もしあの鉄道車両が○○だったら/国鉄・JR
- 新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
独立項目[編集 | ソースを編集]
電車[編集 | ソースを編集]
新幹線[編集 | ソースを編集]
100系[編集 | ソースを編集]
全車平屋建てだったら[編集 | ソースを編集]
- 食堂車の構造は0系と殆ど同じだった。
- G編成以降はカフェテリアのみが設置され、V編成で食堂車が復活する事も無い。
- 少なくとも個室を設置する事は絶対に無理。
- 2階建て車が開発されないので、200系新幹線も最大12両編成になっていた。
V編成の最高速度が270km/hになっていたら[編集 | ソースを編集]
- 「グランドひかり」こと100系V編成は270km/hでの運転が可能でしたが、営業運転で実現する事はありませんでした。
- それでも「のぞみ」に使用されることはないはず。
- ただし300系と同じスピードを出せる事には変わりないので、東海道新幹線では専ら新横浜・名古屋・京都にのみ停車する「ひかり」に使われる。
- 速度自体は変わらないので、食堂車目当てで「ひかり」を選ぶ乗客も幾らかいた。
- K編成・P編成に組み替えられた後も270km/h運転を維持できるようにして、「こだま」のスピードアップに寄与していたかもしれない。
- むしろこだまに転用されず廃車になっていた。
途中の増備車から食堂車・カフェテリアともになかったら[編集 | ソースを編集]
- 300系の登場は遅れていた。したがってひかりが最速から落ちるのも遅れていた。
- JR東海のCMの最後に出る新幹線が100系の時代は少し長く続いた。
- 2階建て車両は2両のうち1両は階上はグリーン車・階下は個室・もう一両の2階建て車両は階上はグリーン車・階下は普通車指定席の編成が途中まで製造され最終増備グループは2階建て車両は2両ともに階上はグリーン車・階下は普通車指定席だった。
500系[編集 | ソースを編集]
JR東海が導入を受け入れていたら[編集 | ソースを編集]
- 開発時から東海も700系プロトである300Xを作っていたから有り得ないと言えばそれまでだが、JR東海が700系の開発を中止し、500系の導入を受け入れていたらどうなっていたか。
- 700系は製造されず、九州新幹線800系は500系ベースで700系を名乗っていた。
- その後史実のN700系にあたる車両が開発され、「800系」としてデビューする。
- あるいは九州新幹線に「600系」が誕生し、N700系にあたる車両が「700系」、さらにN700系7000/8000番台にあたる車両が「800系」を名乗るかもしれない。
- 「ひかりレールスター」も500系ベースの車両となっていた。
- 山陽区間内のみ運転の「のぞみレールスター」が運行されていた。
- 「ウェストのぞみ」じゃない?実際にこの愛称をつける計画があった。
- むしろ当初の計画通り「のぞみストリームスター」では。
- 「ウェストのぞみ」じゃない?実際にこの愛称をつける計画があった。
- 山陽区間内のみ運転の「のぞみレールスター」が運行されていた。
- ドア位置・座席数も300系・700系・N700系と同一にする。JR東海の技術なら出来たはず。
N700系[編集 | ソースを編集]
喫煙室がなかったら[編集 | ソースを編集]
- それでも喫煙車存続はない。
- 500系V編成への喫煙ルーム設置も行われなかった。
- 東海道・山陽新幹線は完全禁煙化されていた。
- 近鉄も喫煙ルーム廃止に動いた可能性も出て、日本国内の鉄道車両は全面禁煙となった。
特急・急行形[編集 | ソースを編集]
157系[編集 | ソースを編集]
下降窓を採用していなかったら[編集 | ソースを編集]
- 早期廃車はなかった。
- 185系登場まで残留することができていた。
- 保守に手を焼く存在になってしまうこともなかった。
- 同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられてしまうこともなかった。
485系[編集 | ソースを編集]
1500番代が北海道での運用に成功していたら[編集 | ソースを編集]
- 781系は登場しなかった。
- その分、485系1000番代の製造数が増えていた。
- その玉突きで本州に回されることもなかった。
- 711系も登場せず、代わりに455系が北海道にも配備されている。
- いしかり→ライラックへの改名はなかった。
- 何故か北海道に回されたグリーン車が組み込まれていたかも。
- 置き換えは789系と同時期に行われていた。
- 4両編成への短縮はサハ481から改造していた。
- 同時期に製造されていた100番代辺りから改造していた。
E657系[編集 | ソースを編集]
基本7両、付属4両編成だったら[編集 | ソースを編集]
E657系は10両貫通編成で製造されましたが、置換え対象である651系とE653系のように基本7両、付属4両編成だったら?
- 基本編成同士の14両編成も運行していた。
- 両数に余裕があるので「ひたち」「ときわ」の全席指定化はなかった。
- 先頭車は貫通路付きだった。
- その分、グリーン車は普通車との合造車で製造され、無駄なスペースが生じることはなかった。
- 常磐線全線復旧時にいわき以北での輸送力過剰が心配されることもなかった。
785系[編集 | ソースを編集]
「モハ785-500番台」が3号車として連結されていたら[編集 | ソースを編集]
- 785系の旧・付属編成は2002年に2本を1本にまとめて新たにモハ785-500番台が4号車として連結され5両編成化されました。もし、これが3号車として連結されていたら?
