もしあの鉄道路線の電化が○○だったら
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全般[編集 | ソースを編集]
戦前の国鉄路線の電化計画が実現していたら[編集 | ソースを編集]
戦前の国鉄は電化が進みませんでしたが、大正10年には後藤新平鉄道院総裁が東海道線全線電化を打ち出すなど国鉄路線の電化計画はありました
- 昭和初期には東海道本線の全線電化が実現していた。
- 山陽本線も戦前のうちに岡山辺りまで電化されていた。
- 常磐線を除く全国の主要幹線は直流電化になっていた。
- 交流電化は常磐線と水戸線と新幹線ぐらいしか導入されなかった。
- 西日本の電化路線は直流電化になっていたので415系は最初から60Hz非対応だった。
- というか、そもそも421系。423系は存在しなかった。
- 蒸気機関車の淘汰が史実より早く進み、保存運転の機運が高まらなかったかもしれない。
- 例・現実でも蒸気機関車と同時期に作られていただろう蒸気動車や電気機関車の保存運転が皆無なので。
- 63系電車やEF13電気機関車の製造量数は多かった。
- EF30,ED72,ED73,ED76は存在せず、EF15のお古で賄われた。
- 電車で長距離運転を行う構想はやはり出ていた。もしかすると関西急電の運行範囲は現実の新快速と同じ規模だったかもしれない。
- 湘南電車も戦前には登場していたかも。
- 戦中・終戦直後には電力不足・電気設備破壊の影響をモロに受け、ダイヤ・車両の復旧が遅れた。
- 広島辺りでは被爆国電があったかもしれない。
- 国鉄・JRを「汽車」、私鉄や路面電車を「電車」と呼び分ける地域が減っていた。
在来線の電化方法が全て直流電化だったら[編集 | ソースを編集]
新幹線と青函トンネル以外に日本には交流電化区間がない、茨城県内の地磁気観測所周辺は直直デッドセクションで対処していたという前提で
全般[編集 | ソースを編集]
- 在来線の交流・交直流電車は存在しない。
- ただし、標準軌の田沢湖線と奥羽本線新庄以南のみは交流25kVになっていた。
- 583系が419系・715系になることはなかった。ついでに言えば583系も直流専用車両になっていた。
- それでも2016年以前は青函トンネルも直流電化だった。
- EH800型は直流1500V/交流25kV (50Hz)の交直流電気機関車になっていた。
- むしろEH800形自体がEH500形として登場している。
- EH800型は直流1500V/交流25kV (50Hz)の交直流電気機関車になっていた。
- 地磁気観測の人工衛星が出来ていたかも。
羽越本線[編集 | ソースを編集]
- 恐らく全線複線化され高速化していた。
- 交直流を跨ぐ区間で気動車の使用はなかった。
東北本線[編集 | ソースを編集]
- 宇都宮駅〜郡山駅間の運用が存在していた。
- 仙台地区は仙山線以外が直流なら仙石東北ラインは直流電化されていた。
磐越西線[編集 | ソースを編集]
- 会津鉄道が全線直流電化され、会津若松以西は全て直流化されていた。
- 東武特急も会津若松駅から新宿駅に向かって運行されていた。
- 北陸本線も直流化していた場合、茨城以外の会津以西の本州、四国は直流区間となる。
茨城県内[編集 | ソースを編集]
若干もし柿岡に地磁気観測所がなかったらと内容が被りますが
- 鉄道車両は全て他地域からのお古になっていた。
- 国鉄水戸と揶揄される。
- 常磐線の電車も湘南色になっていた。
北陸地方[編集 | ソースを編集]
- 史実よりも早く新快速の敦賀乗り入れが実現していた。
- 場合によっては福井駅まで乗り入れていた。
- 415系800番台は製造されなかった。
- 高山本線や大糸線の全線電化も実現していた。
- 北陸新幹線が開業しても並行在来線として分離されることはなかった。
- 特に福井駅以南はアーバンネットワークに組み込まれていた。
- 高山本線や越美北線、大糸線などが電化されてた可能性も。
- JR西日本の在来線所有車は全て直流電車だった可能性も。
- その場合、521系は製造されない。
- 福井駅以北は広島地区の227系の耐寒仕様。以南は223系や225系などの車両が運行されていた。
- その場合、521系は製造されない。
関門トンネル[編集 | ソースを編集]
- 博多方面から下関への直通列車の本数が増えていた。
- それとともに下関以東に直通する列車が今も存在している。
- 史実の北陸地区で活躍している521系が、真っ先に関門及び広島県西部及び山口県地域に投入されていた。
- サンライズゆめが小倉か博多まで延伸運転されていた。もしくは「あさかぜ」がサンライズ車両で継続されていた。
- それとともに下関以東に直通する列車が今も存在している。
- JR西日本とJR九州の会社境界は徳山駅か新山口駅になっていたかも。
- 門司駅になっていた。
九州地方[編集 | ソースを編集]
- 唐津線も電化されていた。
- 熊本電気鉄道とJRの相互乗り入れも実現していた。
福北ゆたか線[編集 | ソースを編集]
- 福岡市営地下鉄空港線の乗り入れが行われていた。
- 若松線の電化と折尾駅にデッドセクションが出来ていた。
- 福岡市内にデッドセクションが作られる可能性も。
山形・秋田新幹線[編集 | ソースを編集]
- 直流電化区間に直通できるミニ新幹線車両が開発されていた。
- フル規格で建設か、あるいは北越急行みたいな高速狭軌線になっていたかも
非電化だったら[編集 | ソースを編集]
全般[編集 | ソースを編集]
- 特急列車は衰退していた。
常磐線(取手以北)[編集 | ソースを編集]
- 電化しない理由はもちろん気象庁地磁気観測所。
- 最近までキハ30が走っていた。
- 主要路線であることを考えると勝田までの運用は民営化直前に新車に置き換わっていた。
- となると、キハ38。最近になって専用の気動車で置き換え。
- むしろ新潟NDC(というか関鉄キハ2100)風の4ドア気動車が10両編成で導入されてた。
