もしあの鉄道車両が○○だったら

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  • 新規追加は国鉄・JRは形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。

目次

独立項目

国鉄・JR

キハ54形

500番代が日高本線に投入していたら

  1. キハ130形は登場しないか別の線区に投入されていた。
  2. 史実のキハ130形とは違い、塩害に悩まされることなく、早期廃車になることはなかった。
  3. 踏切事故では修復されずに廃車になっていたかも。

100系

全車平屋建てだったら

  1. 食堂車の構造は0系と殆ど同じだった。
    • G編成以降はカフェテリアのみが設置され、V編成で食堂車が復活する事も無い。
  2. 少なくとも個室を設置する事は絶対に無理。
  3. 2階建て車が開発されないので、200系新幹線も最大12両編成になっていた。

V編成の最高速度が270km/hになっていたら

  • 「グランドひかり」こと100系V編成は270km/hでの運転が可能でしたが、営業運転で実現する事はありませんでした。
  1. それでも「のぞみ」に使用されることはないはず。
    • ただし300系と同じスピードを出せる事には変わりないので、東海道新幹線では専ら新横浜・名古屋・京都にのみ停車する「ひかり」に使われる。
    • 速度自体は変わらないので、食堂車目当てで「ひかり」を選ぶ乗客も幾らかいた。
  2. K編成・P編成に組み替えられた後も270km/h運転を維持できるようにして、「こだま」のスピードアップに寄与していたかもしれない。
    • むしろこだまに転用されず廃車になっていた。

119系

静岡地区に転用されなかったら

119系は一部の編成が静岡地区に回された時期がありましたが、もし、静岡地区に転用されなかったら?

  1. 飯田線に165系が追加投入されることはなかった。
  2. するがシャトル色の119系は存在しなかった。
  3. 静岡地区において足を引っ張る存在になることはなかった。
  4. 車両の絶対数が不足するので111系がJR発足後も四国以外に残留していた。
    • モハ62・クハ66が新性能化改造して113系に編入した車両を投入していたかもしれない。
  5. 国鉄時代に冷房化された車両はなかった。
    • 全車が民営化後にインバータクーラーで冷房化されるため、番台区分が史実と異なっていた。

キハ130形

ステンレス車体だったら

  1. 後にJR西日本が導入するキハ120形に似たスタイルになっていた。
    • 前面は史実のキハ130、側面はキハ120に似たスタイルになっていたかも。
      • 土佐くろしお鉄道の気動車みたいだな。
  2. 塩害に悩まされることもなかったので早期廃車もなかった。
    • キハ40系に置き換えられることもなかった。

投入先が日高本線でなかったら

  1. 塩害に悩まされることはなかったので早期廃車はなく、現在でも運用していた。
  2. 宗谷本線あたりに投入されていた。
    • 札沼線の石狩当別以北や富良野線も有り得た。

キハ141系

「キハ142-201」が「キハ143-105」に改造されていたら

  1. 室蘭本線に転用するためキハ143-155とペアを組んでワンマン改造されていた。
  2. SL銀河の編成は史実のキハ143がキハ141になっていた。

157系

下降窓を採用していなかったら

  1. 早期廃車はなかった。
    • 185系登場まで残留することができていた。
  2. 保守に手を焼く存在になってしまうこともなかった。
  3. 同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられてしまうこともなかった。

キハ200系

500番台が香椎線に残留していたら

キハ200系500番台は香椎線に投入されましたが、その後指宿枕崎線に転出しました。

  1. その後の増備車は大分地区ではなく香椎線に投入されていた。
  2. アクアライナー色に変更されていた。
  3. 日高本線の二の舞になることはなかった。

キハ220-1102が観光列車に改造されていたら

なのはなDX廃止に伴い指定席車として使用されていた当該車両が観光列車に改造されて指宿枕崎線or三角線に投入されるという噂がありました

  1. 特急「A列車で行こう」か「指宿のたまて箱」に投入されていた。
    • 史実通り肥薩線の運用が多いなら「かわせみやませみ」になっていたかも。
  2. 1両だけなので他のキハ200系列の車両も一緒に改造されていた。

