もしあの空港が違う場所に建設されていたら

ナビゲーションに移動 検索に移動

新東京国際空港が成田以外[編集 | ソースを編集]

もし成田空港の建設が撤回されていたら#首都圏に別の空港が建設された場合

札幌飛行場が北24条[編集 | ソースを編集]

  1. かつて存在した初代札幌飛行場が整備・拡張された場合。
  2. 札幌市中心部に高層ビルが立たない。
    • 厚別あたりに史実より大規模な新都心地区を作っただろうか。
    • 手稲あたりにも大規模な開発があったかも知れない。
  3. 現実的に考えると高度成長期に騒音問題で丘珠か千歳に移転。
    • 移転しなければ双方とも自衛隊の飛行場程度にとどまっていた。
    • 存続していたら機材の大型化にうまく対応できなかった。
      • プロペラ・小型ジェット機用の空港として存続していたかも。
  4. 札幌市電や地下鉄南北線が空港アクセスを担う。
    • オリンピックに合わせ空港から中心部や真駒内への高速道路も出来ていた。
    • 鉄北線から空港方面に市電が伸び、一部非電化開業を行うこともなかった。

新千歳空港が東千歳駐屯地付近[編集 | ソースを編集]

  1. 東千歳駐屯地として用いられている旧海軍第2・第3千歳飛行場部分で整備・拡張された場合。
  2. 苫小牧との補償問題は史実よりも強くなかったが、追分・早来への補償が生じていた。
    • 苫小牧市内への新旅客ターミナル建設否決で民間滑走路延伸計画が反故になる事もなかった。
  3. 石勝線は千歳駅から分岐する基地専用貨物線を転用し建設されていた。
    • 空港駅には道東方面の特急も停車し史実より大規模な駅となっていた。
    • 札幌方面からの大規模輸送のため千歳-空港間のみ複線電化されていただろう。
      • 千歳市街東部からの集客のため旭ヶ丘付近に新駅も置かれていた。
    • 道南方面への乗り継ぎのため千歳駅には早期から多くの特急が停車していた。
    • 南千歳駅はおそらく誕生しなかった。
  4. 戦時中に存在した千歳飛行場との誘導路は再設置されない。
  5. 民間機専用で名実ともに軍民分離を実現していた。
    • 共産圏からの乗り入れ規制を敷く事もなかった。
  6. 東千歳の陸上自衛隊機能の移転が前提。
    • 空自千歳基地の脇に置くか・・?
  7. 道央自動車道の新千歳空港インターが無い代わりに、道東道から空港までの地域高規格道路が早期に整備されていた。
    • または道東道の千歳市内ルートを史実より南寄りに勇舞付近を経由する形にし千歳東インターの代わりに空港インターを作っていたか。

青森空港[編集 | ソースを編集]

青森市油川地区[編集 | ソースを編集]

  1. かつて存在した油川飛行場(実史では閉鎖・廃止)が整備・拡張された場合。
  2. 青森駅からの連絡バスは青森駅西口から発着。
    • 利用者からの苦情で、青森駅東口発西口経由に変更されたりして。
  3. (実史でかつ、かつての)油川飛行場や三沢飛行場みたいに、東京⇔札幌線定期航空便が寄港する形になっていたかも。
  4. でも、航空機の騒音問題で、実史通りの時期(1964年)に、市内大谷地区(実在地)へ移転。
  5. 青森空港有料道路は、史実のルートではなく、東北自動車道青森インターチェンジから北に伸びるルートで開通。
    • ↑の通りになれば、東北道でETCが使える様になったと同時に、空港有料道路でもETCが使える様になる。(実史の青森空港有料道路は、ETCは使えない。)
    • むしろ、青森空港インターチェンジとして、東北道が北に延びたかもしれない。
    • 青森ジャンクションで、東北道青森料金所方面⇔青森自動車道青森東IC方面の往来が可能になっていた(実史は青森道から青森料金所への一般車の通行は不可)。
  6. 青函連絡船やフェリーから見えるランドマークとして親しまれていた。
  7. 油川駅が「青森空港駅」という名前になっていた。
    • 当然、津軽海峡線の「快速海峡」や特急列車も停車していた。
      • 実史上では、青森北高校の帰宅対策で、夕方の上り「海峡」1本のみ油川駅に停車していた。
  8. 北海道新幹線のルートが変わっていた(実史のルート上に空港が有るため)。
    • もしかしたら、東北新幹線青森新駅の位置も変わっていたか?

弘前市と鶴田町の境界付近[編集 | ソースを編集]

  1. (旧)青森空港がジェット化する際、新空港を弘前市と鶴田町の境界付近に建設する案も有りましたが、実際は(旧)青森空港を整備する形で決着した。
  2. 空港近くにある「つがる富士見荘」はエアポートホテルの役割を担っていた。
  3. 県道153号線と県道200号線は空港連絡道路として、早くから整備されていた。
  4. 青森駅や弘前バスターミナルからの連絡バスは、実史以上に所用時間がかかる。
    • 一方、五所川原駅からの連絡バスは、実史とは異なり、廃止されず、今も運行されている。
      • おそらく、運行ルートは、「弘南バス五所川原営業所 - 五所川原駅前 - 柏(村)役場前 - 青森空港 - (陸奥)鶴田駅前」となっていた。
    • また、こちらも実史上で一部区間が廃止された「五所川原~廻堰~鶴田」線も、空港アクセスバスの役割を担っていた。(実史の羽田京急バスみたいに)
      • さらに、実史上では、2018年10月1日に廃止された『五所川原~廻堰~鶴田』線は運行され続けている。
  5. 毎年8月の旧盆に行われる「津軽富士見湖花火大会」は、開催できなかった。(航空機離発着に影響する可能性がある為。)
  6. 実史上の青森空港で2002年7月から運航開始したナイトステイ便が運航されたかどうか怪しい。
  7. 空港名が「青森弘前空港」あたりになっていた。
    • 以外に「青森あっぷる空港」かも…。

花巻空港が盛岡市[編集 | ソースを編集]