- クモハ785がuシート改造されていた。運転席をそのまま乗務員室として利用できたので乗務員室の扉を余計に埋める必要もなかった。
- 編成の外観が妙な感じになっていた。
一般用[編集 | ソースを編集]
62系[編集 | ソースを編集]
カルダン化改造が行われていたら[編集 | ソースを編集]
同じような経緯で登場した72系970番台と同様にカルダン化改造が行われていたら…。
- 113系3000番台となっていた。
- 台車と制御装置は101系から、主電動機は165系から流用している。
- 改造時期的に見て奈良線の電化開業用だった可能性が高い。
- 当時113系が使われていた桜井・和歌山線にも共通運用で入っていた。
- 105系の導入数が現実より少なかった。
- 貫通路が封鎖となり非貫通化された。
- 寸法が異なるため。
- ついでに前照灯・尾灯も角型に交換されている。
- 後に冷房化や体質改善工事が行われていた。
117系[編集 | ソースを編集]
3扉車として登場していたら[編集 | ソースを編集]
転換クロスシートを採用したためか、例に漏れず2扉です。
- 前面が115系顔になっていた。
- それでも制御装置の関係で117系に区分されている。
- 185系の先頭車も貫通型だった。
- 窓割りが不均衡になることから115系と比較して確実に窓の設計変更を強いられた。
- 恐らくこの時点で221系や311系の窓割りが採用されていた。
- 417系、713系、413系、717系も3ドアだった。
- 広島地区にも、115系3000番台ではなくこちらが新規投入されていた。
- 増備車に211系タイプのステンレス車両も存在していた。
- それどころか211系の転換クロス西日本仕様も登場している。
- さらには213系も車体は211系の設計を流用していた。
- この場合史実の221系は登場していない。
- いや、民営化したJRのイメージ向上のため現実通り登場していただろう。
- 311系もね。
- 223系導入による130km/h運転の開始で新快速から撤退するのは史実通りだが、多くの編成は快速の運用に回り引き続き東海道・山陽本線で活躍した。
- 岡山の「サンライナー」はともかく、和歌山や下関に転属する車両は存在しなかった。
- 113系で体質改善や110km/h対応(5000番台)化される車両が減っていた。
- 非ユニット窓の初期車は20世紀中に網干区から姿を消している。
- 現実と異なりこちらが体質改善工事を受けている。
- JR東海でも厄介者扱いはなされず、末期は中央西線と朝夕の関西線での運用が中心となっていた。
- ただしこちらの全廃は史実通り。
- 「WEST EXPRESS銀河」に改造されることはなかった。
- こちらは681系あたりが改造されていた。その場合交流電化区間である北陸への運用も存在していた。
- あるいは287系ベースで新製されていた。
- 私鉄でも3ドア転換クロスシート車の登場が早まっていた。
- 名鉄6500系や山陽5000系は当初から転換クロスシート装備で登場し、近鉄5200系の登場も早まっていた。
ステンレス車が存在したら[編集 | ソースを編集]
- 上記と被る記述が一部あるが、ここでは415系のごとくステンレス車が存在した場合を考えてみる。
- ステンレス車は213系タイプの車体で、1000番台に区分されていた。
- 100・200番台は存在せず、代わりに1200番台も存在した。
- JR東海の継承車はステンレス車のみ途中で読替装置搭載が行われた。
119系[編集 | ソースを編集]
静岡地区に転用されなかったら[編集 | ソースを編集]
119系は一部の編成が静岡地区に回された時期がありましたが、もし、静岡地区に転用されなかったら?
- 飯田線に165系が追加投入されることはなかった。
- 中央西線の115系との交換数も減っていた。
- するがシャトル色の119系は存在しなかった。
- 111・113系4連がするがシャトル色になったかも。
- 静岡地区において足を引っ張る存在になることはなかった。
- 車両の絶対数が不足するので111系がJR発足後も四国以外に残留していた。
- モハ62・クハ66が新性能化改造して113系に編入した車両を投入していたかもしれない。
- 111系先頭車の中には冷房化されて2000年頃まで活躍した車両が存在したかも(史実の119系一部編成の代わりに国鉄末期から冷房化開始)。
- 国鉄時代に冷房化された車両はなかった。
- 全車が民営化後にインバータクーラーで冷房化されるため、番台区分が史実と異なっていた。
123系[編集 | ソースを編集]
1号車がJR西日本に譲渡されていたら[編集 | ソースを編集]
- すでに2012年時点でJR東日本自体単行用電車の製造を行わない方針をとっていたので、JR西日本に譲渡できなかったか考えてみる。
- 譲渡時期は1998年のE127系投入完了後か、2013年の運用離脱後だった。
- 譲渡時に前面貫通扉の設置もなされている。
- 投入先は当初より宇部線であり、2 - 6号車と共通運用が組まれている。
201系[編集 | ソースを編集]
埼京線に投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 当初から201系導入していれば、短期で205系に置き換えられる事は無かっただろう。
- 2006年頃にE233系に置き換えられていた。
- 場合によってはウグイス色の201系が本当に見られていたかもしれない。
- 志村ー、関西本線、関西本線。
新製当初から豊田電車区に6+4両分割編成が配置され、青梅・五日市線用の既存車も置き換えていたら[編集 | ソースを編集]
- 編成番号はおそらく基本編成がT6○○編成・付属編成がT4○○編成を名乗る。
- 基本編成の方が付属編成よりも少し多く製造された。
- PS24搭載車が史実より多い代わりにPS35C搭載車が少なかった。
- 旧武蔵小金井区の編成は豊田区転入後'07年3月改正まで基本編成が6○○編成・付属編成が4○○編成を名乗った。
- その代わり中央・総武緩行線への201系投入は無く他区所からの103系転属車両数が多かった。
- 黄色5号塗装の201系は存在しなかった。
- 205系中央・総武緩行線用の導入数が多かったかも。
- 結局中央・総武緩行線へのE231系0代導入後に京葉電車区へ転属(史実の201系中央・総武緩行線用の代わりに)。
- サハ8両は先頭車化改造され中原区に転属、代わりに同数のクハが「成東・勝浦運用」充当の為京葉区に転属・10両固定編成から6+4両分割編成に変更された。
- 最終的にE233系5000代6+4両分割編成運用開始まで運用された。
- 中原区から転属してきたクハに電気連結器が装備され6・7号車に組み込まれた。
- 600代以外にも電気連結器装備のクハが存在した。
- 基本編成の方が付属編成よりも少し多く製造された。
- '86~'96年の青梅・五日市線と武蔵野線の共通運用化はなかった。
- 201系の武蔵野線運用と青編成は存在しなかった。
