もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら/近畿

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もしあの鉄道路線が別の年に開業していたら > 近畿

JR[編集]

湖西線[編集]

1930年代
  1. 江若鉄道は存在しなかったか、湖西線開通の時点で国に買収されていた。
  2. 現実よりも地上区間が多くなっている。
    • 踏切も存在していた。
  3. 当初は非電化単線として開通し、1960年代の高度成長期に電化や複線化が行われている。
    • それと同時に大幅な線形改良も行われた。
    • それでも現実ほど高速運転はできない。
  4. 開業当初は近江塩津ではなく木ノ本で北陸本線に接続していた。
    • 当時は北陸本線が深坂トンネルではなく柳ヶ瀬ルートだったため。
  5. 山科~大津京は浜大津経由だったかも。
    • もし当初から現在のルートで建設された場合、浜大津は早くに衰退していた。
    • 山科ではなく大津分岐だった可能性もある。
      • その場合西大津駅が大津京駅に改称されることはなかっただろう(大津駅と紛らわしくなるため)。
  6. 急行「きたぐに」は湖西線経由で運行されていた。
1990年代
  1. 智頭急行や北越急行と同じく、JRではなく第三セクター会社での建設となっていた。
    • 社名は「湖西急行」か?
    • 運賃も現実より高額となっている。
    • 681・683系や223系にこの三セク所有の車両が存在していた。
  2. それでも大都市京都や大阪に近いことから、三セクとしては優等生ともいえる経営状況だったに違いない。
  3. 三セクの会社には京阪や西武が出資していただろう。
  4. 各駅停車は全列車が京都止まりになっていた。
    • 流石に快速や新快速は京都以西に乗り入れている。
  5. 永原-近江塩津間は北陸本線ともども開業時に直流電化になっていた。
  6. 江若鉄道の廃止は史実よりも遅く1970~1980年代だった。

大阪環状線[編集]

明治~大正期
  1. 東京の山手線の場合と同じく、私鉄は大阪環状線の駅をターミナルとして郊外に延びるようになっていた。
    • 大阪環状線の内側は大阪市交通局の市電・地下鉄の独占状態となっていた。
      • 戦後に開業した地下鉄路線は私鉄との直通を前提に建設されていた。その結果多くの路線が架線集電式となっていた。
        • 地下鉄千日前線は阪神と近鉄が乗り入れる路線として建設され、その結果阪神なんば線は存在しなかった。
        • 四つ橋線も南海が直通していたことから、なにわ筋線はJRだけが乗り入れる路線となっていた。
    • 京橋鶴橋・新今宮が東京における渋谷新宿池袋のようなターミナル繁華街として発展していた。
昭和初期
  1. 開業時は「「大大阪」にふさわしく環状線もできた」と大騒ぎだった。
    • 当時の観光ポスターなどにも環状線がデザインされたものが多い。
    • 大大阪地下鉄行進曲のように、「大大阪環状線行進曲」といった開業記念の歌が制作されていたかもしれない。
  2. 大正あたりからも貨物線が延びている。
  3. 船舶への配慮として安治川をまたぐ部分が地下だったかもしれない。
  4. 芦原町駅を通っていた可能性もある。
  5. 大阪市西部が空襲に遭った際この路線の高架などのおかげで助かった人がいた。
  6. 戦後の高度成長期までに複々線化される。
    • 関西本線の気動車が大阪駅に乗り入れていた。
  7. 関西本線とは今宮駅で分岐していた。
    • 新今宮駅は国鉄と南海の接続駅として史実(1964年)より早く同時に開業していた。
    • つまり当初から環状線の今宮駅ホームが存在していた。(史実では1997年に開業。)
      • 戸籍上の大阪環状線は天王寺~大阪~今宮となっていた。
  8. 旧西成線の西九条-桜島も環状線開業と同時に電化されていた。
    • 1940年の安治川口駅構内での車両火災はなかったかもしれない。
  9. 地下鉄御堂筋線の動物園前駅は新今宮駅に隣接する形に設置され、駅名も「新今宮」になっていた。
1970年
  1. 同年に開催された大阪万博を機に整備されたことになっていた。
  2. 大阪駅の環状線ホームは環状運転開始と同時に現在の形になっていた。
  3. ダイエー京橋店(現イオン京橋店)の開店が1年ほど早まっていた。
    • 大阪環状線の全通を見越しての開店となっていた。
  4. 弁天町駅は地下鉄中央線の駅の方が先に開業していた。
    • その場合、現実とは逆に大阪環状線の方が中央線をオーバークロスする形になっていた。
1990年代
  1. 大阪環状線という名前ではなかった。
    • 桜島ー大阪がゆめ咲線、大阪ー京橋ー天王寺が城東線、天王寺ー今宮が大和路線。今宮ー西九条間が新線。
      • 環状運転時にJRが「大阪環状線」という路線愛称を付けていただろう。
        • おおさか東線同様、「おおさか環状線」になっていたかもしれない。
  2. 開業時に207系が導入されていた。
    • 201系の導入も早まっていた。
  3. 阪神なんば線の開業が早まっていたか。
    • その場合地下鉄千日前線は桜川から大正区内に延伸されていた。
    • おそらく1970年の大阪万博の頃には開業していたと思われる。
  4. 鉄道施設などは大阪府・市出資の会社が保有している。
  5. 大阪花博までに開業させることが目標になっていた。
    • 花博で盛り上がる大阪の象徴になった。

JR東西線[編集]

