もしあの鉄道路線が経営転換されていなかったら
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- 路線のほとんどが未成線のまま三セクになった路線は「もしあの国鉄路線が全通していたら」へ、並行在来線は「もし新幹線開業による並行在来線の経営分離が行われなかったら」へお願いします
- 厳密には経営転換とは言えない路線(三セクによる未成線・貨物線の旅客化etc)はもしあの鉄道路線がJRの路線だったらへ。
JR北海道[編集 | ソースを編集]
池北線(旧・北海道ちほく高原鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 廃線にはならず、特定地方交通線として現在も存続。
- ただし高速化事業の対象になっていたかどうかは微妙。
- 特定地方交通線じゃ深名線と同時期に×××××だろ。
- キハ40系、54形が1~2両編成で運行していた。
- 観光SL、トロッコ列車などが行楽シーズンにかけて運行される。
- 場合によっては天北線、標津線、名寄本線も存続していた。
- それでもJR北海道の経営難によりまた廃止の危機に立たされる。
- 北見、網走方面の特急は全て石勝線経由なり、一部高速化もされる。
- 上川~遠軽間は廃止される。
- 石勝線が高速化したときに信号場が廃止されるなんてことは起こらない。
- 石勝線の高速化と同時に高速化される。
- 足寄駅が史実のような巨大な駅舎になることはなかった。
- 勿論道の駅なんかになることもなかった(本別、陸別駅も然り)。
- 道の駅足寄湖は足寄町唯一の道の駅として今も賑わっていて、店舗が全閉鎖になることもない。
- 勿論道の駅なんかになることもなかった(本別、陸別駅も然り)。
- 分線、川上の両駅は「利用客が1人に満たない駅」として2010年代後半に廃止される。
JR東日本[編集 | ソースを編集]
長井線(現・山形鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 白兎駅・あやめ公園駅・四季の郷駅は設置されていなかった。
- 宮内駅は「宮内町駅」、おりはた駅は「西宮内駅」のまま。
- 現在は米坂線と同じキハ110系・キハE120形が運用されている。
- 米坂線と直通運転して「米沢~今泉~荒砥」という列車が運行されていた。
- 「ローカル線プロレス」は存在していないだろう。
木原線(現・いすみ鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 大糸線のキハ52は同線での運用終了後全て引退していた。
- 久留里線と同様キハ30系が最後まで運用されていたかもしれない。
- 久留里線の国鉄型気動車の置き換えとほぼ同年代にキハE130系の登場で置き換えられていた。
- 小湊鉄道との直通運転が真剣に検討される。
会津線(現・会津鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 南若松駅・あまや駅・塔のへつり駅・ふるさと公園駅・会津山村道場駅は開業していない。
- 芦ノ牧温泉駅は未だに「上三寄駅」のまま。
- 猫駅長「ばす」は存在しなかった。
- 会津田島~会津高原尾瀬口(会津高原)間は電化されなかったかも…。
JR東海[編集 | ソースを編集]
二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 地方交通線。
- 東海地震時のバイパスルートとして電化されていたかもしれない。
- キハ11が導入されていた。
- 電化したならば313系。
- TOICAを導入していた。
- いこいの広場は「新細谷」、フルーツパークは「西都田」、浜松大学前は「東都田」、気賀高校前は「中川」、アスモ前は「天竜岡崎」、大森は「天竜大森」として開業した。
- 大森とアスモ前は場所的に全然「天竜」じゃないから「遠江○○」とか「浜名湖○○」になるんじゃないか。
- ほぼ全ての列車が豊橋まで直通していた。電化された場合は遠江二俣発静岡行きとか遠江二俣発大垣行きといった列車も設定されていた。
- 現実で登録有形文化財になった施設のうち一部が建て替えられ姿を消している。
岡多線(現・愛知環状鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 名称は「豊田線」。
- 「岡多線」か「愛知環状線」の可能性も。
- 正式名称は(豊田市〜高蔵寺間を含め)「岡多線」だが、混乱を防ぐため「愛知環状線」という愛称が制定されていた。
- 瀬戸線になっていた可能性もあり得る。
- 「岡多線」か「愛知環状線」の可能性も。
- 地方交通線に毛が生えた程度。
- でも利用者数は年々増加している。
- 特にJR東海になってからは新駅設置やダイヤの改善で利用者が激増している。
- 史実以上に名古屋直通の電車を運行。
- この場合と同一なら、なんちゃって環状鉄道が実現。
- ルートは名古屋-枇杷島-勝川-高蔵寺-岡崎となっていた。
- 西岡崎-中岡崎をレールでつなげばちゃんとした環状線になり、この区間は「愛知環状線」に。
- 後の「名古屋メガループ」である。
- ルートは名古屋-枇杷島-勝川-高蔵寺-岡崎となっていた。
- この場合と同一なら、なんちゃって環状鉄道が実現。
- 愛環梅坪駅の名前は新梅坪駅になっていた。
- 複線化は史実よりも進む?