- 101系1000代の青梅・五日市線運用やサハ103-3000の豊田区転入もなかった。
- 上記通り中央快速線と青梅・五日市線の共通運用化が実現した為。
- 後継車E233系も同様だった。
- 青梅・五日市線の103系は国鉄時代に全廃できた(他区所へ転属)。
- 「四季彩」改造車は史実通り存在した。
- 201系の武蔵野線運用と青編成は存在しなかった。
- '85年3月改正で中央快速線に加え青梅・五日市線の所要時間短縮が実現していた。
- 中央快速線と青梅線の直通列車が史実より多かった。
- 青梅・五日市線沿線の宅地開発が1990年頃にかなり進んでいた。
- 秋川市と五日市町の合併時期が史実より遅かったかも。
- 羽村町の市制施行は'80年代のうちに行われた。
- 青梅・五日市線沿線の宅地開発が1990年頃にかなり進んでいた。
- 青梅線立川~青梅間・五日市線へのATOS導入は中央線東京~甲府間と同時だった可能性も。
- 中央快速線と青梅線の直通列車が史実より多かった。
大阪環状線に新造投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 現実にはJR京都・神戸線からの転用で投入されました。
- 史実と異なり、103系の全てを201系に置き換えていた。
- 大阪環状線の103系(桜島線用除く)は国鉄時代に全廃されていた。
- 桜島線用はUSJ開園後あたりまで103系が残った。
- 大阪環状線の103系(桜島線用除く)は国鉄時代に全廃されていた。
- 関西でも原型のオレンジ色201系を見ることができていた。
- 電機子チョッパ制御車は低速で駅間距離が短い方が性能を発揮しやすいので、まさに201系に打ってつけの路線になっていた。
- 史実で大阪環状線に転用されたJR京都・神戸線の201系は大和路線の他阪和線への転用もあった。
- 編成両数が短いので先頭車化改造も行われていた。
- 体質改善工事は史実通り行われ、やはり323系に置き換えられて2019年に引退していた。
- やはり間合い運用で大和路線の快速運用が存在していた。
205系[編集 | ソースを編集]
東急車輛製造が技術開示を拒否していたら[編集 | ソースを編集]
この頃の国鉄は独占発注せず、複数社発注が当たり前だった
- ステンレス車両は東急車輛製造の天下だった。
- 国鉄時代に製造されたのは田窓車だけだったと予想。
- むしろ量産車はアルミ車体になった。
- あるいは車体のみ201系踏襲で量産されている。
- 1980年代以降の鉄道車両はアルミ車体が主流になっている。
- あるいは他の車両メーカーが独自にオールステンレス車体を開発していた(近畿車輛で製造された近鉄3000系という実例あり)。
史実より早く京阪神緩行線から撤退したら[編集 | ソースを編集]
- 撤退時期が遅かったためかサハとモハに余剰廃車が発生しています。
- 和田岬線は205系6連2本でやりくりしていた。
- JR東日本に倣ってサハが先頭車化改造を受けていた。
- 新区分クハ205・204形1300番台が登場した。
- それ以外の9本は早いうちに奈良線に転属していた。
- 103系の奈良線撤退は2本のみ史実通りだった。
ワンハンドルマスコンを採用していたら[編集 | ソースを編集]
- 実際に検討されていたらしい。
- 211系など、国鉄やJRで民営化前後に登場した電気指令式ブレーキ車は、全てワンハンドルマスコンだった。
- JR西日本もワンハンドルマスコン車を保有していたことになる。
- 定着していた場合、221系以降の電車でもワンハンドルマスコンが装備される。
- 313系の米原以西乗り入れは容認されていた。また、西日本の近郊型の東海管内乗り入れも継続されていた。
- 南海1000系・京阪7200系・阪神9000系あたりでもワンハンドルマスコンが採用されたかもしれない。
- 定着しなかった場合、205系(場合によっては213系も)はJR西日本から早期淘汰されていた。
- あるいは体質改善工事の際に運転台ごと225系タイプのツインレバー型に交換されていた。
- 定着していた場合、221系以降の電車でもワンハンドルマスコンが装備される。
- 211系とE231系の併結が見られたかもしれない。
- ドア数が異なるため難しかったと思われる。
大阪環状線専用車が存在したら[編集 | ソースを編集]
- 103系、201系の大阪環状線専用車は登場しましたが、本系列には存在しません。
- 京阪神緩行線撤退後、8連2本のみの配置となっていた。
- 代わりに6連2本が大和路線・おおさか東線系統に配置されていた。
- 1000番台の奈良線配置は史実通り。
- 2018年の323系投入で2本とも撤退し、この際4連化され奈良線に転属し、ようやく205系に初の廃車が出ていた。
- むしろ323系は4扉で製造され,本形式は置換え対象になっていなかったかもしれない。
207系[編集 | ソースを編集]
全て7両固定編成で製造されていたら[編集 | ソースを編集]
史実では、7両固定編成は試作車として1編成のみ製造された。
- 1989年3月に片町線全線で7両編成での運転が実現されたらあり得た。
- 体質改善工事は編成単位で行われ、未施工車と施工済車の併結はなかった。
- 1000番台も7両貫通編成で新造され、2+6両の8両編成は登場しなかった。
- 東西線開業時の編成替えで0番台と連結されることもなかった。
- 試作車も廃車されず、体質改善工事の対象になった。
西日本車も国鉄仕様だったら[編集 | ソースを編集]
かつてJR東日本に存在した国鉄仕様とJR西日本車は完全に異なります。
- 足回りだけ西日本仕様となっていた。
- F1編成は950番台を名乗っていた。
- 0・950番台は三菱PTr-VVVFではなく東芝初期型GTO-VVVFとなっていた。
- 3連と4連で製造され、一部先頭車には貫通幌が設置されていた。
209系[編集 | ソースを編集]
3100番台が埼京線に投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 恐らくりんかい線がJRに買収されたと言う感じか。
- こうなるんだったら209系導入させた方が良かったんじゃと言う声も入りそうが、果たして?
- E233系は史実通り導入していた可能性が高い。
- だとすると、やはり八高線に転属していた?
- E233系の置き換え対象となるが、ATACS設置絡みで最後まで残留しそう。
- そして廃車になりかけるが、房総地区に拾われ、BOSO BICYCLE BASEに改造されそう。
- 中間車が不足するので新製数が増えていた。
211系[編集 | ソースを編集]
6000番代が213系だったら[編集 | ソースを編集]
6000番代は当初、213系として登場する予定でした。
- 211系との違いは扉の数と設備の違いを理由としたものではなかった。
- 編成を組むクハは211系であることは変わらなかった。
6000番台の投入先が違っていたら[編集 | ソースを編集]
史実では御殿場線などに投入されましたが、もし、他の路線だったら?
