ時代にブレイクしていたら?
- ハロプロの筆頭となっていた。
- 後に真野恵里菜がハロプロのソロの代表として、彼女(みちよ)と比較されるようになっていた。
- モーニング娘。は現実ほど売れなかった。
- つんくよりはたけの方がプロデューサーとして評価されていた。
- つんくは普通のシンガーソングライターとして活動していた。
- 史実での「つんくファミリー」は「はたけファミリー」になっている。
- 「しくじり先生!俺みたいになるな‼︎」に出演することもなかった。
- 平井堅とともに三重県名張市出身の2大歌手と言われるようになっていた。
森田童子[編集 | ソースを編集]
『高校教師』の主題歌に起用されてのリバイバルヒットではなく、現役時代に全国的な人気を得ていたら?
- 女性ボーカルの歌詞において一人称が「僕」という風潮が史実より早くなっていた。
- 中島みゆきの仕事を奪っていた。
- 『家なき子』の主題歌に中島みゆきが起用されることはなかった。
- 売れずに引退することはなく、専業主婦になることはなかった。
- 元々、マスコミへの露出が極端に少なかっただけで全く売れていなかったわけではない。それに、本人の性格からして史実以上に売れていたとしても専業主婦にはなっていたと思う。
- マスコミへの露出が極端に少ないという意味でZARDの坂井泉水と比較されていた。
- 「『高校教師』の主題歌を歌っていた歌手」という認識で終わることはなかった。
森高千里[編集 | ソースを編集]
- 女優として成功していたら
森高千里はCMオーディションをきっかけに芸能界デビューを果たした。当初は音楽より演技で売り込んでいたようだがいまひとつで、シンガーソングライターとして活動するようになった。
もし女優として成功していたら…。
- 山口智子あたりがライバルになっていた。
- むしろ中山美穂、石田ゆり子かと(こちらの方が世代が近いとされるため)。
- 特に中山美穂とは歌手業も兼ねていたという点で何かと比較されていた。
- むしろ石田ゆり子は史実より影が薄かった。
- むしろ中山美穂、石田ゆり子かと(こちらの方が世代が近いとされるため)。
- 売れるにつれ、整×疑惑を今以上に騒がれていたに違いない。
- アップフロントプロモーションは歌手だけでなく女優部門にも力を入れていた。
- 1998年夏に放送されたTBS日曜劇場「海まで5分」に主役で出演していた。
- 史実通り、主題歌も自ら歌っていた。
- フジテレビ「めざましテレビ」のテーマ曲を担当する事が無かった。
- その前に「ローソン」のCMソングを担当していない。
- 逆に、CMには早くから出てたかも。
- 出演本数も史実より多かった。
- 千堂あきほの存在が薄れていた。
- 史実における千堂のポジションについていた。
- そもそも千堂あきほは森高千里の二番煎じ路線で売り出すことはなく、史実と違った形で売り出していた。
- 田中美奈子も同様であり、森高千里と張り合う存在にはなっていなかった。
- 「東京ラブストーリー」に出ていたのは千堂あきほではなく彼女だったかも。その場合江口洋介とはこのドラマで出会っていたことに。
- 結婚自体史実よりも早かったかも。
- 史実の千堂とは違い、バラエティには進出していなかったかも。
- 逆に高岡早紀が歌手として成功していた。
- 江口洋介との結婚はドラマの共演がきっかけだったかも。
- バブル期にミニスカートやトサカ前髪が流行ることはなかった。
- むしろ田中美奈子がそういうキャラで売り出したかも(ワイモバイルのCMでネタにされた)。
- 浅野ゆう子、浅野温子の仕事を奪っていた。
- デビュー作の映画「あいつに恋して」が黒歴史になることもなかった。
- 同じ熊本出身ということで1歳年上の女優である夏川結衣と何かと比較されていた。
山本淳一[編集 | ソースを編集]
光GENJI解散前はかなり人気が高かったが、光GENJI解散後は低迷が続いた。もしソロ歌手としても売れていたら。
- 借金問題を起こすこともなかった。
- もしかしたら、子供も芸能界入りしていたかもしれない。
- 史実より長くジャニーズ事務所に残留していた。
- ソロ転身後も活躍してる元SMAPメンバーや元シブガキ隊メンバー、鈴木雅之、藤井フミヤ、勝俣州和などと何らかの形で比較されていた。
和田アキ子[編集 | ソースを編集]
出した曲が売れないことで叩かれている和田アキ子。もし、出した曲が売れまくっていたら。
- 今も紅白に出ていた。
- BOYS AND MEN 研究生とコラボすることはなかった。
- 史実ほどタレント業に注力することもなかった。
- 暴君化することもなかった。