  1. 東北新幹線開業後も羽田~盛岡の航空便が存続していた。
    • 割引サービスやマイレージで対抗していた。
    • 機材の小型化や減便はあったが羽田-山形便のように何とか生き残っている。
  2. 東北新幹線の新花巻駅は開業しなかったかもしれない。
    • 地元の駅誘致に空港の存在が関係していた痕跡がないのでそれはない。
  3. 花巻といえば宮沢賢治のイメージだけだった。
    • 鉄道ファンならかつての馬面電車、野球ファンなら花巻東高校が浮かぶのでは。
  4. 県南地域では仙台空港を使うのがデフォルト。
  5. 20世紀末に水沢-一関間のどこかに「奥州空港」を建設するという噂が広がる。
    • その地域を地元とする政界の壊し屋も一枚噛んでいるはず。
  6. 花巻空港駅は二枚橋のまま。
  7. 花巻温泉も歓楽温泉化しなかった。
    • 花巻温泉の歩みに空港が影響したという話など聞いたこともないが…。

仙台空港が仙台市内[編集 | ソースを編集]

  1. かつての仙台飛行場(現在の霞目飛行場)が拡張され、陸上自衛隊との共用空港となっていた場合。
  2. 仙台駅からわずか5kmという便利な立地となる。
    • 地下鉄東西線は薬師堂から荒井ではなく仙台空港に向かい、仙台駅から空港までわずか10分で結ばれる。
  3. 仙台駅周辺はビルに高さ規制が掛かり、アエルやSS30等の高層ビルが建てられなくなる。
    • かわりに泉や愛子が副都心として発展する。
    • 大念寺山のテレビ塔も高さ制限を受けた?
  4. 高度経済成長期にジェット化されるも、用地買収に手間取り滑走路の長さは1,800メートル止まり。
    • エプロンに並ぶ顔ぶれはB737やリージョナルジェットにプロペラ機ばかりとなる。え、今とあんまり変わらないって?
    • セミワイドボディ機以上を用いる国際線チャーター便は福島空港や花巻空港の利用がメインとなる。
    • 北東側は市街地であるため、滑走路は南西側に延伸される。
      • 仙台東部道路の仙台若林JCT~仙台東IC間は地下トンネルとなる。
        • 仙台空港ICは勿論この区間に設置される。史実の仙台空港ICは「館腰IC」となるか、最初から設置されない。
    • 立地の利便性と小型機による多頻度運航が功を奏し、空港利用者数は史実の仙台空港より多い。
      • 函館便や新潟便が未だに(前者については北海道新幹線開業まで)運行されていたかもしれない。
  5. 航空大学校は別の空港に設置されている。
    • もし民間旅客機と自衛隊機に加え航大の訓練機が同居する場合、航空管制は完全にカオスの様相を呈する。
      • ぼく管3シリーズ有数の難度と名高い仙台エアマンシップは、もはや攻略不能とまで言われる。
  6. ILSは32側に設置。滑走路14へのサークリングアプローチは「仙台カーブ」と呼ばれ、仙台バイパスを低空で横切る飛行機が仙台空港名物となる。
  7. 騒音問題と大型機就航のため、史実の仙台空港の位置に新空港を建設する計画が浮上するものの、東北新幹線の開通により羽田便が撤退したことで頓挫する。
  8. 3.11の時には津波被害を免れ救援に大きく役立った。
  9. ガメラ2における当地でのガメラとレギオンの戦闘シーンがもっと派手なものになっていた。
    • 同じく空港に怪獣が出現した『大怪獣バラン』のオマージュもあったかもしれない。

福島空港が本宮市和田[編集 | ソースを編集]

  1. 福島空港の建設候補地8か所のうちの一つ、安達中地域が採択された場合。
  2. 福島市と郡山市との中間地点に位置するので利便性が高かった。
  3. より仙台空港に近づくため競争は激しくなる。
  4. 史実では福島郡山間最後の片側1車線区間であった国道4号杉田・本宮拡幅区間は郡山バイパスよりも先に拡幅されていた。
    • 日本橋から杉田の旧道交差点の間も二本松バイパス程度に立体交差が整備されていた。
  5. 大玉村内にJR東北本線福島空港駅ができていた。
    • 現在の千恵子大橋をはじめとした安達太良ドリームラインは国道4号玉貫交差点、福島空港駅、福島空港を結ぶアクセス路として県道福島空港西線として整備されていた。
    • 福島以南の東北本線に快速が走っていた。
  6. 県道二本松金屋線も車1台分の幅しかない増水時に水没する主要地方道なんて事態とは早々におさらばしていた。
  7. 郡山ビッグアイは建設されていなかったかもしれない。
  8. 1990年代末の首都機能移転構想は二本松・安達地域が選定されていた。
    • うつくしま未来博も岩代町、東和町、白沢村あたりで行われていた。
  9. 空港から一本道となる岳温泉が注目を浴びていた。
    • グリーンピア二本松のSLがなくなることはなかった。
  10. 白沢村は本宮町と合併していなかった。本宮町は大玉村と合併し本宮市となったか地方振興局の垣根を超え郡山市に吸収されていたかは微妙。
    • もしかすると岩代町、東和町も二本松市にはなっていなかったかもしれない。

富山空港が富山市倉垣(布目地区)[編集 | ソースを編集]

  1. 実際に倉垣の富山飛行場跡地に富山空港を建設する構想がありました。
  2. 海に近いので史実よりは富山きときと空港の名前の違和感が小さかった。
  3. 地鉄の射水線は存続し、空港へのアクセス線として機能していた。
    • 富山新港建設による射水線分断を償うような形になっていた。
  4. 臨海部の工業団地が史実より肥大化していた。
  5. 富山県総合運動公園は和合の辺りに出来ていた。
  6. 石川県北部からの利用者が史実より多かった。

小松空港が金沢市[編集 | ソースを編集]

  1. 北陸新幹線は遠回りルートが災いし史実より苦戦。
    • そのため北陸新幹線のルートが長野~富山直線ルート越後湯沢経由になっていたかも。
    • 前者は建設の難度が高すぎ、後者は98年の冬季五輪の輸送に使えないのでそれはないかと。
  2. 能登空港は建設されなかったかもしれない。
    • 航空自衛隊の移転先として、より早い時期に作られたかもしれない。1960年代に金沢の市街地に自衛隊機が墜落して、小松基地への反対運動が盛り上がったという史実がある。
  3. 小松と言えば工業都市というイメージが強かった。
  4. 福井空港が富山空港ぐらいの規模で運営されていたかも。福井県民と石川県加賀市民、小松市民の一部が利用。
  5. 史実より手狭になっていたらルクセンブルクやアゼルバイジャンからの貨物便が来たかどうか怪しい。
  6. 位置はおそらく金石の付近。
    • 金沢市のLRT計画で空港と金沢駅を結ぶ区間の整備が優先的に検討されている。
  7. あるいは内灘海岸の脇。(内灘町だけどほぼ金沢市内みたいなもの)
    • のと里山海道が金沢都心部まで延伸。北鉄線も空港、都心方向の両端に伸ばしていた。