- 飯田線
- 編成を組むクハはトイレが設置されていた。
- 165系を置き換えていた。
- 関西本線
- 213系5000番代は飯田線に投入されていた。
- 213系5000番代が扱いづらい存在になることもなかった。
- 119系が飯田線に戻ってきたあとは一部が身延線で使用されていた。
- そして2両編成が完全ワンマン化されると全廃される。
- あるいは213系5000番代が身延線に配置されているか、下手をしたら東海向け213系自体が計画されていない。
- この場合、飯田線に313系3100番代が新規投入されている。
- 路線の事情にマッチしていた。
- 313系で関西線がワンマン化された後は中央西線の増結用にも充てられている。
- 2022年3月の8両統一後もしばらく残留していた。
- 中央西線
- ローカル区間までロング地獄に加わっていた。
- ワンマン化とトイレ設置がなされ、313系3000番台は神領に来なかった。
- いち早く神領のオールロング化を達成していた。
- 315系の2連ワンマン仕様も存在している可能性がある。
6000番台が途中のタイミングで静岡から転属していたら[編集 | ソースを編集]
- 315系投入であとは廃車を待つだけとなったので書いてみる。
- 飯田線転用のタイミングで神領
- 身延線2両編成の完全ワンマン化が実現していた。
- 中央西線の増結用および、関西線にて使用されている。
- 2022年改正以降、「お手洗いはついていませんご了承ください」のアナウンスが中央西線からしばらく消えなかった。
房総の3000番台が転属せず編成短縮されたら[編集 | ソースを編集]
- 房総の3000番台は5連で扱いづらいため3連化されて長野転属になりました。
- 4連15本の体制になっていた。
- 余剰中間車は当然廃車されていた。
- 209系は長野地区の115系の置き換えに回されていた。
- さらに209系2000・2100番台が中央快速線・青梅線・五日市線でも使用されていた。
- 代わりに史実上長野転属になった他の211系も房総に来ていた。
- 史実上は廃車された田町の211系2000番台付属も4連化の上で房総地区の113系置き換えに充てられた。
- 宇都宮線にはE233系4連または5連が来ていた。
- 房総地区へのE131系投入で一部廃車されていた。
- 宇都宮線にE131系は来ず、青梅線・五日市線・長野地区にE131系、中央快速線にE235系グリーン車付きを投入して209系を廃車に追いやっていた。
- 神領区の211系・313系置き換えはすべて4ドア車になっていた。
2000番台が名古屋地区に投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 4両編成と8両編成が現れた。
- 0番台の8両固定編成も登場していた。
- 1999年の313系投入で4連、8連ともに中央西線送りになっていた。
- 211系6000番台が神領区にも入っていた。
- 2022年以降の置き換えで代替対象となるも、2000番台8連のみは315系投入後もしばらく共用されている。
213系[編集 | ソースを編集]
5000番代が当初からあの路線に配置されていたら[編集 | ソースを編集]
- 飯田線
213系5000番代は当初、関西本線などに投入され、その後飯田線に転用し、現在に至っています。もし、当初から飯田線に配置されていたら?
- 登場時からトイレを設置していた。但し和式。
- 211系5000番代は関西本線でも運用されていた。
- むしろ211系6000番代が関西線に投入されていた。
- 115系は中央本線に残留し、飯田線に回されることはなかった(飯田線に115系が回されたのは165系との交換条件であるため)。
- 119系するがシャトル車が戻ってきた際に一部が身延線に転出していた。
- そよ風トレインの種車になっていた。
- 117系とは違い、現在に至るまで運行していた。
- JR東海は観光列車に消極的だからどうだろうか。
- 117系とは違い、現在に至るまで運行していた。
- 扱いづらい存在になることはなかった。
- 御殿場線・身延線
- 代わりに211系6000番代が関西線に投入されていた。
- 同様に扱いづらい存在になることはなかった。
- 313系W編成は当初からワンマン非準備車かつ勾配非対応車として登場していた。
- トイレ設置改造時期が早まっていた。
- 身延線完全ワンマン化で全廃になっている。
- 中央西線
- 115系を置き換えていた。
- 115系は史実通りに飯田線に回されていた。
- その分、交換条件で165系が回されることはなかった。
- 115系は史実通りに飯田線に回されていた。
- トイレは当初から設置されるが和式だった。
- 東海道本線
- 当初から120km/hに対応していた。
- 2ドアタイプの311系も製造されていた。
- 117系は神領に転属して中央西線末端部に転用されていた。
- もしくは身延線にも転用されていた可能性がある。
- ホームドア設置で飯田線送りになっている。
飯田線に転属しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 313系3100番台2連30本が代わりに飯田線に直接導入されている。
- 313系1100番台の本数は1本少なく、1300番台は武豊線向けの2連8本のみとなる。
- 2022年3月以降は真っ先に廃車対象となる。
- 2024年春改正における身延線2両の完全ワンマン化は検討されていなかった。
- あるいは静岡の313系2300番台のワンマン化が進んでおり、こちらであっさりワンマン化を完了していた。
関西の新快速にも投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 登場がやや早まっていた。
- 117系100番台はなかったか、JR東海の不足先頭車だけだった。
- 外観はステンレス車体にマルーンの帯だった。
- 車内も117系と同様の木目調となっていた。
- 高速運転のため、MT比は1:1となっていた。
- 性能面では211系と同様となり、JR東海の211系6000番台とは逆のケースとなっていた。
- 民営化後は221系や223系の増備に伴い新快速から撤退し、岡山や山口、京都地区のローカルに転用されていた。
東日本向けが存在したら[編集 | ソースを編集]
- 車内が2ドアながらセミクロス、またはオールロングシートとなっており、つり革も多くついていた。
- 投入線区は信越本線や吾妻線、大糸線や弥彦線あたりになる。
- E127系は存在しない。
- 1997年の長野新幹線暫定開業で169系の代わりにしなの鉄道に一部が譲渡されている。
- 両毛線に211系がやってきたあとも一部が残留し、2023年現在も現役車両が存在している。
E231系[編集 | ソースを編集]
JR東海区間に乗り入れなかったら[編集 | ソースを編集]
- 沼津乗り入れは211系廃車で終了していた。
- 踊り子修善寺乗り入れも185系廃車で終了していたかも。
800番台が常磐緩行線にも投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 203系の置き換えは後継となるE233系2000番台で行われましたが、これがE231系800番台での置き換えだったら?
- 当然、207系900番台も史実通り置き換えられた。
- 209系1000番台も小田急乗り入れ対応改造がなされた。
- 3000形10両固定編成が開発され、当初から貫通扉がついていた。
- E233系2000番台は鶴見線・南武支線向けに投入された。
- 南武支線向けも3連になっている。
E233系[編集 | ソースを編集]
7000番台が製造時からATACS搭載だったら[編集 | ソースを編集]
- 205系1編成が暫定的に残留することはなかった。
- 製造コストが増えたので導入完了が少し遅れていた。
青梅線に投入されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 201系の最後の活躍線区は青梅線であった。
- 置き換えは209系かE231系が転属。
- 時期的に209系の転属で対応しそう。
- その分、房総地区への導入数が減り、211系が残留していた。
- 時期的に209系の転属で対応しそう。
- 置き換えは209系かE231系が転属。
- 南武線は現在でも209系が1編成だけ残留し続けていた。
- 運用見直しで編成数を減らすかどうかで議論になっていた。
- BOSO BICYCLE BASEは登場しなかったか?