1970年
  1. 大阪万博に合わせての開業となっていた。
  2. 開業当初の車両は103系1000番台だった。
  3. 路線名は「東西線」ではなかった。
    • 恐らく「片福線」という名前が使われていたかあるいは片町線の延伸区間になっていた。
  4. 一部の駅名が違っていた。
    • 大阪城北詰→片町、大阪天満宮→南森町、北新地→桜橋あるいは南梅田、御幣島→歌島橋。
      • 史実の北新地駅は「片福線大阪駅」になっていたかもしれない。京葉線東京駅みたいに。
        • 大阪駅と片福線大阪駅を改札内で直結する地下連絡通路も建設されていた。
  5. 地下区間は現実よりも浅い場所に建設されていた。
  6. 片町線と福知山線は早くに近代化されていた。
    • 1970年の時点では福知山線の尼崎~宝塚間の複線電化、片町線の四条畷~長尾間の電化が完成していた。福知山線宝塚以北に関しては現実通り、あるいは現実より少し早い時期に複線化や電化が完成し片町線の長尾以東は国鉄時代のうちに電化されていた。
  7. 当時は淀川を地下トンネルで潜る技術が確立されていなかったため、海老江以北は地上区間になっていた可能性もある。
1990年
  1. 国際花と緑の博覧会の開催を機に、開業していた。
    • 国際花と緑の博覧会へのアクセス路線として、賑わっていた。また、JR神戸線・JR宝塚線から片町線に向かう臨時列車も運行されていた。
  2. 福知山線の新三田~篠山口間の複線化も1990年頃に完成した。
  3. 207系電車の登場が史実より早まり、開業時に登場した。
  4. 駅名は史実通り。また、地下路線として、開業していたのも史実通り。
  5. 堂島・北新地・南森町付近の再開発が史実より早く進んでいた。
  6. 同年に開業した京葉線とともに注目された。
  7. おおさか東線の開通が史実より早まっていた。
    • 1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。
    • 衣摺加美北駅の開業も早まっていた。
  8. 京葉線と同様に日本鉄道建設公団の手によって、建設された。
  9. 場合によっては、1989年3月に開業していた可能性もある。
1990年代(1991年以降)
  1. 国鉄(JR西日本)の手によって、工事が行われた。
    • 関西高速鉄道は設立されなかったかもしれない。
    • いや、京葉線と同様に日本鉄道建設公団によって、建設された。
  2. 早くても、1993年3月に、遅くても、1996年3月に開業していた。
  3. おおさか東線の開通が史実より早まっていた。
    • 1997年3月に放出~久宝寺間が開通し、2008年3月に新大阪~放出間が開通した。

おおさか東線(新大阪~放出~久宝寺間)[編集]

久宝寺~放出間は、2008年3月15日に開業し、新大阪~放出間は、2019年3月16日に開業しました。

国鉄時代
  1. 同時に阪和貨物線の旅客化も実現していた。
    • その場合加美~久宝寺で関西本線と十字形に立体交差していた。
    • 当時は竜華操車場が現役だったことから、久宝寺駅には乗り入れなかったかも。
    • 車両も関西本線ではなく阪和線と共通運用になっていた。2019年現在は225系5100番台の6両が運用されている。
  2. 天王寺駅の大和路線⇔阪和線の連絡線がまだ完成していなかったことから、一部の「くろしお」が新大阪発着~おおさか東線経由で運転されていた。
    • JR東西線も開業していないので、放出駅で片町線からおおさか東線に乗り換える客も多かった。
  3. もちろん「JR」付きの駅名は存在しない。
    • 「城北公園通」駅も「赤川」駅になっていた。
    • 「JR長瀬」駅は「柏田」駅を名乗っていた。
    • 「JR淡路」「JR野江」駅は「東淡路」「西野江」だったかも。
  4. ルート的に被る大阪市営地下鉄今里筋線は計画されなかったかも。
    • むしろ千日前線の新深江-南巽が建設されなかった可能性もあった。
    • 今里筋線は蒲生四丁目-湯里六丁目の路線となっていたかも。蒲生四丁目以南の区間はルート的に被っていない。
  5. 1985年以前に開業していた場合、現実の高井田中央駅が「高井田」駅を名乗っていた。
    • 現実の高井田駅は「東高井田」駅になっていたかも(日豊本線に北永野田駅という類似例があることから)。
  6. 1970年に開業していた場合、大阪万博開催に伴う鉄道整備の一環として行われたことになっていた。
    • 当初は72系などの旧型国電が運用されていた。
  7. 直通快速には春日色の113系が運用されていた。
  8. 1964年以前に開業していた場合、起点は新大阪駅ではなく吹田駅だった。
  9. 1964年に開業した場合、東海道新幹線開業に合わせる形となっていた。
1990年代に開業した場合
  1. 大和路快速の発足と同時に、姫路~放出~久宝寺~奈良間の直通列車が運行されていた。
  2. 1990年に鶴見緑地で開催された花博に合わせて開業したことになっていた。
    • 花博の開催期間中は放出駅から会場に向かうシャトルバスも運行され、特に奈良方面からの来場客に重宝されていた。
  3. 223系電車よりも207系電車が先に運用されていたかもしれない。
  4. JR東西線の時と同じく、工事は関西高速鉄道が受け持っていたかもしれない。
  5. 奈良方面からJR東西線に乗り入れる有料の通勤ライナーが設定されていたかもしれない。
2008年に新大阪~放出間が開業した場合
  1. 放出~久宝寺間の開業が2001年~2007年あたりに早まった。
    • JR東西線の開業が早まっていたら、1997年3月に開業していた。
    • その場合、直通快速は207系電車で運用され、新大阪延伸後も207系電車・321系電車で運用されていたかもしれない。
  2. 直通快速が奈良~尼崎間と奈良~新大阪間の2つが設定されていた。
    • 学研都市線方面から新大阪に直通する系統も設定されたかも。
  3. 衣摺加美北駅の開業が史実より早まったか、延伸時に開業していた。
    • 放出~久宝寺間の開業時に開業していた可能性もある。その時は「衣摺駅」になっていたかもしれない。
  4. 2010年の平城遷都1300年祭の際に、新大阪~奈良間の臨時特急が運行されていた。
  5. 東淀川駅の橋上駅舎化や駅前後の踏切の廃止、赤川橋梁の歩道撤去が10年早まっていた。
  6. ウグイス色の103系が新大阪駅に乗り入れていた。
    • 223系電車が史実より多く増備されて、直通快速は223系電車で運用されていたかもしれない。(207系電車や321系電車に置き換わることはなかったかもしれない。)
      • 223系が放出以北の北区間にも入線していた。
    • 直通快速の本数も史実より多くなっていた。(2010年代のダイヤ改正で実現していた。)
      • 新大阪発着と尼崎発着がともに設定されていた。
        • 場合によっては学研都市線方面からの新大阪行きも設定されていた。
  7. 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路間)が先に開業していたら、早まっていた。
  8. 北梅田駅への乗り入れに考慮されているどうかは怪しい。
    • 当初の予定通り新大阪駅のホームは1番東側に建設されていた。
  9. 2008年のオリンピックが大阪で実現していたらそうなっていたかもしれない。
  10. 放出~久宝寺間の開業が1999年3月頃に早まっていた。
    • その場合、久宝寺駅の橋上駅舎の完全が史実より早まっていた。(史実では、1997年7月に完成した。)
    • 開業時に、久宝寺駅は大和路快速の停車駅になっていた。
    • 竜華操車場跡地の再開発が史実より早く進んでいた。
    • その場合、直通快速は207系電車・321系電車で運用されていた。
    • 207系電車が史実より多く投入され、福知山線での103系電車の撤退が史実より早まっていた。
2008年に新大阪~放出~久宝寺間が開業した場合
  1. 前述と同じ。
  2. 奈良駅発着の直通快速は当初から新大阪駅へ向かうようになっていた。
    • その場合223系→207・321系ではなく221系が運用されていたかもしれない。
  3. 直通快速の本数が史実より多くなっていた。
    • 平城遷都1300年祭が開催された2010年3月のダイヤ改正と外国人観光客の増加に伴う2016年3月以降のダイヤ改正を機に本数が増加していた。
    • 新大阪を発着する天理臨が運行されていた。