富士山静岡空港[編集 | ソースを編集]

静浜基地拡張[編集 | ソースを編集]

  1. 名前が静岡まぐろ空港になっていた。
    • 空弁は魚系ばかり。
  2. 西焼津駅から空港までアクセス鉄道が敷かれていた。
    • 沼津 - 静岡 - 空港 - 浜松で快速も新設。
  3. ターミナルのどこかに第五福竜丸をモチーフにした絵が飾られていた。

浜松基地軍民共用化[編集 | ソースを編集]

  1. 防衛省の施設を利用できるため、こんな感じでコストダウンを図れるだろう。
  2. 県東部の人からは「関係ないのに税金の無駄遣い」と叩かれる
  3. 場所が偏っているので、FDAは就航していたかどうか……
    • 存在していたとしても筆頭株主がホンダあたりになっていた。
  4. 東名高速の浜松西ICが「浜松空港IC」に改名された。
  5. ターミナルビルに間違いなくピアノが置かれている。
  6. 愛称が「天竜浜松空港」とかになってそう。

静岡県東部[編集 | ソースを編集]

  1. 御殿場か富士宮あたりに出来てたら文字通り「富士山静岡空港」になってた。
    • 河口湖駅へのリムジンバスも設定されていた。
    • 山岳波の影響により現実よりやや使いづらかった。
  2. 県西部の人から反発が来る。
    • 県西部からは中部国際空港を利用するケースが圧倒的に多くなっていた。
  3. 御殿場の場合基地もあるためより騒音問題に悩まされる。
  4. 神奈川県西湘地域(小田原・箱根など)や山梨県も利用エリアになっていた。
    • 国内屈強の観光地を抱えているので海外LCC向けの需要はあるかもしれない。
  5. 場所は東田子の浦駅~岳南江尾駅付近、冨士川飛行場拡張が有力か。
    • 「富士山箱根空港」を名乗り、箱根・山梨に近いことをアピールする。

中部国際空港[編集 | ソースを編集]

名古屋市中心部[編集 | ソースを編集]

  1. 名古屋市中心部に高層ビルはほとんどなかった。
    • 代わりに一宮あたりに副都心が建設されていた。
  2. 大口町あたりで万博が開催され、一宮副都心は高層ビル建設ラッシュがおきる。
  3. 愛知県営地下鉄が名古屋-一宮間にでき、愛知県交通局は大儲け。
  4. 名古屋市内は騒音公害に悩まされている。
  5. 建設時期によっては「航空機の時代を見越して100メートル道路の代わりに建設」という展開の可能性あり。
候補地

名古屋市内と海部郡、愛知郡、日進市、豊明市までを範囲として移転案を考えましょう。

  • 八事
  1. 名城大人間学部、薬学部、中京大は南山高・中の南に移転。
  2. 霊園は何処へ…
  3. 離着陸の向き次第では興正寺五重塔と旅客機のツーショットを拝めた。
  • 蟹江
  1. 関西本線は蟹江まで複々線化、東山線は蟹江まで延伸。
    • 複線化でも十分な気が。
  2. 近鉄は空港発の伊勢志摩への観光特急を新設する。
  3. 伊勢湾台風で浸水した地域ということで洪水対策が問題になる。
  • 旧陸軍清洲飛行場跡地(あま市+清須市+稲沢市)
  1. 名二環および国道302号は、空港敷地内では地下に建設されていた。
    • それらに直結して大規模な地下駐車場が整備されていた。
  2. 鉄道でのアクセスは、名鉄の本線側からと津島線側からの両方建設されていた。
  3. 「中部織田信長国際空港」という愛称名が付けられる。

三重県沖[編集 | ソースを編集]

  1. 候補地は津市沖か四日市市沖になっていた。
    • 史実の没案では濃尾三川の河口付近(桑名市長島町沖?)だった。
  2. 名鉄ではなく近鉄が空港アクセスを担っていた。
    • 名古屋以外にも伊勢志摩・大阪・京都方面からのアクセス特急が運行されていた。
  3. 中京圏だけではなく近畿圏からも利用しやすくなっていた。
    • 特に和歌山県新宮市・那智勝浦町や奈良県宇陀市からは関空を利用するより便利になっていた。
  4. 関西国際空港発着便の一部がこちらにシフトするため、関空は窮地に追い込まれていた。
  5. 空港所在地が三重県であることから、空港名が「東海近畿国際空港」になっていたかも。
  6. 新名神高速道路は2005年の時点で草津JCT-亀山JCTが開通していた。

岐阜県[編集 | ソースを編集]

岐阜基地軍民共用化・拡張
  1. 「各務原」を正しく読める人が増えていた。
  2. 蘇原駅か三柿野駅を中部国際空港駅に改称。
    • もちろんJRの特急「ひだ」も停車。
    • 高山本線の美濃太田以西と太多線は電化されていたかも。
      • その場合「大阪しなの」が空港経由で存続していたかも。
    • 名鉄各務原線に特急が運転され、現実ほど地味な路線ではなくなっている。
      • 現実で新鵜沼止まり、航空祭で三柿野延長が通年になっていた。
      • 120km/h対応工事されたのは常滑線ではなく犬山・各務原両線だった。
    • 長良川鉄道を空港延伸で名古屋方面と相互直通させる構想が出る。
      • 新岐阜→名鉄岐阜駅の各務原線ホームは8両対応に拡張された。
  3. 東海北陸自動車道は現実よりやや東を通っている。
    • 「岐阜各務原IC」は「中部空港IC」になっていた。
  4. 各務原キムチの発祥も空港と結び付けて語られている。
  5. 岐阜タンメンがターミナルビル内に出店していた。

大阪国際空港[編集 | ソースを編集]

全般[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪モノレールは大阪空港まで延伸されていなかった。
    • 蛍池か千里中央が終点になっていた。