- 青梅線減便で持て余した車両を回してそう。
- 211系から改造していたかも
- 史実通りにE233系へ統一され、8500番台は京浜東北線で持て余した車両が転用されていた。
- 余剰車は休車→7000番台に改造してハエ132編成に組み込んでたか?間が長いのがネックになりそうだけど。
- 1000番台を中央快速に回して捻出した6連を転用させていたかもしれない。
武蔵野線に投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- もしE331系が量産されていたらである。
- こちらが5000番台と名乗っていた。
- 総武線のE231系0番台は武蔵野線ではなく相模線に転属していた。
- その分、0番代の多くが6M4T化されてしまい、500番代の転用先が総武緩行線以外にも転用されていたかも。
- 209系はつい最近まで残りそうな気がする。
- 構造的には埼京線とあまり変わらなさそう。
0番台青編成が存在しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 編成番号は基本編成がH643編成から・付属編成がH443編成からになっている。
- 基本編成の方が付属編成よりも少し多く製造されるが0代全体の製造両数は史実より少ない(中央快速・青梅・五日市線の予備車を共通化できた為)。
- 史実の8500代相当の車両はは8000代の増備で賄った。
- 史実のT71編成の編成番号は少し繰り上がっていた。
- 基本編成の2階建てグリーン車連結・トイレ設置・H8○○編成への変更がされなかった編成はグリーン車営業開始後地方へ転出した可能性も(付属編成は全編成トイレ設置され青梅・五日市線関連運用が増える)。
- 209系1000代の中央快速線系統への転属は現実同様にあった。
- 中央快速線と青梅線を直通する列車本数が史実より多かった。
- '13年春の改正で中央快速線に加え青梅・五日市線の所要時間短縮が実現していた。
- 4連がワンマン化改造を受けてもP編成とはならなかった。
311系[編集 | ソースを編集]
2両編成が存在したら[編集 | ソースを編集]
- 2両編成は213系ベースの足回りだった。
- クモハ311が1000番台に区分されたが、クハ310は0番台の続き番号になっていた。
- 東海道本線の増結用の他、関西線にも配置され、213系が存在しなかった。
- いずれも315系による置き換えが終わるまで転属しない。
313系[編集 | ソースを編集]
全て転換クロスシートだったら[編集 | ソースを編集]
- 関東地方でも転換クロスシートの車両があった。
- JR東日本涙目。
- JR東海は同じ車両しかないと揶揄された。
- 18きっぱーから「静岡県内が地獄」と言われることもなかったか?
- 逆に普段が地獄になっていただろう。
- キハ25系も全車両転換クロスシートになっていた。
- 観光路線でなおかつ長距離路線である高山本線や紀勢本線では喜ばれていただろう。
- さらには315系まですべて転換クロスシート車だった。
8000番台以外オールロングシートだったら[編集 | ソースを編集]
- アンチJR東海が増えていた。
- 名古屋地区の混雑もマシだった。
- 一方名鉄はクロスシート車を増備した。
- キハ25形0・100番台もロングシートになっていたかもしれなかった。
- オールロングの新快速ということでJR西日本の225系もすべてオールロングになりかねなかった。
すべて偶数両編成だったら[編集 | ソースを編集]
- 東海道本線名古屋地区の2両単独運用は廃止されなかった。
- 300・5300番台も早々とワンマン化されている。
- 1100番台が飯田線で使用されていた。
- 2500・2600番台が存在せず、代わりに2000番台が存在していた。
- オールロングシートの6両固定(仮称2100番台)も神領と静岡に投入されていた。
- しかも神領にオールロング6両があったら315系投入後も神領に残ることになる可能性が高くなる。
8000番台が当初の予定通り2000番台として登場していたら[編集 | ソースを編集]
- 当初2000番台と計画されていた8000番台でしたが、半ば特急型というイメージを持たせるために2000番台をボツにしたという逸話があります。
- 静岡地区のロングシート車は5300・5500・5600番台となっていた。
- 史実上の5000・5300番台は100・500番台あたりになっている。
- 2019年の代替新造は200・600番台が使われている。
神領所属の4連の配置と大垣転属時期が異なっていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実上では1999年に3編成、2006年に2編成、2011年に1編成投入され、2023年にまとめて大垣転属となりましたが、このシナリオが異なっていたら?
- そもそも配置されなかったら
- 3連も配置されず、211系3連8本が静岡から転属してきていた。
- 1000・1600・1700番台は存在せず、1100・1500番台はそれぞれ100番台と、セミクロスシートの3500番台になっていた。
- 代わりに2500番台が4本、2600番台が3本静岡に追加増備されている。
- 0番台4連3本の大垣投入で311系が3本、100番台4連2本の大垣投入で211系0番台が2本、213系飯田線転出の際の313系4連3本の大垣投入で311系が3本神領にやってきていた。
- 315系8連が大垣にも数本配置されている。
- 211系0番台の廃車は史実通り。
- 2011年の213系飯田線配置の際に大垣に転属していたら
- 大垣のJ1 - 3編成が1000番台、J4・5編成が1100番台の元・神領とされ、J6編成以降が1100番台の大垣生え抜きとなっている。
- 代わりに311系4連6本が神領に転属している。
- 211系0番台の廃車は史実通り。
- 2011年の213系飯田線配置の際の増備が多かったら
- 1100番台のこの際の増備が3編成になっている。
- 当然、211系0番台の転属はない。
- それでも2022年3月の211系0番台の廃車は史実通りだが、311系の廃車が遅れている。
- 2022年に全編成が大垣に転属していたら
- 関西線から3連・5連運用は廃止されず、2024年3月改正でようやく廃止となる。
- 2023年12月に入っても関西線から転属しなかったら
- 都市型ワンマン化の改造を受けた。
- 大垣に315系が配置され、313系J0編成が転属してきた。
神領所属のワンマン対応車が当初から転換クロス仕様だったら[編集 | ソースを編集]
- 1999年の当初はセミクロスの3000番台で、2011年に入ってようやく転換クロス・車端部ロングの1300番台が導入されていますが、1999年の導入時点で転換クロス仕様だったらどうなっていたのか考えてみる。
- 番台区分は300番台で、車端部は固定クロスとなっていた。
- 史実の300番台も317 - 332に振られ、ワンマンおよびダブルパンタの準備工事が施工されていた。
- 史実の300番台については119系置き換えの際に16本ともワンマン化されていた。