- 新豊田の南の駅の読みは「しんうわごろも」です。
- 高蔵寺-新豊田は東海交通事業の路線になっていたかもしれない。
- 国鉄時代の計画当初から一体運用が想定されていたのでそれはない。
- その場合城北線もJR線だったかも。
- そうした場合、城北線経由の関西本線方面の列車が設定されていたかも。
- その場合城北線もJR線だったかも。
- 国鉄時代の計画当初から一体運用が想定されていたのでそれはない。
- 「名古屋近郊区間」が設定されていた。
- TOICAは登場当初から使用可能だった。
- 車両に関しては現実とほぼ差がない。
- 線内用の車両(現実の愛環100系に当たる)は出てないだろう。なのでえちぜん鉄道が困る。
- 「山口駅」は「尾張山口駅」になっていた。
- 三河豊田駅を境に豊橋方面と名古屋方面の列車が運行されていた。
- その場合は大垣車と神領車の混合状態になっていた?
- 名鉄の三河線、豊田線、瀬戸線と競合するので忠実よりこちらに流れていた。
- 或いはモーダルシフトの影響で名鉄共々増えて車依存率の方が減るかも。
- 複線になっていた。
- 複線化だけでなく、三河豊田駅、四郷駅、瀬戸市駅あたりも島式2面4線化していた。
- 静岡から高蔵寺に愛環経由でいく列車があった。
- 利用者が物凄く増加していたのでホームの有効長を全駅8~10両化していた。
- トヨタ自動車の自動車輸送は2020年時点でも行われていた。
- 城北線同様、名古屋駅を避けるルートとしての役割を持っていた。
- 豊田市から名古屋を結ぶ輸送量増強の為、全線複線化を行っていた。
- 勿論、岡崎駅も双方向が分岐できる構造に変わっていた。
- 路線名は某自動車会社に合わせて豊田線にしていたかも。
- 電車特定区間に名古屋エリアがあった場合、編入されていた。
- 103系電車、311系電車が走行する光景を見ることができた。
- 豊田市か瀬戸市に貨物ターミナル駅が設置されていたかもしれない。
- 大門、新上挙母、(愛環)梅坪、貝津駅は存在しなかったかもしれない。
- 「(あさ・ゆう)シャトル」なんて列車は存在しなかった。
- 名古屋~豊田市間、大曾根~瀬戸市間が特定運賃区間だった。
- 快速列車が設定されていたかもしれない。
- 瀬戸市、八草、新豊田、三河豊田の各駅に「JR全線きっぷうりば」が設置されていた。
- 路線記号はCOになっていた。
- 列車ダイヤは他線とは違って平日ダイヤと土休日ダイヤの二本立てではなく、トヨタカレンダーに合わせて平日ダイヤ・土曜日曜ダイヤとは別に「祝日ダイヤ」(平日ダイヤと土曜日曜ダイヤの中間的なもの)が設定されていた。
伊勢線(現・伊勢鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 当然JR-Cのままで別料金加算などありえない。
- 起点も南四日市のまま。(但し現実通り全列車が四日市乗り入れ)
- 紀勢本線(津~多気間)・参宮線とセットで直流電化される。
- 特急「ワイドビュー南紀」は383系、快速「みえ」は313系で運転される。
- 多気以南は非電化のままだろうから、史実通りキハ85系では?