大手私鉄[編集]

阪急千里線(千里山~北千里間)[編集]

1930年代

実際に、前身の新京阪鉄道が免許(千里山~山田間)を取得していました。もし、これが実現していたら…

  1. 千里山~南千里or山田間で開業していた。戦後、史実より早く北千里までの延伸を実現していた。
  2. 史実より千里ニュータウンが発展していた。
  3. 大阪外国語大学が山田駅or南千里駅or千里山駅付近に移転してきた可能性がある。
    • これが実現した場合、戦後、近畿日本鉄道は大阪外国語大学のグラウンドを買収し、近鉄花園野球場を整備し、近鉄バファローズの本拠地にした。
  4. 新京阪鉄道の路線が阪急の手に渡ったのは史実通り。
  5. 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路間)が実現していた可能性が高い。
1964~1966年頃
  • 史実では、1967年に開業。
  1. 1963年8月に千里山~南千里間の開業は史実通り。
  2. 自動改札機の導入も早まっていた。
  3. 早まった分、新大阪線(十三・神崎川~新大阪~淡路間)は1967年頃に開業していた。
    • その際、新大阪駅にも、自動改札機が導入されていた。

京阪鴨東線[編集]

1930年代
  1. 最初から京阪が建設していたら本当に1930年代に開業できていたかもしれない。
    • 史実では「地方鉄道」だった京都電燈叡山鉄道部が作ろうとしていたため「軌道」だった京都市電との交差をどうするかに時間を取られ過ぎ建設できなかった。
  2. 京阪本線の延長線として建設されている。
    • 三条-出町柳間固有の路線名は存在しない。
  3. 現実の出町柳駅が「今出川」駅になっていたかもしれない。
    • この場合2008年に「下鴨今出川」あたりに改名されている。
  4. 叡山線車両の京阪線乗り入れが実現していた。
  5. いずれ叡山線は京阪に編入されていた。
1970年代
  1. 本線の東福寺~三条の地下化も同時期に実現していた。
    • 1500V昇圧や8両編成化も現実よりも早く行われていた。
  2. 叡山線が京福電鉄から分社化されることはなかった。
    • 史実では京都市電の廃止後連絡する鉄道が皆無になり赤字が増大して分社化されたため。
    • 京阪と叡電の直通も実現していたかも。
      • その場合、叡山線は京福から京阪に移管されていた。
      • 1971年に登場した京阪3000系は鞍馬乗り入れを考慮して勾配対応仕様となっていた。
  3. 1970年開業だった場合、大阪万博が路線開業のきっかけになっていた。
    • 3000系も史実よりも1年早く登場していた。
      • 京阪線の15分サイクルダイヤ実施も。
    • 新門真(現門真市)駅も同時に開業している。

近鉄難波線[編集]

1914年
  1. 大阪電気軌道の手で開業し、現在は大阪線の一部。
    • 1912年の「ミナミの大火」の焼け跡を駅用地・線路用地に転用できたため、比較的容易に難波乗り入れができた。
  2. 難波における南海との開発競争が激しくなる。
    • 一方上本町は繁華街にならず「上六」という通称もない。
      • せいぜい某スポーツ強豪校の最寄り駅や地下鉄谷町線との乗換駅程度の認識。
      • 近鉄百貨店は上本町ではなく難波にできていた。勿論来店客数も現実の上本町店よりも多い。
        • 阿倍野店と並ぶ存在となっていた。
        • 南海の駅ビルの高島屋との競合で難波を盛り上げていたかも。
    • 難波-上本町間には日本橋駅の他、松屋町筋との交点に下寺町駅が設置されていた。
  3. 加算運賃はなかった。
  4. 1956年に複々線化され、これの大半が実現していた。
  5. 阪神なんば線開通に合わせて奈良線と大阪線のいずれかが地下化されていた。
    • 難波駅は現実の大阪上本町駅と同じく地下と地上の2階建て構造となっていた。
    • 阪神なんば線も史実とは違って1970年に開通していた。千日前通の拡幅と阪神高速道路の建設、なんばウォークの建設は史実通り。

阪神なんば線[編集]

2009年3月20日に開業した阪神なんば線。この路線は戦後すぐに計画され、高度成長期に一部区間の着工までこぎつけたものの沿線の反対により一旦工事が中断され、平成になって第三セクターで工事が再開されるという経緯をたどりました。もし…