- となると、キハ38。最近になって専用の気動車で置き換え。
- 主要路線であることを考えると勝田までの運用は民営化直前に新車に置き換わっていた。
- 「スーパーひたち」「フレッシュひたち」こそ存在しないものの、専用の特急用気動車が開発されている。
- それまではつい最近までキハ181系だった。
- E501系は存在しない代わりに別の通勤用気動車が導入される。
- これが209車体だったりして。
- 逆に平以北の無煙化が早まった可能性もある。
- 直流か交流かは別にして、流石に土浦までの電化は実現している気がする。
- 水戸線も非電化になっていた。
- 水戸線が電化されていたとしたら、おそらく非電化になっているのは水戸or勝田以北だけになる。
- 15両で走るディーゼル普通列車(グリーン付)が開発される
- 形式名はキハ231系あたり
- 莫大な燃料を消費するのが問題になり、ハイブリッド気動車や蓄電池式電車が早期に導入される。
- 「主要幹線なのに非電化とは何事だ」と問題になる。
- 特に茨城県は毎年JRに電化要望を出している。
- 関東鉄道常総線が取手~の列車が気動車であることをいいことに、上野東京ラインを経由して品川まで直通する。
- つくばエクスプレスの利用者が史実より若干少なくなる。
- 仙台近郊で電化の動きが出そう。
- 取手を境に運行系統が変わる。
- 最高速度130km/hの気動車特急が上野まで乗り入れる。
相模線[編集 | ソースを編集]
- 神奈川県が全国初の全線電化都道府県になることはなかった。
- 全国で初めて全線電化されたのは奈良県では?(相模線は1991年電化に対し奈良県は1984年に関西本線・和歌山線の電化で全線電化達成)
- 確かに全線電化は奈良のほうが早いが、かすがの定期運用が2006年まで残っていたから、定期列車の完全電化は神奈川が初。定期列車が完全電化された順は、神奈川→東京→沖縄→奈良。
- 全国で初めて全線電化されたのは奈良県では?(相模線は1991年電化に対し奈良県は1984年に関西本線・和歌山線の電化で全線電化達成)
- 海老名駅のららぽーとの前に、気動車が走っているってギャップが…
- 八高線よりも近い非電化路線になっていた。
- 車両は八高線と同じキハ110系が使われている。
- 高崎~茅ヶ崎直通列車もあるかも。
- 電化計画がなかった場合、真っ先にキハE130系の導入対象になっていた。
- あるいはEV-E301系がこちらにも導入されている。
- もしくはE131系ベースの電気式気動車(仮称GV-E410系)がやってきいる。
川越線[編集 | ソースを編集]
- 西大宮駅はあっても別の駅名になっていた。
- 埼京線直通はあり得ない。
- 埼京線ICE破壊は無かったか?
- LCDでは?
- 高崎線への直通が実現していたかも?
- 埼京線ICE破壊は無かったか?
- 日進駅の橋上駅化は無かった?
- 今でも日進駅・指扇駅は南古谷駅とほぼ同じ駅舎だった。
- 現在の車両はキハE130系オールロングシート車。
- 西区は現在以上にド田舎に。
- 多分八高南線も非電化のまま。
- 川越西線(川越〜高麗川)
- 八高南線は電化されていない。
- 八王子直通はあっただろう。
- ダイヤ体系にしても史実とさほど変わらないはず。ただ日中は1時間2本に減便されていたかも。
- ワンマン化が早まっていた。
八高線(八王子~高麗川)[編集 | ソースを編集]
- 今でも気動車が八王子~高崎を直通運転している。
- 八高線の「高」は高麗川の高だと勘違いされることはなかった。
- 中央線との直通運転はなかった。
- 一時的に女性専用車が導入されることもなかった。
- 東京在住のローカル線マニアは大喜び。
- 川越線と併せて八王子〜大宮間の直通列車もあった。
- 大宮~(スイッチバック)~小川町という列車もあったかも。(高崎は高崎線で行けるため微妙)
両毛線[編集 | ソースを編集]
- 八高線高麗川~高崎とともに大回り乗車で乗れる非電化路線になっていた。
- 高崎線が一部乗り入れる高崎~前橋だけ電化されていた。
- アニメ日常に気動車が登場していた。
- もしかしたら魔法少女まどか☆マギカにも。
- 車両は八高線と同じキハ110系が使われている。
- 場合によっては地方交通線になっていた。
- 東武伊勢崎線末端はもう少し本数があった。
- 伊勢崎行き特急も2時間ペースであった。
- 高崎線からの乗り入れなどない。
- 前橋市が「県庁所在地なのに非電化とは何事だ」と問題視し、2.のように前橋までは電化されていたのでは。
水戸線[編集 | ソースを編集]
- 八高線高麗川~高崎とともに大回り乗車で乗れる非電化路線になっていた。
- 車両は水郡線で使われたキハ110系か、烏山線で使われるキハ40形1000番台。
- 令和に入るとキハE130系が入線している。
- 場合によっては地方交通線になっていた。
- 真岡線の三セク化直前まで直通列車があった。
- 下館 - 小山間には関東鉄道の気動車も乗り入れていた。
東海道本線[編集 | ソースを編集]
- 全線非電化だったら
- 国鉄→JRの電化は進まず、一部を除いて非電化だった。
- ≒動力近代化計画がなかったらである。
- もし日本の鉄道が標準軌に改軌されていれば、非電化のままか交流25kVで電化されていたかのいずれかとなり、貨物列車優先で旅客列車は不便になっていた。
- 沼津〜京都間のみ非電化だったら
- 史実上はこの区間のみ戦後に電化されています。
- キハ80系が史実より早く開発されていた。
- 新快速には当初キハ55系やキハ58系の冷房化車両が使用された。
- その後キハ66・67の4両固定・110km/h仕様車が京阪神地区と名古屋地区に集中投入された。
- 飯田線は電化撤去された。
- 身延線も電化撤去された。
- 中央西線や関西線も電化されなかった。
- 山陽本線の西明石〜下関間も非電化のまま。あるいは瀬野八がある広島周辺のみ電化。
- 御殿場線は小田急のために電化されたが分民化後はJR東日本保有となっていた。