201系

埼京線に投入されていたら

  1. 当初から201系導入していれば、短期で205系に置き換えられる事は無かっただろう。
    • 2006年頃にE233系に置き換えられていた。
  2. 場合によってはウグイス色の201系が本当に見られていたかもしれない。
    • 志村ー、関西本線、関西本線。

205系

東急車輛製造が技術開示を拒否していたら

この頃の国鉄は独占発注せず、複数社発注が当たり前だった

  1. ステンレス車両は東急車輛製造の天下だった。
  2. 国鉄時代に製造されたのは田窓車だけだったと予想。
    • むしろ量産車はアルミ車体になった。
  3. 1980年代以降の鉄道車両はアルミ車体が主流になっている。
    • あるいは他の車両メーカーが独自にオールステンレス車体を開発していた(近畿車輛で製造された近鉄3000系という実例あり)。

207系

全て7両固定編成で製造されていたら

史実では、7両固定編成は試作車として1編成のみ製造された。

  1. 1989年3月に片町線全線で7両編成での運転が実現されたらあり得た。
  2. 321系電車の登場は史実通り。

209系

3100番台が埼京線に投入されていたら

  1. 恐らくりんかい線がJRに買収されたと言う感じか。
  2. こうなるんだったら209系導入させた方が良かったんじゃと言う声も入りそうが、果たして?
  3. E233系は史実通り導入していた可能性が高い。
    • だとすると、やはり八高線に転属していた?
    • E233系の置き換え対象となるが、ATACS設置絡みで最後まで残留しそう。
      • そして廃車になりかけるが、房総地区に拾われ、BOSO BICYCLE BASEに改造されそう。
  4. 中間車が不足するので新製数が増えていた。

211系

6000番代が213系だったら

6000番代は当初、213系として登場する予定でした。

  1. 211系との違いは扉の数と設備の違いを理由としたものではなかった。
  2. 編成を組むクハは211系であることは変わらなかった。

6000番台の投入先が違っていたら

史実では御殿場線などに投入されましたが、もし、他の路線だったら?

  • 飯田線
  1. 編成を組むクハはトイレが設置されていた。
  2. 165系を置き換えていた。
  • 関西本線
  1. 213系5000番代は飯田線に投入されていた。
    • 213系5000番代が扱いづらい存在になることもなかった。
  2. 路線の事情にマッチしていた。

213系

5000番代が当初からあの路線に配置されていたら

飯田線

213系5000番代は当初、関西本線などに投入され、その後飯田線に転用し、現在に至っています。もし、当初から飯田線に配置されていたら?

  1. 登場時からトイレを設置していた。但し和式。
  2. 211系5000番代は関西本線でも運用されていた。
  3. 115系は中央本線に残留し、飯田線に回されることはなかった(飯田線に115系が回されたのは165系との交換条件であるため)。
  4. そよ風トレインの種車になっていた。
    • 117系とは違い、現在に至るまで運行していた。
  5. 扱いづらい存在になることはなかった。
中央西線
  1. 115系を置き換えていた。
    • 115系は史実通りに飯田線に回されていた。
      • その分、交換条件で165系が回されることはなかった。
  2. トイレは当初から設置されるが和式だった。

E231系

JR東海区間に乗り入れなかったら

  1. 沼津乗り入れは211系廃車で終了していた。
  2. 踊り子修善寺乗り入れも185系廃車で終了していたかも。

E233系

7000番台が製造時からATACS搭載だったら

  1. 205系1編成が暫定的に残留することはなかった。
  2. 製造コストが増えたので導入完了が少し遅れていた。

青梅線に投入されなかったら。

  1. 201系の最後の活躍線区は青梅線であった。
    • 置き換えは209系かE231系が転属。
      • 時期的に209系の転属で対応しそう。
        • その分、房総地区への導入数が減り、211系が残留していた。
  2. 南武線は現在でも209系が1編成だけ残留し続けていた。
    • 運用見直しで編成数を減らすかどうかで議論になっていた。
    • BOSO BICYCLE BASEは登場しなかったか?
      • 青梅線減便で持て余した車両を回してそう。
      • 211系から改造していたかも
    • 史実通りにE233系へ統一され、8500番台は京浜東北線で持て余した車両が転用されていた。
      • 余剰車は休車→7000番台に改造してハエ132編成に組み込んでたか?間が長いのがネックになりそうだけど。
      • 1000番台を中央快速に回して捻出した6連を転用させていたかもしれない。

