もしあの航空会社があの機体を導入していたら
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史実で検討された候補以外のネタでも構いません。
日本[編集 | ソースを編集]
日本航空[編集 | ソースを編集]
- コンコルド
関連:もしコンコルドが天下を取っていたら
導入を計画し、実際に発注していましたが結局キャンセルになりました。
- どの路線に就航していただろうか。
- 距離的には東京~ホノルル、~香港あたりか。
- 「コンコルドで行くハワイ」なんてツアーができそう。
- 成田を発着できるか微妙。実際に乗り入れた経験はないみたい。
- プライドを優先し、羽田から無理やり発着という線も当時のJALなら有り得そう。
- 成田のほうが滑走路が長いので専ら成田発着だったのでは。
- 距離的には東京~ホノルル、~香港あたりか。
- 退役は2003年より早くなる可能性も。
- バブル崩壊と同時…だったり。
- 二代目鶴丸塗装のコンコルドは見られそう。太陽のアークは2003年まで持っていればの話。
- ボーイング377
- 同機種を日本路線に投入していたパンナムやノースウエストへの対抗のため購入。
- 数はせいぜい1期か2機程度。
- 和風ラウンジが設けられ好評を博した。
- B-29爆撃機と共通設計の部分があることを問題視する声はあまりなかった。
- DC-8導入とともにあっけなく退役に追い込まれていた。
- コメット
同型機による連続事故のため発注をキャンセルした。
- 導入されたのは史実で発注していた2型ではなく1型か4型と思われる。
- 1型の場合はほとんど使われなかった。
- 現役の姿より羽田かどこかに放置されている姿のほうが多く写真に収められている。
- 4型の場合はそれなりに長く使われた。
- 747導入のころまでは現役だったかもしれない。
- コンベア880導入はなかった。
- その後の日航はもう少し抵抗なくヨーロッパ製の機材を導入していた。
- エアバスA340
一時期600型の導入の話があったそうです。
- 600型の場合はエンジンはR.R製ではなくGE製(CF6)になるかもしれない。
- 300/400型だった場合、巡航速度の遅さから早々にして国内線用に転用されるかも。
- 400?200のこと?
- 航空機ファンからは「現代版DC-8」という愛称を付けられる。
- エアバスA380
- 成田/関空発着の超長距離国際線に投入。
- その他国内線向けに800人乗りの詰め込み仕様とした機材も投入され、羽田-新千歳線などの大需要路線で使用。
- B777の「スタージェット」に対し「ギャラクシージェット」として各銀河にちなんだ愛称を付けられる。
- エンジンはGP7000系列を選択する(GE製エンジンをベースにしておりメンテナンスなどの面で有利になりそうなため)。
- 確実に経営危機の時に数年でお役御免。
- 日航を傾かせた戦犯として叩かれていた。
- DC-10F
- 新造機はなかったか少なかった。
- 史実の旅客型と同時期に引退していた。
- MD-11F
- 新造機より改造機の方が多かった。
- 2010年まで飛んでいたかも。
全日本空輸[編集 | ソースを編集]
- ホーカー・シドレー トライデント
初のジェット旅客機として導入計画があったが、運輸省の行政指導により日本航空・日本国内航空とともにボーイング727を統一導入したため実現せず。
- 橋幸夫・吉永小百合「そこは青い空だった」の歌詞の一節が「トライデント」に変わっていた。
- ボーイング737の代わりにBAC 1-11を導入していたかも。
- エアバスA340
欧州路線用に発注していましたが、キャンセルになりました。
- どちらにしろ現在は退役。
- A321は存在しないが、ほぼ同じ運命を辿る。
- 代替機材は勿論B777。
- エアバス路線を突き通していた場合は、A380を新大型機として2000年代のうちに発注したかも。
- A340の後釜にA350の導入計画が立てられていただろう。
- 史実の海亀のペイントが行われることもなく通常のトリトンブルーで納入されていただろう。
- 忠実ではA380はホノルル路線専用機材だが、高需要かつ搭乗率の高い国際路線に使用されていた
- 全日空はその後欧州路線を中心にエアバス機を飛ばすように。ルフトハンザ辺りとエアバス機を共同購入。A380は羽田-ベルリン間を中心に運航。
- ドイツのベルリン以外にもあるのでは?