大阪湾岸[編集 | ソースを編集]

  1. 恐らく大阪南港にできていた。
    • と言うより、ニュートラムの平林駅から渡船で渡ったあたりのめがね橋のたもとにあった木津川飛行場が移転したのが大阪国際空港だから・・・。
  2. 大阪市営地下鉄中央線やニュートラムが空港まで延伸されていた。
  3. 南港地区にあるATCやWTCの空室率は現実より低かった。
    • ものすごい騒音のためにその辺は変化なしかも知れない。
  4. 21世紀に入ると国際線が復活している。
    • それ以前にワザワザ関空造らずに羽田同様埋立拡張で済ましてそう。
    • 大都市のすぐそばにあり、国内線国際線両方が発着することから仁川並みのハブ空港になっていた。
  5. 神戸空港は建設されなかった。
  6. 史実ほど騒音問題に悩まされることもなかっただろう。
    • その代わりに、濃霧や地盤沈下や周囲の工場の排ガスで悩んでいただろう。元々木津川飛行場が移転したのもほとんどその理由でだし。

泉佐野[編集 | ソースを編集]

  1. 史実の明野陸軍飛行学校佐野分教所を敷地としていた。
  2. 24時間運用は行われていない。
  3. 国道26号線のルートが変わっていた。
  4. 阪和線と南海本線に挟まれているため、JRと南海の線路共用区間はなかった。
  5. 結局はこれに近い歴史を辿ったと思われる。
  6. 移転・拡張扱いで史実通りの関西国際空港が開港していた。

[編集 | ソースを編集]

  1. 史実の堺大浜飛行場(日本初の民間飛行場でもある)が拡張されていた。
    • 八幡製鐵(現日本製鉄)の工場は市内に作れなかった。
      • USJの候補地に影響した。
    • シャープの亀山工場が現実より大きくなっていたのか。
    • 泉州沖の開発が抑えられ、白砂青松の海岸が今でも残っていた。
      • 「関西の湘南」とよばれ、居住地として人気に。
  2. 地下鉄四つ橋線はいずれは当初の予定通り堺市内まで延伸されていた。
    • 四つ橋線自体の利用客数も現実よりも多かっただろう。
  3. 関西空港は泉州沖ではなく神戸にできていたかも。
  4. 大阪南港のWTCビルは航空法による高さ制限に引っかかるため、現実よりも低くなっていた。
    • 場合によってはあべのハルカスも。
  5. 歴史的背景もあり堺市は国際性を全面的に押し出してPRしていた。
  6. ↑の地下鉄は大阪万博までに乗り入れるだろう。空港駅は200mホーム整備。万国博中央口(千里中央→箕面萱野)行きは勿論ある。
    • 場合によっては四つ橋線内の急行運転が計画されたかも。
    • 御堂筋線の10両化は花博までに実施されたかも。
    • 大国町駅の島式2面4線ホームがフルに活かされていた。
      • 御堂筋線9両化時に同駅以南のホーム有効長は10両対応になった。
    • 大阪市10・10A・21・30000系と北急2000・7000・(初代・2代)8000・9000形も営業列車で四つ橋線を走っている。
    • 大国町以北の御堂筋線の行先案内で「大阪空港行き」と案内される。
  7. 現実の伊丹のような騒音問題は少なかった。
    • 滑走路3000m化は70年の万博までに実施、パンナムの747が「空飛ぶアメリカ館」として来港したかも。
  8. 堺市の政令指定都市昇格が現実よりも早かった。
    • 恐らく仙台市や千葉市と同時期に昇格していただろう。
    • この場合、旧美原町は現在も単独で町政をしているか、松原市あたりに合併されていた。
  9. 空港内の売店では堺特産の包丁などが販売されていた。
    • 9.11後は販売中止になっていたかも。
  10. 堺市は現実以上に大阪市をライバル視している。
  11. 堺市のLRT構想が現実よりも進んでいた。
    • 空港ターミナルビルへの路線延伸計画も存在していた。もし実現していたら全国でも唯一の路面電車でアクセスできる空港となっていた。
  12. 利用者などから「堺空港」と呼ばれる。
  13. 和歌山市は「東京から最も遠い県庁所在地」にならなかった。
  14. 堺駅~大浜周辺が「堺新都心」として大々的に開発されていた。

大阪市鶴見区[編集 | ソースを編集]

  1. 恐らく現実の鶴見緑地の場所に建設されていた。
  2. 「鶴見空港」という通称で呼ばれていた。
    • 人によっては横浜にあると勘違いされる。
  3. 1990年の花博は別の場所で開催されていた。
  4. 地下鉄長堀鶴見緑地線は花博ではなく空港アクセスとして建設されていた。
    • 現実の鶴見緑地駅が「大阪空港」駅を名乗っていた。
    • 大阪モノレールは1997年の時点で門真市以南大阪空港まで開通していた。
  5. 第二京阪道路は現実より早く開通していた。
    • 大阪側では阪神高速森小路線とつながっていた。
      • 森小路線が「空港線」という通称で呼ばれていた。
  6. 大阪市鶴見区をはじめ守口市門真市大東市東大阪市などが空港のお膝元として発展していたが、騒音問題も起こっていた。
  7. 京橋が空港への玄関口として現実よりも発展していた。

関西国際空港[編集 | ソースを編集]

もし関西国際空港が違う場所に建設されていたら

神戸空港[編集 | ソースを編集]

明石市[編集 | ソースを編集]

  1. 西明石がのぞみ停車駅になっていたか?
    • 同様姫路が全列車停車駅になっていたかもしれない。
    • 地方空港一つ程度で影響があるようには思えない。
      • 広島空港に少しは近い三原や東広島に止まるのぞみは令和になってからもまだ設定されたことがない。
  2. 明石海峡大橋のせいで離着陸のルートが制限されていた。
  3. 海上空港の場合地元の漁業者との交渉に難航していたと思われる。
  4. 愛称に「子午線」という語句が入る。
  5. 徳島空港にも影響が出ていた。場合によっては廃港の危機に陥っていた。

姫路市[編集 | ソースを編集]

