もしあの番組が大コケしていたら/NHK

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あ行[編集 | ソースを編集]

Rの法則[編集 | ソースを編集]

  1. Eテレの民放風演出路線は大失敗と見なされた。
    • 教育テレビからEテレへのブランド名変更も失敗とされすぐ戻された。
    • ジャニーズなど一線級タレントは史実ほどEテレに出ない。
      • 高校講座も史実より地味でお固い内容に。
  2. アニメの放送が拡大していた。
  3. μ'sがここまで注目されることはなく、せいぜいアニメファンの間に留まっていた。
    • 勿論紅白出場もなかった。
    • μ'sの特番がBSプレミアムで放送されることはなかった。
    • 宮野真守やHoneyWorksの特集が組まれることもなかった。
    • かろうじてMUSIC JAPANに史実通り一度は出ていたかもしれない。
  4. 実際のRの法則で放送されているトピックの一部はすイエんサーとテストの花道でやっている。
    • テストの花道は2014年以降も新作を放送している。

青山ワンセグ開発[編集 | ソースを編集]

  1. NHKワンセグ2は史実より早く終了していた。
    • 「野田ともうします。」がシリーズ化したか怪しい。
      • 江口のりこはブレイクしなかった。
  2. 青山学院大学にあるスタジオも閉鎖されていた。
  3. ももいろクローバーZも史実ほどブレイクしていない。

あさイチ[編集 | ソースを編集]

  1. 朝ドラの開始時間が8時15分からに戻っていた。
    • 開始当初の朝ドラだった「ゲゲゲの女房」がコケていたら連鎖的にこちらもコケていたかも。
  2. 過激な内容が打ち切りの原因だとされていた。
    • オープニングでの朝ドラの感想トークが現実以上に不評だった。
  3. 有働アナは管理職業務に専念していた。
    • フリーになる時期が早まっていたかもしれない。
  4. イノッチの進行手腕が注目されることはなかった。
    • 「出没!アド街ック天国」の2代目司会になることはなかった。
    • 「警視庁捜査一課9係」のイメージのままだった。
  5. 紅白にV6が出場することは無かったかもしれない。
  6. 後番組は「生活ほっとモーニング」と似た雰囲気のものに戻っていた。
  7. 裏番組のはなまるマーケットは史実より長く続いていた。

おかあさんといっしょ[編集 | ソースを編集]

  1. 終了後に民放でもその層獲得に乗り出すも同じクオリティの番組を長く続けられずに終わっていた。
    • 史実で人気を二分していた「ひらけ!ポンキッキ」→「ポンキッキーズ」が史実ほど長続きしたか怪しい。
    • NHKでも「母と子のテレビタイム」→「Eテレキッズ」の番組が大幅に変わっている。
  2. 「だんご3兄弟」などの数々の大流行曲も当然のことながら生まれなかった。
  3. 「いないいないばあっ!」も放送されていない。
  4. 速水けんたろうは、今でも「谷本憲彦」名義で活動していた。
    • 「ファイターズ讃歌」のカバーは別の人になっていた。
  5. 史実通り速水けんたろうが死亡事故を起こしても、そこまで大騒ぎされなかった。
    • 史実通り杉田あきひろが覚醒剤所持で逮捕されても、そこまで大騒ぎされなかった。
  6. 当然、「おとうさんといっしょ」も無い。
  7. 坂田おさむも、今でも「坂田栄一」あるいは「坂田修」名義で活動している。
    • 娘のめぐみも芸能活動していなかったかも。
  8. 田中星児や水木一郎も現実ほど活躍していたか怪しいかもしれない。
    • 田中星児は現実以上に「ビューティフルサンデー」のイメージが強くなっていた。
  9. はいだしょうこが笑っていいともにレギュラー出演することは無かった。
    • もし彼女がタカラジェンヌとして有名になれれば史実通りテレビ出演が増えバラエティに進出していたかもしれない。
    • 当然、2013年2月にNHKと日テレで放送された「60番勝負」で、はいだが「日テレ局舎を探検」なんて事も無い。
  10. 茂森あゆみがゆうがたクインテットでアリアの声を担当することもなかった。
  11. 佐藤弘道や小林よしひさは日体大卒業後、体育教師になっていた。

いないいないばあっ![編集 | ソースを編集]