- A380の羽田発着便の設定は余程の事が無いかぎりできないだろう。
- A380が当初欧州主要路線に使用された場合、2010年代後半に成田~ホノルル線に転用。
- DC-10
3機が実際に全日空の発注を見込んで製造されていた。
- 日本で登録されたトライスターは1機も存在しない。
- 日本でロッキード事件はそこまで騒がれなかった。
- 1974年のトルコ航空機墜落事故は発生しなかったかもしれない。
- 事故機はもともと全日空に売る予定の機体だった。
- -10だけでなく-40も後に導入された可能性あり。
- 747SR-81とのエンジンの共通性を考慮するとCF6エンジンの-30かも。
- 引退時期は史実のトライスターとほぼ変わらない。
- CRJ
- 史実で言うDHC-8相当の使われ方をする。
- IBEXのCRJはANAからのリースの機体となる。
- エンブラエル E-Jet
- これもDHC-8と似たような扱い方をされるかも。
- ブリテン・ノーマン アイランダー
- DHC-8やCRJ、E-Jetですら過剰な路線に投入される。
- オリエンタルエアブリッジのアイランダーはANAからの(ry
- ロッキード L-1011-300
ロッキードがトライスターの胴体ストレッチ型として実際に開発を計画し、全日空も次期大型機選定候補に挙げ導入を検討していたが、大量輸送優先でボーイング747SRを選定・導入したため実現せず。
- 無論500席には達しなかったが、初期型のトライスターと比べ胴体が延長されキャパシティはそれなりに増えたため、ライバルJALのB747SRには十分対抗出来た。
- トライスターの派生型にあやかり「スーパートライスター」の愛称が付けられた。
- もちろんB747SR、-200、-400も導入していない。
- 代わりにA300・A310・A320・A330・上のA340とA350を大量導入。A380は羽田発着の高需要かつ搭乗率の高い超長距離路線に飛ばす。
- A380の羽田発着便は後方乱気流の問題で設定が難しい。おそらく現実通り成田発着に。
- ボーイング747-8IC
2008年頃、全日空社内の新機種選定委員会で、新大型機としてエアバスA380と共に導入検討候補の対象とされた。その後の経営悪化もあり、新大型機の導入が遅れたが、のちにA380を導入。
- 史実のA380のように海亀のペイントがされた可能性がある。
- 他にも幾らか,特別塗装がされたかも。
- 2019年(全日空747就航40周年)にSR導入当時の塗装「モヒカン塗装」が復活したかも。
- 他にも幾らか,特別塗装がされたかも。
- 羽田(成田)発着の高需要か搭乗率の高い長距離路線用に。-400の多くは,これに置き換わった。
- 貨物部門(のちに分社化)向けに-8Fも導入されたかも。
- 時期からして-400Dを間接的に置き換えたのでは?
- 主に羽田~ロンドン・フランクフルト・NY・LA・シカゴ・ヒューストン線に投入。
- キャセイパシフィックやカタール航空は-8ICも導入したかも。
- エアバスA330
- 史実ではキャンセルしたA340の代わりに導入。
- 当初は国内亜幹線中心に使われた。
- その後アジア路線にも使用されたかも。
- のちに-300P2Fも導入された可能性も。
- 当初は国内亜幹線中心に使われた。
- 747-400、-400Dとのエンジン共通性を考慮しGE製(CF6-80)エンジンを採用したかも。
- エアバス路線を通した場合2000年代にA380を発注した可能性も。
- A330の後継機にA350を選定したかも。
- のちに系列LCCで使用される機体があった。
AIR DO[編集 | ソースを編集]
- エアバスA300
創業当初中型機候補として挙げられていたが、史実ではボーイング767-300を導入。
- 整備等の協力はJALではなくJASに委託されていた。
- その後、ANAと提携は忠実通り。
- 結局、機材統一でB767を導入。もっともJALと提携のままでもリプレースされているだろうが。
- もしくはワイドの後釜を入れずB737に統一されていた。
- ANA提携の際にはエアバスつながりでA320を払い下げられたかも。
- もしくはワイドの後釜を入れずB737に統一されていた。
日本エアシステム[編集 | ソースを編集]
- ボーイングB747
バブル期に国際線用に発注していましたが、B777に変更になりました。
- 愛称は「レインボージャンボ」。「B747-489」。
- 塗装はB777とほぼ同じになりそう。
- 虹の回転本数はもう少し増える。
- B777導入の経緯を見るに、通常塗装と同じにはならなさそう。
- GE製(CF6-80)エンジン搭載かも(DC-9の実績から)。
- DC-9ではなくA300B2・B4の事では?