- 湖西線も非電化開業していた。
- 一応四国管内と九州管内は電化されたが、九州は直流電化となっている。
- 北海道の札幌圏内は史実通り交流電化された。
- 東北本線の大宮以北も電化されていない。
- JR西日本やJR東海の新快速には極めて早い段階で超高性能電気式気動車が投入されていた。
- 挙句の果て最高速度も140km/hとなっていた。
- JR東海はJR旅客6社の中で唯一在来線電車を保有しない会社になっている。
- JRの在来線電車が来ない都道府県に愛知、岐阜、三重も含まれている。
- JR東海は後に在来線の車両が気動車に統一されていることになる。
- この場合、国鉄→JRの電化区間は首都圏・関西圏や長大トンネル・急勾配が絡む路線に限られたままだった。
- EF58は上越線に集中投入される。
- EF60、EF61、EF65が登場せず、その分DD51の製造両数が多かった。
- EF66に相当する強力ディーゼル機関車が「DF51」として開発される。車体はDD54や新幹線911形に準拠。
- エンジンは16気筒のDMP81Zで、出力も4000psになっている。
- 史実で開発途上で終わったDF51も、DF52として製造されていた。
- DE50も量産化されていた他、DD53タイプの箱型機(仮称DD55)も計画・製造されていた。
- EF66に相当する強力ディーゼル機関車が「DF51」として開発される。車体はDD54や新幹線911形に準拠。
- ただし新幹線は電化開業された。
- アメリカのGE社やGM-EMD社から大量の電気式ディーゼル機関車を購入していた可能性もある。
- 狭軌鉄道の世界最高速度記録はクモヤ93ではなく液体式気動車が達成していた。
飯田線[編集 | ソースを編集]
- ワンマン列車が史実より多くなっていた
- 車両はつい最近までキハ40が使用されていた。
- 最近になってキハ25が導入されるも、オールロングシート車になっていた。
- キハ65-500番台が大幅に活躍出来ていた。ひょっとしたら、キハ181を使用して新宿~飯田間に特急列車が設定されていたかも知れない。新宿・名古屋・豊橋・長野・松本方面からの優等列車には、必ずグリーン車が設定されていた。
- 勾配路線用のキハ51・52のみならず、キハ53・54の寒冷地仕様が投入されていた。あと、キハ48も。ひょっとしたら、キハ40の勾配路線対応の強力型が開発されていたかも・・・。
- 7時間近くかけて走るオールロングシート長距離鈍行が誕生していたかもしれない。
- 飯田線を完全縦貫する長距離普通列車は、客車のみ。牽引機関車は、D51・DF50・DD51の何れか。旧型客車の完全引退と共に廃止されたのは不可避。ひょっとしたら、当線にも50系客車が投入されていたかも・・・。
- 客車の保管は、松本運転所であった。
- 完全気動車化及びJR発足以降は、普通列車が豊橋~中部天竜~飯田、飯田~伊那市~岡谷又は塩尻・松本間にそれぞれ分割されていたのは必至。
- 7時間近くかけて走るオールロングシート長距離鈍行が誕生していたかもしれない。
- 飯田か伊那市、豊橋辺りに飯田線用の気動車区又は機関区が設置されていた。
- 勾配路線用のキハ51・52のみならず、キハ53・54の寒冷地仕様が投入されていた。あと、キハ48も。ひょっとしたら、キハ40の勾配路線対応の強力型が開発されていたかも・・・。
- JR発足以降又は1985~86年辺りのダイヤ改正の時に、特急あずさ併結対応の特急用気動車が開発。そうでなければ、キハ181系自体の183系又は189系特急用電車併結対応改造が為されていた。中央道高速バスに対抗措置として。
- 豊橋ー小坂井間は単線になっていて名鉄との共用区間はなかったかもしれない。
- その場合、名鉄車の豊橋乗り入れは毎時2~3本に制限されていた。
- あるいは名鉄との共用区間だけ複線電化されていた。
- 特急伊那路はキハ75の急行として運転されていた。
- 史実通り特急に格上げされていたら、静岡県や長野県にも気動車特急が走ることになる。
- 「ひだ」「南紀」同様にキハ85系が導入される。
- 史実通り特急に格上げされていたら、静岡県や長野県にも気動車特急が走ることになる。
- JRになってから豊橋から最低でも豊川まで、もしかすると本長篠あたりまで電化されていた。
- 中央本線辰野支線の岡谷〜辰野間は、電化されているにも関わらず気動車の方が多くなっていた。
- 最初から国鉄による建設ならこうなっていただろう。
- その場合、駅間距離は現実よりも長かった。
草津線[編集 | ソースを編集]
- 関西本線の亀山方面からの直通が現在でも残っていた。
- 車両はキハ120では輸送力が不足するので、キハ40系が遅くまで残っていた。
- 最近になって223系車体の気動車に置き換えられている。
奈良線[編集 | ソースを編集]
- 京阪神から一番近い非電化路線としてファンの人気を集めていた。
- 車両は223系の気動車版に置き換えられている。
- 通勤輸送があるため3扉仕様。
- 関西本線亀山-加茂間もキハ120ではなく奈良線と共通の車両が使用されていた。
- いまだに近鉄京都線や京阪宇治線に対抗しえていない。
- それでもJR化後は高性能気動車投入や日中30分ヘッドの快速運転などのテコ入れが行われていた。
- 関西本線の奈良~木津間の電化は木津~加茂間と同時に行われた。
- 沿線住民の要望として常に「全線複線化と電化の同時実行」が挙げられている。
関西本線(大和路線区間)[編集 | ソースを編集]
- 大阪市内のJR線に非電化区間が存在していた。
- 大和路快速には223系の気動車版が運用されている。
- 加茂以東伊賀上野、亀山までの乗り入れも行われていた。
- 大阪環状線に気動車が乗り入れていた。
- 奈良・桜井・和歌山線も非電化だった。
- その場合奈良県内のJR線は電化区間が全く存在しなかった。
- 阪和線が電化されていた場合、なにわ筋線開業に合わせて新今宮~JR難波が電化される可能性が高い。
福知山線[編集 | ソースを編集]