  1. チョーは死亡説が出されたまま終わっていた。
    • 彼は未だに「たんけん ぼくのまち」のお兄さんのイメージが強いままだった。
  2. 「うーたん」といえば、長良川鵜飼のマスコットキャラクターというイメージが強かった。
    • もしくは、広島東洋カープの石原慶幸の愛称の印象が強くなっていた。
  3. コンサートライブ「ワンワンわんだーらんど」も開催されず恒例にならなかった。
    • 「ワンワンといっしょ 夢のキャラクター大集合」もなかった。
  4. FUJIWARA原西が「ぐるぐるどっかーん」を持ちネタにしなかった。
  5. 「ワンワン」といえば普通に幼児語としての犬の呼び名か、マリオシリーズに出てくるキャラクターのことを指していた。

英語であそぼ[編集 | ソースを編集]

  1. 小学生以下向けの英会話教室が現実ほど普及しなかったかも。
  2. レギュラー出演していた英語圏出身の俳優・歌手のほとんどは来日しなかったか、母国に帰るのが早まっていた。
    • あるいはNHKラジオ「基礎英語」などの声の出演で有名になっていた。
      • 史実でも「英語で〜」と「基礎英語」の両方に出演していた人が多数いる。
    • クロイ・マリー・マクナマラが「おかあさんといっしょ」のファミリーコンサートにゲスト出演しなかった。
  3. クリステルチアリは、鉄道の車内アナウンスで有名になっていた。

NHKアーカイブス[編集 | ソースを編集]

  1. 古い番組の保全が重視されなかった。
    • 予算が回らないので定期的な映像廃棄処分が続いていた。
      • 昔の「上書き録画」のように。
    • 埼玉県川口市にある施設も閉鎖されていた。
      • あくまで保管施設がメインの計画なので番組の不人気が保管中止を招くとは思えない。
  2. 加賀美幸子がケータイ大喜利の司会を務めることはなかった。
  3. 放送時間でクレームが来ることもなかった。
  4. NHKの古い番組を見る方法としてNHKオンデマンドがさらに注目されていた。
    • 各放送局の番組閲覧スペースの利用者もわずかに増えていたかもしれない。
  5. もしかしたら「お願い!編集長」も存在しなかったかも。

音楽ファンタジー・ゆめ[編集 | ソースを編集]

  1. 1年で打ち切られていた。
    • 第2期(テクテクキッズ)は製作されなかった。
  2. (一部の作品における)不気味かつシュールな内容のせいでコケたとみなされていた。
  3. 当時の子供のトラウマが一つ減っていた。
    • 所謂「20代ホイホイ」も一つ減っていた。
  4. 田中秀幸(アートディレクター)、辻陽はそこまで有名にならなかった。
    • 前者と言えば声優だった。

か行[編集 | ソースを編集]

キッチンが走る![編集 | ソースを編集]

  1. ゴールデンタイムでの地域情報番組は廃止されていたかもしれない。
  2. NHKは料理番組を総合テレビで放送しなくなっていた。
    • 「妄想ニホン料理」は製作されなかったか総合テレビ以外での放送だった。
  3. 「ろーかる直送便」で各地域情報番組が全国ネットで放送されることもなかっただろう。
  4. 杉浦太陽はテレビから消えていた可能性もあった。

紅白歌合戦[編集 | ソースを編集]

  1. 全国の歌手の目標の場所になることはなかった。
    • NMB48が「12月31日」を歌うこともなかった。
  2. 大晦日の民放のテレビ番組も変わっていた。
  3. レコード大賞は大晦日放送のままだった。
    • そもそもレコード大賞が大晦日放送になっていたかさえわからない。
      • レコード大賞が大晦日放送になったのは現在のTBSの前身であるラジオ東京が紅白歌合戦に対抗して放送した『オールスター歌合戦』の流れを汲むものなので、もし紅白歌合戦が大コケして早期に終了していたら年末の昼間放送の番組のまま続いていたかもしれない。
  4. 当初のNHKの予定通り、1回限りの単発番組として終了していただろう。
  5. 「紅白」という言葉が「男女対抗」というイメージを持つことはなかった。
  6. 少なからぬ歌手の知名度や芸風が史実と異なっている。
  7. 一気にJ-POPと演歌・歌謡の両方を楽しめる曲は数が少ないままだった。
    • 演歌への社会的関心が下がっていた可能性もある。
  8. 三山ひろしのけん玉チャレンジもなく、ギネス記録を更新することもなかった。

コメディーお江戸でござる[編集 | ソースを編集]