- 塗装はB777とほぼ同じになりそう。
- 結局、JALの機材整理で退役。JALから旧JAS機がほぼ消滅。
- 東急グループ(就航時)のイメージリーダーに使われた。
- JASと東急カードの提携がB747就航に合わせて開始か。
- うまくいけば、JASはウイングス・アライアンスに加盟した(史実通り消滅した場合はスカイチームに加盟)。
- MD-11
- 実質的にDC-10の追加導入だった。
- MD-90の代わりにA320を導入していたかも。
- 塗装は史実のMD-90とほぼ同じ。
- MD-90の代わりにA320を導入していたかも。
- JALとの合併後も現役だったら一部機材は貨物機に改造され2010年まで使用されたかも。
- その場合767-300ERF導入はなかった。
日本国内航空[編集 | ソースを編集]
- シュド・カラベル
導入を検討するための調査団の派遣まで決まっていたが突然中止された。
- B727が導入されることはなかった。
- 東亜航空との合併後もしばらく生き延びた。
- レッド&グリーン塗装くらいは見られたはず。
- A300に取って代わられるまでは全国のローカル空港で姿を見ることができた。
- 製造会社の資本上エアバス導入も自然なこととされていた。
スカイマーク[編集 | ソースを編集]
- ボーイング747SR
創業時、導入機材に検討された。
- カタール航空の元全日空747SR(全日空時代JA8133・JA8134)を導入した。
- B737-800に置き換わるまで飛んだと思われる。
- その代わりB767-200、-300ERは導入されない。のちにA380ではなく747-8ICを導入した可能性有り。
- 仮に747-8IFが導入されたら、会社を潰す元凶扱いされた。それ以前にA330ではなく787-8を導入したか。その場合スカイマークは(創業から)ボーイング機で固める会社に。
- -8IFではなく-8ICでは?ひょっとしたらANAが-8ICと-8IFを導入したか?
- -IFではなく-Fだろう。
- エアバスA380
結局キャンセルさせてしまったがもし導入されていたら....。
- フライングホヌは存在しなかった。
- 世界初となる、エコノミークラスのない大型旅客機が誕生した(スカイマークはA380をビジネスとプレエコの2クラスにする予定だった)。
- スカイマークが航空連合の「スカイチーム」に加盟。
アジア・オセアニア[編集 | ソースを編集]
イラン航空[編集 | ソースを編集]
- コンコルド
革命前に導入の計画があって、実際に模型が作られていたそうです。
- アメリカ路線用だったはずが、結局東アジア路線くらいにしか使えない。
- どういうルートになっても音速飛行がロクにできないという悲しさ。
- 1980年代に退役か、諸事情で2016年に入ってやっと退役になるかの両極端。
- 政治上の問題で2003年に退役、ってのはなさそう。
- 意地にならなければさっさと退役させるだろうけど、お国柄燃費の心配はいらなさそうだし、結構プロパガンダが好きな国だし…。
- 結構最近まで、成田に乗り入れてた可能性もありえる。
- 継続するなら、ロシア辺りの協力で中身は別物になっていた。
- エールフランスの退役機から流れた部品とかで修理している。
- イラン革命がないのが大前提。
高麗航空[編集 | ソースを編集]
- YS-11
- 使用されたのは69年末の大韓航空機ハイジャック事件で北朝鮮に渡った機体。
- 頑丈だったため重宝されたはず。
- だが国交のない国の航空機ということで部品などの入手が大変だった。
- 80年代くらいに訪朝した日本人が平壌で目撃しマニアの間で「北朝鮮謎のYS-11」としてちょっとした騒ぎになった。
- 墜落事故さえ起こさなければ相当長く用いられていた。
- 2010年代後半になっても現役かも。
- ツポレフTu-144
- 普段はモスクワ便に運用。
- 途中イルクーツクに寄港していた。
- ボーイング747
- 中国民航→国際航空からリース導入。
シンガポール航空[編集 | ソースを編集]
- MD-11
当初の予定より経済性に劣ることが分かったため発注をキャンセルした。
- エアバスA340-300が導入されることはなかった。
- 3発機ということで「トリ(TRI)」という言葉が入るニックネームが付けられていた。
- 日本便にも使われたかもしれない。
- 2000年代前半に全て売却された。
- 一部は子会社の貨物機として使用中。
カンタス航空[編集 | ソースを編集]