武蔵野線に投入されていたら

  1. もしE331系が量産されていたらである。
    • こちらが5000番台と名乗っていた。
  2. 総武線のE231系0番台は武蔵野線ではなく相模線に転属していた。
    • その分、0番代の多くが6M4T化されてしまい、500番代の転用先が総武緩行線以外にも転用されていたかも。
  3. 209系はつい最近まで残りそうな気がする。
  4. 構造的には埼京線とあまり変わらなさそう。

313系

全て転換クロスシートだったら

  1. 関東地方でも転換クロスシートの車両があった。
  2. JR東日本涙目。
  3. JR東海は同じ車両しかないと揶揄された。
  4. 18きっぱーから「静岡県内が地獄」と言われることもなかったか?
  5. キハ25系も全車両転換クロスシートになっていた。
    • 観光路線でなおかつ長距離路線である高山本線や紀勢本線では喜ばれていただろう。

8000番台以外オールロングシートだったら

  1. アンチJR東海が増えていた。
  2. 名古屋地区の混雑もマシだった。
  3. 一方名鉄はクロスシート車を増備した。
  4. キハ25形0・100番台もロングシートになっていたかもしれなかった。

415系

1500番台が九州地区に導入されなかったら

415系1500番台は元々、九州地区への導入する予定はなかったのですが、門司鉄道管理局からの要望で結果的には九州地区にも導入されました。もし、九州地区に導入されなかったら?

  1. ライトブルー帯の415系は存在しなかった。
  2. 史実で九州地区に導入された編成は全車常磐線に配置されていた。
    • その玉突きで500番台が九州地区に回されていた。
      • 1500番台がJR九州に譲渡されることもなかった。
    • もしかしたら、1700番台のモハも登場し、ステンレス車だけで組成された7両編成が登場したかも。

鋼製車の塗色変更がなかったら

  1. 小田急のパクリと揶揄されることはなかった。
    • 常磐緩行線に小田急車の乗り入れに際して誤乗が懸念されてしまうこともなかった。
  2. 1500番台とE531の帯はピンクだった。
    • 常磐線中電のラインカラーもピンクだった。
  3. JR九州の一般車両の標準色は415系新塗色のアレンジではなかった。

485系

1500番代が北海道での運用に成功していたら

  1. 781系は登場しなかった。
    • その分、485系1000番代の製造数が増えていた。
    • その玉突きで本州に回されることもなかった。
  2. いしかり→ライラックへの改名はなかった。
  3. 何故か北海道に回されたグリーン車が組み込まれていたかも。
  4. 置き換えは789系と同時期に行われていた。
  5. 4両編成への短縮はサハ481から改造していた。
    • 同時期に製造されていた100番代辺りから改造していた。

500系

JR東海が導入を受け入れていたら

  • 開発時から東海も700系プロトである300Xを作っていたから有り得ないと言えばそれまでだが、JR東海が700系の開発を中止し、500系の導入を受け入れていたらどうなっていたか。
  1. 700系は製造されず、九州新幹線800系は500系ベースで700系を名乗っていた。
  2. その後史実のN700系にあたる車両が開発され、「800系」としてデビューする。
    • あるいは九州新幹線に「600系」が誕生し、N700系にあたる車両が「700系」、さらにN700系7000/8000番台にあたる車両が「800系」を名乗るかもしれない。
  3. 「ひかりレールスター」も500系ベースの車両となっていた。
    • 山陽区間内のみ運転の「のぞみレールスター」が運行されていた。
      • 「ウェストのぞみ」じゃない?実際にこの愛称をつける計画があった。
        • むしろ当初の計画通り「のぞみストリームスター」では。
  4. ドア位置・座席数も300系・700系・N700系と同一にする。JR東海の技術なら出来たはず。

E657系

基本7両、付属4両編成だったら

E657系は10両貫通編成で製造されましたが、置換え対象である651系とE653系のように基本7両、付属4両編成だったら?