  1. 杉浦日向子は漫画家を辞めた後、エッセイストとしての活動が史実より多くなっていた。
    • もしかしたら今でも健在だったかも。
    • 『百日紅~Miss HOKUSAI~』が公開されなかった。
  2. 「コメディー道中でござる」はなかった。
  3. NHKは日本の文化を中心とした番組制作に取り組まなかったかもしれない。

さ行[編集 | ソースを編集]

ザ☆ネットスター![編集 | ソースを編集]

  1. 無論後継番組のMAGネットは存在しない。
  2. NHKは史実ほどオタク寄りなイメージは無い。
    • 未だにオタク良心的な局(独立UHF系列除く)はMBSTXだけだと思われていた。
      • それでも他の在京キー局よりは評価は高い事には変わりない。
  3. 準レギュラー的に出演していた評論家・東浩紀の知名度が史実より低かった。

週刊こどもニュース[編集 | ソースを編集]

  1. 池上彰はNHKを離れ、民放で同様のコンセプトの番組をはじめていた。
    • むしろ、池上の全てのテレビ出演が早い時期に終わっていたかも。(実際は2011年3月末で全てのテレビ出演を終わる予定だったが、東日本大震災発生により、現在もテレビ出演を続けている。)
  2. 21世紀に入ってから教育テレビで似たような番組が放送されていた。

週刊ニュース深読み[編集 | ソースを編集]

  1. 「週刊こどもニュース」の打ち切りは間違いだったと見なされた。
    • 抗議が殺到し復活せざるを得なくなっていた。
  2. エンディングテーマに初音ミクが使用されることはなかった。
    • 八王子PがボカロPの第一人者になったか不透明。
      • ランク王国」のマンスリーテーマ曲に複数回採用されることはなかった。

総合診療医ドクターG[編集 | ソースを編集]

  1. 浅草キッドはNHKに出演しなくなっていた。
    • 玉袋筋太郎にとって別名義としての「玉ちゃん」が定着することはなかった。
    • NHKは出られるタレントを制限するお固いテレビ局のままだった。
  2. 総合診療の認知度が上がらず医学において花型になったか不透明。
  3. 「きょうの健康」以外の健康番組はほとんどゲストの健康診断がメインという形式のままだった。

た行[編集 | ソースを編集]

ためしてガッテン[編集 | ソースを編集]

  1. 「生活情報番組は地味だとコケる」というのが業界の常識になっていた。
  2. NHK北海道の『うまくてガッテン』も無かった。

たんけん ぼくのまち[編集 | ソースを編集]

  1. チョーさんこと長島雄一が芸名を「チョー」に改名しなかった。
    • 「チョーさん」といえば現実以上に長嶋茂雄のことだった。
    • 彼が史実通り「ワンワン」の中の人になっても、番組で探検地図を描くこともなかった。
  2. 教育テレビ(Eテレ)50周年の2009年に復活番組が放送されることもなかった。

チコちゃんに叱られる![編集 | ソースを編集]

  1. NHKの民放寄り路線が現実以上に失敗していた。
  2. 「ボーっと生きてんじゃねえよ!」が流行語にならなかった。
    • 岡本ゆきのぶが「ボーッと生きてんじゃねぇぞNHK、ボーッと生きてんじゃねぇぞ国会議員」と言うこともなかった。
  3. チコちゃんの声が木村祐一の声をボイスチェンジさせたものであることがコケた要因だった。
  4. 土曜日朝の「週刊まるわかりニュース」の開始時間が早まる。
  5. テレ朝系「ミュージックステーション」が金曜20時→21時に枠移動されることはなかった。
    • NHKの関西ローカル番組「ええとこ」も水曜日に移動することはなかった。
  6. 岡村隆史はめちゃイケの終了もあり完全に終わった芸人として扱われていた。
    • 岡村が大河ドラマに出演することもなかった。
  7. 同じく土曜日朝に再放送されている、「有吉のお金発見 突撃!カネオくん」もコケていた。
    • 「第二のチコちゃん」「チコちゃんに追い付け追い越せ」と意識することもなかった。

着信御礼!ケータイ大喜利[編集 | ソースを編集]