昭和40年代

この路線が予定通り昭和40年代に実現していたらどうなっていただろうかを検証します。

さくらがわ
桜川
SAKURAGAWA
おおさかドームまえ ←→ きんてつなんば
  1. 地下鉄千日前線は建設されていなかった。
    • 現実に市は近鉄難波線と競って建設したわけですから、阪神とも競っただけではないかと。
    • 地下鉄今里筋線は今里からは南巽へと曲がって建設された。
    • 四つ橋線難波駅は今も「難波元町」駅のまま。
  2. 阪神なんば線のルートは現実とは異なり、九条から桜川までの間に駅は建設されなかった。
    • しかし1997年の大阪ドームオープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
      • 但し場所は異なっていた。
    • 近鉄に配慮して、九条駅に「大阪ドーム前」の副駅名がついた可能性もある。長堀鶴見緑地線開業後はどうなるか分からないが。
    • どっちにしろ大阪近鉄バファローズの観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。近鉄沿線からもアクセスしやすいし。
  3. 阪神3801系は20m4扉車となり、大量増備されていた。
    • あるいは「2000系」とかいう形式が与えられていた。
  4. 近鉄側は8000系が阪神乗り入れ仕様となっていた。
  5. 千鳥橋駅は2面4線の退避可能駅となり、なんば線内で追い越しが行われていた。
    • 三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
      • 乗務員交代駅の桜川を足して、桜川・九条・西九条のみに停車。
    • 山陽との直通がその分、軽視された可能性も。未だに阪急とも直通していたり…
  6. 阪神・淡路大震災後もJRに客を取られることはなかった。
    • 梅田方面ではなく今では難波方面への輸送がメインになっている。
    • 阪神電鉄自体の業績も現実よりは良かったことが考えられるので、球団にお金をかけることができた。その結果1990年代の暗黒時代は到来しなかった可能性もある。
      • 1985~2003年の間に何度かリーグ優勝しているかも。特に1992年は優勝していた可能性が高い。
  7. 村○ファンドによる株買い占めの後、阪急ではなく近鉄と経営統合していた。
    • ますます西の京急感が強まる。
  8. 阪神本線の尼崎~西宮間は1980年代に複々線化される。
    • 同時に高架化も行われていた。
  9. 近鉄18200・18400系は1976年以降、三宮-賢島の神伊特急に転用されていた(大和八木以東は京伊特急と併結)。
  10. なんば線が開業した直後は三宮~奈良間の直通運転は行われず、阪神側からは当時三宮~西九条間を運行していたN特急を近鉄線内各駅停車で瓢箪山まで延長、近鉄側からは奈良線快速急行が尼崎まで延長運転される。
    • 三宮~奈良間の直通快速急行は1990年代後半に運転開始する。
  11. 阪神春日野道駅の狭いホームを近鉄電車が通過していた。
    • または近鉄乗り入れを機に春日野道駅を大改造していた。
  12. 西九条~九条間の高架区間の防音シェルターは設置されなかった。
    • そのため大阪市内が一望でき、九条手前の地下に潜る部分では前方に地下鉄中央線を見ることができる。
  13. 阪神大震災で、近鉄車両も被災していた。
    • 復旧中は、近鉄から車両を借り受けて運行を行った可能性もある。
  14. そもそも路線名は阪神なんば線ではなかった。
    • 近鉄に倣って「難波線」とするか、あるいは「西大阪線」のままだった。
  15. 加算運賃がなかった。
    • 近鉄難波線同様、90年代までに建設費償還が終わっている。
  16. 阪神タイガースが昭和末期でも大阪球場で公式戦を行っていた(特に夏の高校野球期間中など)。
    • 代わりに西宮球場を利用することが無くなっていた。
  17. 梅田-姫路の直通特急がもっと早く登場していた他、奈良からの快速急行も新開地発着となり、阪急は高速神戸より西に入れなくなっていた。
    • 阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
      • 市営地下鉄との直通が実現していた場合、西灘(現王子公園)~三宮間は新神戸駅経由となり、春日野道駅経由の路線は廃止されていた。
      • 明石海峡大橋は鉄道道路併用橋となり、神戸市営地下鉄の名谷~鳴門間に本四連絡鉄道が建設されていた。そして阪急梅田~徳島間に直通特急が運転されていた。
      • 阪急六甲駅での衝突事故は起こらなかったかも。
  18. 近鉄難波駅は「近鉄・阪神難波」駅になっていた。
    • あるいは単に「難波」駅になっていたかも。
  19. 初代あおぞら号は山陽乗り入れ対応で製造、播州地域の学生は山陽-(高速-阪神-)近鉄で伊勢方面へ修学旅行に向かっていた。そのため草津線経由修学旅行臨は国鉄時代の早い時期に廃止になっている。
    • 山陽-近鉄による伊勢志摩方面のアクセス強化は草津線の優等列車廃止も早める結果となり、結果草津線は京阪神近郊の通勤路線として早くから発展する結果となる。その為、現在では草津線直通の新快速が運転されているほか、信楽線も3セク化されていない。信楽線脱線事故なんて当然発生していない。
  20. 1980年代前半には近鉄特急の本格的な山陽乗り入れも開始、その後バブルに乗じて乗客数は右肩上がりも、バブル崩壊など不況で衰退に傾く。しかし現在もある程度のフリークエンシー性を保った範囲での本数が確保されている。
    • 阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
      • この事が神戸高速の経営に深刻な打撃を与え、90年代後半には完全な第三種鉄道事業者に転ずる。結果山陽・阪急・阪神間で高速線路線の再分配が行なわれ運賃が安くなっていた。
    • あるいは運賃+料金と所要時間でJR新快速に対抗できないため、これを機に近鉄特急の山陽乗り入れを廃止し、三宮までに短縮されていた。
  21. 南海汐見橋線は現在のような状況にまでは衰退せず、南海電鉄がなにわ筋線に活路を求める事も無かった。なにわ筋線事業がJRの単独で計画が進行していた可能性もある。
    • アメリカ村は桜川駅周辺にまで広がり、桜川が堀江と一体で若者の街として発展していた可能性もある。
  22. 三宮―大阪難波間の所要時間がもっと短縮されていた。
    • 三宮―西九条間にN特急が運行されていた時期、同区間の所要時間は25分であった。西九条-大阪難波間でドーム前と桜川を通過とすると三宮―大阪難波間の所要時間は32~33分くらいだった可能性がある。
  23. ただでさえラッシュ時に混雑する近鉄奈良線の輸送量が限界に達したことから、近鉄東大阪線(現けいはんな線)の生駒以西は1970年代後半には開業していた。
    • 生駒―学研奈良登美ヶ丘間も1990年代のうちに開業。場合によれば当初の計画通り高の原まで延伸されているか、関西文化学術研究都市の中心部への乗り入れを果たしていた。
  24. 1981年の「ポートピア81」の時には近鉄車両もヘッドマークを付けて運行された。
    • 名古屋―三宮間に臨時特急も運転された。
  25. 西九条が現実よりも早く乗り換えターミナルとして注目されていた。
    • 商業地としても現実より発展していたかもしれない。場合によっては京橋周辺の「ヒガシ」に対し「ニシ」と呼ばれていた。
    • 京阪中之島線も当初から天満橋~西九条間の路線として建設されていた。場合によってはこちらも阪神に乗り入れていたかも?
  26. 3・3・SUNフリーきっぷは南海・近鉄・名鉄ではなく阪神・近鉄・名鉄の3社が利用可能となっていた。