- 参宮線も電化されていた場合、313系8000番台がこちらにも投入されていた。
- 複線化も伊勢鉄道線内は全区間行われていた。
- 紀勢本線の津~多気と参宮線のかつて複線だった区間が複線に戻される。
- 特急「ワイドビュー南紀」は383系、快速「みえ」は313系で運転される。
- 近鉄との対抗意識丸出し!?
- 近鉄側はさらにJRに利用客が奪われていた。
- 普通列車はキハ11系を使用している。
- 電化したならば313系の短編成。
- 今頃はキハ25系に置き換えられている。
- ひょっとしたら紀勢本線に組み込まれ、亀山~津間は「紀勢本線亀山支線」となっていたかもしれない。
- 少なくとも運行系統上はそれに近くなっている。
- 運行系統を考慮すると寧ろ関西線の支線なのでは?
- 今からJR東海が伊勢鉄道を吸収合併した場合、結構利用者からは好評かもしれない。
- 代わりに名松線が廃止もしくは三セク化されていた。
- 三セク化されても2009年の台風により、少なくとも家城以遠は廃止されていた可能性が高い。
- このような柔軟な姿勢だった場合、運賃体系も特例で幹線扱いだっただろう。
- 上述した通り、そもそも紀勢本線の一部かもしれないが。
- そもそも国鉄はこのような短絡線にあまり興味がなく、鈴鹿経由だった列車をわざわざ亀山経由に変えるなどといったことをやっていたらしい。
- TOICAが鳥羽あたりまでは使用可能になっていた。
- 関西本線四日市~亀山間、紀勢本線津~多気間、参宮線も同時に利用可能になる。
- ということは紀勢本線や参宮線にも駅番号が導入されていた。
- 路線記号は伊勢線・紀勢本線(津~多紀)・参宮線が「CK」、紀勢本線(亀山~津)が「CL」となっていた。
- 名松線もか?
- ということは紀勢本線や参宮線にも駅番号が導入されていた。
- 関西本線四日市~亀山間、紀勢本線津~多気間、参宮線も同時に利用可能になる。
- 鈴鹿駅はもう少しまともな駅舎になっていたはず。
- 河原田~津間の運賃が亀山経由の利用でも伊勢線経由を適用。当然伊勢線絡みの運賃体系の簡略化にもなる。
- ジャパンレールパス、青春18きっぷ絡みの車掌の車内精算の手間が省ける。
- 近鉄名古屋線の利用客は現実以上にJRに流れていた。
- キハ75に中間車が登場していた。
- 全線複線化も実現していただろう。
- 関西本線の名古屋~四日市の完全複線化も実現していた。
- それどころか四日市〜柘植間と草津線全線が複線電化され、東海道線の裏経路として確立していた。
- 関西本線の名古屋~四日市の完全複線化も実現していた。
- 津以南の利便性があがるので、松阪駅や津駅、伊勢市駅は近鉄共々、高架化された。
- 改札口も当然分離される。
- 近鉄との競合がより一層強まる。
- 河原田~津までの別料金がなくなる為、運賃がかなり下がっていた。
- 18きっぷ利用時も現金520円を持っておく必要はなくなっていた。
- 勿論、JRも本数を増やす為、伊勢線全線と紀勢本線津駅〜松坂駅まで電化していた。
- 更に近鉄との競合を強化する為、関西本線名古屋〜河原田間、伊勢線全線、紀勢本線津駅〜松坂駅を複線化していた。
- 近鉄との競合の影響で関西本線もJR東海管轄エリアは全線複線化していた。
- 東海道線と同様、普通が2本・快速が2本・新快速が2本の体制となっていた。
- 快速と新快速との違いは、中瀬古や高茶屋、田丸に停車するか否か。
- 河原田~津までの別料金がなくなる為、運賃がかなり下がっていた。
- 名古屋近郊区間が存在していたら、津までは間違いなく組み入れられていた。
越美南線(現・長良川鉄道)[編集 | ソースを編集]
- おそらくキハ11が導入されていた。
- 郡上八幡あたりまで特急が運転されていたかもしれない。
- 愛称は「おくみの」か?(同名の急行が国鉄時代に存在したので)
- 観光列車「ながら」は登場しなかった。
明知線(現・明知鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 気動車の墓場になってた。
- TOICAを導入していた。
- 飯沼駅・野志駅・極楽駅は設置されていなかった。
JR西日本[編集 | ソースを編集]