  1. NHKでお笑い番組はタブーになっていた。
    • 「サラリーマンNEO」のレギュラー放送は無かった。
    • 「爆笑オンエアバトル」は史実より早く打ち切られていた。
    • その他お笑いコント番組は一切製作されなかった。
      • この番組が開始された時点から半世紀以上前にも既にお笑い番組を放送していたNHKが1本コケたくらいでそこまで大袈裟な判断を下すようには思えない。
        • 万一そのような事態が検討されても大阪局あたりの反対により取りやめにされていたのでは。
  2. 深夜帯の生放送番組はニュース以外許されない。
    • 「今夜も生でさだまさし」も無かった。
    • むしろターゲットや雰囲気を変えて似たような番組を放送してコケ続けるような気がしてならない。
  3. 板尾創路は史実ほど活躍できず関西ローカル中心になっていた。
    • または、日本テレビ『「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」に出ていた人』という認識だった。
    • CX『ごっつ』の人という認識も忘れる。
  4. 大喜利は笑点を放送している日本テレビの独占ブランドになっていた。
    • 「大喜利」はもともと普通の寄席用語だったはずだが・・・。
      • あくまでも「TV上での大喜利」という意味だと思われる。フジテレビのIPPONグランプリとかがあるから必ずしもそうならないのには同意だけど。
  5. 「レジェンド」という称号は流行らなかった。
    • 流行のきっかけは番組放送開始から9年経ったソチオリンピックなので影響はなかったと思う。
    • むしろ、『HONDAの車』という認識だったのでは?
  6. 時事ネタの取り締まりがなかったら「不適切な時事ネタを問題視され打ち切り」という展開をたどった可能性もある。
    • 他には「年度末の入れ替え戦のせいで定着しかけたオオギリーガーがほとんど逃げ出した」というパターンもありそう。

鶴瓶の家族に乾杯[編集 | ソースを編集]

  1. 笑福亭鶴瓶は関西ローカル中心になっていた。
  2. NHKの番組宣伝手段が1つ減っていた。
    • スタジオパークからこんにちはだけになっていた。
      • NHKでも出演者がためしてガッテンなどにゲスト出演して最後に番宣する手段を取ったかも。
        • 「着信御礼!ケータイ大喜利」はそれに近い。
  3. ニュース深読みの司会者は別人が務めてた。
  4. さだまさしも史実ほど人気を得たか怪しい。
    • 今夜も生でさだまさしは製作されなかったかもしれない。
  5. 毎週放送に昇格することなどなかった。
    • それどころか特番扱いのままいつの間にかフェードアウトしていたかもしれない。
  6. 「ダーウィンが来た!」が45分番組としてこの枠で放送されていた。
    • そして日曜19時30分枠はクイズ番組かアニメが放送されていた。

できるかな[編集 | ソースを編集]

  1. ノッポさんはもっと早く沈黙の苦しみから解放されていた。
    • 最終回での「あーあ喋っちゃった」が早まっていた。
  2. 高見映が芸名・ペンネームを「高見のっぽ」「高見ノッポ」にすることはなかった。
  3. 「つくってあそぼ」開始が早まり、出演者も異なっていた。
    • 久保田雅人が「ワクワクさん」にならず、声優業に専念していた。

天才てれびくん[編集 | ソースを編集]

  1. てれび戦士の大半は『あっぱれさんま大先生』の方に出演していた。
    • あるいは「おはスタ」に「おはキッズ」として出演していた。
      • 女子メンバーの数人はここの「おはガール」になっていた。
  2. 『天才ビットくん』はなかった。
    • 『天才ビットくん』後継番組の『ビットワールド』もなかった。
  3. ここのアニメ枠だった「スージーちゃんとマービー」や「ビットワールド」内で放送されていた「おでんくん」は、Eテレキッズ内で放送されていた。

ドレミノテレビ[編集 | ソースを編集]

  1. UAが「歌のお姉さん・ううあ」として有名になることはなかった。
    • 大半の人にとって、1990年代にヒットしたR&B歌手、あるいはAJICOのボーカルというイメージで終わっていた。
  2. 前身番組「まちかどドレミ」と悪い意味で比較されていた。

な行[編集 | ソースを編集]

難問解決!ご近所の底力[編集 | ソースを編集]

  1. 堀尾正明(初代キャスター)のフリー転向はなかった。
    • 現在、キャスターをやっているTBSテレビ『Nスタ』も、違う人が担当?
  2. 南海電鉄貴志川線は、和歌山電鐵に営業譲渡されることなく廃線となっていた。
    • 「たま駅長」もブレイクせず、全国で猫駅長がブームになることはなかった。
    • こうなれば、和歌山電鐵貴志川線は廃止された可能性も…。
    • 当然、「たま」が亡くなっても、地域ニュースにもならなかった。

NEWS WEB[編集 | ソースを編集]