- あるいは3300番台が振られ、史実の300番台に変化はなかった。
- 119系置き換えの際は213系と異なり転属対象から外れ、代わりに5300番台が大垣向けに16本多く増備されていた。
- 3300番台だった場合はセミクロスの3100番台が大垣に直接投入されている。
- それでも1300番台は投入されたが、213系置き換え分の2連8本と武豊線電化の2連8本だけになっていた。
315系[編集 | ソースを編集]
8両編成が併結対応仕様となっていたら[編集 | ソースを編集]
- 315系の8両編成は一応増備が完了しましたが、全23編成に併結対応の電気連結器や貫通幌が搭載されていません。
- 電気連結器と貫通幌は号車番号から踏まえると中津川方にのみ搭載されていた。
- 中央西線の10両運用は廃止されなかったか、10両に加えて12両編成が爆誕している。
- それでも4両と6両は廃止になる。
- 神領発松本行きの運用はなくならなかったが、中津川までは10両化されていた。
- それどころか、土浦駅のごとく、松本行きの10または12両だが後ろ8両を中津川で切り離す運用や、松本発の2または4両で、前に8両を中津川で連結する運用が設定されていた。
323系[編集 | ソースを編集]
女性専用車両がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 20m規格の3ドアの女性専用車両は西武にわずかにあった程度で終わっていた。
- JR西日本も女性専用車両・女性専用席・女性専用パウダールーム全廃に向かっていた。
- WEST EXPRESS銀河・らくラクはりまにも女性専用席はなかった。
- 日本国内では女性専用○○の全廃を推進し始めた。
- あったとしても朝ラッシュ時だけだっただろう。
- WEST EXPRESS銀河・らくラクはりまにも女性専用席はなかった。
大阪環状線以外にも配置されていたら[編集 | ソースを編集]
- 恐らく奈良と日根野に配置されていた。
- おおさか東線・大和路線・阪和線の普通はこれになっていた。
- 朝夕のラッシュ時には快速にも運用される。場合によっては大和路線から大阪環状線に直通する区間快速もこれで運用されていた。
- ラインカラーは奈良は茶色で日根野はスカイブルーになっていた。
- おおさか東線・大和路線・阪和線の普通はこれになっていた。
- 編成は4両あるいは6両固定編成となり、1000番台で区別されていた。
- 羽衣線もこれの4両が就いていた。
- 221・225系に女性専用車が設定されることはなかった。
225系[編集 | ソースを編集]
5100番台6両編成に女性専用車両がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 323系とほとんど同じかな。
- トイレと女性専用車両が両方ある編成は存在しない。
T車が製造されたら[編集 | ソースを編集]
史実では全車が電動機を2基搭載している。
- 8両編成,6両編成にはそれぞれ2両,4両編成には1両挿入され,8両編成では6M2T(実質3M5T),6両編成では4M2T(実質2M4T),4両編成では3M1T(実質1.5M2.5T)になる。
E331系[編集 | ソースを編集]
吊り掛け駆動方式だったら[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも機器類に重大なトラブルは発生しなかった。
- それでも量産は見送られた。
- 使い勝手の悪さからコロナ禍の減便で余剰になった京浜東北線E233系により置き換えられていた。
415系[編集 | ソースを編集]
1500番台が九州地区に導入されなかったら[編集 | ソースを編集]
415系1500番台は元々、九州地区への導入する予定はなかったのですが、門司鉄道管理局からの要望で結果的には九州地区にも導入されました。もし、九州地区に導入されなかったら?
- ライトブルー帯の415系は存在しなかった。
- 史実で九州地区に導入された編成は全車常磐線に配置されていた。
- その玉突きで500番台が九州地区に回されていた。
- 1500番台がJR九州に譲渡されることもなかった。
- もしかしたら、1700番台のモハも登場し、ステンレス車だけで組成された7両編成が登場したかも。
- その玉突きで500番台が九州地区に回されていた。
- 417系が九州地区に投入された可能性もある。
鋼製車の塗色変更がなかったら[編集 | ソースを編集]
- 小田急のパクリと揶揄されることはなかった。
- 常磐緩行線に小田急車の乗り入れに際して誤乗が懸念されてしまうこともなかった。
- 1500番台とE531の帯はピンクだった。
- 常磐線中電のラインカラーもピンクだった。
- JR九州の一般車両の標準色は415系新塗色のアレンジではなかった。
仙台地区に投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 寒冷地仕様の500番台となっていた。
- 史実の500番台は700番台として製作され、800番台は2000番台となっていた。
- 史実で仙台地区に投入された417系や451・453・455・457系や715系は盛岡・秋田地区に投入された。
- よって719系の登場は現実通りだが盛岡地区だけに導入され、701系は登場せず、羽越本線向けに511系(419系の交直流版)が導入され451・453系や715系を置き換えていた。417系置き換えのためにE721系の導入は現実通り。
- 仙台地区にも415系置き換えのためにE531系が導入されていた。
- 運用範囲は東北本線では黒磯~一ノ関間、常磐線では、いわき以北となっていた。
- 仙石東北ラインもE531系電車での運行となっていた。
- 石巻線も電化され、この系列での運行となっていた。
417系[編集 | ソースを編集]
北陸地区にも投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 七尾線が国鉄時代に電化されていた。
- トキ鉄やあいの風とやま鉄道への譲渡車も存在した。
- IRいしかわ鉄道やハピラインふくいにも下手したら継承される。
別の会社にも譲渡されていたら[編集 | ソースを編集]
- 運用終了後、阿武隈急行以外への譲渡車があったら?
- JR西日本
- 40N工事を受けた。
- 419系を置き換えていた。
- 七尾線の521系投入で流石に廃車になっている。
- 肥薩おれんじ鉄道
- 唯一の電車車両として、会社の目玉になっていた。
- おれんじ食堂はこの車両から改造されている。
701系[編集 | ソースを編集]
最初からセミクロスシートで製造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 猛反発が起きることもなかった。
- 東北の優等列車快速格下げが史実より多くなっていた。
- 通勤形への区分に語弊があると言われていた(元々通勤形として登場したので)。
- 一般形と称していたかも。
- 815系もセミクロスシートだった。
0番台が東北本線・常磐線(仙台地区)に投入されていたら[編集 | ソースを編集]
701系の最初の投入先は秋田地区でしたが、もし、仙台地区だったら?