富山港線(現・富山地方鉄道富山港線)[編集 | ソースを編集]
- 富山駅高架化に合わせて史実の鉄軌分界点まで高架化されていた。
- そもそも移管のきっかけとなった富山駅の高架化計画自体存在しないのが前提。
- 富山市の政策で高山本線に新駅が作られたので、史実並みとはいかずとも増便や新駅設置が行われていたかもしれない。
- 但しJRが相手だとそこまで自由に政策を立てられないので、フィーダーバスは運行されない。
- セントラムは史実通り開業するが、電停が富山駅高架下に新設されたかどうか怪しい。
- 宇都宮でもライトレールへの反対が史実よりも強くなり、計画自体頓挫していたかもしれない。
七尾線・能登線(現・のと鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 電化され「サンダーバード」「しらさぎ」が和倉温泉以北に直通していた。
- 非電化だとしても「花嫁のれん」のような観光列車がもっと早くから運行されていた。
- 穴水~輪島・蛸島間は廃止されなかった。
- 「サンダーバード」「しらさぎ」に輪島・蛸島発着が生まれていた。
- 金沢に直通する列車が運行されるので利用客は比較的多くなっている。
- 駅名標がJR西日本仕様になっていた場合、輪島駅の「シベリア」の表示を残すかどうかで議論になっていた。
- 能登空港の建設が実現しなかった可能性あり。
- 七尾線の穴水以北の廃止が建設の条件だったとされている。
- 場合によっては石川県内の路線が全線電化されていたかも。
- 能登半島の過疎化が現実ほど進まなかった。
信楽線(現・信楽高原鐡道)[編集 | ソースを編集]
- 1991年の衝突事故はなかった。
- 事故原因の一つにJRと信楽高原鐡道の連絡不備があった。
- 草津線への直通運転も健在。
- 民営化後に電化したなら臨時快速列車世界陶芸祭しらがき号は183系あたりが使用されていた。後1991年の衝突事故がなければその後も世界陶芸祭しらがきはずっと一年に一回行われている。
- 民営化後に電化され、車両は草津線と共通運用となっていた。
- 朝夕には大阪・京都~信楽間直通快速も運転される。
- 石山~信楽を結んでいた帝産バスは現実よりも早く廃止されていた。
宮津線(現・京都丹後鉄道宮津線)[編集 | ソースを編集]
- 全線電化されていたかも。
- ローカル列車には125系電車が投入されていた。
- 当然ながら「タンゴエクスプローラー」や「タンゴディスカバリー」といった名前の特急はない。
- どちらかに相当する特急が「丹後」と名乗っていた。
- 福知山〜豊岡間を宮津経由で運転するのが「丹後」宮津に行く特急が「丹波」と名乗っていた。
- 宮福線は現実通り第三セクター鉄道として開業。
- 社名も「宮福鉄道」のままだった。
- そして史実通りWILLER TRAINSへ。
- 大阪~宮津・天橋立の直通特急は今も残っていた。
北条線(現・北条鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 加古川線電化と同時に電化されていた。
- 加古川~北条町間の直通は健在。
三木線(現・三木鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 加古川線電化と同時に電化され、加古川~三木間に直通電車が運行されていた。
- 上の北条線も同時に電化されていたら、列車本数の多い加古川~厄神間は複線化されていたかもしれない。
- 三木から神戸・大阪方面に出るのに加古川駅で新快速に乗り換えるのが一番速いルートとなっていた。
- 神戸電鉄粟生線は史実よりも早く利用客の減少に見舞われていた。
- 加古川〜三木・北条町間を6両化し加古川でスイッチバックの上大阪・京都方面に直通する全線快速の播磨路快速なる列車ができていたかもしれない。
岩日線(現・錦川鉄道)[編集 | ソースを編集]
- とことこトレインの運営主体が岩国市(合併前は錦町)になっている。
- 岩日北線が開業していてとことこトレイン自体がない。
- 御庄駅が「新岩国駅」に改称されている。
- 乗り換えの便がもう少し図られている。
- もちろん山陽新幹線の駅と同じ駅であるとみなされている。