  1. 画面にツイートを表示するスタイルが民放で流行ることも無かった。
    • TOKYO MXのモーニングCROSSも無かったかかなり変わってた。
    • テレビ局はネット敵視姿勢を強め、厳しいネット規制を煽る報道が繰り返されていた。
      • このような報道姿勢だと「テレビ離れ」がさらに加速しかねないのでいつかはネットに歩み寄ることになっていた気がする。
  2. 津田大介はテレビから消えていた。
    • テレ朝チャンネル2の「日本にプラス」があるが…。
      • 少なくとも『地上波では…』という認識で…。

ニュースセンター9時[編集 | ソースを編集]

  1. NHK(総合テレビ)も70年代後半には平日午後9時台に1時間ドラマを放送するようになった。
  2. 当時子供のいた世帯では、子供を午後9時に寝かしつける習慣は、そのころから弱まった。
  3. 当時の日本人の国際情勢への関心・認識度が弱まった。
  4. 代わりに、1970年代中に午後11時台(当時は放送終了間際)のNHKニュースの放送内容が拡充された。

は行[編集 | ソースを編集]

爆笑オンエアバトル[編集 | ソースを編集]

  1. ポキャブラ終了後はお笑い芸人にとって冬の時代になっていた。
  2. エンタの神様・レッドカーペットが製作されたか微妙
  3. 2003年の紅白歌合戦の審査方法が変わっていた
  4. テツandトモ・はなわの紅白歌合戦への出場もなかったかもしれない。

ハッチポッチステーション[編集 | ソースを編集]

関根勤時代の場合
  1. 地上波移行はなく、短期間で打ち切られていた。
  2. リッチポップステーション時代にヒットしなかった場合、独立番組になっていなかった。
  3. 海外での放送もなかった。
グッチ裕三時代の場合
  1. ジャーニーに対するいじめが多いことで番組を見ていた子供の保護者からバッシングを受けていた。
  2. "WHAT'S ENTERTEINMENTでレイ・チャールズのものまねをする際に肌の色を黒くするメイクをしていたことで黒人の人からバッシングを受けていたかもしれない。
  3. パペットバラエティ番組は今作限りで打ち切られていた。
    • ゆうがたクインテットやフックブックローも放送されなかった。

バリバラ〜障害者情報バラエティー〜[編集 | ソースを編集]

  1. 障害者差別だからとされた。
    • NHKアーカイブスからも抹殺。
  2. 民放などの人気番組パロディはタブーとされた。
  3. 某長時間番組の裏でその番組を批判する特集をやることはなく「感動ポルノ」が流行語になることはなかった。

ピタゴラスイッチ[編集 | ソースを編集]

  1. ピタゴラスは普通の人なら中学3年で習うピタゴラスの定理まで知識には存在しない。
    • 例外は一部の子どもが某メーカーの知育玩具の名称として知っているくらい。
  2. うえだゆうじのファルセットといえばおじゃる丸だけで有名だった。
  3. ピタゴラと同じ佐藤雅彦・ユーフラテスが手掛けたEテレ0655・2355はなかったかもしれない。
    • 「テキシコー」も当然ない。
  4. フジテレビ「はねるのトびら」で、(はねトびメンバーの塚地がケガから復帰した)2009年1月28日から放送されたコーナー「塚っちゃんスイッチ」が、無かったか、別の内容・タイトルで放送されたかも。
  5. いつもここからはずっと「悲しい時~」で食っていくハメに。
    • とっくに世間から忘れ去られ完全に一発屋化していた。
  6. この嘘ニュースはなかった。

ひとりでできるもん![編集 | ソースを編集]

  1. 21世紀以降も小学生低学年以下の子どもが包丁や火を扱うのはタブーのままだった。
    • 「味楽るミミカ!」「クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!」「すすめ!キッチン戦隊クックルン」「ゴー!ゴー!キッチン戦隊クックルン」は存在しなかった。
    • 他局だが「モグモグGOMBO」も。
  2. 初代舞ちゃん役(ヒロイン)の平田実音が先生役で再登場したり、「みんなの広場だ!わんパーク」に司会として出演したりしなかった。
  3. 「ひとりでできるもん」といえばダンサーのことを指していた。

ブラタモリ[編集 | ソースを編集]

  1. タモリのNHK復帰は失敗したとみなされた。
    • 「タモリと鶴瓶」にはじまる、家族に乾杯とのコラボ番組は存在しなかった。
  2. 街歩き番組でありながら地域の人と触れ合うことがないことが失敗の原因だとみなされていた。
  3. 地形や地質に関する世間の関心は低いままだった。