  1. 基本編成同士の14両編成も運行していた。
  2. 両数に余裕があるので「ひたち」「ときわ」の全席指定化はなかった。
  3. 先頭車は貫通路付きだった。
  4. その分、グリーン車は普通車との合造車で製造され、無駄なスペースが生じることはなかった。

N700系

喫煙室がなかったら

  1. それでも喫煙車存続はない。
    • 500系V編成への喫煙ルーム設置も行われなかった。
  2. 東海道・山陽新幹線は完全禁煙化されていた。
    • 近鉄も喫煙ルーム廃止に動いた可能性も出て、日本国内の鉄道車両は全面禁煙となった。

701系

最初からセミクロスシートで製造されていたら

  1. 猛反発が起きることもなかった。
  2. 東北の優等列車快速格下げが史実より多くなっていた。
  3. 通勤形への区分に語弊があると言われていた(元々通勤形として登場したので)。
    • 一般形と称していたかも。
  4. 815系もセミクロスシートだった。

0番台が東北本線・常磐線(仙台地区)に投入されていたら

701系の最初の投入先は秋田地区でしたが、もし、仙台地区だったら?

  1. ロングシート車を運行している仙石線の存在で史実ほど叩かれなかった。
    • ただし鉄道ファンの評価は史実と変わらなかった。
  2. 仙台地区の混雑緩和に貢献していた。
  3. 50系客車の置き換えが遅れていた。
  4. 701系1000番台は盛岡地区用に留まっていた。
  5. 701系1500番代は秋田地区に投入されていた。

713系

日豊本線(大分地区)に投入されていたら

  1. 運用範囲は中津~佐伯。
    • 2018年3月のダイヤ改正以降は重岡まで足を伸ばしているかも。
  2. 大分地区への415系あるいは815系の配置数が現実より少なかった。
  3. 815系と共通運用の便もあった。

721系

8次車が最初から6両固定編成で投入されていたら

721系8次車はコストを抑えるため中間車のみを新製し、当時3両編成だった6・7次車の中に組み込んで6両化しました。もし8次車が最初から先頭車を含めた6両固定編成で投入されていたら?

  1. 今みたいに内装にばらつきがなく統一感があったに違いない。
  2. F-5001という珍編成は生まれなかった。それでもエアポートの予備車確保のためクハ721-1009の全室uシート化は変わらない。

785系

「モハ785-500番台」が3号車として連結されていたら

785系の旧・付属編成は2002年に2本を1本にまとめて新たにモハ785-500番台が4号車として連結され5両編成化されました。もし、これが3号車として連結されていたら?
  1. クモハ785がuシート改造されていた。運転席をそのまま乗務員室として利用できたので乗務員室の扉を余計に埋める必要もなかった。
  2. 編成の外観が妙な感じになっていた。

東武鉄道

500系

地下鉄乗り入れに対応していたら

  1. S-TRAINのように平日は日比谷線直通、土休日は半蔵門線直通になっていた。
    • 特に半蔵門線直通は中央林間~会津田島まで行く超ロングランとなる。
  2. 4両編成も製造され、途中東武動物公園で切り離していた。
  3. フラワーエクスプレスも特急になっていた。

30000系

東上線に転属しなかったら

  1. 10両固定化の際に中間運転台を撤去した。
  2. あるいは伊勢崎線の8000系・10000系を置き換えたかも。
    • 8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
      • なので10000系は野田線に回されていた。

10両貫通編成だったら

  1. 「半蔵門線直通」のステッカーが貼ってあったかもしれない。
  2. 東上線転属はなかった。
    • 逆に東上線で先行営業を開始し、半蔵門線直通開始前に本線に一斉転出。代わりに8000系が転入し、東上線ファンからは顰蹙を買っていた。
  3. 50050系の製造数は少なかった。
  4. 「フラワーエクスプレス」は久喜乗り換えとなっていた。
    • 館林までホームは10両あるので館林まで走っていた。

東京メトロ

8000系

東西線に正式導入されていたら

  • 史実では05系導入までの繋ぎで東西線に半蔵門線用の8000系が数年間走っていた事があります。
  1. 05系の導入が史実よりも遅れていた。
    • 最初からワイドドアである事を前提に開発されていた可能性が高い。
    • 但し帯色に関しては小田急との混同を避けるために、05系とほぼ同一のカラーリングになっていた。
  2. 15000系導入時に全編成が置き換え対象になっていた。
    • インドネシアや北綾瀬支線に送られる編成が多い一方で、B修工事の上で半蔵門線に転籍する車両もいたかもしれない。