- おそらく山陰本線園部 - 城崎温泉間、舞鶴線、小浜線、京都丹後鉄道宮福線も非電化。
- 多少の増発はなされたが、それでも気動車による運転だった。
- もちろん阪急宝塚線と神鉄三田線に勝てるわけがない。
- 福知山線脱線事故も発生しなかった。
加古川線[編集 | ソースを編集]
- ≒もし阪神・淡路大震災が発生しなかったらである。
- 関西本線の加茂~柘植間と同様、大阪近郊区間の大回り乗車で乗れる非電化区間として人気を集めていた。
- 車両はキハ40系の後、姫新線と同じキハ127系に置き換えられていた。
伯備線[編集 | ソースを編集]
- 山陰本線伯耆大山~出雲市も非電化のまま。
- 「サンライズ出雲」はなかった。
- あるいは寝台気動車となっていた。
- 代わりに智頭急行が電化され、サンライズ出雲は智頭急行経由になっていた。
- 伯備線の利用者数は激減し、場合によっては地方交通線になっていたかもしれない。
- 山陽新幹線岡山駅の乗降客数も減っていた。
- キサシ181の運用期間があと3年延びた。
- 急曲線多数で非電化では速度向上が至難な伯備線に代わり、南勝線がスーパー狭軌線として、公団凍結線から見直され、建設区間も備中高梁〜中国勝山〜山守間となり、当然、倉吉線も廃線が回避される。
- 伯備線を電化した方がはるかに安上がりだと思うが…
- ICOCAの山陰導入もなかった。
- 特急やくもの置き換えにもキハ187系が投入されていた。
- さらにはやくも用のキロ187も登場していた。
- 鳥取県も電化のない県として注目されていた。
- 島根県の一畑電車も電化撤去、あるいは廃止されていた。
本四備讃線[編集 | ソースを編集]
- 四国の電化区間はなかった。
- JR四国はJR6社で唯一電化路線の無い会社だった。
- 場合によっては西日本にまとめられていた可能性もある。
- JR四国はJR6社で唯一電化路線の無い会社だった。
- マリンライナーはキハ58だった。
- 間合い運用で急行つやまとして使われていたためぼったくり批判は小さかった。
- むしろ2000系タイプの指定席が連結されていた。
- 置き換えにはキハ126系を2エンジンタイプにしたようなものが使用された。
- 「瀬戸」は岡山以南でDD51が牽引。
- 285系(サンライズ)は「出雲」のみになっていた。
- 今頃廃止されていたか、そもそも登場しなかった可能性も否定できない。
- 285系(サンライズ)は「出雲」のみになっていた。
- 「建設費をケチった」「露骨な四国冷遇」などと揶揄されていた可能性大。
- 史実と異なり宇野線が非電化なら可能性はあったかもしれないが…。
鹿児島本線[編集 | ソースを編集]
- JR九州に電化区間はなかった。
近鉄大阪線[編集 | ソースを編集]
- 近鉄名古屋線も電化されていない。
- 特急型・一般型問わず気動車だが、国鉄と異なりMAN、カミンズ、MTUなど海外各社のエンジンを積極採用している。
- 下手をしたら大阪線・名古屋線系統の近鉄では液体式ではなく電気式気動車が主流になっている。
- 特急ひのとりも電気式気動車である。
- 昭和末期に入りコマツ製エンジンも併用している。
- 1960年頃には予燃焼室式から直噴式に完全に転換していた。直噴式500PSエンジンの採用も1960年代前半には既に実施していた。
- 奈良線から大阪線・名古屋線に転属した車両は走行機器を一式取り替えられているか、下手をすると存在しない。
- 大阪線は狭軌になっていた可能性もある。その場合は名古屋線も改軌されていない。
撤去されたら[編集 | ソースを編集]
- 上記「#非電化だったら」と被るが、磐越西線の喜多方 - 会津若松間のように電化後に架線撤去が決まる事例も発生したので掲載する。
加古川線[編集 | ソースを編集]
- 加古川 - 西脇市間は電化で残される可能性が高い。
- 125系は小浜線に転属していた。
関西線[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも大和路線区間は電化で残された。
- キハ75の増投入で急行かすがは廃止されなかった。
飯田線[編集 | ソースを編集]
- 豊橋 - 豊川間のみ残された可能性がある。
- 武豊線が電化されなかった。
- 身延線も電化撤去の餌食になっていた。
直流電化だったら[編集 | ソースを編集]
東海道新幹線[編集 | ソースを編集]
- 弾丸列車では静岡以東を直流3000Vとして計画していました。
- 電圧は弾丸列車計画と同様3000Vを採用していた。
- 車両のコストが大きく下がるため、JR東海の儲けが更に大きくなる。
- その後の新幹線はすべて直流3000Vで建設された。
- 最高速度が250km/h程度に制限された。
函館本線(小樽~旭川)・千歳線・学園都市線[編集 | ソースを編集]
- 北海道の電車は直流が主流に。(津軽海峡線を除く)
- 車両のコストは下がるので、JR北海道の経営はちょっとは良くなる。
- 当然、札幌近郊の全電化区間が直流になっていた。
- 4ドア車も採用されていた。
- 寒冷地対策としてデッキ付きとなっていた。場合によっては3扉だったかも。
奥羽本線[編集 | ソースを編集]
史実でも1949年から1968年の間福島-米沢間は直流電化でした。
- 板谷峠の補機運用はEF64のままだった。
- 山形・秋田新幹線直通化による改軌工事に交流電化への切替が加わるため、工期が延びていた。
- 山形・秋田新幹線がまとめて奥羽新幹線としてフル規格で開業していた可能性も否定できない。
- 急行「こまくさ」に165系が投入されていた。
- 東北本線黒磯~福島と磐越西線郡山~喜多方間も直流で電化され、「つばさ」「やまばと」「あいづ」はすべて183系で運行されていた。
- 松川の峠と中山峠と板谷峠と難所が揃い踏みだから189系では?
- 189系と183系の違いはEF63と協調運転ができるかどうかしかないぞ?
- 松川の峠と中山峠と板谷峠と難所が揃い踏みだから189系では?
