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もしあの選手にアクシデントがなかったら

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独立項目[編集]

ボクシング[編集]

赤井英和[編集]

1985年、大和田正春戦で意識不明にならなかったら
  1. もう1回世界挑戦のチャンスを与えられただろう。
  2. 俳優へ転身することはなかった。

内山高志[編集]

2011年、三浦隆司戦で右拳を骨折しなかったら
  1. 4度目の防衛戦は夏頃に早まっていた。
    • そして年末に5度目の防衛戦を決行し、世界戦連続KO勝利記録で具志堅用高に並んだ。

清水智信[編集]

2011年、ウーゴ・カサレス戦で負傷しなかったら
  1. 年末に亀田大毅と初防衛戦を予定通り決行。圧勝で防衛に成功。
  2. テーパリット・ゴーキャットジムは暫定のままで、2度目の防衛戦はその統一戦となった。もしかしたら佐藤洋太がこっちに挑戦したかも知れない。
    • テーパリットには史実通り敗れたとは思うが、その時点で引退はせず再起を目指したかもしれない。

竹原慎二[編集]

1996年、ウィリアム・ジョッピー戦で網膜剥離にならなかったら
  1. ミドル級王座奪取は無理でも、指名挑戦者ぐらいにはなれたかも。

辰吉丈一郎[編集]

1991年、グレグ・リチャードソン戦で網膜裂孔にならなかったら
  1. 翌年2月に予定されていた初防衛戦を予定通り決行し、初防衛に成功していた。
  2. 暫定王座が乱立する事は無かったか遅れていた(辰吉の怪我が端緒であるため)。

天心アンリ[編集]

2008年、富樫直美戦で脱水症状にならなかったら
  1. 世界タイトルマッチで富樫と再戦したかもしれない。

西岡利晃[編集]

2001年暮れの練習中に左足アキレス腱を断裂しなかったら
  1. 2002年中にウィラポンと3度目の対戦をしていた。
    • もしかすると勝っていたかもしれない。
      • その場合、長谷川穂積のボクサー人生にも影響していた。
    • 結果次第では4度目の対戦はなかった。
  2. ウィラポン戦の結果いかんにかかわらず、世界王座戴冠は史実より早かった。ウィラポンに勝っていたら(史実の世界王座奪取と同時期に)2階級制覇を達成していただろう。

浜田剛史[編集]

1981年、デオ・ラバゴ戦で左拳を骨折しなかったら
  1. 史実(1986年)より2,3年早く世界王座を獲得する事が出来たかも。

プロレス[編集]

上田馬之助[編集]

1996年に東北自動車道で交通事故に遭わなかったら
  1. 2000年代前半には「リングの上」で引退試合を行っていた。
  2. プロレスリングFTOの二代目上田馬之助は存在しなかった。
  3. 2011年に亡くなることはなく、もう数年は存命していただろう。

大仁田厚[編集]

1983年の東京体育館でのヘクター・ゲレロ戦後、リングを降りる際に足を滑らせ、左膝蓋骨粉砕骨折を負ってしまい、その怪我の影響で復帰後もベストな戦いが出来ず全日本プロレスを解雇されました。

  1. 全日で戦い続け、NOAHの旗揚げに参加していた。
    • SWS移籍→崩壊で結局フリーなんてことも。
    • 全日でジュニアヘビー級の絶対王者になっていた。
  2. インディブームは起こらず、団体乱立もなかった。
  3. 生涯現役を掲げ、引退は口にすらしないだろう。
    • あるいは完全燃焼したところで本当に引退し、二度とリングに戻らなかった。
  4. 大学生や国会議員になることも無かった。
  5. バラエティ番組で松野に椅子を投げつけるシーンも見られなかった。

ハヤブサ[編集]

2001年10月、頚椎を損傷しなかったら
  1. もちろん、引退&歌手への転身もなかった。
  2. FMWもあと2,3年は保てた。
    • 荒井社長が自殺することは無かったかも…。

総合格闘技[編集]

アンディ・オロゴン[編集]

2006年、飯伏幸太戦予定で練習中に右手指間筋を断裂しなかったら
  1. デビュー戦だった為、敗退。
  2. 飯伏幸太は早めにブレイクしていた。
    • 以降も、K‐1に参戦していた。
  3. ボクシング転向後も活躍できていた。兄のセコンドライセンスが取り消されなければだが。