    • エリア拡大版の「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」の方が山陽電鉄もエリアに含まれていた。
  27. アーバンライナーや伊勢志摩ライナーの車両は阪神乗り入れに対応した前面貫通式の車両になっていたかもしれない。
    • むしろトンネル側が非貫通車両の営業列車を通せる規格で作られていた。
  28. なんば線の淀川橋梁は1980~90年代のうちに架け替えられていた。
    • 同時に大物~千鳥橋の高架化と神崎川・左門殿川橋梁のかさ上げも行われていた。
  29. 山陽電鉄の駅のホーム案内に「奈良方面」の文字が加えられていた。
1980年代
  1. 1981年3月、1985年3月、1988年3月のいずれかに開業していた。
    • 1981年3月の場合、神戸ポートアイランド博覧会の開催に合わせて、開業した。
    • 1985年3月の場合、ユニバーシアード神戸大会の開催に合わせて、開業した。
  2. 1985年3月の場合、この年が阪神タイガースが日本一になった年でもあるので、阪神グループにとって、輝かしい年になっていた。
  3. 8000系電車が近鉄乗り入れ対応の車両となり、史実より多く製造された。
    • 9000系電車と1000系電車の登場は史実通り。
    • 1988年開業の場合、8000系はVVVFインバータ制御車となっていた。
      • 阪神におけるVVVF車の登場が10年早まっていた。
  4. 東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場が開場した場合、そこが近鉄バファローズの本拠地となり、観客動員数が史実より多くなっていた。
  5. 1988年になら・シルクロード博覧会が開催されたことに合わせて、臨時列車が運行されていた。
  6. 路線名は「阪神西大阪線」になっていた。
1990年
  1. 阪神8000系は近鉄乗り入れ対応のVVVF車となっていた。
  2. 開業したのがバブル期ということもあり、姫路―賢島間にリゾート特急が運行されていた。
    • 「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
      • パルケエスパーニャの入場者数も現実以上になり、のちの近鉄グループの経営難がもう少しマシになっていただろう。
    • 「アーバンライナー」も難波〜名古屋だけでなく、三宮〜名古屋や姫路〜名古屋での運行があったかもしれない。
  3. 奈良-三宮間運転の快速急行は名鉄特急と同じような自由席車6~8両+指定席車2両編成となっていた。
  4. 同年大阪の鶴見緑地で開催されていた国際花と緑の博覧会(花博)が開業のきっかけになっていた。
1994年
  1. 関西国際空港の開港を機に開通した。
    • 関西空港の利用者数は史実より多くなっていた。
    • 関西国際空港が神戸に建設されていたら間違いなくそうなっていた。
      • その場合、春日野道あたりから関西空港への路線も同時に建設され、春日野道駅そのものも同時に改良されていた。
  2. 志摩スペイン村がこの年に開業していたので、三宮発着の臨時列車も運行されていた。
  3. 阪神の8000系電車が近鉄乗り入れ対応車両として、製造された。
    • むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
      • 史実の8233F以降が9000系として登場していた。
  4. 近鉄の22000系電車は阪神乗り入れ対応車両として、製造され、予定通り112両が製造された。(史実では、86両が製造された。)
    • 22600系電車の登場は史実通り。
  5. 南海電鉄は、大阪球場の解体工事を史実より早く取り掛かっていた。また、なんばパークスの開業が史実より早まっていた。
1995年
  1. 同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により本線が被災し、その復旧を優先したため、難波延伸線の開業は翌1996年にずれ込んでいた。
    • ダイヤ改正(完全復旧)に合わせて、開業日は1996年3月20日に決定。
    • スルッとKANSAIは難波延伸線開業と同時に導入された。
  2. 阪神9000系は難波延伸線開業と同時にデビューしていた。
  3. この時期になるとドーム前駅設置が考慮されるようになっていた。
1997年
  1. 近鉄が奈良線にバファローズ応援列車を運行していた。
    • 大阪ドームでのバファローズ主催試合開催日には、バファローズのヘッドマークを付けた近鉄車両が奈良〜三宮間を行き来する。
  2. 大阪ドームの初年度来場客が現実より多かった。
  3. 阪神9000系は震災廃車の代替新造分を満たして以降も難波延伸・近鉄乗り入れ用として大量に増備されていた。
2001年
  1. USJの開業を機に開通した。
  2. 21世紀最初の年ということで、ミレニアム列車が運行された。
  3. この年は、大阪近鉄バファローズがリーグ優勝した年なので、観客動員数も史実より多くなっていた。
    • 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。オリックスとの合併はなかった。
  4. 9300系電車は近鉄乗り入れ対応車として、製造された。
    • 1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
      • あるいは9300系は登場せず、9000系の次が1000系となっていた。
    • 近鉄の5820・9020・9820系も。近鉄は5800系あたりから阪神乗り入れを考慮した仕様になっていた。
  5. 2001年3月10日のダイヤ改正を機に開業していた。
  6. 開業の際に、PRのために阪神タイガースと大阪近鉄バファローズの選手と監督が両方起用されていた。
    • 大阪近鉄側は、監督の梨田昌孝氏、中村紀洋氏、ローズ氏が起用され、阪神側は、監督の野村克也氏、藪恵壹氏、遠山奬志氏が起用された。
  7. 大阪球場の解体工事となんばパークスの開業が史実より早まっていたかもしれない。(史実では、解体工事は1998年11月から開始され、なんばパークスは2003年10月に第1期部分が開業し、2007年4月に第2期部分が開業し、全館開業した。)
    • 阪神なんば線の開業に合わせて、開業していた可能性もある。
2003年
  1. この年は阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝があったので、それと合わせて阪神グループにとっては2重の喜びだった。
    • なんば線開通とタイガース優勝があった年として2003年は鉄道ファンにも阪神タイガースファンにも語り継がれていた。
  2. 9300系は登場せず、2001年に1000系が登場していた。
2004年or2005年
  1. 近鉄21020系電車は阪神乗り入れに対応した車両となり、2005年の愛知万博の開催を機に臨時列車として、神戸三宮までに乗り入れた。
  2. 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。
    • オリックスとの合併はなく、プロ野球再編問題は起こらなかったかもしれない。
  3. 1000系電車は史実より早く登場していた。
    • 9300系電車の登場は史実通り。
  4. 2005年3月25日or3月18日に開業していた。
  5. 駐米スカウトをやっていたトーマス・オマリー氏が開業告知のポスター・CMに出演していた。
  6. なんばパークスの全館開業が史実より早まっていた。