- 東北新幹線全通の際、青森~新青森に789系が乗り入れられない事が問題になっていた。
- 史実でも検討されていた青森~新青森間のリレー列車が運行されていたかもしれない。
- 「スーパーはつかり」廃止以降E751系は再就職できず廃車になっていた。
- あるいは初めからE653系の番台区分として登場していた。
- 当然のごとく115系天国になっている。
仙山線[編集 | ソースを編集]
- 作並ー山寺間の電化が仙台、山形へと伸ばされる感じになっていた。
- 駅がもっと増えていた。
- それに伴い快速停車駅も増加していた。
- 仙石線と直通運転されていた。
- その場合、北仙台駅あたりで地下にもぐってあおば通まで繋げていた。
- むしろ愛子以西は全線付け替えになりそう。この場合市営地下鉄東西線は存在しない。
- この場合、特に愛子~苦竹間に愛称として「山形石巻ライン」などがつけられるが、鉄道ファンなどからは「山石線」「岩線」などの別称がつけられる。
- むしろ愛子以西は全線付け替えになりそう。この場合市営地下鉄東西線は存在しない。
- その場合、北仙台駅あたりで地下にもぐってあおば通まで繋げていた。
東北本線(黒磯以北)[編集 | ソースを編集]
- 東北地方の電化路線は直流電化がメインに。場合によっては北海道も。
- 常磐線はいわき辺りにもう1か所交直デッドセクションが設けられた。
- 在来線はこのように直流電化できない事情がある場合のみに交流電化が使用されていた。
- しかし、津軽海峡線は新幹線対策で交流になっていた。
- 常磐線はいわき辺りにもう1か所交直デッドセクションが設けられた。
- 仙台地区にE127系・E129系が導入された。
- それでも多くの地域は115系が主流で、最近になって首都圏から211系が転属して来る予定。
- 115系ではなく客車列車が導入されていて、701系ポジの直流電車を導入、というのも考えられる。
- 客車列車ではなく広島同様に72系が国鉄末期まで現役という事も考えられる。
- 流石に客車列車はない。
- 115系も寒冷地対応の専用番台になっている。
- 417・711・781系と同じMT54AもしくはMT54Eを搭載。
- 東北新幹線開業前なら、上野~(実史上の直流電化された仙石線の終点)石巻間の直通列車が運行されていた。
- 115系ではなく客車列車が導入されていて、701系ポジの直流電車を導入、というのも考えられる。
- 新車の導入が史実ほど進まない。
- 別名「國鐵仙台」
- 「國鐵仙臺」
- 「國鐵廣島」と比較される。
- 別名「國鐵仙台」
- それでも多くの地域は115系が主流で、最近になって首都圏から211系が転属して来る予定。
- ED75は導入されず、現在のED76がED75を名乗る。
- EH500は津軽海峡線次第。
- となるとED79も存在しなかった。
- 上野発の寝台特急はEF65 1000番台が青森まで牽引する(「ゆうづる」は仙台でEF80・EF81と交替)。
- EH500は津軽海峡線次第。
- 583系を直流、近郊化した車両を導入するが民営化すぐに潰される。
- 上記通り115系が投入されていた場合はその可能性は低い。
- 東北本線中電の最遠は郡山。
- 仙石東北ラインは電車で運行されていた。
- 実際に検討されていた首都圏~仙台間の臨時快速列車が運行されていた。列車名は「ムーンライトあおば」辺り。
- 18きっぱーの心強い味方として愛用されるものの2009年ダイヤ改正で臨時化→東北新幹線全通前後で廃止、と言う形になっていた。
- E751系はE653系の番台区分として製造されていた。
- 直流電化された理由は既に直流電化されていた奥羽本線や仙石線や仙山線との兼ね合いの為。
羽越本線(村上以北)[編集 | ソースを編集]
- 架線下DC運転は無かった。
- ただ需要を考えるとE127系がメインで115系は朝夕のみ。
- 115系が秋田まで来ていた。
- ただ需要を考えるとE127系がメインで115系は朝夕のみ。
- 史実通り奥羽本線が交流電化だったら、秋田駅では羽越本線のホームも分離されていた。
- 「いなほ」の車両に首都圏から転用された直流車が使われていた。
- その場合、185系もしくは253系か?
- E653系は再就職先が見つからず波動用のまま。
- E653系はデビューしなかったと思う。
- その場合、185系もしくは253系か?
- 「出羽」「鳥海」及び山形新幹線開業以降の「あけぼの」は秋田までEF64が牽引していた。
- 酒田駅までは最低でも電化が行われた。
- ここが新潟と秋田支社の境になるので。
- 場合によって運行の問題で遊佐駅でデッドセクションを設けて遊佐駅までは新潟支社。それ以北は秋田支社になっていたかと。
- この場合、秋田側はキハ40やGV-E400系が主力で、区間列車のみ701系となった。
- 秋田駅まで直流電化が行われた場合は奥羽本線秋田駅以北は羽越本線の延長線として直流化していたかも。
常磐線(取手以北)[編集 | ソースを編集]
- 地磁気観測所がある関係で交流電化になっているが、実は架線柱の間隔を狭くするなどの対策をすれば直流電化は可能。ただし普通の直流電化や直交流電車の導入と比べるとはるかにコストが高くつくので、交流電化になっているだけ。つくばエクスプレスも然り。
- 内房線も近所に地磁気観測所があるが、上述の方法で全線直流電化を果たしている。
- ここでは現実通り柿岡に地磁気観測所があるという前提で考えます。ない場合は、もし柿岡に地磁気観測所がなかったらをご覧ください。
- モノクラスの15両編成は常磐線から絶滅した。
- 快速取手行きもグリーン車連結に。
- 成田線の常磐線直通区間もグリーン車デビュー。
- デッドセクションがないため快速取手行きは存在せず土浦、水戸まで行ってたのではないか?需要がどこまであるのかにもよるけど。
- そして各駅停車の大半が取手行きになるので天王台は各駅のみの駅になっていた。
- 快速取手行きもグリーン車連結に。
- 史実より早く415系鋼鉄車が絶滅していた。
- 上野東京ラインの直通の主力に。
- 高崎線・宇都宮線系統は湘南新宿ラインもあるので上野折り返しが史実よりも多く設定。常磐線系統は昼間でも毎時4本以上が東海道線の平塚や小田原、熱海まで直通。
- 常磐線の普通と快速という区別が無くなっていた。
- そもそも直交流車として分ける必要がないので、ラインカラーはオレンジ、車体は湘南色だった。
- 高崎線・宇都宮線系統との誤乗を防ぐためにスカ色かもしれない。
- そして沼津や伊東まで直通
- E501系・E531系は存在しない。
- かわりに209系顔の直流近郊形電車があったかもしれない。
- E217系はその車両の番台区分となっていた。
- 史実のE217系がE219系を名乗った場合、209系500番台・1000番台がE303系を名乗っていた可能性がある。
- E217系はその車両の番台区分となっていた。
- かわりに209系顔の直流近郊形電車があったかもしれない。
- 水戸線も直流電化になっていた。
- 同じ理論で関東鉄道常総線も直流電化しているから、103系、E231系の取手発に増結され、品川まで直通運転する。
- 関鉄に直流電化のための資金力なんて無いだろうから史実通り気動車では?
- 寧ろ常磐線の変電所が流用できるので簡単に電化出来た可能性もある(その一例が流鉄)
- 関鉄に直流電化のための資金力なんて無いだろうから史実通り気動車では?
北陸本線[編集 | ソースを編集]
鹿児島本線[編集 | ソースを編集]
- 必然的にJR九州管内の在来線は全て直流。
- 交流20000V,60Hzでの電化区間は北陸本線内だけになる。
- JR九州のことだから形式名が違うだけでデザインなどは全て忠実と同じ。
- 303系はほぼ変わらず。最も独自設計なのは変わらず。
- 形式名は近郊形は30*系や33*系、特急は…いい形式名が思いつかない。
- 特急は「36*系」とかどうでしょう?
- 観光列車「36ぷらす3」は別の愛称が付けられる。
- 17*系とか
- JR四国みたいに私鉄風の4桁型番になっていたりして。
- 特急は「36*系」とかどうでしょう?