セミー・シュルト[編集]

PRIDE.23でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、敗れ左肩を負傷にならなかったら
  1. 予定通りK-1WORLDGP2002決勝戦でボブ・サップとの対戦が実現していた。
    • 代わりのアーネスト・ホーストが出場することはなかった。
      • ホーストが4度目の王者になることはなかった。
  2. 早めにK-1に本格参戦していた。
  3. レミー・ボンヤスキーがK-1王者にはなれなかった。

ボブ・サップ[編集]

2006年でアーネスト・ホーストの国内引退試合をボイコットしなければ
  1. 以降も本格的に大会へ参加していた。
  2. 試合での高視聴率は続いていた。
  3. 韓国で催眠術師に転身することはなかった。

サッカー[編集]

礒貝洋光[編集]

天皇杯の交通事故レベルの怪我が無ければ
  1. ガンバ大阪がもっと早い時期に黄金時代を迎えていた
  2. スペインあたりでプレイしていた可能性も
  3. 生まれるのが10年早ければ木村和司とワールドカップメキシコ大会を狙えた。10年遅ければ日本の中盤が凄いことになってた。

小野伸二[編集]

1999年に五輪アジア予選で重傷を負わなかったら
  1. 同年に浦和レッズはJ2降格しなかった。世界で一番悲しいVゴールもなし。
    • J2に降格したのはベルマーレ平塚とジェフユナイテッド市原orアビスパ福岡。
    • ジェフが降格した場合当然オシムの監督就任も無く、フクアリへの本拠地移転も数年は遅れていた。
  2. シドニー五輪にも出場していた。
    • 準々決勝のアメリカ戦に勝てていたかも?

我那覇和樹[編集]

ニンニク注射を打っていなかったら(※実際には打っていません)
  1. 少なくとも6試合出場停止にはなっていなかった。
  2. 鄭大世が主力FWとして大活躍することもなかった。
    • 逆に大活躍する我那覇をよそに、2008年シーズンで退団していた可能性も…。
    • もちろん北朝鮮代表に選ばれず、場合によっては44年ぶりW杯出場もなかったかも。
    • 南アフリカワールドカップには北朝鮮の代わりにグループB・3位のサウジアラビアが出場していた。
  3. 2007年の川崎はACLで決勝まで進み、リーグ戦でも上位に食い込んだかもしれない。
    • 2008年シーズンもリーグ優勝は間違いなかった。
  4. 2008年に戦力外通告されることもなかった。
    • たとえこの事件がなかったとしても、2007年の初頭から、2005~2006年の「確変状態」は嘘のように終わってしまっていたので、実史と同じくらいの時期に戦力外通告があったと思われる。
  5. 岡田ジャパンにも招集され続けていた。

釜本邦茂[編集]

1969年にウイルス性肝炎を発症しなかったら
  1. メキシコワールドカップ予選にも出場し、日本を本大会初出場に導いていた。
    • 本大会での日本は惨敗に終わるも、日本初ゴールを刻んだ可能性はあった。
  2. 西ドイツへの移籍が実現し、名実ともに日本人初のプロサッカー選手となっていた。

菊地直哉[編集]

不祥事を起こしていなかったら
  1. 大分や新潟に移籍することはなく、現在でも磐田の主力選手として活躍していた。
    • 当然、ドイツにトンズラする事もなかった。
  2. 2008年に磐田が入れ替え戦でJ2降格のピンチに陥ることはなかった。
  3. 2010年の南アフリカW杯の代表に選ばれていた可能性も。
  4. ネスレが磐田のスポンサーから撤退→神戸に鞍替えすることもなかった。
    • ただしネスレの本社が神戸、ということを考えると磐田のその後成績などによっては史実通りヴィッセルのスポンサーに乗り換えていた可能性はあったかも。

久保竜彦[編集]