- ロングシート車を運行している仙石線の存在で史実ほど叩かれなかった。
- ただし鉄道ファンの評価は史実と変わらなかった。
- 仙台地区の混雑緩和に貢献していた。
- 50系客車の置き換えが遅れていた。
- 701系1000番台は盛岡地区用に留まっていた。
- 701系1500番代は秋田地区に投入されていた。
- E721系が秋田地区に投入されていた。
713系[編集 | ソースを編集]
日豊本線(大分地区)に投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 運用範囲は中津~佐伯。
- 2018年3月のダイヤ改正以降は重岡まで足を伸ばしているかも。
- 大分地区への415系あるいは815系の配置数が現実より少なかった。
- 815系と共通運用の便もあった。
東北地区にも投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- 417系、455系、717系と併結可能だった。
- 番台区分は100番台となっていた。
- 阿武隈急行線で8100系は用意されず、代わりに713系が譲渡されていた。
- 磐越西線に719系が来ず、一旦は本系列で統一されていた。
- 流石にE721系1000番台の投入で全廃されていた。
715系[編集 | ソースを編集]
九州向け0番台が本系列でなく419系だったら[編集 | ソースを編集]
- 下関まで足を伸ばしていた。
- 引退に関しては史実どおりだったが、JR九州が早い段階で交直流電車を製造していた。
717系[編集 | ソースを編集]
九州向け200・900番台が本系列でなく413系だったら[編集 | ソースを編集]
- 当然、200番台や900番台を名乗った。
- 下関までこちらも足を伸ばしている。
- 引退が遅れ、415系鋼製車全廃後もしぶとく残っている。
721系[編集 | ソースを編集]
8次車が最初から6両固定編成で投入されていたら[編集 | ソースを編集]
721系8次車はコストを抑えるため中間車のみを新製し、当時3両編成だった6・7次車の中に組み込んで6両化しました。もし8次車が最初から先頭車を含めた6両固定編成で投入されていたら?
- 今みたいに内装にばらつきがなく統一感があったに違いない。
- F-5001という珍編成は生まれなかった。それでもエアポートの予備車確保のためクハ721-1009の全室uシート化は変わらない。
非営業用[編集 | ソースを編集]
クモユ143[編集 | ソースを編集]
廃車されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 史実上では、郵政省所有であったが故、郵便輸送廃止の際に、国鉄譲渡や国鉄清算事業団の保留車ともなされず即刻廃車解体されています。
- 国鉄清算事業団が瀬戸大橋開業を見越して3両とも引き取り、JR西日本に継承されている。
- 1988年にクモハ84の代わりにクモハ123として宇野線ローカルで使用され、代わりにクモハ84が存在しなかった。
- 冷房装置は郵便車時代のものが再利用されていた。
- ただし、デフォルトの3基では能力が不足するため追加で1両あたり2基ずつ廃車発生品を持ってきている。
- 番号は7 - 9号車で、側面は2 - 4号車と同一か、あるいは種車のドア配置が活かされるかのいずれかとなっている。
- 冷房装置は郵便車時代のものが再利用されていた。
- 2022年現在は小野田線でクモハ123として現役となっているはずである。
気動車[編集 | ソースを編集]
キハ23形・キハ45形・キハ53形新造車[編集 | ソースを編集]
JR東海が一部継承していたら[編集 | ソースを編集]
- JR東海にのみ継承車ゼロでした。
- 継承車全車が延命工事と同時にカミンズ製エンジンとDW14系変速機に交換されていた。
- ついでに冷房化も受けていた。
- キハ53を継承した場合は台車もキハ80の発生品に交換されて最高速度引き上げ改造を受けていた。
- 快速みえの予備車にもなった。
- 置き換えは2008年頃から始まり、2014年の快速みえ減車でJR東海から全廃されていた。
キハ31形[編集 | ソースを編集]
北海道にも投入されていたら[編集 | ソースを編集]
- もし、キハ54のように北海道にも投入されていたら?
- 500番台を名乗り、日高本線に投入されていた。
- キハ130は登場しなかったが、キハ160は投入されていた。
- 出力不足から早々とキハ160と同一の台車・機器に換装され延命を受けていた。
- ついでにトイレも取り付けられた。
- 踏切事故では修復されずに廃車されていた可能性が高い。
- 流石に2021年の部分廃止とH100形投入で全廃になっている。
キハ33形[編集 | ソースを編集]
オハフ50からも改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- ワンマン対応となるように、オハ50から改造された結果、2両で増備が打ち切られました。
- オハフ50のでグループは0番台となっていた。
- キハ40系と共通運用が組まれていた。
- 機関換装の上で2022年に入っても一部現役となっている。
- うみやまむすびやベル・モンターニュ・エ・メールもキハ40ではなくこちらから改造されていた。
キハ54形[編集 | ソースを編集]
500番代が日高本線に投入していたら[編集 | ソースを編集]
- キハ130形は登場しないか別の線区に投入されていた。
- 史実のキハ130形とは違い、塩害に悩まされることなく、早期廃車になることはなかった。
- 踏切事故では修復されずに廃車になっていたかも。
- 2021年の部分廃止後は同線の主力になっている。
- そして737系投入でH100形への玉突き置き換えにより旭川に転属し、同区のキハ40を玉突き代替している。
キハ80系[編集 | ソースを編集]
JR東海でエンジン換装されていたら[編集 | ソースを編集]
- キハ58のごとく機関換装を受けていたら?
- キハ85の投入が遅れていた。
- 新塗装化もされていた。
- リゾートライナーの引退も遅れていた。
HC85系[編集 | ソースを編集]
空気ばね式の車体傾斜車両だったら[編集 | ソースを編集]
- 高山線はカーブが多いため、N700系やプユマ号で実績のある空気ばね式車体傾斜装置をつけるべきだったという声があります。
- 本格採用の前にキハ85で試験を行っていた。
- 315系が東海道本線に真っ先に投入され、ついでに空気ばね式車体傾斜装置も搭載していた可能性がある。
キハ120形[編集 | ソースを編集]
可部線非電化区間にも投入されていたら[編集 | ソースを編集]
鉄道雑誌にそう書かれていたとか
- それでも朝夕はキハ40が使われていたかもしれない。
- 存廃問題は…変わらないか。
- 史実通り廃止されていたら芸備線に転属。
キハ130形[編集 | ソースを編集]
ステンレス車体だったら[編集 | ソースを編集]
- 後にJR西日本が導入するキハ120形に似たスタイルになっていた。
- 前面は史実のキハ130、側面はキハ120に似たスタイルになっていたかも。
- 土佐くろしお鉄道の気動車みたいだな。
- あるいはキハ31の改良版みたいになっていた可能性もある。
- 前面は史実のキハ130、側面はキハ120に似たスタイルになっていたかも。
- 塩害に悩まされることもなかったので早期廃車もなかった。
- キハ40系に置き換えられることもなかった。
投入先が日高本線でなかったら[編集 | ソースを編集]
- 塩害に悩まされることはなかったので早期廃車はなく、現在でも運用していた。
- 実際、北海道ちほく高原鉄道に投入された同型車CR70形は廃止まで使用されている。
- 宗谷本線あたりに投入されていた。
- 札沼線の石狩当別以北や富良野線も有り得た。
- 投入路線に維持困難路線が多かったので史実通りキハ40より短命になったかもしれなかった。
- 札沼線の石狩当別以北や富良野線も有り得た。
キハ141系[編集 | ソースを編集]
「キハ142-201」が「キハ143-105」に改造されていたら[編集 | ソースを編集]
- 室蘭本線に転用するためキハ143-155とペアを組んでワンマン改造されていた。
- SL銀河の編成は史実のキハ143がキハ141になっていた。
急行用車両が存在したら[編集 | ソースを編集]
- キハ40系キハ400・480のような急行用車両も存在していたら?