近鉄けいはんな線[編集]

1970年
  1. 大阪万博が開業のきっかけだった。
  2. 開業当初は4両編成で運転されるものの、相互直通する地下鉄中央線共々史実よりも早く6両編成化されていた。
    • けいはんな線開業前に大阪港-本町で使用されていた800形(旧6000形)・900形(旧6100形)は四つ橋線に転用されていた(その後1970年代末に四つ橋線から谷町線に転属し、史実通りT車化のうえ50系に組み込まれた)。
  3. 近鉄7000系は北大阪急行2000形と同じく大阪市30系をベースとした車両になっていた。
    • 非冷房なので1990年前後には新車に置き換えられていた。
      • 廃車にはせず台車交換(10400系・11400系の廃車発生品に)・パンタグラフ集電への変更・冷房改造(ラインデリア車向けの2コブキセ使用)のうえ、三重県内の路線に転用されていた。一部の車両は先頭車化改造も行われた。
    • 7000系の換気装置には当時製造された近鉄車両と同様のラインデリアが採用され、三角形の蛍光灯カバーも付き、化粧板は当時の近鉄車両と同じベージュのコルク模様で、車体帯も近鉄マルーン色になっていた。
    • 近鉄奈良線8000系のアルミ車8069Fは東大阪線用7000系でアルミ車体を採用するための試作車として開発された。
  4. 阪神高速道路東大阪線とは一体構造にはならなかった。
  5. 生駒~学研奈良登美ケ丘延伸も1980年代に実現。
    • 但し生駒以東の駅名は現実と違っていた。
    • 高の原あるいは学研都市方面への延伸も既に実現。
  6. 加算運賃は設定されるものの、現実よりは安く設定される。
    • 当初の目標であった近鉄奈良線の混雑緩和に役立っていた。

京阪中之島線[編集]

1980年
  1. 守口市~寝屋川信号所間の複々線化とセットで開業していた。
  2. 当時はまだ京阪の輸送量が伸びていたので天満橋以西が実質複々線化されることにより本線の淀屋橋~天満橋間の混雑緩和に役立っていた。
  3. 1990年代に入ると中之島駅以西の延伸計画が具体化し、21世紀に入って西九条方面への延伸が実現していた。
    • 延伸開業が阪神の難波延伸より先だった場合、阪神との直通も実現していた。
      • この場合、阪神は阪急ではなく京阪と経営統合していた。
  4. 中之島駅周辺の再開発も早まった。
    • 朝日放送の社屋も昭和時代のうちに移転していた。
1990年
  1. 同年開催された国際花と緑の博覧会に合わせて開業したことになっていた。
  2. 駅の内装は1987年完成の東福寺~三条の地下線や前年に開業した鴨東線と同じような感じになっていた。
  3. 中之島線各駅のホームは10両編成対応となっていた。
  4. 7000系が現実以上に増備されていた。
    • 少数派系列に終わることはなかった。
1994年
  1. 関西国際空港開港に合わせて開業していた。
  2. なにわ筋線も同時に開業していた。
  3. 7200系は中之島線開業に合わせて登場していた。
  4. 特急の一部が中之島発着になっていたかも。
    • その場合、ダブルデッカーの連結は中之島線開通と同時に行われていた。
2001年
  1. USJの開業に合わせて、開業した。
    • 新桜島駅まで開業していた。
    • 2000年に開業していた可能性もある。
  2. 中之島周辺の再開発が史実よりも進んでいた。
  3. 京阪電車おでかけ情報誌「K PRESS」が阪神の駅でも配布されていた。
    • 阪神は阪急ではなく京阪と経営統合していたかも。
      • その場合、西九条から阪神なんば線に繋がる連絡線が建設され、阪神と京阪が乗り入れていた。
    • 逆に阪神の広報誌も京阪の駅で配布されていた。
  4. 特急の一部が新桜島発着になっていた。
  5. 2025年の万博開催に合わせ夢洲への延伸工事が行われるようになっていた。