久保竜彦は怪我が多い選手で有名で、その為にワールドカップ時の日本代表に選出されなかったそうですが
仮に久保が実史とは逆に怪我の少ない選手だったら

  1. ワールドカップ日韓大会・ドイツ大会にも選ばれ自身もゴールを上げていた
    • 日韓大会に出場していたらトルコを破っている可能性もある、場合によってはセネガルも?
      • セネガルに勝っていた場合、下の高原の記事と同じく「史上最も熱い3位決定戦(日本vs韓国)」が行われていたかも知れない。
  2. 怪我が少ないのであれば海外で活躍していた可能性も
    • 彼は「外国は嫌だ」「知らない人ばかりの場所には行きたくない」などと言って、元々から海外志向は全くなかったし、仮に欧州へ移籍したとしてもすぐに逃げ帰っていたのは確実。
  3. 現在もマリノスでレギュラーまたはスーパーサブとして活躍している
    • 実史通り横浜FCに移籍していたら横浜FCの戦力が少しはマシになり1年で降格する事は無かった。
      • ピンチヒッターの様な形で加入した三浦アツの横浜FC加入は無く、アツは福岡に加入していた。
        • マリノスに行かずサンフレッチェに残留した場合は、サンフレッチェのJ2降格はなかった。
  4. J1の年間得点数20発は余裕で突破、上手くいけばゴン中山以来の30点台に到達していた。
    • (参考として02年にJ1で高原直泰は26発得点を決めている、久保は高原よりも身体能力が高かったので「30発は決めていたかも?」と考えてみた)
  5. マジレスすると東洋人の肉体であの身体能力ではどこかが壊れないまま活躍できたとは考えにくい。
    • 骨と腱も超人的と仮定すると・・・ゴール前に居座ってDFぶっ飛ばしてドゴっと決めるタイプで大成したとか。
      • 岡ちゃんによるとFWとしては異例に視野が広く戦術眼があるらしい。怪我さえなければ少々重くても大成した可能性は高い。

小林成光[編集]

2002年4月のオートバイ運転中に右太腿を転倒骨折しなかったら
  1. FC東京が開幕戦からの快進撃を続けた。
    • 石川直宏との両ウイングでフル回転する。
    • いずれにせよタイトル獲得は早まっていた。
  2. 移籍するにしてもサガン鳥栖ではなく、栃木SCに直接加入した。

財前宣之[編集]

靱帯断裂の大怪我を負わなかったら
  1. ラモスの後釜で苦労することは無かった(代表しかりヴェルディしかり)
  2. もし怪我がなければスペイン1部リーグ初の日本人選手となっていた可能性が高い
  3. もしまともだったら黄金世代の誰がはじかれただろう?
    • 小笠原か遠藤では?
  4. いずれにしても、財前が大成していたら、中田英寿は高校卒業後プロ入りせず大学進学し、大学卒業後はサッカーそのものを辞めて就職していた可能性が。

城彰二[編集]

高校時代に患った膝の靭帯を切った事による怪我の悪化が元で2006年に31歳で現役を引退しましたが、仮に城が高校時代に靭帯を切らなかったら?

  1. 少なくとも31歳で現役を引退する事は無く実史よりも3年以上現役を続けられていた
  2. 横浜FCに移籍しなかった可能性があり、J1昇格も無かったかも知れない
    • 横浜FCが打ち立てた数々の不名誉な記録も無かった
  3. 日韓ワールドカップにも選ばれていた
  4. 20年代まで海外で活躍していた
    • スペインのバリャリードには数年は在籍していた
      • 20年代って…平成20年代?それとも2020年代?
    • 西澤や大久保との日本人対決が実現。
  5. 28歳くらいでマリノスに復帰したか、どこか別のチームに移籍していたかも知れない

セバスティアン・ダイスラー[編集]

元ドイツ代表のダイスラーは怪我が非常に多く、それにより精神的な疾患も煩い、02年・06年のW杯では怪我でドイツ代表に選ばれなかったのですが、仮にダイスラーが実史とは逆に怪我の少ない選手だったら?

  1. ドイツはブラジル以来のワールドカップ連覇を果たしていたかも。
  2. 02年のワールドカップはサウジアラビアにとって更にエゲツナイものになっていた。
    • ダイスラーが居たら史上初の2桁台になっていた可能性もある(実史ではドイツは8点とって圧勝)
  3. 20代で引退する事も無かった。
    • 2014年ワールドカップの優勝メンバーになっていたかもしれない。
  4. ドイツ以外のヨーロッパのビッグクラブに移籍していた。
    • バラックのかわりにチェルシーに移籍していた
  5. 普通にバロンドール候補の常連になっていたと思う。
  6. 「ベッカムの後継者」とか呼ばれたり?

