もしあの選手があのJクラブに残留していたら

ナビゲーションに移動 検索に移動

アルシンド(コンサドーレ札幌)[編集 | ソースを編集]

※史実では途中解雇

  1. Jリーグ昇格を1年早く実現させたかもしれない。
  2. 1997年以降もプレーしていたら、少なくとも1999年はJ1だっただろう。
  3. 引退後に功労選手賞を受賞していた。

大岩剛(名古屋グランパス)[編集 | ソースを編集]

※史実では2000年途中に平野孝・望月重良と同時に解雇。

  1. ジュビロのJ1完全制覇はなかった。
  2. 2000年代のグランパスの成績がもっと良くなっていた。
    • 1回はナビスコ杯決勝に進出できただろう(現実の2012年の時点では4強どまり)。
    • リーグ優勝も史実より早く成し遂げた。
    • 2010年元旦の天皇杯決勝でガンバを下していたかもしれない。
  3. アントラーズは岩政との「二枚岩」ができないので10冠達成が遅れる。
    • 2007~2009年のリーグ3連覇もない。

大黒将志(ガンバ大阪)[編集 | ソースを編集]

  1. ガンバは2006年のACL決勝に進出していた可能性もある。
  2. 2006W杯以降も代表に呼ばれ続けていた。
  3. 国内移籍していた場合を考えると、
    • 直でヴェルディに移籍していたらJ2降格はなかっただろう。

小野伸二(浦和レッズ)[編集 | ソースを編集]

※史実では2001年の1stステージ終了後にフェイエノールトへ移籍。

  1. 少なくとも2001年の浦和は終盤に残留争いに巻き込まれることはなかった。
    • そして、もっと早い段階でJ1残留を決めていた。
  2. エメルソンは史実よりもっと得点を稼いでいた。
  3. 山瀬功治は浦和へ移籍してくることなく、そのまま横浜入りしていた可能性も。
  4. 故障が少なければ、オフトの元で中心選手だった。
    • ただし、上記の通りであればオフトは来ずに、チッタが途中で辞任せずに続投してたかもしれない。
  5. 「負けないよ」の呪いも発動せずに済んだか?
  6. ナビスコ杯初制覇が1年早まった。

駒野友一(サンフレッチェ)[編集 | ソースを編集]

※史実では2008年にジュビロ磐田に移籍

  1. ミキッチのサンフレッチェ移籍は無かった
  2. そのままサンフレッチェに居たらサンフレッチェの象徴としての地位を獲得していた
    • サンフレッチェの象徴と言えば佐藤寿人でも青山敏弘でも無く駒野
  3. ミハイル・ペトロビッチ時代に1回位タイトルをとっていたかも
  4. 柏木陽介や森脇良太の浦和への移籍が史実より叩かれる

茂原岳人(柏レイソル)[編集 | ソースを編集]

※史実では2008年に解雇

  1. ここに書かれていることが現実になっていた。
  2. 2008年シーズンのレイソルの順位も史実(11位)よりマシなところに行っていたかも。
    • 第88回天皇杯も制覇していた。
  3. 日本代表候補に名を連ねていた。
    • ひょっとしたら、2010 FIFAワールドカップ本選出場に貢献してたかも。
  4. 「ペルーの至宝」と称される澤を獲得する事も無かった。

城彰二(ジェフユナイテッド市原)[編集 | ソースを編集]

※史実では1997年に横浜マリノスへ移籍。

  1. 武田修宏や鈴木隆行のジェフ加入はなかった。
  2. 1998・1999年にジェフがJ1残留争いに巻き込まれることもなかった。
    • 98年のナビスコ杯を獲得していたかもしれない。
  3. 吉田孝行はもっと長くマリノスに在籍していた。
  4. 海外移籍の期間終了後、チェ・ヨンスと入れ替わりに退団か?

鄭大世(川崎フロンターレ)[編集 | ソースを編集]

※史実では2010年シーズン途中にケルンへ移籍。

  1. フロンターレの決定力不足は幾分かマシなレベルになっていた。
    • ディフェンスのお粗末さが目立たなければ、1つぐらいはタイトルを獲っていたかも。
  2. 小林悠のブレイクは遅れており、場合によってはレンタル移籍していた。
  3. ジュニーニョは1年早く移籍していた…かもしれない(PKの一件があるので)。

中田英寿(ベルマーレ平塚)[編集 | ソースを編集]

  1. ベルマーレでは年俸が払えないので、マリノスとか浦和に移籍していた。
  2. 俊輔、稲本、高原らが欧州へ行くこともなく、日本は世界で戦えないまま。
    • 史上初のW杯開催国GL敗退の屈辱を味わっていた。
  3. その後海外移籍をする選手が現れても、「どーせ活躍できないくせに・・・」と海外進出を批判する声が評論家やサポーターから挙がっていた。
    • セリエAやブンデスリーガに入ったとしても、その活躍が逐一報道されることはなかった。
  4. 引退後、世界を旅する事もなく、普通に解説者になっていた。
    • 某横綱の仮病サッカーもなかった。
  5. ペルージャに多額の収益をもたらすこともなく、ガウチ会長の脱税・訴追はなかった・・・かも。
  6. 凱旋行進曲がサッカー応援歌として定着することはなかった。

フッキ(東京ヴェルディ)[編集 | ソースを編集]

  1. 復帰先の川崎で関塚監督との確執はなかった。
  2. 海外移籍が遅れた可能性も、実力が認められれば逆に輝かしいクラブ遍歴となった可能性も。

前園真聖(横浜フリューゲルス)[編集 | ソースを編集]

  1. 史実以上に長く活躍続け、1998W杯出場も果たせていた。
  2. フリューゲルス消滅を機に念願のスペイン移籍を果たせたかもしれない。

山瀬功治(浦和レッズ)[編集 | ソースを編集]

※史実では2005年に横浜F・マリノスへ移籍。

  1. ロブソン・ポンテが浦和に加入することはなかった。
    • もしかすると2006年の浦和のリーグ優勝、翌年のACL制覇もなかった可能性も。
  2. マリノス移籍時の「もう一度リセットしたい」というコメントはなく、山瀬がネット上で「リセット」というあだ名をつけられることはなかった。
  3. フィンケ監督就任以降チームの若返りと新戦力の台頭で出番が減り2012年末に田中達也と共に戦力外通告→史実と同じく京都へ移籍、か?