- 岩徳線同様キハ40やキハ47が走っている。
JR四国[編集 | ソースを編集]
中村線(現・土佐くろしお鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 普通列車は当然土讃線(高知方面)からの直通で占められる。
- 特急「南風」が直通する。
- 窪川~若井間の別料金(200円)は当然存在しない。
- 「青春18きっぷ」利用者が別料金に面食らうこともなくなる。
- ということは、JR四「中村線」のままってこと??
- あるいは宿毛延伸で改称?
- そしたら「宿毛線」になってまうやんけ!?
- いっそ土讃線に統合すればいいと思うが、「内子線」を残しているJR四国のことだからなあ…
- 中村線・宿毛線に関しては一見大きな差は見られない。
- 2005年の宿毛駅特急衝突事故は発生しなかった。
- 果たしてごめん・なはり線はどうなっていたことか…。
- 奈半利まで国鉄→JR線ということになるので、高知県が別の三セクを作って室戸・阿佐東線への延伸を構想していたかもしれない。
JR九州[編集 | ソースを編集]
松浦線(現・松浦鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 史実ほど駅は多くなかった。
- 佐世保中央駅は中佐世保駅の移転という形での開業になっていたかも。
- しかし新駅は結構できていたと思う。
- 佐世保から平戸口まで特急が乗り入れていた。
- 伊万里からの乗り入れも健在か?
- 伊万里駅は下に道路を通すために高架化されていたかもしれない。
- 伊万里からの乗り入れも健在か?
- 当然ながら佐世保駅が「JR最西端の駅」になることはなかった。
- 平戸口駅に「JR日本最西端の駅」の標柱が立っていた。
- 今でも佐世保線と直通していた。
高千穂線(旧・高千穂鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 2005年の台風後も復旧された。
- 知事が「どげんかして運行を再開せんといかん」と言うまでもない。
- 日南線の観光特急「海幸山幸」にはキハ40系の改造車が使用されていた。
- 宮崎空港~高千穂間に直通特急が運転されていた。
甘木線(現・甘木鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 西鉄と対抗する為、甘木始発の快速が運行された。
- 西鉄の競合強化の為、忠実通り小郡駅は西鉄付近に移設。
- 博多駅~甘木駅間を運行する優等列車が大幅に増えていた。
- 門司港行きがあった。
- 西鉄対策の為、複線電化された。
- 電化された場合、817系か819系が導入される。
- 福岡空港の建設場所が旧大刀洗飛行場だったらあり得た。
- 鹿児島線の支線扱いだったらこうなった。
田川線(現・平成筑豊鉄道)[編集 | ソースを編集]
湯前線(現・くま川鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 佐土原までつながり肥薩線八代~人吉間も電化されていたらこうなれたかも。
伊田線(現・平成筑豊鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 「あかぢ駅」は開業しても「赤地駅」だった可能性大。
私鉄[編集 | ソースを編集]
弘前電気鉄道大鰐線(現・弘南鉄道大鰐線)[編集 | ソースを編集]
弘南鉄道大鰐線は元々弘前電気鉄道という会社だった。しかし赤字のため弘南鉄道に買い取られた。もし弘前電気鉄道だったらどうなってたんだろう
全般[編集 | ソースを編集]
- 社名がそのままなら広電と紛らわしくなる。
- 弘南鉄道で発売している『大黒様きっぷ』は、発売されてない。(大黒様の『大』は大鰐の『大』が由来の為。)
陸奥鉄道と合併した場合[編集 | ソースを編集]
- 陸奥鉄道はもはや開業当初から電化されてた。
- 平成に入ると自社で作った新型車両を走らせた。
- さらに岩木町や西目屋村と路線を広げてく
- 津軽鉄道も併合し電化。
- そもそも1927年に国有化された会社と1949年設立の会社がどう合併しろと?