- 肥薩おれんじ鉄道は115系を導入(というより移管)するが、1両化のため結局後で気動車化することに。
- もしくは下記のように125系のように1両単位で走れる電車を導入していた。
- 関門海峡も当然九州内と共通運用。
- 125系のように1両単位で走れる電車を導入するかもしれない。
- 肥薩おれんじ鉄道がこの電車を導入していたかもしれない。
- 交流電気機関車の形式が2つ減る。
- EF30もお忘れなく。後ED72,ED73,ED75-300,ED76が存在しなかったろう。
- 国鉄時代は181系の最後の働き場所となっていた。クハ181-1を含む元151系初期車は1982年11月まで活躍し、181系100番台車はJR化後の1980年代末にJR九州初の特急車(史実の783系を直流車にした車両)に置き換えられるまで活躍し続けた。
- 九州直通の寝台特急は熊本までEF66が牽引していた。また、EF58やEF65は西鹿児島まで乗り入れていた。
- 日豊系統はEF65が用いられていた。
- 東京〜博多間の「サンライズあさかぜ」が実現していた。
- 285系にも食堂車(かつてのオシ16サロンカーを電車にしたような車両でセルフサービス方式が採用された)が連結されていた。
- 白に濃い青帯の九州色は誕生していない。
- EF65の後継機としてEF210の低規格線用(軸重を軽くしたもの)が投入される。
交流電化だったら[編集 | ソースを編集]
仙石線[編集 | ソースを編集]
育英学園前 | ||||
いくえいがくえんまえ | ||||
榴ヶ岡 | 陸前原ノ町 | |||
Tsutsujigaoka | Ikueigakuen-mae | Rikuzen-Haranomachi |
仙石線は東北地方のJRで唯一の直流電化路線ですが、もし交流電化されていたらどうなっていたかを考える。
- 719系や701系で運用。2007年からE721系でも運用される。
- むしろ常磐線上野口の403系・415系の墓場となる。
- 仙石線に投入された分の元山手線205系は房総地区に投入されていた。
- 現実では山手線205系の転属先に房総地区が挙がっていたが、結局房総地区には投入されなかった。
- 東北・仙山・常磐線の乗り入れを考慮して仙台駅のホームが増えていた。
- これにより新幹線開業までは、583系電車を使用した上野⇔石巻間の夜行急行列車が運行されていた。
- 恐らく、列車名は「石巻(いしのまき)」。
- 相互乗り入れが可能になるので松島の観光客がもう少し増えた。
- 東北線側にも松島海岸駅ができ、仙石線と直通可能になる。快速は仙台-岩切-松島海岸-石巻のルートをとる。
- 史実で2015年から行われるものに近いが、もちろん電車で行われている。
- E721系増備車で運行。
- 史実で2015年から行われるものに近いが、もちろん電車で行われている。
- 仙台空港-石巻というルートが実現される。
- あおば通駅はできなかった。
- 仙台~松島海岸間がほとんど東北本線と被るので、以下のように再編。
- 育英学園前~陸前浜田、松島海岸~石巻の虫食い路線となる。
- 仙台~宮城野原間は地下鉄東西線に移管。すなわち廃止。
- 宮城野原は現行より少し南下。現宮城野原駅を育英学園前に改称し、全国初の地下交直流区間直通運転を開始する。
- 陸前浜田~松島海岸は廃止。東北本線に接続する。
- 仙台~宮城野原間は地下鉄東西線に移管。すなわち廃止。
- 育英学園前~陸前浜田、松島海岸~石巻の虫食い路線となる。
- 72系970番台は登場しないか、または鶴見線、片町線あたりに配属されている。
- 史実でも中間車1両が鶴見線に投入されたことがある。
- 石巻線も仙石線と同時に電化されていたかもしれない。
- 2012年3月の石巻工業高校の選抜出場では、石巻駅から甲子園まで応援列車が運行された。
- 仙石東北ラインも電化開業している。
上越線[編集 | ソースを編集]
- 運用の都合上デットセクションは水上~湯檜曽間に設けられていた。
- 「とき」は483・485系で統一され、181系最後の活躍の地は中央東線になっていた。
- 上越線経由の寝台特急は上野-長岡間もEF81が牽引していた。
- 史実の「あけぼの」がそうであったように冬季の遅延が多発していた。
- 下記同様701系が新潟県内にも入線していた。
- この場合新潟地区は全て交流電化になっていたと思われる。
白新線・羽越本線(新発田~村上)[編集 | ソースを編集]
- 羽越新幹線がミニ新幹線として日の目を見る。
- 在来線は415(531)系電車が必要になる。
- 701系が新潟県内にも入線していた。
常磐線(取手以南)[編集 | ソースを編集]
常磐線の直流電化区間が取手までなのは柿岡にある地磁気観測所の影響なのは周知の事実ですがもし、常磐線が上野まで交流電化だったらを考えてみたいと思います。 (史実を多少無視している可能性がありますが)
- 通勤電車は国鉄101系を交流区間で走れるようにした国鉄701系(史実の701系とは異なる)を製造する。
- 後に出力が向上した国鉄703系が登場する。
- その後に203系が登場する。
- 「青電」の通称は付かなかった。
- むしろ上野発着の電車はすべて近郊型だったのでは。電車特定区間は設定されていただろうけど。
- 後に出力が向上した国鉄703系が登場する。
- 我孫子駅には黒磯駅のような交直デッドセクションが設けられている。
- その為、成田線は113系で運用されている。
- 211系の入線を経て、現在は209系を使用中。
- 常磐線ではなく成田線本線の佐倉方面へ乗り入れる。
- その為、成田線は113系で運用されている。
- 千代田線からの直通用に国鉄405系を作り綾瀬-金町間に交直デッドセクションを設ける。
- 千代田線の6000系も同様に交直流電車として製造される。
- あるいは常磐緩行線だけは直流電化されていた可能性がある。この場合成田線と常磐緩行線が直通。
- この状況下で史実どおり千代田線に直通することになった場合、営団も交直流車なんか作りたくなかっただろうし、常磐緩行線は直流電化で建設されていたのでは。
- そうなると、我孫子駅の留置線が交流電化でそのまま我孫子電車区となる。
また、必要に応じて我孫子線を複線化して成田電車区を設ける。 - また、団体列車の都合により、北小金から成田線経由の団体列車を通すために鈍行線が2面3線式のホームになる。
- さらに、183系のような団体列車を比較的スムーズに流せるように柏駅も鈍行線側が2面4線になっている。