高原直泰[編集]

まぎれもなく日本人トップクラスのFWでありながらワールドカップのたびに怪我や病気で参加も出来なかった高原。もし間の悪いアクシデントに見舞われていなかったら?

  1. 2002年日韓W杯では間違いなく主力。
    • 直情タイプなのでトルシエ監督と衝突していたのは間違いないが、トルシエは喧嘩した選手でも平気で招集するので問題なし。
    • 準々決勝でトルコに勝てていた・・・かも・・・?
      • トルコは実は確変中だったことが後に判明。しかしこの時はまだ片鱗しか見せていなかった。もし勝っていたら日本vs韓国in大邱という「史上最も熱い3位決定戦」が行われていたかも(笑)。
    • むしろこの年のJリーグ得点王とMVPは無かった。何故なら史実ではW杯期間中に肉体強化とかに専念していたから。
  2. 2006年ドイツW杯でもやっぱり主力。
    • ドイツでプレーしていただけに現地の注目度は中田よりも高かった。
    • 予選リーグは突破できていた・・・かなぁ??
      • チームの完成度以前の問題が多かっただけに可能性は低いが、分裂するリーダーシップにもう一つの軸を与えて奇跡を起こしていたかもしれない。
  3. 2010年南アW杯でももちろん主力・・・?・・・かな???
    • この時もやっぱり怪我と所属チームの監督が原因なので可能性は大いにある。
      • フランスW杯のカズのような運命をたどっていたりして・・・。
  4. 2004年アテネ五輪にも予定通りOA枠で出場。

田中達也[編集]

2005年に土屋征夫からのタックルによる右足関節脱臼骨折で長期離脱しなかったら
  1. 浦和サポーターの土屋へのバッシングは無かった。
    • 某レイソルサポーターのブログも前半にカードを出しまくった審判への批判に留まり、それほど炎上しなかった。
  2. 勿論、ドイツW杯の最有力候補になっていたのは言うまでもない。
    • 代わりに巻誠一郎か、調整不足が懸念されていた柳沢敦が落選していた。
  3. 2005年は浦和が優勝し、翌年も史実より早く優勝を決めていたかもしれない(史実では2005年は2位に終わっている)。
  4. 勿論2012年で退団することもなく、2013年以降も浦和に残留していた。
    • いや、2912年はミシャのサッカーにフィットできなかった事が退団の要因。よって、あの時に大怪我していなくても浦和を離れていただろう。
    • おい、おい、2912年ってあと900年も生きるのか?
      • 2912年のくだりを書いた者です。2912年→2012年に置き換えて解釈して頂ければ幸いです(苦笑)ご指摘ありがとうございました。

都並敏史[編集]

wカップ最終予選直前の疲労骨折が無ければ
  1. ドーハの悲劇は無かった
  2. 三浦秦年が慣れないポジションで無様な姿をさらすことは無かった

塚本泰史[編集]

2010年に骨肉腫に罹患する事がなかったら
  • 2010年に大宮アルディージャで右サイドバックでレギュラーを張るも、その後骨肉腫の罹患が発覚。
  1. 大宮の右サイドバックは安泰であった。
  2. FKの名手としても知られていたので、ゴールも量産していた。
  3. 2014~2015年も大宮でプレイしていたならば、2015年の大宮のJ2降格は回避され、クラブとしては2005年以降J1の座を守り続けられていた。

中村憲剛[編集]

2014年のACLで左足首を痛めていなかったら
  1. もしかしたら、ブラジルW杯のメンバーに逆転で選出されていたかもしれない。
  2. 後半戦の長期離脱が無ければ、川崎は念願の初タイトルにありついていただろう。
    • タイトルを取れずとも、史実(6位)よりもマシな順位でシーズンを終えていた。
  3. 大久保嘉人は史実でも得点王にはなっていたが、もしかしたら史実よりも得点を稼いでいたかも。

柱谷幸一[編集]

女性スキャンダルを起こさなかったら
  1. 少なくとも謹慎はせず、もう1シーズン山形の監督を務めたかもしれない。
  2. スイカップが全国区になることはなかった。
    • 少なくともフリーにはならなかった。
  3. 柱谷の翌年以降の去就に関わらず、史実よりも山形の昇格が早くなっていた。