- 流石に機器類は新造品で、キハ143と同一になっていた。
- 形式はキハ430あたりを名乗っていた。
- キハ400の引退後もキハ183と共通運用が組まれていた。
- ノロッコ号も510系客車ではなくキハ430系だった可能性がある。
キハ181系[編集 | ソースを編集]
「ひだ」にも運用されていたら[編集 | ソースを編集]
- 特急「しなの」の電車化によって、余剰になった車両を特急「ひだ」に転用される予定でしたが、現場の反対により、実現しませんでした。もし実現していたら…
- 特急「南紀」にも運用されていた。
- 急行「のりくら」用キハ91も全車冷房化の上で特急「ひだ」に転用された。
- キハ181系気動車は史実よりも多く量産されていた。
- 当時の国鉄の感覚では電化を推進していたのでむしろ現実と変わらず。
- 国鉄キハ80系気動車は北海道に集中していた。
- いくらなんでも北海道でも充足していたのでむしろ山陰特急に集約していた。
- 国鉄末期からJR西日本初期にかけてキハ185系あたりに代替された。
- いくらなんでも北海道でも充足していたのでむしろ山陰特急に集約していた。
- JR化後にカミンズ製のQSK19系エンジン(700馬力級)への換装が行われ延命されていた。
- キハ85系の導入も遅れた。
- 塗装も国鉄色からキハ58快速みえ用車両に準じた塗色になった。
キハ185系[編集 | ソースを編集]
JR九州に譲渡されなかったら[編集 | ソースを編集]
- 3000番台・3100番台(普通列車仕様)に改造される車両が増えていた。
- ジョイフルトレインはキロハ186から改造していた。
- それでも2020年ごろにはいくつかの車両は廃車になっていた。
- ゆうゆうアンパンマンカーが毎日運転になっていたかもしれない。
- JR九州自体は独自にキハ183系を新製している。
- 番台区分は2000番台あたりになっていた。
JR東海が独自に製造していたら[編集 | ソースを編集]
史実上ではキハ85がキハ80置き換えのために製造されましたが、これがキハ185だったら?
- 5000番台を名乗っていた。
- カミンズ製エンジンとC-DW14系変速機を当初から搭載していた。
- 製造当時よりキハ186、キロ185が設定されていた。
- JR東海版キロハ186とキハ186は当初から2エンジンだった。
- 快速みえ・急行かすがのキハ58の置き換えもキハ185で賄われていた。
- 快速みえは特急いせとして設定され、急行かすがも特急化され、廃止されなかった。
- キハ75は武豊線の区間快速置き換え用の投入のみとなり、形態も313系に近づいていた。
- 313系と併結が可能となっていた他、エンジンもカミンズ新世代エンジンのQSK19系を採用していた。
- 武豊線が早い段階で電化され、2010年の史実上のみえ4連化の際に快速みえが復活していた。
- HC85系の投入は史実通りだったが、片側2ドアとなっていた。
キハ200系[編集 | ソースを編集]
500番台が香椎線に残留していたら[編集 | ソースを編集]
キハ200系500番台は香椎線に投入されましたが、その後指宿枕崎線に転出しました。
- その後の増備車は大分地区ではなく香椎線に投入されていた。
- アクアライナー色に変更されていた。
- 日高本線の二の舞になることはなかった。
- BEC819系が投入されたかは微妙。
キハ220-1102が観光列車に改造されていたら[編集 | ソースを編集]
なのはなDX廃止に伴い指定席車として使用されていた当該車両が観光列車に改造されて指宿枕崎線or三角線に投入されるという噂がありました
- 特急「A列車で行こう」か「指宿のたまて箱」に投入されていた。
- 史実通り肥薩線の運用が多いなら「かわせみやませみ」になっていたかも。
- 1両だけなので他のキハ200系列の車両も一緒に改造されていた。
- 肥薩線の水害で水没した場合は引き続き観光列車としてリニューアルされていた。
- BE220-1はキハ220-1101から改造された。
キヤE991形[編集 | ソースを編集]
営業運用を考慮した設計になっていたら[編集 | ソースを編集]
- 燃料電池電車への改造が前提だったため、最終的にクモヤE995として蓄電池電車の試験を終えたあと2019年に廃車されていますが、ここでFV-E991系のように営業運転を考慮した設計になっていたらどのようになっていたか考えてみる。
- 試験終了後、燃料電池車に改造されず、キハE200に編入されていた。
- 蓄電池電車の試験はキハE200ベースの車体をした2連となっていた。
- しかも試験終了後に烏山線で営業運転に入っている可能性が高い。
2600系[編集 | ソースを編集]
土讃線での運用に成功していたら[編集 | ソースを編集]
- JR四国でも空気ばね式車体傾斜車両を積極的に増備し続けていた。
- 2700系は登場しない。
- その分、本形式にも半室グリーン車が登場していた。
特急むろとに充当されたら[編集 | ソースを編集]
- 特急うずしおの担当分が1または2往復に減らされていた。
- それ以外は2700系が担当していた。
- それでもキハ185に廃車は出なかった。
客車[編集 | ソースを編集]
50系[編集 | ソースを編集]
JR東海にも継承されていたら[編集 | ソースを編集]
- オハフ50のみを、保留車として数十両程度継承していた。
- 民営化後即座にキハ33形の5000番台に改造されている。
- 台車・機器類はカミンズ製エンジンや仮想心皿台車など新造品だった。
- 史実上のキハ11は存在しない。