- そのため、史実にあるような我孫子寄りの留置線が廃止され、2番線と3番線の間に両渡り線が設置される。
- 逆に、松戸車両センター(旧松戸電車区)は快速線の電車が出入りするのに緩行線を渡る必要がある構造のため、直流電化で緩行線専用になる。
- そうなると、我孫子駅の留置線が交流電化でそのまま我孫子電車区となる。
- この状況下で史実どおり千代田線に直通することになった場合、営団も交直流車なんか作りたくなかっただろうし、常磐緩行線は直流電化で建設されていたのでは。
- ひたち用の電車も冷寒地向け(北海道ほどではない)の781系1000番台が製造される。
- 中電用の電車は国鉄711系(史実と異なる)が製造される。
- 国鉄は北海道を除いて交流専用の電車を投入していなかたので、それはないかと。
- ドアは両開き3ドアで4両1編成
- 中間電動車は、後に出力が向上した国鉄713系(史実と異なる)が登場する。
- 水戸線も小山駅構内まで交流電化。
- ED71も常磐線で運用されていた。
- 東北本線黒磯以南や高崎・信越・上越線などが史実どおり直流電化だった場合、上野駅では東北・高崎線と常磐線のホームは完全に分離されていた。
- 成田線我孫子支線は大糸線南小谷~糸魚川間のように非電化区間となっていた。
- その場合、キハ30が使われていた。
- むしろ史実通りの時期に直流で電化され、成田側を基準とした運転体系になり、現在に至るまで千葉支社の車両が使用されていた。
- それでも運用の都合で特急、急行列車を中心に交直流車両が導入されていたかもしれない。
- 上野東京ラインに常磐線の列車が乗り入れる事は出来なかった。
- 常磐線の変電所を流用することができなくなるので流鉄の電化が数十年遅れる。
- 下手すりゃモータリゼーションに対抗できず60年代ごろに廃止されていたかもしれない。
- あるいは電化されず、今頃はNDCタイプの単行気動車が大量投入されている。
信越本線[編集 | ソースを編集]
- 全線電化開業の時点で碓氷峠も交流電化に切り替わっていた。
- EF62・EF63は交流機として製造されていた。
- EF62に当たる形式がEF71を名乗り、EF63に当たる形式がEF72を名乗っていた。史実のEF71はEF73。
- 高崎~横川は直流電化では。
- 189系はもちろん存在しない。
- そこで489系の天下になる。
- しなの鉄道は415系・459系(史実の169系に当たる車両)を導入。
- 気動車では。
- 特急「とき」に483系・485系が導入されていた。
- 篠ノ井-長野間のためだけに381系も交直流形で登場。
- 後に篠ノ井-長野間と宮内-新潟間が直流電化に転換されていた。
- 長野新幹線は軽井沢以西はミニ新幹線になっていた。
中央本線(甲府~多治見)[編集 | ソースを編集]
- 線内に多くの狭小トンネルがあるので掘り直さなければならなかった。
- そのため◇マークの車両はなかった。
- 「あずさ」「しなの」は交直流型電車で運行。
- E351→交直流で多く導入、E257→直流でかいじ専用。
- 急行は松本運転所の475・457系→「アルプス」「こまがね」と間合い「かいじ」、三鷹電車区の165系→大半の「かいじ」と「みのぶ」。
- 飯田線は全列車辰野止まり。
- 長野県の電化路線は交流電化になっていた。(飯田線は除く)
- 周波数のエリアを考えると60Hzになっていた。
- 山梨県内の変電所に周波数変換装置が設けられた。
- 交交セクションを設けるとしたら小淵沢あたりか。
- ローカル列車は当初は471系・475系・417系が導入された。
- 民営化後、313系の交直流型とE531系に置き換え。
- 中央線名古屋口の快速→313系交直流型、普通(と多治見までの快速)→313系。運用の幅は狭まるが。
- E531じゃハイスペックすぎるから、独自設計を導入してもおかしくないかと。
- 場合によって勝田から415系が転属してくる可能性も。
- 民営化後、313系の交直流型とE531系に置き換え。
- 後に直流区間が中津川までに変更される。そっちのほうが運行系統的に自然。
- 一方甲府~大月か高尾は交流に変更された。
- むしろ小淵沢まで直流に変更された。
- 一方甲府~大月か高尾は交流に変更された。
東海道本線[編集 | ソースを編集]
- 必然的に日本の鉄道の電化は交流が主体になっていた。
- 山陽本線、中央本線なども交流電化に。
- ついでに20kVは全く採用されず、全体的に25kVでの電化がなされていた。
- 一方、ローカル線の電化は進まず、史実以上に非電化路線が多かった。
- 50Hz/60Hzの違いが史実より重要になっている。
- 東海道本線熱海-富士間と北陸本線糸魚川-直江津間はJR東日本になっていた。
- 長野県内は一部を除きJR東海の管轄に。
- あるいはこれと関連して熱海 - 富士川付近までは50Hz区域ながら60Hzとなっていた。
- =地磁気観測所が東京から移転しなかったらである。
- 日本の鉄道が標準軌(1435mm軌間)に改軌され電化が遅れていたらこうなっていた。
七尾線(津幡~和倉温泉)[編集 | ソースを編集]
- 何も変わってない?
- 使用車両は413系が主に使われていた。
- 電化工事の際に長期間不通を余儀なくされた。
湖西線[編集 | ソースを編集]
- 新快速は京都以東は全て草津方面に向かっていた。
- 線内ローカル列車は415系を使用。
- 但し寒冷地仕様となっている。
- JR西日本に113系改造ではない純正の415系が在籍していた。
- ラッシュ時はJR京都線に乗り入れて大阪駅に直通している。
- さすがに老朽化のため、2010年代に入って521系への置換えが開始される。
- 521系がひょっとしたら新快速として京阪神に…?
- 史実とは違い225系の車体に683系のシステムを組み合わせた設計だった。
- デッドセクションは山科~大津京間に設置されていた。
- なので山科駅周辺と長等山トンネルの配線が史実と大幅に異なっていた。
- 山科駅構内では湖西線は外側線のみとつながっていた。よって、内側線と湖西線との直通運転はできない。
- なので山科駅周辺と長等山トンネルの配線が史実と大幅に異なっていた。
- 北陸本線の敦賀までの直流化はもちろんなかった。
- その代わり、開業直後からローカル列車は京都~敦賀間で運行されていた。
- 北陸新幹線に移管されるかも。
- ミニ新幹線ってこと?