マルコ・ファン・バステン[編集]

キャリア初期の怪我もなく、キャリア終了のきっかけになったバックタックルを食らわなかったら。
  1. グーリットのチェルシー行きも無かったかも、センターバックやることも無かったはず。ライカールトの選手寿命も1-2年延長。
  2. Wカップ多分勝てたはず
  3. バックタックルのルール施行が遅れた
  4. バロンドール5回ぐらい取ってた可能性はある
  5. ACミランが1-2回余分にトヨタカップ勝ってた
  6. ACミランが1-2回余分にチャンピオンズリーグを制していた

羽中田昌[編集]

腎臓病を患っていなかったら
  1. Jリーグの開幕(1993年)ぐらいまでは現役を続けていた。
  2. ワールドカップにも、もっと早く出場していたかも?
  3. 引退後はどっかのタイミングでヴァンフォーレの監督を務めていた。

平島崇[編集]

2001年に児童買春禁止法違反容疑で逮捕されなかったら
  1. 同年にアビスパ福岡はJ2に降格しなかった。代わりに降格したのはヴェルディかマリノス。
  2. 2007年の京都への移籍は史実通りか。

森敦彦[編集]

審判に暴力を振るわなかったら
  1. 少なくとも楢崎正剛にポジションを奪われる事はなかった。
  2. フリューゲルス消滅後も移籍して活躍。
    • あるいはフリューゲルス消滅もなかったとか?
      • ワロタwww
  3. 楢崎のグランパス移籍やジュビロのオファーも無く、別のクラブ(例えば当時低迷していたレッズ、ガンバ、ジェフ等)に移籍していたかも?
  4. 1998W杯のメンバーにも選ばれたかもしれない。

陸上競技[編集]

絹川愛[編集]

2008年に体調不良に見舞われなかったら
  1. 北京五輪にも出場を果たしていた。
  2. ロンドン五輪はマラソンで目指したかもしれない。

サニブラウン・アブデル・ハキーム[編集]

2016年に左太ももを負傷しなかったら。
  1. 日本選手権にはもちろんエントリーし、リオ五輪男子短距離の選考がより激戦化していた。
    • 100mと200mはともかく、4×100mリレーで日本の金メダルも行けたかも?
  2. U-20世界選手権にも出場し、それなりの成績は残しただろう。
  3. 桐生祥秀より先に9秒台をマークしていたかもしれない。

瀬古俊彦[編集]

関東実業団対抗駅伝で足を捻挫しなかったら
  1. 福岡国際マラソンでソウル五輪切符を手にした。
  2. ソウル本番ではメダルはともかく、入賞は果たせたと思う。
  3. マラソン日本代表は現在も一発選考のままだったかもしれない。
  4. 駅伝害悪論は史実ほど叫ばれなかった。

谷川真理[編集]

1995年に膝を痛めなかったら
  1. アトランタ五輪選考レースで上位争いに加われた。
  2. もし五輪切符を掴んで出場したら、これが花道になっていたかもしれない。
  3. その後は会社員に戻って結婚していただろう。
    • 解説業はともかく、タレントランナーとして全国の市民マラソンを走り回ることはなかったはず。
  4. 川内優輝の競技人生も少しばかり変わっていたかもしれない。

谷口浩美[編集]

1992年のバルセロナ五輪のマラソンで他の選手に左足を踏まれなかったら
  1. 順位も実際の8位より上の順位でゴールでき、メダルも獲得できたかもしれない。
  2. 競技後のインタビューで「こけちゃいました」と言うことはなかった。

野口みずき[編集]

2008年の北京五輪直前に左足太股の肉離れを起こさなかったら
  1. 2大会連続メダルは微妙だが、入賞は果たせたと思う。
  2. その後も怪我さえなければロンドン五輪で3大会連続を果たせたかもしれない。
    • 2013年の世界陸上も完走できただろう。
    • リオ五輪出場はさすがに厳しいか?
  3. 日本女子マラソンも史実ほどは低迷しなかった。

福島千里[編集]

2012年にインフルエンザに罹らなかったら
  1. もちろん世界室内60m準決勝を棄権しなかった。
    • でも、決勝進出は微妙。
  2. 以降の調整も十分うまく行けた。
  3. 日本選手権100mで土井杏南にリードを許すこともなかった。
  4. ロンドン五輪も100m、200mとも準決勝まで行けたかもしれない。
    • 400mリレーも予選通過は厳しいが記録はもう少しマシだった。