- プロ野球で例えるなら南海と楽天が公式戦で顔を合わせるようなもの。
さらに弘南鉄道や十和田観光電鉄と合併した場合[編集 | ソースを編集]
- さらに路線は広がり東北一の大手私鉄になる。
- 弘前ー三沢間に路線が出来、列車本数は増えてた。
- 2012年現在でも弘前と県南が乗換無しで行けていた。
- 十和田湖を経由すれば、当然弘前や黒石から十和田湖まで乗換無しで行けている。
- もちろん、十和田市街地からもバスやマイカーよりも早く行けていた。
- 三沢空港へのアクセス線も作られる。
- さらに八戸まで伸ばされていたかもしれない。
- 下手したら、岩手県北の鉄道空白域にまで延伸していたかもしれなかった。
- 全盛期の北陸鉄道のように各路線が国鉄(→JR)線を介して繋がっているイメージになるのでは。
- 弘前ー三沢間に路線が出来、列車本数は増えてた。
- JRはもはや負けた。
- 東北新幹線新青森開業まで走っていた特急つがる(弘前~青森~八戸)は、快速列車として運行していた。
- JRバス東北の十和田北線も減便または廃止になっていた。
- 青森から十和田湖に公共交通機関で行くにはバスというイメージが消えていた。
- その故、十和田東線も無かった。
- 大畑線の移管先はもちろん大間線の開通を押し付けられている。また奥羽本線、東北本線、新幹線を残して全部青森鉄道に売却している。
- 青森から十和田湖に公共交通機関で行くにはバスというイメージが消えていた。
- その故、JRは対抗策として在来線へのSuicaの導入や東北新幹線新青森開業後も東北本線はJRでの運営を続けていた。
- 青森駅はカオス駅になっていた。
- 十和田観光電鉄の廃止も無かったか、あるいは遅れていた。
- 南部縦貫鉄道も吸収されていた。
- 社名は「青森鉄道」とかになっていた。
社会福祉法人こどもの国協会(現・横浜高速鉄道こどもの国線)[編集 | ソースを編集]
- 正確には所有施設の譲渡(運行は東急で変わらず)ですが、便宜上ここで考えます。
- 通勤線化されないことが前提。
- どこかのタイミングで、運賃が距離制になることが検討される。
- 未だに休園日ダイヤが存在し、横浜市内とは到底思えないようなダイヤが続いている。
- 日々直廃止で余った1000系が3連で走っている。
- 日本航空の経営破綻かコロナ渦といった東急の経営難の時期に恩田への回送線を残してバス転換されていた可能性がある。
名鉄渥美線(現・豊橋鉄道渥美線)[編集 | ソースを編集]
- 運行本数は現実より少ない。
- 名鉄の豊橋側のターミナルが「新豊橋」になっていた。
- 後に「名鉄豊橋」に改名。
- 昇圧は実施されていただろうか。
- 東急の車両は運行されていなかった。
- 豊橋鉄道は豊橋交通のままだった。
- 路面電車である東田本線の運営に力を入れていた。
富山市営軌道(現・富山地方鉄道富山軌道線)[編集 | ソースを編集]
- 1960年代に全廃構想が出るが何とか阻止。
- 射水線分断時に市電編入が議論された。
- 富山港線はライトレールのままだったかもしれない。
- むしろ市電に編入されていただろう。
- 組織名は後に「富山市交通局」となっていた。
- 富山市は市営バスも運行していたかもしれない。
加越能鉄道高岡軌道線・新湊港線(現・万葉線)[編集 | ソースを編集]
- 万葉線への転換が無いとなると、廃止スレスレの状態で細々と運営しているとしか思えない…。
- 加越能バスへの社名変更こそ行われないが、事実上鉄道事業はオマケ以下の扱いになっていた。