- 国鉄時代は全線金沢局が管轄していた。
山陰本線(嵯峨嵐山~城崎温泉)・福知山線(篠山口~福知山)[編集 | ソースを編集]
- 国鉄末期に九州の475・457系が根こそぎ京都・福知山地区に集められていた。
- 475・457系にJR九州承継車がJR発足当初から存在しなかった。
- 京都丹後鉄道宮福線も交流電化に。
- 小浜線電化時に125系ではなく521系が導入された。
山陽本線(姫路以西)[編集 | ソースを編集]
- 中国地方の電化路線は交流電化がメインに。
- 285系は交直流に、381系も国鉄のことだから交直流にするだろう。
- 車両は黄色に塗られた415系・475系が走っている。
- 最近になって広島支社内に521系の導入が決定。
- 広島地区限定なら直流は不要だから、多分交流専用。
- アーバンネットワークの車両を転用という手が使えなくなるのでもっと早く導入しているかも。
- 最近になって広島支社内に521系の導入が決定。
- それでも関門トンネルは直流電化のまま。
- 或いは新トンネルに掘り直した。
- その場合現在でも九州との直通列車が多く残っていた。
- 直流で残ったら客車・貨物列車はEF81が関西から九州まで通しで牽引する。300番台は電気暖房搭載となり製造数も多い。
- 新快速は全て姫路折り返し。
- 2000年代に新快速運転区間を延長するため姫路~播州赤穂間が直流電化に変更される。
- 網干に京阪神地区を担当する車両基地が設置されることはなかった。
瀬戸大橋線[編集 | ソースを編集]
- 茶屋町駅あたりにデットセクションが設けられていた。
- JR化後に児島辺りに移転していた。
- 交流なので新幹線乗り入れが現実味を帯びるが結局進展しない。
- 415系800番台が瀬戸大橋線に導入されていた。
- むしろステンレス車体の415系1000番台が新製投入されたのでは?塩害の影響もあるだろうし。
- 四国内の電化路線も交流電化になっていただろうか?
伯備線・山陰本線(米子~出雲市)[編集 | ソースを編集]
- 中国横断新幹線がミニ新幹線として日の目を見る。
- よって、岡山での煩わしい乗換が解消される。
- しかし岡山都市圏においては、交直流電車を配置しなければならなくなる。
内房線[編集 | ソースを編集]
- 君津市の鹿野山に国土地理院の観測所があるが、直直デッドセクションによって全線直流電化になっている。もしこの路線が常磐北線同様、一部が交流で建設されていたら。
- 直交流電車が内房線内を走っていた。
- 直交流電車の費用の関係で、内房線経由の列車は千葉・東京止まりになっていたかも。
- その代わり外房線・総武線・成田線経由の快速が増えていた。
- 交流圏を20km圏内とすると、袖ヶ浦~岩井間が影響圏になる。
- ちなみに常磐線同様30~40kmにした場合、下手したら横浜市街地も影響圏になってしまう。
- デッドセクションは南は館山、北は袖ヶ浦か、系統上境目になる姉ヶ崎に置かれていたかも。
- そうなると、外房線は館山まで直通していたかも。
- 外房線も巻き添えを食らいそう。
- そもそも運用の都合上房総半島の殆どの路線が交流電化で建設されている気がする。
- 少なくとも内房線・外房線・東金線は全て交流電化だった。成田線と総武本線はかなり微妙。
- 千葉駅は最近まで黒磯方式が使われていた。
- ただしこのままでは車両基地の都合上交直流型を投入せざるを得ないので、電化に合わせて木更津辺りに車両基地が建設されていたかもしれない。
- そして動労千葉の妨害もあって715系や717系が最近まで現役だった。
- どちらにしろデッドセクションの移設で総武・成田・鹿島線共々E531系に置き換わる。
- 成田線が交流だった場合、我孫子支線を巻き込み常磐線も我孫子から先が交流になっていたと思われる。
- 直流車両が入線できないため初詣臨時列車の本数が大幅に減る。
- 少なくとも内房線・外房線・東金線は全て交流電化だった。成田線と総武本線はかなり微妙。
- 房総特急には483・485系が投入され、183系の開発は暫く遅れていた。
- 255系の代わりにE653系が数年早く投入されていた?
- 京葉線には205系をベースとした交直流対応車両が開業当時から投入されていた。
- 総武快速線もどこかのタイミングで415系に置き換わっているはず。
- 京葉線開業のタイミングで蘇我以北だけ直流化されていた。流石に直通運転はしない。
- E131系は登場せず、房総ローカル末端は架線下DCに格下げ。
- キハE130系が追加投入され、久留里線と共通運用が組まれていた。
近鉄大阪線 (布施以南)[編集 | ソースを編集]
- 電圧は25kVで、将来的な新幹線への殴り込みも考慮されていた。
- 線形状態の良さから最高速度は140km/hに引き上げられている。
- 大和八木駅のデッドセクションは廃止されなかった。
- 近鉄名古屋線、山田線なども交流電化だったが、これらの系統では普通・急行に極めて高性能な電気式気動車を古くから投入されていた。
- 信貴線は非電化だった。
第三軌条方式・第四軌条方式だったら[編集 | ソースを編集]
大阪メトロ長堀鶴見緑地線[編集 | ソースを編集]
- その後のリニア地下鉄全路線が750Vの第三軌条方式で開業していた。
- 当然、今里筋線も第三軌条方式。
架線集電方式だったら[編集 | ソースを編集]
大阪メトロ中央線・近鉄けいはんな線[編集 | ソースを編集]
- 烏丸線と同じ規格が採用されている。
- 20系電車は谷町線に集中配置されていた。
- コスモスクエア行き特急が早々と設定されたが、22000系による限定運用だった。
- 44系電車が存在し、66系と南海9000系を折衷したデザインとなっていた。
電圧が異なっていたら[編集 | ソースを編集]
交流全般[編集 | ソースを編集]
在来線もすべて25kVだったら[編集 | ソースを編集]
- 日本の交流電化は20kVと特殊仕様ですが、これが25kVだったら?
- 結局変圧器の設計もあり性能に変化はなかった。
- 713系と全く同じ設計の車両が台湾鉄路管理局に納入されていた。
- 北海道新幹線開業後、海峡線の旅客列車が残っていた。
直流全般[編集 | ソースを編集]
第三軌条方式の一部路線で1200Vや1500Vを採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 中国やドイツでは採用例があります。
- 近鉄けいはんな線と大阪メトロ中央線は間違いなく直流1500Vになっていた。
- 名城線、名港線、東山線も早々と1200Vに昇圧された。
架線集電方式の一部路線で3000Vを採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 弾丸列車計画にはありましたが、それ以降の3000V計画はありません。
- 私鉄の標準軌路線全般が直流3000V電化だった。
- 海外、特にイタリアの鉄道から大手私鉄への譲渡車が存在したかもしれない。