  1. 山陽新幹線の新神戸駅と姫路駅の立場が入れ替わる。
    • 姫路にはのぞみ・みずほが全列車停車、一方新神戸にはのぞみは数本しか停車しない。
    • 都市そのものの位置づけが変わらない限りありえない。
  2. 兵庫県より岡山県からの利用者が多かった可能性も。
    • ドル箱になりそうな東京便は岡山からも飛んでいるのでそうはならない気がする。
  3. 山陽電鉄が乗り入れていた可能性あり。
  4. 白鷺をモチーフにしたマスコットキャラクターがいる。
  5. 阪神地域から遠いため就航する便は史実の神戸空港より少ない。
    • 世界遺産姫路城のお膝元ということで能登空港と同じように国際チャーター便に活路を見出していた。

南紀白浜空港[編集 | ソースを編集]

紀の川市[編集 | ソースを編集]

  1. 旧安楽川飛行場跡地に建設。
    • 和歌山市外にも関わらず「和歌山空港」になる。
  2. 関西空港神戸沖に建設された。
  3. ジェット化の際和歌山沖に移転した可能性も。

海南市[編集 | ソースを編集]

  1. 上記同様和歌山市外にも関わらず「和歌山空港」になる。
    • 関西空港の建設場所も上記同様に。
  2. マリーナシティは史実と異なる形で開発される。
  3. 南海和歌山港線が本線の一部になり空港まで延長された。
  4. 紀州路快速は海南駅まで延長運転されていた。
    • 熊取以南も快速運転されている。
    • 海南まで延長するならそれ以南各停で紀伊田辺まで運行されたかも。
      • 紀勢本線のワンマン化は紀伊田辺以南だったかも。
      • 225系5100代が多く増備される代わりに227系1000代の増備数が少なかったかも。
      • 和歌山~紀伊田辺間の全駅にICOCA対応改札機が設置されたかも。
    • きのくに線のナンバリングが阪和線の通しだったかも。

新宮市[編集 | ソースを編集]

  1. 名称は「南紀新宮空港」になっていた。
  2. 和歌山県だけでなく三重県南部からの利用も多くなっていた。
    • 伊勢志摩方面へのアクセスも考慮されていた。
    • 南北牟婁郡が和歌山県所属だったらあり得たかも。
  3. 大阪~新宮は鉄道では時間がかかりすぎることから、伊丹~新宮に定期便が就航していた。
  4. 新宮市が現実より発展している。
    • うまく行けば同市の人口が10万人を超えた県内2位、文字通り「南紀の中心都市」になれたかも。
      • 上記の五新線が全通していたら尚更。

岡山空港[編集 | ソースを編集]

宇野[編集 | ソースを編集]

  1. 瀬戸大橋線ができても宇野線の茶屋町以南は衰退しなかったかも。

水島[編集 | ソースを編集]

  1. 水島臨海はJRと乗り入れ、岡山方面へ直通していたかも。

広島空港が広島市中心部[編集 | ソースを編集]

  1. 東京~広島のシェアは現在でも航空機が有利。
    • 羽田~広島便は2015年現在で新千歳、福岡、大阪に次ぐ国内4位の搭乗数になっていた。
    • 名古屋~広島や広島~鹿児島の航空便もあった。
      • 鹿児島便は史実でも西飛行場から定期便が消えるまで飛んでいた。
    • 下の理由で東京~広島便はB767とA300の独占に。
      • そのように滑走路が3000m位に伸ばされたらB747就航が実現していたかも。
        • 史実でも就航していたがそれ以上に上記の搭乗数ともども多かった。
    • 新幹線500系の製作数が少し多かったかな?
  2. 福山市は岡山空港が最寄りの空港になっていた。
    • あるいは福山市にも空港が建設されていたかも。
      • 事情通に陰で「宮澤喜一空港」と呼ばれていた。
  3. 史実の吉島飛行場を拡張したような感じと推測。
    • 広島南道路のこの付近の区間は問答無用でトンネルに。
    • 滑走路の沖出しが行われ、2000m程の長さに。
      • これでも史実の旧空港とはあまり変わっていない。
        • なら'93年までに3000m位に伸ばしていたか?
    • 三菱重工の方が他の場所に移転していた。
      • その場合重工の跡地が空港拡張用地に。
  4. パイロットからはかつての香港啓徳空港並みに恐れられている。
    • 周囲を島や山で囲まれている上に着陸時には市街地上空の飛行を強いられる。
    • 進入時には能美島が邪魔になっていた。
  5. 岩国基地への民間機の再就航はまだ実現していない。
  6. これって、現広島空港が無く、旧広島西飛行場がメイン空港のままだったら、ってことでは?
    • 広島市民の感覚では南観音よりもさらに南なのであまり中心部のような気がしない。
  7. 市内電車の空港乗り入れが検討される。
    • 現実でも本郷町に空港ができる前には検討されていたような記憶がある。
  8. 要するにこの内容か。

広島空港が岩国基地と共用(錦帯橋空港の拡大版)[編集 | ソースを編集]

  1. 岩国駅と空港を結ぶ単線アクセス線ができる。
    • 広島~五日市~宮島口~大竹~岩国~空港 で快速運転。
  2. 広島岩国道路はとっくに無料化されて空港アクセス道路になっていた。
    • この場合山陽道(廿日市~大竹)は別のルートで作り直される。
      • あの位置に2路線作るのは不経済では。
        • 国道2号の広島~岩国間の渋滞はエグいぞ。岩国に空港があったら拡幅なり道路新設しないとパンクする。
  3. 名称は広島岩国空港。
  4. 岩国が広島県に属していたら案外あり得たかもしれない。
    • 史実でも岩国には1952年から64年にかけて民間機が就航していたので「広島空港」扱いされていたら存続できていたと思われる。
      • イギリスやオーストラリアからの国際線すら寄港していたことがある。

広島空港が西風新都[編集 | ソースを編集]

  1. アストラムラインが延伸され、西広島経由で都心に直通していた。
  2. 広島高速4号線は何らかの形で他路線とつながっていた。
  3. 五日市ICは「広島空港IC」という名前になっていた。
  4. 広島は福岡に次ぐ空路便利都市になっていた。中四国における拠点性は今より確実に上だった。
  5. 山陰・四国の県庁所在地と空港を結ぶ小型機短距離便が数多く設定され、在来線高速化の代替手段になっていた。

山口宇部空港[編集 | ソースを編集]

候補地[編集 | ソースを編集]