- アイトラムの導入や高岡駅前停留所の移設もなく、「富山と違ってロクな経営努力をしていない」などと言われていた。
- 両備グループに譲渡するという噂が1回は出ていた。
- もしかしたら富山ライトレール同様に再び富山地方鉄道の路線になっていたかも。
- 越ノ潟~蓮町間を繋げる構想が出てきそう。
富山地方鉄道高岡軌道線・新湊港線(現・万葉線)[編集 | ソースを編集]
- アイトラム導入など現実と大差ないかもしれない。
- 富山ライトレールを買収して交通一元化すべきという声が上がるかも。
- 吸収合併されました。
- 射水線の廃止&分断はなかったかも。
- 加越能鉄道は設立されなかった。
近鉄北勢線(現・三岐鉄道北勢線)[編集 | ソースを編集]
- 今も冷房車は1両も運行されていない。
- 駅の整理・統廃合やスピードアップは行われていなかった。
近鉄内部・八王子線(現・四日市あすなろう鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 北勢線が経営転換されていなければこちらにも可能性はあったかもしれない。
- とは言え線路自体は四日市市が保有する上下分離方式になっていたという可能性もある。
- 四日市市が車両購入費用を負担する羽目に。
- 路線記号は確実に逼迫する。
近鉄養老線(現・養老鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 桑名駅での中間改札は存在しなかった。
- 東急7700系を購入することはなかった。
近鉄伊賀線(現・伊賀鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 養老鉄道の場合と同じく、伊賀神戸駅は今でも改札内で乗り換えが可能。
- 860系を置き換える際東急の車両を購入するという選択肢は生まれなかった。
- 一編成は2022年度までに余剰が発生しなかったため2022年度まで860系が運転していた可能性も。
- いずれはICOCAが使えるようになっていただろう。
京福電気鉄道福井鉄道部(現・えちぜん鉄道)[編集 | ソースを編集]
- 2000年と2001年に起こった正面衝突事故が起こっていなかったことが前提。
- ということは、ATSの義務化など安全対策が現実よりも遅れていた可能性もある。
- それでも福知山線脱線事故をきっかけに義務化された。
- ということは、ATSの義務化など安全対策が現実よりも遅れていた可能性もある。
- サービスは現実よりも悪いままだった。
- 車両の置き換えも進んでいなかったかも。
- 置き換えが行われていたとしても、親会社京阪の中古車が入っていた可能性がある。
- 阪神の中古車かもしれない。
- 福井鉄道同様低床車を導入しても「ki-bo」ではなく嵐電から中古車を譲り受けていた。
- 置き換えが行われていたとしても、親会社京阪の中古車が入っていた可能性がある。
- 女性アテンダントは存在しない。
- 車両の置き換えも進んでいなかったかも。
- 車両の塗装は今も京都バスなどと同じもの。
京福電気鉄道叡山本線・鞍馬線(現・叡山電鉄)[編集 | ソースを編集]
- デオ700・800型は嵐電と同じくベージュとグリーンのツートンカラーで登場していた。
- 最近になって紫一色に塗装変更。
- 2013年現在ICOCA・PitapaなどのICカードの利用が可能になっている。
- 「きらら」は登場していなかった?