地下鉄[編集]

神戸高速鉄道[編集]

1930年代
  1. 神戸市の第三セクター会社ではなく、阪急・阪神の延長線として開業していた。
    • 阪急・阪神と山陽は新開地を境に会社が分かれる形となっていた。
    • 阪急・阪神~山陽・神鉄に乗る場合、3社から2社に減ることから運賃が安くなっていた。
  2. 山陽電鉄の電鉄兵庫駅は戦前に廃止されていたか、三宮方面の線路がここから延長する形で建設されていた。
  3. 阪神大震災で地下トンネルが崩壊することはなかったかも。
    • 実史では戦前に建設された高架橋や地下トンネルは大きな被害を受けなかったため。
  4. 梅田~姫路の直通特急も早期に実現していた。
    • 阪急も直通特急の運行に参加していた。
  5. 阪神大水害で浸水し大きな被害を受けていた恐れあり。
1990年代
  1. 建設理由は阪神大震災の復興。
    • 阪急・阪神・山陽・神鉄の地上側ターミナルは撤去。
  2. 神戸電鉄は三宮駅に乗り入れていた。
  3. 直通特急のスピードアップのため、途中に追い越し線が設置されていた。
  4. 地下トンネル及び駅ホームは近鉄車両の入線が可能な設計になっていた。
    • 近鉄車も新開地までは殆どが直通していた。場合によっては奈良-姫路間の直通列車も運行されていた。
  5. 阪急神戸線と神戸市営地下鉄の直通構想は浮上しなかったかもしれない。

神戸市営地下鉄海岸線[編集]

1980年代
元町
Motomachi
栄町
Sakaemachi
神戸
Kōbe
  1. リニア地下鉄ではなく西神・山手線と同一規格の路線となっていた。
    • 線路も当然つながっていて直通運転が行われていたかも。
  2. 一部の駅の駅名が現実と異なっていた。
    • 「ハーバーランド」は「神戸」、「みなと元町」は「栄町」、「旧居留地・大丸前」は「元町」になっていた。
  3. JR和田岬線は廃止されていたかもしれない。
    • キハ35系300番台は登場しなかった。

京都市営地下鉄烏丸線[編集]

1975年
  • 当初の開業目標年。
  1. あまりバリアフリーには配慮されなかった。
  2. 市電の烏丸車庫が史実より早く廃止される代わりに九条車庫が全廃まで残る。
  3. もちろん市電と地下鉄の乗り継ぎ割引もあった。
  4. 市電廃止前の工事なので一部区間では難しい工程が必要だった。
  5. 車両のデザインはもう少し古臭い感じ。
    • 開業当初の車両は非冷房、抵抗制御で登場していた。
  6. 一部駅では市電との連絡の関係で現在はあまり役に立たない出口があった。
  7. 近鉄3000系は登場時から烏丸線に乗り入れていた。
    • 量産化されていたかも。
    • 初期車は冷房準備車(ラインデリア装備)として登場していた。

京都市営地下鉄東西線[編集]

1970年代
  1. 京阪乗り入れがなかった。
    • どのみち京津三条~御陵or山科間は廃止されていた。直通が無かった場合は分社化が断行されていたかもしれない。
  2. 車両サイズが路面電車並みに小さかった?
    • その上で高架だったかも。ただし景観論争勃発。
  3. 嵐山まで延伸していたか。
    • 計画通り洛西ニュータウンまで延伸していただろう。但し開業は早くても1990年代末。
    • 嵐山方面は嵐電に乗り入れていたかも。
  4. ホームドアは現在も設置されていない。
  5. 烏丸御池駅は最初からこの駅名だった。
1994年
  • 当初の開業目標年
  1. 平安遷都1200年を記念して開業していた。
  2. 京阪700形は現実よりも早く登場していた。
    • 80形は冷房改造されずに廃車されていた。
  3. 六地蔵や太秦天神川への延伸も現実よりも早かった。

大阪市営地下鉄今里筋線[編集]

1970年代
  1. リニア式ではなく第三軌条方式になっていた。
  2. 谷町線と直通していた。
    • 太子橋今市~関目高殿(関目成育)間は新森古市経由ではなく千林大宮経由になり、谷町線と2階建ての構造になっていた。
    • 大日~今里間や井高野(または上新庄)~文の里・八尾南間の系統も運転されていた。
  3. 井高野ではなく上新庄が起点だったかも。
  4. 1990年代以降に今里~湯里六丁目間が延伸されていた。
    • 谷町線駒川中野駅は今里筋線との交差部分に近い場所に設置され、相互乗り換えも可能となっていた。
    • JR大和路線との接続駅の名称は「杭全東部市場前」となっていた。
  5. 表向きはトロリーバスの代替路線ということになっていた。トロリーバス廃止の翌日に開業していた。

大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線[編集]

1970年代
  1. 他の地下鉄路線と同じ第三軌条方式となっていた。
    • 日本初のリニア地下鉄は都営地下鉄大江戸線となっていた。
  2. 路線名は「長堀線」となっている。
  3. 東側の鶴見緑地側ではなく都心側から開業していた。
  4. 恐らく千日前線と同様4両編成での運転となっている。
  5. 当時はOBPがまだなかったので、京橋~谷町六丁目は森ノ宮経由ではなく上町筋経由になっていたかも。
  6. 1980~90年代に大正以南鶴町方面への延伸が実現している。
  7. 当時は大阪ドームがまだなかったので「大阪ドーム前千代崎」→「ドーム前千代崎」は「千代崎」として開業していた。
    • そしてドームの開業後に改名していた。
  8. 「四ツ橋」駅は長堀線開通と同時に「心斎橋」駅に改称されていた。

大阪市営地下鉄千日前線[編集]

1990年代
  1. 長堀鶴見緑地線と同じくリニア地下鉄となっていた。
    • 長堀鶴見緑地線及び今里筋線との連絡線が設置されていた。

神戸市営地下鉄西神・山手線[編集]