防府北基地
  1. 山口防府空港になっていた。
    • 山口県庁は山口空港への改称を試みるが防府市が反対。
  2. 自衛隊基地と共用している。
  3. 山口県内各地との便を図るため大きなバスターミナルが建設される。
  4. 山陽新幹線と競合することは間違いない。
  5. でもやっぱり北九州空港に客が流れる。
    • 当然新北九州空港の建設も早まっていた。
    • そもそも「北九州空港と競合」が山口県庁の捏造。実際の宇部空港は北九州空港開業前から利用者は減り新山口駅や徳山駅の新幹線「のぞみ」に流れている。
  6. 実際に候補地だった。
    • 宇部空港の着工直前までここと阿知須干拓地の2つが候補地だったが宇部興産が宇部に造らせた経緯がある。
  7. 山口宇部道路は建設されず山口防府道路ができていた。
    • 並行路線が無いので山陽自動車道ははじめから宇部経由に。
小月航空基地
  1. 山口下関空港になっていた。
    • 山口県庁は山口空港への改称を試みるが下関市が反対。
  2. 北九州空港とどういう勝負をするだろうか。
    • 新北九州空港の門司ルートアクセス道路ができて移転統合。
    • 勝負という発想がおかしい。普通に統合されるだけだろ。
  3. 山口宇部道路は建設されず山口下関道路ができていた。
    • 後に山陽自動車道に組み込まれる。
  4. 旧北九州空港と同じく山に囲まれ就航率が極めて悪いため移転の議論がはじまる。
    • 周防灘国際空港が現実に。
  5. 事情をよく分かっていない人に「安倍晋三空港」と呼ばれる。
    • 現実通りの民間での使用開始なら66年開港のため安倍晋三が関わる余地はない。
阿知須干拓地
  1. 県営阿知須空港として開業するが滑走路延伸ジェット化時に山口空港に改称(阿知須町には県庁に抵抗できるほど力が無いため)。
    • いやこの場合最初から山口空港か、もしくは宇部が介入して山口宇部空港のどちらか。阿知須が口出しできる余地はない。
  2. 実際に候補地だった。
    • 宇部空港の着工直前までここと防府北基地の2つが候補地だったが宇部興産が宇部に造らせた経緯がある。
  3. 01年の山口きらら博はどこで開催されたのだろうか。

北九州空港が若松沖[編集 | ソースを編集]

  1. 場所は響町1丁目・2丁目の人工島。
    • 一応海上の為24時間運航は可能。
  2. 若戸トンネル~空港間の高速道路と戸畑~若松~空港間のJR線が新設される。
    • 小倉・折尾から20分程度で直通でき、下関からも渡船でいけるため市民からの評価は上々。
    • 現実の北九州空港の例を見ると鉄道は建設されない気がする。
      • なんもない苅田の人工島と違って若松という人口が多い地帯を通るし、距離も短いから市にやる気があればワンチャンありえるかもよ。
  3. 下関市街と小倉市街が10km以内にあるため多少の高さ制限を受けていた。
  4. 空港と市街地が近接していたので、福岡に九州の支店経済機能を奪われることはなかったのかもしれない。
    • 都市の地力や福岡空港と市街地の距離を考慮するとそれはない。
  5. 北九州エコタウンは曽根地区と苅田沖に建設されていた。

北九州空港が築城基地と共用[編集 | ソースを編集]

  1. 浜松基地が軍民共用化された場合と同様のコストダウンが図れるだろう。
  2. 特急は航空祭以外の日も築城に停車していた。
    • 駅名は開港と同じくして「北九州空港」に変更された。
    • もしかしたらΩカーブ解消も兼ね空港直下に移転していたかも。
  3. 貨物便は佐賀空港が福岡空港の移転扱いだったらそこなどに分散していた。
  4. 「北九州京築空港」の愛称が付いていた。

北九州空港が芦屋基地と共用[編集 | ソースを編集]

  1. 小倉からは苅田沖より距離があるはずなのに、意外と遠いという感覚がしない...
    1. 黒崎や折尾などの西部からはぐっと近くなる。小倉から20km、福岡からも40kmも離れていない。
  2. 福岡空港のキャパオーバーに目を付けた福岡県が『第二の福岡空港』と位置づけ、国際線を移管し大規模に拡張されていた。
    • 羽田と成田、小牧と中部、伊丹と関空のような関係性に。
    • 名称は「西日本国際空港」「九州国際空港」で決まり。
  3. 折尾駅から北九州空港線が建設される。
    • 小倉・福岡から特急が乗り入れ。883が爆走し博多まで最速40分を切っていた。
  4. 北九州空港の規模拡大に伴い、芦屋基地の機能は小月・築城に移管される。
  5. 新若戸道路が芦屋まで延伸され、そのままぐるっと九州道鞍手付近まで建設される。
  6. 黒崎バイパスが都市高扱い(6号線?)で折尾経由で芦屋まで伸びていた。

福岡空港が福岡市中心部以外[編集 | ソースを編集]

  1. 福岡市中心部に高層ビルが沢山建設されていた。
    • 九州新幹線全通後の博多駅の駅ビルはJRセントラルタワーズ(名古屋駅)やJRタワー(札幌駅)のような超高層ビルになっていた。
      • そしてテナントがなかなか入らず苦戦。
        • むしろ逆で、ホテル業界や企業の誘致はしやすい、立地条件からして見過ごすことはない筈だ。
          • 空港から5分で行けるから博多に企業やホテルが多数進出しているわけで、空港が遠いのにビルだけつくっても需要がなくガラガラになる。
            • その空港から来る人は東京から来るので「空港から近い」は「東京から近い」と同義だが、福岡より東京に近い都市など山ほどあるという矛盾。
  2. 地下鉄が未だに延びずアクセスにアクセクしていた。
    • むしろ板付より先に伸びていた。
      • 廃止になった国鉄勝田線の代替ルートとして志免方面へ伸びていた。
    • 「東比恵」など知られていなかった。
  3. JR西日本が大儲け、というほどではないがそこそこ利益を上げる。
    • 福岡はJR九州の管轄ですが…
      • 山陽新幹線の利用客が増加して運営主体であるJR西日本の増収に繋がる、という意味では。
      • かなり遅くまで「福岡に飛行機で行くんですか?随分羽振りがいいんですね?」と言われる。それほど、東京などから福岡に行く場合は、新幹線が使われる事が一般的。福岡空港が市街地から遠くて不便なので。
  4. 公立の学校にエアコンはつかなかった。
  5. 実際に福岡市中心部から離れた場所に建設されていた場合、どの辺りに建設されていただろうか・・。
    • 海の中道とかかな。昔、飛行場があったし、最近も新空港の候補地として挙げられてる。
    • 宗像(旧津屋崎町)沖も移転候補地です。
  6. 建設地が鳥栖などの佐賀県内の場合は別名称だったかもしれない・・。
    • その際は「九州国際空港」で決まり。