プロジェクトX~挑戦者たち~[編集 | ソースを編集]

  • なおテーマ曲を歌った中島みゆきは番組用の資料を初めて見た際に「この番組3か月もつのかな~」と思ったらしい。
  1. 原因は「NHKの番組で企業名や商品名をはっきり示す」というスタイルに視聴者が嫌悪感を示したためか。
    • NHKが番組内で企業名や商品名を読み上げることは現在もほとんどなかった。
    • 大阪局の「ルソンの壺」は制作されなかったかもしれない。
    • そこまで視聴者が考えている事なんてまずないからそんな理由にはならないと思う。むしろ下にあるように「ドキュメンタリー=堅苦しい番組」という固定観念を払拭できなかったのが敗因になっていただろう。
  2. 書籍化などされるわけがない。
    • パロディのネタにされることもなかった。
  3. 田口トモロヲの一般的な知名度は現実よりずっと低かった。
  4. テレビドキュメンタリーといえば今も堅苦しいイメージが付きまとったままだった。
  5. テーマ曲「地上の星」のヒットもなかったため中島みゆきの人生にもかなり影響があった。
    • 70年代から2000年代まで4年代連続のオリコン1位獲得はなかった。
    • 紫綬褒章受章は確実に史実より遅くなっている。
      • 紅白初出場も。
    • 「マッサン」の主題歌を歌うこともなかった。
  6. 一部のNHKマニアに「プロジェクト×(バツ)」などと揶揄された。
  7. 事実上の後継番組である「プロフェッショナル 仕事の流儀」は存在しなかった。
  8. テレビ東京が「ガイアの夜明け」などの「日経スペシャル」番組を製作することもなかった。
  9. 自局の朝ドラ『あまちゃん』や他局の番組で、当番組タイトルをもじったパロディが放送される事も無かった。
    • また、当番組をパロディ化したサントリー「boss」のCMも作られなかった。

ま~行[編集 | ソースを編集]

未来広告ジャパン![編集 | ソースを編集]

  1. 例の事件で打ち切られた。
  2. 若山耀人、遠藤三貴はブレイクしなかった。

歴史秘話ヒストリア[編集 | ソースを編集]

  1. 渡邊あゆみはテレビから消えていた。
    • 例の騒動の影響と見なされた。
  2. 松平定知が復帰していた。
  3. Kalafinaはアニソン専門のまま。
    • キャリア自体に影響はあまりないと思われる。
      • 「MUSIC JAPAN」にKalafinaが出られたか不透明だった。
  4. 「戦国BASARA」を紹介するなど若者媚びの内容が原因とされた。
もしあの番組が…
○○だったら NHK/日テレ系(あ・か/さ~わ)/テレ朝系/TBS系/テレ東系/フジ系/ドラマ/アニメ(あ・か/さ・た/な〜わ)/特撮/時代劇/放送枠
大コケしていたら 独立局・CS・海外・ラジオ・インターネット/NHK/日本テレビ系(あ・か行/さ・た行/な~わ行)/テレ朝系/TBS系/テレ東系/フジ系
大ヒットしていなかったら アニメ/特撮戦隊/ライダー/円谷/東映)/ドラマ(あ~こ/さ~そ/た~と/な~ほ/ま~わ/連続テレビ小説
今でも続いていたら NHK・独立局・CS・海外/日テレ系(あ~さた~わ)/テレ朝系/TBS系(あ・かさ~わ
テレ東系/フジ系(あ・かさ~なは~わ)/アニメ(あ~さ/た・な/は~わ
大ヒットしていたら NHK・テレ東系ほか/日テレ系(あ~こ/さ~の/は~わ)/テレ朝系(あ~こ/さ~の/は~わ
TBS系(あ~こ/さ~の/は~わ)/フジ系(あ~こ/さ~の/は~わ
アニメ/特撮東映戦隊ライダー円谷プロ)/ドラマ(あ~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ/連続テレビ小説
他局の制作だったら アニメ(あ~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~も/や~わ)/ドラマ(あ~さ/た~わ
別の時代に放送されていたら 日テレ系/テレ朝系/TBS系/フジ系/アニメ(あ~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
打ち切られていたら 日テレ系/TBS系/アニメ(あ~さ/た~わ)/特撮
終了したら 日テレ系/テレ朝系/TBS系/フジ系
その他 司会者降板がなかったら/もう少し長く放送されていたらアニメ)/放送中止・延期がなかったら/レギュラー化していたら