- VC-10
- カンガルールート(シドニー-ロンドン)での使用がメイン。
- カンタスでの使用を通して東南アジアやオセアニア各社への売り込みも期待されたが実らず。
- 羽田にも飛来していたかもしれない。
- 引退した一部機体はオーストラリア空軍の輸送機として改造されていた。
- コンコルド
- 実際に同機を発注していたがキャンセルした。
- 上記のカンガルールートに飛ばす。
- BOAC→英国航空のロンドン-バーレーン-シンガポール線(コンコルドが定期運航されていた)がシドニーかメルボルンまで延長されたかも。
- 日本に飛来しなかったはず。
エアアジアX[編集 | ソースを編集]
- エアバスA350
- 機体価格が高いと判断し導入を取り消した。
- 欧州便が同機使用で復活したかも。
ヨーロッパ・アフリカ[編集 | ソースを編集]
エールフランス[編集 | ソースを編集]
- メルキュール
- 量産ジェット旅客機で生産数が最も少なかったのはVFW614に。
- ボーイング737の導入はやや遅れていた。
- 航続距離を伸ばした型もこの会社のおかげで日の目を見ることができていた。
- ひょっとするとフランス以外にもこの機種を導入した航空会社が存在していたかもしれない。
- 最終的にエアバスA320に置き換えられるまで飛んでいた。
ヴァージン・アトランティック航空[編集 | ソースを編集]
- コンコルド
ブリティッシュ・エアウェイズが使用を取りやめる際に「1機1ポンドで買い取る」と表明したが拒否された。
- アメリカやカリブ海諸国への路線に投入された。
- 東京には来なかったはず。
- 導入した全機体に速さを連想させるニックネームがつけられていた。
- 機体後部には他社を「遅い」などと挑発するようなメッセージが記された。
- ブリティッシュ・エアウェイズへのあてつけとして1機は初就航当時のサービスを再現したものになっていた。
- 経営悪化を引き起こしていた恐れもある。
- 東京便からの撤退などの路線再編も早まったかもしれない。
- エアバスA380
結局キャンセルさせてしまったがもし導入されていたら....。
- ライバルであるブリティッシュ・エアウェイズはA380を運航しているので、競争が激化。
- 機内にはバーやカジノなどを設置していた。
スカンジナビア航空[編集 | ソースを編集]
- ボーイング747SP
- 極東・アメリカ西海岸行きのノンストップ便に使用。
- 就航時の広告では「世界で初めて北極経由便を飛ばしたSASが北回り便に新しい時代をもたらします」と謳っていた。
- コペンハーゲンでの乗り継ぎ客の確保にもかなり力を入れていた。
- 冷戦終結や-400の登場により無意味となり90年代前半には引退していた。
南アフリカ航空[編集 | ソースを編集]
- コンコルド
- 会社のイメージアップやアフリカ上空を飛べないことによるタイムロスの緩和を目指して導入した。
- だが航続力不足のため途中給油が必要となりそこまで時間短縮には役立たなかった。
- 導入当初はイギリス・オーストラリア・アメリカ便に使われた。
- 後に経済制裁のためイギリス便にしか使えなくなった。
- 「アパルトヘイトを行っている国が導入」ということでコンコルド反対派が環境破壊と並ぶ攻撃材料に使っていた。
- 社会情勢の変化などによりマンデラ大統領就任までには姿を消していた。
南北アメリカ[編集 | ソースを編集]
クバーナ航空[編集 | ソースを編集]
- ツポレフTu-144
- 普段はモスクワ便専用。
- 途中でダカールやプラハにも寄港していた。
- たまにはチャーター機として西ヨーロッパに乗り入れることもあった。
- インターフルークやMIATモンゴル航空もTu-144を買わされていたかもしれない。
- 安全性を考慮すると少なくとも1機は大西洋の藻屑になっている。
- ソ連崩壊からほどなく経済悪化のため引退に追い込まれる。
ヴァリグ・ブラジル航空[編集 | ソースを編集]
- ボーイング747SP
- アメリカ西海岸・カナダ・ヨーロッパ路線用に導入。
- 日本に来なかったはず。
パンアメリカン航空[編集 | ソースを編集]
- コンコルド
- 超音速旅客機(SST)導入を目指し開発途中だったボーイング2707(1971年中止)と共に発注していたがキャンセルした。
- 成田開港前の羽田に飛来していたかも。
- この会社の影響により上記のJALやイラン航空など同機を実際に発注していた会社がキャンセルせず導入に漕ぎ着けたかも。