15000系

ワイドドア車がなかったら

  1. 東京メトロ東西線ホームドア全駅設置が早まったかも。
  2. 混雑で苦情が殺到していた。

東京急行電鉄

7700系

7915Fの故障が少なかったら

7700系は4両編成3本が目蒲線から池上線への転属の際、3両編成にされ余剰となった中間車3両が先頭車化改造され7915Fができましたが、制御装置の故障が多く2010年9月に廃車になりました。もし故障が少なかったら?

  1. もちろんまだ廃車にはなっていなかった
  2. 3000系以降の車両も一部に東洋製IGBTが採用されていた。
  3. 目蒲線分断により4両編成から3両編成への組み換えの際にも先頭車化改造が行われ、7915Fのような車両が量産されていた。
  4. 9000系の東横線から大井町線への転属の際にも一部は先頭車化改造が行われていた。
  5. どちらにしろ、東急1000系リニューアル車の投入で廃車。
    • 異端車である以上、真っ先に廃車になる。
  6. 東急は先頭車化改造に消極的になることはなかった。
    • 他線区への転用に際して持て余した中間車が廃車になってしまうこともなかった。

小田急電鉄

9000形

常磐緩行線に乗り入れていたら

実際に国鉄(JR)に乗り入れに対応できる車両になっていました。

  1. 常磐緩行線に乗り入れる小田急の多摩急行、準急が史実より多くなっていた。
  2. 1000形電車も乗り入れ対応できる車両になっていた。
  3. 4000形電車 (2代)の登場は史実通り。

京成電鉄

3500形

全編成の車体更新が行われていたら

3500形は車体更新を全編成にわたって行う予定でしたが、鋼材の腐食が予想以上に早く進んだため、約半数を更新したところで打ち切りとなり、未更新車は先に廃車されました。

  1. 3000形(2代)の投入数がやや少なくなっていた。
  2. 全編成が京急への乗り入れを果たしていた。
    • 京急沿線から見た京成のイメージが、史実より古臭いものとなっていた。
  3. 未更新車のさよなら運転イベントはなかった。

阪急電鉄

5000系

宝塚線での運用が継続していたら

5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、

  1. 5000系は史実より多く増備されていた。
  2. 5100系は史実より少なかったかもしれない。
    • 6000系の登場は史実通り。
  3. 3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
    • 6000系の転属は史実より遅れた。

T車がもっと製造されていたら

5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…

  1. 2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
    • ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
  2. 5200系電車は製造されなかったかもしれない。
  3. 2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。

6300系

10両編成での運行が実現したら

実際に、計画されていました。

  1. 早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
  2. 10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
  3. 2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
    • むしろ7300系になっていただろう。
      • 7300系の10連増結車と共通運用されていた。
  4. (2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
  5. (2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。

「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら

  1. 6356Fか6330Fが改造された。
  2. 2011年5月頃に運行され始めた。
    • 2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
  3. 十三駅に停車していた。
    • 2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。

8300系

増結用車両が製造されたら

8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら

  1. 10両運転による快速急行が増発していた。
    • 特急の10両運転が実現していたかもしれない。
  2. 新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
  3. 車両番号は、8340、8460になっていた。

9300系

ロングシート車が製造されたら

  1. 側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
    • 但し寸法は異なる。
  2. 恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
  3. 車番は9311F~になっていた。
  4. 2300系の引退が早まっていた。

近畿日本鉄道

9820系・9020系

大阪線・名古屋線でも運用されていたら

  1. 9820系は4両編成で投入されていた。
  2. 大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
  3. 長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
  4. 5820系の4両バージョンも登場していた。

南海電気鉄道

10000系

最初から4両固定編成で製造されていたら

  1. 1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
    • 急行も8両編成で運行されていた。
  2. 1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
  3. 12000系電車の登場は史実通り。

全ての2両編成に中間車が製造されていたら

  1. 当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
  2. 場合によっては、中間車は1988年頃に登場していた可能性もある。
  3. 1989年11月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
  4. 12000系電車の登場は史実通り。



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