- 「ひえい」も。
- 嵐電北野線を北野白梅町から出町柳まで延伸する計画が起こる。
- 嵐電と叡電を共通で利用できる1日乗車券も発行されている。
大阪港トランスポートシステムテクノポート線(現・大阪市高速電気軌道)[編集 | ソースを編集]
大阪市営地下鉄中央線の大阪港~コスモスクエア及びニュートラム南港ポートタウン線のコスモスクエア~中ふ頭は当初大阪港トランスポートシステム(OTS)の路線として建設されましたが、2005年に施設はOTS社が保有したまま運営は大阪市交通局に移管されました。もしこの移管がなかったら。
- 運賃は現在でも大阪市交+OTSの合算となり高いままだった。
- 南港地区は現実以上に発展しなかった。
- 大阪府庁のWTC移転計画はなかったかも。
- 南港地区は現実以上に発展しなかった。
- コスモスクエア駅の中間改札は今も存在する。
- 中央線を走る青い電車は今も健在。
- けいはんな線学研奈良登美ヶ丘延伸に伴うワンマン化、スピードアップ対応工事も行われていた。
- 谷町線への転属は別の車両で行われた。
- 南港へのアクセス向上のため、どこかのバス会社が梅田や難波などから直行バスを運行していたかも。
- 市営地下鉄民営化時に一緒に大阪市高速電気軌道に編入されたかもしれない。
- それでもコスモスクエア-大阪港間は「鉄道」のまま。
- それとともに史実通り運賃値下げが実施されていた可能性が高い。
京阪電気鉄道和歌山支店(旧・南海和歌山軌道線)[編集 | ソースを編集]
- 京阪は1922~30年の8年間、後の南海和歌山軌道線となる路線も運営していましたが…。
- 戦時統合で京阪は南海・奈良電・関西急行電鉄と合併していた。
- 終戦を機に史実通り南海の路線になる一方、新京阪線は京阪の路線として存続。
- 戦後も京阪の路線だった場合、大津線の中古車がこちらに飛ばされていた。
- 一方で史実通り廃止されてしまうと大津線(特に石山坂本線)の存続も危うくなる。良くて分社化、最悪の場合90年代に廃止となっていた可能性も…。
- 貴志川線が南海ではなく京阪の路線になっていた可能性もある。
- その場合、車両は京阪線の中古が入っていた。史実では昇圧で廃車になった車両も一部が狭軌化の上こちらに転入していた。
- それでも和歌山電鐵に移管されるのは史実通りだろう。
- いずれは子会社に移管されていた可能性もある。
- 和歌山駅に京阪百貨店が入居していたかもしれない。
- 阪和電鉄を標準軌で開業させることが出来ていたかもしれない。
- そうなっていたら南海本線の方が国有化されていた。
南海貴志川線(現・和歌山電鐵)[編集 | ソースを編集]
- 「たま駅長」は存在しない。
- 単なる駅前商店の飼い猫だった。
- 史実通り有名になっても貴志駅舎や電車に猫をあしらったものになるわけない。
- その場合南海電鉄が本線・高野線でもたま駅長のPRを行っていた。「南海電車まつり」など南海電鉄のイベントにも参加していたかも。
- 他社における動物駅長ブームもなかったかもしれない。
- 水戸岡デザインの車両も登場していなかった。
- その場合南海加太線の「めでたいでんしゃ」も登場しなかった。
- 現在も利用客数の減少に悩まされていた。
- JR紀勢本線和歌山市〜和歌山間の南海移管が真剣に検討されていた。
- 実現した場合路線名はひっくるめて「南海貴志川線」になるが、区間運転も存在しただろう。
- その場合南海所属の2200・2230系が何編成か貴志川線に移籍していた。
- 実現した場合路線名はひっくるめて「南海貴志川線」になるが、区間運転も存在しただろう。
- 現実とは異なり全国共通ICカードシステムの導入が実現していたかも。