候補地[編集 | ソースを編集]

  • 県内と佐賀までを範囲として移転案を考えましょう。
海の中道案
  1. 福岡市民待望の高層タワーが出来ないかもしれない。
  2. 市営地下鉄号線はアイランドシティー経由で海の中道まで延伸。
    • もしくは香椎線が複線電化される。
      • 香椎線は全線電化されるか、西戸崎~香椎間のみが電化される。
      • 空港アクセス用に813系が、普通列車に817系が投入される。
      • 香椎で分断。西戸崎側は基本的に博多に乗り入れ。
        • そのまま貝塚付近で地下鉄に直通してくれたら便利やね。
  3. 都市高速も香椎から延伸。東区三苫経由で雁ノ巣まで。
  4. 環境保護団体が必死に反対することは必至。
    • 板付へ移転せず雁ノ巣飛行場を沖合へ拡張していれば、そんな団体はまだ存在しなかったのに。
    • とても綺麗な海岸なので、埋め立てられるのも悲しいから今のままでよかったのかもしれない。
  5. いっそのこと、長い誘導路で現ターミナルまで結んでしまえ!
旧津屋崎沖案
  1. 西鉄宮地岳線が空港まで延伸。廃止になることは無かった。
    • それどころか地下鉄も直通し、乗客も増えていた。
  2. 北九州からも利用圏となり需要集約効果で就航都市が増え華の欧州北米直行便もデイリー運航。
  3. 今では世界遺産「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」への悪影響を心配される。
佐賀空港移転・乗っ取り案
  1. おそらく、佐賀から南に向けて空港アクセス鉄道ができる。
    • あるいは西鉄が柳川付近で分岐し筑後川を横断してくる可能性もある。
北九州空港移転・乗っ取り案
  1. 新北九州空港なら小倉から鋤崎山と高蔵山の間を抜けて新幹線建設。
    • 経営はJR西日本か?
旧大刀洗飛行場
  1. 久留米市大喜び。
  2. 甘木線は第三セクターになることはなかった。
  3. むしろ電化されていた。
  4. 九州自動車道・大分自動車道・長崎自動車道の建設が早まった。
  5. 四国新幹線の建設が早まり、旧太刀洗飛行場付近で博多や長崎・佐世保など各方面に分岐していた。
    • 九州新幹線のルートにも影響を及ぼした可能性がある。
  6. 佐賀空港は存在しない。

佐賀空港が大牟田周辺[編集 | ソースを編集]

  1. あまり変わらない。
  2. 少しだけ便利になる。
  3. 西鉄天神大牟田線が大牟田まで完全に複線化される。
  4. 沿岸道路はもっと有意義に活用されている。
    • 料金が取られている。
  5. 熊本空港を使う人が減る。
  6. 「なんで福岡県に空港が三つもあるんだ!」と非難を浴びる。
    • そうならないために荒尾に作る。
      • 「なんで熊本県に空港が三つもあるんだ!」
  7. 佐賀県でないのでそもそも佐賀空港でない。(南福岡空港、新福岡空港、大牟田空港)
    • 千葉にある新東京国際空港みたいなネーミングなんだろう、きっと。
    • 両県の力関係を踏まえると羽田空港が「神奈川空港」か「川崎空港」を名乗っている以上に不自然。

関連項目[編集 | ソースを編集]

佐賀空港が吉野ヶ里町[編集 | ソースを編集]

  1. 目達原駐屯地を拡張する形。
  2. 「(三田川→)吉野ヶ里公園」駅が東側に移転し「佐賀空港」駅に改称。
  3. 人口の多い地帯で交通利便性も高いので、現状より利用者は多かった。
  4. 博多とを結ぶ特急が停車し、福岡からも30分で行けるので第二福岡空港扱いされていた。
  5. 空港道路が東脊振インター直結で国道385号の東側にできていた。
  6. '07年に佐賀市と合併したのは川副町ではなく神埼町だった。

佐賀空港が唐津市[編集 | ソースを編集]

  1. 第2次大戦中に陸軍飛行場の建設反対運動が多かったことは忘れられる。

熊本空港が熊本新港周辺の西区[編集 | ソースを編集]

  1. 市電が西方面に向かって延長していた
    • 現実でも延伸計画が一切進んでいない状況なのでそれはないかと。
  2. 熊本駅・空港を中心に西区がもっと栄えていた
    • そもそも名称が「港区」になっていた可能性あり。
  3. 対岸に位置する島原の観光PRも大々的に行われる。
  4. 上記福岡空港が板付ではなく戦前から当地に存在した場合,九州の中心都市とされ,新鋭機が導入からまもない時期から飛来する。
    • ↑の「当地」とは熊本空港。熊本市は戦後も九州の政治都市(青森県に例えるなら青森市)で,大企業や国の出先は多くが2020年現在も熊本に置く。
      • 「福岡空港」は雁ノ巣飛行場の拡張扱いで,大浜飛行場(玉名郡大浜町→玉名市)は存在せず,ここに雁ノ巣と同時期に建設されたことか。名称はおそらく熊本飛行場。熊本空港はその拡張扱いか。
    • 航空がまだ特権階級のものだった時代に空港一つで都市の地位が逆転ということはありえないのでは。
    • さらに大陸(特に朝鮮・満洲)との連絡を考慮すると九州の寄港地が熊本では無意味に南に迂回することになってしまう。
  5. 天草空港は存在しない。代わりに熊本港~本渡港の高速船が存続。

熊本空港が玉名市[編集 | ソースを編集]

  1. 旧大浜飛行場跡地に建設。
  2. 筑後地方南部からの利用者獲得に力を入れているため、史実の熊本空港よりも利用者数が多い。

大分空港が坂ノ市沖[編集 | ソースを編集]