競馬[編集]

  • ここでは競走馬ではなく騎手にケガやアクシデントなどがなければどうなっていたかということです。

岡潤一郎[編集]

1993年1月に落馬事故に遭わなかったら
  1. 武豊の勝ち星は史実よりだいぶ少なくなっていた。

後藤浩輝[編集]

2012年のNHKマイルカップで落馬事故に遭わなかったら
  1. マウントシャスタに騎乗していた岩田康誠は騎乗停止処分を受けなかったので、オークスでジェンティルドンナに騎乗できていた(史実では川田将雅が騎乗)。
    • シゲルスダチもそんなに有名にはならなかった。
  2. 勿論2015年に自殺することもなく、2020年現在も現役を続けている。

坂本敏美[編集]

1985年7月に落馬事故に遭わなかったら
  1. 2000年代前半まではジョッキーを続けていた。
  2. その年のジャパンカップでジユサブロー(ジュザブロー)は掲示板(5着以内)に入っていた。
  3. 安藤勝己の影が薄くなっていた。
    • 中央競馬に移籍することは無かったかも?
  4. オグリキャップやライデンリーダーに騎乗していたかも…。

佐藤哲三[編集]

2012年11月に落馬事故に遭わなかったら
  1. 史実では武豊騎手に乗り替わりになったが、そうならずキズナに乗り続けていた。
    • だがキズナがダービーを勝てたかどうかは微妙

武豊[編集]

2010年3月に落馬事故に遭わなかったら
  1. ダービーにはヴィクトワールピサの鞍上で出場を果たせていた。
  2. 年間100勝の記録が途絶えることは無かった。
    • 2011年以降も年間100勝の記録が継続できていた。
  3. 降着による繰り上がりではなく、1着入線の形でGIを取れていただろう。

田原成貴[編集]

2001年10月に不祥事を起こしていなかったら
  1. 2000年代以降も中央のトップ厩舎として存在していた。
  2. 「1000勝を挙げた騎手の調教師一次試験免除」制度は今も続いていた。

福永洋一[編集]

1979年3月に落馬事故に遭わなかったら
  1. 2000勝は勿論のこと、武豊以前に3000勝は普通に達成していた。
    • 日本ダービーも1980年代には勝っていた。
  2. 1996年以降も現役を続けていたら、息子の祐一との親子対決も実現していた。
    • それ以前に祐一が騎手になっていたかどうか…。
  3. ズームイン!!朝!の初日最初のニュースは別のニュースになっていた。
  4. 高知競馬の福永洋一記念は史実とは別の経緯で誕生していた。

道川満彦[編集]

1990年9月に東京スポーツが八百長疑惑を報じなかったら
  1. マレーシアやシンガポールではかなり有名な日本人になっていた。
  2. JRAでの騎乗も実現していた。
    • 史実では1989年のジャパンカップにシェリフズスターで参戦を予定していたが、直前の故障で実現せず。
  3. もしかしたら益田競馬ももう少しは存続していたかも…。
  4. 勿論2019年現在も存命。

スキー[編集]

葛西紀明[編集]

1997年末に左足首捻挫を負わなかったら
  1. 長野五輪では団体金メダルメンバーになっていた。
    • 個人でもメダル獲得できたかもしれない。
  2. 原田雅彦とも早くに和解していた。
  3. トリノかバンクーバー辺りで引退していた。

バスケットボール[編集]

田臥勇太[編集]

怪我の少ない選手だったら

田臥勇太と言えば日本人で初めてNBAのコートに立った選手として知られるが、学生時代から故障が多くサンズに登録された際も怪我のため4試合で故障者リスト入りしてそのまま解雇となってしまいました。

もし、彼が強靭な肉体を持ち故障が少なかったら…。

  1. 大学を中退せず、NBAのドラフトにかかっていた。
  2. 少なくともシーズン途中でフェニックス・サンズを解雇されることはなかった。
  3. 5~6年NBAに在籍して、逆輸入選手として帰国していたかもしれない。
  4. 2006世界バスケにも出場し、日本の救世主となっていた。



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