1972年
  1. 新神戸駅の利用客が早いペースで増加していた。
  2. 当初の予定通り青谷・王子動物園方面に延伸されたかもしれない。
  3. 1000形は非冷房で登場した。
1981年
  1. ポートピア博覧会に合わせて開業したことになっていた。
  2. 同じ年に開業した京都市・福岡市の地下鉄と何かと比較されていた。

その他[編集]

大阪モノレール[編集]

1970年
  1. 中国道・近畿道と一体で建設された。
  2. 少なくとも大阪空港-万博会場が最初から開業している。
    • 東側の終点は国鉄茨木駅。
      • 門真市への延伸はやや後年にずれ込んだ。
        • 国鉄茨木駅は中央環状線からは北にずれているので、門真市への延伸はスイッチバックで行われていた可能性もある。
        • 1970~80年代前半までに門真市延伸を果たしていた場合、大阪府運転免許試験場へのバスは門真市発着のままだった。
        • 京阪門真市駅が島式2面4線ホームとなり、準急が停車していた可能性もある。
      • 宇野辺駅は当初からこの駅名で開業していた。
  3. 日本跨座式の初お目見えとなった。
  4. 大阪万博を象徴する場面として「会場をバックに走るモノレール」というシーンがよく使われている。
    • 大阪万博の思い出として「モノレール」を挙げる人が少なくない。
    • そもそも史実の大阪万博でもモノレール(大阪モノレールとは別)は走っていたんだが…。
      • 万博会場のモノレール車両が万博閉幕後大阪モノレールに譲渡されていた可能性もある(方式がともに同じ日本跨座式だったため)。
  5. 現在は門真市以南へ延伸している。
    • 延伸の時期にもよるが、近鉄けいはんな線の荒本駅が現実とは異なり中央環状線の交点に建設されていたかも。
  6. イベントなどで万博当時の塗装を復元した車両が走る。
  7. 千里中央駅は北大阪急行の駅と一体で建設されていた。
  8. 大阪府と在阪私鉄出資の第三セクターではなく、東急(もしくはその子会社)が運行していたかもしれない(因みに万博モノレールの運行は東急が行っていた)。

愛宕山鉄道[編集]

1950年代
  1. 京福と阪急の合弁企業が運行。
  2. 平坦線の車両は京福嵐山本線との共通運用。
  3. 愛宕駅-愛宕神社のロープウエーも開業していた。
  4. 建設時期によっては朝鮮戦争による鋼材高騰に苦しめられた。
  5. 遊園地やスキー場開発も史実通りやっている。
    • 八瀬遊園はなかったかもしれない。
    • なお現在はほとんど閉鎖もしくは売却されている。
  6. 鳥居本駅は後に門前町の景観に調和した駅舎に建て替えられた。

姫路モノレール[編集]

1980年代
  1. 日本跨座式が採用されている。
  2. まずは姫路駅-姫路城の間ができる。
    • のちに書写山まで延伸されるが山陽本線以南へは延びない。
    • 姫路駅は地下に設置されていたかもしれない。
  3. 一部区間では同時に道路整備も行われる。
  4. 姫路城駅の位置によっては世界遺産登録の際に何か問題になっていた。
  5. 姫路市の直営ではなく兵庫県や姫路市、山陽電鉄、神姫バス、地元企業などが出資した第三セクターとして開業していた。
  6. 今頃は、ワンマン運転を行っている。

泉北高速鉄道[編集]

1970年代後半
  1. 同時期に開通した京王相模原線と同様、鉄建公団の「P線方式」を適用して南海の路線として開業していた。
    • 運賃も安くなっていた。
    • 1990年代のバブル期に通勤用の有料特急が運転されていたかも。
      • 「泉北ライナー」のデビューが早まったかも。
      • 11000系はあと2編成ぐらい製造されていた。
    • 路線名は「南海泉北線」になっていた。
  2. 場合によっては中百舌鳥~光明池間が一気に開業していたかも(史実では中百舌鳥~泉ヶ丘が1971年開業で光明池までは1977年に開業)。
    • 和泉中央への延伸は史実通り。
  3. 大阪府都市開発が鉄道事業に乗り出すことはなく、トラックターミナルを運営するのが主体の会社となっていた。
    • 南海の子会社になることもなく、現在でも大阪府の第三セクター。

北大阪急行電鉄[編集]

1971年以降の場合
  1. 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開通し、阪急千里線が万博会場に乗り入れ、会場輸送のメインルートになっていた。
    • その場合、大阪市営地下鉄御堂筋線は江坂駅まで開業し、江坂駅から会場へはバスで輸送していた。
  2. 早くても、1974年に開業していた。
  3. 緑地公園駅も開通時に開業していた。
  4. 沿線にある駿台予備学校大阪校(1981年開校)及び代々木ゼミナール大阪校(1987年開校、2015年閉鎖)の開校が史実より早まっていた。
    • 中津にある河合塾大阪校(1984年開校)も史実より早く開校していた。
  5. 1980年前後に開業した場合、自社の車両は現実の大阪市10系に酷似した冷房付き電機子チョッパ車となっていた。
    • 但し内装は阪急タイプとなっていた。
    • 現実の10系は試作車と同じく20系を名乗っていたかも(北急2000形と車番が被るころが改番の理由だったので)。その場合北急の車両が1000形を名乗っていた。
    • 初代ポールスターこと8000形は登場せず、2010年代に入って9000形に置き換えられていた。
  6. 千里ニュータウンの発展が現実よりも遅れた。

北神急行電鉄[編集]

1985年
  1. 神戸市営地下鉄西神・山手線が大倉山~新神戸間が開業したのと同時に開業した。
    • 同年開催されたユニバーシアード神戸大会に合わせる形にもなっていた。
  2. ひょっとしたら、1986年4月にずれ込んで、開業していたかもしれない。
  3. 7000系電車の登場は史実通り。
    • 但しVVVFインバータ制御車ではなく、神戸市1000形と同じチョッパ制御車となっていた。



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