当初は坂ノ市沖を埋め立てて建設される計画でした。

  1. 日豊本線の坂ノ市駅から空港アクセス鉄道が建設されていた。
    • 路線名は「大分空港線」。
    • 宮崎県北部民の多くが,飛行機に乗る際,この空港を利用。その代わり大分県豊前地方の住民は,新幹線小倉駅・北九州空港を利用。
    • 宮崎県北部民の大分空港利用を考慮し,坂ノ市駅に一部の「にちりん」が止まる。
  2. キヤノンの工場は安岐には無かった。
    • 大分市内の工場が現実よりさらに大きくなっていた。
  3. R197の大分東バイパスの大分宮河内IC以東が大分空港道路になっていた。
    • もちろん自動車専用道路になっていた。
    • 大分東バイパスの米良~宮河内は現実世界の東九州自動車道の大分光吉~大分米良と同様に東九州自動車道に並行する一般自動車専用道路(A'路線)になっていた。
      • 道路名は「大分東道路」。
    • 40m道路はとっくの昔に佐賀関まで延伸している。
  4. 大分県央空港は計画されなかったかも。
  5. 国東半島の過疎化が現実より進んでいる。
    • その代わり大分市一極集中が進む。下手すれば別府市を吸収し、大分市の人口が50万人を越えたかも。

那覇空港が違う場所[編集 | ソースを編集]

  1. 金城・鏡水・大嶺地区はとっくに住宅街。
  2. 沖縄都市モノレールは建設されないかまったく違ったルート。
  3. 市街地に出るのに10分なんて到底無理。
  4. 離着陸時に風向きによっては必ず住宅地の真上を通る。
    • ただし、現在の位置でも南側の離着陸では埋立地は通っている。
  5. もっとも、那覇が琉球政府所在地→県庁所在地であったのに、旧小禄飛行場ほど好条件な場所はない。
    • 市街地に近いし、滑走路が双方とも海に突き出し住宅地の真上を通らないため。
  6. 那覇港トンネルはない。
    • 那覇西道路の終点は那覇空港ではなく那覇港だった。
  7. とっくに首里城の景観がどうのこうのといわれるくらいの超高層が建っている。

候補地[編集 | ソースを編集]

東飛行場
  1. 鉄道与那原線が復活。
  2. 南西石油が別の場所。
  3. 中城湾南側はとっくの昔に埋め立てが進んでいる。
  4. 沖縄自動車道からの分岐道路が西原IC付近から建設された。
  5. 長年那覇にない那覇空港だったが、1975年に西原町が編入されて、名実ともに那覇空港になっていた可能性もあり。
  6. 南城市大里(旧村)の丘にぶつからないよう、飛行機はカーブを描いて離着陸していた。
    • カーブは那覇・南風原上空経由と佐敷経由の2通り。
    • はっきりいって危険。事故すらおきた可能性あり。
      • でもって、結局沖合い展開。
      • というか、そのために真っ先に返還されている。
    • 航空ファンから「東の那覇、西の啓徳」と呼ばれていた。
中飛行場(嘉手納基地)
  1. 沖縄空港という名前になっていて、那覇空港という名前自体が存在せず。
  2. 軍用機に加え民間機の騒音に悩まされていた。
    • 民間機は夜間9時以降の飛行ができない。
    • 結局那覇か西原沖に海上空港が誕生する。
  3. 北飛行場が自衛隊基地に化けていたか、北飛行場が自衛隊・民間空港、中飛行場が米軍基地というわけ方だったかもしれない。
    • 現那覇空港が今も米軍基地という可能性すらあった。
    • 訂正:中飛行場が自衛隊・民間空港、北飛行場が米軍基地。
  4. 沖縄市・嘉手納町はりんくう都市として発展。
    • 鉄道嘉手納線が復活し、さらに名護まで延びる。
    • 史実での鉄道整備計画の難航ぶりからしてそこまで簡単にできるような気がしない。
  5. 1986年発見された涌田釜のために、沖縄県庁は1990年沖縄市に移転していた可能性がある。
北飛行場(読谷補助飛行場)
  1. 中飛行場と逆ケースになる。
普天間飛行場
  1. 世界一危険な空港としてその名を轟かせる。
    • 危険は言い過ぎ、世界の空港から見たらむしろ
      • 滑走路は3キロまで延ばされ、自衛隊使用部分はコンパクトにされてる
    • プロ市民は民間利用にも文句つけたのだろうか・・・・・
    • (実際の)三沢空港みたいに、展望デッキなどからの航空機撮影が厳しく制限される。
  2. 移転問題は全く進んでいない。
    • 米軍は普天間から身を引いて自衛隊との共同利用だから移転はないでしょ。海抜も一番高く、地震・津波防災には最適。
    • →だから史実の米軍基地も2番目に海抜の高い伊江島でいいって(by某氏)
  3. とっくに沖縄市までは鉄道あるいはモノレールが開通してる
    • 国道330号が空港アクセス道になってる
  4. 某氏のストレスが非常に楽になる

場所同一で、滑走路の向きが違う[編集 | ソースを編集]

現在の滑走路は島の形に平行になるようにほぼ南北ですが、これが嘉手納と同じ斜めだったら

  1. 離陸してすぐの低空飛行がないため、危険度や燃料消費がその分減る。
  2. 那覇市街地はもっと厳しい高さ制限だった。
    • 久茂地は45m制限だっただろう。
    • 制限を逃れるため、旧沖縄県営鉄道与儀駅周辺が実際より大きく発展する。
    • 航空ファンから「東の那覇、西の啓徳」と呼ばれていた。
  3. 那覇港(那覇埠頭)はフェリーが入れなくなる。
    • 結局マリーナ化される。
    • 湾岸道路(泊大橋)が開通しない。
  4. 市街地の上を飛ぶので市民はひやひやだ。
    • 観光客は「沖縄って都会だったんだ」と現在の向き以上に真実を知らされる。
    • そしてあの事故が起きた直後には・・・・・・・
      • その前に起きなくて済んだか?
  5. 1999年頃に沖合い展開が行われ、滑走路は1310m離れてもう1本建設された。

ニノイ・アキノ国際空港[編集 | ソースを編集]

クラーク基地[編集 | ソースを編集]

  1. 史実の空港はパサイ基地の返還後パサイ空港になっていた。